多重線形写像(multilinear map)とは、いくつかの加群の直積から加群への写像で、ほかの変数を固定するごとに各変数について線形になるもののことで、変数が 2 つの場合が双線形写像、行列式・行列の積・テンソルがその例である。自由加群の上では基底の組での値を自由に選べて写像がただ 1 つ定まり、成分の個数は各変数の次元の積になる。交代的なら歪対称で、$2$ が可逆なら逆も成り立ち、対称なものは $r!$ が可逆なら偏極公式によって対角成分から復元できる。ノルム空間では連続性が $\|f(x)\|\le C\prod\|x_i\|$ と同値で、微分は 1 変数ずつの和になる。
行列式 $\det(v_1,\dots,v_n)$ は、ほかの列を止めて 1 つの列だけを動かすと線形に変わる。3 つのベクトルのスカラー 3 重積 $\det(a,b,c)$、行列の積やテンソルも同じ性質をもつ。このように、いくつかの変数をとり、各変数について(ほかの変数を止めるごとに)線形である写像を 多重線形写像 という。変数が 2 つの場合が双線形写像である。
多重線形写像は「全体として線形」ではない。$(x,y)\mapsto xy$ は $x$ についても $y$ についても線形だが、$(x,y)$ を 2 倍すると値は 4 倍になる。各変数の線形性をそれぞれ使って展開すると、値は基底の組での値から決まり、成分の個数は各変数の次元の積になる。この記事では、多重線形写像が 1 変数ずつの線形写像の繰り返しとして書けること(prop-ml-curry)、自由加群の上では基底の組での値を自由に選べること(thm-ml-free)、交代性と歪対称性の関係(prop-ml-alternating)、対称な多重線形写像が対角成分 $f(x,\dots,x)$ から復元できること(偏極公式、thm-ml-polarization)、ノルム空間での連続性と微分(thm-ml-bounded)を証明する。
以下、$R$ は可換環とし、加群はすべて $R$ 加群とする。体 $K$ の上のベクトル空間の場合は $R=K$ とすればよい。
$r\ge1$ とし、$M_1,\dots,M_r$、$P$ を $R$ 加群とする。写像 $f\colon M_1\times\cdots\times M_r\to P$ が $r$ 重線形写像($r$-linear map)であるとは、各 $i=1,\dots,r$ と、$i$ 番目以外の変数の値 $x_j\in M_j$($j\ne i$)をどのように固定しても、
$$
M_i\to P,\qquad x\mapsto f(x_1,\dots,x_{i-1},x,x_{i+1},\dots,x_r)
$$
が $R$ 線形写像になることをいう。すなわち、すべての $x_i,x_i'\in M_i$、$a,b\in R$ について
$$
f(\dots,ax_i+bx_i',\dots)=a\,f(\dots,x_i,\dots)+b\,f(\dots,x_i',\dots)
$$
が成り立つ(省略した変数は両辺で共通)。$r$ を明示しないときは 多重線形写像(multilinear map)という。$P=R$ のとき $r$ 重線形形式(多重線形形式)という。$r$ 重線形写像 $M_1\times\cdots\times M_r\to P$ の全体を $\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)$ と書く。
$r=1$ では線形写像、$r=2$ では双線形写像の記事の定義「加群の間の双線形写像」と同じである。値ごとの和 $(f+g)(x):=f(x)+g(x)$ と定数倍 $(af)(x):=a\,f(x)$ によって $\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)$ は $R$ 加群になる(各変数について線形であることは和と定数倍で保たれる。定数倍で保たれることには $R$ の可換性を使う)。
すべての変数が同じ加群 $M$ を動くときには、変数の入れ替えに関する性質を考えることができる。$\mathfrak{S}_r$ を $\{1,\dots,r\}$ の置換全体のなす対称群とし、$\operatorname{sgn}\sigma$ を置換の符号とする。
$f\colon M^r=M\times\cdots\times M\to P$ を $r$ 重線形写像とする。
$r=2$ では双線形写像の記事の定義「対称・交代・歪対称」に一致する。
多重線形写像は「掛け算の一般形」である。実数の積 $x_1x_2\cdots x_r$ は各因子について線形であり、行列の積、内積、行列式も同じ形をしている。各変数について線形であることから、変数をそれぞれ基底で展開すると、積を展開するときと同じように
$$
f\Bigl(\sum_{j_1}c_{1j_1}e_{j_1},\dots,\sum_{j_r}c_{rj_r}e_{j_r}\Bigr)=\sum_{j_1,\dots,j_r}c_{1j_1}\cdots c_{rj_r}\,f(e_{j_1},\dots,e_{j_r})
$$
となる。したがって $f$ は基底の組 $(e_{j_1},\dots,e_{j_r})$ での値の表で決まる。これがテンソルの「添字が $r$ 個ある成分の表」の正体であり(テンソル解析)、$r=2$ の場合が行列による表示である。
線形写像との違いは、値の大きさの変わり方に現れる。全部の変数を $t$ 倍すると $f$ は $t^r$ 倍になる。この性質から、$r$ 重線形写像の「対角成分」$x\mapsto f(x,\dots,x)$ は $r$ 次の同次多項式のようにふるまい($r=2$ が2次形式)、逆に、対称な $f$ は対角成分から復元できる(thm-ml-polarization)。
$f\colon\mathbb{R}\times\mathbb{R}\to\mathbb{R}$、$f(x,y)=xy$ は双線形だが、$\mathbb{R}^2$ 上の線形写像ではない。$f(2\cdot(1,1))=f(2,2)=4\ne2=2f(1,1)$ である。逆に $g(x,y)=x+y$ は $\mathbb{R}^2$ 上の線形写像だが、$g(2x,y)=2x+y\ne2g(x,y)$ なので $x$ について線形でなく、双線形でない。$r\ge2$ のとき、$M_1\times\cdots\times M_r$ 上の線形写像で同時に $r$ 重線形でもあるのは $0$ だけである。実際 $f$ がその両方なら、$f(x_1,\dots,x_r)=f(x_1,0,\dots,0)+f(0,x_2,\dots,x_r)$(線形性)であり、右辺の第 1 項は第 2 変数が $0$、第 2 項は第 1 変数が $0$ なので、その変数についての線形性からどちらも $0$ である。
$R=\mathbb{F}_2$(2 元体)、$M=\mathbb{F}_2$、$f(x,y)=xy$ とする。$\mathbb{F}_2$ では $-1=1$ なので $f(y,x)=f(x,y)=-f(x,y)$ であり、$f$ は歪対称である。しかし $f(1,1)=1\ne0$ なので交代的でない。この例は「歪対称」を満たすが「交代的」を満たさず、prop-ml-alternating の 2 で $2$ が可逆であるという仮定が省けないことを示す(双線形写像 の記事の例「反例:標数 2 では歪対称でも交代的とは限らない」も参照)。
多重線形写像は、1 つの変数を固定するごとに、残りの変数の多重線形写像を返す線形写像とみなせる。
$r\ge2$ とする。$f\in\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)$ と $x_1\in M_1$ に対し、$\Phi(f)(x_1):=f(x_1,\cdot,\dots,\cdot)$、すなわち $(x_2,\dots,x_r)\mapsto f(x_1,x_2,\dots,x_r)$ と定めると、
$$
\Phi\colon\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)\to\operatorname{Hom}_R\bigl(M_1,\operatorname{Mult}_R(M_2,\dots,M_r;P)\bigr)
$$
は $R$ 加群の同型である。これを繰り返すと
$$
\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)\cong\operatorname{Hom}_R\bigl(M_1,\operatorname{Hom}_R(M_2,\dots,\operatorname{Hom}_R(M_r,P)\cdots)\bigr)
$$
を得る。
要点:逆写像 $\Psi(g)(x_1,\dots,x_r):=g(x_1)(x_2,\dots,x_r)$ が $r$ 重線形であることを確かめればよい。
$\Phi$ の値が意図した加群に入ること:$\Phi(f)(x_1)$ は第 2〜第 $r$ 変数のそれぞれについて線形なので $(r-1)$ 重線形写像である。$x_1\mapsto\Phi(f)(x_1)$ が線形であることは、$\operatorname{Mult}_R(M_2,\dots,M_r;P)$ の和と定数倍が値ごとの演算であることと、$f$ が第 1 変数について線形であることからわかる。$\Phi$ 自身が線形であることも、演算が値ごとであることから従う。
逆写像を作る。$g\in\operatorname{Hom}_R\bigl(M_1,\operatorname{Mult}_R(M_2,\dots,M_r;P)\bigr)$ に対し、$\Psi(g)(x_1,\dots,x_r):=g(x_1)(x_2,\dots,x_r)$ とおく。第 1 変数について:$g$ は線形で、$(x_2,\dots,x_r)$ での値をとる写像 $\operatorname{Mult}_R(M_2,\dots,M_r;P)\to P$ も(演算が値ごとなので)線形であるから、その合成として線形である。第 $i$ 変数($i\ge2$)について:$g(x_1)$ が多重線形なので線形である。よって $\Psi(g)$ は $r$ 重線形写像である。定義から $\Psi(\Phi(f))(x_1,\dots,x_r)=\Phi(f)(x_1)(x_2,\dots,x_r)=f(x_1,\dots,x_r)$、$\Phi(\Psi(g))(x_1)=\Psi(g)(x_1,\cdot,\dots,\cdot)=g(x_1)$ なので、$\Psi$ は $\Phi$ の逆写像である。後半は、$\operatorname{Mult}_R(M_2,\dots,M_r;P)$ に同じことを $r-1$ 回繰り返せばよい($r'=1$ では $\operatorname{Mult}_R(M_r;P)=\operatorname{Hom}_R(M_r,P)$)。$\square$
$r=2$ の場合は 双線形写像 の記事の命題「線形写像の空間への翻訳」である。$K$ 上の有限次元ベクトル空間 $V$ と $P=K$ では、$\operatorname{Mult}_K(V,V;K)\cong\operatorname{Hom}_K(V,V^*)$ となり、双線形形式が非退化であることを $V\to V^*$ が同型であることとして述べられる(双対空間(線形代数))。
多重線形写像は、テンソル積からの線形写像とも 1 対 1 に対応する。$M_1\otimes_R\cdots\otimes_RM_r$ を $r$ 個の加群のテンソル積とすると、$f\in\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)$ にはただ 1 つの線形写像 $\bar f\colon M_1\otimes_R\cdots\otimes_RM_r\to P$ で $\bar f(x_1\otimes\cdots\otimes x_r)=f(x_1,\dots,x_r)$ となるものが対応する。$r=2$ がテンソル積の定義そのものであり(テンソル積 の記事の定義「テンソル積の普遍性」)、一般の $r$ については同記事の節「単位・可換・結合」の後の段落で述べられている。つまり、多重線形写像を調べることは、テンソル積の上の線形写像を調べることと同じである。
各 $M_i$ が自由 $R$ 加群で、基底 $(e^{(i)}_j)_{j\in J_i}$ をもつとする。このとき、$f$ に基底の組での値の族を対応させる写像
$$
\rho\colon\operatorname{Mult}_R(M_1,\dots,M_r;P)\to\prod_{(j_1,\dots,j_r)\in J_1\times\cdots\times J_r}P,\qquad f\mapsto\bigl(f(e^{(1)}_{j_1},\dots,e^{(r)}_{j_r})\bigr)_{(j_1,\dots,j_r)}
$$
は $R$ 加群の同型である。すなわち、基底の組での値は自由に選ぶことができ、選べば多重線形写像がただ 1 つ定まる。
$x_i\in M_i$ の基底 $(e^{(i)}_j)_j$ に関する座標を $c_{ij}(x_i)\in R$ と書く:$x_i=\sum_jc_{ij}(x_i)e^{(i)}_j$(有限個の $j$ を除いて $c_{ij}(x_i)=0$)。各 $c_{ij}\colon M_i\to R$ は線形である。$\rho$ が線形であることは明らかである。
単射:$f$ の各変数の線形性を第 1 変数から順に使うと、
$$
f(x_1,\dots,x_r)=\sum_{j_1\in J_1}\cdots\sum_{j_r\in J_r}c_{1j_1}(x_1)\cdots c_{rj_r}(x_r)\,f(e^{(1)}_{j_1},\dots,e^{(r)}_{j_r})
$$
となる(0 でない項は有限個)。よって $\rho(f)=0$ なら $f=0$ である。
全射:$(p_{j_1\cdots j_r})$ を $P$ の元の任意の族とし、$f(x_1,\dots,x_r):=\sum_{j_1,\dots,j_r}c_{1j_1}(x_1)\cdots c_{rj_r}(x_r)\,p_{j_1\cdots j_r}$ とおく(有限和)。各項は、第 $i$ 変数について線形な関数 $c_{ij_i}(x_i)$ に、ほかの変数だけで決まる元を掛けたものなので第 $i$ 変数について線形であり、$f$ は $r$ 重線形である。$c_{ij}(e^{(i)}_k)$ は $j=k$ で $1$、それ以外で $0$ なので、$f(e^{(1)}_{k_1},\dots,e^{(r)}_{k_r})=p_{k_1\cdots k_r}$ である。$\square$
$K$ を体とし、$V_1,\dots,V_r$、$W$ を有限次元の $K$ ベクトル空間とすると
$$
\dim_K\operatorname{Mult}_K(V_1,\dots,V_r;W)=(\dim V_1)\cdots(\dim V_r)\cdot\dim W
$$
である。とくに $n$ 次元の $V$ 上の $r$ 重線形形式の空間の次元は $n^r$ である。
要点:thm-ml-free による。
thm-ml-free により $\operatorname{Mult}_K(V_1,\dots,V_r;W)\cong W^{d_1\cdots d_r}$($d_i=\dim V_i$)であり、右辺の次元は $d_1\cdots d_r\dim W$ である。$\square$
prf-ml-free の展開式の係数 $f(e^{(1)}_{j_1},\dots,e^{(r)}_{j_r})$ を $f$ の 成分 という。$r=2$、$P=R$ では行列による表示(双線形写像 の記事の命題「基底による行列表示」)であり、テンソルの成分 $T^{i_1\cdots i_p}_{j_1\cdots j_q}$ も同じものである(テンソル解析)。基底を取り替えると、成分は各添字ごとに基底の変換行列を掛けた形で変わる。
$f\colon M^r\to P$ を $r$ 重線形写像とする。
$n$ 次元の $V$ 上の交代的な $n$ 重線形形式は、基底を 1 つ固定して行列式の定数倍として書け、その全体は 1 次元である(行列式 の記事の定理「交代多重線形形式による特徴づけ」)。次数ごとの交代的な多重線形写像を代数的にまとめたものが外積代数であり、$V$ 上の交代的な $k$ 重線形形式の空間は $\bigwedge^k(V^*)$ と同一視される(同記事の例「交代形式と微分形式」)。
対称な $r$ 重線形写像 $f\colon M^r\to P$ に対し、$g(x):=f(x,\dots,x)$ を $f$ の 対角成分(または $f$ に付随する $r$ 次形式)という。$t\in R$ について $g(tx)=t^rg(x)$ である。$r=2$ では $g$ は 2 次形式であり、$2$ が可逆なら $f(x,y)=\frac12\bigl(g(x+y)-g(x)-g(y)\bigr)$ によって $f$ が $g$ から復元できる(双線形写像 の命題「双線形形式から得られる2次形式」)。一般の $r$ でも同じことが成り立つ。
$f\colon M^r\to P$ を対称な $r$ 重線形写像、$g(x)=f(x,\dots,x)$ とする。このとき、すべての $x_1,\dots,x_r\in M$ について
$$
r!\,f(x_1,\dots,x_r)=\sum_{S\subseteq\{1,\dots,r\}}(-1)^{r-|S|}\,g\Bigl(\sum_{i\in S}x_i\Bigr)
$$
が成り立つ($S=\emptyset$ の項は $g(0)=0$)。したがって $r!$ が $R$ で可逆なら、対称な $r$ 重線形写像は対角成分 $g$ からただ 1 つに定まる。
$[r]:=\{1,\dots,r\}$ と書く。$S\subseteq[r]$ について、各変数の線形性で展開すると
$$
g\Bigl(\sum_{i\in S}x_i\Bigr)=f\Bigl(\sum_{i\in S}x_i,\dots,\sum_{i\in S}x_i\Bigr)=\sum_{k\colon[r]\to S}f(x_{k(1)},\dots,x_{k(r)})
$$
である。ここで和は写像 $k\colon[r]\to S$ の全体にわたる。右辺の和を $S$ について符号付きで足し、写像 $k\colon[r]\to[r]$ ごとにまとめると
$$
\sum_{S\subseteq[r]}(-1)^{r-|S|}g\Bigl(\sum_{i\in S}x_i\Bigr)=\sum_{k\colon[r]\to[r]}f(x_{k(1)},\dots,x_{k(r)})\sum_{S\supseteq k([r])}(-1)^{r-|S|}
$$
となる。$T:=k([r])$、$m:=r-|T|$ とおくと、$S\supseteq T$ は $[r]\setminus T$ の部分集合 $U=S\setminus T$ と 1 対 1 に対応し、$r-|S|=m-|U|$ なので、内側の和は
$$
\sum_{U\subseteq[r]\setminus T}(-1)^{m-|U|}=\sum_{u=0}^{m}\binom mu(-1)^{m-u}=(1-1)^m
$$
であり、$m\ge1$ なら $0$、$m=0$ なら $1$ である。$m=0$ は $k$ が全射、すなわち $k$ が置換 $\sigma\in\mathfrak{S}_r$ であることを意味する。よって右辺は $\sum_{\sigma\in\mathfrak{S}_r}f(x_{\sigma(1)},\dots,x_{\sigma(r)})$ であり、$f$ は対称なので各項は $f(x_1,\dots,x_r)$ に等しく、項の個数は $r!$ である。後半:$f,f'$ が同じ対角成分をもつ対称な $r$ 重線形写像なら、$f-f'$ は対角成分が $0$ の対称な $r$ 重線形写像なので、公式から $r!(f-f')=0$、$r!$ が可逆なので $f=f'$ である。$\square$
$r=2$ では $2f(x,y)=g(x+y)-g(x)-g(y)$、$r=3$ では
$$
6f(x,y,z)=g(x+y+z)-g(x+y)-g(y+z)-g(z+x)+g(x)+g(y)+g(z)
$$
である。$\mathbb{R}^n$ の開集合上で $a$ において 2 回微分可能な関数 $F$ について、$(h,k)\mapsto h^{\top}H_F(a)k$ は対称な双線形形式であり(Hesse行列 の記事の定理「Hesse 行列の対称性」)、その対角成分 $h^{\top}H_F(a)h$ が 2 次の Taylor 近似の 2 次の項 $\frac12h^{\top}H_F(a)h$ に現れる(同記事の系「2 次の Taylor 近似」)。偏極公式は、この 2 次の項だけから Hesse 行列全体が決まることを保証する。
$R=\mathbb{F}_2$、$M=\mathbb{F}_2^2$ とし、$f(x,y):=x_1y_2+x_2y_1$ とする。$f$ は対称な双線形形式で $f(e_1,e_2)=1$ だから $0$ ではないが、対角成分は $g(x)=2x_1x_2=0$ である。零写像も対角成分 $0$ をもつので、対角成分が同じ 2 つの異なる対称な双線形形式がある。この例は「$f$ は対称」を満たすが「$2!=2$ が可逆」を満たさず、thm-ml-polarization の後半が成り立たないことを示す。
$K=\mathbb{R}$ または $\mathbb{C}$ とし、$E_1,\dots,E_r$、$F$ を $K$ 上のノルム空間とする。直積 $E_1\times\cdots\times E_r$ にはノルム $\|(x_1,\dots,x_r)\|:=\max_i\|x_i\|$ を入れる。
$f\colon E_1\times\cdots\times E_r\to F$ を $r$ 重線形写像とする。
要点:1 は $0$ の近くでの有界性を多重線形性で全体に広げ、逆は $f(x)-f(a)$ を 1 変数ずつの差の和に分けて評価する。2 は座標展開と有限次元でのノルムの同値性から、3 は $f(a+h)$ を展開して $h$ について 2 次以上の項を評価する。
1. (a)⇒(b) は明らかである。(b)⇒(c):$f(0)=0$ なので、ある $\delta>0$ があって、すべての $i$ で $\|x_i\|\le\delta$ なら $\|f(x)\|\le1$ である。ある $x_i=0$ なら $f(x)=0$(その変数の線形性)なので (c) は成り立つ。すべての $x_i\ne0$ なら、$y_i:=\delta x_i/\|x_i\|$ は $\|y_i\|=\delta$ を満たし、多重線形性から $f(x)=\prod_i(\|x_i\|/\delta)\,f(y)$ なので $\|f(x)\|\le\delta^{-r}\|x_1\|\cdots\|x_r\|$ である。
(c)⇒(a):$a,x\in E_1\times\cdots\times E_r$ について、第 1 変数から順に $a_i$ を $x_i$ に取り替えていくと$$f(x)-f(a)=\sum_{i=1}^r\Bigl(f(a_1,\dots,a_{i-1},x_i,x_{i+1},\dots,x_r)-f(a_1,\dots,a_{i-1},a_i,x_{i+1},\dots,x_r)\Bigr)=\sum_{i=1}^rf(a_1,\dots,a_{i-1},x_i-a_i,x_{i+1},\dots,x_r)$$である(右辺の和は隣り合う項が打ち消し合う和で、各差は第 $i$ 変数の線形性でまとめた)。(c) により$$\|f(x)-f(a)\|\le C\sum_{i=1}^r\|a_1\|\cdots\|a_{i-1}\|\,\|x_i-a_i\|\,\|x_{i+1}\|\cdots\|x_r\|$$であり、$\|x-a\|\le1$ なら $\|x_j\|\le\|a_j\|+1$ なので、右辺は $\|x-a\|$ の定数倍で抑えられ、$x\to a$ で $0$ に近づく。
2. 各 $E_i$ の基底 $(e^{(i)}_j)_j$ をとり、座標を $c_{ij}$ とする。有限次元のノルム空間ではすべてのノルムが同値なので(ノルム空間 の記事の定理「有限次元ではすべてのノルムが同値」)、$\|x_i\|':=\max_j|c_{ij}(x_i)|$ と与えられたノルムは同値であり、ある $C_i$ で $|c_{ij}(x_i)|\le C_i\|x_i\|$ となる。prf-ml-free の展開式から$$\|f(x)\|\le\sum_{j_1,\dots,j_r}|c_{1j_1}(x_1)|\cdots|c_{rj_r}(x_r)|\,\|f(e^{(1)}_{j_1},\dots,e^{(r)}_{j_r})\|\le C\,\|x_1\|\cdots\|x_r\|$$($C:=C_1\cdots C_r\sum\|f(e^{(1)}_{j_1},\dots,e^{(r)}_{j_r})\|$、和は有限)となり、1 の (c) が成り立つ。
3. $L(h):=\sum_if(a_1,\dots,h_i,\dots,a_r)$ は $h=(h_1,\dots,h_r)$ について線形であり、(c) から $\|L(h)\|\le C\sum_i\|h_i\|\prod_{j\ne i}\|a_j\|$ なので連続である。$f(a+h)=f(a_1+h_1,\dots,a_r+h_r)$ を各変数の線形性で展開すると、$[r]$ の部分集合 $S$ ごとに「$i\in S$ では $h_i$、$i\notin S$ では $a_i$ を入れた値」$f_S$ の和になる。$S=\emptyset$ の項が $f(a)$、$|S|=1$ の項の和が $L(h)$ なので$$f(a+h)-f(a)-L(h)=\sum_{|S|\ge2}f_S,\qquad\|f_S\|\le C\prod_{i\in S}\|h_i\|\prod_{i\notin S}\|a_i\|\le C\,\|h\|^{|S|}\prod_{i\notin S}\|a_i\|$$である。$|S|\ge2$ なので、$\|h\|\le1$ では各項は $\|h\|^2$ の定数倍で抑えられ、$\|h\|$ で割ると $h\to0$ で $0$ に近づく。$\square$
無限次元では、多重線形写像は連続とは限らない。たとえば有限個の項を除いて $0$ である実数列の空間 $E$ に上限ノルムを入れ、$\varphi(x):=\sum_nn\,x_n$ とおくと、$\varphi(e_n)=n$、$\|e_n\|=1$ なので $\varphi$ は有界でない線形形式であり、$(x,y)\mapsto\varphi(x)\varphi(y)$ は連続でない双線形形式である($y$ を固定して $\varphi(y)\ne0$ とすれば、$x$ についての連続性が破れる)。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 各変数について線形(全体として線形ではない) | $\mathbb{R}^2\to\mathbb{R}$、$(x,y)\mapsto x+y$ | 第 1 変数を 2 倍しても値は 2 倍にならず、多重線形ではない(ex-ml-not-linear) |
| prop-ml-alternating の 2 で $2$ が可逆 | $\mathbb{F}_2$ 上の $(x,y)\mapsto xy$ | 歪対称だが $f(1,1)=1$ で交代的でない(ex-ml-char-two) |
| thm-ml-polarization の後半で $r!$ が可逆 | $\mathbb{F}_2^2$ 上の $x_1y_2+x_2y_1$ | 対角成分 $0$ なのに $f\ne0$(ex-ml-polarization-char) |
| thm-ml-bounded の 2 で有限次元 | 有限項以外 $0$ の数列の空間(上限ノルム)上の $\varphi(x)=\sum_nnx_n$ による $\varphi(x)\varphi(y)$ | 双線形だが連続でない |
| thm-ml-free で $M_i$ が自由 | $R=\mathbb{Z}$、$M_1=M_2=\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}$、$P=\mathbb{Z}$ | $\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}\times\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}\to\mathbb{Z}$ の双線形写像は $0$ だけで($2f(x,y)=f(2x,y)=0$ で、$\mathbb{Z}$ には位数 2 の元がない)、生成元 $\bar1$ での値を自由に選べない |
多様体 $M$ の上では、ベクトル場や 1 次微分形式を変数とし、滑らかな関数の環 $C^\infty(M)$ の元を係数として多重線形な写像を考えることが多い。$C^\infty(M)$ 上で多重線形な写像 $\Omega^1(M)^p\times\mathfrak{X}(M)^q\to C^\infty(M)$ は、ちょうど $(p,q)$ 型のテンソル場から来るものである(テンソル場 の記事の定理「テンソル性の判定」)。Lie 括弧 $[X,Y]$ のように $\mathbb{R}$ 上では双線形でも $C^\infty(M)$ 上では双線形でない写像は、テンソル場ではない(同記事の例「反例:Lie 括弧」)。Lie微分、外微分、曲率の計算で現れる「テンソル性」とは、この $C^\infty(M)$ 上の多重線形性のことである。
有限次元のベクトル空間の上の $m$ 重線形形式の定義は Axl24 9.25(p. 346)、交代的な多重線形形式の定義と 1 次従属なベクトルでの値が $0$ であること、次元を超える個数では $0$ しかないことは 9.27・9.28・9.29(p. 347)、変数の入れ替えで符号が変わることは 9.30(p. 348)、$n$ 次元空間上の交代的な $n$ 重線形形式の空間が 1 次元であることは 9.37(p. 351)にある。同書は体 $\mathbf{F}=\mathbb{R},\mathbb{C}$ の上で $P=\mathbf{F}$ の場合を扱う。可換環上の加群と一般の値域 $P$ での記述、カリー化、偏極公式、ノルム空間での有界性の証明は、この記事で各変数の線形性から直接組み立てた。
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