Poincaréの再帰定理(Poincaré recurrence theorem)とは、全体の測度が有限な測度空間の上で測度を保つ変換 $T$ について、可測集合 $A$ のほとんどすべての点が $T$ の反復で $A$ に無限回戻るという定理である。証明は、$A$ に戻らない点の集合の逆像 $T^{-n}E$ が互いに交わらず測度が等しいことだけによる。第 2 可算な空間では、ほとんどすべての点が自分のいくらでも近くに戻る。確率を保つエルゴード的な変換では、$A$ に初めて戻るまでの時間の $A$ の上の平均が $1/P(A)$ に等しい(Kac の補題)。
前提知識: 測度, Lebesgue積分, エルゴード定理
Poincaréの再帰定理(Poincaré recurrence theorem)は、全体の測度が有限な空間の上で測度を保つ変換を繰り返すと、ある集合 $A$ から出発したほとんどすべての点が $A$ に無限回戻ってくる、と述べる定理である。たとえば体積を保つ規則で状態が移り変わる系では、ほとんどすべての初期状態が、いつかは初期状態のいくらでも近くに戻ってくる。証明に使うのは「測度が有限な空間に、測度の等しい互いに交わらない集合を無限個詰め込むことはできない」という、鳩の巣原理 の測度版だけである。変換の可逆性も、関数の可積分性も、エルゴード性も使わない。
戻ってくることが分かると、次に「どれくらい待てば戻るか」が問題になる。確率空間の上のエルゴード的な変換では、$A$ から出発して $A$ に初めて戻るまでの時間の平均は、ちょうど $1/P(A)$ である。これを Kac の補題 という。小さい集合ほど戻るまでに長く待つが、その待ち時間と集合の大きさの積は常に $1$ になる。
この記事では、測度を保つ変換の再帰の定理を証明し、その系として、測度が正の集合が自分自身と何度でも交わること、戻る時刻の上界つきの形、第 2 可算な空間でほとんどすべての点が自分自身の近くに戻ることを示す。後半では初めて戻る時刻を定義し、Kac の補題と、初めて戻る時刻で作った変換が確率を保つことを証明する。条件を外すと結論が成り立たない例も表にまとめる。
以下、$(X,\mathcal B,\mu)$ を測度空間とし、$\mu(X)< \infty$ とする。
$\mu$ が確率測度のとき、1 は エルゴード定理 の定義「測度を保つ変換」と同じである。$T$ が $\mu$ を保てば、帰納法により $\mu(T^{-n}B)=\mu(B)$($n\ge0$)であり、$T^k$($k\ge1$)も $\mu$ を保つ。$T$ が全単射である必要はない。たとえば区間 $[0,1)$ 上の 2 倍写像 $D(x):=2x-\lfloor 2x\rfloor$ は 2 対 1 の写像だが、区間 $[a,b)$ の逆像は長さ $\frac{b-a}2$ の区間 2 つなので、Lebesgue測度 $\lambda$ を保つ(区間で成り立てば、それらの生成する σ-代数の上で成り立つ)。
「戻る」は点ごとの性質である。$A$ に戻らない点の全体
$$
E:=\{x\in A\mid \text{すべての } n\ge1 \text{ について } T^nx\notin A\}=A\setminus\bigcup_{n\ge1}T^{-n}A
$$
は可測集合で、次の定理はこれが測度 $0$ であることを述べる。
$\mu(X)< \infty$ とし、$T\colon X\to X$ が $\mu$ を保つとする。$A\in\mathcal B$ について、次が成り立つ。
1。 $0\le i< j$ について $T^{-i}E\cap T^{-j}E=\emptyset$ を示す。$x$ が両方に属するとすると、$y:=T^ix\in E$ であり、$T^{j-i}y=T^jx\in E\subset A$ である。$j-i\ge1$ なので、これは $y\in E$($y$ は $A$ に戻らない)に反する。
$T$ は $\mu$ を保つので $\mu(T^{-i}E)=\mu(E)$ である。よってすべての $N\ge0$ について
$$
(N+1)\,\mu(E)=\sum_{i=0}^N\mu(T^{-i}E)=\mu\Bigl(\bigcup_{i=0}^NT^{-i}E\Bigr)\le\mu(X)< \infty
$$
であり、$N\to\infty$ として $\mu(E)=0$ を得る。
2。 $k\ge1$ について $F_k:=\{x\in A\mid n\ge k \text{ ならば } T^nx\notin A\}$ とおく。$A$ に有限回しか戻らない $A$ の点の全体は $\bigcup_{k\ge1}F_k$ である。$x\in F_k$ なら、$n\ge1$ について $kn\ge k$ なので $(T^k)^nx=T^{kn}x\notin A$ であり、$x$ は $T^k$ について $A$ に戻らない。$T^k$ も $\mu$ を保つので、1 を $T^k$ に使うと $\mu(F_k)=0$ である。可算個の和集合も測度 $0$ なので、2 が成り立つ。$\square$
証明の 1 は、互いに交わらない集合 $E,T^{-1}E,T^{-2}E,\dots$ がすべて同じ測度をもつことだけを使っている。全体の測度が有限なので、その共通の測度は $0$ でなければならない。この「測度の鳩の巣原理」が再帰定理のすべてである。
点の言葉を集合の言葉に言い換えると、測度が正の集合は、変換で動かしたあとの自分自身と何度でも測度が正の部分で交わる。
$\mu(X)< \infty$ とし、$T$ が $\mu$ を保つとする。$\mu(A)>0$ なら、$\mu(A\cap T^{-n}A)>0$ となる $n\ge1$ が無限個ある。
そのような $n$ が有限個しかないとすると、ある $n_0$ があって、$n\ge n_0$ ならすべて $\mu(A\cap T^{-n}A)=0$ である。可算個の和集合 $\bigcup_{n\ge n_0}(A\cap T^{-n}A)$ も測度 $0$ なので、$\mu$-ほとんどすべての $x\in A$ について、$n\ge n_0$ ならば $T^nx\notin A$ となる。これは $\mu(A)>0$ と thm-prc-main の 2 に反する。$\square$
確率空間では、戻る時刻をどこまで探せばよいかも上から抑えられる。
$(X,\mathcal B,\mu)$ を確率空間とし、$T$ が $\mu$ を保つとする。$A\in\mathcal B$、$a:=\mu(A)>0$ とし、$K$ を $2/a$ 以上の最小の整数とする。このとき、$1\le n\le K$ となるある $n$ について
$$
\mu(A\cap T^{-n}A)\ge\frac{2}{K(K+1)}>\frac{a^2}{6}
$$
である。
要点:$A,T^{-1}A,\dots,T^{-K}A$ の測度の和が $1$ を超えるので、どこかで重なりが大きい。
$E_i:=T^{-i}A$($0\le i\le K$)とおく。各点 $x$ が属する $E_i$ の個数を $m$ とすると、$\mathbf 1_{\bigcup_iE_i}(x)\ge m-\frac{m(m-1)}2$ である。実際 $m=0$ なら両辺 $0$、$m\ge1$ なら左辺は $1$ で、右辺 $\frac{m(3-m)}2$ は整数 $m\ge1$ で $1$ 以下である($m=1,2$ で $1$、$m\ge3$ で $0$ 以下)。右辺は $\sum_i\mathbf 1_{E_i}-\sum_{i< j}\mathbf 1_{E_i\cap E_j}$ に等しいので、積分して
$\displaystyle 1\ge\mu\Bigl(\bigcup_iE_i\Bigr)\ge\sum_{i=0}^K\mu(E_i)-\sum_{0\le i< j\le K}\mu(E_i\cap E_j)$
を得る(包除原理 の最初の 2 項で下から抑える形である)。$\mu(E_i)=a$ であり、$E_i\cap E_j=T^{-i}(A\cap T^{-(j-i)}A)$ なので $\mu(E_i\cap E_j)=\mu(A\cap T^{-(j-i)}A)$ である。$c:=\max_{1\le n\le K}\mu(A\cap T^{-n}A)$ とおくと、組 $(i,j)$ は $\frac{K(K+1)}2$ 個なので
$\displaystyle \frac{K(K+1)}2\,c\ge(K+1)a-1$
である。$K\ge2/a$ より $(K+1)a-1\ge 1+a\ge1$ なので $c\ge\frac{2}{K(K+1)}$ である。また $K< \frac2a+1$ なので $K(K+1)< \bigl(\frac2a+1\bigr)\bigl(\frac2a+2\bigr)=\frac{2(2+a)(1+a)}{a^2}\le\frac{12}{a^2}$($a\le1$ を使った)であり、$\frac{2}{K(K+1)}>\frac{a^2}6$ を得る。$\square$
たとえば $\mu(A)=\frac1{10}$ なら $K=20$ で、$1$ から $20$ までのどれかの $n$ で $\mu(A\cap T^{-n}A)\ge\frac1{210}$ である。thm-prc-main の証明が「無限個の集合」で矛盾を導いたのに対し、この命題は有限個の集合 $E_0,\dots,E_K$ だけで重なりを見つけている。
空間に位相があるとき、「$A$ に戻る」を「出発点の近くに戻る」に言い換えられる。ただし、近傍は非可算個あるので、可算個の集合で近傍を代表できることが要る。
$\{U_k\}_{k\ge1}$ を可算な 開基 とし、$N_k$ を $U_k$ に有限回しか戻らない $U_k$ の点の全体とする。thm-prc-main の 2 により $\mu(N_k)=0$ であり、$N:=\bigcup_kN_k$ も測度 $0$ である。$x\notin N$ とし、$U$ を $x$ の開近傍とすると、開基の定義から $x\in U_k\subset U$ となる $k$ がある。$x\in U_k$ かつ $x\notin N_k$ なので、$T^nx\in U_k\subset U$ となる $n$ は無限個ある。
距離空間の場合、$U$ として開球 $\{y\mid d(y,x)< 1/j\}$($j\ge1$)をとると、$d(T^nx,x)< 1/j$ となる $n$ が無限個あるので、下極限は $1/j$ 以下である。$j$ は任意なので下極限は $0$ である。$\square$
可算な開基がないと証明は通らない。近傍ごとの例外の集合は測度 $0$ でも、非可算個の和集合は測度 $0$ とは限らないからである。$\mathbb R^n$ の部分集合は、有理点を中心とする有理数の半径の開球との共通部分の全体を開基にもつので、この定理は $\mathbb R^n$ の Borel 部分集合の上の変換にそのまま使える。
$X=[0,1)$、$\mu=\lambda$ とし、$\alpha\in\mathbb R$ について $R_\alpha(x):=x+\alpha-\lfloor x+\alpha\rfloor$ とおく。区間 $[a,b)$ の $R_\alpha$ による逆像は、$[a,b)$ を $-\alpha$ だけずらして $1$ を法として折り返したもので、長さの和が $b-a$ の高々 2 個の区間である。よって $R_\alpha$ は $\lambda$ を保つ。円周の距離 $\delta(x,y):=\min_{k\in\mathbb Z}|x-y+k|$ で測ると、$\delta(R_\alpha^nx,x)=\|n\alpha\|$($\|t\|$ は $t$ と最も近い整数との距離)であり、出発点 $x$ によらない。
一方、2 倍写像 $D$ では例外の点が実際にある。$A=[\frac12,1)$ の点 $\frac12$ は $D(\frac12)=0$、$D(0)=0$ なので、二度と $A$ に戻らない。thm-prc-main が保証するのは、このような点の全体が測度 $0$ であることまでである。
物理での典型的な場面は、Hamilton 方程式に従う力学系である。Hamilton ベクトル場の流れは相空間の体積を保つ(Liouville の定理。Tes12 Theorem 8.10、p. 241。この記事では証明しない)。相空間の有界な Borel 集合 $D$ が流れ $\varphi_t$ で保たれる(すべての $t$ で $\varphi_t(D)=D$)とすると、時刻 $1$ の写像 $T:=\varphi_1|_D$ は $D$ の上の Lebesgue 測度を保つ。実際 $T^{-1}B=\varphi_{-1}(B)$ である。流れがすべての時刻で定義されているとすると $\varphi_{-1}$ は相空間の同相写像なので、$B\mapsto\lambda(\varphi_{-1}(B))$ は Borel 集合の上の測度であり、Liouville の定理によりこれは有界な開集合の上で $\lambda$ と一致する。有界な開集合の全体は共通部分で閉じていて Borel 集合全体を生成し、相空間は増大する有界な開集合の列の和集合なので、Dynkinのπ-λ定理 により 2 つの測度は Borel 集合全体で一致し、$\lambda(\varphi_{-1}(B))=\lambda(B)$ である。$\lambda(D)< \infty$ なので thm-prc-topological が使え、ほとんどすべての初期状態は、時刻 $1,2,3,\dots$ のうち無限個で、初期状態のいくらでも近くにある。
Tes12 Theorem 8.11(p. 241)は、有界な領域の体積を保つ全単射について「どの近傍 $U$ にも $U$ に戻る点がある」という形を述べ、thm-prc-main の 1 の証明と同じく、$U$ の像が互いに交わらなければ体積が無限になることから導いている。thm-prc-topological は、戻る点が「ある」から「ほとんどすべて」に強めた形である。
ここからは $(\Omega,\mathcal F,P)$ を 確率空間 とし、$T$ が $P$ を保つとする。不変集合の σ-代数 $\mathcal I$、時間平均 $A_nf:=\frac1n\sum_{m=0}^{n-1}f\circ T^m$、エルゴード性は エルゴード定理 の定義「不変集合とエルゴード性」のとおりとする。
thm-prc-main は「戻る」ことしか言わないが、Birkhoff のエルゴード定理を使うと、戻る回数の割合が正であることまで分かる。
$A\in\mathcal F$ について、$P$-ほとんどすべての $\omega\in A$ で、$A$ を訪れる回数の割合
$$
A_n\mathbf 1_A(\omega)=\frac1n\#\{0\le m< n\mid T^m\omega\in A\}
$$
は $n\to\infty$ で正の値に収束する。$T$ がエルゴード的なら、その値は $P(A)$ である。
エルゴード定理 の定理「Birkhoff の個別エルゴード定理」により、ほとんど確実に $A_n\mathbf 1_A\to g:=E[\mathbf 1_A\mid\mathcal I]$ である。$G:=\{g\le0\}$ は $\mathcal I$ に属するので、条件付き期待値の定義により
$$
P(A\cap G)=\int_G\mathbf 1_A\,dP=\int_Gg\,dP\le0
$$
であり、$P(A\cap G)=0$ である。よってほとんどすべての $\omega\in A$ で $g(\omega)>0$ である。エルゴード的なら $g$ はほとんど確実に定数 $\int g\,dP=P(A)$ である(同じ記事の補題「不変な関数」)。$\square$
この系は thm-prc-main の 2 を含む(割合が正なら訪問は無限回)が、証明には Birkhoff の定理という深い道具を使っている。thm-prc-main 自身は測度の有限性だけで証明でき、確率でなくても有限な測度ならそのまま成り立つ。
$A\in\mathcal F$ について、$\omega\in\Omega$ の $A$ に初めて戻る時刻 を
$$
r_A(\omega):=\min\{n\ge1\mid T^n\omega\in A\}\qquad(\text{そのような } n \text{ がなければ } r_A(\omega):=\infty)
$$
で定める。$\{r_A>n\}=\bigcap_{j=1}^n T^{-j}(\Omega\setminus A)$ なので $r_A$ は可測である。
thm-prc-main の 1 により、$r_A$ は $A$ の上でほとんど確実に有限である。次の定理は、その平均を正確に与える。
$T$ が確率 $P$ を保つとし、$A\in\mathcal F$ とする。$A^*:=\bigcup_{n\ge0}T^{-n}A$(いつか $A$ に入る点の全体)とおくと
$$
\int_Ar_A\,dP=P(A^*)
$$
である。とくに $T$ がエルゴード的で $P(A)>0$ なら $\displaystyle\int_Ar_A\,dP=1$、すなわち $A$ の上の条件付きの平均は
$$
E[r_A\mid A]:=\frac1{P(A)}\int_Ar_A\,dP=\frac1{P(A)}
$$
である。
要点:$R_n:=\{r_A>n\}$ について $R_n=T^{-1}(R_{n-1}\setminus A)$ が成り立ち、$P(A\cap R_{n-1})=P(R_{n-1})-P(R_n)$ の和が打ち消し合う。
$R_0:=\Omega$、$n\ge1$ について $R_n:=\{\omega\mid 1\le j\le n \text{ ならば } T^j\omega\notin A\}=\{r_A>n\}$ とおく。$r_A=\sum_{n\ge0}\mathbf 1_{\{r_A>n\}}$(値 $\infty$ も込めて)なので、単調収束定理 により
$\displaystyle \int_Ar_A\,dP=\sum_{n\ge0}P(A\cap R_n)$
である。$n\ge1$ について、$T^{-1}(R_{n-1}\setminus A)$ は「$T\omega\notin A$ かつ $1\le j\le n-1$ で $T^j(T\omega)\notin A$」を満たす $\omega$ の全体なので $R_n$ に等しい。$T$ は $P$ を保つので
$\displaystyle P(R_n)=P(R_{n-1}\setminus A)=P(R_{n-1})-P(A\cap R_{n-1})$
である。$n=1,\dots,N$ で足すと $\sum_{n=0}^{N-1}P(A\cap R_n)=P(R_0)-P(R_N)=1-P(R_N)$ となる。$R_N$ は $N$ について減少し、共通部分は $\Omega\setminus\bigcup_{j\ge1}T^{-j}A=\Omega\setminus T^{-1}A^*$ である。よって $N\to\infty$ として
$\displaystyle \int_Ar_A\,dP=P(T^{-1}A^*)=P(A^*)$
を得る。
エルゴード的な場合。 $T^{-1}A^*=\bigcup_{n\ge1}T^{-n}A\subset A^*$ なので、$T^{-k}A^*$ は $k$ について減少し、測度はすべて $P(A^*)$ に等しい。$A_\infty:=\bigcap_{k\ge0}T^{-k}A^*$ とおくと $P(A_\infty)=P(A^*)$ であり、$T^{-1}A_\infty=\bigcap_{k\ge1}T^{-k}A^*=A_\infty$(減少列なので $k=0$ の項を除いても共通部分は変わらない)なので $A_\infty$ は不変集合である。エルゴード性から $P(A^*)=P(A_\infty)\in\{0,1\}$ であり、$P(A^*)\ge P(A)>0$ なので $P(A^*)=1$ である。$\square$
この証明は thm-prc-main を使っていない。逆に、$\int_Ar_A\,dP\le1$ から $r_A$ は $A$ の上でほとんど確実に有限なので、確率空間の場合の thm-prc-main の 1 がもう一度得られる。
Kac の補題の形は、待ち時間の直観とよく合う。確率 $p$ の事象を独立に繰り返し試すとき、初めて起こるまでの回数の平均は $1/p$ である。Kac の補題は、独立性を「確率を保つ変換」に、事象の確率を $P(A)$ に置き換えても、平均の待ち時間が $1/P(A)$ のままであることを示している。
$D(x)=2x-\lfloor2x\rfloor$ を $[0,1)$ の上で考え、$A:=[0,\frac12)$ とする。$x$ の 2 進展開を、$1$ が無限に続かない形 $x=\sum_{k\ge1}b_k2^{-k}$ にとると、$D^nx=\sum_{k\ge1}b_{n+k}2^{-k}$ であり、$D^nx\in A$ は $b_{n+1}=0$ と同値である。よって $x\in A$($b_1=0$)について、$r_A(x)=n$ は「$b_2=\dots=b_n=1$ かつ $b_{n+1}=0$」と同値で、この集合は長さ $2^{-(n+1)}$ の区間である。したがって
$$
\int_Ar_A\,d\lambda=\sum_{n\ge1}n\,2^{-(n+1)}=1,\qquad E[r_A\mid A]=2=\frac1{\lambda(A)}
$$
であり、thm-prc-kac と一致する($D$ がエルゴード的であることは エルゴード定理 の命題「無理数回転と 2 倍写像のエルゴード性」にある)。
有限の状態空間の既約な Markov 連鎖を定常分布 $\pi$ から出発させ、列の空間の上でずらす変換を考えると、Kac の補題は「状態 $x$ から出発して $x$ に初めて戻るまでの平均の時間は $1/\pi(x)$」という公式になる(Dur19 Theorem 6.3.3 の後の注意(p. 341)と Theorem 5.5.11(p. 306)。可算な状態空間でも成り立つ。この記事では証明しない)。Dur19 Theorem 6.3.3(p. 341)は、定常な列について、$A$ に入る確率が $1$ なら、$A$ から出発したときの戻る間隔の列がふたたび定常になり、その平均が $1/P(X_0\in A)$ であることを述べている。
$A$ の点を、次に $A$ に戻った点へ送る写像を考える。$A':=\{\omega\in A\mid T^n\omega\in A \text{ となる } n\ge1 \text{ が無限個ある}\}$($A$ に無限回戻る点の全体)とおくと、thm-prc-main の 2 により $P(A\setminus A')=0$ である。
$P(A)>0$ とし、$T_A\colon A'\to A'$ を $T_A(\omega):=T^{r_A(\omega)}\omega$ で定める。このとき、$A'$ に含まれるすべての可測集合 $B$ について
$$
P(T_A^{-1}B)=P(B)
$$
である。すなわち $T_A$ は $A'$ の上の条件付き確率 $P(\,\cdot\mid A)$ を保つ。
要点:$B$ の逆像を「$n$ 回目に初めて $A$ に入る」で分け、残りが互いに交わらない集合の測度なので $0$ に近づくことを使う。
$T_A(\omega)\in A'$ を確かめる。$\omega\in A'$ なら $r_A(\omega)< \infty$ で、$\eta:=T^{r_A(\omega)}\omega\in A$ である。$\omega$ が $A$ に戻る時刻 $n$ のうち $n>r_A(\omega)$ を満たすものは無限個あり、どれも $T^{n-r_A(\omega)}\eta=T^n\omega\in A$ を満たすので、$\eta$ も $A$ に無限回戻る。よって $\eta\in A'$ であり、$T_A$ は $A'$ からそれ自身への写像である。
$B\subset A'$ を可測集合とし、$n\ge1$ について $C_n:=A\cap\{r_A=n\}\cap T^{-n}B$ とおくと、$T_A^{-1}B=\bigcup_nC_n$(互いに交わらない)である($\omega\in C_n$ なら $T^n\omega\in B\subset A'$ は $A$ に無限回戻るので、$\omega$ も $A$ に無限回戻り、$\omega\in A'$ である)。$D_0:=B$ とし、$n\ge1$ について $D_n:=\{\omega\mid 0\le j< n \text{ ならば } T^j\omega\notin A,\ T^n\omega\in B\}$ とおく。$T^{-1}B=(A\cap T^{-1}B)\cup((\Omega\setminus A)\cap T^{-1}B)$ と分けると、前者は $C_1$、後者は $D_1$ なので $P(B)=P(T^{-1}B)=P(C_1)+P(D_1)$ である。同様に $T^{-1}D_n=(A\cap T^{-1}D_n)\cup((\Omega\setminus A)\cap T^{-1}D_n)$ と分けると、前者は $C_{n+1}$、後者は $D_{n+1}$ なので $P(D_n)=P(C_{n+1})+P(D_{n+1})$ である。帰納法で
$\displaystyle P(B)=\sum_{n=1}^NP(C_n)+P(D_N)$
を得る。$B\subset A$ なので、$\omega\in D_N$ は「$T^j\omega$ が初めて $A$ に入る $j\ge0$ が $N$」を満たし、$D_1,D_2,\dots$ は互いに交わらない。$\sum_NP(D_N)\le1$ なので $P(D_N)\to0$ であり、$P(B)=\sum_nP(C_n)=P(T_A^{-1}B)$ である。$\square$
誘導変換を使うと、測度が小さい集合 $A$ の上の力学を、$A$ だけを見る変換 $T_A$ で調べられる。Kac の補題は、$A$ から $T_A$ で 1 歩進むのにかかる元の時間の平均が $1/P(A)$ であることを述べている。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 全体の測度が有限(thm-prc-main) | $X=\mathbb R$、Lebesgue 測度、$T(x)=x+1$、$A=[0,1)$ | $A$ の点が $A$ に戻る |
| $T$ が測度を保つ(thm-prc-main) | $X=[0,1]$、Lebesgue 測度、$T(x)=x/2$、$A=(\frac12,1]$ | $A$ の点が $A$ に戻る |
| 結論は「ほとんどすべての点」(thm-prc-main) | 2 倍写像 $D$、$A=[\frac12,1)$、点 $\frac12$ | $A$ のすべての点が $A$ に戻る |
| エルゴード性(thm-prc-kac の後半) | $T=\mathrm{id}$($[0,1)$ の恒等写像)、$A=[0,\frac12)$ | $\int_Ar_A\,d\lambda=1$ |
1 行目:平行移動は Lebesgue 測度を保つが、$\lambda(\mathbb R)=\infty$ である。$x\in[0,1)$ なら $n\ge1$ で $T^nx=x+n\ge1$ なので、どの点も戻らない。thm-prc-main の証明の集合 $E=A$ と $T^{-i}E=[-i,1-i)$ は互いに交わらず、すべて測度 $1$ で、和集合の測度は無限大になる。
2 行目:全体の測度は $1$ だが、$\lambda(T^{-1}[0,\frac12])=\lambda([0,1])=1\ne\frac12$ なので $T$ は測度を保たない。$x\in(\frac12,1]$ なら $n\ge1$ で $T^nx=x/2^n\le\frac12$ であり、どの点も戻らない。
3 行目:$D$ は $\lambda$ を保ち、$\lambda([0,1))=1$ である。$D(\frac12)=0$ であり、$0$ は $D$ の不動点なので、$n\ge1$ で $D^n(\frac12)=0\notin A$ である。例外の集合 $\{\frac12\}$ は測度 $0$ で、thm-prc-main とは矛盾しない。
4 行目:恒等写像は $\lambda$ を保つが、$A$ は測度 $\frac12$ の不変集合なのでエルゴード的でない。$A$ の上で $r_A=1$ なので $\int_Ar_A\,d\lambda=\frac12$ であり、$A^*=A$ なので前半の等式 $\int_Ar_A\,d\lambda=\lambda(A^*)$ は成り立っている。
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