Hilbert空間上の作用素論(分割版)

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本稿においては、Hilbert空間上の作用素の理論を展開する。特に量子力学の数学的構造に関わる関数解析学と相性の良い、Hilbert空間上の非有界線形作用素の理論、Hilbert空間上の射影値測度(projection-valued measure、PVM)による積分の一般論について詳しく論じる。また、直和Hilbert空間やテンソル積Hilbert空間上の作用素の一般論や、コンパクト作用素、トレースクラス、Hilbert-Schmidtクラス、von Neumann環についても触れる。射影値測度の典型例として、Hilbert空間上の(有界とは限らない)自己共役作用素に付随するスペクトル測度がある。このスペクトル測度による積分(Borel汎関数計算、Borel functional calculus)により、自己共役作用素 $T$ と $T$ のスペクトル $\sigma(T)$ 上で定義されたBorel関数 $f\colon\sigma(T)\rightarrow\mathbb{C}$ に対し $f(T)$ と表すに相応しい作用素が定義できる。こうして、例えば量子力学において基本的な位置作用素、運動量作用素、角運動量作用素、ハミルトニアンなどの自己共役作用素に対し、その関数で表される作用素が定義できる。また、境界条件の付いたラプラシアン(より一般には楕円型偏微分作用素)は自己共役作用素であるが、境界条件付きの波動方程式、熱方程式などの一般解を、そのラプラシアンの関数として表すことが可能である。
直和Hilbert空間、テンソル積Hilbert空間上の作用素の一般論はFock空間上の作用素論を展開する上で基礎となり、Fock空間上の作用素論、トレースクラスやHilbert-Schmidtクラスの理論、von Neumann環は量子統計力学の数理の基礎となる。
本稿で仮定する知識は、Hilbert空間と有界線形作用素の初歩的な知識(位相線形空間1:ノルムと内積の内容)、セミノルム位相、汎弱位相の初歩的な知識(位相線形空間2:セミノルム位相と汎弱位相の内容)、測度論(入門テキスト「測度と積分」の程度の内容)、$C^*$-環のスペクトルの初歩的な知識(Banach環とC*-環のスペクトル理論の程度の内容)である。本稿では Hilbert空間と言えば、特に断ることのない限り $\mathbb{C}$ 上のものとする。また、Hilbert空間の内積は第二変数に関して線形とし、$\mathbb{N}=\{1,2,3,\ldots\}$、$\mathbb{Z}_+=\{0,1,2,3,\ldots\}$ とする。

この章では、Hilbert空間 $\mathcal{H}$ 上の有界線形作用素のなす $C^*$-環 $\mathbb{B}(\mathcal{H})$ の基本的な元(正規作用素、有界自己共役作用素、有界非負自己共役作用素、射影作用素、部分等長作用素)の特徴付けを与える。また、$\mathbb{B}(\mathcal{H})$ の基本的な位相であるWOTとSOTについて論じ、有界自己共役作用素からなる有界単調増加ネットが上限にSOT収束すること、射影作用素の無限直交族の和が射影作用素にSOTで収束することについて述べる。

この章では、Hilbert空間上の(有界とは限らない)線形作用素の基礎事項について論じる。特に(有界とは限らない)線形作用素の和、積、スカラー倍や、稠密に定義された線形作用素の共役作用素、可閉線形作用素の閉包などを取る基本的な操作、対称作用素と自己共役作用素のCayley変換との対応、対称作用素の自己共役拡張、閉線形作用素のスペクトルとレゾルベント集合の定義などについて論じる。

この章では、可測空間 $(X,\mathfrak{M})$ 上で定義され、Hilbert空間 $\mathcal{H}$ 上の射影全体 $\mathbb{P}(\mathcal{H})$ に値を取る測度(射影値測度、PVM)$E\colon\mathfrak{M}\rightarrow\mathbb{P}(\mathcal{H})$ と、それによる積分で表される線形作用素の一般論を詳しく論じる。

この章では、射影値測度の典型例であるHilbert空間上の自己共役作用素に付随するスペクトル測度と、Borel汎関数計算(Borel functional calculus)について詳しく論じる。Hilbert空間 $\mathcal{H}$ 上の自己共役作用素 $T$ と $T$ のスペクトル $\sigma(T)$ に対し、スペクトル測度と呼ばれる射影値測度 $E^T\colon\mathcal{B}_{\sigma(T)}\rightarrow\mathbb{P}(\mathcal{H})$ が定まり、 $\sigma(T)$ 上のBorel関数 $f\colon\sigma(T)\rightarrow\mathbb{C}$ に対し、$\mathcal{H}$ 上の線形作用素 $f(T)=\int_{\sigma(T)}f(\lambda)dE^T(\lambda)$ を対応させることができる。これを $T$ に関するBorel汎関数計算と呼ぶ。Borel汎関数計算を用いて例えば量子力学において基本的な位置作用素、運動量作用素、角運動量作用素、ハミルトニアンなどの自己共役作用素に対し、その関数で表される作用素が定義される。また、境界条件の付いたラプラシアン(より一般には楕円型偏微分作用素)は自己共役作用素であるが、境界条件付きの波動方程式、熱方程式などの一般解を、そのラプラシアンの関数として表すことが可能である。

この章では、Hilbert空間上の線形作用素の操作として基本的な極分解(polar decomposition)について論じる。Hilbert空間上の稠密に定義された線形作用素 $T$ は性質が良く、$T^*T$ は非負自己共役作用素であり、Borel汎関数計算により $\lvert T\rvert\colon=\sqrt{T^*T}$ なる非負自己共役作用素が定まる。そして閉部分空間 $\overline{{\rm Ran}(\lvert T\rvert)}$ 上の部分等長作用素 $V$ に対し $T=V\lvert T\rvert$ と一意的に表される。これが $T$ の極分解である。

この章では、射影値測度による積分の典型例である掛け算作用素について論じる。測度空間 $(X,\mathfrak{M},\mu)$ 上の $L^2$ 空間 $L^2(X,\mathfrak{M},\mu)$ はHilbert空間である。そして任意の $B\in\mathfrak{M}$ に対し、$E^{\mu}(B)\colon L^2(X,\mathfrak{M},\mu)\ni [g]\mapsto [\chi_Bg]\in L^2(X,\mathfrak{M},\mu)$ はHilbert空間 $L^2(X,\mathfrak{M},\mu)$ 上の射影作用素であり、$E^{\mu}\colon\mathfrak{M}\ni B\mapsto E(B)\in \mathbb{P}(L^2(X,\mathfrak{M},\mu))$ は射影値測度をなす。この射影値測度による可測関数 $f\colon X\rightarrow\mathbb{C}$ の積分 $\int_{X}f(x)dE(x)$ は、$L^2(X,\mathfrak{M},\mu)$ の元に $f$ を掛ける作用素、すなわち $\left(\int_{X}f(x)dE(x)\right)[g]=[fg]$ である(ただし $[g], [fg]\in L^2(X,\mathfrak{M},\mu)$ )。これが $f$ による掛け算作用素である。掛け算作用素をこの様に射影値測度による積分として捉えることで、射影値測度による積分の種々の性質(「Hilbert空間上の作用素論3:射影値測度(PVM)による積分論」を参照)が適用できる。

この章では、Hilbert空間上の(有界とは限らない)線形作用素の(無限)直和で表される線形作用素の基本事項について論じる。特に射影値測度の直和によって表される射影値測度とそれによる積分の基本性質、自己共役作用素の直和によって表される自己共役作用素に関するBorel汎関数計算とその基本的なスペクトル特性について論じる。この章の内容は次章「Hilbert空間上の作用素論8:テンソル積Hilbert空間上の線形作用素」の内容と共に、量子統計力学におけるFock空間上の自己共役作用素やそのBorel汎関数計算を扱うための基礎となる。

この章では、テンソル積Hilbert空間と、Hilbert空間上の線形作用素のテンソル積で表される線形作用素について論じる。特に射影値測度のテンソル積によって表される射影値測度とそれによる積分の基本性質、自己共役作用素のテンソル積によって表される自己共役作用素に関するBorel汎関数計算とその基本的なスペクトル特性について論じる。測度空間上の $L^2$ 空間のテンソル積Hilbert空間は、自然に直積測度空間上の $L^2$ 空間と同一視でき、$L^2$ 空間上の掛け算作用素を表す射影値測度(「Hilbert空間上の作用素論6:掛け算作用素」を参照)は、直積測度空間上の $L^2$ 空間上の掛け算作用素を表す射影値測度であることなどは基本的であるが、この様なことについても論じる。この章の内容は前章「Hilbert空間上の作用素論7:直和Hilbert空間上の線形作用素」の内容と共に、量子統計力学におけるFock空間上の自己共役作用素やそのBorel汎関数計算を扱うための基礎となる。

この章では、Hilbert空間上のコンパクト作用素の特徴付けとスペクトル特性、正規コンパクト作用素の対角化可能性、および、コンパクト作用素と射影作用素を扱う上で非常に有用な概念であるSchatten形式[1]について論じる。

この章では、Hilbert空間上の自己共役作用素の離散スペクトルと真性スペクトルの特徴付けを論じる。そして関連した話題として下に有界な自己共役作用素の真性スペクトル以下の離散固有値を特徴付けるmin-max原理と、自己共役作用素の真性スペクトルの相対コンパクトな摂動に対する安定性について論じる。

この章では、コンパクト作用素の重要なクラスであるトレースクラスとHilbert-Scmidtクラスの基礎的事項について論じ、Hilbert-Schmidtクラス作用素の典型例であるHilbert-Schmidt型積分作用素について論じる。またHilbert空間上の作用素論10:自己共役作用素の離散スペクトルと真性スペクトルの内容と併せた応用として中心力ポテンシャルを持つSchrödinger作用素のごく初歩的なことについて触れる。

この章ではvon Neumann環に関する初歩的な事柄について論じる。von Neumann環はBorel汎関数計算と相性が良い。

  1. Schatten形式とは、量子力学で言うところのケットブラ($|u><v|\colon \mathcal{H}\ni w\mapsto <v\mid w>u\in \mathcal{H}$)である。