Taylor展開(多項式)(Taylor expansion of a polynomial)とは、可換環上の多項式 $f$ を点 $a$ のまわりで $f(x)=\sum_kc_k(x-a)^k$ と $x-a$ の冪に並べ直す有限の恒等式であり、係数は一意に定まって Hasse 微分 $D^{[k]}f$ の値 $c_k=(D^{[k]}f)(a)$ で与えられる。$1,\dots,\deg f$ が可逆なら $c_k=f^{(k)}(a)/k!$ だが、標数 $p$ では $x^p$ のように通常の微分係数では係数が読み取れない。多変数では点の極大イデアル $\mathfrak{n}_a$ について $\mathfrak{n}_a/\mathfrak{n}_a^2$ と勾配が対応する。重根の判定や Hensel の補題、接空間の計算に使われる。
多項式 $f(x)$ を点 $a$ のまわりで $x-a$ の冪に並べ直したもの
$$
f(x)=c_0+c_1(x-a)+c_2(x-a)^2+\cdots+c_d(x-a)^d
$$
を、$f$ の $a$ でのTaylor 展開という。係数 $c_k$ は $f$ と $a$ からただ一通りに決まり、$\mathbb{Q}$ を含む環(たとえば標数 $0$ の体)では $c_k=f^{(k)}(a)/k!$ である。どんな可換環の上でも、係数は Hasse 微分 $D^{[k]}f$ の $a$ での値として与えられる。剰余項も収束の問題もない、有限の恒等式である。
実数の関数についての Taylorの定理 は、一般の関数を Taylor 多項式で近似したときの剰余項を評価する定理であり、Taylor級数 は無限級数としての展開と、それが元の関数に一致するか(実解析性)を扱う。この記事の主題は、多項式という代数的な対象について、それらの出発点にある等式そのものである。点のまわりの 1 次の部分は接空間やJacobi行列を、$k$ 次までの部分は重根の重複度や変形理論の高次の情報を表す。
以下 $R$ を可換環、$R[x]$ を 1 変数の多項式環とする。
$f=\sum_{i\ge0}a_ix^i\in R[x]$ に対し、
$$
f':=\sum_{i\ge1}ia_ix^{i-1},\qquad D^{[k]}f:=\sum_{i\ge k}\binom ik a_ix^{i-k}\quad(k\ge0)
$$
とおき、$f'$ を $f$ の形式微分、$D^{[k]}f$ を $k$ 階の Hasse 微分という。二項係数 $\binom ik$ は整数を $R$ の元とみたものである。$f$ の $k$ 回の形式微分を $f^{(k)}$ と書く。
$D^{[0]}f=f$、$D^{[1]}f=f'$ であり、$D^{[k]}$ は $R$ 線形写像 $R[x]\to R[x]$ である。$x^i$ の $k$ 回の形式微分は $i(i-1)\cdots(i-k+1)x^{i-k}=k!\binom ikx^{i-k}$ なので、$f^{(k)}=k!\,D^{[k]}f$ である(prop-tpe-hasse-properties の 4)。$k!$ が $R$ で可逆でないとき、$D^{[k]}f$ は $f^{(k)}$ を $k!$ で割ったものとしては定義できないが、係数 $\binom ik$ が整数なので直接定義できる。重根 の記事では同じものを $D^{(k)}$ と書いている。
$A$ を可換な $R$ 代数、$f\in R[x]$、$a\in A$ とする。$A[x]$ の中の等式
$$
f(x)=\sum_{k=0}^dc_k(x-a)^k\qquad(c_k\in A)
$$
を、$f$ の $a$ のまわりの Taylor 展開といい、$c_k$ を $a$ での第 $k$ Taylor 係数という。
$A=R$ の場合が基本であるが、$a$ を拡大体の元や $R[x]$ の元として扱えるように $R$ 代数 $A$ を許しておく。たとえば $A=R[y]$、$a=y$ とすれば、展開は $f(x)$ を $y$ のまわりで展開する等式になる。
$R$ を可換環、$f\in R[x]$ を次数 $d$ 以下の多項式とする。
3 の議論は、$(x-a)^k$($k\ge0$)が $A[x]$ の $A$ 加群としての基底であることを示している。実際、$\tau$ は逆 $x\mapsto x-a$ をもつ $A$ 代数の自己同型であり、基底 $x^k$ を $(x-a)^k$ に写す逆向きの写像を与える。
$f=x^3-2x+5\in\mathbb{Z}[x]$、$a=2$ とする。$D^{[1]}f=3x^2-2$、$D^{[2]}f=3x$、$D^{[3]}f=1$ なので
$$
f(x)=9+10(x-2)+6(x-2)^2+(x-2)^3
$$
である。同じ係数は、$f$ を $x-2$ で割った余り $9$、その商 $x^2+2x+2$ を $x-2$ で割った余り $10$、さらにその商 $x+4$ を割った余り $6$、最後の商 $1$、として順に得られる(多項式の筆算と組立除法)。実際、thm-tpe-main の 2 から $f=(x-a)q_1+c_0$ で $q_1=\sum_{k\ge1}c_k(x-a)^{k-1}$ なので、$c_0$ は $x-a$ で割った余りであり、商 $q_1$ に同じことを繰り返すと $c_1,c_2,\dots$ が順に得られる。
$f,g\in R[x]$、$i,j,k\ge0$ とする。
$\theta\colon R[x]\to R[x][y]$ を $\theta(f):=f(x+y)$ で定める。$\theta$ は $x\mapsto x+y$ で定まる環準同型であり、thm-tpe-main の 1 により $\theta(f)=\sum_k(D^{[k]}f)\,y^k$ である。$R[x][y]$ は $y^k$ を基底とする自由 $R[x]$ 加群なので、$\theta(f)$ の $y^k$ の係数として $D^{[k]}f$ が読み取れる。
1 は $D^{[k]}$ の族 $(D^{[k]})_{k\ge0}$ が Hasse–Schmidt 導分と呼ばれる構造をもつことを表し、4 から $D^{[k]}$ は 1 階の微分 $D^{[1]}$ の「$k!$ で割った $k$ 乗」であることがわかる。$k!$ が可逆でない環では、$D^{[k]}$ は $D^{[1]}$ の多項式で書けない新しい作用素になる(微分作用素 の命題「標数による生成元の違い」)。
$A$ を可換な $R$ 代数、$a\in A$、$f\in R[x]$ を次数 $d$ 以下とし、$1,2,\dots,d$ が $A$ で可逆とする(たとえば $A$ が $\mathbb{Q}$ を含むとき、あるいは $A$ が標数 $p$ の体で $d< p$ のとき)。このとき
$$
f(x)=\sum_{k=0}^d\frac{f^{(k)}(a)}{k!}\,(x-a)^k .
$$
$k\le d$ なら $k!$ は $A$ で可逆であり、prop-tpe-hasse-properties の 4 から $(D^{[k]}f)(a)=f^{(k)}(a)/k!$ である。これを thm-tpe-main の 2 に代入する。$\square$
Taylor 展開を途中で切ると、$(x-a)^m$ で割った余りが得られる。これが「$a$ の近くでの $m-1$ 次までの近似」の代数的な意味である。
$A$ を可換な $R$ 代数、$a\in A$、$f\in R[x]$、$m\ge1$ とし、$c_k:=(D^{[k]}f)(a)$ とおく。$A[x]$ で
$$
f=(x-a)^mq+r,\qquad\deg r< m
$$
を満たす $q,r\in A[x]$ はただ一組であり、
$$
r=\sum_{k=0}^{m-1}c_k(x-a)^k,\qquad q=\sum_{k\ge m}c_k(x-a)^{k-m}
$$
である。とくに $f\equiv f(a)+f'(a)(x-a)\pmod{(x-a)^2}$ であり、$a$ が $f$ の根であることと $f\in(x-a)$ は同値である。
thm-tpe-main の 2 の和を $k< m$ と $k\ge m$ に分ければ、示された $q,r$ が条件を満たす。一意性を示す。$(x-a)^mq+r=(x-a)^mq_1+r_1$ で $\deg r,\deg r_1< m$ なら $(x-a)^m(q-q_1)=r_1-r$ である。$q\ne q_1$ とすると、$(x-a)^m$ は最高次の係数が $1$ なので左辺の次数は $m+\deg(q-q_1)\ge m$ となり、右辺の次数が $m$ 未満であることに反する。よって $q=q_1$、$r=r_1$ である。$\square$
同じことを係数の側から言えば、$A[t]/(t^m)$ の中で
$$
f(a+t)=\sum_{k=0}^{m-1}\bigl(D^{[k]}f\bigr)(a)\,t^k
$$
である(thm-tpe-main の 1 で $x\mapsto a$、$y\mapsto t$ とし、$t^m=0$ とする)。$m=2$ の $A[\varepsilon]/(\varepsilon^2)$ では $f(a+\varepsilon)=f(a)+f'(a)\varepsilon$ となり、点 $a$ を「無限小 $\varepsilon$ だけ動かす」と値が $f'(a)\varepsilon$ だけ変わる。
$f\in R[x]$ に対し、$g\in R[x,y]$ で
$$
f(x+y)=f(x)+f'(x)\,y+y^2\,g(x,y)
$$
を満たすものがある。したがって任意の可換な $R$ 代数 $A$ と $a,h\in A$ に対し $f(a+h)-f(a)-f'(a)h\in h^2A$ である。
thm-tpe-main の 1 で $g:=\sum_{k\ge2}(D^{[k]}f)(x)\,y^{k-2}$ とおけばよい。後半は $x\mapsto a$、$y\mapsto h$ を代入する。$\square$
この形は、$f(a)$ が小さく $f'(a)$ が可逆なときに $h=-f(a)/f'(a)$ だけ動かすと $f(a+h)$ が $h^2$ の程度まで小さくなる、という Newton法 や Henselの補題 の評価の出発点である。
$R[x]=R[x_1,\dots,x_n]$ とし、$\alpha\in\mathbb{N}^n$ に対し $x^\alpha=x_1^{\alpha_1}\cdots x_n^{\alpha_n}$、$|\alpha|=\alpha_1+\cdots+\alpha_n$、$\binom\beta\alpha=\prod_j\binom{\beta_j}{\alpha_j}$ と書く。$f=\sum_\beta a_\beta x^\beta$ に対し $D^{[\alpha]}f:=\sum_\beta\binom\beta\alpha a_\beta x^{\beta-\alpha}$($\beta_j\ge\alpha_j$ となる $\beta$ にわたる和)とおく。これは各変数 $x_j$ についての Hasse 微分 $D_j^{[\alpha_j]}$(他の変数を係数とみる)の合成 $D_1^{[\alpha_1]}\cdots D_n^{[\alpha_n]}$ であり、$D_j^{[1]}=\partial/\partial x_j$ は偏微分の形式版である。
$f\in R[x_1,\dots,x_n]$ とする。
$a\in R^n$ とし、$\mathfrak{n}_a:=(x_1-a_1,\dots,x_n-a_n)\subset R[x_1,\dots,x_n]$ とおく。
体 $k$ 上のアフィン多様体 $V$ とその定義イデアル $I=I(V)$(より一般に、$k[x]/I$ の $a$ での局所化を局所環とするなら、$Z(I)=V$ となる任意のイデアル $I$)と、$V$ の点 $a$ では、局所環の極大イデアル $\mathfrak{m}$ について $\mathfrak{m}/\mathfrak{m}^2\cong\mathfrak{n}_a/(\mathfrak{n}_a^2+I)$ であり、cor-tpe-cotangent の 2 によってこれは $k^n$ を $I$ の元の勾配 $\bigl(\partial g/\partial x_j(a)\bigr)_j$ が張る部分空間で割ったものになる。こうしてZariski接空間は、$I$ の生成元のJacobi行列の $a$ での値の核として計算される(DF04 §15.4, Proposition 52, pp. 723–724 は代数閉体上でこの同型を述べる)。
実数係数の多項式 $f$ を実数の関数とみると、cor-tpe-derivative により、$d=\deg f$ 以上の $m$ について $a$ での $m$ 次の Taylor 多項式は $f$ 自身であり、Taylorの定理 の剰余項は $0$ になる。Taylor 級数も有限和で、すべての $x$ で $f(x)$ に収束する。多項式の場合には、近似の誤差を評価する必要がなく、等式が成り立つ。
多項式でない関数では状況が変わる。$C^\infty$ 級の関数は $a$ でのすべての微分係数をもつが、それだけでは関数は決まらない(Taylorの定理 の命題「何回でも微分できて導関数がすべて0になる関数」)。Taylor 級数が関数に一致するかは実解析性の問題であり、Taylor級数 で扱う。複素数の正則関数では Taylor 展開は $a$ を中心とし定義域に含まれる円板の上で常に関数を表し(Taylor展開(複素解析))、多項式はその特別な場合である。
| 対象 | 等式の形 | 係数の決まり方 | 扱う記事 |
|---|---|---|---|
| 可換環上の多項式 | 有限和の恒等式 | Hasse 微分の値 | この記事 |
| 実数の $C^m$ 級関数 | Taylor 多項式+剰余項 | $f^{(k)}(a)/k!$ | Taylorの定理 |
| 実数の $C^\infty$ 級関数 | 無限級数(一致するとは限らない) | $f^{(k)}(a)/k!$ | Taylor級数 |
| 複素数の正則関数 | 円板で収束する無限級数 | $f^{(k)}(a)/k!$ | Taylor展開(複素解析) |
cor-tpe-derivative から次がわかる:$K$ を標数 $0$ の体、$f,g\in K[x]$、$a\in K$ とし、すべての $k\ge0$ で $f^{(k)}(a)=g^{(k)}(a)$ なら $f=g$ である。この主張の仮定を一つずつ外す。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| $K$ の標数が $0$($k!$ が可逆) | $K=\mathbb{F}_p$、$f=x^p$、$g=0$、$a=0$ | 微分係数がすべて一致するのに $f\ne g$ |
| $f,g$ が多項式 | $K=\mathbb{R}$、$f(x)=e^{-1/x^2}$($x\ne0$)、$f(0)=0$、$g=0$、$a=0$ | 微分係数がすべて一致するのに $f\ne g$ |
1 行目:$\mathbb{F}_p[x]$ で $f'=px^{p-1}=0$ なので、$k\ge1$ で $f^{(k)}=0$ であり、$f(0)=0$ と合わせてすべての微分係数が $g=0$ と一致する。一方 Hasse 微分は $D^{[p]}x^p=\binom pp=1\ne0$ であり、thm-tpe-main の Taylor 係数 $c_p=1$ は $f$ と $g$ を区別する。微分係数で係数を表す公式 $c_k=f^{(k)}(a)/k!$ は $k=p$ で意味を失い、Hasse 微分による表示だけが残る。
2 行目:$f$ は $\mathbb{R}$ 上 $C^\infty$ 級で $f^{(k)}(0)=0$($k\ge0$)である(Taylorの定理 の命題「何回でも微分できて導関数がすべて0になる関数」)が、$x\ne0$ で $f(x)>0$ なので $f\ne0$ である。
thm-tpe-main の一意性は、多項式を係数の列(式)として扱った主張である。有限体 $\mathbb{F}_p$ 上では、$h=x^p-x$ は $\mathbb{F}_p$ のすべての点で値 $0$ をとる(Fermatの小定理)が、$0$ での Taylor 係数は $c_1=-1$、$c_p=1$ で $0$ でない。したがって、多項式関数 $\mathbb{F}_p\to\mathbb{F}_p$ から Taylor 係数を読み取ることはできない。係数体が無限体なら、多項式は関数として決まるので(多項式 の命題「根の個数の上界」から、すべての点で $0$ になる多項式は $0$)、この区別は要らない。
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