逆元(inverse element)とは、単位元 $e$ をもつマグマの元 $a$ に対して $x\cdot a=a\cdot x=e$ を満たす元 $x$ であり、片側の等式だけを満たすものを左逆元・右逆元、逆元をもつ元を可逆元(単元)という。モノイドでは左逆元と右逆元は一致して逆元は一意になり、$(a^{-1})^{-1}=a$、$(ab)^{-1}=b^{-1}a^{-1}$ が成り立ち、可逆元全体は群をなす。可逆性は左右の移動写像が全単射であることで判定でき、写像の合成のモノイドでは可逆元は全単射である。結合律を外すと逆元の一意性が、可換性を外すと積の因子の可逆性が崩れ、部分モノイドでは終域で可逆でも始域で可逆とは限らない。
集合 $M$ と二項演算 $\cdot$ の組で単位元 $e$(任意の $x\in M$ に対して $e\cdot x=x\cdot e=x$ を満たす元)を持つもの(単位的マグマ)を $\langle M,\cdot,e\rangle$ と書く。結合律は仮定しない。結合律を満たす単位的マグマをモノイドという。
単位的マグマ $\langle M,\cdot,e\rangle$ の元 $a$ に対し、元 $x\in M$ が
$$
x\cdot a=e
$$
を満たすとき、$x$ を $a$ の左逆元(left inverse)という。元 $x$ が
$$
a\cdot x=e
$$
を満たすとき、$x$ を $a$ の右逆元(right inverse)という。
表記。 モノイドでは元 $a$ の逆元は存在すれば一意なので(cor-inverse-element-unique)、それを $a^{-1}$ と書く。演算を加法的に $+$ と書き単位元を $0$ と書く場合は、$a$ の逆元を $-a$ と書き、$b+(-a)$ を $b-a$ と略記する。
逆元は、操作 $a$ を打ち消して「何もしない操作」(単位元)に戻す操作である。整数の加法で $n$ を打ち消すのは $-n$、正の実数の乗法で $a$ を打ち消すのは $1/a$ である。定義自体は結合律なしで意味を持つが、左逆元と右逆元が一致することや逆元が一意であることは結合律があって初めて成り立つ。結合律のない単位的マグマでは、同じ元が異なる左逆元と右逆元を持つことがある。
モノイド $\langle\mathbb{Z},+,0\rangle$ では、任意の整数 $n$ が可逆元で、逆元は $-n$ である($(-n)+n=n+(-n)=0$)。モノイド $\langle\mathbb{Q},\times,1\rangle$ では、$0$ でない有理数 $a$ が可逆元で、逆元は $1/a$ である。$0$ は可逆元でない(任意の $x$ で $0\times x=0\neq1$)。
集合 $X$ 上の写像全体 $X^X$ は合成についてモノイド $\langle X^X,\circ,\mathrm{id}_X\rangle$ をなす。写像 $f\colon X\to X$ が可逆元であることと、$f$ が全単射であることは同値である。実際、$g\circ f=\mathrm{id}_X$ なら $f(x)=f(y)\Rightarrow x=g(f(x))=g(f(y))=y$ で $f$ は単射、$f\circ g=\mathrm{id}_X$ なら任意の $y$ が $y=f(g(y))$ の形で $f$ は全射である。逆に $f$ が全単射なら、各 $y$ を $f(x)=y$ なる唯一の $x$ に送る写像 $f^{-1}$ が $f^{-1}\circ f=f\circ f^{-1}=\mathrm{id}_X$ を満たす。
モノイド $\langle\mathbb{Z},\times,1\rangle$ の可逆元は $1$ と $-1$ だけである。実際 $ab=1$ なら $|a|\,|b|=1$ で $|a|,|b|$ は正の整数だから $|a|=1$、すなわち $a=\pm1$ である。逆に $1\times1=(-1)\times(-1)=1$ なので $\pm1$ は可逆元である。
次の例は、それぞれ「単位的マグマで左逆元と右逆元があれば一致する」「モノイドで左逆元があれば逆元がある」「単位的マグマで逆元は存在すれば一意である」が成り立たないことを示す。
モノイド $\langle M,\cdot,e\rangle$ の元 $a$ が左逆元 $x_L$ と右逆元 $x_R$ をともに持つならば、$x_L=x_R$ である。
結合律により
$$
(x_L\cdot a)\cdot x_R=e\cdot x_R=x_R,\qquad x_L\cdot(a\cdot x_R)=x_L\cdot e=x_L
$$
であり、左辺同士は結合律で等しいから $x_L=x_R$ である。$\square$
モノイドの各元は高々一つの逆元しか持たない。
$x_1,x_2$ を $a$ の逆元とする。$x_1$ は特に左逆元、$x_2$ は特に右逆元であるから、prop-inverse-element-left-right により $x_1=x_2$ である。$\square$
モノイドの可逆元 $a$ について、$a^{-1}$ も可逆元であり $(a^{-1})^{-1}=a$ である。
逆元の定義から $a\cdot a^{-1}=a^{-1}\cdot a=e$ である。この二つの等式は、$a$ が $a^{-1}$ の右逆元かつ左逆元であることを意味するから、$a$ は $a^{-1}$ の逆元である。cor-inverse-element-unique により $(a^{-1})^{-1}=a$ である。$\square$
モノイドの可逆元 $a,b$ について、$a\cdot b$ も可逆元であり $(a\cdot b)^{-1}=b^{-1}\cdot a^{-1}$ である。
結合律により $(a\cdot b)\cdot(b^{-1}\cdot a^{-1})=a\cdot(b\cdot b^{-1})\cdot a^{-1}=a\cdot e\cdot a^{-1}=a\cdot a^{-1}=e$ であり、同様に $(b^{-1}\cdot a^{-1})\cdot(a\cdot b)=b^{-1}\cdot(a^{-1}\cdot a)\cdot b=b^{-1}\cdot b=e$ である。よって $b^{-1}\cdot a^{-1}$ は $a\cdot b$ の逆元であり、一意性から等式が従う。$\square$
モノイド $M$ の可逆元全体 $M^\times$ は、$M$ の演算について群をなす。
$e\cdot e=e$ なので $e\in M^\times$。prop-inverse-element-product により $M^\times$ は演算で閉じている。結合律は $M$ から遺伝する。$e$ は $M^\times$ の単位元である。prop-inverse-element-double により各 $a\in M^\times$ の逆元 $a^{-1}$ は $M^\times$ に属し、$a\cdot a^{-1}=a^{-1}\cdot a=e$ を満たす。よって $M^\times$ は群である。$\square$
逆元に関する基本的な事実のうち、どこまでが結合律なしで成り立つかを整理する。
| 主張 | 単位的マグマ | モノイド |
|---|---|---|
| 左逆元と右逆元があれば一致する | 成り立たない(rem-inverse-element-counterexample 第1項) | 成り立つ(prop-inverse-element-left-right) |
| 逆元は存在すれば一意 | 成り立たない(rem-inverse-element-counterexample 第3項) | 成り立つ(cor-inverse-element-unique) |
| 左逆元があれば逆元がある | 成り立たない | 成り立たない(rem-inverse-element-counterexample 第2項) |
| 可逆元全体は群 | — | 成り立つ(prop-inverse-element-unit-group) |
群とは、すべての元が可逆元であるモノイドにほかならない。したがって群では左逆元・右逆元・逆元の区別は消え、各元にただ一つの逆元が対応する。
モノイドの元 $a$ に対し、左移動 $L_a(x)=ax$ と右移動 $R_a(x)=xa$ を考える。逆元があれば、$L_{a^{-1}}$ は $L_a$ の逆写像であり、$R_{a^{-1}}$ は $R_a$ の逆写像である。これは方程式 $ax=b$ と $ya=b$ がすべての $b$ について一意に解けることを意味する。消去律だけでは存在までは保証されず、全射性だけでも一意性は保証されない。
モノイド $M$ の元 $a$ について、次の四条件は同値である。
$a$ が可逆なら結合律により $L_{a^{-1}}L_a=L_aL_{a^{-1}}=\mathrm{id}$ であり、右移動についても同様である。従って(1)から(2)(3)(4)が従う。(2)を仮定すると、全射性により $ab=1$ なる $b$ が存在する。$L_a(ba)=aba=a=L_a(1)$ なので単射性から $ba=1$ となり(1)を得る。(3)からも、$ca=1$ を選び $R_a(ac)=aca=a=R_a(1)$ に単射性を使う。(4)からは $ab=1$ と $ca=1$ を選べ、既存命題「左逆元と右逆元の一致」により $b=c$ なので両側逆元が得られる。$\square$
加法モノイド $\mathbb N$ では $a$ を加える写像 $x\mapsto a+x$ は単射である。しかし $a>0$ の場合 $0$ は像に入らず、$a$ は加法逆元を持たない。よって消去できる元が必ず可逆であるという含意は偽である。逆に片側の移動が全射であることから得られるのは、対応する片側逆元の存在だけである。無限集合で単射と全射を取り違えないことが必要になる。
有限モノイドでの片側逆元の両側性は、有限集合の単射と全射の同値を使って回復する。$ab=1$ なら $L_aL_b=\mathrm{id}$ なので $L_a$ は全射であり、有限性により全単射になる。上の命題から $a$ は可逆になる。有限性を外した写像モノイドの反例は、既存の反例で扱った後者写像である。
可換モノイド $M$ では、$ab$ が可逆であることと $a,b$ がともに可逆であることは同値である。
因子がともに可逆なら既存命題「積の逆元」で積も可逆になる。逆に $c$ を $ab$ の逆元とすると $a(bc)=(ab)c=1$ である。可換性により $(bc)a=1$ でもあるので $bc$ は $a$ の両側逆元である。同様に $ac$ は $b$ の両側逆元である。$\square$
可換性を外すとこの命題は偽である。自然数上の写像 $f(n)=n+1$ と、$g(0)=0$, $g(n)=n-1$($n\geq1$)では $g\circ f=\mathrm{id}$ であり積は可逆である。しかし $f$ は全射でなく、$g$ は $g(0)=g(1)$ のため単射でないから、どちらも可逆でない。この例では因子の可逆性を回復するために積の順序を交換することができない。片側逆元が存在するという情報と、因子自体の両側逆元が存在するという情報の差が現れる。
単位元を保つモノイド準同型 $h:M\to N$ と $a\in M^\times$ に対して $h(a)\in N^\times$ であり、$h(a^{-1})=h(a)^{-1}$ である。
モノイド の命題「単元の集合は群になる」を、単位元を保つモノイド準同型 $h$ に適用すると、$h(a)$ と $h(a^{-1})$ は可逆である。$h(aa^{-1})=h(1_M)=1_N$ から、$h(a^{-1})$ は $h(a)$ の右逆元である。命題「左逆元と右逆元の一致」により、これが $h(a)$ の両側逆元と一致する。従って $h(a^{-1})=h(a)^{-1}$ である。$\square$
逆向きの含意は、$h$ が単射でも一般には成り立たない。加法モノイドの包含 $\mathbb N\hookrightarrow\mathbb Z$ は単位元を保つ単射準同型だが、正の整数は始域では可逆でなく、終域ではすべて可逆である。終域の逆元が始域の像へ戻ってくるかどうかが不足している。従って部分モノイド $S\subset M$ の可逆元は、$S\cap M^\times$ 全体とは限らない。
$S$ を $M$ と同じ単位元を含む部分モノイドとする。このとき
$$
S^\times=\{a\in S\cap M^\times\mid a^{-1}\in S\}
$$
である。有限部分モノイドなら $S^\times=S\cap M^\times$ である。
$S$ での逆元は $M$ でも逆元であり、一意性から $M$ における $a^{-1}$ と同じ元である。逆に $a,a^{-1}\in S$ なら積の式は $S$ でも成立するので $a$ は $S$ で可逆である。有限の場合は $a\in S\cap M^\times$ を取る。$M$ で左から $a^{-1}$ を掛けると、$S$ 上の左移動 $x\mapsto ax$ が単射だとわかる。$S$ が有限なので全射でもあり、$ab=1$ なる $b\in S$ が存在する。$M$ での一意性から $b=a^{-1}$ となる。$\square$
単位元を保つ条件も省略できない。積を保つ写像は単位元を終域の冪等元へ送るだけの場合がある。この一般的な差は単位的マグマの記事の注意「反例:演算を保つが単位元を保たない写像」で示されている。上の証明で $h(1_M)=1_N$ を使った段階を、単なる積保存の式に置き換えることはできない。
同じ元でも台集合を変えると可逆性が変わる。整数乗法の $2$ は不可逆だが、有理数乗法では $1/2$ が逆元である。整数を法 $5$ で見ると $2\cdot3=1$ なので $2$ の同値類は可逆となる。法 $6$ では $2x$ は常に偶数の同値類であり $1$ にはならないため不可逆である。商は新しい逆元を作る場合があり、部分構造は逆元を除外する場合がある。
また一般の単位的マグマでは $a^{-1}$ という記号を使う前に一意性が要る。既存の四元反例にある複数の逆元を一つの記号で代表させると、積の逆元の式に意味の曖昧さが生まれる。結合律のあるモノイドに移ってから逆元の記号を固定するのは、単なる表記の好みではなく、存在と一意性の区別を反映している。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 移動の全射性 | $\mathbb N$ の正の元への加法移動 | 消去性から可逆性は出ない |
| 可換性 | 後者写像とその左逆写像 | 可逆な積の因子が可逆とは限らない |
| 逆元が部分モノイドに属すこと | $\mathbb N\subset\mathbb Z$ | 終域で可逆でも始域で可逆とは限らない |
| 結合律 | 既存の四元演算表 | 逆元の一意性と左右逆元の一致が破れる |
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