忠実平坦加群

同義語:忠実平坦性忠実平坦な環準同型faithfully flat module

概要

忠実平坦加群(faithfully flat module)とは、平坦な $A$ 加群 $M$ で、任意の $A$ 加群 $N$ について $N\otimes_AM=0$ ならば $N=0$ となるものをいう。平坦加群が忠実平坦であることは全ての極大イデアル $\mathfrak m$ で $M/\mathfrak mM\ne0$ となることと同値であり、平坦な環準同型 $A\to B$ では $\operatorname{Spec}B\to\operatorname{Spec}A$ の全射性と同値である。忠実平坦な $A\to B$ は単射で $IB\cap A=I$ を満たし、$B\otimes_AM$ の有限生成性・有限表示性や $B$ のNoether性は $A$ 側へ下降する。忠実平坦性は基底変更と合成で保たれ、平坦性だけではこれらの下降は成り立たない。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 加群, テンソル積, 平坦加群

環は可換で単位元をもち、加群と環準同型は単位的とする。有限生成性や Noether 性は、その都度明示する場合にだけ仮定する。

忠実平坦性が検出するもの

忠実平坦性は、係数を拡大しても完全列を壊さず、しかも非零加群を消さないという二つの条件を合わせたものである。方程式の解や関係式を新しい係数環で調べ、そこで得た消滅を元の環へ戻す際に使う。「忠実な加群」という零化イデアルの条件より強く、環準同型が単射であることとも異なる。
例えば整数から有理数への係数拡大は単射であり平坦でもある。しかし有限位数のアーベル群を全て消してしまう。従って有理数上で見えなくなった関係を、整数上でも存在しなかったと判断することはできない。忠実平坦性はこの検出の欠落を防ぐ。

忠実平坦加群と忠実平坦環準同型

$A$ 加群 $M$ が忠実平坦であるとは、$M$ が平坦であり、任意の $A$ 加群 $N$ に対して
$$N\otimes_A M=0\quad\Longrightarrow\quad N=0$$
が成り立つことをいう。環準同型 $A\to B$ が忠実平坦であるとは、$B$ がこの意味で忠実平坦な $A$ 加群であることをいう。

ここで平坦とは、任意の単射 $N'\to N$ をテンソルした写像 $N'\otimes_A M\to N\otimes_A M$ が単射であることをいう。テンソル積は常に右完全だから、この条件はテンソル関手が短完全列を完全列へ送ることと同値である。右完全性を元で確認すると、$N''=N/N'$ に対して $N''\otimes_A M$ は $N\otimes_A M$ を $N'$ の元を含む単純テンソルの像で割った商となる。商への写像と、その逆を剰余類の代表で定める写像は、テンソル積の釣合い関係から互いに逆になる。
定義は全ての加群を量化する。有限生成加群でだけ試してよいという変更を、定義に無断で加えることはできない。一方、以下の剰余体判定は、この全加群条件を極大イデアルごとの条件に置き換える定理である。

局所化のテンソル表示と平坦性

$S$ を $A$ の乗法的集合とする。任意の $A$ 加群 $N$ について $S^{-1}A\otimes_A N\simeq S^{-1}N$ であり、$S^{-1}A$ は平坦 $A$ 加群である。$0\in S$ の場合は局所化を零環、局所化加群を零加群とする。

分数の等号による単射保存

両方向の写像は
$$\Phi((a/s)\otimes n)=an/s,\qquad\Psi(n/s)=(1/s)\otimes n$$
である。分数 $a/s=a'/s'$ なら、ある $t\in S$ に対して $t(s'a-sa')=0$ なので $an/s=a'n/s'$ である。$A$ の釣合い関係も $\Phi((ar/s)\otimes n)=arn/s=\Phi((a/s)\otimes rn)$ となる。従って $\Phi$ は定義される。
$\Psi$ の分数への依存を確かめる。$n/s=n'/s'$ なら $t(s'n-sn')=0$ となる $t\in S$ がある。すると
$$\frac1s\otimes n-\frac1{s'}\otimes n'=\frac1{ss't}\otimes t(s'n-sn')=0.$$
共通分母を取る計算から加法性も従い、$\Psi$ は $A$ 線形である。合成は $\Phi\Psi(n/s)=n/s$ と $\Psi\Phi((a/s)\otimes n)=(1/s)\otimes an=(a/s)\otimes n$ で恒等になる。
単射 $i:N'\to N$ を取り、$n/s\in S^{-1}N'$ の像が零とする。ある $t\in S$ が $t i(n)=0$ を満たす。$i$ の単射性から $tn=0$ なので、源でも $n/s=0$ である。従って局所化は単射を保ち、テンソル表示によって $S^{-1}A$ の平坦性が得られる。$0\in S$ なら全ての分数が零になり、両表示と単射保存は同じ計算で成立する。この場合、非零環の忠実平坦性は成立しない。

剰余による判定

真イデアル $H$ は極大イデアルに含まれる。実際、$H$ を含む真イデアルの集合で鎖を取ると、その合併もイデアルである。もし合併に $1$ が入れば鎖の一つに $1$ が入り、真イデアルであることに矛盾する。従って合併は上界であり、Zorn の補題で極大元が得られる。以下の極大イデアル選択にはこの通常の選択原理を使う。零環には真イデアルがないので、この選択を行う場面そのものがない。

忠実平坦加群の剰余体判定

平坦 $A$ 加群 $M$ について、次は同値である。

  1. 任意の $A$ 加群 $N$ について $N\otimes_AM=0$ なら $N=0$。
  2. 任意の真イデアル $H\subset A$ について $M/HM\ne0$。
  3. 任意の極大イデアル $\mathfrak m$ について $M/\mathfrak mM\ne0$。
    これらを満たす平坦加群を忠実平坦という。
巡回加群と極大イデアルによる零検出

1から2は非零巡回加群 $A/H$ をテンソルすることによる。自然同型 $(A/H)\otimes_AM\cong M/HM$ は、$\bar a\otimes m\mapsto am\bmod HM$ と $m\bmod HM\mapsto\bar1\otimes m$ が互いに逆であることから得られる。2から3は特別な場合である。
3から1を示す。非零 $N$ の非零元 $x$ を選び、$H=\operatorname{Ann}_A(x)$ とする。$H$ は真イデアルで、$Ax\cong A/H$ が $N$ に単射で入る。$H$ を含む極大イデアル $\mathfrak m$ を取ると、$M/HM$ は $M/\mathfrak mM$ に全射するので非零である。平坦性は単射 $Ax\to N$ のテンソルを単射に保つ。従って非零加群 $(Ax)\otimes_AM$ が $N\otimes_AM$ に単射で入り、後者も非零となる。$N$ 自身が有限生成であることは使わない。$A=0$ では単位的加群は全て零であり、三条件はそれぞれ空の条件として同値になる。$\square$

忠実平坦環写像と素イデアル

平坦な単位を保つ環写像 $A\to B$ が忠実平坦であることと、$\operatorname{Spec}B\to\operatorname{Spec}A$ が全射であることは同値である。特に非零局所環の平坦局所準同型は忠実平坦である。

ファイバーの極大イデアルと剰余判定

忠実平坦なら、各素イデアル $\mathfrak p$ の剰余体 $\kappa(\mathfrak p)$ は非零加群なので、$B\otimes_A\kappa(\mathfrak p)$ は非零環である。その極大イデアルを一つ取り、局所化・商の自然写像を通して $B$ に縮約すれば、$\mathfrak p$ に縮約する素イデアルを得る。実際、このファイバーでは $\mathfrak p$ は零になり、$A\setminus\mathfrak p$ の全元は単元になるため、縮約はちょうど $\mathfrak p$ である。
逆にスペクトル写像が全射なら、各極大イデアル $\mathfrak m$ 上に素イデアル $P\subset B$ が存在する。$\mathfrak mB\subset P$ なので $B/\mathfrak mB\ne0$ である。前の判定から $B$ は忠実平坦 $A$ 加群となる。局所写像 $(A,\mathfrak m)\to(B,\mathfrak n)$ では $\mathfrak mB\subset\mathfrak n$ なので、終域が非零なら同じ剰余判定で忠実平坦となる。
零環の単位を保つ写像では、$A=0$ なら $B=0$ であり、両スペクトルは空である。この場合も判定は空の量化として成立する。$\square$

加群の単射とイデアルの縮約

$A\to B$ が忠実平坦なら、任意の $A$ 加群 $N$ に対する自然写像 $N\to B\otimes_AN$、$n\mapsto1\otimes n$ は単射である。特に $A\to B$ は単射で、任意イデアル $H$ に対して $HB\cap A=H$ となる。

自然写像の左逆と忠実性によるイデアルの縮約

自然写像の核を $K$ とする。平坦性から $B\otimes_AK$ は、$B\otimes_AN\to B\otimes_AB\otimes_AN$ の核に等しい。この後者の写像は $b\otimes n\mapsto b\otimes1\otimes n$ であり、左逆 $b\otimes b'\otimes n\mapsto bb'\otimes n$ をもつ。従って核は零である。忠実性により $B\otimes_AK=0$ から $K=0$ を得る。
$N=A$ の場合は環写像の単射である。$N=A/H$ の場合は $A/H\to B/HB$ が単射となる。従って $a\in A$ の像が $HB$ に入るのは $a\in H$ のときに限り、縮約の等号を得る。一般のイデアルであり有限生成の仮定はない。$\square$

完全性も忠実平坦写像に沿って検出できる。写像の列 $U\xrightarrow{f}V\xrightarrow{g}W$ が複体であるとする。平坦テンソルは核と像の完全列を保つので、その中央のホモロジー $\ker(g)/\operatorname{im}(f)$ を $B$ でテンソルしたものは、テンソル後の列の中央のホモロジーに自然に等しい。後者が零なら忠実性で前者も零となる。さらにテンソル後の合成しか零と分かっていない場合でも、上の任意加群の単射と自然性から、元の合成 $gf$ は零になる。単射と全射の検出も、核と余核へ同じ議論を適用することで得られる。

平坦で零化イデアルが零でも忠実平坦とは限らない

$\mathbb Q$ は $\mathbb Z$ 上平坦で、$\operatorname{Ann}_{\mathbb Z}(\mathbb Q)=0$ である。しかし $(\mathbb Z/2\mathbb Z)\otimes_{\mathbb Z}\mathbb Q=\mathbb Q/2\mathbb Q=0$ なので忠実平坦ではない。加群の零化イデアルが零という意味の忠実性と、テンソル積で全加群を検出する忠実平坦性を混同できない。
同様に $\mathbb Z\to\mathbb Z[1/2]$ は平坦な単射だが、$2$ を可逆にするため極大イデアル $(2)$ のファイバーが零になり、忠実平坦でない。一方、任意の非零環 $A$ に対する $A[T]$ は $1,T,T^2,\ldots$ を基底とする自由加群であり、$N\otimes_AA[T]$ は $N$ の直和である。従って平坦かつ非零加群を検出し、忠実平坦となる。

完全性と写像の検出

忠実平坦な環準同型では、単に零加群を検出するだけでなく、写像の核、余核、列の完全性も検出できる。任意加群の自然写像が単射になることは、環写像の単射性より強い性質である。

忠実平坦テンソル関手の忠実性

平坦加群 $M$ が忠実平坦であることと、関手 $-\otimes_A M$ が準同型の集合上で単射を誘導することは同値である。

写像の像による検出

忠実平坦であるとする。$f:N\to N'$ のテンソルが零なら、平坦性と右完全性により $\operatorname{im}(f)\otimes_A M$ はテンソル後の写像の像に同型で、従って零である。零検出で $\operatorname{im}(f)=0$、すなわち $f=0$ を得る。二つの写像にはその差を使う。逆に関手が写像を忠実に検出し、$N\otimes_A M=0$ なら、$1_N$ と零写像の像は一致する。よって $1_N=0$ であり $N=0$ となる。

平坦加群一般に、複体のホモロジーはテンソルと交換する。その計算を明示する。$f:U\to V$、$g:V\to W$ に対し $gf=0$ とし、$Z=\ker g$、$D=\operatorname{im}f$、$H=Z/D$ と置く。二つの短完全列
$$0\to Z\to V\to\operatorname{im}g\to0,\qquad0\to D\to Z\to H\to0$$
をテンソルすると完全性が保たれる。また $U\to D$ は全射なので、テンソル後の $f$ の像は $D\otimes_A M$ の像である。従ってテンソル後の核は $Z\otimes_A M$、それを像で割ったものは $H\otimes_A M$ に自然同型となる。忠実平坦なら、このホモロジーが零であることと $H=0$ は同値である。無限に続く複体でも、各次数でこの二つの列を使えばよく、有限個の項に限る必要はない。

基底変更と合成

任意の基底変更と合成による保存

$M$ が忠実平坦 $A$ 加群なら、任意の環準同型 $A\to R$ に対して $R\otimes_A M$ は忠実平坦 $R$ 加群である。特に忠実平坦環準同型 $A\to B$ の任意の基底変更 $R\to R\otimes_A B$ は忠実平坦である。また忠実平坦環準同型の合成も忠実平坦である。

結合同型による全加群の検査

任意の $R$ 加群 $L$ に対して
$$L\otimes_R(R\otimes_A M)\simeq L\otimes_A M$$
である。両逆は $l\otimes(r\otimes m)\mapsto rl\otimes m$ と $l\otimes m\mapsto l\otimes(1\otimes m)$ である。$R$ の釣合い関係は前者の $rl$ へ移り、$A$ の関係は内側のテンソルの関係となるので、写像は定義される。単純テンソルに合成を施すと恒等である。
$R$ 加群の単射は $A$ 加群としても単射なので、$M$ の平坦性とこの同型から $R\otimes_A M$ の平坦性が従う。$L$ が非零なら、$A$ 加群として見ても非零であり、忠実性から $L\otimes_A M\ne0$ となる。従って零検出も成立する。ここで $R$ 自身の $A$ 上の平坦性は仮定していない。
次に $A\to B\to C$ が忠実平坦であるとする。任意の $A$ 加群 $N$ に対して
$$N\otimes_A C\simeq(N\otimes_A B)\otimes_B C$$
で、両逆は $n\otimes c\mapsto(n\otimes1)\otimes c$ と $(n\otimes b)\otimes c\mapsto n\otimes bc$ である。二つの完全関手の合成は完全であり、二つの零検出を順に適用すると非零加群を消さない。よって合成は忠実平坦である。

局所化についても注意が必要である。忠実平坦な $A\to B$ を $A$ の素イデアル $\mathfrak p$ で基底変更すれば $A_{\mathfrak p}\to B\otimes_A A_{\mathfrak p}$ は忠実平坦である。しかし $A\to A_{\mathfrak p}$ 自身が常に忠実平坦ということではない。この二つは基底環が違う。

生成元と関係の下降

忠実平坦性に沿って有限個の生成元や関係を下降する際には、対象加群の有限性を先取りする必要がない。係数を拡大した後で得た有限個の式に現れる元を集め、余核が零であることを検出する。

有限表示加群への有限自由全射の核

任意の可換環 $R$ 上で $Q$ が有限表示であり、$\pi:R^r\to Q$ が全射なら、$\ker\pi$ は有限生成である。

持ち上げた写像による核の有限生成元

有限表示 $R^s\xrightarrow{U}R^t\xrightarrow{\varepsilon}Q\to0$ を取る。全射のもとで有限自由加群の各基底の像を持ち上げ、$f:R^t\to R^r$、$g:R^r\to R^t$ を $\pi f=\varepsilon$、$\varepsilon g=\pi$ となるように選ぶ。$h=\mathrm{id}_{R^r}-fg$ と置くと $\pi h=\pi-\varepsilon g=0$ なので、$h$ の像は $\ker\pi$ に入る。
$v\in\ker\pi$ なら $\varepsilon gv=\pi v=0$、従って $gv\in\operatorname{im}U$ である。$v=f(gv)+h(v)$ より $v\in\operatorname{im}(fU)+\operatorname{im}h$。逆に $\pi fU=\varepsilon U=0$ と $\pi h=0$ から、この二つの像は核に含まれる。よって
$$\ker\pi=\operatorname{im}(fU)+\operatorname{im}h.$$
右辺は $R^s$ の基底の $fU$ による像と $R^r$ の基底の $h$ による像、計 $s+r$ 個以下の元で生成される。零階数では空基底と零写像を用いれば同じ計算となる。$\square$

忠実平坦な有限生成性・有限表示性の下降

$A\to B$ を忠実平坦な環準同型、$M$ を任意の $A$ 加群とする。$B\otimes_A M$ が有限生成なら $M$ は有限生成であり、$B\otimes_A M$ が有限表示なら $M$ は有限表示である。Noether性や $B$ の $A$ 上の有限生成性は仮定しない。

有限個の元の部分加群と核の有限生成性

まず $B\otimes_A M$ の有限個の生成元を単純テンソルの有限和で表す。その有限個の表示に現れる $M$ の元全てで生成される部分加群を $N\subseteq M$ とする。$B\otimes_A N\to B\otimes_A M$ の像は選んだ生成元を含むので全射である。テンソルの右完全性から $B\otimes_A(M/N)=0$。忠実平坦性の零検出により $M/N=0$ だから、$M=N$ は有限生成である。
次に $B\otimes_A M$ が有限表示とする。特に有限生成なので、今の議論で $M$ も有限生成である。有限自由全射 $A^r\to M$ を取り、核を $K$ とする。平坦性から
$$0\to B\otimes_A K\to B^r\to B\otimes_A M\to0$$
は完全である。前補題を $R=B$ に適用すれば、その核 $B\otimes_A K$ は有限生成である。有限生成の下降を $K$ に適用し、$K$ も有限生成と分かる。$K$ の有限生成元の座標を列に持つ行列 $A^s\to A^r$ を作ると、$A^s\to A^r\to M\to0$ は有限表示となる。$\square$

平坦性だけでは有限性を下降できない

$A=\mathbb Z$、$B=\mathbb Q$、$M=\bigoplus_{n\ge1}\mathbb Z/2\mathbb Z$ とする。$\mathbb Q$ は局所化なので平坦だが、$B\otimes_A M=0$ であり、これは有限表示加群である。実際、$2m=0$ に対して $1\otimes m=(1/2)\otimes2m=0$ となる。
一方 $M$ は有限生成でない。有限個の元の支持の和は直和の有限個の成分に限られ、それらの整数線形結合もその外の成分には非零座標をもたない。別の成分の非零元は生成できないからである。従って $M$ は有限表示でもない。この例は忠実性を外すと、有限生成性も有限表示性も下降できないことを示す。$\mathbb Q\otimes_A\mathbb Z/2\mathbb Z=0$ が非零加群を消すので、写像の忠実性も実際に失敗している。

この下降は、有限個の元と有限個の関係を忠実平坦テンソルで検出する加群の命題である。一般の幾何的降下データの有効性を構成する主張とは区別する。

忠実平坦写像に沿う Noether 性の下降

忠実平坦な Noether 性下降

$A\to B$ が忠実平坦な環準同型で、$B$ が Noether 環なら、$A$ も Noether 環である。$B$ が有限 $A$ 加群であるという仮定は不要である。

縮約の等号によるイデアルの有限生成性

任意のイデアル $I\subset A$ を取る。$IB$ は $B$ のイデアルなので、$B$ の Noether 性から有限生成である。この有限生成性を昇鎖条件から直接確認するには、有限生成でないイデアルから一つずつ新しい元を取り、有限生成イデアルの真の増大列を作れば矛盾する。
$IB=(b_1,\ldots,b_r)$ と書く。各 $b_j$ は $IB$ の定義から $I$ の元の有限和
$$b_j=\sum_{l=1}^{n_j} a_{jl}c_{jl},\qquad a_{jl}\in I,\ c_{jl}\in B$$
で表される。全ての表示に現れる有限個の $a_{jl}$ を集め、それらが $A$ 内で生成するイデアルを $J$ とする。各 $b_j$ は $JB$ に入るので $IB\subset JB$ である。一方 $J\subset I$ より $JB\subset IB$ であり、従って $IB=JB$ となる。
上で証明した忠実平坦性による縮約の等号を、$I$ と $J$ にそれぞれ適用すると
$$I=IB\cap A=JB\cap A=J$$
を得る。よって任意のイデアル $I$ が有限生成である。これは環の Noether 性を意味する。実際、増大列 $I_1\subset I_2\subset\cdots$ の合併 $I$ の有限生成元は一つの共通段階 $I_n$ に入り、従って $I=I_n$ で列は停止する。
$IB=0$ なら空の生成列を用い $J=0$ と取れる。縮約により $I=0$ となるので同じ証明が働く。$A$ が零環の場合は結論は自明である。一般の忠実平坦写像について、縮約を書く際の $A\subset B$ の同一視は、先の命題で既に証明した環写像の単射性による。$\square$

Eakin の定理は有限部分環拡大と上の環の Noether 性を仮定し、忠実平坦性を要求しない。ここでの下降は忠実平坦性と上の環の Noether 性を仮定し、環拡大の加群としての有限性を要求しない。両証明で有限個の元を選ぶ箇所があっても、定理の仮定は異なる。

反例:平坦性だけでは Noether 性は下降しない

体 $k$ に対して $A=k[x_1,x_2,\ldots]$、$K=\operatorname{Frac}(A)$ とする。$A$ は整域であり、$K$ は $A\setminus\{0\}$ による局所化なので、lem-ff-localization から $A\to K$ は平坦である。$K$ は体で、イデアルが $0$ と $K$ だけなので Noether である。
しかし $A$ のイデアル列
$$(x_1)\subsetneq(x_1,x_2)\subsetneq\cdots$$
は停止しない。$x_{n+1}$ が左の第 $n$ 段に入らないのは、$x_1,\ldots,x_n$ を零にし残りの変数を保つ評価写像を施すと、イデアルの元は零になる一方 $x_{n+1}$ は零にならないことから分かる。従って $A$ は Noether でない。
この平坦写像が忠実平坦でないことも直接計算できる。$A/(x_1)$ は非零であり、$x_1$ は $K$ で単元になるので
$$(A/(x_1))\otimes_A K\cong K/x_1K=0.$$
従って非零加群を検出しない。縮約についても $(x_1)K=K$ だから、その縮約は $A$ 全体であり $(x_1)$ には戻らない。反例は忠実平坦性のうち、証明が用いた縮約の等号が失われることを示している。

条件の違いを示す反例

忠実な加群が平坦とは限らない

$A=\mathbb Z$、$M=\mathbb Z\oplus\mathbb Z/2\mathbb Z$ とする。整数成分に作用して零となる整数は零だけだから $\operatorname{Ann}_A(M)=0$ である。しかし単射 $\mathbb Z\xrightarrow{\times2}\mathbb Z$ を $M$ でテンソルすると $M\xrightarrow{\times2}M$ となり、第二成分の非零元を消す。従って $M$ は平坦でなく、忠実平坦でもない。零化イデアルの検査は、単射の保存を代替しない。

スペクトルが全射でも平坦とは限らない

体 $k$ に対して $A=k[\varepsilon]/(\varepsilon^2)$、$B=A/(\varepsilon)=k$ とする。素イデアルは冪零元 $\varepsilon$ を含み、$A/(\varepsilon)$ は体なので $A$ の唯一の素イデアルは $(\varepsilon)$ である。従って $\operatorname{Spec}B\to\operatorname{Spec}A$ は全射である。
しかし $I=(\varepsilon)\subset A$ は単射で入る一方、$I\otimes_A B\simeq I/\varepsilon I=I\ne0$ から $A\otimes_A B=B$ への写像は零である。$\varepsilon I=0$、かつ $\varepsilon$ の像が $B$ で零だからである。従って $A\to B$ は平坦ではない。スペクトル全射判定では、平坦性の仮定を外せない。

条件成立する例忠実平坦性についての結論
平坦かつ環写像は単射$\mathbb Z\to\mathbb Q$非零捩れ加群を消すので不足
零化イデアルが零$\mathbb Z\oplus\mathbb Z/2\mathbb Z$平坦性が不足
スペクトル写像が全射$k[\varepsilon]/(\varepsilon^2)\to k$平坦性が不足
非零局所環の平坦局所写像$(A,\mathfrak m)\to(B,\mathfrak n)$忠実平坦
任意の非空基底の自由加群$A^{(S)}$、$S\ne\emptyset$忠実平坦

最後の行は、$N\otimes_A A^{(S)}\simeq N^{(S)}$ から直接分かる。この同型は $n\otimes e_s$ を第 $s$ 成分の $n$ に送る写像と、各有限台の族をその単純テンソルの和へ送る写像が互いに逆である。直和の元は有限台なので、無限の基底であっても無限和を定義する必要はない。直和は単射を成分ごとに保つため自由加群は平坦であり、非空な一成分が非零 $N$ を検出する。零環では全加群が零なので、零自由加群についても定義の条件は空の量化として成立する。

文献と降下理論

忠実平坦性の加群論的判定と下降は AM69 第2章と Mat86 §7 の平坦性の枠組みに位置する。テンソル積を完全関手として捉える立場は Wei94 §§2.2–3.2 とも共通する。本記事では、剰余判定、核と像の二つの完全列、有限個の関係の回収をそれぞれ直接証明した。
本記事の下降は、元の加群やイデアルが既に与えられており、その性質を係数拡大後の計算から検出するものである。これとは別に、$B$ 上の加群と $B\otimes_A B$ 上の整合データから $A$ 上の加群そのものを復元する問題がある。それが 忠実平坦降下 の主題である。有限生成性の下降を示しただけで、任意の降下データの有効性を証明したことにはならない。
環準同型についても、忠実平坦であることと有限表示であることは別である。例えば体 $k$ 上の無限変数多項式環 $k[x_1,x_2,\ldots]$ は非空な単項式基底をもつ自由 $k$ 加群なので忠実平坦である。しかし有限個の代数生成元が現れる変数は有限個に限られるから、その外の変数を生成できず、有限生成 $k$ 代数ではない。この例は忠実平坦性から有限表示性を結論できないことも示す。有限性を下降する命題では、上でテンソルした対象が有限であるという別の入力を明記する必要がある。

関連項目

参考文献

[1]
Michael F. Atiyah, Ian G. Macdonald, Introduction to Commutative Algebra, Addison-Wesley(Westview Press 版), 1969, Chapter 2(テンソル積の完全性と平坦加群、Exercise 26:イデアルによる平坦性の判定)
[2]
Hideyuki Matsumura (translated by Miles Reid), Commutative Ring Theory, Cambridge Studies in Advanced Mathematics 8, Cambridge University Press, 1989, §7(平坦性:定理 7.7 イデアルによる判定、定理 7.12 の系 有限表示の平坦加群は射影的、定理 7.10 局所環上の有限生成平坦加群は自由)

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