豊穣圏(enriched category)とは、射の集まりを基礎となるモノイダル圏の対象として持ち、その構造を保って合成する圏である。通常の圏・環・前順序・単体的圏を例に、∞圏との接続を説明する。
通常の圏では二対象の間の射を集合として持つ。しかし射に加法・位相・単体的構造があるとき、その構造まで含めて圏を扱いたい。豊穣圏では射集合を、あらかじめ選んだ基礎圏(モノイダル圏)の対象に置き換える。通常の圏と関手、集合の直積を前提とする。
モノイダル圏 $(\mathcal V,\otimes,I)$ は、圏 $\mathcal V$、二変数関手 $\otimes$、単位対象 $I$、結合と左右の単位の自然同型を持つ。結合同型は五角形、単位同型は三角形の整合条件を満たす。以下ではこれらの同型による括弧の変更を省略して書く。
ここでは 右閉を、各 $U$ について $-\otimes U$ に右随伴関手 $[U,-]$ があることとする。対称とは因子を交換する自然同型が適切な整合条件を満たすことであり、対称な場合には右閉性と左閉性が一致する。以下の「対称モノイダル閉圏」ではこの閉性を使う。豊穣圏そのものの定義には閉性・対称性・完備性は不要だが、反対圏や自然変換対象を一括して扱う際には追加仮定として使う。
局所小圏であるモノイダル圏 $\mathcal V$ に対する$\mathcal V$-豊穣圏($\mathcal V$-enriched category)$\mathcal A$ は、対象の集まり、各二対象に対するHom対象 $\mathcal A(x,y)\in\mathcal V$、合成と単位
$$
m_{x,y,z}:\mathcal A(y,z)\otimes\mathcal A(x,y)\to\mathcal A(x,z),
\qquad j_x:I\to\mathcal A(x,x)
$$
からなる。合成は
$$m(m\otimes1)=m(1\otimes m)$$
を結合同型の下で満たし、$m(j_y\otimes1)$ と $m(1\otimes j_x)$ は左右の単位同型に一致する。対象が小さい集合をなすとき小さい豊穣圏という。
定義は Kel82 §§1.1–1.2 による。小ささとHom対象を置く宇宙を区別する。一般にHom対象を「その元の集合」だけで置き換えると構造を失う。
豊穣化は、射の型を変えながら「射を合成する」形式を保つ操作である。集合では射を選ぶだけだが、アーベル群では射を足せ、単体的集合では射の変形も記録できる。
ただし、Homに構造を付けるだけでは足りない。合成が $\mathcal V$ の射であること、すなわちその構造を保つことが必要である。また豊穣圏一般が∞圏なのではない。どの構造をHomに持たせ、どの同値を採用するかで理論が変わる。
$\mathcal V=\mathbf{Set}$、$\otimes=\times$、$I=*$ なら、$m$ は通常の合成写像、$j_x$ は恒等射の指定となる。従って集合による豊穣圏は局所小な通常の圏に一致する。
$\mathcal V=([0,\infty],\ge,+,0)$ とする。すなわち対象は $[0,\infty]$ の元、射 $r\to s$ は $r\ge s$ のときにただ一つ存在し、テンソルは加法 $+$、単位対象は $0$ である。この $\mathcal V$ 上の豊穣圏 $\mathcal A$ は、対象の集合 $X$ と各対に対する値 $d(x,y)=\mathcal A(x,y)\in[0,\infty]$ からなる。合成 $d(y,z)+d(x,y)\to d(x,z)$ の存在は三角不等式 $d(x,z)\le d(x,y)+d(y,z)$ を、単位 $0\to d(x,x)$ の存在は $d(x,x)=0$ を意味し、結合律・単位律は射の一意性から自動的に成り立つ。従って $\mathcal V$-豊穣圏は、対称性 $d(x,y)=d(y,x)$、分離性($d(x,y)=0$ なら $x=y$)、有限性を要求しない一般化距離空間(Lawvere距離空間)に他ならない。この場合の豊穣関手は、距離を増やさない写像、すなわち $d(fx,fy)\le d(x,y)$ を満たす写像である。
一対象の通常の圏としてモノイド $(\mathbb Z,+)$ を考える。Hom集合には整数の加法群構造があるが、合成を加算 $a\circ b=a+b$ としたままでは双加法的でない。例えば $a\circ(b+b')=a+b+b'$ と $(a\circ b)+(a\circ b')=2a+b+b'$ は一般に異なる。この指定は $\mathbf{Ab}$-豊穣圏を与えない。
$\mathcal A$ から、対象を共有し
$$\operatorname{Hom}_{\mathcal A_0}(x,y)=\operatorname{Hom}_{\mathcal V}(I,\mathcal A(x,y))$$
とする通常の圏 $\mathcal A_0$ が得られる。Kel82 §1.3。
$f:I\to\mathcal A(x,y)$ と $g:I\to\mathcal A(y,z)$ の合成を
$$I\cong I\otimes I\xrightarrow{g\otimes f}\mathcal A(y,z)\otimes\mathcal A(x,y)\xrightarrow m\mathcal A(x,z)$$
と定める。三つの射についての結合律は豊穣合成の結合律から、$j_x$ が恒等射になることは単位律から従う。
対象を一つだけ持つ $\mathbf{Ab}$-豊穣圏を与えることと、単位的環 $R$ を与えることは同じである。対応は、唯一のHom対象を $R$ の加法群、合成 $m:R\otimes_{\mathbb Z}R\to R$ を乗法、単位 $j:\mathbb Z\to R$ を $1\mapsto1_R$ とするものである。
$m:R\otimes_{\mathbb Z}R\to R$ は双加法写像 $(r,s)\mapsto rs$ と同じである。豊穣圏の結合律は $(rs)t=r(st)$、$j:\mathbb Z\to R$ による $j(1)$ の単位律は $1_Rr=r=r1_R$ になる。逆に単位的環の乗法と単位を用いればすべての豊穣圏の公理が成立する。
単体的圏 $\mathcal A$ の各HomがKan複体であるとき、局所Kanという。Kan複体はすべてのホーンを充填できる単体的集合であり、ホモトピー型を表示する。この条件の下でホモトピー整合的脈体 $N_{\mathrm{hc}}\mathcal A$ は準圏を与える。準圏のホーン条件は内部ホーンだけなので、HomのKan条件と混同しない。HTT09 §1.1.5。
ここで脈体は、単に通常の台圏 $\mathcal A_0$ の脈体を取る操作ではない。$n$-単体を、合成のすべての整合性を持つ標準単体の単体的豊穣表示から $\mathcal A$ への豊穣関手として定義する。
単体的モデル圏ではcofibrant–fibrant対象の充満部分圏を使う。元の圏に単体的Homがない場合は、弱同値を指定して単体的局所化・ハンモック局所化を作り、必要なら局所Kanな表示へ置換する。比較ではHomの弱同値とホモトピー圏の本質的全射性を満たすDK同値を用いる。HTT09 §§2.2.4–2.2.5、Rie20 §6。
DG圏やスペクトルによる豊穣化も重要だが、それぞれの構造から適切な表示を作る工程が必要である。安定∞圏との比較では、単なるHom集合への忘却で失われる高次情報を保持する。
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