空集合(empty set)とは、元を 1 つももたない集合であり、$\emptyset$ と書く。たとえば $\{x\in\mathbb{R}\mid x^2=-1\}$ と $\{n\in\mathbb{N}\mid n<0\}$ はどちらも元をもたず、集合は元で決まるという外延性により、同じ集合 $\emptyset$ である。空集合はただ 1 つで、任意の集合の部分集合であり、和集合の単位元、共通部分の吸収元としてはたらく。$\emptyset$ と、元を 1 つもつ $\{\emptyset\}=\mathcal{P}(\emptyset)$ は異なる。空集合の上では全称の主張はつねに真、存在の主張はつねに偽になり、空な族の和集合は $\emptyset$、全体集合 $X$ の中で考えた空な族の共通部分は $X$ になる。
2 つの集合
$$
\{x\in\mathbb{R}\mid x^2=-1\},\qquad \{n\in\mathbb{N}\mid n<0\}
$$
を考える。実数の 2 乗は $0$ 以上なので $x^2=-1$ を満たす実数はなく、自然数は $0$ 以上なので $n<0$ を満たす自然数もない。どちらの集合も元を 1 つももたない。集合は元によって決まる(外延性)ので、元をもたない集合どうしは、どんな条件で作ったかによらず同じ集合である。これが 空集合 $\emptyset$ である。空集合は「何も入っていない箱」にたとえられる。何も入っていない箱を 1 つ入れた箱 $\{\emptyset\}$ は空ではなく、元を 1 つもつ。実際、$\emptyset$ の部分集合は $\emptyset$ だけなので冪集合は $\mathcal{P}(\emptyset)=\{\emptyset\}$(元は 1 個)であり、$\mathcal{P}(\mathcal{P}(\emptyset))=\{\emptyset,\{\emptyset\}\}$(元は 2 個)である。
空集合は、方程式の解がないこと、2 つの集合が交わらないこと、条件を満たすものが存在しないことを、集合の言葉で表すための基本的な対象である。また、和集合の計算での $0$ の役割、有限集合の元の個数 $0$、自然数 $0$ の集合論的な実現など、「何もない」ことを数学の中で扱う出発点になる。
元を 1 つももたない集合、すなわち任意の $x$ について $x\notin E$ を満たす集合 $E$ を 空集合(empty set)という。空集合はただ 1 つである(prop-emptyset-unique)ので、それを $\emptyset$ と書く。集合 $A$ が空集合でないとき、$A$ は 空でない(nonempty)という。
記号 $\emptyset$ のほか $\{\ \}$ とも書く。Mathpedia では記号 $\emptyset$ を使う。「空でない」ことは「少なくとも 1 つ元をもつ」、すなわち $\exists x\,(x\in A)$ と同じ意味である。
集合論の公理($\mathsf{ZF}$)の中では、空集合の存在は次のように保証される。何か 1 つ集合 $A$ があれば、分出公理により $\{x\in A\mid x\ne x\}$ は集合であり、$x\ne x$ を満たす $x$ はないので、これは元をもたない。公理系によっては「空集合が存在する」こと自体を公理(空集合の公理)として置く。
$E,E'$ がともに元をもたない集合なら $E=E'$ である。
集合 の記事の定義「集合の相等と記法」の外延性により、任意の $x$ について「$x\in E$ と $x\in E'$ が同値」であることを示せばよい。任意の $x$ について $x\in E$ も $x\in E'$ も偽であり、偽な命題どうしは同値である。よって $E=E'$ である。$\square$
冒頭の 2 つの集合がどちらも $\emptyset$ に等しいのは、この命題による。
空集合を「何もない」と考えると、$\emptyset$ と $\{\emptyset\}$ と $0$ が混同されやすい。集合を箱にたとえると、$\emptyset$ は空の箱、$\{\emptyset\}$ は空の箱が 1 つ入った箱であり、後者は中身を 1 つもつ(Ham §1.1、p. 4 も同じたとえで $\emptyset\ne\{\emptyset\}$ を説明している)。数 $0$ は「空の箱の中身の個数」であり、$|\emptyset|=0$ である。集合論で自然数を $0:=\emptyset$、$1:=\{\emptyset\}$、$2:=\{\emptyset,\{\emptyset\}\}$ と構成する流儀では $0$ と $\emptyset$ は同じ集合になるが、これは構成上の約束である(自然数 の記事の例「von Neumann自然数」)。
空集合についての主張は、空虚な真によって一見奇妙な真偽をとる。「空集合の元はすべて緑色である」は真であり、「空集合の元はすべて緑色でない」も真である。調べるべき元が 1 つもないので、反例もないからである。空集合がすべての集合の部分集合であること(prop-emptyset-subset)も、この理由による。
$\mathcal{P}(\emptyset)=\{\emptyset\}$ は元を 1 個、$\mathcal{P}(\mathcal{P}(\emptyset))=\{\emptyset,\{\emptyset\}\}$ は元を 2 個、
$$
\mathcal{P}(\mathcal{P}(\mathcal{P}(\emptyset)))=\bigl\{\emptyset,\ \{\emptyset\},\ \{\{\emptyset\}\},\ \{\emptyset,\{\emptyset\}\}\bigr\}
$$
は元を $4$ 個もつ($\mathcal{P}(\emptyset)=\{\emptyset\}$ は prop-emptyset-power、元が $n$ 個の集合の冪集合の元が $2^n$ 個であることは 有限集合 の記事の命題「直積と冪集合の元の個数」による)。空集合から出発して冪集合をとる操作を繰り返すだけで、元の個数が $0,1,2,4,16,65536,\dots$ と増える集合が次々に得られる。
$\{\emptyset\}$ は、元 $\emptyset$ をもつので空でない。$\{\emptyset\}$ の元($\emptyset$)はどれも空集合であるが、$\{\emptyset\}$ 自身は空ではない。この例は「元がすべて空集合である集合は空集合である」という含意を破っている。この含意が成り立つのは、元が 1 つもない場合だけである。同様に $\emptyset\subset\{\emptyset\}$ かつ $\emptyset\in\{\emptyset\}$ であるが、$\emptyset\in\emptyset$ ではない。元であること($\in$)と部分集合であること($\subset$)は区別しなければならない。
同じ主張は 部分集合 の記事の命題「空集合は任意の集合の部分集合」にもある。1 により、空集合は包含についてすべての集合の中で最小である。Ham は 1 を Fact 1.2(§1.3、p. 12)として、背理法で説明している。
任意の集合 $A$ について、次が成り立つ。
1 は、和集合の演算で $\emptyset$ が単位元(数の足し算の $0$ にあたるもの)であり、共通部分の演算で吸収元(掛け算の $0$ にあたるもの)であることを述べている。
Ham は $|\emptyset|=0$、空集合が元の個数 $0$ のただ 1 つの集合であること、$\emptyset\ne\{\emptyset\}$ を §1.1(p. 4)で述べている。冪集合 の記事の命題「有限集合の冪集合の濃度」の $n=0$ の場合が $|\mathcal{P}(\emptyset)|=2^0=1$ である。
写像については、任意の集合 $Y$ について $\emptyset$ から $Y$ への写像(空写像)はただ 1 つ存在し、集合 $X$ から $\emptyset$ への写像が存在するのは $X=\emptyset$ のときに限る(写像 の記事の命題「空集合を始域または終域にもつ写像」)。空写像は(区別すべき 2 元がないので)単射である。$Y$ が空でなければ全射ではなく、$Y=\emptyset$ のときの空写像 $\emptyset\to\emptyset$ は全単射である。有限集合の写像の個数 $|Y|^{|X|}$ で言えば、$|Y|^0=1$ が空写像のただ 1 つに対応し、$0^0=1$ と約束するのはこのためである。
任意の命題 $P(x)$ について、「$\forall x\in\emptyset,\ P(x)$」は真であり、「$\exists x\in\emptyset,\ P(x)$」は偽である(空虚な真 の記事の命題「空な範囲での全称と存在の真偽」、全称記号 の記事の注意「空集合上の量化」)。このため、空でない集合 $X$ では「$\forall x\in X,\ P(x)$ ならば $\exists x\in X,\ P(x)$」が成り立つが、$X=\emptyset$ では成り立たない。定理の仮定に「空でない」がしばしば現れるのはこのためである。たとえば選択公理は各成員が空でない族について述べられ、成員に空集合が 1 つでもあれば選択関数は存在しない(選択公理 の記事の注意「空集合と空の添字集合」)。
$X$ を集合とし、添字集合 $I$ で添字づけられた $X$ の部分集合の族 $(A_i)_{i\in I}$(集合族)の和集合と共通部分を
$$
\bigcup_{i\in I}A_i:=\{x\in X\mid\exists i\in I,\ x\in A_i\},\qquad
\bigcap_{i\in I}A_i:=\{x\in X\mid\forall i\in I,\ x\in A_i\}
$$
と定める。$I=\emptyset$ のとき
$$
\bigcup_{i\in\emptyset}A_i=\emptyset,\qquad \bigcap_{i\in\emptyset}A_i=X
$$
である。
$I=\emptyset$ とする。どの $x\in X$ についても、「$\exists i\in\emptyset,\ x\in A_i$」は偽であり、「$\forall i\in\emptyset,\ x\in A_i$」は真である(rem-emptyset-quantifiers)。よって和集合の条件を満たす $x$ はなく、共通部分の条件はすべての $x\in X$ が満たす。$\square$
和集合の側は $X$ の取り方によらず $\emptyset$ であるが、共通部分の側は $X$ そのものになり、$X$ を決めなければ定まらない。集合 の記事の定義「集合族と添字集合」が、空族の共通部分を全体集合を指定しない限り定めないとしているのはこのためである(空虚な真 の記事の例「空な族についての操作」も参照)。空族の和が $\emptyset$、共通部分が全体になることは、空な和を $0$、空な積を $1$ と約束することに対応している。
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