核(kernel)とは、零射の体系を持つ圏における射 f: A→B に対し、f と零射を等化する普遍的な対象、すなわち f∘k=0 を満たしかつその条件を満たす任意の射が一意に経由する対象 K と射 k: K→A の組をいう。アーベル群・加群の圏では通常の部分群・部分空間としての核と一致し、完全列の理論の出発点になる。
圏 $\mathcal C$ が零射の体系 $\{0_{X,Y}\}$ を持つとする。射 $f\colon A\to B$ の核(kernel)とは、対象 $K$ と射 $k\colon K\to A$ の組であって、次の二条件を満たすものをいう。
(1) $f\circ k=0_{K,B}$。
(2) 任意の対象 $X$ と射 $h\colon X\to A$ で $f\circ h=0_{X,B}$ を満たすものに対し、$k\circ h'=h$ を満たす射 $h'\colon X\to K$ がただ一つ存在する。
このとき $k\colon K\to A$(または対象 $K$ 自身)を $\ker f$ と書く。
核は、「$f$ によって $0$ に送られる部分」を圏論の言葉だけで切り出す構成である。条件(1)は $k$ の像が $f$ によって確かに $0$ へ送られることを述べ、条件(2)は $K$ が「$f$ で $0$ に送られるものをすべて、しかも重複なく」集めていることを述べる普遍性である。$h$ が $K$ を経由する一意な分解を持つことは、$X$ から $A$ への任意の射で $f$ と合成すると $0$ になるものが、必ず $K$ の中を通ってから $A$ に入っていることを意味する。
条件(2)における「一意性」は無視できない要件である。存在するだけで一意性を課さなければ、$K$ より真に大きな対象で条件(1)を満たすものも候補になってしまい、核が持つべき「過不足のなさ」が失われる。
$\mathbf{Ab}$(あるいは $R\text{-}\mathbf{Mod}$、$k\text{-}\mathbf{Vect}$)において、準同型 $f\colon A\to B$ に対し、通常の意味の核
$$
K=\{a\in A\mid f(a)=0\}
$$
に包含写像 $k\colon K\hookrightarrow A$ を添えたものが、圏論的な意味の核になる。実際 $f\circ k=0$ は $K$ の定義そのものであり、$f\circ h=0$ を満たす任意の $h\colon X\to A$ は像が $K$ に含まれるので、$h$ を終域だけ $K$ に制限した写像 $h'\colon X\to K$ が一意に存在して $k\circ h'=h$ となる。
$\mathbf{Grp}$ は加法圏ではないが、零対象(自明群)を持つので零射の体系は存在する(零射参照)。群準同型 $f\colon G\to H$ に対し、通常の核(正規部分群)$\ker f=\{g\in G\mid f(g)=e_H\}$ に包含写像を添えたものが、この記事の意味での核になる。$f\circ h=0$(すなわち $h$ の像がすべて単位元に送られる)を満たす任意の準同型 $h\colon X\to G$ は像が $\ker f$ に含まれるため、$K=\ker f$ を終域とする準同型へ一意に制限できる。加法的な構造を使わなくても核の普遍性そのものは意味を持つ、という点が確認できる例である。
$\mathbf{Set}$ には(零射の反例で見たとおり)零射の体系が存在しないため、条件(1)(2)に現れる「$0_{X,Y}$」自体が意味を持たず、この記事の意味での核はそもそも定義できない。集合の間の写像に対して「核」という言葉を使いたい場合は、同値関係(ファイバーによる分割)としての核対など、別の構成に頼る必要がある。
射 $f\colon A\to B$ の核が存在すれば、それは同型を除いて一意である。より正確には、$(K,k)$ と $(K',k')$ がともに $f$ の核であるとき、$k'=k\circ\varphi$ を満たす同型射 $\varphi\colon K'\to K$ がただ一つ存在する。
$(K,k)$、$(K',k')$ をともに $f$ の核とする。$f\circ k'=0$ なので、$(K,k)$ の普遍性(条件(2))を $h=k'$ に適用すると、$k\circ\varphi=k'$ を満たす射 $\varphi\colon K'\to K$ がただ一つ存在する。対称に、$(K',k')$ の普遍性を $h=k$ に適用すると、$k'\circ\psi=k$ を満たす射 $\psi\colon K\to K'$ がただ一つ存在する。このとき $k\circ(\varphi\psi)=k'\psi=k=k\circ\operatorname{id}_K$ であるから、$(K,k)$ 自身の普遍性における一意性($h=k$ に対して $k\circ h'=k$ を満たす $h'$ はただ一つ)より $\varphi\psi=\operatorname{id}_K$。同様に $\psi\varphi=\operatorname{id}_{K'}$。ゆえに $\varphi$ は同型射であり、$k'=k\varphi$ を満たす。$\blacksquare$
$(K,k)$ が射 $f\colon A\to B$ の核であるとき、$k\colon K\to A$ はモノ射である。
$h_1,h_2\colon X\to K$ が $k\circ h_1=k\circ h_2$ を満たすとする。$h:=k\circ h_1=k\circ h_2\colon X\to A$ とおくと、
$$
f\circ h=f\circ k\circ h_1=0_{K,B}\circ h_1=0_{X,B}
$$
(核の条件(1)である $f\circ k=0_{K,B}$ と、零射の吸収性 $0_{K,B}\circ h_1=0_{X,B}$ を用いた)。したがって $h$ は核の普遍性(条件(2))の仮定を満たし、$k\circ h'=h$ を満たす射 $h'\colon X\to K$ がただ一つ存在する。ところが $h_1,h_2$ はともに $k\circ h_i=h$($i=1,2$)を満たすので、この一意性から $h_1=h_2=h'$ が従う。ゆえに $k$ はモノ射である。$\blacksquare$
この事実は、核が「$A$ の中に埋め込まれた部分対象」として振る舞うことの圏論的な裏付けになっている。核をモノ射としてではなく、より一般に対象と射の組として見るときも、核射が自動的に単射的な性質を持つことは、部分対象としての直観と整合する。
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