Alexandrov空間(Alexandrov space)とは、完備な測地空間で、ある実数 $\kappa$ について、頂点から対辺の点までの距離が、曲率 $\kappa$ のモデル平面の同じ辺の長さの三角形での対応する距離以上になるもの、すなわち Alexandrov の意味で曲率が $\kappa$ 以上の空間である。断面曲率が $\kappa$ 以上の完備 Riemann 多様体とその列の Gromov–Hausdorff 極限が典型例である。$\kappa=0$ の比較は Stewart の公式で具体的な不等式になり、実ノルム空間の曲率が $0$ 以上であるのはノルムが内積から来るときに限ること、曲率が $0$ 以上の空間では最短線が枝分かれしないことが従う。有限位相空間で使われる Alexandrov 空間(Alexandrov 位相)とは別の概念である。
前提知識: 距離空間, 内積空間, 測地線, Gromov-Hausdorff距離
Alexandrov 空間(Alexandrov space)は、「断面曲率が $\kappa$ 以上である」という Riemann 多様体の性質を、距離だけで述べられる三角形の比較に置き換えて、一般の距離空間に広げたものである。曲率が $0$ 以上の空間では、三角形は Euclid 平面の同じ辺の長さの三角形よりも「太い」。すなわち、頂点から対辺の点までの距離が、Euclid 平面の三角形での対応する距離以上になる。断面曲率が $\kappa$ 以上の完備 Riemann 多様体はこの意味で曲率 $\kappa$ 以上であり、そのような多様体の列の Gromov-Hausdorff距離 による極限も同じ下界をもつ。そのため Alexandrov 空間は、多様体とは限らない極限空間の幾何を調べる枠組みになっている。この記事では、定義と Euclid 平面での比較の式(Stewart の公式)を述べ、ノルム空間が曲率 $0$ 以上になるのは内積から来るときに限ることと、曲率 $0$ 以上の空間では最短線が枝分かれしないことを証明する。
注意(同名の別概念)。 有限位相空間 の補足に現れる「Alexandrov 空間」は、任意個の開集合の共通部分が開集合になる位相空間(Alexandrov 位相をもつ空間)のことで、この記事の概念とは関係がない。また、曲率が上に有界な空間(CAT($\kappa$) 空間)も含めて Alexandrov 空間とよぶ文献があり(AKP23 の序文、p. 3)、この記事では曲率が下に有界なものを扱う。
$(X,d)$ を距離空間とする。
$p,q\in X$、$\ell:=d(p,q)$ とする。写像 $\gamma\colon[0,\ell]\to X$ で、$\gamma(0)=p$、$\gamma(\ell)=q$、かつすべての $s,t\in[0,\ell]$ について $d(\gamma(s),\gamma(t))=|s-t|$ を満たすものを、$p$ から $q$ への 最短線 という。任意の 2 点が最短線で結べる距離空間を 測地空間 という。
最短線は区間 $[0,\ell]$ の等長埋め込みである。完備で連結な Riemann 多様体では、任意の 2 点を結ぶ長さ最小の測地線がある(測地線 の定理「Hopf–Rinow 定理の主要な同値条件」)。その長さは $d(p,q)$ で、長さ最小の曲線の部分の弧もまた長さ最小なので、弧長で径数付けたものは最短線である。したがってこの多様体は測地空間である。
比較に使う モデル平面 $M_\kappa$ を、$\kappa=0$ なら Euclid 平面 $\mathbb{R}^2$、$\kappa>0$ なら半径 $1/\sqrt\kappa$ の 球面(大円に沿った距離)、$\kappa<0$ なら曲率 $\kappa$ の双曲平面とする。$D_\kappa:=\pi/\sqrt\kappa$($\kappa>0$)、$D_\kappa:=\infty$($\kappa\le0$)とおく。三角不等式を満たす 3 つの数 $a,b,c\ge0$ で $a+b+c<2D_\kappa$ のものについて、$M_\kappa$ の中に辺の長さが $a,b,c$ の三角形があり、$M_\kappa$ の等長変換を除いて一意である(AKP23 §6B、p. 63)。これを 比較三角形 という。
$X$ を測地空間、$\kappa\in\mathbb{R}$ とする。次が成り立つとき、$X$ は(Alexandrov の意味で)曲率が $\kappa$ 以上 であるという:点 $p\in X$ と、$q$ から $r$ への最短線 $\gamma\colon[0,\ell]\to X$ が $d(p,q)+d(q,r)+d(r,p)<2D_\kappa$ を満たすとき、$M_\kappa$ の比較三角形 $\tilde p\tilde q\tilde r$($|\tilde p\tilde q|=d(p,q)$ など)をとり、辺 $\tilde q\tilde r$ の上で $\tilde q$ から距離 $s$ の点を $\tilde\gamma(s)$ とすると、すべての $s\in[0,\ell]$ について
$$
d(p,\gamma(s))\ge|\tilde p\,\tilde\gamma(s)|.
$$
ある $\kappa$ について曲率が $\kappa$ 以上である完備な測地空間を Alexandrov 空間(曲率が下に有界な Alexandrov 空間)という。
AKP23 は一般の距離空間で 4 点の比較による条件 CBB($\kappa$) を定義し(Definition 8.2、p. 81)、測地空間ではそれが上の「辺の上の点との比較」と同値であることを示している(Theorem 8.14 (b) とその逆、p. 86)。この記事ではその同値性を証明しない。曲率の条件を各点の近傍でだけ課しても、完備な長さ空間では空間全体で成り立つ(大域化定理、同 Theorem 8.31、p. 95。この記事では証明しない)。$\kappa>0$ のとき直径が $D_\kappa$ 以下であることを定義に加える文献も多い(同 p. 82 の注意)。また同書は、完備な長さ空間(2 点の距離が、それらを結ぶ曲線の長さの下限に等しい距離空間)で CBB($\kappa$) を満たすものを扱い、測地空間であることは仮定しない(完備な長さ空間で CBB($0$) だが測地空間でない例を作る問題が同 Exercise 8.8、p. 83 にある)。
$\kappa=0$ の比較は、次の恒等式で具体的な不等式に書き直せる。
$V$ を実内積空間とし、$p,q,r\in V$、$t\in[0,1]$、$m:=(1-t)q+tr$ とする。このとき
$$
|p-m|^2=(1-t)|p-q|^2+t|p-r|^2-t(1-t)|q-r|^2
$$
が成り立つ。
$p-m=(1-t)(p-q)+t(p-r)$ なので $|p-m|^2=(1-t)^2|p-q|^2+t^2|p-r|^2+2t(1-t)\langle p-q,p-r\rangle$ である。$(p-q)-(p-r)=r-q$ の長さの 2 乗を展開すると $2\langle p-q,p-r\rangle=|p-q|^2+|p-r|^2-|q-r|^2$ である。代入して、$(1-t)^2+t(1-t)=1-t$、$t^2+t(1-t)=t$ を使えばよい。$\square$
測地空間 $X$ の曲率が $0$ 以上であることは、すべての $p\in X$、$q$ から $r$ への最短線 $\gamma\colon[0,\ell]\to X$、$t\in[0,1]$ について
$$
d(p,\gamma(t\ell))^2\ge(1-t)\,d(p,q)^2+t\,d(p,r)^2-t(1-t)\ell^2
$$
が成り立つことと同値である。以下この不等式を $(\star)$ と書く。
$\mathbb{R}^2$ の比較三角形で、辺 $\tilde q\tilde r$ 上の $\tilde q$ から距離 $t\ell$ の点は $(1-t)\tilde q+t\tilde r$ なので、prop-alx-stewart によりその点と $\tilde p$ の距離の 2 乗は $(\star)$ の右辺に等しい。$\square$
$t=1/2$ のとき $(\star)$ は、中点 $m$ について $d(p,m)^2\ge\frac12d(p,q)^2+\frac12d(p,r)^2-\frac14d(q,r)^2$ となる。Euclid 平面ではこれは等号で、中線定理にあたる。
$V$ を実内積空間、$C\subset V$ を空でない 凸集合 とし、$C$ に $V$ の距離 $|x-y|$ を制限した距離を入れる。
1。 $\sigma$ は凸性により $C$ に値をもち、$|\sigma(s)-\sigma(t)|=\frac{|s-t|}\ell|r-q|=|s-t|$ なので最短線である。逆に $\gamma$ を $q$ から $r$ への最短線とし、$s\in[0,\ell]$、$u:=\gamma(s)-q$、$v:=r-\gamma(s)$ とおくと、$|u|=s$、$|v|=\ell-s$、$|u+v|=\ell=|u|+|v|$ である。内積空間 の定理「三角不等式と平行四辺形の等式」の 1 の等号条件により、$u,v$ の一方は他方の $0$ 以上の実数倍なので、$u$ は $u+v=r-q$ と同じ向きで長さ $s$ をもつ。よって $u=\frac s\ell(r-q)$、すなわち $\gamma(s)=\sigma(s)$ である。$q=r$ なら最短線は定値写像だけである。
2。 1 により最短線は線分なので、$\gamma(t\ell)=(1-t)q+tr$ であり、prop-alx-stewart により $(\star)$ は等号で成り立つ。cor-alx-zero により曲率は $0$ 以上である。
3。 完備距離空間の閉集合は完備なので、2 から従う。$\square$
とくに $\mathbb{R}^n$、Hilbert 空間、その中の閉凸集合(閉球、半空間、多面体など)は曲率が $0$ 以上の Alexandrov 空間である。ノルム空間では逆が成り立つ。
実ノルム空間 $(V,\|\cdot\|)$ に距離 $\|x-y\|$ を入れる。$V$ の曲率が $0$ 以上であることと、ノルムがある内積から $\|x\|=\sqrt{\langle x,x\rangle}$ として得られることは同値である。
ノルムが内積から来るなら、thm-alx-convex を $C=V$ に使えばよい。
逆を示す。$q\ne r$ について $\sigma(s):=q+\frac s\ell(r-q)$($\ell:=\|q-r\|$)は $\|\sigma(s)-\sigma(t)\|=|s-t|$ を満たすので $q$ から $r$ への最短線であり、中点は $\frac{q+r}2$ である($q=r$ なら定値写像)。とくに $V$ は測地空間である。$a,b\in V$ について $(\star)$ を $p=0$、$q=a$、$r=b$、$t=\frac12$、この最短線に使って 4 倍すると
$$
\|a+b\|^2\ge2\|a\|^2+2\|b\|^2-\|a-b\|^2,\quad\text{すなわち}\quad\|a+b\|^2+\|a-b\|^2\ge2\|a\|^2+2\|b\|^2
$$
である。これを $a+b$ と $a-b$ に当てはめると $\|2a\|^2+\|2b\|^2\ge2\|a+b\|^2+2\|a-b\|^2$、すなわち $2\|a\|^2+2\|b\|^2\ge\|a+b\|^2+\|a-b\|^2$ である。合わせて平行四辺形の等式 $\|a+b\|^2+\|a-b\|^2=2\|a\|^2+2\|b\|^2$ がすべての $a,b$ で成り立つ。Hilbert空間 の定理「平行四辺形の等式によるノルムの特徴づけ」により、ノルムは内積から来る。$\square$
一般の $\kappa$ について「$\mathbb{R}^m$ のノルムによる距離が曲率の下界をもつのは Euclid 的なときに限る」ことは AKP23 Exercise 8.15(p. 87)に演習問題として挙げられており、この記事では証明しない。
$X$ を曲率が $0$ 以上の測地空間とし、$\gamma_1\colon[0,\ell_1]\to X$ と $\gamma_2\colon[0,\ell_2]\to X$ を同じ点を始点とする最短線とする。ある $\tau>0$ について $[0,\tau]$ で $\gamma_1=\gamma_2$ なら、$[0,\min(\ell_1,\ell_2)]$ 全体で $\gamma_1=\gamma_2$ である。
$\ell:=\min(\ell_1,\ell_2)$ とし、$[0,t]$ で $\gamma_1=\gamma_2$ となる $t\le\ell$ の上限を $t_0$ とする。$t_0\ge\tau>0$ で、連続性から $[0,t_0]$ で $\gamma_1=\gamma_2$ である。$t_0<\ell$ と仮定して矛盾を導く。$\varepsilon:=\min(t_0,\ell-t_0)>0$ とする。上限の定義から、$(t_0,t_0+\varepsilon)$ の中に $\gamma_1(t_0+h)\ne\gamma_2(t_0+h)$ となる $t_0+h$ がある($0< h<\varepsilon$)。
$$
q:=\gamma_1(t_0-h)=\gamma_2(t_0-h),\quad m:=\gamma_1(t_0)=\gamma_2(t_0),\quad x:=\gamma_1(t_0+h),\quad y:=\gamma_2(t_0+h)
$$
とおき、$e:=d(x,y)>0$ とする。$\gamma_1$ を $[t_0-h,t_0+h]$ に制限して径数をずらしたものは $q$ から $x$ への長さ $2h$ の最短線で、$m$ はその中点である。$q,m,y$ は $\gamma_2$ の上にあるので $d(y,q)=2h$、$d(y,m)=h$ である。$(\star)$ を $p=y$、$t=\frac12$ で使うと
$$
h^2=d(y,m)^2\ge\frac12d(y,q)^2+\frac12d(y,x)^2-\frac14(2h)^2=\frac12(2h)^2+\frac12e^2-h^2=h^2+\frac{e^2}2
$$
となり、$e>0$ に反する。よって $t_0=\ell$ である。$\square$
一般の $\kappa$ についても、曲率が $\kappa$ 以上の空間では最短線は枝分かれしない(AKP23 Theorem 8.37、p. 100)。この記事では $\kappa=0$ の場合だけを証明した。ex-alx-normed-plane の 2 は、曲率の下界がないと枝分かれが起こりうることを示している。Riemann 多様体では、測地線が初期点と初速度で決まる(測地線 の命題「測地線の局所存在と一意性」)ことから同じ結論が従う。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| thm-alx-nonbranching の曲率 $0$ 以上 | $(\mathbb{R}^2,\Vert\cdot\Vert_\infty)$ の $\gamma_1,\gamma_2$(ex-alx-normed-plane の 2) | $[0,1]$ で一致する 2 本の最短線が $[0,2]$ で一致すること |
| thm-alx-convex の凸性 | 円環 $\{x\in\mathbb{R}^2\mid1\le\lvert x\rvert\le2\}$(Euclid 距離の制限) | 測地空間であること |
| thm-alx-convex の内積から来る距離 | $(\mathbb{R}^2,\Vert\cdot\Vert_1)$ 全体(凸集合) | 曲率が $0$ 以上であること |
Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する