スライス圏(slice category)とは、圏 $C$ の固定した対象 $b$ への射 $p\colon x\to b$ を対象とし、構造射と可換な射 $u$($q\circ u=p$)を射とする圏 $C_{/b}$ である。余スライス圏は $b$ から出る射を集める双対的な構成で、基点付き集合や多元環を同じ形式で扱える。どちらもコンマ圏の特殊な場合である。集合の上のスライスはファイバーの族の圏と同値であり、スライス圏の積は $C$ の引き戻し、恒等射 $\mathrm{id}_b$ は終対象になる。
ある対象 $b$ への射を調べるとき、その射自体を対象として集めると、$b$ を固定したまま議論できる。スライス圏は「$b$ の上にある対象」の圏であり、余スライス圏は向きを逆にした「$b$ から指定された射を持つ対象」の圏である。
圏 $C$ と対象 $b$ に対し、スライス圏 (slice category) $C_{/b}$ を次のように定める。
余スライス圏 (coslice category) $C_{b/}$ の対象は射 $p\colon b\to x$ であり、$p$ から $q\colon b\to y$ への射は $u\circ p=q$ を満たす $u\colon x\to y$ である。$C/b$, $b/C$ とも書く。
スライス圏の射の条件 $q\circ u=p$ は、次の三角形が可換であることを表す。
$$
\xymatrix{
x \ar[rr]^u \ar[dr]_p & & y \ar[dl]^q \\
& b &
}
$$
対象は $x$ 単独ではなく、構造射との組 $(x,p)$ である。同じ $x$ でも異なる構造射を指定すれば、一般に異なる対象になる。スライス圏の定義は Lei16 Example 2.3.3(pp. 59–60)、余スライス圏は Mac98 Chapter II §6(p. 45)にある。
上の定義で、$C_{/b}$ と $C_{b/}$ は圏になる。
$q\circ u=p$, $r\circ v=q$ なら
$$
r\circ(v\circ u)=(r\circ v)\circ u=q\circ u=p.
$$
したがって $v\circ u$ もスライスの射である。恒等射も条件を満たし、結合律と単位律は $C$ から受け継ぐ。余スライスでは $u\circ p=q$, $v\circ q=r$ から $(v\circ u)\circ p=r$ を得る。$\square$
対象 $b$ を一対象一射の圏 $1$ から $C$ への 関手 とみなすと、スライス圏と余スライス圏は コンマ圏 の特殊な場合である。
$$
C/b=(\operatorname{id}_C\downarrow b),\qquad b/C=(b\downarrow\operatorname{id}_C).
$$
左の等式では、コンマ圏の対象 $(x,*,p\colon x\to b)$ が構造射 $p$ に、射の可換条件 $\operatorname{id}_b\circ p=q\circ u$ が $q\circ u=p$ に対応する。右の等式も同様である。この対応はコンマ圏の記事の例「スライスと余スライス」が扱う。
一点集合を $1$ とすると、$1\to X$ の指定は $X$ の元の指定である。したがって $\operatorname{Set}_{1/}$ は 基点付き集合 と基点を保つ写像の圏に同型である。一方 $\operatorname{Set}_{/1}$ は通常の集合の圏に同型である。「上」と「下」を取り違えると、別の構造を扱うことになる。
順序集合 $P$ を、$x\leq y$ のとき射が一つある圏とみなす。$P_{/b}$ は $x\leq b$ を満たす元の部分順序集合で、$P_{b/}$ は $b\leq x$ を満たす元の部分順序集合である。たとえば整数の通常の順序なら、前者は $b$ 以下、後者は $b$ 以上の整数を集める。
可換環と環準同型の圏 $\mathbf{CRing}$ で、可換環 $R$ の下の余スライス $\mathbf{CRing}_{R/}$ の対象は環準同型 $\varphi\colon R\to A$ である。これは $A$ に $r\cdot a:=\varphi(r)a$ で $R$ の作用を入れた可換 $R$ 代数と同じデータであり、余スライスの射 $u\colon A\to A'$ の条件 $u\circ\varphi=\varphi'$ は、$u$ が $R$ の作用を保つこと、すなわち $R$ 代数の準同型であることにあたる。$R=\mathbb Z$ のときは、$\mathbb Z$ から任意の環への準同型がただ一つなので(整数の記事の定理「整数環の普遍性」)、$\mathbf{CRing}_{\mathbb Z/}$ は $\mathbf{CRing}$ に同型である。
位相空間の圏 $\mathbf{Top}$ のスライス $\mathbf{Top}_{/B}$ の対象は、空間 $B$ の上の連続写像 $E\to B$ であり、被覆空間やファイバー束はこの圏の対象に条件を課したものとして扱われる。
集合 $B$ の上のスライス $\mathbf{Set}_{/B}$ は、$B$ で添字づけられた集合の族と同じものである。$B$ で添字づけられた集合の族 $(X_b)_{b\in B}$ を対象とし、族の各成分の写像の組 $(f_b\colon X_b\to Y_b)_{b\in B}$ を射とする圏を $\mathbf{Set}^B$ と書く。
次の関手 $\Phi\colon\mathbf{Set}_{/B}\to\mathbf{Set}^B$、$\Psi\colon\mathbf{Set}^B\to\mathbf{Set}_{/B}$ は、互いに自然同型を除いて逆であり、$\mathbf{Set}_{/B}$ と $\mathbf{Set}^B$ は圏同値である。
$\Phi$ の射の対応が定まることを確かめる。$u\colon(X,p)\to(Y,q)$ がスライスの射で $p(x)=b$ なら、$q(u(x))=p(x)=b$ なので $u$ は $p^{-1}(\{b\})$ を $q^{-1}(\{b\})$ に写す。$\Psi$ の射の対応は $B$ への射影と可換なのでスライスの射である。どちらも恒等射と合成を成分ごとに保つので関手である。
$\Phi\Psi(X_b)_b$ の $b$ 成分は $\{(b,x)\mid x\in X_b\}$ であり、$(b,x)\mapsto x$ によって $X_b$ と全単射で対応する。この全単射は族の射 $(f_b)$ と可換なので、自然同型 $\Phi\Psi\cong\operatorname{Id}$ を与える。
$\Psi\Phi(X,p)$ は $\{(b,x)\mid p(x)=b\}$ と射影の組である。写像 $(b,x)\mapsto x$ はこれを $X$ へ写し、逆写像は $x\mapsto(p(x),x)$ であり、どちらも $B$ への写像と可換なのでスライス圏の同型である。スライスの射 $u$ に対して $(b,x)\mapsto(b,u(x))$ と $u$ が両立するので自然である。よって $\Psi\Phi\cong\operatorname{Id}$ である。$\square$
この同値により、「$B$ の各点の上に集合が一つずつある」という直感が正確になる。構造射 $p$ のファイバーが族の成分であり、スライスの射はファイバーごとの写像の組である。空集合の上のスライス $\mathbf{Set}_{/\emptyset}$ は、空集合への写像が空集合からのものしかないので、対象がただ一つの圏になる。これは空な添字集合の族の圏がただ一つの族(空の族)からなることに対応する。
$p\colon x\to b$ から $\operatorname{id}_b$ へのスライスの射 $u$ の条件は $\operatorname{id}_b\circ u=p$、すなわち $u=p$ である。存在し、しかも唯一である。余スライスでは $\operatorname{id}_b$ から $p\colon b\to x$ への射の条件が $u\circ\operatorname{id}_b=p$ となり、同じ結論を得る。$\square$
この性質は、$b$ 自身が $C$ の終対象であることを意味しない。たとえば二点集合は集合の圏の終対象でないが、その恒等写像は二点集合上のスライスの終対象である。
スライスの射 $u\colon(x,p)\to(y,q)$ が $C_{/b}$ の同型射であることと、$u$ が $C$ の同型射であることは同値である。
$C_{/b}$ の逆射は $C$ の逆射でもあるので、前者から後者が従う。逆に $u$ が $C$ で逆射 $v\colon y\to x$ をもつとする。$q\circ u=p$ の両辺に右から $v$ を合成すると $q=p\circ v$ となるので、$v$ は $(y,q)$ から $(x,p)$ へのスライスの射であり、$C_{/b}$ での $u$ の逆射である。$\square$
つまり構造射を忘れる関手 $C_{/b}\to C$ は同型を反映する。rem-slice-counterexample のとおり充満ではないが、同型については情報を失わない。
$p\colon x\to b$、$q\colon y\to b$ に対し、$C$ における引き戻し $x\times_by$(射影 $\pi_1,\pi_2$、$r:=p\circ\pi_1=q\circ\pi_2$)が存在することと、$C_{/b}$ で $(x,p)$ と $(y,q)$ の積が存在することは同値であり、存在するとき積は $(x\times_by,r)$ と射影 $\pi_1,\pi_2$ である。
引き戻しがあるとする。$\pi_1,\pi_2$ は $p\circ\pi_1=r$、$q\circ\pi_2=r$ なのでスライスの射である。スライスの対象 $(t,s)$ とスライスの射 $u\colon(t,s)\to(x,p)$、$v\colon(t,s)\to(y,q)$ が与えられたとする。$p\circ u=s=q\circ v$ なので、引き戻しの普遍性により $\pi_1\circ w=u$、$\pi_2\circ w=v$ となる $w\colon t\to x\times_by$ がただ一つある。$r\circ w=p\circ\pi_1\circ w=p\circ u=s$ なので $w$ はスライスの射である。一意性は $C$ での一意性から従う。
逆に $(P,r)$ と射影 $\pi_1,\pi_2$ が $C_{/b}$ の積であるとする。$t$ と $u\colon t\to x$、$v\colon t\to y$ が $p\circ u=q\circ v$ を満たすとき、$s:=p\circ u$ とおけば $u,v$ は $(t,s)$ からのスライスの射なので、積の普遍性から $w$ がただ一つ定まる。$C$ の射 $w'\colon t\to P$ が $\pi_1\circ w'=u$、$\pi_2\circ w'=v$ を満たせば、$r\circ w'=p\circ\pi_1\circ w'=s$ なので $w'$ もスライスの射であり、$w'=w$ である。よって $P$ は引き戻しである。$\square$
$\mathbf{Set}_{/B}$ では、この積は $\{(x,y)\mid p(x)=q(y)\}$ であり、先の族の圏の言葉では、ファイバーごとの直積 $(p^{-1}(\{b\})\times q^{-1}(\{b\}))_b$ にあたる。この命題は Rie16 Lemma 4.6.4 の証明で使われている。
$p\colon x\to b$ を $C_{/b}$ の対象とすると、圏の同型 $(C_{/b})_{/(x,p)}\cong C_{/x}$ がある。
左辺の対象は、スライスの射 $u\colon(t,s)\to(x,p)$、すなわち $p\circ u=s$ を満たす $u\colon t\to x$ である。$s$ は $u$ から $s=p\circ u$ として決まるので、左辺の対象は $C_{/x}$ の対象 $u\colon t\to x$ と一対一に対応する。左辺の射 $u\to u'$ は、スライスの射 $w\colon(t,s)\to(t',s')$ で $u'\circ w=u$ を満たすものである。条件 $s'\circ w=s$ は $s'\circ w=p\circ u'\circ w=p\circ u=s$ により自動的に成り立つので、左辺の射は $C_{/x}$ の射 $w$ と一対一に対応する。合成と恒等射はどちらも $C$ のものなので、この対応は圏の同型である。$\square$
この同型は Rie16 Lemma 4.6.3 の証明で使われている。
射 $f\colon b\to c$ を固定すると、後合成によって $f_!\colon C_{/b}\to C_{/c}$, $(x\xrightarrow{p}b)\mapsto(x\xrightarrow{f p}c)$ が定まる。$C$ に 引き戻し があれば、逆向きに $f^*\colon C_{/c}\to C_{/b}$ を、$y\to c$ の $b$ に沿った引き戻しで作れる。個々の引き戻しを選んで関手にするとき、その普遍性が射の対応を一意に定める。
必要な引き戻しが存在するとき、$f_!$ は $f^*$ の左随伴である(随伴関手)。
$p\colon x\to b$, $q\colon y\to c$ に対し、$c$ 上の射 $f_!p\to q$ は $q u=f p$ を満たす $u\colon x\to y$ である。引き戻しの普遍性により、これは射 $(p,u)\colon x\to b\times_c y$ で第1射影が $p$ となるもの、つまり $b$ 上の射 $p\to f^*q$ と一対一に対応する。対応は $p,q$ の射との合成を保つので自然である。$\square$
この随伴は Rie16 §4.6(p. 167)で $\Sigma_f\dashv\Delta_f$ として述べられている。
集合 $P=\{z_1,z_2,x,y,b\}$ に、$z_1,z_2\le x$、$z_1,z_2\le y$、$x,y\le b$(と反射律・推移律から従う関係)で順序を入れ、圏とみなす。$z_1$ と $z_2$、$x$ と $y$ はそれぞれ比較できない。$P_{/b}$ は $P$ 全体であり、そこで $x$ と $y$ の積は下限、すなわち $x,y$ の共通の下界のうち最大のものである。共通の下界は $z_1,z_2$ だけで、この二つは比較できないので最大のものはない。よって $P_{/b}$ で $x$ と $y$ の積は存在せず、prop-slice-product-pullback により $P$ で $x\to b\leftarrow y$ の引き戻しも存在しない。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 構造射と可換であること | $B=\{0,1\}$ 上の $p(*)=0$、$q(*)=1$ | 台の射はスライスの射である |
| $b$ 上の引き戻しの存在 | 上の順序集合 $P$ と $x,y\le b$ | スライス圏は二つの対象の積をもつ |
| $b$ が $C$ の終対象 | 二点集合 $B$ の $\operatorname{id}_B$ | スライスの終対象は $C$ の終対象 |
| 上と下の区別 | $\mathbf{Set}_{/1}$ と $\mathbf{Set}_{1/}$ | 両者は同じ圏である |
1 行目は rem-slice-counterexample、2 行目は ex-slice-no-product、3 行目は prop-slice-identity の直後、4 行目は ex-slice-pointed で確かめた。4 行目では、$\mathbf{Set}_{1/}$ には零対象(一点集合と基点)があるが、$\mathbf{Set}_{/1}\cong\mathbf{Set}$ の始対象 $\emptyset$ と終対象 $1$ は同型でない。圏同値は始対象と終対象を保つので、二つの圏は同値でもない。
通常のスライスでは三角形の可換性は等式である。単体的集合で豊穣化された圏では、同じ等式を課すと写像単体集合の厳密なファイバーが現れる。しかし、そのファイバーがホモトピーを正しく表すとは限らない。豊穣圏でのスライス構成は スライス圏(豊穣圏) で扱う。
∞圏版では $q\circ u=p$ を成立させる三角形そのものと、その高次の整合条件も保持する。普通の可換三角形を捨てるのではなく、高次の可換性まで扱えるように拡張する方法である。詳細な定義と比較は スライス圏(∞圏) で扱う。
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