モデル圏(model category)とは、圏の射を弱同値・コファイブレーション・ファイブレーションの三つのクラスに分け、2 out of 3、レトラクト、持ち上げ、分解の公理を課したものである。弱同値を可逆化するホモトピー圏を、ファイブラント・コファイブラント置換と具体的な持ち上げ問題によって計算可能にし、位相空間・単体的集合・鎖複体のホモトピー論を統一的に扱う。
モデル圏は、ある圏の射を「同じホモトピー型を表す射」と二種類の「扱いやすい射」に分け、それらが持ち上げと分解に関して整合するようにしたものである。まず持ち上げ性質を定義する。
圏 $\mathcal M$ の二つの射
$$
i\colon A\to B,\qquad p\colon X\to Y
$$
を取る。任意の可換図式
$$
\begin{array}{ccc}
A&\xrightarrow{u}&X\\
\downarrow i&&\downarrow p\\
B&\xrightarrow{v}&Y
\end{array}
$$
に対し、$hi=u$ かつ $ph=v$ を満たす射 $h\colon B\to X$ が存在するとき、$i$ は $p$ に対する左持ち上げ性質を持つという。同じことを、$p$ は $i$ に対する右持ち上げ性質を持つという。
射のクラス $\mathcal L,\mathcal R$ に対し、$\mathcal L$ のすべての射が $\mathcal R$ のすべての射に対する左持ち上げ性質を持つことを $\mathcal L\mathrel{\square}\mathcal R$ と書く。また
$$
{}^{\square}\mathcal R:=\{i\mid i\mathrel{\square}\mathcal R\},
\qquad
\mathcal L^{\square}:=\{p\mid \mathcal L\mathrel{\square}p\}
$$
と書く。
すべての小さい極限と余極限を持つ圏 $\mathcal M$ を取る。$\mathcal M$ の射の三つのクラス
$$
\mathcal W,\qquad \mathcal C,\qquad \mathcal F
$$
が次の条件を満たすとき、$(\mathcal W,\mathcal C,\mathcal F)$ を $\mathcal M$ 上のモデル構造といい、モデル構造を備えた $\mathcal M$ をモデル圏という。
$\mathcal M$ の始対象を $\emptyset$、終対象を $*$ とする。対象 $X$ がコファイブラントであるとは $\emptyset\to X$ がコファイブレーションであること、ファイブラントであるとは $X\to *$ がファイブレーションであることをいう。両方を満たす対象をファイブラント・コファイブラントという。
文献によっては任意の小さい極限・余極限でなく有限極限・有限余極限だけを公理に要求する。本記事では Hov99 に合わせて完備かつ余完備な流儀を採用する。したがって、別の文献を使うときは「モデル圏」という語に含める完備性の範囲を確認する必要がある。
弱同値だけを形式的に可逆化すればホモトピー圏を定義できるが、その射を直接計算するのは一般に難しい。モデル構造の残り二種類の射は、この難しさを制御するための装置である。分解公理により任意の対象をコファイブラント対象やファイブラント対象で置き換え、持ち上げ公理により置換後の射とホモトピーを扱える。こうして、位相空間、単体的集合、鎖複体のように見かけの異なる対象のホモトピー論を同じ公理で記述できる。
コファイブレーションとファイブレーションは「弱同値の左右に付け足す任意の補助データ」ではない。二つの組
$$
(\mathcal C,\mathcal F\cap\mathcal W),
\qquad
(\mathcal C\cap\mathcal W,\mathcal F)
$$
が持ち上げと分解によって互いを決定することが核心である。
完備かつ余完備な任意の圏 $\mathcal M$ に対し、
$$
\mathcal W=\{\text{同型射}\},\qquad
\mathcal C=\mathcal F=\{\text{すべての射}\}
$$
と置くとモデル構造になる。実際、同型射は2 out of 3とレトラクト閉性を満たす。任意の射 $f$ は $f=f\,\mathrm{id}$ および $f=\mathrm{id}\,f$ と分解できる。また同型射を一方の辺に持つ可換正方形では、逆射を使って対角射を作れるので、$\mathcal C\mathrel{\square}(\mathcal F\cap\mathcal W)$ と $(\mathcal C\cap\mathcal W)\mathrel{\square}\mathcal F$ が成り立つ。このモデル構造では、弱同値によって同一視されるのは同型な対象だけである。
集合の圏 $\mathbf{Set}$ で $\mathcal W=\mathcal C=\mathcal F$ をすべての写像のクラスとする。この三つ組では2 out of 3と分解条件は成り立つが、モデル構造にはならない。
実際、$i\colon\emptyset\to\{*\}$ と $p\colon\emptyset\to\{*\}$ を取り、上辺を $\emptyset\to\emptyset$、下辺を $\mathrm{id}_{\{*\}}$ とする可換正方形を考える。対角射 $\{*\}\to\emptyset$ は存在しないので、$i$ は $p$ に対する左持ち上げ性質を持たない。したがって $\mathcal C\mathrel{\square}(\mathcal F\cap\mathcal W)$ が破れる。この反例は、弱同値が2 out of 3を満たし、二種類の分解を形式的に書けても、持ち上げ公理なしにはモデル構造にならないことを示す。
二つの弱分解系は、モデル構造の三種類の射を持ち上げ性質だけから回収できることを示す。
モデル圏 $\mathcal M$ では
$$
\begin{aligned}
\mathcal C&={}^{\square}(\mathcal F\cap\mathcal W),
&\mathcal F\cap\mathcal W&=\mathcal C^{\square},\\
\mathcal C\cap\mathcal W&={}^{\square}\mathcal F,
&\mathcal F&=(\mathcal C\cap\mathcal W)^{\square}
\end{aligned}
$$
が成り立つ。
最初の等式を示す。持ち上げ公理から
$\mathcal C\subset{}^{\square}(\mathcal F\cap\mathcal W)$
である。逆に $i\colon A\to B$ がすべての自明ファイブレーションに対する左持ち上げ性質を持つとする。分解公理により
$$
i=pi',\qquad i'\in\mathcal C,\quad p\in\mathcal F\cap\mathcal W
$$
と分解する。可換正方形
$$
\begin{array}{ccc}
A&\xrightarrow{i'}&E\\
\downarrow i&&\downarrow p\\
B&\xrightarrow{\mathrm{id}_B}&B
\end{array}
$$
に持ち上げを適用すると、$si=i'$ かつ $ps=\mathrm{id}_B$ を満たす $s\colon B\to E$ が得られる。これは射の圏で $i$ が $i'$ のレトラクトであることを意味する。$i'\in\mathcal C$ で $\mathcal C$ はレトラクトで閉じているから $i\in\mathcal C$ である。よって最初の等式が成り立つ。
二番目の等式では、持ち上げ公理から $\mathcal F\cap\mathcal W\subset\mathcal C^{\square}$ である。逆向きは、$p\in\mathcal C^{\square}$ を $p=qj$($j\in\mathcal C, q\in\mathcal F\cap\mathcal W$)と分解し、今度は $p$ が $q$ のレトラクトになる対角射を作れば従う。残り二つの等式も、もう一方の分解
$f=qj$($j\in\mathcal C\cap\mathcal W, q\in\mathcal F$)
に同じレトラクト論法を適用して得られる。$\blacksquare$
コファイブレーションの合成はコファイブレーションであり、ファイブレーションの合成はファイブレーションである。同じことが自明コファイブレーションと自明ファイブレーションにも成り立つ。
$i\colon A\to B$ と $j\colon B\to C$ がコファイブレーションであるとする。命題の特徴づけにより、$i,j$ は任意の自明ファイブレーション $p\colon X\to Y$ に対する左持ち上げ性質を持つ。$ji$ と $p$ を左右の辺とする可換正方形が与えられたとする。まず $i$ の持ち上げ性質を、上辺 $A\to X$ と合成 $B\xrightarrow{j}C\to Y$ に適用して $B\to X$ を得る。次に $j$ の持ち上げ性質を、この $B\to X$ と下辺 $C\to Y$ に適用して $C\to X$ を得る。後者が元の正方形の対角射である。したがって $ji\in{}^{\square}(\mathcal F\cap\mathcal W)=\mathcal C$ である。
自明コファイブレーションについては右側のクラスを $\mathcal F$ に替えて同じ議論を行う。ファイブレーションと自明ファイブレーションについては、可換正方形を右から順に二度持ち上げる双対の議論を使う。それぞれ
$(\mathcal C\cap\mathcal W)^{\square}=\mathcal F$ と $\mathcal C^{\square}=\mathcal F\cap\mathcal W$ により結論を得る。$\blacksquare$
対象 $X$ から終対象への射を
$$
X\xrightarrow{\sim\;\;\mathrm{cof}}RX\twoheadrightarrow *
$$
と「自明コファイブレーションの後にファイブレーション」として分解すれば、$RX$ はファイブラントで $X\to RX$ は弱同値である。同様に始対象から $X$ への射を
$$
\emptyset\rightarrowtail QX\xrightarrow{\sim\;\;\mathrm{fib}}X
$$
と分解すれば、$QX$ はコファイブラントで $QX\to X$ は弱同値である。これらをそれぞれファイブラント置換、コファイブラント置換という。さらに $RQX$ などを取れば、任意の対象を弱同値なファイブラント・コファイブラント対象で置き換えられる。
モデル圏のホモトピー圏 $\operatorname{Ho}(\mathcal M)$ は弱同値を可逆化して得られる。モデル圏の利点は、この抽象的な局所化を、ファイブラント・コファイブラント置換とシリンダー対象・道対象によるホモトピー類で計算できる点にある。なお、置換の選択は通常一意ではない。関手的分解を仮定または構成すると、置換を関手として選べる。
モデル圏は∞圏そのものではなく、∞圏を表示して計算する一つの厳密なモデルである。異なるモデル圏がQuillen同値で結ばれるとき、それらは同じホモトピー論を表す。このため、モデル圏の記事で通常の圏、ホモトピー圏、対応する∞圏の主張を相互に読み替える際には、どのレベルの同値を述べているかを区別しなければならない。
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