転置行列

同義語:転置transposetranspose of a matrix左固有ベクトルleft eigenvector

概要

転置行列(transpose)とは、行列 $A=(a_{ij})$ の行と列を入れ替えた行列 $A^{\top}=(a_{ji})$ のことで、$m\times n$ 行列の転置は $n\times m$ 行列になる。転置は和とスカラー倍を保ち、積の順序を逆にし($(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$)、行列式・階数・固有多項式を変えない。数ベクトルの積和 $x\cdot y=\sum_i x_iy_i$ について $(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)$ を満たすただ 1 つの行列として特徴づけられ、方程式 $Ax=b$ が解けることは $A^{\top}y=0$ となるすべての $y$ で $y\cdot b=0$ となることと同値である。標数が $2$ でない体では、正方行列は対称行列と反対称行列の和にただ 1 通りに分かれる。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 行列, 体, 線形写像, 行列式, 階数(線形代数)

行列 $A=\begin{pmatrix}1&2&3\\4&5&6\end{pmatrix}$ の行と列を入れ替えると $\begin{pmatrix}1&4\\2&5\\3&6\end{pmatrix}$ になる。これが $A$ の 転置行列 $A^{\top}$ であり、$A$ を左上から右下への対角線で折り返したものにあたる。操作としては添字を入れ替えるだけだが、転置は行列の積の順序を逆にし($(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$)、行列式・階数・固有値を変えない。さらに、数ベクトルの成分ごとの積の和 $x\cdot y=x_1y_1+\cdots+x_ny_n$ を使うと、$A^{\top}$ は「$A$ を内積の反対側へ移したもの」、すなわち $(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)$ を満たすただ 1 つの行列として特徴づけられる。この性質から、連立1次方程式 $Ax=b$ が解をもつかどうかを $A^{\top}$ の核で判定でき、左からの固有ベクトルは $A^{\top}$ の固有ベクトルとして求まる。この記事では、転置行列の定義と基本規則をまとめたうえで、内積による特徴づけ、対称部分と反対称部分への分解、方程式の解ける条件、固有値との関係を証明し、成分の体や環を変えると崩れる性質を反例で確かめる。

定義

以下、$K$ は体とし、$K$ の元を成分とする $m\times n$ 行列の全体を $M_{m,n}(K)$、$n$ 次正方行列の全体を $M_n(K)$ と書く。$K^n$ の元は列ベクトル($n\times1$ 行列)とする。

転置行列

$A=(a_{ij})\in M_{m,n}(K)$ に対し、$(i,j)$ 成分が $a_{ji}$ である $n\times m$ 行列を $A$ の 転置行列(transpose)といい、$A^{\top}$ と書く。すなわち
$$ (A^{\top})_{ij}=a_{ji}\qquad(1\le i\le n,\ 1\le j\le m) $$
であり、$A$ の第 $i$ 行が $A^{\top}$ の第 $i$ 列になる。$A$ から $A^{\top}$ を作る操作を 転置 という。
$n$ 次正方行列 $A$ が $A^{\top}=A$ を満たすとき $A$ を 対称行列(symmetric matrix)、$A^{\top}=-A$ を満たすとき 反対称行列(antisymmetric matrix、交代行列、歪対称行列)という。

記号は $A^{\top}$ のほかに $A^{T}$、$A^{t}$、${}^{t}\!A$ も使われる。定義は 行列 の記事の定義「行列の転置と対称性」と同じであり、Bee15 Section MO の Definition TM・Definition SYM(pp. 127–128)、Axl24 3.54(§3C、p. 77)とも一致する。$m\times n$ 行列の転置は $n\times m$ 行列なので、対称行列・反対称行列は正方行列に限られる。
列ベクトル $x,y\in K^n$ について、$x^{\top}y$ は $1\times1$ 行列 $(x_1y_1+\cdots+x_ny_n)$ であり、これを $K$ の元と同一視して
$$ x\cdot y:=x^{\top}y=\sum_{i=1}^n x_iy_i $$
と書く。この記事ではこれを 標準の双線形形式(または内積の記号を借りて単に「内積」)と呼ぶ。$x\cdot y=y\cdot x$ であり、$x,y$ のそれぞれについて線形である。$K=\mathbb{R}$ のときは通常の内積だが、一般の体では $x\cdot x=0$ となる $x\ne0$ がありうる(ex-tr-complex)。
転置の基本規則は次のとおりで、いずれもほかの記事で証明されている。

規則成り立つ範囲証明の所在
$(A^{\top})^{\top}=A$、$(A+B)^{\top}=A^{\top}+B^{\top}$、$(cA)^{\top}=cA^{\top}$任意の環行列 の記事の命題「転置と演算の関係」
$(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$可換環同上
$(A^{\top})^{-1}=(A^{-1})^{\top}$体(正則行列)正則行列 の記事の命題「逆行列と演算」の 3
$\det A^{\top}=\det A$可換環行列式 の記事の命題「転置と行列式」
$\operatorname{rank}A^{\top}=\operatorname{rank}A$体階数(線形代数) の記事の定理「列階数と行階数は等しい」

最初の規則から、転置 $M_{m,n}(K)\to M_{n,m}(K)$ は線形写像で、もう一度転置すると元に戻るので線形同型である。2 番目の規則は積の順序を入れ替えるので、$A_1A_2\cdots A_k$ の転置は $A_k^{\top}\cdots A_2^{\top}A_1^{\top}$ である($k$ についての帰納法)。

直感

行列を線形写像 $x\mapsto Ax$ と見ると、転置は「行と列を入れ替える」だけでなく「入力と出力の役割を入れ替える」操作である。$A\in M_{m,n}(K)$ は $K^n$ から $K^m$ への写像だが、$A^{\top}$ は逆向きに $K^m$ から $K^n$ への写像になる。ただし $A^{\top}$ は一般に逆写像ではない。両者の関係は $(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)$ という等式で表され、「$y$ で $Ax$ を測る」ことと「$A^{\top}y$ で $x$ を測る」ことが同じになる。関数を測る道具(線形汎関数)の側に移ると向きが逆になる、という双対空間(線形代数)の考え方を、数ベクトルの言葉で書いたものが転置である。積の順序が逆になるのも、この「向きの反転」の表れである。

例と反例

行ベクトル・列ベクトルと内積

行ベクトル $(1\ \ 2\ \ 3)$ の転置は列ベクトル $\begin{pmatrix}1\\2\\3\end{pmatrix}$ であり、逆も同じである。$x=\begin{pmatrix}1\\2\\3\end{pmatrix}$、$y=\begin{pmatrix}4\\5\\6\end{pmatrix}$ について $x^{\top}y=(32)$ は $1\times1$ 行列で、$x\cdot y=32$ である。一方 $xy^{\top}$ は $3\times3$ 行列
$$ xy^{\top}=\begin{pmatrix}4&5&6\\8&10&12\\12&15&18\end{pmatrix} $$
であり、その転置は $(xy^{\top})^{\top}=yx^{\top}$ である。$x^{\top}y$ と $xy^{\top}$ は掛ける順序だけが違うが、大きさがまったく異なる。

対称行列と反対称行列

$S=\begin{pmatrix}1&2\\2&3\end{pmatrix}$ は $S^{\top}=S$ で対称、$T=\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}$ は $T^{\top}=-T$ で反対称である。単位行列と対角行列は対称である。任意の $A\in M_{m,n}(K)$ について $A^{\top}A$($n$ 次)と $AA^{\top}$($m$ 次)は対称である。実際、積の転置の規則により $(A^{\top}A)^{\top}=A^{\top}(A^{\top})^{\top}=A^{\top}A$ である。標数が $2$ でない体では、反対称行列の対角成分は $0$ である(行列 の記事の命題「反対称行列の対角成分」)。

反例:積の転置は順序が入れ替わる

$A=\begin{pmatrix}1&1\\0&0\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&0\\1&0\end{pmatrix}$ とすると
$$ (AB)^{\top}=\begin{pmatrix}2&0\\0&0\end{pmatrix},\qquad A^{\top}B^{\top}=\begin{pmatrix}1&1\\1&1\end{pmatrix} $$
であり、$(AB)^{\top}\ne A^{\top}B^{\top}$ である。正しい規則は $(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$ で、実際 $B^{\top}A^{\top}=\begin{pmatrix}2&0\\0&0\end{pmatrix}$ となる。$A$ が $m\times n$、$B$ が $n\times p$ で $m\ne p$ なら、$A^{\top}B^{\top}$ はそもそも定義されない。この例は「順序をそのままにした $(AB)^{\top}=A^{\top}B^{\top}$」が、正方行列どうしでも成り立たないことを示す。

反例:成分が可換でないと積の規則が崩れる

積の転置の規則 $(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$ の証明は、成分の積の可換性 $a_{ij}b_{jk}=b_{jk}a_{ij}$ を使う。成分を Hamilton の四元数(四元数環 の記事の $\mathbb{H}$。$i^2=j^2=k^2=ijk=-1$)にとると崩れる。$1\times1$ 行列 $A=(i)$、$B=(j)$ について $(AB)^{\top}=(ij)=(k)$ だが $B^{\top}A^{\top}=(ji)=(-k)$ である。この例は「成分の環が可換である」を満たさないので、積の転置の規則が成り立たない。

反例:複素数の行列では $AA^{\top}=O$ となる $A\ne O$ がある

$A=(1\ \ i)\in M_{1,2}(\mathbb{C})$ とすると $AA^{\top}=(1\cdot1+i\cdot i)=(0)$ だが $A\ne O$ である。実数を成分とする行列なら、$AA^{\top}=O$ から $A=O$ が従う(prop-tr-real)。この例は「成分が実数である」を満たさないので、この含意が崩れる。複素数の行列で実数の場合と同じ役割を果たすのは、転置に複素共役を合わせた共役転置 $A^{*}=\overline{A}^{\top}$ である(rem-tr-conjugate)。

外す条件反例成り立たなくなること
積の順序を逆にするex-tr-product-order の $A,B$順序を逆にしない $(AB)^{\top}=A^{\top}B^{\top}$
成分の環が可換四元数の $1\times1$ 行列 $(i),(j)$$(AB)^{\top}=B^{\top}A^{\top}$
標数が $2$ でない$\mathbb{F}_2$ 上の $\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix}$対称部分と反対称部分への分解(thm-tr-decomposition)
成分が実数$A=(1\ \ i)$ と、その転置 $\begin{pmatrix}1\\ i\end{pmatrix}$$AA^{\top}=O\Rightarrow A=O$(前者)、$\operatorname{im}A$ と $\ker A^{\top}$ が $0$ でしか交わらないこと(後者)
固有値だけを比べる$A=\begin{pmatrix}1&1\\0&2\end{pmatrix}$$A$ と $A^{\top}$ が同じ固有ベクトルをもつこと(固有値は同じ)

3 行目は thm-tr-decomposition の後、4 行目の後半は rem-tr-orthogonal-complement、5 行目は ex-tr-left-eigenvector で確かめる。

性質

内積による特徴づけ

転置行列の特徴づけ

$A\in M_{m,n}(K)$ とする。

  1. すべての $x\in K^n$、$y\in K^m$ について $(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)$ が成り立つ。
  2. 逆に、$B\in M_{n,m}(K)$ がすべての $x\in K^n$、$y\in K^m$ について $(Ax)\cdot y=x\cdot(By)$ を満たせば、$B=A^{\top}$ である。
積の転置の規則と標準基底

1:積の転置の規則(行列 の記事の命題「転置と演算の関係」の 3)と結合法則により
$$ (Ax)\cdot y=(Ax)^{\top}y=(x^{\top}A^{\top})y=x^{\top}(A^{\top}y)=x\cdot(A^{\top}y) $$
である。
2:$e_1,\dots,e_n$ を $K^n$ の標準基底、$f_1,\dots,f_m$ を $K^m$ の標準基底とする。$Ae_j$ は $A$ の第 $j$ 列なので $(Ae_j)\cdot f_i=a_{ij}$ である。同様に $Bf_i$ は $B$ の第 $i$ 列なので $e_j\cdot(Bf_i)=b_{ji}$ である。仮定で $x=e_j$、$y=f_i$ とおくと $b_{ji}=a_{ij}$ が $1\le i\le m$、$1\le j\le n$ のすべてで成り立つ。これは $B=A^{\top}$ ということである。$\square$

この定理は正値性($x\cdot x>0$)を使っていないので、どの体でも成り立つ。$A^{\top}$ を「$(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)$ を満たす行列」として定義し直すこともでき、この形は内積空間の随伴作用素の定義の原型である。双対空間(線形代数) の言葉では、$y\in K^m$ を線形汎関数 $u\mapsto y\cdot u$ と同一視したとき、$A^{\top}$ は双対写像を表す行列であり、これが同記事の定理「双対写像の性質と転置行列」(Axl24 3.132、§3F、p. 113)にあたる。

対称部分と反対称部分

対称部分と反対称部分への分解

$K$ の標数は $2$ でないとし、$\operatorname{Sym}_n(K)$、$\operatorname{Alt}_n(K)$ をそれぞれ $n$ 次の対称行列、反対称行列の全体とする。

  1. 任意の $A\in M_n(K)$ は、対称行列 $S$ と反対称行列 $T$ の和 $A=S+T$ にただ 1 通りに書け、
    $$ S=\frac12\bigl(A+A^{\top}\bigr),\qquad T=\frac12\bigl(A-A^{\top}\bigr) $$
    である。すなわち $M_n(K)=\operatorname{Sym}_n(K)\oplus\operatorname{Alt}_n(K)$(直和)である。
  2. $\dim\operatorname{Sym}_n(K)=\dfrac{n(n+1)}2$、$\dim\operatorname{Alt}_n(K)=\dfrac{n(n-1)}2$ である。
転置で符号が変わる部分を取り出す

1:標数が $2$ でないので $2$ は $K$ で可逆であり、$S,T$ は意味をもつ。転置の線形性と $(A^{\top})^{\top}=A$ により
$$ S^{\top}=\frac12\bigl(A^{\top}+A\bigr)=S,\qquad T^{\top}=\frac12\bigl(A^{\top}-A\bigr)=-T $$
であり、$S+T=A$ である。一意性を示す。$A=S+T=S'+T'$ と 2 通りに書けたとすると、$U:=S-S'=T'-T$ は対称かつ反対称である。すると $U=U^{\top}=-U$ なので $2U=O$、$2$ が可逆なので $U=O$ である。よって $S=S'$、$T=T'$ である。
2:$E_{ij}$ を $(i,j)$ 成分だけが $1$ でほかが $0$ の行列とする。対称行列 $S=(s_{ij})$ は $s_{ij}=s_{ji}$ を満たすので
$$ S=\sum_{i}s_{ii}E_{ii}+\sum_{i< j}s_{ij}\bigl(E_{ij}+E_{ji}\bigr) $$
と書け、$E_{ii}$($n$ 個)と $E_{ij}+E_{ji}$($i< j$、$n(n-1)/2$ 個)は対称行列で、成分の位置が重ならないので線形独立である。よって $\dim\operatorname{Sym}_n(K)=n+n(n-1)/2=n(n+1)/2$ である。反対称行列は対角成分が $0$ である(行列 の記事の命題「反対称行列の対角成分」)ので、同様に $E_{ij}-E_{ji}$($i< j$)が基底になり $\dim\operatorname{Alt}_n(K)=n(n-1)/2$ である。$\square$

たとえば $A=\begin{pmatrix}1&2\\4&3\end{pmatrix}$ では $S=\begin{pmatrix}1&3\\3&3\end{pmatrix}$、$T=\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}$ である。2 の次元の和は $n(n+1)/2+n(n-1)/2=n^2=\dim M_n(K)$ であり、1 の直和分解と合っている。
標数 $2$ の体では $-1=1$ なので、反対称行列と対称行列は同じものになり、分解は成り立たない。$\mathbb{F}_2$ 上の $A=\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix}$ を対称行列 $S$ と反対称行列 $T$ の和に書けたとすると、$T$ も対称なので $A=S+T$ は対称になるが、$A^{\top}\ne A$ である。この例は「標数が $2$ でない」を満たさないので、thm-tr-decomposition の 1 の存在が崩れる。
この分解は2次形式で使われる。反対称行列 $T$ と $x\in K^n$ について、$x^{\top}Tx$ は $1\times1$ 行列なので転置しても変わらず、$x^{\top}Tx=(x^{\top}Tx)^{\top}=x^{\top}T^{\top}x=-x^{\top}Tx$ である。標数が $2$ でなければ $x^{\top}Tx=0$ となり、$x^{\top}Ax=x^{\top}Sx$ である。したがって 2 次形式 $x^{\top}Ax$ を表す行列は、対称行列に取り替えてよい。

連立1次方程式の解ける条件

直交する列ベクトルの空間の次元

$N$ を $K^m$ の部分空間とし、$N^{\perp}:=\{b\in K^m:\ \text{すべての } y\in N \text{ について } y\cdot b=0\}$ とおく。$N^{\perp}$ は $K^m$ の部分空間で、$\dim N^{\perp}=m-\dim N$ である。

基底を行に並べた行列の核

$k:=\dim N$ とし、$N$ の基底 $y_1,\dots,y_k$ をとる。$y\cdot b$ は $y$ について線形なので、$b\in N^{\perp}$ であることは $y_1\cdot b=\cdots=y_k\cdot b=0$ と同値である($k=0$ なら $N^{\perp}=K^m$ で主張は正しい)。$y_1^{\top},\dots,y_k^{\top}$ を行とする $k\times m$ 行列を $Y$ とすると、$Yb$ の第 $i$ 成分は $y_i\cdot b$ なので $N^{\perp}=\ker Y$ であり、とくに部分空間である。$Y$ の行は線形独立なので行階数は $k$ であり、列階数と行階数は等しい(階数(線形代数) の記事の定理「列階数と行階数は等しい」)ので $\operatorname{rank}Y=k$ である。次元定理(線形代数学 の記事の定理「次元定理」)を $x\mapsto Yx$ に当てはめて $\dim\ker Y=m-k$ である。$\square$

連立1次方程式が解をもつための条件

$A\in M_{m,n}(K)$、$b\in K^m$ とする。方程式 $Ax=b$ が解 $x\in K^n$ をもつことと、
$$ A^{\top}y=0\ \text{を満たすすべての}\ y\in K^m\ \text{について}\ y\cdot b=0 $$
が成り立つことは同値である。すなわち $\operatorname{im}A=(\ker A^{\top})^{\perp}$ である。

包含と次元の比較

$N:=\ker A^{\top}$ とおく。まず $\operatorname{im}A\subset N^{\perp}$ を示す。$b=Ax$ で $y\in N$ なら、thm-tr-pairing の 1 と $\cdot$ の対称性により
$$ y\cdot b=(Ax)\cdot y=x\cdot(A^{\top}y)=x\cdot0=0 $$
である。
次に次元を比べる。$r:=\operatorname{rank}A$ とすると $\dim\operatorname{im}A=r$ である。$A^{\top}$ は $n\times m$ 行列で $\operatorname{rank}A^{\top}=r$(階数(線形代数) の記事の定理「列階数と行階数は等しい」)なので、次元定理により $\dim N=m-r$ である。lem-tr-annihilator-dim により $\dim N^{\perp}=m-(m-r)=r$ である。部分空間 $\operatorname{im}A\subset N^{\perp}$ の次元が等しいので $\operatorname{im}A=N^{\perp}$ である(基底と次元 の記事の命題「有限次元空間における独立系と生成系」の 3)。これは主張の同値そのものである。$\square$

解ける右辺の判定

$A=\begin{pmatrix}1&2\\2&4\\3&6\end{pmatrix}$ とする。$A^{\top}=\begin{pmatrix}1&2&3\\2&4&6\end{pmatrix}$ の核は $y_1+2y_2+3y_3=0$ で定まり、$(-2,1,0)^{\top}$ と $(-3,0,1)^{\top}$ が基底である。したがって $Ax=b$ が解けるのは
$$ -2b_1+b_2=0\quad\text{かつ}\quad-3b_1+b_3=0 $$
のとき、すなわち $b$ が $(1,2,3)^{\top}$ の定数倍のときである。実際 $A$ の 2 つの列はどちらも $(1,2,3)^{\top}$ の定数倍なので、$\operatorname{im}A$ はこの直線である。$b=(1,2,4)^{\top}$ では $-3b_1+b_3=1\ne0$ なので解がない。

Bee15 は $\ker A^{\top}$ を $A$ の 左零空間(left null space)と呼ぶ(Section FS の Definition LNS、p. 181)。$A^{\top}y=0$ は $y^{\top}A=0$ と同じで、$y$ は $A$ の行の間の線形関係の係数を並べたものである。定理は「方程式が解けないのは、行の線形関係を右辺に当てはめると $0=(\text{0 でない数})$ という矛盾が出るときに限る」と言い換えられる。

直交補空間との関係

$K=\mathbb{R}$ なら $x\cdot y$ は内積であり、$N^{\perp}$ は直交補空間である。このとき thm-tr-solvability は $\mathbb{R}^m=\operatorname{im}A\oplus\ker A^{\top}$(直交する直和)を与える。$\mathbb{C}$ や有限体では、$N^{\perp}$ と $N$ が $0$ でないベクトルを共有しうるので、この直和分解は成り立つとは限らない。$A=\begin{pmatrix}1\\i\end{pmatrix}\in M_{2,1}(\mathbb{C})$ では $A^{\top}=(1\ \ i)$ で、$(1,i)^{\top}$ は $1\cdot1+i\cdot i=0$ より $\ker A^{\top}$ に入るので、$\operatorname{im}A=\ker A^{\top}$ である。それでも thm-tr-solvability は成り立っている。

実数の行列

実数の行列と $A^{\top}A$

$A\in M_{m,n}(\mathbb{R})$ について
$$ \operatorname{tr}(A^{\top}A)=\sum_{i=1}^m\sum_{j=1}^na_{ij}^2 $$
である($\operatorname{tr}$ は対角成分の和)。とくに $A^{\top}A=O$ または $AA^{\top}=O$ なら $A=O$ である。

対角成分は列の長さの 2 乗

$A^{\top}A$ の $(j,j)$ 成分は $\sum_{i=1}^m(A^{\top})_{ji}a_{ij}=\sum_{i=1}^ma_{ij}^2$ であり、$j$ について足すと式を得る。$A^{\top}A=O$ なら左辺は $0$ で、実数の 2 乗の和が $0$ になるのはすべてが $0$ のときだけなので $A=O$ である。$AA^{\top}=O$ なら、$B:=A^{\top}$ について $B^{\top}B=AA^{\top}=O$ なので $B=O$、すなわち $A=O$ である。$\square$

$\operatorname{tr}(A^{\top}B)=\sum_{i,j}a_{ij}b_{ij}$ は $M_{m,n}(\mathbb{R})$ の内積(Frobenius 内積)であり、行列を $mn$ 個の数を並べたベクトルと見たときの通常の内積と同じものである。より強く、実数の行列では $\ker(A^{\top}A)=\ker A$ であり $\operatorname{rank}(A^{\top}A)=\operatorname{rank}A$ である(階数(線形代数) の記事の命題「転置との積の階数」)。複素数の行列では正値性が使えず、この命題は崩れる。ex-tr-complex の $A$ では $AA^{\top}=O$ なので $\operatorname{rank}(AA^{\top})=0\ne1=\operatorname{rank}A$ であり、$B:=A^{\top}$ とおけば $\operatorname{rank}(B^{\top}B)=0\ne1=\operatorname{rank}B$ である。
$n$ 次の実正方行列 $Q$ が $Q^{\top}Q=I_n$ を満たすとき $Q$ を 直交行列 という。$Q^{\top}Q$ の $(i,j)$ 成分は $Q$ の第 $i$ 列と第 $j$ 列の内積なので、これは $Q$ の列が $\mathbb{R}^n$ の正規直交基底をなすことと同じである。このとき $Q^{-1}=Q^{\top}$ であり、逆行列の計算が転置だけで済む。

固有値と左固有ベクトル

転置と固有値

$A\in M_n(K)$ とする。

  1. $A^{\top}$ と $A$ の固有多項式は等しい。したがって固有値とその代数重複度は一致する。
  2. 各固有値 $\lambda$ について、$A^{\top}$ と $A$ の固有値 $\lambda$ の固有空間の次元(幾何重複度)は等しい。
  3. $x$ が $A$ の固有値 $\mu$ の固有ベクトル、$y$ が $A^{\top}$ の固有値 $\lambda$ の固有ベクトルで $\lambda\ne\mu$ なら、$y\cdot x=0$ である。
行列式と階数を転置で比べる

1:$xI_n-A^{\top}=(xI_n-A)^{\top}$ である($I_n^{\top}=I_n$ と転置の線形性)。行列式 の記事の命題「転置と行列式」は成分が多項式環 $K[x]$ でも同じ証明で成り立つ(同記事の注意「可換環上の行列式」)ので、$\det(xI_n-A^{\top})=\det(xI_n-A)$ である。固有値は固有多項式の根である(固有値 の記事の命題「固有空間と特性方程式」の 2)。
2:固有値 $\lambda$ の固有空間は $\ker(A-\lambda I_n)$ であり、次元定理により次元は $n-\operatorname{rank}(A-\lambda I_n)$ である。$A^{\top}-\lambda I_n=(A-\lambda I_n)^{\top}$ で、転置で階数は変わらないので、両者の次元は等しい。
3:thm-tr-pairing の 1 により
$$ \lambda\,(y\cdot x)=(A^{\top}y)\cdot x=x\cdot(A^{\top}y)=(Ax)\cdot y=\mu\,(x\cdot y)=\mu\,(y\cdot x) $$
なので $(\lambda-\mu)(y\cdot x)=0$ であり、$\lambda\ne\mu$ から $y\cdot x=0$ である。$\square$

$A^{\top}y=\lambda y$ は転置すると $y^{\top}A=\lambda y^{\top}$ となる。このような $y\ne0$ を $A$ の固有値 $\lambda$ の 左固有ベクトル という。1 は Bee15 Section PEE の Theorem ETM とその証明(pp. 304–305。固有多項式の一致は証明の末尾)にある。

反例:固有値は同じだが固有ベクトルは違う

$A=\begin{pmatrix}1&1\\0&2\end{pmatrix}$ の固有値は $1,2$ で、固有ベクトルはそれぞれ $(1,0)^{\top}$、$(1,1)^{\top}$ の $0$ でない定数倍である。$A^{\top}=\begin{pmatrix}1&0\\1&2\end{pmatrix}$ の固有値も $1,2$ だが、固有ベクトルはそれぞれ $(1,-1)^{\top}$、$(0,1)^{\top}$ の定数倍である。$(1,0)^{\top}$ は $A^{\top}(1,0)^{\top}=(1,1)^{\top}$ なので $A^{\top}$ の固有ベクトルでない。この例は「固有多項式が等しい」を満たすが「同じ固有ベクトルをもつ」を満たさず、prop-tr-eigen が固有ベクトルまでは主張しないことを示す。3 のとおり、異なる固有値どうしでは $(1,-1)^{\top}\cdot(1,1)^{\top}=0$、$(0,1)^{\top}\cdot(1,0)^{\top}=0$ である。

$A$ が対称行列なら左固有ベクトルと固有ベクトルは同じものであり、3 は「異なる固有値の固有ベクトルは直交する」ことを意味する。実対称行列がつねに対角化でき、固有ベクトルを正規直交にとれるというスペクトル定理は、この直交性を出発点にする。

補足

複素数の行列と共役転置

複素数を成分とする行列では、標準のエルミート内積 $\langle x,y\rangle=\sum_i x_i\overline{y_i}$ に合わせて、転置に成分の複素共役を合わせた 共役転置(随伴行列)$A^{*}:=\overline{A}^{\top}$ を使うことが多い。このとき $\langle Ax,y\rangle=\langle x,A^{*}y\rangle$ が thm-tr-pairing と同じ計算で成り立つ(Bee15 Section MM の Theorem AIP、p. 144)。$A^{*}=A$ を満たす行列が Hermite行列、$A^{*}A=I$ を満たす行列が ユニタリ行列 であり、それぞれ実数の場合の対称行列・直交行列にあたる。prop-tr-real の $A^{\top}A$ を $A^{*}A$ に替えた主張は複素数の行列でも成り立つ。実数の行列では $A^{*}=A^{\top}$ である。

文献

転置と対称行列の定義は Bee15 Section MO(Definition TM・SYM、pp. 127–128)、積の転置は Section MM の Theorem MMT(p. 143)、行列式・階数・固有値との関係は Theorem DT(Section DM、p. 267)・Theorem RMRT(Section PD、p. 258)・Theorem ETM による。線形写像の立場からは Axl24 3.54(転置の定義)と 3.132(双対写像の行列は転置)にある。

関連項目

参考文献

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