Ind対象(ind-object)とは、圏 $\mathcal C$ の対象の族を、添字圏が有向集合のように振る舞う「フィルター圏」に沿って形式的に貼り合わせた余極限対象のことをいう。これらの全体は新しい圏 $\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ をなし、$\mathcal C$ はその中に充満忠実に埋め込まれる。有限集合の全体から通常の集合を再構成できるように、Ind対象は「有限的・コンパクトな対象の余極限として一般の対象を回復する」という操作を圏論的に定式化したものである。
前提知識: 圏, 関手, 米田の補題, 表現可能関手, 充満忠実関手
小圏 $I$ がフィルター圏(filtered category)であるとは、次の3条件を満たすことをいう:
(i) $I$ は空でない。
(ii) 任意の対象 $i,j\in I$ に対し、ある対象 $k$ と射 $i\to k$、$j\to k$ が存在する。
(iii) 任意の平行な2つの射 $f,g\colon i\to j$ に対し、ある射 $h\colon j\to k$ が存在して $h\circ f=h\circ g$ となる。
有向集合を対象の間の順序関係が誘導する自明な圏とみなしたものは、フィルター圏の典型例である。順序集合では平行な射は高々1本しかないので、(iii) は順序集合では自明に成り立つ。
圏 $\mathcal C$ とフィルター圏 $I$、関手 $X\colon I\to\mathcal C$(フィルター図式)が与えられたとき、形式的な記号 $\varinjlim_{i\in I}X_i$ を考え、これをInd対象(ind-object)と呼ぶ。2つのInd対象 $\varinjlim_{i\in I}X_i$、$\varinjlim_{j\in J}Y_j$ の間のHom集合を
$$
\operatorname{Hom}\Bigl(\varinjlim_{i\in I}X_i,\ \varinjlim_{j\in J}Y_j\Bigr):=\varprojlim_{i\in I}\ \varinjlim_{j\in J}\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_i,Y_j)
$$
で定める。ここで右辺の $\varinjlim_{j\in J}$ と $\varprojlim_{i\in I}$ は、集合の圏における通常のフィルター余極限(余極限(圏論))と極限(圏論)であり、具体的には次の通りである:
$\varinjlim_{j\in J}\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_i,Y_j)$ とは、非交和 $\coprod_{j\in J}\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_i,Y_j)$ を、$f\colon X_i\to Y_j$ と $f'\colon X_i\to Y_{j'}$ が「$J$ のある射 $u\colon j\to k$、$u'\colon j'\to k$ に対し $Y(u)\circ f=Y(u')\circ f'$ となる」という関係で生成される同値関係で割った商集合である。
$\varprojlim_{i\in I}(-)$ とは、各 $i\in I$ に対する元 $\varphi_i\in\varinjlim_{j\in J}\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_i,Y_j)$ の族 $(\varphi_i)_{i\in I}$ であって、$I$ の任意の射 $u\colon i\to i'$ に対し、$\varphi_{i'}$ を $X(u)\colon X_i\to X_{i'}$ との前合成で移したもの(写像 $\varinjlim_j\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_{i'},Y_j)\to\varinjlim_j\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X_i,Y_j)$、$[g]\mapsto[g\circ X(u)]$ による像)が $\varphi_i$ に一致するもの全体である。
このHom集合と自然な合成規則によって定まる圏を $\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ と書く。
フィルター圏の条件(i)〜(iii)は、有向集合の3条件(空でない、任意の2元に共通の上界がある、上への平行射は最終的に等しくなる)をそのまま圏論の言葉に翻訳したものである。フィルター図式 $X\colon I\to\mathcal C$ は「$\mathcal C$ の対象の増大する族」であり、Ind対象 $\varinjlim X_i$ はその族全体を1つの形式的な余極限対象として扱うための記号にすぎない。後述の標準埋め込み $\iota\colon\mathcal C\hookrightarrow\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ は充満忠実であり、$\mathcal C$ が持つ有限余極限を保つが、フィルター余極限は一般に保たない。例えば $\mathcal C=\mathbf{Set}$ とし $S$ を無限集合とすると、$\operatorname{Ind}(\mathbf{Set})$ において $\varinjlim_{T\subseteq S\text{ 有限}}\iota(T)\not\cong\iota(S)$ である。各Ind対象 $\varinjlim_{i\in I}X_i$ は、$\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ の中でとった $\iota\circ X$ の余極限である(KS06第6章)。
Hom集合の定義式 $\varprojlim_i\varinjlim_j\operatorname{Hom}(X_i,Y_j)$ は、「$\varinjlim X_i$ から $\varinjlim Y_j$ への射」を「各 $X_i$ から、十分先の $Y_j$ への射の芽(germ)を、$I$ 全体にわたって整合的に選ぶこと」として定式化したものと読める。有限集合の圏から始めて $\operatorname{Ind}(\mathbf{FinSet})$ を作ると、この操作はまさに一般の(無限)集合を有限部分集合の余極限として再構成する操作になる(例参照)。
$\mathbf{FinSet}$ を有限集合の圏とする。任意の集合 $S$ は、その有限部分集合全体を対象とし包含射を射とする圏 $I_S$(これはフィルター圏である:2つの有限部分集合の和集合が共通の上界を与える)上のフィルター図式とみなせ、$S=\varinjlim_{T\in I_S,\ T\text{有限}}T$ が成り立つ(集合としての通常の合併としての等式)。この対応は圏同値 $\mathbf{Set}\simeq\operatorname{Ind}(\mathbf{FinSet})$ を与える。証明には有限集合のコンパクト性(有限集合 $T$ に対し $\operatorname{Hom}(T,-)$ がフィルター余極限と可換であること、すなわち $T$ が $\mathbf{Set}$ のコンパクト対象であること)を使う。詳細は本記事の範囲を超えるためKS06第6章に委ねる。
同様に、体 $k$ 上の有限次元ベクトル空間の圏 $\mathcal C$ に対し $\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ は $k$ 上のベクトル空間全体の圏と圏同値であり、有限アーベル群の圏 $\mathcal C'$ に対し $\operatorname{Ind}(\mathcal C')$ は捩れアーベル群の圏と圏同値である。いずれも、任意の対象がその有限部分対象(有限次元部分空間、有限部分群)のフィルター余極限であることと、有限部分対象がコンパクト対象であることから従う(KS06第6章)。
一元圏(対象が1つで、射は恒等射のみ)はフィルター圏の条件を自明に満たす。これを添字圏として、対象 $X\in\mathcal C$ を定値フィルター図式とみなすことで得られる関手
$$
\iota\colon\mathcal C\longrightarrow\operatorname{Ind}(\mathcal C),\qquad X\longmapsto\varinjlim(X)
$$
は充満忠実関手である。
$X,Y\in\mathcal C$ とし、それぞれを一元圏上の定値図式とみなす。定義の公式において $I=J=\{*\}$(一元圏)であるから、$\varinjlim_{j\in J}\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X,Y_j)=\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X,Y)$(フィルター余極限の添字圏が一元圏なので同値関係による商をとる操作が自明になる)であり、続けて $\varprojlim_{i\in I}$ も同じ理由で自明になるので、
$$
\operatorname{Hom}_{\operatorname{Ind}(\mathcal C)}(\iota(X),\iota(Y))=\operatorname{Hom}_{\mathcal C}(X,Y)
$$
が成り立つ。この同一視のもとで $\iota$ が誘導するHom集合の間の写像はまさに恒等写像であり、特に全単射である。ゆえに $\iota$ は充満忠実である。$\blacksquare$
$\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ はフィルター余極限をすべて持ち、$\iota\colon\mathcal C\to\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ は次の普遍性によって特徴づけられる:フィルター余極限を持つ任意の圏 $\mathcal D$ と関手 $F\colon\mathcal C\to\mathcal D$ に対し、$F\cong \widetilde F\circ\iota$ を満たしフィルター余極限を保つ関手 $\widetilde F\colon\operatorname{Ind}(\mathcal C)\to\mathcal D$ が、自然同型を除いて一意に存在する。すなわち $\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ は $\mathcal C$ の「フィルター余極限に関する自由な補完」である。この普遍性の証明、および $\operatorname{Ind}(\mathcal C)$ が反変Hom関手の圏(前層の圏)の中で「表現可能関手のフィルター余極限として書ける対象」全体のなす充満部分圏と圏同値になるという特徴づけ(前層の圏の理論を要するため本記事では前提としない)は、標準的な文献(KS06第6章、SGA4第I巻)に譲る。
$\mathcal A$ が小さいアーベル圏ならば、$\operatorname{Ind}(\mathcal A)$ はGrothendieck圏であり、左完全関手の圏 $\mathrm{Lex}(\mathcal A^{\mathrm{op}},\mathbf{Ab})$ と圏同値である。また標準埋め込み $\iota\colon\mathcal A\to\operatorname{Ind}(\mathcal A)$ は完全である(KS06§8.6)。
Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する