素イデアル回避補題(prime avoidance lemma)とは、可換環のイデアル $J$ が有限個の素イデアルの和集合 $\mathfrak p_1\cup\cdots\cup\mathfrak p_n$ に含まれるなら、ある $\mathfrak p_i$ に含まれるという定理であり、言い換えればどの $\mathfrak p_i$ にも含まれない $J$ からは全てを同時に避ける元が選べる。環のNoether性や無限剰余体は不要で、避ける側のうち二つまでは素でない任意のイデアルでもよいが、三つの非素イデアルや無限個の素イデアルでは成り立たない。Noether環上の有限加群では、イデアルが全ての随伴素イデアルを避けることと、その中に非零因子があることが同値になる。Noether局所環では次元を少なくとも一つ下げる元の選択にも用いられ、正則列やパラメータを選ぶ際の基本的な道具である。
有限個の素イデアルのそれぞれを避ける元を、一つのイデアルの中から同時に選びたいことがある。各素イデアルごとに避ける元を選べても、その和が全てを避けるとは限らない。素イデアル回避補題は、この選択を有限族について可能にする。局所環の正則列やパラメータの選択では、候補を極大イデアルに制限したまま、有限個の悪い素を避けるために用いる。
本記事の定理は環を Noether と仮定しない。有限なのは避けるイデアルの族であり、係数体や剰余体が無限であることも必要ない。有限体上で一般のベクトル空間が有限個の真部分空間の和集合になることとは矛盾しない。その違いは、避ける対象が素イデアルであるという積の条件にある。
環は可換単位環とする。記号 $\bigcup_i\mathfrak p_i$ は集合の和集合であり、イデアルの和 $\sum_i\mathfrak p_i$ ではない。この区別が定理の出発点である。
$J$ を環 $A$ のイデアル、$\mathfrak p_1,\ldots,\mathfrak p_n$ を有限個の素イデアルとする。$J\subset\bigcup_{i=1}^n\mathfrak p_i$ なら、ある $i$ について $J\subset\mathfrak p_i$ である。
同値な形では、$J$ がどの $\mathfrak p_i$ にも含まれないなら、全ての $\mathfrak p_i$ を避ける $x\in J$ が存在する。
対偶の形を示す。避ける素のうち、ある別の素に含まれるものは除いてよい。大きい方を避ければ小さい方も避けるからである。重複も除く。有限族なので、残った素は互いに包含されないものとできる。
各 $i$ について $z_i\in J\setminus\mathfrak p_i$ を選ぶ。さらに $j\ne i$ について $t_{ji}\in\mathfrak p_j\setminus\mathfrak p_i$ を選ぶ。後者は非包含性により存在する。次の元を作る。
$$
y_i=z_i\prod_{j\ne i}t_{ji},\qquad x=\sum_i y_i.
$$
全ての $y_i$ は $z_i\in J$ の倍数なので $J$ に入る。$\mathfrak p_i$ は素であり、$y_i$ の各因子がその外にあるので $y_i\notin\mathfrak p_i$ である。一方、$j\ne i$ に対して $y_i$ は因子 $t_{ji}\in\mathfrak p_j$ を含むので $y_i\in\mathfrak p_j$ である。
固定した $i$ について、和 $x$ の $y_i$ 以外の全項は $\mathfrak p_i$ に入り、$y_i$ だけは入らない。もし $x\in\mathfrak p_i$ なら、他の項の和を引いて $y_i\in\mathfrak p_i$ となり矛盾する。従って $x$ は全ての素を避ける。
族が一つなら積を空積 $1$ として同じ式が成り立つ。空族の和集合は空集合であるが、イデアルは $0$ を含むので $J\subset\emptyset$ は起こらない。対偶では空族を避ける条件は何もなく、例えば $x=0\in J$ を選べる。
この証明は、無限の係数体の中で係数を「一般の位置」に選ぶ方法を使っていない。必要な元を有限個取った後は、積と和だけで一つの候補を構成している。素性を用いるのは、各因子が素の外なら積も外になる、という一箇所である。有限個の全てを避けられる理由が、この計算に現れている。MatCRT §13。
$J$ 自体が素である必要はない。例えば $A=\mathbf Z$、$J=(6)$、避ける素が $(5),(7)$ なら、どちらにも含まれないので一つの元で避けられる。この場合は $6$ 自身が既に候補である。逆に避ける素に $(2)$ を入れれば $J\subset(2)$ となり、全てを避ける元はない。定理は、イデアルに元が多くあれば無条件に避けられるという主張ではない。
避ける対象の全てが素でなくても、二つまでなら任意のイデアルを許せる。三つ全てを任意にすることは後の反例で失敗する。
$J,I_1,\ldots,I_n$ を $A$ のイデアルとする。$n\ge3$ のときは $I_3,\ldots,I_n$ が素であると仮定し、$I_1,I_2$ は任意のイデアルとする。$n\le2$ のとき素性は一切要求しない。この条件の下で $J\subset\bigcup_i I_i$ なら、ある $i$ について $J\subset I_i$ である。
再び $J$ が各 $I_i$ に含まれない場合に、全てを避ける元を作る。包含されるイデアルや重複を除けば、族の中の任意二つは互いに包含されない。残った族でも、非素として許されるものは高々二つである。必要ならそれらを最初に置く。
$n=1$ は仮定そのものである。$n=2$ では $a\in J\setminus I_1$ を選ぶ。$a\notin I_2$ なら完了する。そうでなければ $a\in I_2$ である。$b\in J\setminus I_2$ を選び、$b\notin I_1$ なら $b$ が候補になる。残る場合は $b\in I_1$ である。このとき $a+b$ は $I_1$ に入れば $a$ も入り、$I_2$ に入れば $b$ も入るので、双方を避ける。この二つの場合の計算は、環でなく加法群の部分群についても成立する。
$n\ge3$ とし、最後の $I_n$ を素にする。帰納法により $x\in J$ で $I_1,\ldots,I_{n-1}$ を全て避けるものがある。$x\notin I_n$ なら完了するので、$x\in I_n$ とする。
$y\in J\setminus I_n$ を取り、非包含性から各 $j< n$ について $z_j\in I_j\setminus I_n$ を取る。$w=y\prod_{j< n}z_j$ は $J$ に入り、各 $I_j$、$j< n$ にも入る。一方 $I_n$ の素性により $w\notin I_n$ である。従って $x+w$ は、$j< n$ では $x$ が外で $w$ が中、$j=n$ では $x$ が中で $w$ が外なので、全ての $I_j$ を避ける。帰納が完了する。
「最初の二つ」という表現は添字の特別な順序に意味があるというより、任意のイデアルとして許されるものが高々二つという意味である。最初の二つも素なら通常の版になる。また任意イデアルが全環なら、どの $J$ もそのイデアルに含まれるので結論は直接成立する。非包含化した対偶の証明では、その場合はそもそも扱う必要がない。
この拡張版を用いるときも、族が有限であることは保持する。積 $\prod_{j< n}z_j$ は有限積であり、無限個のイデアルを同時に入れる無限積を環の元として使うことはできない。
$A=\mathbf F_2[u,v]/(u^2,uv,v^2)$ とし、$J=(u,v)$、$I_1=(u)$、$I_2=(v)$、$I_3=(u+v)$ とする。このとき $J=I_1\cup I_2\cup I_3$ だが、$J$ はどの $I_i$ にも含まれない。
商環の全元は一意に $a+bu+cv$、$a,b,c\in\mathbf F_2$ と書ける。$J$ 内の元は $0,u,v,u+v$ の四つである。$J^2=0$ なので $I_1=\{0,u\}$、$I_2=\{0,v\}$、$I_3=\{0,u+v\}$ はいずれもイデアルであり、その和集合はちょうど $J$ となる。各々は二元しか持たないので、四元の $J$ を含まない。
どの $I_i$ も素でないことを確かめる。$A/I_1$ には非零元 $v$ が残り $v^2=0$、$A/I_2$ には非零元 $u$ が残り $u^2=0$ である。$A/I_3$ では $v=u$ だが $u\ne0$、$u^2=0$ となる。いずれの商も整域でない。従ってこの例は素条件を外した場合の反例であり、通常の素回避定理とは矛盾しない。環は有限で Noether であるため、Noether 性を加えても素性の代わりにはならない。
また $J$ は素である。$A/J\cong\mathbf F_2$ だからである。避ける側のイデアルの素性が重要であり、候補を選ぶ $J$ の素性を代わりに仮定しても救えないことも、この例で確認できる。
任意の体 $k$ について $A=k[x,y]$、$J=(x,y)$ とする。原点で零になる全ての既約多項式 $q$ に対する素イデアル $(q)$ を集めると
$$
J\subset\bigcup_{q(0,0)=0\atop q\text{ 既約}}(q)
$$
である。しかし $J$ はどの $(q)$ にも含まれない。
非零 $f\in J$ は多項式環の一意分解により既約多項式の積に分解できる。$f(0,0)=0$ なので、体 $k$ での積の評価から少なくとも一つの因子 $q$ が原点で零になる。その因子は $f$ を割るので $f\in(q)$ である。零元も全てのイデアルに入るため、所望の包含を得る。
ここで $k[x,y]$ が一意分解整域で、既約元が素元であるという基礎事実を使っている。これは体上の一変数環の Euclid 除法と、原始多項式の積が原始となる Gauss の補題をもう一度適用して得られる。従って $(q)$ は実際に素イデアルである。単なる「既約曲線」という言葉から素性を先取りしているわけではない。
もし $J\subset(q)$ なら $q$ は $x$ と $y$ の両方を割る。$x$ を割る非単元の既約 $q$ は $x$ と同伴だが、$x$ は $y$ を割らない。従って不可能である。この族は無限である。仮に有限なら既に証明した有限回避定理から矛盾する。例は任意の体で成立し、有限体上でも同じである。無限族を避けるには、有限回避とは別の条件が必要になる。
和集合とイデアルの和の取り違えも、簡単な反例になる。$\mathbf Z$ では $(2)+(3)=\mathbf Z$ なので、$J=\mathbf Z$ はその和に含まれるが、$(2)$ にも $(3)$ にも含まれない。一方 $(2)\cup(3)$ は例えば $1$ を含まず、全環ではない。有限回避の仮定をイデアルの和へ置き換えることはできない。
次の適用では Noether 性と有限生成性が必要になる。これらは回避定理自身の仮定ではなく、避ける素のリストを有限にするための仮定である。
$A$ は Noether、$M\ne0$ は有限 $A$ 加群とする。イデアル $J$ の中に $M$ 上非零因子が存在することと、$J$ が $M$ のどの随伴素イデアルにも含まれないことは同値である。
随伴素の集合 $\operatorname{Ass}_A(M)$ は有限であり、$M$ 上の零因子集合はその素の和集合である。この二つの事実は、非零元の極大零化イデアルが素になる計算と、有限素因子列から得られる。これらの証明は 随伴素イデアル の記事にある。
$J$ が全ての随伴素を避けるなら、有限回避定理により一つの $x\in J$ がその和集合を避ける。零因子の判定から $x:M\to M$ は単射である。逆に $J$ がある随伴素に含まれれば、$J$ の全元はその素に入り、全て零因子となる。非零因子は選べない。
$(A,\mathfrak m)$ が局所なら、$\mathfrak m$ の中に非零因子を選べる条件は $\mathfrak m\notin\operatorname{Ass}(M)$ である。全ての素は極大イデアルに含まれるので、$\mathfrak m$ が随伴素のどれかに含まれることは、その素が $\mathfrak m$ と等しいことだからである。
次の元を選ぶ際は、元の $M$ の随伴素をもう一度避けるだけでは不十分である。最初に $x_1$ を選んだ後は $M/x_1M$ の随伴素を避けなければならない。局所環で $x_1\in\mathfrak m$、$M$ 有限非零なら、Nakayama の補題によりこの商は非零である。以降も各段階の商が有限であること、極大イデアルがその随伴素でないことを確認して次の元を選ぶ。この条件が毎段階成り立つ場合に正則列の選択を続けられる。
非零因子を選ぶ問題と、支持の次元を落とす問題は関連するが同じではない。次元を落とすだけなら、全ての随伴素ではなく最大次元の成分の極小素を避ければよい。埋込随伴素が残る場合、選ばれた元は零因子になることもある。
$(A,\mathfrak m)$ は Noether 局所環、$M$ は非零有限加群で $0< d=\dim M<\infty$ とする。このとき $x\in\mathfrak m$ を選んで $M/xM\ne0$、$\dim(M/xM)\le d-1$ とできる。
支持の極小素は有限個であり、支持はそれらの $V(\mathfrak p_i)$ の和である。これは有限素因子列から得られる支持の有限成分分解でもある。そのうち $\dim A/\mathfrak p_i=d$ となるものを選ぶ。それらは極大イデアルではない。極大イデアルの商は体で次元零だからである。従って $\mathfrak m$ はどの選ばれた素にも含まれない。有限回避定理により $x\in\mathfrak m$ がそれらを全て避ける。
有限加群を局所化して Nakayama を使えば
$$
\operatorname{Supp}(M/xM)=\operatorname{Supp}(M)\cap V(x)
$$
となる。実際 $x\notin\mathfrak q$ なら局所化後単元なので商は零、$x\in\mathfrak q$ なら非零有限局所加群の商は Nakayama により非零である。
右辺の点 $\mathfrak q$ の下に支持の極小素 $\mathfrak p_i$ を取る。対応する成分の次元が $d$ 未満なら、$\mathfrak q$ から上への鎖の長さも $d-1$ 以下である。成分の次元が $d$ なら $x\notin\mathfrak p_i$ だが $x\in\mathfrak q$ なので $\mathfrak p_i\subsetneq\mathfrak q$ である。$\mathfrak q$ から上への任意の鎖に、この素を下へ付け加えられるため、その鎖の長さも $d-1$ 以下となる。従って商の支持の次元は高々 $d-1$ である。$x\in\mathfrak m$ と $M\ne0$ から、再び Nakayama によって商そのものは非零である。
この命題は次元零では適用しない。次元零の非零有限局所加群では支持は閉点だけとなり、パラメータ選択のためにさらに次元を下げる必要はない。また $x$ によって次元が少なくとも一つ下がるという上の結論と、$x$ が非零因子であるという結論は別である。
例えば $A=k[x,y]_{(x,y)}/(x^2,xy)$ では、最大次元の成分の極小素は $(x)$、埋込随伴素は $(x,y)$ である。$y$ は極小素 $(x)$ を避け、$A/yA\cong k[x]_{(x)}/(x^2)$ は次元零になる。しかし $yx=0$、$x\ne0$ なので $y$ は零因子である。次元降下のための回避条件だけから正則元を得たと推論できないことを、全ての積の計算で確認できる。
$A=k[x,y]$、$J=(x,y)$、$\mathfrak p_1=(x)$、$\mathfrak p_2=(y)$ とする。最初の証明で $z_1=y$、$z_2=x$、$t_{21}=y$、$t_{12}=x$ と選ぶと、候補は $y^2+x^2$ となる。$(x)$ で割った商 $k[y]$ には $y^2$ が残り、$(y)$ で割った商 $k[x]$ には $x^2$ が残るので、両方を避ける。標数 $2$ でも同じ検査が有効である。和が平方になることは、この二つの素へ属するかという問題を変えない。
各素を避ける元をただ足す方法なら、悪い選択で相殺し得る。しかし上の式は固定した素で一つの項だけを外に置き、他の項を全て中に置くため、その種の相殺を防いでいる。単なる「十分一般的な元がある」という説明を、商への射影で一つずつ確認できる形にしたものである。
有限個の素の和集合がそれ自体イデアルになる場合にも、回避が使える。その和集合を $J$ と置けば $J\subset\bigcup_i\mathfrak p_i$ は自明であり、定理から $J\subset\mathfrak p_i$ となる。他方 $\mathfrak p_i\subset J$ なので $J=\mathfrak p_i$ である。従って有限素族の和集合がイデアルになるのは、一つの素が他の全てを含む場合に限る。この結論も有限族についてのものであり、無限族には同じ推論を適用できない。
有限回避は、イデアルから有限族の悪い素を避ける操作である。環が非 Noether でも有限族が既に与えられていれば使えるが、随伴素の有限性や支持の成分の有限性は別に必要な事実である。族が無限なら、各々について避ける元が存在しても全てを同時に避けられるとは限らない。
また回避で得られる元は、指定したイデアルに属することと、指定した素に属さないことだけを保証する。他の生成条件、剰余の指定、単元性や代数独立性が自動的に付くわけではない。それらを必要とするなら、候補イデアルや避ける素のリストがその目的を実際に表すかを確認する。局所環で極大イデアル内に選ぶ操作は、単元を選ぶ操作とは逆である。
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