トラクトリクス(tractrix)とは、$x$ 軸の上を正の向きに動く点 Q に長さ $a$ のひもで引かれ、ひもの向きに進む点 P の軌跡である。つまり、点 $(0,a)$ から出発し、接線の接点から $x$ 軸までの部分の長さがいつも $a$ の曲線である。$0<y\le a$ で $x=a\log\frac{a+\sqrt{a^2-y^2}}y-\sqrt{a^2-y^2}$ と表され、微分方程式 $\frac{dx}{dy}=-\frac{\sqrt{a^2-y^2}}y$ を満たし、$x$ 軸が漸近線である。$x\ge0$ の枝と $x$ 軸の間の面積は $\frac{\pi a^2}4$ で、半径 $a$ の四分円の面積に等しい。懸垂線 $y=a\cosh\frac xa$ に巻いた糸を最下点からほどくとき、糸の端はトラクトリクスをえがく(懸垂線の伸開線)。
前提知識: 懸垂線の方程式(高校数学), 変数分離形の微分方程式, 置換積分の使い方
長さ $1$ m のひもの先におもちゃ P を付け、ひもの反対の端 Q を持って、まっすぐな道($x$ 軸)の上を歩く。最初、Q は原点 $(0,0)$ に、P はその真上の $(0,1)$ にある。Q が $x$ 軸の正の向きに進むと、P は床の上を引きずられて、ひもの向きに(Q の方へ)動く。P はどんな曲線をえがくだろうか。
P がどこにいても、P と Q の距離はひもの長さ $1$ で、P の進む向きは P から Q へ向かう向きである。この 2 つだけから、P の曲線の傾きが分かる。
ひもの長さを $1$ とする。
(1) P の高さが $y=0.6$ のとき、Q は $x$ 軸の上にあり、PQ の長さは $1$ なので、Q は P より水平方向に $\sqrt{1-0.6^2}=\sqrt{0.64}=0.8$ だけ先にある(直角三角形の三平方の定理)。P の進む向きは P から Q へ向かう向き、つまり右へ $0.8$、下へ $0.6$ の向きなので、P の曲線の傾きは
$$
\frac{-0.6}{0.8}=-0.75
$$
である。
(2) P の高さが $y=0.8$ のとき、Q は水平方向に $\sqrt{1-0.64}=0.6$ だけ先にあり、傾きは $\dfrac{-0.8}{0.6}=-\dfrac43$ である。
どちらでも、傾きは $-\dfrac{y}{\sqrt{1-y^2}}$ である。P が低くなるほど傾きは $0$ に近づき、曲線は寝ていく。
この曲線を トラクトリクス という。懸垂線の方程式(高校数学) と同じように、曲線の性質から微分方程式を立て、変数分離で解く。答える問いは次の 3 つである。
| 高校の計算 | この記事の言葉 | 大学の言葉 |
|---|---|---|
| 三平方の定理で Q の位置を出す | 接線の長さが一定 | 等接線曲線 |
| $\dfrac{dx}{dy}$ を積分する | $x=a\log\dfrac{a+\sqrt{a^2-y^2}}y-\sqrt{a^2-y^2}$ | 変数分離形の求積 |
| 置換積分 $x=g(v)$ | 面積 $\dfrac{\pi a^2}4$ | 広義積分 |
| 糸をほどく | 懸垂線の伸開線 | 伸開線と縮閉線 |
a=1 のトラクトリクス(青)。赤い線分は各点の接線のうち、接点から x 軸までの部分で、どれも長さ 1。点線は左右対称なもう一方の枝
P の高さ $y$ は、P が進むにつれて減っていく(P は下にある Q の方へ進む)。そこで、P の位置を「高さ $y$ のときの $x$ 座標」で表し、$x=g(y)$ の形で曲線を書く。以下、ひもの長さを $a>0$ とする。
$a>0$ とする。関数 $g$ が区間 $0< y\le a$ で定義されて連続で、$0< y< a$ で微分可能であり、次の 3 つの条件を満たすとする。
(R1) $g(a)=0$ である(出発点は $(0,a)$)。
(R1) $0< y< a$ のとき、点 $P=\bigl(g(y),\,y\bigr)$ での曲線 $x=g(y)$ の接線は $x$ 軸と点 $Q$ で交わり、線分 $PQ$ の長さは $a$ である。
(R1) $0< y< a$ のとき、$Q$ の $x$ 座標は $P$ の $x$ 座標以上である($Q$ は $P$ の右か真下にある)。
このとき、曲線 $\bigl\{\bigl(g(y),\,y\bigr)\bigm|0< y\le a\bigr\}$ を、長さ $a$ の トラクトリクス という($x\ge0$ の側の枝)。これを $y$ 軸に関して折り返した曲線も含めて、トラクトリクスということもある。
条件 (ii) は「接線の、接点から $x$ 軸までの部分の長さがいつも $a$」ということで、ひもの長さが一定で、ひもの向きが P の進む向き(接線の向き)であることを表している。条件 (iii) は、Q が $x$ 軸の正の向きに進むことを表す。
曲線 $x=g(y)$ の点 $P=\bigl(g(y),y\bigr)$ での接線の向きは、$y$ を少し変えたときの $x$ と $y$ の変化の比で決まり、ベクトル $\bigl(g'(y),\,1\bigr)$ の向きである。
$a>0$ とする。def-trac の条件を満たす関数 $g$ はただ 1 つで、
$$
g(y)=a\log\frac{a+\sqrt{a^2-y^2}}{y}-\sqrt{a^2-y^2}\qquad(0< y\le a)
$$
である。$g$ は $0< y< a$ で微分方程式
$$
\frac{dx}{dy}=g'(y)=-\frac{\sqrt{a^2-y^2}}{y}
$$
を満たし、$0< y\le a$ で減少する。さらに $y\to+0$ のとき $g(y)\to\infty$ であり、$x$ 軸はトラクトリクスの漸近線である。
方針:条件 (ii)(iii) を $g'$ の式に直し(段 1)、その式を満たす関数を求めて、それに限ることを示す(段 2・段 3)。最後に $y\to+0$ のときを調べる(段 4)。
段 1(微分方程式)。$0< y< a$ とする。ex-trac-tangent (2) により、接線と $x$ 軸の交点は $Q=\bigl(g(y)-y\,g'(y),0\bigr)$ で、$PQ=y\sqrt{1+g'(y)^2}$ である。条件 (ii) は $y\sqrt{1+g'(y)^2}=a$、両辺を 2 乗して $y$ の 2 乗で割ると
$$
g'(y)^2=\frac{a^2}{y^2}-1=\frac{a^2-y^2}{y^2}
$$
である。条件 (iii) は $g(y)-y\,g'(y)\ge g(y)$、つまり $-y\,g'(y)\ge0$ で、$y>0$ なので $g'(y)\le0$ である。よって
$$
g'(y)=-\frac{\sqrt{a^2-y^2}}y
$$
である。逆に、この式が成り立てば条件 (ii)(iii) が成り立つ(上の変形は逆にたどれる)。
段 2(原始関数)。$r=\sqrt{a^2-y^2}$ とおき、$G(y)=a\log(a+r)-a\log y-r$ とする。$0< y< a$ で $r>0$、$\dfrac{dr}{dy}=\dfrac{-2y}{2\sqrt{a^2-y^2}}=-\dfrac yr$ なので、合成関数の微分により
$$
G'(y)=\frac{a}{a+r}\cdot\left(-\frac yr\right)-\frac ay+\frac yr
$$
である。3 つの項を通分する(分母 $yr(a+r)$)と、分子は
$$
-ay^2-ar(a+r)+y^2(a+r)=-a^2r-ar^2+ry^2=r\bigl(y^2-a^2-ar\bigr)=r\bigl(-r^2-ar\bigr)=-r^2(a+r)
$$
となる($y^2-a^2=-r^2$ を使った)。よって
$$
G'(y)=\frac{-r^2(a+r)}{yr(a+r)}=-\frac ry=-\frac{\sqrt{a^2-y^2}}y
$$
である。$G(a)=a\log a-a\log a-0=0$ で、$G(y)=a\log\dfrac{a+r}y-r$ は定理の式の右辺そのものである。
段 3(ただ 1 つ)。$g$ が def-trac の条件を満たせば、段 1 により $0< y< a$ で $g'=G'$ である。$h=g-G$ とおくと、$h$ は $0< y\le a$ で連続、$0< y< a$ で $h'=0$ である。$0< y< a$ の $y$ について、区間 $[y,a]$ で平均値の定理を使うと $h(a)-h(y)=h'(c)(a-y)=0$ となる $c$ があるので、$h(y)=h(a)=g(a)-G(a)=0$ である。よって $g=G$ である。逆に $g=G$ は、段 2 と段 1 の逆の部分により条件 (i)〜(iii) を満たす。
段 4(漸近線)。$0< y< a$ で $g'(y)<0$ なので、$g$ は減少する。$0< r< a$ から $a+r>a$、したがって
$$
g(y)=a\log\frac{a+r}y-r>a\log\frac ay-a
$$
で、$y\to+0$ のとき右辺は $\infty$ に発散する。つまり、P が $x$ 軸に近づくと P の $x$ 座標は限りなく大きくなる。P と $x$ 軸の距離は $y$ で、$0$ に近づく。よって $x$ 軸は漸近線である。$\square$
段 4 から、P は $x$ 軸に近づくが、決して着かない。$y>0$ のすべての点で $g(y)$ は有限の値だからである。
曲線を $y$ を $x$ の関数とみて書くと、逆関数の微分により $\dfrac{dy}{dx}=\dfrac1{g'(y)}=-\dfrac{y}{\sqrt{a^2-y^2}}$ で、これは ex-trac-start で数から見つけた傾きの式($a=1$ の場合)である。この形では右辺が $y$ だけの式で、変数分離形の微分方程式 の形をしている。ただし出発点 $y=a$ では分母が $0$ になるので、この記事では $x$ を $y$ の関数とみた。
段 2 では $G$ を与えてから微分で確かめた。$G$ は置換積分で見つけられる(置換積分の使い方)。$y=a\sin\theta$($0<\theta<\dfrac\pi2$)とおくと $\sqrt{a^2-y^2}=a\cos\theta$、$dy=a\cos\theta\,d\theta$ で
$$\int\frac{\sqrt{a^2-y^2}}y\,dy=\int\frac{a\cos\theta}{a\sin\theta}\,a\cos\theta\,d\theta=a\int\frac{1-\sin^2\theta}{\sin\theta}\,d\theta=a\int\left(\frac1{\sin\theta}-\sin\theta\right)d\theta$$
である。$\left(\log\tan\dfrac\theta2\right)'=\dfrac{1}{\tan\frac\theta2}\cdot\dfrac1{2\cos^2\frac\theta2}=\dfrac1{2\sin\frac\theta2\cos\frac\theta2}=\dfrac1{\sin\theta}$ なので、原始関数は $a\log\tan\dfrac\theta2+a\cos\theta$ である。$\tan\dfrac\theta2=\dfrac{\sin\theta}{1+\cos\theta}=\dfrac{y}{a+\sqrt{a^2-y^2}}$ にもどすと $a\log\dfrac y{a+\sqrt{a^2-y^2}}+\sqrt{a^2-y^2}$ で、符号を変えたものが $G$ である。
$a=1$ のとき $g(y)=\log\dfrac{1+\sqrt{1-y^2}}y-\sqrt{1-y^2}$ である。
(1) $y=\dfrac12$ では $\sqrt{1-\frac14}=\dfrac{\sqrt3}2$ で
$$
g\left(\frac12\right)=\log\frac{1+\frac{\sqrt3}2}{\frac12}-\frac{\sqrt3}2=\log\bigl(2+\sqrt3\bigr)-\frac{\sqrt3}2=1.3169\ldots-0.8660\ldots=0.4509\ldots
$$
である。ひもの先 Q の $x$ 座標は $g\left(\frac12\right)+\dfrac{\sqrt3}2=\log(2+\sqrt3)=1.3169\ldots$ で、P と Q の距離は $\sqrt{\left(\frac{\sqrt3}2\right)^2+\left(\frac12\right)^2}=1$ である。
(2) ほかの高さでは次のとおりである。
| $y$ | $1$ | $0.8$ | $0.6$ | $0.4$ | $0.2$ | $0.1$ | $0.01$ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| $x=g(y)$ | $0$ | $0.0931$ | $0.2986$ | $0.6503$ | $1.3126$ | $1.9982$ | $4.2983$ |
| 傾き $\dfrac{dy}{dx}$ | — | $-1.333$ | $-0.75$ | $-0.436$ | $-0.204$ | $-0.101$ | $-0.010$ |
$y=0.8$、$0.6$ の傾きは ex-trac-start の値である。高さが $\dfrac1{10}$ になるごとに、$x$ はおよそ $\log10=2.30\ldots$ ずつ増える($y$ が小さいと $g(y)\fallingdotseq\log\dfrac2y-1$ だから)。
トラクトリクスの、高さ $a$ の出発点から高さ $y$ の点までの長さは、媒介変数表示と曲線の長さ の定理「曲線の長さの公式」を $y$ を媒介変数として使うと
$$
\int_y^a\sqrt{1+g'(v)^2}\,dv=\int_y^a\sqrt{1+\frac{a^2-v^2}{v^2}}\,dv=\int_y^a\frac av\,dv=a\log\frac ay
$$
である。$a=1$、$y=\dfrac12$ なら $\log2=0.693\ldots$ である。このとき Q は ex-trac-points (1) により $\log(2+\sqrt3)=1.316\ldots$ だけ進んでいて、P の道のりは Q の道のりより短い。P はいつも Q の方を向いて進むが、Q の向きと P の向きがずれている分だけ遅れるからである。$y\to+0$ のとき長さ $a\log\dfrac ay$ は $\infty$ に発散するので、P は限りなく長い道のりを進む。
トラクトリクスと $x$ 軸の間の部分は、右へ限りなく続く(図 2)。それでも面積は有限の値になる。
thm-trac-equation により、$g$ は $0< y\le a$ で連続かつ減少し、$g(a)=0$、$y\to+0$ で $g(y)\to\infty$ である。したがって、どの $x\ge0$ に対しても $g(y)=x$ となる $y$($0< y\le a$)がただ 1 つある。これを $y=f(x)$ と書く($f$ は $g$ の逆関数で、$x\ge0$ で連続かつ減少し、$f(0)=a$)。トラクトリクスは $y=f(x)$($x\ge0$)のグラフである。
$X>0$ に対し、トラクトリクス $y=f(x)$ と $x$ 軸、$y$ 軸、直線 $x=X$ で囲まれた部分の面積を $S(X)=\displaystyle\int_0^Xf(x)\,dx$ とする。このとき
$$
S(X)=\int_{f(X)}^a\sqrt{a^2-v^2}\,dv,\qquad \lim_{X\to\infty}S(X)=\frac{\pi a^2}4
$$
である。つまり、トラクトリクスと $x$ 軸の間の部分($x\ge0$ の側)の面積は、半径 $a$ の四分円の面積に等しい。
方針:$x=g(v)$ と置換して、$x$ についての積分を $v$(高さ)についての積分に直す。$f(x)\,dx$ が $v\,g'(v)\,dv$ になり、$v\,g'(v)=-\sqrt{a^2-v^2}$ となるのが鍵である。
段 1(置換積分)。$0< X$ とし、$Y=f(X)$ とおく($0< Y< a$)。区間 $Y\le v\le a$ で $x=g(v)$ と置換する。$g$ は $Y\le v< a$ で微分可能で、$g'(v)=-\dfrac{\sqrt{a^2-v^2}}v$ は $v\to a$ のとき $0$ に近づく。$v=a$ のとき $x=0$、$v=Y$ のとき $x=X$、そして $f\bigl(g(v)\bigr)=v$ なので
$$
\int_0^Xf(x)\,dx=\int_a^Y f\bigl(g(v)\bigr)\,g'(v)\,dv=\int_a^Y v\cdot\left(-\frac{\sqrt{a^2-v^2}}v\right)dv=\int_Y^a\sqrt{a^2-v^2}\,dv
$$
である(最後に積分の向きを逆にして符号を消した)。
段 2(極限)。$X\to\infty$ のとき $Y=f(X)\to+0$ である($f$ は減少し、どんな小さな $\varepsilon>0$ についても $X>g(\varepsilon)$ なら $f(X)<\varepsilon$)。$\displaystyle\int_Y^a\sqrt{a^2-v^2}\,dv$ は $Y$ の連続関数なので
$$
\lim_{X\to\infty}S(X)=\int_0^a\sqrt{a^2-v^2}\,dv
$$
である。右辺は、円 $v^2+w^2=a^2$ の $v\ge0$、$w\ge0$ の部分(四分円)の面積なので $\dfrac{\pi a^2}4$ である。$\square$
段 1 の置換積分では、端の $v=a$ での $g$ の微分係数が要る。$g$ は $v=a$ で連続で、$v\to a-0$ のとき $g'(v)\to0$ なので、平均値の定理により $v=a$ での(左側の)微分係数は $\displaystyle\lim_{v\to a-0}\frac{g(v)-g(a)}{v-a}=0$ である。こうして $g'$ は $Y\le v\le a$ で連続になり、置換積分の使い方 の公式がそのまま使える。$y$ 軸に関して折り返したもう一方の枝も合わせると、面積は $\dfrac{\pi a^2}2$ で、半円の面積に等しい(Wei26 の値と一致する)。
a=1 のトラクトリクスと x 軸の間の、右へ限りなく続く部分。面積はπ/4
半径 1 の四分円。面積はπ/4で、左の部分の面積と等しい
$a=1$ とする。$\dfrac\pi4=0.785398\ldots$ である。
| $X$ | $1$ | $2$ | $3$ | $5$ |
|---|---|---|---|---|
| 高さ $f(X)$ | $0.27592$ | $0.09982$ | $0.03664$ | $0.00496$ |
| 面積 $S(X)$ | $0.51302$ | $0.68574$ | $0.74876$ | $0.78044$ |
| $\dfrac\pi4-S(X)$ | $0.27238$ | $0.09966$ | $0.03664$ | $0.00496$ |
たとえば $X=2$ では、$g(Y)=2$ を数値的に解いて $Y=0.09982\ldots$ で、$S(2)=\displaystyle\int_{0.09982\ldots}^1\sqrt{1-v^2}\,dv=0.68574\ldots$ である。残りの $\dfrac\pi4-S(X)=\displaystyle\int_0^Y\sqrt{1-v^2}\,dv$ は、$Y$ が小さいと被積分関数がほぼ $1$ なので、ほぼ $Y$ に等しい。表の 2 行目と 4 行目がほぼ同じなのはこのためである。
トラクトリクスは、懸垂線の方程式(高校数学) の懸垂線と密接に結びついている。懸垂線 $y=a\cosh\dfrac xa$ の最下点 $B(0,a)$ は、長さ $a$ のトラクトリクスの出発点と同じ点である。
懸垂線の $x\ge0$ の部分に、B から糸をぴったり沿わせて巻きつけておく。B の側の糸の端をつまみ、糸をぴんと張ったまま懸垂線からはがしていく。糸が懸垂線の点 C で離れているとき、はがれた部分は C での懸垂線の接線に重なり、その長さは B から C までの弧の長さに等しい。糸の端 I がえがく曲線を、懸垂線の(B から始まる)伸開線 という。
式で書く。懸垂線の点を $C(t)=\bigl(at,\ a\cosh t\bigr)$($t\ge0$)と表す($x=at$ とおいた)。懸垂線の方程式(高校数学) の系「弧長と張力」により、B から $C(t)$ までの長さは $s(t)=a\sinh t$ である。$C(t)$ での接線の、$x$ が増える向きの長さ $1$ のベクトルは
$$
\vec e(t)=\frac{(1,\ \sinh t)}{\sqrt{1+\sinh^2t}}=\frac{(1,\ \sinh t)}{\cosh t}
$$
である。糸は C から B の側へ($-\vec e$ の向きへ)長さ $s(t)$ だけ伸びているので、糸の端は
$$
I(t)=C(t)-s(t)\,\vec e(t)
$$
である。
$a>0$、$t\ge0$ とする。懸垂線 $y=a\cosh\dfrac xa$ の B から始まる伸開線の点 $I(t)$ は
$$
I(t)=\left(a(t-\tanh t),\ \frac a{\cosh t}\right)
$$
で、長さ $a$ のトラクトリクスの上にある。さらに、トラクトリクスの $I(t)$ での接線が $x$ 軸と交わる点は、$C(t)$ の真下の点 $Q(t)=(at,\,0)$ であり、線分 $CI$ と線分 $IQ$ は垂直である。
段 1($I(t)$ の計算)。$s(t)\,\vec e(t)=a\sinh t\cdot\dfrac{(1,\sinh t)}{\cosh t}=\bigl(a\tanh t,\ a\sinh t\tanh t\bigr)$ なので
$$
I(t)=\left(at-a\tanh t,\ a\cosh t-\frac{a\sinh^2t}{\cosh t}\right)=\left(a(t-\tanh t),\ \frac{a(\cosh^2t-\sinh^2t)}{\cosh t}\right)=\left(a(t-\tanh t),\ \frac a{\cosh t}\right)
$$
である($\cosh^2t-\sinh^2t=1$)。
段 2(トラクトリクスの上にある)。$y=\dfrac a{\cosh t}$ とおくと $0< y\le a$ で、$t\ge0$ なので $\sqrt{a^2-y^2}=a\sqrt{1-\dfrac1{\cosh^2t}}=a\sqrt{\tanh^2t}=a\tanh t$ である。すると
$$
\frac{a+\sqrt{a^2-y^2}}y=\frac{a(1+\tanh t)}{a/\cosh t}=\cosh t+\sinh t=e^t
$$
なので、thm-trac-equation の $g$ について $g(y)=a\log e^t-a\tanh t=a(t-\tanh t)$ である。これは $I(t)$ の $x$ 座標なので、$I(t)$ はトラクトリクスの上にある。
段 3(接線と $x$ 軸の交点)。ex-trac-tangent (2) と thm-trac-equation により、高さ $y$ の点での接線と $x$ 軸の交点の $x$ 座標は $g(y)-y\,g'(y)=g(y)+\sqrt{a^2-y^2}$ である。段 2 から、これは $a(t-\tanh t)+a\tanh t=at$ で、$Q(t)=(at,0)$ は $C(t)$ の真下にある。
段 4(垂直)。$\overrightarrow{IQ}=\left(a\tanh t,\ -\dfrac a{\cosh t}\right)$、$\overrightarrow{IC}=s(t)\,\vec e(t)=a\tanh t\,(1,\ \sinh t)$ なので、内積は
$$
\overrightarrow{IQ}\cdot\overrightarrow{IC}=a\tanh t\cdot a\left(\tanh t-\frac{\sinh t}{\cosh t}\right)=0
$$
である。$\square$
段 4 により、3 点 $C$、$I$、$Q$ は $I$ を直角の頂点とする直角三角形をなす。斜辺 $CQ$ の長さは $C$ の高さ $a\cosh t$、2 辺は $CI=a\sinh t$、$IQ=a$ で、三平方の定理 $a^2\cosh^2t=a^2\sinh^2t+a^2$ は $\cosh^2t-\sinh^2t=1$ そのものである(図 4)。
懸垂線 y=cosh x(緑)と、B から巻いた糸をほどいた端の軌跡(青)。糸 CI(橙)とひも IQ(赤)は垂直で、Q は C の真下にある
$a=1$、$t=1$ とする。$C=(1,\ \cosh1)=(1,\ 1.5430\ldots)$、糸の長さは $s=\sinh1=1.1752\ldots$ である。
$$
I=\left(1-\tanh1,\ \frac1{\cosh1}\right)=(1-0.7615\ldots,\ 0.6480\ldots)=(0.2384\ldots,\ 0.6480\ldots)
$$
で、$CI=\sqrt{0.7615\ldots^2+0.8950\ldots^2}=1.1752\ldots=s$、$IQ=\sqrt{0.7615\ldots^2+0.6480\ldots^2}=1$($\tanh^21+\dfrac1{\cosh^21}=1$)である。$I$ の高さ $0.6480\ldots$ で thm-trac-equation の $g$ を計算しても $0.2384\ldots$ になる。
2 つの曲線を並べて比べる。
| 懸垂線 | トラクトリクス | |
|---|---|---|
| 特徴づけ | 傾き $=\dfrac{\text{最下点からの弧長}}a$ | 接線の、接点から $x$ 軸までの長さ $=a$ |
| 微分方程式 | $y''=\dfrac1a\sqrt{1+(y')^2}$ | $\dfrac{dx}{dy}=-\dfrac{\sqrt{a^2-y^2}}y$ |
| 媒介変数表示 | $\bigl(at,\ a\cosh t\bigr)$ | $\left(a(t-\tanh t),\ \dfrac a{\cosh t}\right)$ |
| 漸近線 | なし | $x$ 軸 |
| 出発点からの長さ | $a\sinh t$ | $a\log\cosh t$ |
| 関係 | トラクトリクスの縮閉線 | 懸垂線の伸開線 |
表の最後から 2 行目のトラクトリクスの長さは、ex-trac-length の $a\log\dfrac ay$ に $y=\dfrac a{\cosh t}$ を入れたものである。
def-trac の条件と thm-trac-area の極限を外すと何が崩れるかを並べる。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| ひもの長さが一定(条件 (ii)) | ひもがいつも $45^\circ$ の向き | $x$ 軸が漸近線になる |
| ひもが P での接線に重なる(条件 (ii)) | Q の真上を水平に進む点 | 曲線がトラクトリクスになる |
| 面積を $X\to\infty$ の極限でとる | $X=2$ で打ち切る | 面積が $\dfrac{\pi a^2}4$ になる |
ひもが P での接線に重なるが、長さが一定でなく、ひもの向きがいつも $45^\circ$ 下向きだとする。これは $g'(y)=-1$ ということで、$g(1)=0$($a=1$)とあわせて $g(y)=1-y$、曲線は線分 $x+y=1$ である(ex-trac-tangent (1))。ひもの長さは $\sqrt2\,y$ で、P が進むにつれて短くなる。P は点 $(1,0)$ で $x$ 軸に着き、$x$ 軸は漸近線にならない。曲線と $x$ 軸、$y$ 軸で囲まれた部分は直角二等辺三角形で、面積は $\dfrac12=0.5$ で、トラクトリクスの $\dfrac\pi4=0.785\ldots$ より小さい(図 5)。
反例。ひもの長さを 1 に保つトラクトリクス(青)と、ひもがいつも 45° の向きの場合の線分(紫の破線)。線分は x=1 で x 軸に着く
$a=1$ とし、Q が $(q,0)$ にあるとき P がいつも真上の $(q,1)$ にあるとする(P は高さ $1$ の水平な直線の上を Q と並んで進む)。P と Q の距離はいつも $1$ である。しかし P の進む向きは水平で、P での曲線(直線 $y=1$)の接線は $x$ 軸と交わらない。条件 (ii) の「接線が $x$ 軸と交わり、その長さが $a$」が成り立たないので、トラクトリクスではない。ひもで引かれる点は、ひもの向きに進むことが大切である。
ex-trac-area の表のとおり、$a=1$ で $X=2$ までの面積は $0.68574\ldots$ で、$\dfrac\pi4=0.78539\ldots$ に $0.0996\ldots$ 足りない。$X$ をどれだけ大きくとっても $S(X)<\dfrac\pi4$ で($\dfrac\pi4-S(X)=\displaystyle\int_0^{f(X)}\sqrt{1-v^2}\,dv>0$)、$\dfrac\pi4$ は $X\to\infty$ の極限としてはじめて得られる。
トラクトリクスを、その漸近線($x$ 軸)のまわりに回転させてできる曲面を 擬球 という。Wei26 によれば、擬球は負の一定の曲率をもつ曲面である。球面は正の一定の曲率をもつ曲面の代表で、擬球はその「負の版」にあたる。曲面の曲率は大学の微分幾何で定義する量で、この記事では扱わない。負の一定の曲率をもつ曲面の上の幾何は、双曲幾何の三角形 で扱う双曲幾何と関係が深い。
Wei26 によれば、トラクトリクスは Leibniz に出された問題(水平な直線に沿って引かれる、一定の長さのひもの先の物体の道筋を求める問題)から生まれた。Leibniz は $x$ 軸が漸近線であることを使ってこの曲線を求めた。ひもを犬の引き綱に見立てて、ドイツ語では「犬曲線」とも呼ばれる。1692 年に Huygens が調べて tractrix と名づけ、その後 Leibniz、Johann Bernoulli らも研究した。
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