二重複体(double complex)とは、対象 $C^{p,q}$ を格子状に並べ、横の微分 $d_h\colon C^{p,q}\to C^{p+1,q}$ と縦の微分 $d_v\colon C^{p,q}\to C^{p,q+1}$ が反可換($d_hd_v+d_vd_h=0$)であるようにした、複体を 2 方向に重ねた構造である。対角線 $p+q=n$ ごとに直和(または直積)をとり $D=d_h+d_v$ を微分とする全複体が付随し、そのコホモロジーは縦・横から読む 2 つのスペクトル系列で近似される。一方の向きのコホモロジーが 1 行に集中すれば全複体はその行の複体と擬同型になり、Ext の平衡性・Koszul 複体・de Rham の定理・超コホモロジーがこの原理から得られる。第 1 象限を離れると直和と直積の全複体は異なりうる上、スペクトル系列も収束するとは限らない。
前提知識: 複体, アーベル圏, 加群, 完全列, スペクトル系列
二重複体は、複体(コチェイン複体)を「横」と「縦」の 2 方向に並べた格子であり、2 つの微分が互いに整合するもののことである。ホモロジー代数では、2 つの操作(たとえば射影分解をとることと入射分解をとること、開被覆で貼り合わせることと微分形式を微分すること)を同時に施した結果が二重複体になり、それを 1 本の複体(全複体)にまとめてコホモロジーを計算する。以下、$\mathcal{A}$ をアーベル圏(典型的には環 $R$ 上の加群の圏)とする。
$\mathcal{A}$ の二重複体(double complex)とは、整数の組 $(p,q)\in\mathbb{Z}^2$ で添字づけられた対象の族 $C^{p,q}$ と、2 種類の射
$$
d_h\colon C^{p,q}\to C^{p+1,q},\qquad d_v\colon C^{p,q}\to C^{p,q+1}
$$
(横の微分、縦の微分)の組であって、すべての $(p,q)$ で
$$
d_h\circ d_h=0,\qquad d_v\circ d_v=0,\qquad d_h\circ d_v+d_v\circ d_h=0
$$
を満たすものをいう。$C^{\bullet,\bullet}$ または単に $C$ と書く。$q$ を固定して得られる複体 $(C^{\bullet,q},d_h)$ を第 $q$ 行、$p$ を固定して得られる複体 $(C^{p,\bullet},d_v)$ を第 $p$ 列という。二重複体の射 $f\colon C\to C'$ とは、射の族 $f^{p,q}\colon C^{p,q}\to C'^{p,q}$ で $d_h$、$d_v$ の両方と可換なものをいう。
$p<0$ または $q<0$ のとき $C^{p,q}=0$ である二重複体を第 1 象限の二重複体、有限個の $(p,q)$ を除いて $C^{p,q}=0$ であるものを有界な二重複体という。
第 3 の条件を反可換性(anticommutativity)という。これは、格子の各正方形
$$
C^{p,q}\xrightarrow{\ d_h\ }C^{p+1,q},\qquad C^{p,q}\xrightarrow{\ d_v\ }C^{p,q+1},\qquad C^{p+1,q}\xrightarrow{\ d_v\ }C^{p+1,q+1},\qquad C^{p,q+1}\xrightarrow{\ d_h\ }C^{p+1,q+1}
$$
を 2 通りに回った合成 $d_v\circ d_h$ と $d_h\circ d_v$ が符号だけ違う($d_hd_v=-d_vd_h$)ことを意味する。
文献によっては、反可換性の代わりに可換性 $\delta_h\circ\delta_v=\delta_v\circ\delta_h$ を要求する流儀がある(BT82 §8 は可換、Wei94 §1.2 は反可換の流儀)。2 つの流儀は次の符号の付け替えで移り合う。可換な組 $(\delta_h,\delta_v)$ が与えられたとき、$C^{p,q}$ 上で
$$
d_h:=\delta_h,\qquad d_v:=(-1)^p\,\delta_v
$$
とおく。$d_v$ の符号は $p$ だけで決まるので $d_v\circ d_v=\delta_v\circ\delta_v=0$ であり、$C^{p,q}$ 上で
$$
d_hd_v+d_vd_h=(-1)^p\delta_h\delta_v+(-1)^{p+1}\delta_v\delta_h=(-1)^p(\delta_h\delta_v-\delta_v\delta_h)=0
$$
である($d_vd_h$ では $d_h$ で $C^{p+1,q}$ に移ってから $d_v$ を施すので符号が $(-1)^{p+1}$ になる)。よって $(C,d_h,d_v)$ は def-double-complex の意味の二重複体である。逆に反可換な組から $\delta_v:=(-1)^pd_v$ とおけば可換な組が得られる。符号の付け替えは各行・各列のコホモロジー(def-double-complex-row-column-cohomology)を変えない(核と像は符号で変わらない)。可換の流儀では、後述の全複体の微分を $D=\delta_h+(-1)^p\delta_v$ と定める。本記事では反可換の流儀を標準とし、可換な組から出発するときはこの付け替えを施したものと解する。
添字を下げて $d_h\colon C_{p,q}\to C_{p-1,q}$、$d_v\colon C_{p,q}\to C_{p,q-1}$ とする鎖複体版も同様であり、$C^{p,q}:=C_{-p,-q}$ と読み替えれば本記事の定義に帰着する。
二重複体 $C$ に対し、各 $n\in\mathbb{Z}$ について
$$
\operatorname{Tot}^{\oplus}(C)^n:=\bigoplus_{p+q=n}C^{p,q},\qquad \operatorname{Tot}^{\Pi}(C)^n:=\prod_{p+q=n}C^{p,q}
$$
とおく(直和・直積。無限個の直和・直積が $\mathcal{A}$ に存在することを仮定する。加群の圏ではつねに存在する)。微分 $D\colon\operatorname{Tot}(C)^n\to\operatorname{Tot}(C)^{n+1}$ は、$(p,q)$ 成分 $c^{p,q}$ を $d_hc^{p,q}\in C^{p+1,q}$ と $d_vc^{p,q}\in C^{p,q+1}$ に送る射の和として定める。すなわち $Dc$ の $(p,q)$ 成分は
$$
(Dc)^{p,q}=d_h\,c^{p-1,q}+d_v\,c^{p,q-1}
$$
である。各成分は $c$ の 2 つの成分だけで決まり、各 $c^{p,q}$ は $Dc$ の 2 つの成分にしか寄与しないので、$D$ は直和・直積のどちらの上でも定まる。$(\operatorname{Tot}^{\oplus}(C),D)$ を直和全複体、$(\operatorname{Tot}^{\Pi}(C),D)$ を直積全複体といい、まとめて $C$ の全複体(total complex, totalization)という。各 $n$ について $p+q=n$ なる $(p,q)$ のうち $C^{p,q}\ne0$ であるものが有限個しかなければ(第 1 象限や有界な二重複体がそうである)2 つは一致し、単に $\operatorname{Tot}(C)$ と書く。
$C$ を二重複体とする。$D\circ D=0$ が成り立つ。したがって $\operatorname{Tot}^{\oplus}(C)$ と $\operatorname{Tot}^{\Pi}(C)$ は $\mathcal{A}$ の複体であり、二重複体の射 $f\colon C\to C'$ は成分ごとの射 $\operatorname{Tot}(f)$ により複体の射(鎖写像)を誘導する。
$c$ を $\operatorname{Tot}(C)^n$ の元とし、$(DDc)^{p,q}$ を計算する($\operatorname{Tot}^\Pi$ でも $\operatorname{Tot}^\oplus$ でも成分は同じ式で与えられる)。def-double-complex-total の式を 2 回使うと
$$
(DDc)^{p,q}=d_h(Dc)^{p-1,q}+d_v(Dc)^{p,q-1}
=d_hd_h\,c^{p-2,q}+d_hd_v\,c^{p-1,q-1}+d_vd_h\,c^{p-1,q-1}+d_vd_v\,c^{p,q-2}
$$
である。第 1 項と第 4 項は $d_h^2=0$、$d_v^2=0$ により消え、第 2 項と第 3 項の和は $(d_hd_v+d_vd_h)\,c^{p-1,q-1}$ で反可換性により $0$ である。よって $DD=0$ である。成分をとらずに言えば、$D$ は射 $d_h$ と $d_v$ の(直和または直積の普遍性で定まる)和であり、$DD=d_h^2+(d_hd_v+d_vd_h)+d_v^2=0$ である。
$f$ が $d_h$、$d_v$ と可換なら $\operatorname{Tot}(f)$ は $D=d_h+d_v$ と可換であるから鎖写像である。$\square$
可換の流儀(rem-double-complex-sign-convention)で $D=\delta_h+(-1)^p\delta_v$ とおくのは、符号を付け替えて反可換にした二重複体の全複体をとることにほかならない。符号を付けずに $\delta_h+\delta_v$ とすると 2 乗は $2\delta_h\delta_v$ となり、一般には $0$ でない。
複体の射 $f\colon A^\bullet\to B^\bullet$ に対し、$C^{-1,q}:=A^q$、$C^{0,q}:=B^q$、他を $0$ とし、$d_h:=f$、第 $-1$ 列の $d_v:=-d_A$、第 $0$ 列の $d_v:=d_B$ とおくと、$d_hd_v+d_vd_h=-f d_A+d_Bf=0$($f$ が鎖写像であること)なので 2 列の二重複体が得られる。その全複体は $\operatorname{Tot}(C)^n=A^{n+1}\oplus B^n$、$D(a,b)=(-d_Aa,\ f a+d_Bb)$ であり、これは $f$ の写像錐にほかならない(複体)。
$C$ の転置 ${}^{t}C$ を $({}^{t}C)^{p,q}:=C^{q,p}$、横の微分を $C$ の $d_v$、縦の微分を $C$ の $d_h$ で定めると、反可換性は 2 つの微分について対称な条件なので ${}^{t}C$ も二重複体であり、その行は $C$ の列、列は $C$ の行である。$\operatorname{Tot}({}^{t}C)^n=\bigoplus_{q+p=n}C^{q,p}$ と微分 $d_v+d_h$ は $\operatorname{Tot}(C)$ のものと文字どおり同じである。したがって列について述べた主張はそのまま行についても成り立つ。以下では列について述べ、転置により行の場合を得る。
二重複体 $C$ の第 $p$ 列 $(C^{p,\bullet},d_v)$ の $q$ 次コホモロジーを $H^q_v(C)^{p}:=H^q(C^{p,\bullet},d_v)$ と書く。$d_h$ は $d_v$ と反可換なので、$d_vc=0$ なら $d_v(d_hc)=-d_h(d_vc)=0$、また $d_h(d_vy)=-d_v(d_hy)$ であり、$d_h$ は $\ker d_v$ と $\operatorname{im}d_v$ を保つ。よって $q$ を固定するごとに複体
$$
\cdots\to H^q_v(C)^{p}\xrightarrow{\ \bar d_h\ }H^q_v(C)^{p+1}\xrightarrow{\ \bar d_h\ }H^q_v(C)^{p+2}\to\cdots
$$
(縦のコホモロジーの複体)が定まる。その $p$ 次コホモロジーを $H^p_hH^q_v(C)$ と書く。行についても同様に $H^p_h(C)^{q}:=H^p(C^{\bullet,q},d_h)$ とおき、$d_v$ が誘導する複体の $q$ 次コホモロジーを $H^q_vH^p_h(C)$ と書く。
二重複体は、格子の各点に対象を置き、右向きと上向きの矢印を並べた図である。全複体は、対角線 $p+q=n$ 上の対象をまとめて 1 つの次数 $n$ とし、右と上の矢印を足したものを微分とする。同じ全複体のコホモロジーを「まず縦に、次に横に」計算するか「まず横に、次に縦に」計算するかで 2 つの近似(スペクトル系列)が生じ、それらが同じものに収束することが多くの比較定理の源になる。とくに一方の向きのコホモロジーが 1 行に集中すれば、全複体はその 1 行の複体と擬同型になり(thm-double-complex-acyclic-columns)、「縦に読んだ答え」と「横に読んだ答え」が等しいという形で、Ext関手の平衡性・Koszul複体の非輪状性・Čech–de Rham 二重複体による de Rhamの定理・超コホモロジーの計算が同じ原理から得られる。
$R$ を可換環、$(A^\bullet,d_A)$、$(B^\bullet,d_B)$ を $R$ 加群の複体とする。$C^{p,q}:=A^p\otimes_RB^q$(テンソル積)、$\delta_h:=d_A\otimes1$、$\delta_v:=1\otimes d_B$ とおくと $\delta_h\delta_v=d_A\otimes d_B=\delta_v\delta_h$ で可換な組であり、rem-double-complex-sign-convention の付け替え $d_v:=(-1)^p\,(1\otimes d_B)$ により二重複体になる。その直和全複体が複体のテンソル積 $A^\bullet\otimes_RB^\bullet$ であり、微分は
$$
D(a\otimes b)=d_Aa\otimes b+(-1)^{p}\,a\otimes d_Bb\qquad(a\in A^p,\ b\in B^q)
$$
である。$D^2=0$ は prop-double-complex-total-differential の帰結である。
とくに $x\in R$ に対し 2 項複体 $K(x)\colon 0\to R\xrightarrow{\ x\ }R\to0$(次数 $-1$ と $0$ に置く)をとり、$K(x,y):=\operatorname{Tot}(K(x)\otimes_RK(y))$ とおいたものが $x,y$ の Koszul複体 である。次数 $-1$ の生成元を $e_x$、$e_y$ と書くと、$K(x)\otimes_RK(y)$ は $C^{-1,-1}=R\,(e_x\otimes e_y)$、$C^{-1,0}=R\,(e_x\otimes1)$、$C^{0,-1}=R\,(1\otimes e_y)$、$C^{0,0}=R$ からなり、
$$
d_h(e_x\otimes e_y)=x\,(1\otimes e_y),\quad d_v(e_x\otimes e_y)=(-1)^{-1}\,e_x\otimes y=-y\,(e_x\otimes1),\quad d_v(1\otimes e_y)=y,\quad d_h(e_x\otimes1)=x
$$
である。よって $K(x,y)$ は、$R^2$ の元を $u\,(1\otimes e_y)+v\,(e_x\otimes1)$ の係数 $(u,v)$ で表すと
$$
0\to R\xrightarrow{\ r\mapsto(xr,\,-yr)\ }R^{2}\xrightarrow{\ (u,v)\mapsto yu+xv\ }R\to0
$$
(次数 $-2,-1,0$)であり、合成は $y\cdot xr+x\cdot(-yr)=0$ である。符号を付けなければ合成は $2xyr$ となり、一般には複体にならない。$n$ 個の元 $x_1,\dots,x_n$ の Koszul 複体も $K(x_1)\otimes_R\cdots\otimes_RK(x_n)$ の全複体として得られる(Wei94 §4.5)。$x$ が $R$ の非零因子で $y$ が $R/xR$ の非零因子なら $K(x,y)$ は $R/(x,y)$ の自由分解になることを cor-double-complex-koszul で示す。
$X$ を位相空間、$\mathfrak{U}=(U_i)_{i\in I}$ を $X$ の開被覆($I$ は全順序集合)、$\mathcal{F}^\bullet$ を $X$ 上のアーベル群の層の複体とする。各 $q$ に対する $\mathcal{F}^q$ の Čech 複体(Čechコホモロジー)
$$
\check C^p(\mathfrak{U},\mathcal{F}^q):=\prod_{i_0<\cdots< i_p}\mathcal{F}^q(U_{i_0}\cap\cdots\cap U_{i_p})
$$
を $C^{p,q}$ とし、横の微分を Čech の微分 $\check\delta$(制限写像の交代和)、縦の微分を各成分に $\mathcal{F}^\bullet$ の微分 $d$ を施す写像とする。$d$ は制限写像と可換なので $\check\delta d=d\check\delta$ であり、符号を付け替えて二重複体(Čech 二重複体。$q<0$ で $\mathcal{F}^q=0$ なら第 1 象限にある)が得られる。第 $q$ 行は層 $\mathcal{F}^q$ の Čech 複体、第 $p$ 列は交わり $U_{i_0\cdots i_p}:=U_{i_0}\cap\cdots\cap U_{i_p}$ 上の切断の複体 $\mathcal{F}^\bullet(U_{i_0\cdots i_p})$ の直積である。$\mathcal{F}^\bullet$ が下に有界で、各 $\mathcal{F}^q$ が有限個の $U_i$ の交わり上で高次の層コホモロジーをもたなければ、全複体のコホモロジーは $\mathcal{F}^\bullet$ の超コホモロジー $\mathbf{H}^n(X,\mathcal{F}^\bullet)$ に一致する(超コホモロジー の記事の命題「Čech 複体による計算」)。次の例はその最も古典的な場合である。
$M$ を $C^\infty$ 多様体、$\Omega^q$ を $q$ 次微分形式の層、$\mathfrak{U}$ を $M$ の良い被覆(有限個の $U_i$ の空でない交わりがすべて $\mathbb{R}^{\dim M}$ と微分同相(微分同相写像)な開被覆)とする。外微分 $d$ を微分とする de Rham 複体 $\mathcal{F}^\bullet=\Omega^\bullet$ に対する Čech 二重複体 $C^{p,q}=\check C^p(\mathfrak{U},\Omega^q)$ を Čech–de Rham 二重複体という(BT82 §8)。この二重複体を 2 通りに読むと de Rhamの定理が得られる。筋は次のとおりである。
$R$ を環、$A$、$B$ を $R$ 加群、$\cdots\to P_1\xrightarrow{\ \partial_1\ }P_0\to A\to0$ を $A$ の射影分解、$0\to B\to I^0\xrightarrow{\ d\ }I^1\to\cdots$ を $B$ の入射分解とする。$C^{p,q}:=\operatorname{Hom}_R(P_p,I^q)$($p,q\ge0$)とおき、
$$
\delta_h(f):=f\circ\partial_{p+1}\colon\operatorname{Hom}_R(P_p,I^q)\to\operatorname{Hom}_R(P_{p+1},I^q),\qquad
\delta_v(f):=d\circ f\colon\operatorname{Hom}_R(P_p,I^q)\to\operatorname{Hom}_R(P_p,I^{q+1})
$$
と定めると $\delta_h\delta_v(f)=d\circ f\circ\partial_{p+1}=\delta_v\delta_h(f)$ で可換であり、$\delta_h^2(f)=f\circ\partial_{p+1}\circ\partial_{p+2}=0$、$\delta_v^2(f)=d\circ d\circ f=0$ である。符号を付け替えて第 1 象限の二重複体が得られる。第 $q$ 行は複体 $\operatorname{Hom}_R(P_\bullet,I^q)$、第 $p$ 列は複体 $\operatorname{Hom}_R(P_p,I^\bullet)$ である。この二重複体を 2 通りに読むことで、Ext関手が射影分解からでも入射分解からでも計算できること(平衡性)が示される(thm-double-complex-balance-ext)。
$A\ne0$ をアーベル群とし、各整数 $p$ について
$$
C^{p,-p}:=A,\qquad C^{p,-p+1}:=A
$$
とおき、それ以外の $C^{p,q}$ は $0$ とする。第 $p$ 列は $C^{p,-p}\to C^{p,-p+1}$ の 2 項からなり $d_v:=\mathrm{id}_A$、第 $q$ 行は $C^{-q,q}\to C^{-q+1,q}$ の 2 項からなり $d_h:=\mathrm{id}_A$ とする。$d_h^2=0$、$d_v^2=0$ は行・列が 2 項であることから明らかで、$d_hd_v+d_vd_h$ は $C^{p,-p}$ を $C^{p+1,-p+1}=0$ に送るので $0$ である。よって $C$ は二重複体であり、すべての行と列が完全($A\xrightarrow{\ \mathrm{id}\ }A$)である。すなわち $H^q_v(C)=0$、$H^p_h(C)=0$ がすべての $p,q$ で成り立つ。$C$ は全平面に広がり、対角線 $p+q=0$ と $p+q=1$ の上に無限個の非零項をもつので、第 1 象限でも有界でもない。
全複体を計算する。非零な次数は $n=0,1$ だけで、次数 $0$ の成分を $C^{p,-p}$、次数 $1$ の成分を $C^{p,-p+1}$ の位置で添字づけると、$c=(x_p)_{p\in\mathbb{Z}}$ に対し $Dc$ の第 $p$ 成分は $d_hx_{p-1}+d_vx_p=x_{p-1}+x_p$ である。
$C$ を第 1 象限の二重複体とする。全複体 $\operatorname{Tot}(C)$ には 2 つの有界なフィルトレーション
$$
{}^{I}F^p\operatorname{Tot}(C)^n:=\bigoplus_{p'\ge p}C^{p',n-p'},\qquad {}^{II}F^q\operatorname{Tot}(C)^n:=\bigoplus_{q'\ge q}C^{n-q',q'}
$$
(列によるフィルトレーションと行によるフィルトレーション)があり、それぞれ スペクトル系列 の記事の意味で $H^{n}(\operatorname{Tot}C)$ に収束するスペクトル系列を定める。それらの初項は
$$
{}^{I}E_1^{p,q}=H^q_v(C)^{p},\qquad {}^{I}E_2^{p,q}=H^p_hH^q_v(C)\ \Rightarrow\ H^{p+q}(\operatorname{Tot}C)
$$
および
$$
{}^{II}E_1^{q,p}=H^p_h(C)^{q},\qquad {}^{II}E_2^{q,p}=H^q_vH^p_h(C)\ \Rightarrow\ H^{p+q}(\operatorname{Tot}C)
$$
で与えられる(添字の第 1 成分がフィルトレーションの次数である)。${}^{I}E_1$ の微分 $d_1$ は $d_h$ が誘導する $\bar d_h$、${}^{II}E_1$ の微分 $d_1$ は $d_v$ が誘導する写像である。より一般に、各 $n$ について $p+q=n$ なる非零項が有限個しかない二重複体(有界な二重複体など)についても同じ主張が成り立つ。
証明は Wei94 5.6.1・5.6.2 および God58 第 I 章 §4 に譲る。筋は次のとおりである。列によるフィルトレーションの次数付き商 ${}^{I}F^p/{}^{I}F^{p+1}$ は第 $p$ 列 $(C^{p,\bullet},d_v)$ を次数 $p$ だけずらしたものなので、フィルター付き複体のスペクトル系列の一般論(スペクトル系列)から $E_1^{p,q}=H^{p+q}({}^{I}F^p/{}^{I}F^{p+1})=H^q_v(C)^p$ であり、$d_1$ は短完全列 $0\to{}^{I}F^{p+1}/{}^{I}F^{p+2}\to{}^{I}F^p/{}^{I}F^{p+2}\to{}^{I}F^p/{}^{I}F^{p+1}\to0$ の連結準同型で、$D$ の残りの成分 $d_h$ が誘導する写像に一致する。よって $E_2=H_hH_v$ である。行によるものは転置(rem-double-complex-transpose)に同じ議論を施せばよい。収束は、各 $n$ でフィルトレーションが有界であること($p+q=n$ 上の非零項が有限個)から スペクトル系列 の記事の収束定理による。第 1 象限でない場合の収束条件(上半平面や右半平面の二重複体の直和全複体・直積全複体)は Wei94 §5.6 で扱われており、ex-double-complex-staircase は有界性を外すと収束が破れうることを示す。
$\mathcal{A}$ を環 $R$ 上の加群の圏とし(一般のアーベル圏については rem-double-complex-acyclic-columns-remarks を見よ)、$C$ を $\mathcal{A}$ の二重複体とする。
$\mathcal{A}$ は加群の圏なので、元をとって議論する。
thm-double-complex-acyclic-columns の 1 の仮定に加えて $H^0_v(C)=0$、すなわちすべての列が完全なら、$Z^\bullet=0$ なので $\operatorname{Tot}^\oplus(C)$ は非輪状である。超コホモロジー の記事の補題「列が完全な二重複体の全複体は非輪状」はこの特別な場合($p$ も下に有界とした形)であり、そこでは Cartan–Eilenberg分解 の全複体が入射分解になることの根拠に使われている。第 1 象限では thm-double-complex-spectral-sequences からも 1 を導ける。${}^{I}E_2^{p,q}=H^p_hH^q_v(C)$ は $q\ne0$ で $0$ なので系列は $E_2$ で退化し(スペクトル系列 の記事の退化補題)、$H^n(\operatorname{Tot}C)\cong H^n_hH^0_v(C)=H^n(Z^\bullet)$ となる。上の証明は収束の機構を使わず、$p$ について有界でない上半平面の二重複体の直和全複体についても成り立つ点でより一般的である。
一般のアーベル圏 $\mathcal{A}$ については次のとおりである。各対角線 $p+q=n$ 上の非零項が有限個なら(第 1 象限・第 4 象限・有界の場合)、上の証明に現れる対象と射は有限個の直和からなる小さな部分圏に収まるので、Freyd–Mitchellの埋め込み定理(Wei94 1.6.1)により元をとる議論が正当化され、定理の 1・2 は $\operatorname{Tot}(C)$ について成り立つ。対角線上に無限個の非零項がある場合の直和・直積全複体については Wei94 §2.7 の非輪状組立補題を参照せよ。その証明も上と同じく、成分を帰納的に構成する元をとる議論による。
$R$ を可換環、$x,y\in R$ とし、$x$ が $R$ の非零因子、$y$ が $R/xR$ の非零因子であるとする($(x,y)\ne R$ なら $x,y$ は $R$ の正則列である)。このとき ex-double-complex-tensor の Koszul 複体 $K(x,y)$ は次数 $0$ を除いて非輪状で、$H^0(K(x,y))\cong R/(x,y)$ である。すなわち $K(x,y)$ は $R/(x,y)$ の自由分解である。
二重複体 $C=K(x)\otimes_RK(y)$ は $p,q\in\{-1,0\}$ の範囲にあり有界である。第 $q$ 行は $K(x)\otimes_RK(y)^q=K(x)\otimes_RR\cong K(x)$、すなわち $R\xrightarrow{\ x\ }R$ であり、$x$ が非零因子なので $H^{-1}_h(C)^q=\ker(x)=0$、$H^0_h(C)^q=R/xR$ である($q=-1,0$)。転置 ${}^{t}C$ は $q>0$ で $0$ で、その列($C$ の行)は $0$ 次以外で非輪状なので、thm-double-complex-acyclic-columns の 2 により $\operatorname{Tot}(C)=K(x,y)$ は余核の複体 $Q^\bullet=H^0_h(C)$、すなわち $d_v$ が誘導する複体
$$
0\to R/xR\xrightarrow{\ \bar y\ }R/xR\to0
$$
(次数 $-1,0$。$C^{0,-1}\to C^{0,0}$ の $d_v$ は $y$ 倍である)と擬同型である。$y$ が $R/xR$ の非零因子なので $\bar y$ は単射であり、この複体のコホモロジーは次数 $0$ の $(R/xR)/y(R/xR)\cong R/(x,y)$ だけである。$\square$
$R$ を環、$A$、$B$ を $R$ 加群、$P_\bullet\to A$ を射影分解、$B\to I^\bullet$ を入射分解とする。すべての $n\ge0$ について
$$
H^n\bigl(\operatorname{Hom}_R(P_\bullet,B)\bigr)\cong H^n\bigl(\operatorname{Hom}_R(A,I^\bullet)\bigr)
$$
が成り立つ。左辺は反変関手 $\operatorname{Hom}_R(-,B)$ の右導来関手を $A$ で評価したもの、右辺は $\operatorname{Hom}_R(A,-)$ の右導来関手を $B$ で評価したものであり、どちらも $\operatorname{Ext}^n_R(A,B)$ を与える。
ex-double-complex-hom の第 1 象限の二重複体 $C^{p,q}=\operatorname{Hom}_R(P_p,I^q)$ を 2 通りに読む。
列を読む。第 $p$ 列は $\operatorname{Hom}_R(P_p,I^\bullet)$(微分は $\pm d\circ$。符号はコホモロジーを変えない)である。$P_p$ は射影加群なので $\operatorname{Hom}_R(P_p,-)$ は完全関手であり、完全列 $0\to B\to I^0\to I^1\to\cdots$ に施した列 $0\to\operatorname{Hom}_R(P_p,B)\to\operatorname{Hom}_R(P_p,I^0)\to\operatorname{Hom}_R(P_p,I^1)\to\cdots$ も完全である。したがって $H^q_v(C)^p=0$($q>0$)であり、$Z^p=\ker(\operatorname{Hom}_R(P_p,I^0)\to\operatorname{Hom}_R(P_p,I^1))=\operatorname{Hom}_R(P_p,B)$ である($B\to I^0$ による埋め込み)。$Z^\bullet$ の微分は $d_h$、すなわち $f\mapsto f\circ\partial_{p+1}$ であるから、$(Z^\bullet,d_h)$ は複体 $\operatorname{Hom}_R(P_\bullet,B)$ である。thm-double-complex-acyclic-columns の 1 により $H^n(\operatorname{Tot}C)\cong H^n(\operatorname{Hom}_R(P_\bullet,B))$ である。
行を読む。第 $q$ 行は $\operatorname{Hom}_R(P_\bullet,I^q)$ である。$I^q$ は入射加群なので反変関手 $\operatorname{Hom}_R(-,I^q)$ は完全であり、完全列 $\cdots\to P_1\to P_0\to A\to0$ に施した列 $0\to\operatorname{Hom}_R(A,I^q)\to\operatorname{Hom}_R(P_0,I^q)\to\operatorname{Hom}_R(P_1,I^q)\to\cdots$ は完全である。したがって $H^p_h(C)^q=0$($p>0$)で、$H^0_h(C)^q=\ker(\operatorname{Hom}_R(P_0,I^q)\to\operatorname{Hom}_R(P_1,I^q))=\operatorname{Hom}_R(A,I^q)$ である。転置と thm-double-complex-acyclic-columns の 1 により $\operatorname{Tot}(C)$ は $d_v$ が誘導する複体 $\operatorname{Hom}_R(A,I^\bullet)$(微分は $f\mapsto\pm d\circ f$)と擬同型であり、$H^n(\operatorname{Tot}C)\cong H^n(\operatorname{Hom}_R(A,I^\bullet))$ である。
2 つを合わせて主張を得る。$\square$
thm-double-complex-balance-ext は Wei94 2.7.6 の定理であり、同じ論法は $A$、$B$ の射影分解のテンソル積 $P_\bullet\otimes_RQ_\bullet$ に適用できて、Tor関手が左右どちらの変数の分解からでも計算できることを与える(Wei94 2.7.2)。下に有界な層の複体 $K^\bullet$ の超コホモロジーは、Cartan–Eilenberg 分解 $I^{\bullet,\bullet}$ の大域切断からなる二重複体 $\Gamma(X,I^{\bullet,\bullet})$ の全複体のコホモロジーであり、thm-double-complex-spectral-sequences の 2 つの系列が、それぞれ $E_1^{p,q}=H^q(X,K^p)$ と $E_2^{p,q}=H^p(X,\mathcal{H}^q(K^\bullet))$ から出発する超コホモロジーの 2 つのスペクトル系列である(超コホモロジー、Wei94 §5.7)。$K^\bullet$ が代数多様体の de Rham 複体のとき、前者が Hodge–de Rhamスペクトル系列 である(de Rhamコホモロジー)。
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