レベル2多重ゼータ値(multiple zeta values of level two)とは、多重ゼータ級数の和を分母の偶奇で細分して得られる値であり、代表例はすべての分母を奇数に制限する多重 $t$ 値と、奇数・偶数を位置ごとに交互に指定する多重 $T$ 値である。どちらも末尾指数が $2$ 以上のとき、またそのときに限り収束し、深さ $1$ では $t(k)=(1-2^{-k})\zeta(k)$、$T(k)=2t(k)$ となる。多重 $t$ 値は領域分割による調和積を満たして $t(2,2)=\pi^4/384$ などが得られ、多重 $T$ 値は反復積分由来のシャッフル積と相性がよいが、$t$ 値の調和積を $T$ 値へそのまま移すことはできない。偶奇の全パターンの和は通常の多重ゼータ値に戻り、どちらも交代多重ゼータ値の線形結合で書ける。
レベル2多重ゼータ値では、多重ゼータ値の和に現れる整数を偶数と奇数に分ける。とくに重要なのが、すべての分母を奇数に制限する多重 $t$ 値と、奇数・偶数を交互に指定する多重 $T$ 値である。
正整数の列 $\boldsymbol{k}=(k_1,\ldots,k_r)$ をインデックスといい、$r$ を深さ、$k_1+\cdots+k_r$ を重さという。本記事では添字を
$$
0< n_1<\cdots< n_r
$$
の順に並べるので、級数の収束を保証する条件は $k_r\ge 2$ である。この条件を満たすインデックスを許容インデックスという。
許容インデックス $\boldsymbol{k}=(k_1,\ldots,k_r)$ に対し、多重 $t$ 値(multiple $t$-value)を
$$
t(\boldsymbol{k})
:=\sum_{0< n_1<\cdots< n_r}
\frac{1}{(2n_1-1)^{k_1}\cdots(2n_r-1)^{k_r}}
$$
で定める。また $t(\emptyset):=1$ とする。
これは通常の多重ゼータ級数から、分母がすべて奇数である項だけを抜き出したものである。
許容インデックス $\boldsymbol{k}=(k_1,\ldots,k_r)$ に対し、多重 $T$ 値(multiple $T$-value)を
$$
T(\boldsymbol{k})
:=2^r\sum_{\substack{0< n_1<\cdots< n_r\\ n_i\equiv i\pmod 2}}
\frac{1}{n_1^{k_1}\cdots n_r^{k_r}}
$$
で定める。また $T(\emptyset):=1$ とする。
多重 $T$ 値では、$n_1$ は奇数、$n_2$ は偶数、$n_3$ は奇数、というように分母の偶奇が交互に指定される。多重 $t$ 値は調和積と、多重 $T$ 値は反復積分から来るシャッフル積と特に相性がよい。この二つは同じ対象の別表記ではない。
$k_1,\ldots,k_{r-1}\ge 1$ かつ $k_r\ge 2$ ならば、$t(\boldsymbol{k})$ と $T(\boldsymbol{k})$ を定める級数は絶対収束する。
すべての項が非負なので、絶対収束は通常の収束と同じである。$2n_i-1\ge n_i$ より
$$
0\le t(\boldsymbol{k})
\le \sum_{0< n_1<\cdots< n_r}\frac{1}{n_1^{k_1}\cdots n_r^{k_r}},
$$
また合同条件を外せば
$$
0\le T(\boldsymbol{k})
\le 2^r\sum_{0< n_1<\cdots< n_r}\frac{1}{n_1^{k_1}\cdots n_r^{k_r}}.
$$
右辺の共通の級数を調べる。$n_r=N$ を固定すると、$k_i\ge1$ だから内側の和は
$$
\sum_{0< n_1<\cdots< n_{r-1}< N}\frac{1}{n_1^{k_1}\cdots n_{r-1}^{k_{r-1}}}
\le \frac{1}{(r-1)!}\left(\sum_{n=1}^{N-1}\frac1n\right)^{r-1}.
$$
調和和は $1+\log N$ 以下なので、全体は
$$
\frac{1}{(r-1)!}\sum_{N=1}^{\infty}\frac{(1+\log N)^{r-1}}{N^{k_r}}
$$
で抑えられる。$k_r\ge2$ のときこの級数は積分判定法で収束する。比較判定法により二つの級数も収束する。$\square$
許容条件を外すと常に同じ式が収束するわけではない。深さ1では
$$
t(1)=\sum_{n=1}^{\infty}\frac{1}{2n-1}
$$
が発散する。また $T(1)=2t(1)$ も発散する。したがって、少なくとも深さ1では $k_r\ge2$ を落とせない。
深さ1では二つの変種はRiemannゼータ値へ直ちに帰着する。
整数 $k\ge2$ に対して
$$
t(k)=(1-2^{-k})\zeta(k),\qquad
T(k)=2(1-2^{-k})\zeta(k)
$$
が成り立つ。
正整数を奇数と偶数に分けると
$$
\zeta(k)=\sum_{n=1}^{\infty}\frac1{n^k}
=\sum_{n=1}^{\infty}\frac1{(2n-1)^k}
+\sum_{n=1}^{\infty}\frac1{(2n)^k}
=t(k)+2^{-k}\zeta(k).
$$
よって $t(k)=(1-2^{-k})\zeta(k)$ である。深さ1の合同条件は $n_1\equiv1\pmod2$ だから、定義より $T(k)=2t(k)$ であり、第2式も従う。$\square$
$\zeta(2)=\pi^2/6$ と $\zeta(4)=\pi^4/90$ から
$$
t(2)=\frac{\pi^2}{8},\qquad T(2)=\frac{\pi^2}{4},\qquad
t(4)=\frac{\pi^4}{96}
$$
を得る。
多重 $t$ 値では分母がすべて同じ奇数集合を走るため、通常の多重ゼータ値と同じ「領域分割」によって積を計算できる。一般の調和積については Hof19 を参照されたい。ここでは最も基本的な深さ1どうしの場合を完全に示す。
整数 $a,b\ge2$ に対して
$$
t(a)t(b)=t(a,b)+t(b,a)+t(a+b)
$$
が成り立つ。
絶対収束するので二重級数の項を並べ替えられる。したがって
$$
t(a)t(b)=\sum_{m,n\ge1}\frac{1}{(2m-1)^a(2n-1)^b}
$$
の和の領域を $m< n$、$n< m$、$m=n$ の三つに分割できる。最初の領域の和は $t(a,b)$、二つ目は添字を交換して $t(b,a)$、対角部分は
$$
\sum_{n=1}^{\infty}\frac{1}{(2n-1)^{a+b}}=t(a+b)
$$
である。三つを足せば主張を得る。$\square$
$a=b=2$ とすると
$$
t(2)^2=2t(2,2)+t(4)
$$
である。したがって
$$
t(2,2)=\frac12\left(\frac{\pi^4}{64}-\frac{\pi^4}{96}\right)
=\frac{\pi^4}{384}
$$
となる。
上の証明は「各添字が常に奇数を走る」ことを使っている。多重 $T$ 値では位置によって奇数・偶数の条件が変わるため、積の領域を分けたときに同じ偶奇パターンが保たれない。したがって $t$ 値の調和積公式で記号 $t$ を単に $T$ に置き換えることはできない。多重 $T$ 値の自然な積構造は反復積分に由来するシャッフル積である KT20。
$\boldsymbol{\varepsilon}=(\varepsilon_1,\ldots,\varepsilon_r)\in\{0,1\}^r$ に対し
$$
\zeta_2(\boldsymbol{k};\boldsymbol{\varepsilon})
:=\sum_{\substack{0< n_1<\cdots< n_r\\ n_i\equiv\varepsilon_i\pmod2}}
\frac{1}{n_1^{k_1}\cdots n_r^{k_r}}
$$
とおく。すると
$$
t(\boldsymbol{k})=\zeta_2(\boldsymbol{k};1,\ldots,1),
$$
$$
T(\boldsymbol{k})=2^r\zeta_2(\boldsymbol{k};1,0,1,0,\ldots)
$$
である。後式の色は第 $i$ 成分が $i$ の $2$ を法とする剰余になっている。
許容インデックス $\boldsymbol{k}$ と $\boldsymbol{\varepsilon}\in\{0,1\}^r$ に対し、$\zeta_2(\boldsymbol{k};\boldsymbol{\varepsilon})$ は符号因子
$(-1)^{\delta_1n_1+\cdots+\delta_rn_r}$ をもつ多重級数の有理数係数線形結合として書ける。したがって多重 $t$ 値と多重 $T$ 値は交代多重ゼータ値の空間に属する。
整数 $n$ と $\varepsilon\in\{0,1\}$ に対し、合同条件の指示関数は
$$
\boldsymbol{1}_{n\equiv\varepsilon\ (\mathrm{mod}\ 2)}
=\frac12\left(1+(-1)^{n-\varepsilon}\right)
=\frac12\sum_{\delta\in\{0,1\}}(-1)^{\delta(n-\varepsilon)}
$$
である。各 $i$ についてこの式を掛け、絶対収束する級数へ代入すると
$$
\zeta_2(\boldsymbol{k};\boldsymbol{\varepsilon})
=2^{-r}\sum_{\boldsymbol{\delta}\in\{0,1\}^r}
(-1)^{\delta_1\varepsilon_1+\cdots+\delta_r\varepsilon_r}
\sum_{0< n_1<\cdots< n_r}
\frac{(-1)^{\delta_1n_1+\cdots+\delta_rn_r}}
{n_1^{k_1}\cdots n_r^{k_r}}.
$$
ここで $-\delta_i\varepsilon_i$ と $\delta_i\varepsilon_i$ は $2$ を法として同じなので、表示した符号でよい。右辺の内側が交代多重ゼータ値であり、主張が従う。$\square$
Hoffman は多重 $t$ 値を体系的に研究し、その調和積、反復引数の公式、低い重さの関係式を与えた Hof19。Kaneko–Tsumura は多重 $T$ 値を多重 $t$ 値の「シャッフル側の対応物」として導入し、反復積分表示、シャッフル関係式、双対性、和公式を示した KT20。
この違いは次のように整理できる。
| 対象 | 和に課す条件 | 直接見える積構造 |
|---|---|---|
| 多重 $t$ 値 | すべての分母が奇数 | 級数の領域分割による調和積 |
| 多重 $T$ 値 | 奇数・偶数を位置ごとに交互指定 | 反復積分によるシャッフル積 |
通常の多重ゼータ値、$t$ 値、$T$ 値の張る空間の相互関係や、重さごとの次元には未解決の問題が残る。低い重さの数値計算から得られた次元表を一般定理と混同してはならない。とくに KT20 §5 の包含関係の一部は予想として提示されている。
合同条件は和を小さくするだけでなく、和全体を互いに交わらない部分へ分ける働きをもつ。固定した整数列 $0< n_1<\cdots< n_r$ は、ただ一つの偶奇パターン $(n_1\bmod2,\ldots,n_r\bmod2)$ に属する。したがってすべての色を足すと通常の多重ゼータ値へ戻る。
許容インデックス $\boldsymbol{k}$ に対して
$$
\sum_{\boldsymbol{\varepsilon}\in\{0,1\}^r}\zeta_2(\boldsymbol{k};\boldsymbol{\varepsilon})=\zeta(\boldsymbol{k}).
$$
また全成分を偶数に指定した場合は
$$
\zeta_2(\boldsymbol{k};0,\ldots,0)=2^{-(k_1+\cdots+k_r)}\zeta(\boldsymbol{k})
$$
である。
級数は絶対収束し、色の和は有限和なので和の順序を交換できる。各整数列の指示関数について、すべての偶奇パターンにわたる和は1である。これを各項へ掛ければ第一式を得る。全偶数の列は $n_i=2m_i$ と一意に書け、狭義の大小関係は $0< m_1<\cdots< m_r$ と同値である。分母から $2^{k_1+\cdots+k_r}$ をくくり出せば第二式になる。$\square$
この公式では全偶数の部分だけは通常値の定数倍になるが、残りの色は一般に一つの通常値へ戻らない。深さ2なら、通常値は奇奇・奇偶・偶奇・偶偶の四部分に分かれる。$t(a,b)$ は奇奇の部分であり、$T(a,b)/4$ は奇偶の部分である。残る偶奇の部分と偶偶の部分も含めて初めて元の値になる。深さ1で成立する $T(k)=2t(k)$ を、深さ $r$ では $T(\boldsymbol{k})=2^r t(\boldsymbol{k})$ と読み替える理由はない。
通常の多重ゼータ値で添字の向きを逆にする規約へ変換する場合には、指数だけでなく色も逆順にする。例えば本記事の $T(a,b)$ は小さい変数が奇数、大きい変数が偶数である。大きい変数から書く流儀では、指数列は $(b,a)$、色は偶・奇となる。指数だけを $(b,a)$ に直して色を奇・偶のままにすると別の級数となる。これは計算の符号の問題ではなく、和の領域自体の変更である。
交代級数への展開に現れる $(-1)^n$ も規約に注意する。奇数項を選ぶ指示関数は $(1-(-1)^n)/2$ であり、$(1+(-1)^n)/2$ は偶数項を選ぶ。深さ1で符号を逆にすると、$(1-2^{-k})\zeta(k)$ の代わりに $2^{-k}\zeta(k)$ を得る。深さが増えても、各座標で独立にこの二つの指示関数を掛けるだけなので、色の変換は成分ごとに追える。
交代級数への展開は有限個の符号和を用いる恒等式であり、正の項だけの級数を交代級数によって表す。そのため展開後の式の見かけ上の相殺を、元の級数の条件付き収束と取り違えてはならない。許容条件のもとでは展開の各内側の級数が絶対収束し、有限線形結合に関する操作は正当である。
深さ1の反例だけでなく、任意の正の深さで末尾指数1は発散を引き起こす。
$r\ge1$、$k_1,\ldots,k_{r-1}\ge1$ とする。$k_r=1$ なら、$t(\boldsymbol{k})$ と $T(\boldsymbol{k})$ の定義に現れる非負級数はいずれも発散する。
$t$ 値では、深さが2以上なら前の $r-1$ 変数を $n_i=i$ に固定する。その固定部分の分母の逆数を $c>0$ とすると、残りの変数の和は $c\sum_{n>r-1}(2n-1)^{-1}$ であり発散する。これは元の非負級数の部分和なので、元の級数も発散する。深さ1は既に示した奇数調和級数である。
$T$ 値では、前の $r-1$ 変数を $n_i=i$ に固定する。これは $n_i\equiv i\pmod2$ を満たす。最後の変数 $n_r>r-1$ は $r$ と同じ偶奇の整数を走る。この等差数列上の逆数和は発散する。実際、偶数の場合は $\sum (2j)^{-1}$、奇数の場合は $\sum(2j-1)^{-1}$ の有限個の項を除いたものになる。正の固定因子 $2^r\prod_{i< r}i^{-k_i}$ を掛けても発散するので、元の級数も発散する。$\square$
前の変数を固定する議論は、深さが高くなると末尾だけの条件を緩められる、という誤解を防ぐ。前の指数を大きくしても、固定した少数の前方変数の寄与は正の定数で残るため、最後の調和級数の発散を打ち消せない。一方、末尾指数が2以上なら、前方の指数がすべて1でも対数の冪による評価で収束した。この二つを合わせると、正整数の指数列について末尾が2以上であることは、両級数の収束の必要十分条件である。
積構造の相違を具体的な厳密不等式で確かめる。$a,b\ge2$ とし、奇数分母の列を $o_j=2j-1$ と書く。深さ1の積は
$$
T(a)T(b)=4\sum_{j,k\ge1}\frac1{o_j^a o_k^b}
$$
である。この領域は $j< k$、$k< j$、$j=k$ に分けられるが、そのすべてで両方の分母が奇数である。ところが $T(a,b)$ では、二番目の分母が偶数となる。この色の差は対角項を加えれば直るというものではない。
$T(2)^2=T(2,2)+T(2,2)+T(4)$ は成り立たない。実際
$$
T(2,2)=4\sum_{k\ge1}\frac1{(2k)^2}\sum_{j=1}^{k}\frac1{(2j-1)^2}
<4t(2)\sum_{k\ge1}\frac1{(2k)^2}=\frac{\pi^4}{48}.
$$
内側の有限和は常に $t(2)$ より小さく、少なくとも一項で厳しいため不等号は厳密である。したがって $2T(2,2)+T(4)<\pi^4/24+\pi^4/48=\pi^4/16=T(2)^2$ となる。$t$ 値の公式と同じ係数を $T$ 値へ転用すると、右辺は左辺より小さくなる。
ここで $T(4)=\pi^4/48$ を用いた。評価に使った値 $t(2)=\pi^2/8$、$t(4)=\pi^4/96$ は Hof19 §1, 式 (1.4) による。深さ1で $T(k)=2t(k)$ なので、そこから必要な $T(2),T(4)$ を得る。正の級数の有限内側和を上から抑えることで反例の不等式が従う。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 末尾指数が2以上 | 任意の深さの $(k_1,\ldots,k_{r-1},1)$ | 級数の収束 |
| 全位置で同じ奇数集合を使う | 深さ2の $T(2,2)$ | 深さ1どうしの調和積公式の同型の転用 |
| 深さ1という制限 | $t(a,b)$ は奇奇、$T(a,b)/4$ は奇偶 | 定義から $T=2^r t$ とする推論 |
最後の行にも具体的な値の反例がある。調和積から $4t(2,2)=2(t(2)^2-t(4))=\pi^4/96$ である。一方、$T(2,2)$ の内側の和は1以上なので $T(2,2)\ge\pi^2/6$ である。$\pi<4$ より $\pi^2/6>\pi^4/96$ だから、$T(2,2)>4t(2,2)$ となる。従って深さ1の比例を深さ2へそのまま転用する等式は実際に失敗する。
Hoffmanの多重 $t$ 値の一般の調和積と、Kaneko–Tsumuraの多重 $T$ 値の反復積分・シャッフル積・双対性は、それぞれ Hof19 §3, Theorem 3.1と KT20 §§2–3の主題である。これらの一般形はこの記事では証明しない。証明は前記の出典を参照。級数の収束条件、深さ1の評価、最初の調和積、色の展開は、定義から直接追える基本的な性質である。
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