分離公理 (separation axioms) とは、位相空間論において、空間内の点や集合が位相的に「どれくらい区別(分離)できるか」を分類するための公理系である。ドイツ語のTrennungsaxiomに由来し、T公理とも呼ばれる。一般に、微分幾何学や解析学で扱われる空間(多様体や距離空間)はハウスドルフ性 ($T_2$) 以上の強い分離公理を満たすことが要請され、これにより極限の一意性や豊富な連続関数の存在が保証される。一方で、現代の代数幾何学で扱われる「スキーム」のような空間は、通常ハウスドルフ性を満たさず、点が開集合によって分離できないことが常態である。むしろ、密着した構造(生成点や既約性)を捉えるために $T_0$ などの弱い分離公理や Sober 性が積極的な役割を果たす。本記事では $T_0$ から $T_6$ までの階層構造と、それぞれの数学的分野における位置づけについて概説する。
分離公理 (separation axioms) とは、位相空間論において、空間内の点や集合が位相的に「どれくらい区別(分離)できるか」を分類するための公理系である。ドイツ語の Trennungsaxiom に由来し、T公理とも呼ばれる。
文献や歴史的経緯により、「正則空間」「正規空間」などの用語が $T_1$ 公理(一点が閉集合であること)を含むかどうかに揺れがある。本記事では現代的な標準(ブルバキスタイル等)に従い、以下のように厳密に区別する。
分離公理には以下の厳密な包含関係がある(矢印 $\implies$ は「ならば」を意味する)。
$$
\text{距離空間} \implies T_6 \implies T_5 \implies T_4 \implies T_{3.5} \implies T_3 \implies T_2 \implies T_1 \implies T_0
$$
| 記号 | 名称 | 分離対象 | 特徴・重要性 |
|---|---|---|---|
| $T_0$ | コルモゴロフ空間 | 点 vs 点 (片方) | 位相的識別可能性の最小条件。スキーム論で重要。 |
| $T_1$ | フレシェ空間 | 点 vs 点 (両方) | 一点集合が閉集合。有限集合が閉。 |
| $T_2$ | ハウスドルフ空間 | 点 vs 点 (近傍) | 極限の一意性。幾何学の標準的な舞台。 |
| $T_{2.5}$ | ウリゾーン空間 | 点 vs 点 (閉近傍) | $T_2$ と $T_3$ の間。異なる点を閉近傍で分離。 |
| $T_3$ | 正則ハウスドルフ空間 | 点 vs 閉集合 | 局所的に基本近傍系が閉集合で取れる。 |
| $T_{3.5}$ | チコノフ空間 | 点 vs 閉集合 (関数) | 完全正則。コンパクト空間への埋め込みが可能。 |
| $T_4$ | 正規ハウスドルフ空間 | 閉集合 vs 閉集合 | ウリゾーンの補題。連続関数が豊富。 |
| $T_5$ | 完全正規空間 | 分離された集合 | 遺伝的正規性。部分空間も正規。 |
| $T_6$ | 完備正規空間 | 閉集合 vs 関数 | 閉集合が $G_\delta$。距離空間に近い。 |
点の存在や識別に関する基本的な条件である。
位相空間 $X$ の任意の相異なる2点 $x, y$ に対して、少なくとも一方は「他方を含まない開集合」に含まれる。
すなわち、ある開集合 $U$ が存在して ($x \in U$ かつ $y \notin U$) または ($y \in U$ かつ $x \notin U$) が成り立つ。
位相空間 $X$ の任意の相異なる2点 $x, y$ に対して、それぞれが「他方を含まない開集合」に含まれる。
すなわち、開集合 $U, V$ が存在して ($x \in U$ かつ $y \notin U$) かつ ($y \in V$ かつ $x \notin V$) が成り立つ。
最も基本的で重要な分離公理である。
異なる2点 $x, y$ に対し、互いに交わらない開集合 $U, V$ が存在して $x \in U, y \in V$ となる。
局所的な構造や、関数の存在に関する条件が登場する。
$T_1$ 空間であり、かつ「点 $x$」と「$x$ を含まない閉集合 $F$」を互いに交わらない開集合で分離できる。
$T_1$ 空間であり、かつ「点 $x$」と「$x$ を含まない閉集合 $F$」を連続関数で分離できる。
すなわち、連続写像 $f: X \to [0, 1]$ が存在して、$f(x)=0, f(F)=\{1\}$ となる。
解析学的な議論(関数の構成)を行うための重要なクラス。
$T_1$ 空間であり、かつ「互いに交わらない閉集合 $A, B$」を互いに交わらない開集合で分離できる。
距離空間に近い性質を持つ強い条件。
$T_1$ 空間であり、かつ「分離された集合 $A, B$ (すなわち $\bar{A} \cap B = \emptyset$ かつ $A \cap \bar{B} = \emptyset$)」を互いに交わらない開集合で分離できる。
$T_4$ 空間であり、かつ任意の閉集合が Gδ集合(可算個の開集合の共通部分)である。
分離公理はコンパクト空間(コンパクト性)と組み合わせることで、空間の位相的構造を決定づける強力な定理を生み出す。
ハウスドルフ性 ($T_2$) は、コンパクト空間が良い振る舞いをするために不可欠な条件である。
コンパクト性を強めたり弱めたりすることで、より高い分離公理が導かれる。
通常、解析学や微分幾何学で扱う空間(多様体など)は、異なる点が明確に分離される「ハウスドルフ空間 ($T_2$)」であることを前提とする。しかし、代数幾何学、特にグロタンディーク以降のスキーム論においては、ハウスドルフ性を満たさない空間が標準的な研究対象となる。
これは単なる病的な例ではなく、代数的な構造(環のスペクトル)を幾何学的に捉えるための必然的な帰結である。
代数多様体やスキームには、多項式のゼロ点集合を閉集合とするザリスキ位相が入れられる。この位相は、ユークリッド位相に比べて開集合が非常に大きく(粗く)なる傾向がある。
スキーム論では、空間に「点」を最大限に追加するアプローチを取る(環の素イデアルを点とみなす)。
例えば、整数環のスペクトル $\text{Spec}(\mathbb{Z})$ や多項式環のスペクトル $\text{Spec}(k[x])$ には、閉点が表す具体的な解だけでなく、生成点 (generic point) と呼ばれる点が含まれる。
スキームのような空間を特徴づけるために、ハウスドルフ性の代わりに用いられる重要な位相的性質がSober空間(穏健空間)である。
各分離公理が、位相空間の基本的な操作(部分空間、直積空間、商空間など)に対して保存されるかをまとめた表である。
(○:保存される、×:一般には保存されない)
| 公理 | 部分空間 | 直積空間 | 閉部分空間 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| $T_0$ | ○ | ○ | ○ | |
| $T_1$ | ○ | ○ | ○ | |
| $T_2$ | ○ | ○ | ○ | 商空間は $T_2$ とは限らない(等化位相)。 |
| $T_3$ | ○ | ○ | ○ | |
| $T_{3.5}$ | ○ | ○ | ○ | チコノフの定理と関連が深い。 |
| $T_4$ | × | × | ○ | 直積の反例:ゾルゲンフライ平面。 部分空間の反例:チコノフの板。 |
| $T_5$ | ○ | × | ○ | 定義より任意の部分空間へ遺伝する。 |
| $T_6$ | ○ | × | ○ |
※ 直積空間における注意: 「正規空間の直積は正規とは限らない」というのは位相空間論における有名な反例の宝庫である。ただし、コンパクト・ハウスドルフ空間の直積は(コンパクト・ハウスドルフなので)正規である。
上位の公理は下位の公理を含意するが、逆は一般に成り立たない。