Eckmann–Hilton論法(Eckmann–Hilton argument)とは、集合上の 2 つの二項演算 $*,\star$ がそれぞれ両側単位元をもち、交換法則 $(a*b)\star(c*d)=(a\star c)*(b\star d)$ を満たすならば、2 つの単位元と 2 つの演算はそれぞれ一致し、その演算は可換かつ結合的になる、という議論である。$n\ge2$ のホモトピー群 $\pi_n$ がアーベル群であること、H空間の単位元を基点とする基本群や位相群の基本群が可換であること、2圏の恒等 1射の自己 2射やモノイダル圏の単位対象の自己射が可換であること、モノイドの中のモノイドが可換モノイドであることは、どれもこの論法から従う。
集合の上に 2 つの演算があり、どちらも単位元をもち、「横に並べてから縦に並べても、縦に並べてから横に並べても同じ」という交換法則を満たすとする。このとき 2 つの演算は実は同じもので、しかも可換かつ結合的になる。この短い議論を Eckmann–Hilton論法(Eckmann–Hilton argument)という。名前は Beno Eckmann と Peter Hilton にちなむ。
この論法は、「共通の単位元をもち、交換法則を満たす 2 つの方向に合成できるものは可換になる」という現象の正体である。$n\ge2$ のホモトピー群 $\pi_n$ がアーベル群であること、H空間の単位元を基点とする基本群や位相群の基本群が可換であること、2圏の恒等 1射の自己 2射やモノイダル圏の単位対象の自己射が可換であること、群の中の群がアーベル群であることは、どれもこの論法の当てはめである。この記事では、論法を証明し、これらの応用を順に述べ、仮定を外したときの反例を挙げる。
集合 $M$ 上の 2 つの二項演算 $*$、$\star$ が交換法則(interchange law)を満たすとは、任意の $a,b,c,d\in M$ について
$$
(a*b)\star(c*d)=(a\star c)*(b\star d)
$$
が成り立つことをいう。
$*$ を「横に並べる」、$\star$ を「縦に並べる」と読むと、交換法則は、$2\times2$ に並べた
$$
\begin{matrix}a&b\\c&d\end{matrix}
$$
を、先に各行を横に合わせてから縦に合わせても(左辺)、先に各列を縦に合わせてから横に合わせても(右辺)同じになる、という意味である。$*$ と $\star$ の役割を入れ替えた式 $(a\star b)*(c\star d)=(a*c)\star(b*d)$ は、$b$ と $c$ の名前を入れ替えれば元の式と同じなので、交換法則は 2 つの演算について対称な条件である。
集合 $M$ 上の 2 つの二項演算 $*$、$\star$ が交換法則を満たし、$*$ は両側単位元 $e$ を、$\star$ は両側単位元 $e'$ をもつとする。このとき次が成り立つ。
1:交換法則を $a=e$、$b=e'$、$c=e'$、$d=e$ に使う。$e*e'=e'$、$e'*e=e'$、$e\star e'=e$、$e'\star e=e$ なので、
$$
e'=e'\star e'=(e*e')\star(e'*e)=(e\star e')*(e'\star e)=e*e=e .
$$
2:共通の単位元を $e$ と書く。$a,d\in M$ について、交換法則を $b=c=e$ に使うと
$$
a\star d=(a*e)\star(e*d)=(a\star e)*(e\star d)=a*d .
$$
3:2 により共通の演算を $\circ$ と書くと、交換法則は $(a\circ b)\circ(c\circ d)=(a\circ c)\circ(b\circ d)$ となる。$a=d=e$ とおくと $b\circ c=c\circ b$ で、可換である。$c=e$ とおくと $(a\circ b)\circ d=a\circ(b\circ d)$ で、結合的である。$\square$
結合法則は仮定していないのに、結論として出てくる。逆に、可換モノイド $(M,\cdot,e)$ では、$*=\star=\cdot$ が交換法則を満たす($(ab)(cd)=(ac)(bd)$ は可換性と結合性から従う)。したがって、それぞれ両側単位元をもち交換法則を満たす 2 つの演算を集合に与えることは、可換モノイドの構造を 1 つ与えることと同じである。両側単位元の仮定はどちらの演算についても外せない(反例の表)。
Mac98 §II.5 の演習 5(p. 45)は、共通の両側単位元をもつ場合のこの主張を「Hilton–Eckmann」の名で問うている。
$(M,\cdot,1)$ を モノイド とし、直積 $M\times M$ に成分ごとの積を入れる。写像 $\mu\colon M\times M\to M$ がモノイド準同型で、すべての $x\in M$ について $\mu(x,1)=x=\mu(1,x)$ を満たすとする。このとき $\mu(x,y)=xy$ であり、$M$ は可換である。逆に $M$ が可換なら、$\mu(x,y):=xy$ はこの条件を満たす。
$a\star b:=\mu(a,b)$ とおく。$\mu$ が準同型であることは、$a,b,c,d\in M$ について
$$
(a\cdot b)\star(c\cdot d)=\mu\bigl((a,c)(b,d)\bigr)=\mu(a,c)\cdot\mu(b,d)=(a\star c)\cdot(b\star d)
$$
ということであり、$\cdot$ と $\star$ の交換法則にほかならない。$\cdot$ は単位元 $1$ を、$\star$ は仮定により単位元 $1$ をもつので、thm-eh-main により $\star=\cdot$ で、$M$ は可換である。逆に $M$ が可換なら $(ac)(bd)=(ab)(cd)$ なので $\mu$ は準同型で、$\mu(x,1)=x=\mu(1,x)$ である。$\square$
モノイダル圏 の定義「モノイダル圏の中のモノイド」の言葉では、モノイドの圏を直積と 1 元のモノイドでモノイダル圏とみたとき、その中のモノイドは、積 $\mu$ がモノイド準同型であるモノイドで、単位を与える準同型は 1 元のモノイドから出るので $1$ を指す。したがってこの命題は、モノイドの中のモノイドは可換モノイドにほかならないことを述べている。同じ議論で、積 $G\times G\to G$ が群の準同型になる群 $G$ は アーベル群 であり、群の圏の中の群(群対象)はアーベル群にほかならない。
$n\ge1$ とし、$\pi_n(X,x_0)$ を、境界 $\partial I^n$ を $x_0$ に写す写像 $f\colon I^n\to X$($I=[0,1]$)の、境界を止めたホモトピーによる類の集合とみる(ホモトピー群 の定義「ホモトピー群の演算($n\geq1$)」)。第 $i$ 座標に沿った貼り合わせを
$$
(f+_ig)(s_1,\dots,s_n)=\begin{cases}f(\dots,2s_i,\dots)&(s_i\le\tfrac12)\\ g(\dots,2s_i-1,\dots)&(s_i\ge\tfrac12)\end{cases}
$$
と書く。群の演算は $+_1$ である。
$n\ge2$ のとき、$+_1$ と $+_2$ は $\pi_n(X,x_0)$ 上の同じ演算を定め、それは可換である。とくに $\pi_n(X,x_0)$ はアーベル群である。
第 1 座標と第 2 座標を入れ替える同相 $\sigma\colon I^n\to I^n$ は $\partial I^n$ を保つので、$f\mapsto f\circ\sigma$ は境界を止めたホモトピーと両立し、$\pi_n(X,x_0)$ の全単射を引き起こす。定義から $(f\circ\sigma)+_1(g\circ\sigma)=(f+_2g)\circ\sigma$ なので、$+_2$ は $+_1$ をこの全単射で移したものであり、類の上で定まり、定値写像の類を両側単位元にもつ($+_1$ についてのこれらの事実は ホモトピー群 の命題「貼り合わせによる群構造」)。
交換法則を確かめる。$s=(s_1,s_2,\dots)$ について、$(f+_1g)+_2(h+_1k)$ と $(f+_2h)+_1(g+_2k)$ はどちらも、$s_1,s_2\le\frac12$ で $f(2s_1,2s_2,\dots)$、$s_1\ge\frac12\ge s_2$ で $g(2s_1-1,2s_2,\dots)$、$s_1\le\frac12\le s_2$ で $h(2s_1,2s_2-1,\dots)$、$s_1,s_2\ge\frac12$ で $k(2s_1-1,2s_2-1,\dots)$ をとる同じ写像である。よって類について
$$
([f]+_1[g])+_2([h]+_1[k])=([f]+_2[h])+_1([g]+_2[k])
$$
が成り立ち、$*=+_1$、$\star=+_2$ について交換法則が成り立つ。thm-eh-main により $+_1=+_2$ で、この演算は可換である。$\square$
$n=1$ では座標が 1 本しかなく、2 つ目の演算がない。実際、8 の字 $S^1\vee S^1$ の基本群は 2 元で生成される自由群で、可換でない(基本群 の例「円周のウェッジ和」)。Hat02 §4.1(p. 340)は、2 つの小立方体を第 1・第 2 座標の方向にすべらせて入れ替えるホモトピーで同じ可換性を示している。小立方体の並べ方の空間をまとめたものが E_nオペラッド であり、その命題「連結成分の積」の 2 は、同じ可換性を、$n\ge2$ のとき小立方体 2 個の並べ方の空間が弧状連結であることから導く。
$(X,\mu,e)$ を H空間(H空間 の定義「H 空間」。単位元のホモトピーは $e$ を止める)とする。$e$ を基点とするループ $f,g$ について $(f\odot g)(t):=\mu(f(t),g(t))$ とおくと、$[f]\odot[g]:=[f\odot g]$ は $\pi_1(X,e)$ 上の演算として定まり、ループの連結による積と一致する。とくに $\pi_1(X,e)$ は可換である。
ループの連結を $\cdot$ で書く($f\cdot g$ は $t\le\frac12$ で $f(2t)$、$t\ge\frac12$ で $g(2t-1)$)。$c$ を $e$ にとどまる定値ループとする。
演算が定まること:$F$、$G$ を $f\simeq f'$、$g\simeq g'$ の端点を止めたホモトピーとすると、$(t,s)\mapsto\mu(F(t,s),G(t,s))$ は $f\odot g$ から $f'\odot g'$ への端点を止めたホモトピーである($\mu(e,e)=e$)。
単位元:$f\odot c$ は $t\mapsto\mu(f(t),e)$ で、単位元のホモトピー $R$($R(x,0)=\mu(x,e)$、$R(x,1)=x$、$R(e,s)=e$)により $(t,s)\mapsto R(f(t),s)$ が $f\odot c$ から $f$ への端点を止めたホモトピーになる。同様に $c\odot g\simeq g$ なので、$[c]$ は $\odot$ の両側単位元である。$[c]$ は連結の両側単位元でもある(基本群)。
交換法則:$(f\cdot g)\odot(h\cdot k)$ と $(f\odot h)\cdot(g\odot k)$ は、どちらも $t\le\frac12$ で $\mu(f(2t),h(2t))$、$t\ge\frac12$ で $\mu(g(2t-1),k(2t-1))$ をとる同じループである。よって $*=\cdot$、$\star=\odot$ について交換法則が成り立ち、thm-eh-main により $\odot$ は連結の積と一致し、可換である。$\square$
位相群 は群の積と単位元で H空間になるので、その基本群は可換である(2圏の交換法則 の命題「位相群の基本群は可換」は、同じ議論を位相群の点ごとの積で行っている)。H空間 の定理「H 空間の基本群は可換」は、交換法則を経由せずにホモトピーを直接つないで同じ結論を得ている。位相群の場合は Mac98 §II.5 の演習 4・6(p. 45)、H空間の場合は Hat02 §3.C の演習 5(p. 291)として問われている。
2圏 では、2射の垂直合成と水平合成が交換法則を満たす。対象 $a$ の恒等 1射 $1_a$ の自己 2射の全体では、2 つの合成がどちらも恒等 2射 $1_{1_a}$ を両側単位元にもつので、thm-eh-main により 2 つの合成は一致して可換になる(2圏 の命題「恒等 1射の自己 2射は可換」)。圏と関手と自然変換のなす 2圏では、これは「圏の恒等関手の自己自然変換はつねに互いに可換である」ことを意味する。
環 $R$(可換とは限らない)について、左 $R$ 加群の圏の恒等関手の自己自然変換 $\eta$ は、$R$ の中心 $Z(R)$ の元 $z$ による掛け算 $\eta_M(m)=zm$ と 1 対 1 に対応する。実際、$z:=\eta_R(1)$ とおく。加群 $M$ と $m\in M$ について、$R\to M$、$r\mapsto rm$ は準同型なので、自然性から $\eta_M(m)=\eta_M(1\cdot m)=zm$ である。$r\in R$ について、右からの掛け算 $R\to R$、$x\mapsto xr$ も左 $R$ 加群の準同型なので、自然性から $\eta_R(r)=zr$ であり、一方 $\eta_R$ は $R$ 線形なので $\eta_R(r)=r\eta_R(1)=rz$ である。よって $z\in Z(R)$ である。逆に $z\in Z(R)$ なら $m\mapsto zm$ は自然変換を与える。自然変換の合成は $Z(R)$ の積に対応するので、この自己自然変換のモノイドは可換であり、上の結論と合う。$R$ が非可換でも、出てくるのは可換な $Z(R)$ である。
同じことをモノイダル圏の言葉で述べたものが次の命題である。
モノイダル圏 $(\mathcal{C},\otimes,I)$ の単位対象 $I$ の自己射の全体 $\operatorname{End}(I)$ は、合成について可換モノイドである。
厳格な場合. $\mathcal{C}$ が厳格モノイダル圏(モノイダル圏 の定義「厳格モノイダル圏」)なら、$I\otimes I=I$ で、単位の同型が恒等射なので $1_I\otimes g=g$、$f\otimes1_I=f$($f,g\in\operatorname{End}(I)$)である。よって $\otimes$ は $\operatorname{End}(I)$ 上の演算で、合成 $\circ$ とともに $1_I$ を両側単位元にもつ。モノイダル圏 の命題「テンソル積の交換法則」により $(f\circ g)\otimes(h\circ k)=(f\otimes h)\circ(g\otimes k)$ で、これは $*=\circ$、$\star=\otimes$ についての交換法則である。thm-eh-main により $\circ$ は可換である。
一般の場合. モノイダル圏 の定理「Mac Laneの厳格化定理」により、厳格モノイダル圏 $\mathcal{D}$(単位対象 $I'$)と強モノイダル同値 $F\colon\mathcal{C}\to\mathcal{D}$、同型 $\varphi\colon I'\to F(I)$ がある。圏同値は充満忠実なので、$f\mapsto\varphi^{-1}\circ F(f)\circ\varphi$ は $\operatorname{End}(I)$ から $\operatorname{End}(I')$ への全単射で、合成と恒等射を保つ。厳格な場合により $\operatorname{End}(I')$ は可換なので、$\operatorname{End}(I)$ も可換である。$\square$
たとえば可換環 $k$ 上の加群の圏(テンソル積 $\otimes_k$)では $\operatorname{End}(k)\cong k$ が可換環であることに対応する。対象が 1 つの厳格モノイダル圏は、射の集合に交換法則を満たし共通の両側単位元をもつ 2 つの演算を与えたものであり、その射は可換モノイドをなす(Mac98 §VII.1 の演習 5、p. 165)。
懸垂とループ空間、コファイブレーションとファイブレーションのように、ホモトピー論の概念を矢印を逆にして対にする原理は Eckmann–Hilton 双対性 と呼ばれ(Hat02 §4.H、p. 460)、この記事の論法とは別のものである。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 交換法則 | 対称群 $S_3$ の上で $a*b=ab$、$a\star b=ba$ | $*=\star$(共通の演算が可換) |
| $\star$ の両側単位元($*$ の単位元と交換法則は残す) | 対称群 $S_3$ の上で $a*b=ab$、$a\star b=a$ | $*=\star$(共通の演算が可換) |
| ホモトピー群の次数 $n\ge2$($n=1$ にする) | 8 の字 $S^1\vee S^1$ | $\pi_n(X,x_0)$ は可換 |
各行で、外した条件のほかは成り立ち、右の結論が成り立たないことを確かめる。
1 行目:$*$ も $\star$ も恒等置換 $e$ を両側単位元にもつ。$a=(1\,2)$、$d=(2\,3)$、$b=c=e$ とすると、左辺 $(a*b)\star(c*d)=d\,a=(2\,3)(1\,2)$、右辺 $(a\star c)*(b\star d)=a\,d=(1\,2)(2\,3)$ で、互換 $(1\,2)$ と $(2\,3)$ は可換でないので両辺は異なり、交換法則は成り立たない。$a*d\ne a\star d$ なので $*\ne\star$ で、$*$ は可換でない。
2 行目:交換法則は $(a*b)\star(c*d)=ab$、$(a\star c)*(b\star d)=a*b=ab$ で成り立ち、$*$ は $e$ を両側単位元にもつ。$\star$ が両側単位元 $u$ をもつとすると、すべての $y$ で $y=u\star y=u$ となり、$S_3$ が 1 元でないことに反する。$e\star(1\,2)=e$ だが $e*(1\,2)=(1\,2)$ なので $*\ne\star$ で、$*$ も可換でない。
3 行目:$\pi_1(S^1\vee S^1)$ は自由群 $F_2$ で可換でない(基本群 の例「円周のウェッジ和」)。$n=1$ では第 2 座標がなく、prop-eh-homotopy の 2 つ目の演算 $+_2$ が作れない。
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