冪零イデアル(nilpotent ideal)とは、環のイデアル $I$ で、ある $n\ge1$ について $I^n=0$、すなわち $I$ の元を $n$ 個掛けた積がすべて $0$ になるもののことである。冪零イデアルの元はすべて冪零元だが、冪零元だけからなるイデアル(nil イデアル)が冪零とは限らず、無限個の変数をもつ環に反例がある。可換な Noether 環では冪零根基が最大の冪零イデアルになる。可換環の冪零イデアルはすべての素イデアルに含まれ、それで割っても素スペクトルは変わらない。冪零イデアル $I$ については、有限生成性を仮定せずに $IM=M$ から加群 $M=0$ が従い、可換環では冪等元が $A/I$ から $A$ へ一意に持ち上がる。
前提知識: 環, 可換環, イデアル, 冪零元, 冪零根基
冪零イデアルは、何回か掛け合わせると $0$ になるイデアルである。元ごとに冪零であること(冪零元)を求めるだけでなく、イデアルの元をある決まった個数だけ掛けた積が、元の選び方によらずすべて $0$ になることを求める。体 $k$ 上の $k[x]/(x^3)$ で $x$ の類が生成するイデアルは、元を $3$ 個掛けるとつねに $0$ になるので冪零イデアルである。可換環を冪零イデアルで割っても、素イデアルの全体や単元かどうかといった環の粗い情報は変わらない。そのため冪零イデアル $I$ に対する $A\to A/I$ は、「無限小だけずれた」環の間の写像として、Nakayamaの補題の簡単な場合や冪等元の持ち上げ、形式的滑らかさの定義に現れる。本記事では、環は乗法の単位元 $1$ をもつものとし(環の記事の流儀)、乗法の可換性は必要なときだけ仮定する。
環 $R$ の両側イデアル $I,J$ に対し、$a\in I$、$b\in J$ の積 $ab$ の有限和全体を $IJ$ と書く。これは両側イデアルである。$I^1:=I$、$I^{n+1}:=I^nI$ とおくと、$I^n$ は $I$ の $n$ 個の元の積 $x_1x_2\cdots x_n$($x_i\in I$)の有限和全体であり、$I\supset I^2\supset I^3\supset\cdots$ である。したがって $I^n=0$ であることは、$I$ の元を $n$ 個掛けた積がすべて $0$ であることと同値である。
環 $R$ の両側イデアル $I$ が 冪零(nilpotent)であるとは、ある整数 $n\ge1$ について $I^n=0$ となることをいう。このとき $I$ を 冪零イデアル(nilpotent ideal)といい、$I^n=0$ となる最小の $n$ を $I$ の 冪零指数(index of nilpotency)という。
また、$I$ のすべての元が冪零元であるとき、$I$ を nil イデアル(nil ideal)という。
零イデアル $\{0\}$ は $n=1$ で冪零であり、冪零指数は $1$ である。$I^n=0$ なら $I$ の元 $x$ は $x^n=x\cdot x\cdots x\in I^n=0$ を満たすので、冪零イデアルは nil イデアルである。逆は成り立たない(ex-nilpotent-ideal-nil-not-nilpotent)。冪零イデアルでは冪零指数が元によらず一様にとれるのに対し、nil イデアルでは元ごとに必要な冪の指数が違ってよい、という点が違いである。
$R$ が零環でなければ、冪零イデアル $I$ は $1$ を含まない($1\in I$ なら $1=1^n\in I^n=0$)ので、$R$ 全体とは異なる。零環では $R=\{0\}$ 自身が冪零イデアルである。
左イデアル(または右イデアル)$L$ についても、$L$ の $n$ 個の元の積がすべて $0$ となる $n\ge1$ があるとき、$L$ は冪零であるという。可換環ではイデアルの左右の区別はなく、$I^n$ は $I$ の $n$ 個の元の積で生成されるイデアルである。
$k$ を体とし、$A=k[x]/(x^3)$ を考える。$x$ の類 $\bar x$ が生成するイデアル $(\bar x)$ の元は $a\bar x+b\bar x^2$($a,b\in k$)であり、どの 2 元の積も $\bar x^2$ の倍元、どの 3 元の積も $\bar x^3=0$ の倍元になる。$A$ の元を「原点の近くで $x^3$ 以上を無視した関数」とみると、$(\bar x)$ は原点での値が $0$ の元の全体で、それらは $3$ 個掛ければ必ず消える「無限小」である。冪零イデアルは、このような一様に小さい量をまとめたものである。
$0$ でない冪零イデアル $I$ についての $A\to A/I$ は「$A$ から無限小の部分を捨てる」操作であり、捨てても点の集合は変わらない(prop-nilpotent-ideal-primes)。逆向きに、$A/I$ の上で得られた解や構造を $A$ の上に持ち上げることがしばしばできる。$I^2=0$ となる冪零イデアルでは、$I$ の元どうしの積が消えるので、持ち上げの議論が 1 次の近似の計算で済む。$I$ が冪零なら $A\supset I\supset I^2\supset\cdots\supset I^n=0$ と、$I^2=0$ 型の段階に分けて持ち上げられる。これが冪零イデアルが変形理論(形式的滑らかさなど)で使われる理由である。
$k$ を体、$m\ge1$ とし、$A=k[x]/(x^m)$ とする。$1\le j\le m$ について、イデアル $(\bar x^j)$ の元はすべて $\bar x^j$ の倍元なので、$(\bar x^j)^n=(\bar x^{jn})$ である。これは $jn\ge m$ のとき $0$ であり、$jn< m$ のとき $\bar x^{jn}\ne0$($x^{jn}\notin(x^m)$)を含むので $0$ でない。よって $(\bar x^j)$ は冪零イデアルで、冪零指数は $m/j$ 以上の最小の整数である。たとえば $m=3$ では、$(\bar x)$ の冪零指数は $3$、$(\bar x^2)$ の冪零指数は $2$ である($(\bar x^2)^2=(\bar x^4)=0$、$\bar x^2\ne0$)。
$p$ を素数、$n\ge1$ とし、$I:=p\mathbb{Z}/p^n\mathbb{Z}$ とおく。$\mathbb{Z}/p^n\mathbb{Z}$ のイデアル $I$ は冪零イデアルで、冪零指数は $n$ である。実際、その $n$ 個の元の積は $p^n$ の倍数の類なので $0$ である。$n\ge2$ なら $\bar p^{\,n-1}\in I^{n-1}$ は $0$ でない。$n=1$ なら $I=0$ で冪零指数は $1$ である。
$k$ を体、$A=k[x,y]/(x^2,xy)$ とする。冪零根基 の記事の例「直線に埋め込まれた点をもつ環」により $\operatorname{nil}(A)=(\bar x)=\{c\bar x\mid c\in k\}$ であり、$\bar x\ne0$、$\bar x^{\,2}=0$ なので $(\bar x)^2=(\bar x^{\,2})=0$ である。よって $\operatorname{nil}(A)$ は冪零指数 $2$ の冪零イデアルである。一方 $\bar y$ は $\bar x\bar y=0$ を満たす零因子だが冪零でないので、$\bar y$ を含むイデアルは冪零イデアルでない。零因子を集めても冪零イデアルにはならない。
$k$ を体、$n\ge1$ とし、$R$ を $k$ 成分の $n$ 次上三角行列(対角線より下の成分が $0$ の行列)全体のなす環、$N$ を対角成分も $0$ の上三角行列(狭義上三角行列)全体とする。上三角行列 $a,b$ の積の $(i,i)$ 成分は $a_{ii}b_{ii}$ なので、$a$ か $b$ が $N$ に属すれば $ab\in N$ であり、$N$ は $R$ の両側イデアルである。
$N$ の元 $a$ は $e_1,\dots,e_n$ を $k^n$ の標準基底として $ae_j\in ke_1+\cdots+ke_{j-1}$ を満たす。したがって $N$ の元を $n$ 個掛けた積は各 $e_j$ を $0$ に写し、$N^n=0$ である。行列単位 $E_{ij}$ について $E_{12}E_{23}\cdots E_{n-1,n}=E_{1n}\ne0$($n\ge2$)なので $N^{n-1}\ne0$ であり、$N$ の冪零指数は $n$ である($n=1$ なら $N=0$ で冪零指数は $1$)。$R/N$ は対角成分を取り出す写像により体の直積環 $k^n$ と同型である。これは可換でない環の冪零イデアルの典型例である。
$k$ を体、$P=k[x_1,x_2,x_3,\dots]$ を可算無限個の変数の多項式環、$J=(x_1,x_2^2,x_3^3,\dots)$、$A=P/J$ とし、$x_i$ の類を $\bar x_i$ と書く。$I:=(\bar x_1,\bar x_2,\dots)$ とおく。
$\bar x_i^{\,i}=0$ なので各 $\bar x_i$ は冪零であり、冪零根基はイデアルなので(冪零根基 の記事)$I\subset\operatorname{nil}(A)$、すなわち $I$ は nil イデアルである。
一方、$m\ge2$ について $\bar x_m^{\,m-1}\in I^{m-1}$ は $0$ でない。実際、$J$ の元は $\sum_ig_ix_i^i$(有限和、$g_i\in P$)の形なので、単項式の $k$ 係数の 1 次結合として展開すると、現れる単項式はすべてある $x_i^i$ で割り切れる。単項式 $x_m^{m-1}$ はどの $x_i^i$ でも割り切れない($i=m$ なら指数が足りず、$i\ne m$ なら $x_i$ を含まない)ので $J$ に属さない。よってどの $n$ についても $I^n\ne0$ であり($n+1\ge2$ として $\bar x_{n+1}^{\,n}\in I^n$ をとる)、$I$ は冪零イデアルでない。
この例は「nil イデアル」を満たすが「冪零イデアル」を満たさず、含意「nil イデアルは冪零イデアルである」を破る。$A$ はNoether環でない。Noether環ではこの含意が成り立つ(prop-nilpotent-ideal-noetherian)。
可換環では、冪零元 $x$ が生成するイデアル $(x)$ は冪零である。$(x)$ の元は $x$ の倍元で、$(x)^n=(x^n)$ となるからである。可換でない環ではこれが成り立たない。体 $k$ 上の $2$ 次正方行列の環 $M_2(k)$(行列環)で $E_{12}$ は $E_{12}^2=0$ を満たす冪零元であるが、$E_{12}$ を含む両側イデアルは $E_{21}E_{12}=E_{22}$ と $E_{12}E_{21}=E_{11}$ を含み、したがって $E_{11}+E_{22}=1$ を含むので $M_2(k)$ 全体である。$1$ は冪零でないので、このイデアルは nil イデアルですらない。この例は「冪零元で生成される」を満たすが「冪零イデアル」を満たさず、含意「冪零元が生成する両側イデアルは冪零である」を破る。破れている仮定は乗法の可換性である。
$p$ を素数とし、$A=\mathbb{Z}_{(p)}=\{a/b\in\mathbb{Q}\mid p\nmid b\}$ を考える。$A$ はただ 1 つの極大イデアル $\mathfrak{m}=p\mathbb{Z}_{(p)}$ をもつ局所環なので、Jacobson根基は $\mathfrak{m}$ である(Jacobson根基 の記事の例「反例:冪零でない元を含む Jacobson根基」)。$A$ は整域なので $0$ でない冪零元をもたず、$\mathfrak{m}\ne0$ は冪零イデアルでない。可換環の冪零イデアルはつねに Jacobson 根基に含まれるが(prop-nilpotent-ideal-primes)、この例は含意「Jacobson 根基は冪零イデアルである」を破る。満たす性質は「Noether環」「局所環」、満たさない性質は「Artin環」である。Artin環では Jacobson 根基は冪零である(Artin環 の記事の命題「Jacobson根基は冪零」)。
$R$ を環、$I,J$ を $R$ の両側イデアルとし、$I^m=0$、$J^n=0$($m,n\ge1$)とする。このとき $(I+J)^{m+n-1}=0$ である。とくに、有限個の冪零イデアルの和は冪零イデアルである。
$N:=m+n-1$ とおく。$(I+J)^N$ は、$I+J$ の元 $z_1,\dots,z_N$ の積 $z_1\cdots z_N$ の有限和で生成される。$z_k=a_k+b_k$($a_k\in I$、$b_k\in J$)と書いて分配法則で展開すると、$z_1\cdots z_N$ は、各 $k$ について $u_k\in\{a_k,b_k\}$ を選んだ積 $u_1u_2\cdots u_N$ の和になる。したがって、各 $u_k$ が $I$ または $J$ に属するような積 $u_1\cdots u_N$ がすべて $0$ であることを示せばよい。
$I$ に属する因子が $m$ 個未満で、$J$ に属する因子も $n$ 個未満なら、因子の総数は $(m-1)+(n-1)=N-1$ 以下となって矛盾する(各因子 $u_k$ は $a_k$ か $b_k$ として選ばれているので、$I$ の側か $J$ の側のどちらかに数える)。よって $I$ に属する因子が $m$ 個以上あるか、$J$ に属する因子が $n$ 個以上ある。前者の場合を考える(後者も同じである)。$I$ に属する因子の位置を $k_1< k_2<\cdots< k_m$ とし、$k_0:=0$ として
$$
P_j:=u_{k_{j-1}+1}u_{k_{j-1}+2}\cdots u_{k_j}\qquad(j=1,\dots,m),\qquad Q:=u_{k_m+1}\cdots u_N
$$
とおく($k_m=N$ なら $Q:=1$)。$P_j$ は最後の因子 $u_{k_j}$ が $I$ に属し、$I$ は左イデアルなので $P_j\in I$ である。よって
$$
u_1\cdots u_N=P_1P_2\cdots P_mQ\in I^mR=0
$$
である。有限個の場合は、2 つの場合を繰り返し使えばよい。$\square$
可換環では、冪零元 $x$ の生成するイデアル $(x)$ は冪零なので(ex-nilpotent-ideal-matrix の冒頭)、この命題から、有限個の冪零元 $x_1,\dots,x_r$ の生成するイデアル $(x_1,\dots,x_r)=(x_1)+\cdots+(x_r)$ は冪零イデアルである。証明の数え上げは、冪零根基がイデアルであることを二項定理で示すときの数え上げ(冪零元の和が冪零であること)と同じである。
$A$ を可換な Noether環 とする。
1:Noether環のイデアルは有限生成なので、冪零根基 の記事の命題「有限生成な冪零根基は冪零イデアル」による(ここまでの議論でいえば、有限個の冪零元の生成するイデアルは冪零である、という前段の注意から従う)。
2:$I$ を nil イデアルとすると、$I$ の元はすべて冪零なので $I\subset\operatorname{nil}(A)$ である。1 により $\operatorname{nil}(A)^N=0$ となる $N$ があり、$I^N\subset\operatorname{nil}(A)^N=0$ である。冪零イデアルは nil イデアルなので $\operatorname{nil}(A)$ に含まれ、1 により $\operatorname{nil}(A)$ 自身が冪零イデアルである。$\square$
Noether の仮定は外せない(ex-nilpotent-ideal-nil-not-nilpotent)。一般の可換環でも、$\operatorname{nil}(A)$ は $A$ の nil イデアルのうち最大のものであるが、冪零イデアルとは限らない。
$A$ を可換環、$I$ を nil イデアル(とくに冪零イデアル)とし、$\pi\colon A\to A/I$ を剰余写像とする。
1:$x\in I$ とし、$x^n=0$ とする。素イデアル $\mathfrak{p}$ について $x^n=0\in\mathfrak{p}$ であり、$\mathfrak{p}$ が素イデアルであることを $x\cdot x^{n-1}\in\mathfrak{p}$ に繰り返し使うと $x\in\mathfrak{p}$ を得る。極大イデアルは素イデアルなので、$I$ はすべての極大イデアルの共通部分 $\operatorname{Jac}(A)$ に含まれる。$I\subset\operatorname{nil}(A)$ は nil イデアルの定義そのものである。
2:剰余環 の記事の定理「イデアルの対応定理」により、$\mathfrak{q}\mapsto\pi^{-1}(\mathfrak{q})$ は $A/I$ のイデアル全体から $I$ を含む $A$ のイデアル全体への全単射で、$A/\pi^{-1}(\mathfrak{q})\cong(A/I)/\mathfrak{q}$ を満たす。剰余環が整域であること・体であることは同型で保たれるので、この全単射は素イデアルを素イデアルに、極大イデアルを極大イデアルに対応させる(素イデアル の記事の命題「剰余環が整域であることとの同値」、極大イデアル)。1 により $A$ のすべての素イデアルは $I$ を含むので、像は $A$ の素イデアル全体である。Zariski位相 の記事で述べられているとおり、この写像は $\operatorname{Spec}(A/I)$ から閉集合 $V(I)$ への同相写像であり、ここでは $V(I)=\operatorname{Spec}A$ である。$\square$
幾何学的には、$\operatorname{Spec}A$ と $\operatorname{Spec}(A/I)$ は点の空間として同じであり、違いは「関数」の環が冪零な部分だけ異なることにある。アフィンスキームとして $\operatorname{Spec}(A/I)\to\operatorname{Spec}A$ は $I$ が定める閉部分スキームであり、$I$ が冪零のとき、これは点の集合を変えずに冪零な構造だけを取り除く閉埋め込みである。$I^2=0$ となる冪零イデアルによる $\operatorname{Spec}(A/I)\to\operatorname{Spec}A$ は 1 次の無限小の厚み付けと呼ばれ、形式的滑らかさなどの定義に使われる。
$R$ を環、$I$ を $R$ の両側イデアルで nil イデアルであるものとする。
1:$x$ は冪零なので、単元 の記事の命題「冪零元と単元」の 1 により $1+x$ は単元である。
2:$a$ が単元なら $a^{-1}+I$ が $a+I$ の逆元である。逆に $b+I$ が $a+I$ の逆元であるとすると、$ab=1-x$、$ba=1-y$($x,y\in I$)と書ける。1 により $1-x=1+(-x)$ と $1-y$ は単元である。$u:=(1-x)^{-1}$、$v:=(1-y)^{-1}$ とおくと $a(bu)=1$、$(vb)a=1$ なので、$a$ は右逆元と左逆元をもつ。単元 の記事の命題「左逆元と右逆元」により $a$ は単元である。$\square$
可換環では、2 は「$A$ と $A/I$ で単元群がほぼ同じ」ことを意味する。正確には、単元群の準同型 $A^\times\to(A/I)^\times$ は全射で、核は $1+I=\{1+x\mid x\in I\}$ である。これはJacobson根基 の記事の系「剰余環での単元の判定」の特別な場合でもある(nil イデアルは Jacobson 根基に含まれる:prop-nilpotent-ideal-primes の 1)。
1:$k\ge1$ について $I^kM=M$ を帰納法で示す。$k=1$ は仮定である。$I^kM=M$ とすると、$I^{k+1}M$ は $(y x)m=y(xm)$($y\in I^k$、$x\in I$、$m\in M$)の形の元で生成されるので $I^{k+1}M=I^k(IM)$ であり、$I^k(IM)=I^kM=M$ である。$I^n=0$ となる $n$ をとると、$M=I^nM=0$ である。
2:商加群 $M/N$ について $I(M/N)=(IM+N)/N=M/N$ なので、1 により $M/N=0$、すなわち $N=M$ である。$\square$
Nakayamaの補題 は、$I$ を Jacobson 根基に含まれるイデアルに広げる代わりに、$M$ が有限生成であることを要求する。冪零イデアルでは有限生成の仮定が要らない。一方、$I$ を nil イデアルに弱めると、次の例のように結論が破れる。
$k$ を体とし、$A_0$ を、非負の有理数 $q$ についての記号 $t^q$ の $k$ 係数の有限和全体に、積 $t^rt^s=t^{r+s}$ を入れた可換環とする。$t^q$($q\ge1$)の張る部分空間 $(t)$ はイデアルであり、$A:=A_0/(t)$ とおく。$A$ は $t^q$($0\le q<1$)の類を $k$ 上の基底にもつ。$t^q$($0< q<1$)の類の張る部分空間を $I$ とすると、$t^r\cdot t^q=t^{r+q}$ により $I$ はイデアルである。$I$ の元は $t^q$($0< q<1$)の類の有限個の 1 次結合であり、現れる指数の最小値を $q_0>0$ とし $nq_0\ge1$ となる $n$ をとる。その $n$ 乗を展開すると、各項は $t^{q_1+\cdots+q_n}$(各 $q_i\ge q_0$)の類の定数倍で、指数が $1$ 以上なので $0$ である。よって $I$ は nil イデアルである。
一方 $t^q=t^{q/2}t^{q/2}$ なので $I=I\cdot I$ であり、$A$ 加群 $M:=I$ は $IM=M$ を満たすが、$t^{1/2}$ の類は $0$ でないので $M\ne0$ である。この例は「$I$ は nil イデアル」を満たすが「$I$ は冪零イデアル」を満たさず($I^n=I\ne0$)、prop-nilpotent-ideal-nakayama の結論「$IM=M$ なら $M=0$」を破る。$I$ は $\operatorname{Jac}(A)$ に含まれるが、$M=I$ は有限生成でないので Nakayamaの補題 とも矛盾しない。
$A$ を可換環、$I$ を nil イデアル、$\pi\colon A\to A/I$ を剰余写像とする。
1:$\pi(e)=\varepsilon$ となる $e\in A$ をとる。$\varepsilon^2=\varepsilon$ なので $e-e^2=e(1-e)\in I$ であり、ある $N\ge1$ で $\bigl(e(1-e)\bigr)^N=0$ となる。二項定理により
$$
1=\bigl(e+(1-e)\bigr)^{2N-1}=\sum_{k=0}^{2N-1}\binom{2N-1}{k}e^k(1-e)^{2N-1-k}
$$
である。右辺の $k\ge N$ の項の和を $f$、$k\le N-1$ の項の和を $g$ とすると、$f+g=1$ である。$f$ の各項は $e^N$ の倍元、$g$ の各項は $(1-e)^N$ の倍元($2N-1-k\ge N$)なので、$fg$ は $e^N(1-e)^N=0$ の倍元であり $fg=0$ である。よって $f=f(f+g)=f^2$ となり、$f$ は冪等元である。
$A/I$ では $\varepsilon(1-\varepsilon)=0$ なので、$1\le k\le 2N-2$ の項 $\varepsilon^k(1-\varepsilon)^{2N-1-k}$ は $0$ であり、$\varepsilon^{2N-1}=\varepsilon$ である。よって $\pi(f)=\varepsilon$ である。
2:$d:=f-f'$ とおく。$f^2=f$、$f'^2=f'$ から
$$
d^3=(f-f')(f-2ff'+f')=f-2ff'+ff'-ff'+2ff'-f'=f-f'=d
$$
である。$d=d^3$ を繰り返し使うと、すべての $j\ge0$ で $d=d^{3^j}$ となる。$\pi(d)=0$ なので $d\in I$ は冪零であり、$3^j$ を十分大きくとれば $d=d^{3^j}=0$ である。$\square$
冪等元 の記事の定理「冪等元と直積分解の対応」により、可換環の冪等元は環の直積分解 $A\cong Ae\times A(1-e)$ に対応する。したがってこの命題は、$A/I$ が環の直積に分解すれば、$A$ 自身も対応する直積に分解することを意味する。
可換でない環 $R$ では、冪零イデアルと nil イデアル、それに Jacobson 根基 $\operatorname{rad}R$(極大左イデアル全体の共通部分)の関係がより重要になる。冪零な左イデアルや nil な左イデアルは $\operatorname{rad}R$ に含まれ、$R$ が左 Artin 環なら $\operatorname{rad}R$ は冪零イデアルであって、$R$ の冪零な左イデアルのうち最大のものになる。とくに $\operatorname{rad}R=0$ となる左 Artin 環が 半単純環 である(Lam01 §4)。ex-nilpotent-ideal-triangular の $N$ は上三角行列環の冪零イデアルで、$R/N\cong k^n$ は半単純である。冪等元の持ち上げも、nil イデアルを法とする場合には可換でない環で成り立つのは存在についてであり(Lam01 §21)、一致(一意性)は成り立たない。たとえば ex-nilpotent-ideal-triangular の $n=2$ で $E_{11}$ と $E_{11}+E_{12}$ は $N$ を法として同じ冪等元 $\bar E_{11}$ に写るが、$E_{11}\ne E_{11}+E_{12}$ である(非可換では持ち上げは共役を除いて一意になる)。本記事の prop-nilpotent-ideal-idempotent はその可換な場合である。
可換環の冪零根基・冪零イデアルの基本事項は AM69 Chapter 1、Noether環の冪零根基が冪零であることは同 Chapter 7、Artin環の Jacobson 根基が冪零であることは同 Chapter 8 にある。
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