入射分解

同義語:injective resolution

概要

入射分解(injective resolution)とは、アーベル圏の対象 $A$ を入射対象からなる右向きの完全列 $0\to A\to I^0\to I^1\to\cdots$ へ埋め込む構成である。十分な入射対象があれば存在してホモトピーを除いて一意に定まり、左完全関手の右導来関手や層コホモロジーはこれを使って計算する。例えばアーベル群では入射的であることと可除であることが同値で、$0\to\mathbb{Z}\to\mathbb{Q}\to\mathbb{Q}/\mathbb{Z}\to0$ は $\mathbb{Z}$ の入射分解である。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: アーベル圏, 入射対象, 短完全列, 擬同型

入射分解とは

入射分解(injective resolution)は、アーベル圏の対象を入射対象からなる右向きの完全列に埋め込む構成である。対象 $A$ に対して
$$ 0\longrightarrow A\longrightarrow I^0\longrightarrow I^1 \longrightarrow I^2\longrightarrow\cdots $$
と並び、各 $I^n$ が入射対象、列が完全であることを要求する。$A$ をそのまま関手に入れる代わりに $I^\bullet$ へ置き換えると、右導来関手や層コホモロジーを計算できる。このとき $A[0]\to I^\bullet$ は擬同型であり、元の対象のコホモロジー情報を保つ(Sta013G Definition 13.18.1)。
入射分解を作るには、圏に十分な入射対象が必要である。これは各対象が何らかの入射対象へ単射で入るという条件である。加群の圏や、適切な層の圏ではこの条件が成立するが、任意のアーベル圏に無条件にあると仮定してはいけない。分解は普通一意ではない。それでも導来圏での対象および導来関手の値は、適切な意味で分解の選び方に依存しない。
入射分解は射影分解と向きが逆である。射影分解は射影対象から $A$ へ向かう複体、入射分解は $A$ から入射対象へ向かう複体である。この向きは計算する関手にも対応する。たとえば左完全な関手の右導来関手には入射分解が自然に現れる。層の大域切断を導来して層コホモロジーを得るのが典型例である。

入射対象と十分な入射対象

アーベル圏 $\mathcal A$ の対象 $I$ が入射的であるとは、単射 $u:B\hookrightarrow C$ と射 $f:B\to I$ が与えられたとき、$f=g\circ u$ を満たす $g:C\to I$ が存在することをいう。延長 $g$ は一意とは限らない。入射対象は、対象そのものを直接「割り算できる」ことではなく、単射をまたいで射を延長できることにより指定される。

十分な入射対象

アーベル圏 $\mathcal A$ が十分な入射対象を持つとは、任意の対象 $A$ に対し、ある入射対象 $I$ と単射 $A\hookrightarrow I$ が存在することをいう。

この条件から入射分解を一段ずつ構成できる。最初に $A\hookrightarrow I^0$ を選ぶ。次に余核 $I^0/A$ を入射対象 $I^1$ に埋め込み、合成 $I^0\to I^0/A\hookrightarrow I^1$ を微分 $d^0$ とする。さらに $I^1/\operatorname{im}d^0$ を入射対象 $I^2$ に埋め込み、同じ操作を繰り返す。この帰納的構成が完全性を保証する(Sta013K Lemma 13.18.3)。

対象の入射分解

$\mathcal A$ の対象 $A$ の入射分解とは、負次数で零となる余鎖複体 $I^\bullet$ と射 $A\to I^0$ であって、各 $I^n$ が入射対象であり、
$$ 0\longrightarrow A\longrightarrow I^0 \xrightarrow{d^0}I^1\xrightarrow{d^1}I^2\longrightarrow\cdots $$
が完全であるものをいう。したがって $\ker d^0$ は $A$ の像であり、$n>0$ で $H^n(I^\bullet)=0$ となる。

$$ H^0(I^\bullet)\cong A,\qquad H^n(I^\bullet)=0\quad(n>0) $$
だから、次数 $0$ だけに $A$ を置いた複体 $A[0]$ から $I^\bullet$ への自然な射は擬同型である。ここで「分解が完全」と「$I^\bullet$ 自体が零コホモロジー」という表現を混同しない。拡大した列 $0\to A\to I^0\to\cdots$ は完全だが、$A$ を除いた $I^\bullet$ の次数 $0$ のコホモロジーは一般に $A$ であって零ではない。

入射分解の存在

$\mathcal A$ が十分な入射対象を持つなら、$\mathcal A$ の任意の対象 $A$ は入射分解を持つ。

余核を順に埋め込む

十分な入射対象の条件により、単射 $i:A\hookrightarrow I^0$ を選ぶ。$C^0=\operatorname{coker}(i)$ とおき、再び単射 $j^0:C^0\hookrightarrow I^1$ を選ぶ。$d^0$ を $I^0\twoheadrightarrow C^0\xrightarrow{j^0}I^1$ と定めれば、$j^0$ が単射なので $\ker d^0=\operatorname{im}i$ である。
帰納的に、$d^{n-1}:I^{n-1}\to I^n$ まで定めたとする。$C^n=\operatorname{coker}(d^{n-1})$ を入射対象 $I^{n+1}$ に単射で埋め込み、その合成を $d^n:I^n\to I^{n+1}$ とする。すると $\ker d^n=\operatorname{im}d^{n-1}$ であり、また $d^n d^{n-1}=0$ である。全段で同じ関係が成立するので、得られた列は完全な余鎖複体となる。各項は選択により入射対象である。$\square$

この証明は、途中の余核に単射を選ぶたびに複数の可能性があることも示す。分解を「正準な一つの列」と思わない方がよい。必要なのは、異なる選択が導来圏で同じ対象を表すことである。対象の入射分解については、適切な比較射は鎖ホモトピーを除いて一意になり、導来関手の値の独立性が得られる(Sta013G §13.18; Sta013U Proposition 13.23.1)。

アーベル群の具体例

アーベル群では、入射対象であることと可除群であることが同値である。可除とは、任意の $x$ と正整数 $n$ に対して $ny=x$ を満たす $y$ が存在することをいう。$\mathbb Q$ と $\mathbb Q/\mathbb Z$ は可除群であり、入射対象である。前者は有理数で $n$ を割れる。後者でも代表の有理数を $n$ で割ってから剰余類を取ればよい(Sta01D6 Lemma 15.55.1)。
まず $\mathbb Z$ の入射分解には次の短いものがある。
$$ 0\longrightarrow\mathbb Z\longrightarrow\mathbb Q \longrightarrow\mathbb Q/\mathbb Z\longrightarrow0. $$
最初の射は包含、次は商写像である。両方の非零な $I^n$ が入射的なので、これは長さ $1$ の入射分解である。$\mathbb Z$ 自身は可除でなく、入射対象でもない。例えば $\mathbb Z\to\mathbb Z$ の恒等射を包含 $\mathbb Z\hookrightarrow\frac12\mathbb Z$ に沿って延長すると、$1/2$ の像は整数の中で $2$ 倍して $1$ になる必要があり、不可能である。したがって分解は単に $A=I^0$ と置くだけでは作れない。

整数群の長さ一の分解

アーベル群の圏で
$$ 0\to\mathbb Z\to\mathbb Q\to\mathbb Q/\mathbb Z\to0 $$
は $\mathbb Z$ の入射分解である。

完全性と入射性を確かめる

$\mathbb Z\to\mathbb Q$ は単射であり、$\mathbb Q\to\mathbb Q/\mathbb Z$ は商写像なので全射である。商写像の核は整数の像そのものだから列は完全である。$\mathbb Q$ は $q\mapsto q/n$ により任意の正整数 $n$ で割れ、$\mathbb Q/\mathbb Z$ も代表元 $q+\mathbb Z$ に対して $(q/n)+\mathbb Z$ を選べば $n$ 倍が元に戻る。従って両群は可除であり、可除群と入射群の同値性から入射対象である。$\square$

$\mathbb Z/n\mathbb Z$ に対しては、同じ入射群を二回使う分解がある。$n$ を正整数とし、最初の射を $\bar k\mapsto k/n+\mathbb Z$、次の射を $\mathbb Q/\mathbb Z$ 上の $n$ 倍写像とする。
$$ 0\longrightarrow\mathbb Z/n\mathbb Z \longrightarrow\mathbb Q/\mathbb Z \xrightarrow{\ \times n\ }\mathbb Q/\mathbb Z \longrightarrow0. $$

巡回群の入射分解

上の列は $\mathbb Z/n\mathbb Z$ の入射分解である。

核を有理数の剰余類で数える

$\bar k\mapsto k/n+\mathbb Z$ は $k$ を $n$ だけ変えても同じ剰余類を与え、$k/n+\mathbb Z=0$ となるのは $n\mid k$ のときだけなので単射である。$n(q+\mathbb Z)=0$ となるのは $nq\in\mathbb Z$ のときであり、そのような剰余類はちょうど $k/n+\mathbb Z$ である。よって最初の射の像は $\times n$ の核である。任意の $q+\mathbb Z$ は $(q/n)+\mathbb Z$ の $n$ 倍なので $\times n$ は全射である。二つの中間項はともに可除群で入射的だから、条件がすべて満たされる。$\square$

これらの例では分解が有限で止まる。一般の対象について、入射分解が有限段で止まるとは限らない。どの次数まで非零項が必要かは対象と圏の性質に依存する。有限の例だけを見て「すべての対象の入射次元は高々一」と結論してはならない。

右導来関手を計算する

左完全な加法関手 $F:\mathcal A\to\mathcal B$ を考える。$A$ の入射分解 $A\to I^\bullet$ を選び、各項に $F$ を施して複体 $F(I^\bullet)$ を作る。そのコホモロジーを
$$ R^nF(A)=H^n(F(I^\bullet)) $$
と定める。特に $F$ が左完全なので、$R^0F(A)\cong F(A)$ となる。高次の $R^nF$ は $F$ が短完全列をどの程度保てないかを測る。この構成は単に各項へ $F$ を掛ける操作ではなく、入射分解を先に選ぶことが本質である(Sta0156 §13.20)。

零次の導来関手

左完全な加法関手 $F$ に対し、任意の対象 $A$ で $R^0F(A)\cong F(A)$ である。

核を左完全性で保つ

入射分解の最初の部分 $0\to A\to I^0\xrightarrow{d^0}I^1$ は完全である。従って $A$ は $d^0$ の核である。左完全な $F$ はこの核を保つので、$F(A)$ は $F(d^0):F(I^0)\to F(I^1)$ の核と同型になる。$I^\bullet$ に負次数の項はないから、$H^0(F(I^\bullet))=\ker F(d^0)$ であり、これが $R^0F(A)$ の定義である。よって結論を得る。$\square$

入射分解の選び方により複体 $F(I^\bullet)$ の項は異なるが、そのコホモロジー群は自然な同型の意味で同じになる。この独立性は入射分解の比較定理と、入射対象からなる下に有界な複体が擬同型の計算に適していることに基づく。任意の複体へ項別に $F$ を適用して同じ値を得られる、という意味ではない。
具体的には、$\operatorname{Hom}_{\mathbb Z}(M,-)$ は左完全な関手であり、その右導来関手が $\operatorname{Ext}^n_{\mathbb Z}(M,-)$ である。二つ目の変数に入射分解を取る。$M=\mathbb Z/n\mathbb Z$、第二変数を $\mathbb Z$ とし、上の $\mathbb Z\to\mathbb Q\to\mathbb Q/\mathbb Z$ を使うと、$\operatorname{Hom}_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Q)=0$ である。なぜなら $n$ 倍で零になる有理数は $0$ だけだからである。一方 $\operatorname{Hom}_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Q/\mathbb Z)$ は $\mathbb Q/\mathbb Z$ の $n$-捩れ元を一つ選ぶことに等しく、$\mathbb Z/n\mathbb Z$ と同型である。

巡回群に対する一次 Ext

正整数 $n$ について
$$ \operatorname{Ext}^1_{\mathbb Z} (\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Z) \cong\mathbb Z/n\mathbb Z $$
である。

整数群の入射分解へ Hom を施す

$\mathbb Z$ の入射分解 $I^0=\mathbb Q$、$I^1=\mathbb Q/\mathbb Z$ に $\operatorname{Hom}_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,-)$ を施す。第一項は、生成元の像が $\mathbb Q$ の $n$-捩れ元でなければならず、そのような元は $0$ だけなので零である。第二項は、生成元の像を $(\mathbb Q/\mathbb Z)[n]=\{k/n+\mathbb Z:0\le k< n\}$ から自由に選べるため $\mathbb Z/n\mathbb Z$ と同型である。得られる複体は次数 $0$ が零、次数 $1$ が $\mathbb Z/n\mathbb Z$、その後は零だから、次数 $1$ のコホモロジーは $\mathbb Z/n\mathbb Z$ である。定義によりこれが表示した Ext 群である。$\square$

この計算では、第一変数の $\mathbb Z/n\mathbb Z$ を解消していない。$\operatorname{Hom}(M,-)$ の右導来として第二変数を入射分解した。第一変数については反変性に合わせて射影分解を使う別の計算もできるが、同じ式に二種類の解消の向きを混ぜると微分や次数を誤りやすい。

層コホモロジーとの接続

位相空間 $X$ 上のアーベル群の層に大域切断 $\Gamma(X,-)$ を施すと、層の単射は大域切断上の全射には一般にならない。大域切断は左完全なので、入射分解 $\mathcal F\to\mathcal I^\bullet$ を使って
$$ H^n(X,\mathcal F) =H^n(\Gamma(X,\mathcal I^\bullet)) $$
と定める。これが層コホモロジーである。$\mathcal F$ を入射層で近似し、大域切断を取った後にどれだけ完全性が失われるかを高次の群が記録する。層としての完全性を「各開集合上の切断列が完全」と誤読してはいけない。層の全射は局所的な切断の持ち上げをいうため、各開集合での全射を要求しない。
対象ごとの入射分解だけでなく、複体全体の解消も使う。下に有界な複体 $K^\bullet$ に対する入射分解は、下に有界な入射対象の複体 $I^\bullet$ への擬同型 $K^\bullet\to I^\bullet$ である(Sta013G Definition 13.18.1)。$K^\bullet$ が下に有界でない場合にまで、同じ形の分解が自動的に存在するとは限らない。

K入射的解消との境界

非有界の導来圏では、項が入射対象であるだけでは導来関手の計算に十分とは限らない。複体 $I^\bullet$ が K入射的とは、任意の非輪状複体 $N^\bullet$ から $I^\bullet$ への鎖写像がホモトピー圏で零になることをいう。下に有界な入射対象の複体は K入射的である(Sta070G Definition 13.31.1 and Lemma 13.31.4)。ここから、対象の通常の入射分解は安全な計算用の複体となる。
対して、下に有界でない複体を解消するときには、必要な仮定の下で K入射的な複体への擬同型を構成する。この考え方により非有界複体へも導来関手を拡張できるが、「任意の非有界な項別入射複体が K入射的」とは述べていない。項ごとの入射性と複体全体の K入射性は区別する。層の複体の非有界導来大域切断でも同じ区別が現れる(Sta070G §13.31; Sta0719 §20.38)。

下に有界な入射複体の役割

下に有界な入射対象の複体 $I^\bullet$ は K入射的である。従って、下に有界な複体の入射分解 $K^\bullet\to I^\bullet$ は、導来圏で $K^\bullet$ を表す計算用の複体として使える。

有界性の仮定の役割

この命題で「下に有界」の仮定が使われるのは、K入射性を別に確かめなくてよいという一点である。下に有界でない複体では、各項が入射的でも K入射的とは限らないため、導来関手を項ごとに計算してよいかどうかを別に調べなければならない。通常の入射分解は下に有界な複体なので、この条件は自動的に満たされる。

この命題の前半は一般のアーベル圏についての定理であり、後半は擬同型を導来圏で可逆にする定義から従う(Sta070J Lemma 13.31.4; Sta013U Proposition 13.23.1)。非有界の場合には上の定理の「下に有界」という仮定が外れるので、K入射性を別に確認しなければならない。

分解の選択と読み方

入射分解には、対象を入射的な項へ埋め込むこと、列の完全性を確かめること、そして適用したい左完全関手を各項に施すこと、という三段階がある。各 $I^n$ が入射的なだけでは不十分で、元の対象が次数 $0$ のコホモロジーとして正しく現れ、高次のコホモロジーが零でなければならない。逆に複体が擬同型を与えるだけでも、項の入射性がなければ一般の右導来関手を計算する根拠にならない。
存在は十分な入射対象の条件から得られるが、具体的な表示は選択に依存する。$\mathbb Z$ に対する $\mathbb Q\to\mathbb Q/\mathbb Z$ のような短い分解は特に計算しやすい。一方、層や一般の環上の加群では各段の入射対象の記述が複雑になり得る。その場合でも分解の抽象的な存在と選択の独立性が導来関手の定義を支える。
また、入射分解は「コホモロジーを保ったまま何に置き換えるか」を決める道具であって、元の関手が完全になることを意味しない。$F$ が完全なら高次の右導来関手は消えるが、左完全にとどまる関手では高次の群が非零になり得る。上の Ext の計算は、その非零部分を明示した例である。

反例:条件を外すと何が崩れるか

入射分解の定義と、この記事の命題の仮定を一つずつ外すと、次のように結論が崩れる。

外す条件反例成り立たなくなること
十分な入射対象を持つこと有限生成アーベル群の圏任意の対象が入射分解を持つこと
各項が入射対象であること$\mathbb Z$ の「分解」$0\to\mathbb Z\xrightarrow{\ \mathrm{id}\ }\mathbb Z\to0$分解から $\operatorname{Ext}^1_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Z)$ を計算できること
列が完全であること$0\to\mathbb Z\to\mathbb Q\to0$同上($A[0]\to I^\bullet$ が擬同型であること)
複体が下に有界であること$\mathbb Z/4\mathbb Z$ 加群の両側に無限な複体 $\cdots\xrightarrow{2}\mathbb Z/4\xrightarrow{2}\mathbb Z/4\xrightarrow{2}\cdots$項ごとに入射的な複体が K入射的であること
反例:十分な入射対象を持たないアーベル圏

有限生成アーベル群の圏 $\mathcal A$ はアーベル圏である。$I$ を $\mathcal A$ の入射対象とし、$x\in I$、正整数 $n$ を取る。$\mathcal A$ の単射 $u:\mathbb Z\to\mathbb Z$、$u(k)=nk$ と、$f:\mathbb Z\to I$、$f(k)=kx$ に入射性を使うと、$g\circ u=f$ となる $g$ があり、$x=f(1)=g(n)=n\,g(1)$ である。よって $I$ は可除である。有限生成アーベル群は $\mathbb Z^r\oplus T$($T$ は有限)の形で、$r\ge1$ なら $\mathbb Z$ 成分の $1$ は $2$ で割れず、$T\ne0$ なら $|T|$ 倍が $T$ 上で零写像になって全射でないので、可除な有限生成アーベル群は $0$ だけである。したがって $\mathcal A$ の入射対象は $0$ だけで、$\mathbb Z\ne0$ はどの入射対象にも単射で入らない。破る仮定は「十分な入射対象」、崩れる結論は命題「入射分解の存在」である。

反例:入射的でない項・完全でない列では Ext が計算できない

命題「巡回群に対する一次 Ext」により $\operatorname{Ext}^1_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Z)\cong\mathbb Z/n\mathbb Z$ である($n\ge2$)。

  • 列 $0\to\mathbb Z\xrightarrow{\mathrm{id}}\mathbb Z\to0$ は完全で $A[0]\to I^\bullet$ は擬同型だが、項 $\mathbb Z$ は入射的でない(節「アーベル群の具体例」)。$\operatorname{Hom}_{\mathbb Z}(\mathbb Z/n\mathbb Z,-)$ を施すと、$\operatorname{Hom}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Z)=0$($\mathbb Z$ に $n$ 倍で零になる非零元はない)だけの複体になり、次数 $1$ のコホモロジーは $0$ で、正しい値 $\mathbb Z/n\mathbb Z$ と異なる。破る仮定は「各 $I^n$ が入射対象」である。
  • 列 $0\to\mathbb Z\to\mathbb Q\to0$ の項 $\mathbb Q$ は入射的だが、$\mathbb Q$ で完全でない($\mathbb Q\to0$ の核 $\mathbb Q$ は $\mathbb Z$ の像より $\mathbb Q/\mathbb Z\ne0$ だけ大きく、$H^0(I^\bullet)=\mathbb Q\ne\mathbb Z$ なので $A[0]\to I^\bullet$ は擬同型でない)。$\operatorname{Hom}(\mathbb Z/n\mathbb Z,\mathbb Q)=0$ なので、施した複体のコホモロジーはすべて $0$ となり、やはり正しい値と異なる。破る仮定は「列が完全」である。
反例:下に有界でない項別入射複体は K入射的とは限らない

$R=\mathbb Z/4\mathbb Z$ とし、すべての次数に $I^n=R$、微分に $2$ 倍写像を置いた複体 $I^\bullet$ を考える。$R$ は $R$ 加群として入射的である。Baer の判定法により、$R$ のイデアル $0,(2),R$ からの射が延長できればよく、$(2)\to R$ は $2$ を位数 $2$ 以下の元 $0$ または $2$ へ送るので、それぞれ $0$ 倍・$1$ 倍の写像 $R\to R$ に延長できる。また $\ker(2\cdot)=\{0,2\}=\operatorname{im}(2\cdot)$ なので $I^\bullet$ は非輪状である。
もし $I^\bullet$ が K入射的なら、非輪状な $I^\bullet$ 自身からの恒等写像がホモトピー圏で零、すなわち $\mathrm{id}=dh+hd$ となる $h^n:I^n\to I^{n-1}$ がある。$R$ 加群の準同型 $R\to R$ はある $a_n\in R$ の倍写像なので、次数 $n$ で $1=2a_n+2a_{n+1}$ となるが、右辺は $R$ の中で $0$ か $2$ で、$1$ にならない。よって $I^\bullet$ は項ごとに入射的だが K入射的でない。破る仮定は命題「下に有界な入射複体の役割」の「下に有界」である。

参照箇所

Sta013G Definition 13.18.1 は対象と複体の入射分解の定義、Sta013K Lemma 13.18.3 は十分な入射対象の下での存在を与える。Sta01D6 Lemma 15.55.1 は可除アーベル群と入射対象の同値、Sta0156 §13.20 は右導来関手の計算、Sta013U Proposition 13.23.1 は下に有界な入射複体と導来圏の対応を扱う。Sta070G §13.31 と Sta0719 §20.38 は K入射的解消との関係を確認する箇所である。

関連項目

参考文献

Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する