冪零根基(nilradical)とは、可換環 $A$ の冪零元全体の集合 $\operatorname{nil}(A)=\{x\in A\mid x^n=0\text{ となる }n\ge1\text{ がある}\}$ のことである。これは $A$ のイデアルであり、すべての素イデアルの共通部分に一致するので、素スペクトルのすべての点で値が $0$ になる元の全体とみなせる。剰余環 $A/\operatorname{nil}(A)$ は $0$ 以外に冪零元をもたない被約環になる。イデアル $I$ に対しては、何乗かすると $I$ に入る元の全体として根基 $\sqrt{I}$ が定まり、$I$ を含む素イデアル全体の共通部分に等しい。冪零根基はすべての極大イデアルの共通部分である Jacobson根基に含まれるが、両者は一般に異なる。
前提知識: 可換環, イデアル, 素イデアル, 冪零元
冪零根基は、可換環の冪零元(何乗かすると $0$ になる元)をすべて集めたものである。それはイデアルになり、しかもすべての素イデアルの共通部分に一致する。冪零根基で割った剰余環は $0$ 以外に冪零元をもたない環(被約環)になり、これは環から冪零な「無限小」の情報を取り除く操作にあたる。イデアル $I$ に対しては、何乗かすると $I$ に入る元の全体として、根基 $\sqrt{I}$ が同じように定まる。本記事では、環は乗法の単位元 $1$ をもつ可換環とし(可換環の記事の流儀)、零環も許す。
$A$ を可換環とする。$A$ の冪零元全体の集合
$$
\operatorname{nil}(A):=\{x\in A\mid \text{ある整数 }n\ge1\text{ について }x^n=0\}
$$
を $A$ の 冪零根基(nilradical)という。$\operatorname{nil}(A)=\{0\}$ のとき、$A$ は 被約(reduced)であるという。
$0^1=0$ なので $0\in\operatorname{nil}(A)$ であり、冪零根基は空でない。$A$ が零環なら $\operatorname{nil}(A)=A=\{0\}$ で、$A$ は被約である。冪零根基は $\sqrt{0}$、$\mathfrak{N}_A$ とも書かれる。
冪零根基は $A$ のイデアルである。$x^m=0$、$y^n=0$ なら、乗法が可換なので二項定理により $(x+y)^{m+n-1}$ を展開でき、各項 $\binom{m+n-1}{i}x^iy^{m+n-1-i}$ では $i\ge m$ か $m+n-1-i\ge n$ のどちらかが成り立つので $(x+y)^{m+n-1}=0$ となる。また $r\in A$ について $(rx)^m=r^mx^m=0$ である。この証明の詳細は 可換環 の記事の命題「冪零根基はイデアル」にある。可換でない環では冪零元の全体は和についても閉じない(冪零元 の記事の例「反例:非可換な環での冪零元の和と積」)ので、本記事では可換環だけを扱う。
$A$ を可換環、$I$ を $A$ のイデアルとする。
$$
\sqrt{I}:=\{x\in A\mid \text{ある整数 }n\ge1\text{ について }x^n\in I\}
$$
を $I$ の 根基(radical)という。$\sqrt{I}=I$ となるイデアルを 根基イデアル という。
定義から $\operatorname{nil}(A)=\sqrt{(0)}$ であり、$I\subset\sqrt{I}$ である($n=1$ をとる)。$\sqrt{I}$ がイデアルであることは下の prop-nilradical-radical で示す。
可換環 $A$ の元 $f$ を、素イデアル全体の集合 $\operatorname{Spec}A$ の上の「関数」とみる。点 $\mathfrak{p}$ での $f$ の値は、剰余環 $A/\mathfrak{p}$(整域)での $f$ の像である。冪零元はどの整域でも $0$ に写るので、すべての点で値が $0$ の関数である。逆にすべての点で値が $0$ の元は冪零である、というのが thm-nilradical-primes の内容である。したがって冪零根基は「点の上の値だけでは見えない部分」を集めたものであり、冪零根基で割ることは、点の集合を変えずに(Zariski位相の意味で同じ空間のまま)この見えない部分を捨てることにあたる。
$A=\mathbb{Z}/12\mathbb{Z}$ とし、整数 $a$ の類を $\bar a$ と書く。$\bar a$ が冪零であることは、ある $n\ge1$ について $12\mid a^n$ となることである。$12=2^2\cdot3$ なので、これは $2\mid a^n$ かつ $3\mid a^n$、素数の性質により $2\mid a$ かつ $3\mid a$、すなわち $6\mid a$ と同値である(逆に $6\mid a$ なら $36\mid a^2$ なので $12\mid a^2$)。よって
$$
\operatorname{nil}(\mathbb{Z}/12\mathbb{Z})=\{\bar0,\bar6\}=6\mathbb{Z}/12\mathbb{Z}
$$
であり、$\bar6^{\,2}=\overline{36}=\bar0$ である。被約化は $(\mathbb{Z}/12\mathbb{Z})/(6\mathbb{Z}/12\mathbb{Z})\cong\mathbb{Z}/6\mathbb{Z}$ である(剰余環 の記事の定理「イデアルの対応定理」の 2)。一般に $n\ge2$ について、$n$ の相異なる素因数の積を $r$ とすると $\operatorname{nil}(\mathbb{Z}/n\mathbb{Z})=r\mathbb{Z}/n\mathbb{Z}$ である(可換環 の記事の例「整数の剰余環の冪零根基」)。$\mathbb{Z}/12\mathbb{Z}$ では $r=6$ である。
$k$ を体、$A=k[x,y]/(x^2,xy)$ とし、$x,y$ の類を $\bar x,\bar y$ と書く。このとき
$$
\operatorname{nil}(A)=(\bar x)=\{c\bar x\mid c\in k\}
$$
であり、$A/\operatorname{nil}(A)\cong k[y]$ である。
実際、$\bar x^{\,2}=0$ なので $\bar x\in\operatorname{nil}(A)$ であり、$\operatorname{nil}(A)$ はイデアルなので $(\bar x)\subset\operatorname{nil}(A)$ である。$(x^2,xy)\subset(x)$ なので、$A/(\bar x)\cong k[x,y]/(x)\cong k[y]$ である(剰余環 の記事の定理「イデアルの対応定理」の 2 と、$x$ に $0$ を代入する準同型の核が $(x)$ であること)。$k[y]$ は整域なので被約である。$f\in A$ が冪零なら、その $A/(\bar x)\cong k[y]$ での像も冪零なので $0$ であり、$f\in(\bar x)$ である。よって $\operatorname{nil}(A)=(\bar x)$ である。$(\bar x)$ の元が $c\bar x$($c\in k$)の形になるのは、$\bar x\bar x=0$、$\bar x\bar y=0$ により $\bar x$ に多項式を掛けると定数項だけが残るからである。また $\bar x\ne0$ である。$(x^2,xy)$ の元は $2$ 次以上の項だけからなる多項式なので、$1$ 次の $x$ はこのイデアルに属さないからである。
$A/(\bar x)\cong k[y]$ が整域なので $(\bar x)=\operatorname{nil}(A)$ 自身が素イデアルであり、$A$ のすべての素イデアルがこれを含む(thm-nilradical-primes)。幾何学的には、$A$ の素スペクトルは $y$ 軸 $\operatorname{Spec}k[y]$ と同じ空間であるが、原点 $(x,y)$ のところにだけ $x$ 方向の「厚み」$\bar x$ が付いている($\bar x$ は $\bar y$ を掛けると消えるので、原点以外では $0$ になる)。この例は「$0$ でない冪零元は零因子であるが、零因子が冪零とは限らない」ことも示す。$\bar y$ は $\bar x\bar y=0$ を満たす零因子だが、$k[y]$ での像 $y$ が冪零でないので冪零でない。
可換環 $A,B$ の直積環 $A\times B$ では $(a,b)^n=(a^n,b^n)$ なので、$(a,b)$ が冪零であることと、$a,b$ がともに冪零であることは同値である($a^m=0$、$b^n=0$ なら $\max(m,n)$ 乗をとる)。よって
$$
\operatorname{nil}(A\times B)=\operatorname{nil}(A)\times\operatorname{nil}(B)
$$
である。たとえば $\mathbb{Z}/12\mathbb{Z}\cong\mathbb{Z}/4\mathbb{Z}\times\mathbb{Z}/3\mathbb{Z}$ で、$\operatorname{nil}(\mathbb{Z}/4\mathbb{Z})=\{\bar0,\bar2\}$、$\operatorname{nil}(\mathbb{Z}/3\mathbb{Z})=\{\bar0\}$ であり、$\bar6\mapsto(\bar2,\bar0)$ が ex-nilradical-z-mod-12 と対応する。
$\mathbb{Z}/6\mathbb{Z}$ は、$6$ が平方因子をもたないので ex-nilradical-z-mod-12 の一般形で $r=6$ となり、$\operatorname{nil}(\mathbb{Z}/6\mathbb{Z})=6\mathbb{Z}/6\mathbb{Z}=\{\bar0\}$、すなわち被約である。しかし $\bar2\cdot\bar3=\bar0$ なので整域ではない。この例は「被約」を満たし「整域」を満たさない。破る含意は「$A/\operatorname{nil}(A)$ は整域である」(冪零根基は素イデアルである)である。冪零根基はすべての素イデアルの共通部分だが、それ自身が素イデアルになるとは限らない。$\mathbb{Z}/6\mathbb{Z}$ の素イデアルは $(\bar2)$ と $(\bar3)$ の 2 つであり、共通部分 $\{\bar0\}$ はどちらとも異なる。
$\mathbb{Z}$ のイデアル $(4)$ について、$2^2=4\in(4)$ なので $2\in\sqrt{(4)}$ だが $2\notin(4)$ である。よって $(4)$ は根基イデアルでない。実際 $\sqrt{(4)}=(2)$ である($a^n\in(4)$ なら $2\mid a^n$ から $2\mid a$)。この例は「$\sqrt{I}=I$」を破り、剰余環 $\mathbb{Z}/(4)$ が被約でないこと($\bar2^{\,2}=\bar0$)に対応する(下の prop-nilradical-reduced の 1)。一般に $n\ge1$ について $\sqrt{(n)}=(r)$($r$ は $n$ の相異なる素因数の積)であり、$\sqrt{(0)}=(0)$ である。
可換環 $A$ について
$$
\operatorname{nil}(A)=\bigcap_{\mathfrak{p}\in\operatorname{Spec}A}\mathfrak{p}
$$
が成り立つ。ここで $\operatorname{Spec}A$ は $A$ の素イデアル全体であり、$A$ が零環のときは $\operatorname{Spec}A=\emptyset$ で、空な族の共通部分は $A$ と約束する。
この定理から、$A$ が被約であることと、$A$ のすべての素イデアルの共通部分が $(0)$ であることは同値である。また $f\in A$ が冪零であることは、$f$ を含まない素イデアルが存在しないこと、すなわちZariski位相の基本開集合 $D(f)$ が空であることと同値である(Zariski位相 の記事の命題「基本開集合の性質」)。
$A$ を可換環、$I$ をイデアル、$\pi\colon A\to A/I$ を剰余写像とする。
2 の等式は Zariski位相 の記事でも同じ論法で導かれ、閉集合 $V(I)=\{\mathfrak{p}\mid\mathfrak{p}\supset I\}$ が根基イデアル $\sqrt{I}$ だけで決まること($V(I)=V(\sqrt{I})$)と、根基イデアルと閉集合の一対一対応に使われる(同記事の命題「イデアルと閉集合の対応」)。
$A$ を可換環、$I,J$ をイデアルとする。
3 で $IJ$ と $I\cap J$ は一般に異なるが($\mathbb{Z}$ で $I=J=(2)$ なら $IJ=(4)\ne(2)=I\cap J$)、根基をとると一致する。4 で $\sqrt{I+J}=A$ となるのは $I+J=A$ のときに限る(prop-nilradical-radical の 3)ので、$\sqrt{I}$ と $\sqrt{J}$ が互いに素(和が $A$)であることと $I$ と $J$ が互いに素であることは同値である。
$A$ を可換環、$A_{\mathrm{red}}:=A/\operatorname{nil}(A)$、$\pi\colon A\to A_{\mathrm{red}}$ を剰余写像とする。
$A_{\mathrm{red}}$ を $A$ の 被約化 という。3 は、被約な環への準同型を考える限り、$A$ を $A_{\mathrm{red}}$ に取り替えても情報が失われないことを表す。一方、$A$ のすべての素イデアルは $\operatorname{nil}(A)$ を含むので、$\pi$ は $\operatorname{Spec}A_{\mathrm{red}}$ から $\operatorname{Spec}A$ への全単射 $\mathfrak{q}\mapsto\pi^{-1}(\mathfrak{q})$ を与え、これは同相写像である(冪零元 の記事の節「素イデアルとの関係」)。ex-nilradical-embedded-point の $A=k[x,y]/(x^2,xy)$ と $A_{\mathrm{red}}=k[y]$ は、素スペクトルとしては同じだが環としては異なる。代数幾何学ではこの差を、アフィンスキーム $\operatorname{Spec}A$ が被約でない(原点に冪零な構造をもつ)こととして扱う。
$S^{-1}A$ では、$x/s=0$ であることは、ある $t\in S$ について $tx=0$ となることと同値である(局所化の定義の同値関係による)。
($\supset$)$x^n=0$ なら $(x/s)^n=x^n/s^n=0$ である。
($\subset$)$x/s$ が冪零で $(x/s)^n=x^n/s^n=0$ とすると、ある $t\in S$ について $tx^n=0$ である。すると $(tx)^n=t^{n-1}(tx^n)=0$ なので $tx\in\operatorname{nil}(A)$ であり、$ts\in S$ だから
$$
\frac{x}{s}=\frac{tx}{ts}\in S^{-1}\operatorname{nil}(A)
$$
である。$A$ が被約なら右辺は $\{0\}$ なので $S^{-1}A$ も被約である。
$0\in S$ のときは $S^{-1}A$ が零環になり、両辺とも $\{0\}$ で等式は成り立つ。逆向きに、$A$ が被約であることは、すべての素イデアル $\mathfrak{p}$(あるいはすべての極大イデアル $\mathfrak{m}$)で $A_{\mathfrak{p}}$ が被約であることと同値である。実際、すべての極大イデアル $\mathfrak{m}$ で $A_{\mathfrak{m}}$ が被約とし、$x\in\operatorname{nil}(A)$ をとる。$x/1$ は $A_{\mathfrak{m}}$ の冪零元なので $x/1=0$ であり、ある $t\notin\mathfrak{m}$ について $tx=0$ となる。よって零化イデアル $\operatorname{Ann}(x)=\{a\in A\mid ax=0\}$ はどの極大イデアルにも含まれない。真のイデアルはある極大イデアルに含まれるので $\operatorname{Ann}(x)=A$ であり、$x=1\cdot x=0$ である。したがって $A$ は被約である(これは 局所化 の記事の命題「零加群であることの局所判定」と同じ論法である)。
可換環 $A$ の冪零根基 $\operatorname{nil}(A)$ がイデアルとして有限生成なら、ある $N\ge1$ について $\operatorname{nil}(A)^N=0$ である。すなわち、$\operatorname{nil}(A)$ の元を $N$ 個掛けた積はつねに $0$ である。とくに $A$ が Noether環 ならこれが成り立つ。
$\operatorname{nil}(A)=(x_1,\dots,x_r)$ とし、$x_i^{n_i}=0$($n_i\ge1$)とする。$N:=\sum_{i=1}^r(n_i-1)+1$ とおく。$\operatorname{nil}(A)$ の元 $y_1,\dots,y_N$ をとり、$y_j=\sum_ia_{ij}x_i$($a_{ij}\in A$)と書く。積 $y_1\cdots y_N$ を展開すると、各項は $A$ の元と単項式 $x_1^{e_1}\cdots x_r^{e_r}$($e_1+\cdots+e_r=N$)の積である。もしすべての $i$ で $e_i\le n_i-1$ なら $e_1+\cdots+e_r\le N-1$ となって矛盾するので、ある $i$ で $e_i\ge n_i$ であり、その単項式は $0$ である。よって $y_1\cdots y_N=0$ である。$\operatorname{nil}(A)^N$ はこのような積の有限和で生成されるので $0$ である。Noether環ではすべてのイデアルが有限生成である。
有限生成の仮定は省けない。$A=k[x_1,x_2,\dots]/(x_1,x_2^2,x_3^3,\dots)$ では $\operatorname{nil}(A)$ は $\bar x_1,\bar x_2,\dots$ で生成されるが(各 $\bar x_i$ は $\bar x_i^{\,i}=0$ で冪零であり、逆に $A/(\bar x_1,\bar x_2,\dots)\cong k$ は被約なので prop-nilradical-reduced の 2 により $\operatorname{nil}(A)\subset(\bar x_1,\bar x_2,\dots)$ である)、どの $N$ についても $\operatorname{nil}(A)^N\ne0$ である(冪零元 の記事の注意「冪零イデアルとの違い」)。この環は $\operatorname{nil}(A)$ の元がすべて冪零でありながら、冪零指数に上限がない例である。
可換環 $A$ のすべての極大イデアルの共通部分を Jacobson根基 $\operatorname{Jac}(A)$ という。極大イデアルは素イデアルなので、thm-nilradical-primes から $\operatorname{nil}(A)\subset\operatorname{Jac}(A)$ である(Zorn の補題を使わない直接の証明が Jacobson根基 の記事の命題「冪零根基は Jacobson根基に含まれる」にある)。冪零根基は素イデアル全体、Jacobson根基は極大イデアル全体の共通部分であり、違いは「極大でない素イデアル」の有無から生じる。
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