多項式多重ゼータ値(polynomial multiple zeta value)とは、インデックスを各位置で前半と後半に切り、前半の正規化多重ゼータ値と反転した後半の正規化多重ゼータ値の積を、二変数 $x,y$ で重み付けして足した多項式である。$(x,y)=(1,0)$ で通常の正規化多重ゼータ値、$(1,-1)$ で対称多重ゼータ値を回復する。調和正規化とシャッフル正規化を結ぶ正規化定理も二変数化され、通常版と対称版の関係式を統一する。
前提知識: 多重ゼータ値, 対称多重ゼータ値, 多項式環, 形式的冪級数
インデックスとは正整数の有限列 $\boldsymbol{k}=(k_1,\ldots,k_r)$ のことであり、空列 $\emptyset$ も許す。重さを $\mathrm{wt}(\boldsymbol{k})=k_1+\cdots+k_r$、深さを $\mathrm{dep}(\boldsymbol{k})=r$ とする。また
$$
\boldsymbol{k}_{[i]}=(k_1,\ldots,k_i),\qquad
\boldsymbol{k}^{[i]}=(k_{i+1},\ldots,k_r),\qquad
\overleftarrow{\boldsymbol{k}}=(k_r,\ldots,k_1)
$$
と書く。空列の重さは $0$ とする。
調和積による正規化多項式を $\zeta^{*}(\boldsymbol{k};T)$、シャッフル積による正規化多項式を $\zeta^{\amalg}(\boldsymbol{k};T)$ と書く。これらは $\zeta^{\bullet}(\emptyset;T)=1$、$\zeta^{\bullet}(1;T)=T$ を満たし、許容インデックス、すなわち $\boldsymbol{k}=\emptyset$ または $k_r\ge 2$ のとき通常の多重ゼータ値に一致する。ここで $\bullet$ は $*$ または $\amalg$ を表す。
インデックス $\boldsymbol{k}=(k_1,\ldots,k_r)$ と $\bullet\in\{*,\amalg\}$ に対し
$$
\zeta^{\bullet}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)
:=\sum_{i=0}^{r}
\zeta^{\bullet}(\boldsymbol{k}_{[i]};T)\,
\zeta^{\bullet}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}};T)\,
x^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})}
y^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})}
\in\mathcal{Z}[T,x,y]
$$
を多項式多重ゼータ値(polynomial multiple zeta value)という。$\mathcal{Z}$ は多重ゼータ値が生成する $\mathbb{Q}$-代数である。空列については $\zeta^{\bullet}_{x,y}(\emptyset;T)=1$ とする。
後半のインデックスを反転した $\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}}$ が現れることが重要である。この反転を落とした式は一般には多項式多重ゼータ値の定義にならない。Hirose–Murahara–Saito HMS20 の初出論文はインデックスを逆向きに並べる流儀を採用しているが、上の定義は現在の Mathpedia の「最後の成分が $2$ 以上なら許容的」という流儀に合わせたものである。HMS21 もこの流儀を用いる。
調和正規化のスター版 $\zeta^{\star,*}(\boldsymbol{k};T)$ を同じ式へ代入した
$$
\zeta^{\star,*}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)
=\sum_{i=0}^{r}
\zeta^{\star,*}(\boldsymbol{k}_{[i]};T)
\zeta^{\star,*}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}};T)
x^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})}y^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})}
$$
を多項式多重ゼータスター値という。以下では、特に断らない限りスターなしの値を扱う。
和の添字 $i$ は、インデックスを前半 $\boldsymbol{k}_{[i]}$ と後半 $\boldsymbol{k}^{[i]}$ に切る位置を走る。前半には $x$、後半には $y$ を重さに応じて付け、後半だけ向きを反転して二つの正規化多項式を掛ける。したがって $(x,y)=(1,0)$ では通常の正規化多重ゼータ値だけが残り、$(x,y)=(1,-1)$ では切断位置ごとに符号を付けた対称多重ゼータ値が現れる。一つの二変数多項式が通常版と対称版を同時に保持する、というのがこの定義の狙いである。
$w=\mathrm{wt}(\boldsymbol{k})$ とする。$\zeta^{\bullet}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)$ は $x,y$ について全次数 $w$ の斉次多項式である。特に任意の不定元 $c$ に対し
$$
\zeta^{\bullet}_{cx,cy}(\boldsymbol{k};T)=c^w\zeta^{\bullet}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)
$$
が成り立つ。
定義の $i$ 番目の項に現れる $x,y$ の次数の和は
$$
\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})+\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})
=\mathrm{wt}(\boldsymbol{k})=w
$$
である。したがって各項が全次数 $w$ であり、その和も斉次である。$x,y$ をそれぞれ $cx,cy$ に置き換えると各項から共通因子 $c^w$ が出るので、後半の等式も従う。$\square$
空でないインデックス $\boldsymbol{k}$ に対し
$$
\zeta^{\bullet}_{1,0}(\boldsymbol{k};T)=\zeta^{\bullet}(\boldsymbol{k};T),
\qquad
\zeta^{\bullet}_{0,1}(\boldsymbol{k};T)=\zeta^{\bullet}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}};T)
$$
が成り立つ。また
$$
\zeta^{\bullet}_{1,-1}(\boldsymbol{k};T)
=\sum_{i=0}^{r}(-1)^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})}
\zeta^{\bullet}(\boldsymbol{k}_{[i]};T)
\zeta^{\bullet}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}};T)
$$
は対称正規化多重ゼータ値であり、$T$ に依存しない。その $\zeta(2)\mathcal{Z}$ を法とする剰余類が対称多重ゼータ値である。
各 $k_j$ は正なので、$\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})=0$ となるのは $i=0$ のときだけであり、$\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})=0$ となるのは $i=r$ のときだけである。よって $(x,y)=(1,0)$ では $i=r$ の項だけが残って $\zeta^{\bullet}(\boldsymbol{k};T)$ となり、$(x,y)=(0,1)$ では $i=0$ の項だけが残って $\zeta^{\bullet}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}};T)$ となる。$(x,y)=(1,-1)$ を代入すれば表示式を得る。この表示が $T$ に依存しないことは対称正規化多重ゼータ値の独立性定理であり、Ihara–Kaneko–Zagier の正規化定理を用いて Hirose–Murahara–Saito HMS20 が確認している。$\square$
任意のインデックス $\boldsymbol{k}$ に対し
$$
\zeta^{\bullet}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)
=\zeta^{\bullet}_{y,x}(\overleftarrow{\boldsymbol{k}};T)
$$
が成り立つ。
$\overleftarrow{\boldsymbol{k}}=(k_r,\ldots,k_1)$ の定義式で切断位置を $j=r-i$ と置く。すると、その前半を反転したものは $\boldsymbol{k}^{[i]}$、後半を反転したものは $\boldsymbol{k}_{[i]}$ になる。さらに前半と後半の重さはそれぞれ $\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})$ と $\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})$ である。$x$ と $y$ も交換しているので、得られる $j$ 番目の項は元の定義式の $i$ 番目の項と同じである。$i=0,\ldots,r$ にわたって足せば主張を得る。$\square$
$\ast$ をインデックスの調和積とする。インデックスの $\mathbb{Q}$-線形結合に $\zeta^*_{x,y}$ を線形に拡張すると、任意のインデックス $\boldsymbol{k},\boldsymbol{l}$ に対し
$$
\zeta^*_{x,y}(\boldsymbol{k};T)\,
\zeta^*_{x,y}(\boldsymbol{l};T)
=\zeta^*_{x,y}(\boldsymbol{k}\ast\boldsymbol{l};T)
$$
が成り立つ。
左辺を定義どおり展開する。$\boldsymbol{k}$ を位置 $i$、$\boldsymbol{l}$ を位置 $j$ で切った項は
$$
x^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})+\mathrm{wt}(\boldsymbol{l}_{[j]})}
y^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})+\mathrm{wt}(\boldsymbol{l}^{[j]})}
\zeta^*(\boldsymbol{k}_{[i]};T)\zeta^*(\boldsymbol{l}_{[j]};T)
\zeta^*(\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}};T)\zeta^*(\overleftarrow{\boldsymbol{l}^{[j]}};T)
$$
である。調和正規化写像は調和積の代数準同型なので、これは
$$
x^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}_{[i]})+\mathrm{wt}(\boldsymbol{l}_{[j]})}
y^{\mathrm{wt}(\boldsymbol{k}^{[i]})+\mathrm{wt}(\boldsymbol{l}^{[j]})}
\zeta^*(\boldsymbol{k}_{[i]}\ast\boldsymbol{l}_{[j]};T)
\zeta^*(\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}}\ast\overleftarrow{\boldsymbol{l}^{[j]}};T)
$$
に等しい。
ここで、$\boldsymbol{k}\ast\boldsymbol{l}$ の各調和積項に切断位置を一つ指定したものを考える。切断より左に使われた $\boldsymbol{k},\boldsymbol{l}$ の成分数をそれぞれ $i,j$ とすれば、左側は $\boldsymbol{k}_{[i]}\ast\boldsymbol{l}_{[j]}$ の項である。右側を反転すると、調和積が順序の反転と両立することから $\overleftarrow{\boldsymbol{k}^{[i]}}\ast\overleftarrow{\boldsymbol{l}^{[j]}}$ の項になる。逆に、二つの調和積項を切断の左右へ連結すれば、切断付きの $\boldsymbol{k}\ast\boldsymbol{l}$ の項がただ一つ得られる。この対応は、同じインデックスが複数の混ぜ方から現れるときの重複度も保つ。
したがって $(i,j)$ と左右の調和積項にわたる和は、$\boldsymbol{k}\ast\boldsymbol{l}$ の各項について全切断位置を足した和、すなわち $\zeta^*_{x,y}(\boldsymbol{k}\ast\boldsymbol{l};T)$ に一致する。$\square$
$k\ge 2$ なら
$$
\zeta^{\bullet}_{x,y}(k;T)=(x^k+y^k)\zeta(k)
$$
である。一方、正規化が必要なインデックス $(1)$ では
$$
\zeta^{\bullet}_{x,y}(1;T)=(x+y)T
$$
となる。したがって $x+y=0$ では $T$ が消えるが、一般の $x,y$ では消えない。
$\boldsymbol{k}=(a,b)$ に対し
$$
\zeta^{\bullet}_{x,y}(a,b;T)
=y^{a+b}\zeta^{\bullet}(b,a;T)
+x^ay^b\zeta^{\bullet}(a;T)\zeta^{\bullet}(b;T)
+x^{a+b}\zeta^{\bullet}(a,b;T).
$$
例えば $a,b\ge 2$ なら深さ1の二因子は通常のゼータ値となり、正規化変数 $T$ が現れうるのは端の二つの深さ2の値だけである。
「多項式多重ゼータ値は常に $T$ に依存しない」は誤りである。インデックス $(1)$ は反例であり、ex-polynomial-multiple-zeta-value-depth-one により $\zeta^{\bullet}_{x,y}(1;T)=(x+y)T$ である。これは例えば $(x,y)=(1,0)$ で $T$ となる。したがって、$T$ 独立性は $(1,-1)$ の対称特殊化の性質であって、二変数多項式全体の性質ではない。
深さ2の正しい中間項は $x^ay^b\zeta^{\bullet}(a;T)\zeta^{\bullet}(b;T)$ なので反転の有無が見えないが、深さ3以上では後半が二成分以上になり差が現れる。例えば $\boldsymbol{k}=(a,b,c)$ の $i=1$ の項は
$$
x^ay^{b+c}\zeta^{\bullet}(a;T)\zeta^{\bullet}(c,b;T)
$$
であって、一般には $\zeta^{\bullet}(b,c;T)$ ではない。よって「後半を反転せずに同じ定義になる」という含意は破れる。
多項式多重ゼータ値が単なる補間記号ではなく有用なのは、調和正規化とシャッフル正規化の関係そのものが二変数化されるためである。$x,y$ を代数的に独立な不定元とし
$$
A_{x,y}(u)
=\exp\!\left(
\sum_{n=2}^{\infty}\frac{(-1)^n}{n}\zeta(n)
\frac{x^n+y^n}{(x+y)^n}u^n
\right)
\in\mathbb{R}(x,y)[\![u]\!]
$$
とおく。$\mathbb{R}(x,y)$-線形写像
$\rho_{x,y}\colon\mathbb{R}(x,y)[T]\to\mathbb{R}(x,y)[T]$ を、係数ごとに作用させる等式
$$
\rho_{x,y}(e^{Tu})=A_{x,y}(u)e^{Tu}
$$
で定める。
任意のインデックス $\boldsymbol{k}$ に対し
$$
\zeta^{\amalg}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)
=\rho_{x,y}\bigl(\zeta^{*}_{x,y}(\boldsymbol{k};T)\bigr)
$$
が $\mathbb{R}(x,y)[T]$ で成り立つ。
Hirose–Murahara–Saito HMS20 の主定理である。証明は、Ihara–Kaneko–Zagier IKZ06 の正規化定理を非可換母関数へ適用し、インデックスの反転と切断を表す積へ整理することで得られる。ここでは完全証明を割愛する。$(x,y)=(1,0)$ に対応する極限では同じインデックスに対する通常の正規化定理を回復し、$(1,-1)$ では対称多重ゼータ値の二つの正規化が $\zeta(2)$ の倍数を除いて一致することにつながる。表示中に $(x+y)^{-n}$ があるため、$x+y=0$ への代入は $A_{x,y}$ の式へ直接行うのではなく、多項式恒等式側で行う。
Hirose–Murahara–Saito HMS21 は、多項式多重ゼータ値と多項式多重ゼータスター値の重さ・深さ・高さを固定した和の母関数を求めた。そこでは通常の多重ゼータ値の和公式と対称多重ゼータ値の和公式が、同じ二変数多項式の異なる特殊化として現れる。したがって、この対象は個々の値を補間するだけでなく、関係式の族を一つの母関数へまとめる役割も持つ。
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