概複素構造

同義語:almost complex structure概複素多様体almost complex manifoldNijenhuisテンソルNijenhuis tensor

概要

概複素構造(almost complex structure)とは、多様体の各接空間に $J^2=-\mathrm{id}$ を満たす線形変換 $J$ を滑らかに与えたもので、$J$ を $i$ 倍とみなして各接空間を複素ベクトル空間にする。これだけで接ベクトルと微分形式の型 $(p,q)$ への分解が決まり、概複素多様体は偶数次元で向き付け可能になる。複素多様体の接空間は自然な概複素構造をもつが、逆に正則座標から来るとは限らない。その判定条件が Nijenhuis テンソル $N_J$ の消滅で、$N_J=0$ は $d=\partial+\bar\partial$ とも同値であり、Newlander–Nirenberg の定理により複素多様体の構造がただ一つ定まる。2 次元ではつねに $N_J=0$ だが、$\mathbb R^4$ には可積分でない概複素構造がある。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 接束, 複素多様体, 微分形式, Lie括弧, 外積代数

概複素構造(almost complex structure)とは、可微分多様体 $M$ の各接空間 $T_pM$ に、$J_p^2=-\mathrm{id}$ を満たす線形変換 $J_p$ を滑らかに与えたものである。$J_p$ を「$i$ 倍」とみなすと、各接空間が複素ベクトル空間になる。複素多様体の接空間は自然にこの構造をもつ(複素多様体 の命題「接空間の複素構造」)。しかし各接空間に $i$ 倍が決まっていても、それが正則な局所座標から来るとは限らない。その判定条件が Nijenhuis テンソル $N_J$ の消滅であり、$N_J=0$ ならば $J$ はただ一つの複素多様体の構造から来る、というのが Newlander–Nirenberg の定理である。
概複素構造は、複素幾何で使う道具(型 $(p,q)$ の微分形式、$\partial$ と $\bar\partial$、Hermite 計量、Kähler 形式)を「各点の線形代数」と「座標の存在」に切り分ける役をする。前者は概複素構造だけで定まり、後者が可積分性である。
この記事では次を証明する。

  1. 複素構造をもつ実ベクトル空間は偶数次元で、標準的な向きをもつ。したがって概複素多様体は偶数次元で向き付け可能である。
  2. 可積分性の条件の同値性:$N_J=0$、$T^{1,0}M$ の Lie 括弧についての閉性、$d=\partial+\bar\partial$ が同値である。複素多様体の概複素構造はこれらを満たす。
  3. 2 次元の概複素構造はつねに $N_J=0$ を満たす。一方、$\mathbb R^4$ には $N_J\neq0$ となる概複素構造がある。
  4. $J$ を平行にする捩れのない接続があれば $N_J=0$ であり、複素多様体にはそのような接続がある(Newlander–Nirenberg の定理と合わせると、両者は同値になる)。
    Newlander–Nirenberg の定理($N_J=0$ ならば複素多様体)はこの記事では証明せず、所在を示して引用する。

ベクトル空間の複素構造

定義と複素化

ベクトル空間の複素構造

$V$ を有限次元の実ベクトル空間とする。$V$ の複素構造(complex structure)とは、線形変換 $J\colon V\to V$ で $J^2=-\mathrm{id}_V$ を満たすものをいう。このとき
$$ (a+bi)\,v:=av+bJv\qquad(a,b\in\mathbb R,\ v\in V) $$
によって $V$ は複素ベクトル空間になる。これを $(V,J)$ と書く。

実際、$J^2=-\mathrm{id}$ から $(a+bi)\bigl((c+di)v\bigr)=\bigl((ac-bd)+(ad+bc)i\bigr)v$ が確かめられ、ほかの公理は線形性から従う。逆に複素ベクトル空間 $W$ があれば、$i$ 倍の写像 $J$ は実ベクトル空間 $W$ の複素構造である。$\mathbb C^n=\mathbb R^{2n}$ の座標を $z_j=x_j+iy_j$ とすると、$i$ 倍は
$$ J_0\Bigl(\frac{\partial}{\partial x_j}\Bigr)=\frac{\partial}{\partial y_j},\qquad J_0\Bigl(\frac{\partial}{\partial y_j}\Bigr)=-\frac{\partial}{\partial x_j} $$
である。これを $\mathbb R^{2n}$ の標準的な複素構造という。
複素構造の固有値は $\pm i$ で、実数の中にはない。そこで複素化 $V_{\mathbb C}:=V\otimes_{\mathbb R}\mathbb C$ に移り、$J$ を複素線形に延ばす(同じ記号 $J$ で書く)。$V_{\mathbb C}$ には複素共役 $\overline{v\otimes c}:=v\otimes\bar c$ があり、$J$ はこれと可換である。
$$ V^{1,0}:=\{w\in V_{\mathbb C}\mid Jw=iw\},\qquad V^{0,1}:=\{w\in V_{\mathbb C}\mid Jw=-iw\} $$
とおく。双対空間の側では、$V^*_{\mathbb C}:=\operatorname{Hom}_{\mathbb R}(V,\mathbb C)$ の中で
$$ V^{*1,0}:=\{\alpha\mid\alpha(Jv)=i\,\alpha(v)\ (v\in V)\},\qquad V^{*0,1}:=\{\alpha\mid\alpha(Jv)=-i\,\alpha(v)\ (v\in V)\} $$
とおく。$V^{*1,0}$ の元を $(1,0)$ 形式、$V^{*0,1}$ の元を $(0,1)$ 形式という。$\alpha\in V^*_{\mathbb C}$ は $V_{\mathbb C}$ 上の複素線形形式に延ばせる。$\alpha\in V^{*1,0}$ と $w\in V^{0,1}$ に対しては、延ばした等式 $\alpha(Jw)=i\,\alpha(w)$ と $Jw=-iw$ から $i\,\alpha(w)=-i\,\alpha(w)$、すなわち $\alpha(w)=0$ となる。つまり $(1,0)$ 形式は $V^{0,1}$ の上で消える(次の命題の次元の比較から、$V^{0,1}$ の上で消える線形形式はすべて $(1,0)$ 形式である)。

型の分解

$(V,J)$ を複素構造をもつ実ベクトル空間とし、$\dim_{\mathbb C}(V,J)=n$ とする。

  1. $V_{\mathbb C}=V^{1,0}\oplus V^{0,1}$ であり、複素共役は $V^{1,0}$ と $V^{0,1}$ を入れ替える。
  2. 写像 $\phi\colon V\to V^{1,0}$、$\phi(v):=\frac12(v-iJv)$ は $(V,J)$ から $V^{1,0}$ への複素線形な同型である。とくに $\dim_{\mathbb C}V^{1,0}=\dim_{\mathbb C}V^{0,1}=n$。
  3. $V^*_{\mathbb C}=V^{*1,0}\oplus V^{*0,1}$ であり、$V^{*1,0}=\{\alpha-i\,\alpha\circ J\mid\alpha\in V^*\}$ である。
  4. $\Lambda^{p,q}V^*:=\Lambda^pV^{*1,0}\wedge\Lambda^qV^{*0,1}$($\Lambda^kV^*_{\mathbb C}$ の中で $p$ 個の $(1,0)$ 形式と $q$ 個の $(0,1)$ 形式の外積で張られる部分空間)とおくと
    $$ \Lambda^kV^*_{\mathbb C}=\bigoplus_{p+q=k}\Lambda^{p,q}V^*,\qquad\dim_{\mathbb C}\Lambda^{p,q}V^*=\binom np\binom nq $$
    である。$\Lambda^{p,q}V^*$ の元を型 $(p,q)$ の形式という。

要点:$w=\frac12(w-iJw)+\frac12(w+iJw)$ が 2 つの固有空間への分解を与え、複素共役が 2 つの固有空間を入れ替えるので、両者は同じ次元 $n$ をもつ。双対側も同じ計算であり、4 は外積代数の直和の公式による。

詳しい証明を開く

1:$w\in V_{\mathbb C}$ に対し $w^{1,0}:=\frac12(w-iJw)$、$w^{0,1}:=\frac12(w+iJw)$ とおく。$J^2=-1$ より $Jw^{1,0}=\frac12(Jw+iw)=i\,w^{1,0}$、同様に $Jw^{0,1}=-i\,w^{0,1}$ で、$w=w^{1,0}+w^{0,1}$ である。$V^{1,0}\cap V^{0,1}$ の元 $w$ は $iw=Jw=-iw$ を満たすので $0$ である。よって直和である。$J$ は複素共役と可換なので、$Jw=iw$ なら $J\bar w=\overline{Jw}=-i\bar w$ であり、共役は $V^{1,0}$ を $V^{0,1}$ に写す(逆も同様)。

2:$\phi(v)=v^{1,0}\in V^{1,0}$ で、$\phi$ は実線形である。$\phi(Jv)=\frac12(Jv+iv)=i\,\phi(v)$ なので、$(V,J)$ の $i$ 倍を $V^{1,0}$ の $i$ 倍に写し、複素線形である。$\phi(v)=0$ なら実部 $v/2$ が $0$ なので単射である。1 により $V_{\mathbb C}$(複素 $2n$ 次元)は共役で移り合う 2 つの部分空間の直和なので $\dim_{\mathbb C}V^{1,0}=n=\dim_{\mathbb C}(V,J)$ であり、$\phi$ は同型である。

3:$\alpha\in V^*_{\mathbb C}$ に対し $\alpha^{1,0}:=\frac12(\alpha-i\,\alpha\circ J)$、$\alpha^{0,1}:=\frac12(\alpha+i\,\alpha\circ J)$ とおくと、1 と同じ計算で $\alpha^{1,0}\in V^{*1,0}$、$\alpha^{0,1}\in V^{*0,1}$、$\alpha=\alpha^{1,0}+\alpha^{0,1}$ であり、共通部分は $0$ である。$\alpha\in V^*$(実数値)について $\alpha-i\,\alpha\circ J=2\alpha^{1,0}\in V^{*1,0}$ である。逆に $\beta\in V^{*1,0}$ の実部を $\alpha$ とすると、$\beta(Jv)=i\beta(v)$ の実部を比べて $\operatorname{Im}\beta(v)=-\alpha(Jv)$、すなわち $\beta=\alpha-i\,\alpha\circ J$ である。

4:3 と 外積代数 の定理「直和の外積代数」により $\Lambda^kV^*_{\mathbb C}\cong\bigoplus_{p+q=k}\Lambda^pV^{*1,0}\otimes\Lambda^qV^{*0,1}$ であり、この同型は $a\otimes b\mapsto a\wedge b$ で与えられる。$V^{*1,0}$ と $V^{*0,1}$ はともに $n$ 次元(2 と双対性による)なので、次元は $\binom np\binom nq$ である。$\square$

$\mathbb C^n$ の標準的な複素構造では、$V^{1,0}$ は $\partial/\partial z_j:=\frac12(\partial/\partial x_j-i\,\partial/\partial y_j)=\phi(\partial/\partial x_j)$ で、$V^{0,1}$ は $\partial/\partial\bar z_j$ で張られる。$V^{*1,0}$ は $dz_j=dx_j+i\,dy_j$ で、$V^{*0,1}$ は $d\bar z_j$ で張られ、$\Lambda^{p,q}$ は $dz_I\wedge d\bar z_K$($|I|=p$、$|K|=q$)で張られる。これは Dolbeaultコホモロジー の定義「型 $(p,q)$ の微分形式と $\bar\partial$ 作用素」の各点での形である。

偶数次元と標準的な向き

次元の偶数性と標準的な向き

$(V,J)$ を複素構造をもつ実ベクトル空間とする。

  1. $\dim_{\mathbb R}V$ は偶数である。$\dim_{\mathbb R}V=2n$ とし、$(e_1,\dots,e_n)$ を $(V,J)$ の複素基底とすると、$(e_1,Je_1,\dots,e_n,Je_n)$ は $V$ の実基底である。
  2. 1 の形の実基底はすべて同じ向きを定める。この向きを $J$ の定める標準的な向きという。

1:$m:=\dim_{\mathbb R}V$ とすると $(\det J)^2=\det(J^2)=\det(-\mathrm{id})=(-1)^m$ で、左辺は実数の 2 乗なので $0$ 以上である。よって $m$ は偶数である。$(e_1,\dots,e_n)$ が複素基底なら、各 $v\in V$ はただ一通りに $v=\sum_j(a_j+b_ji)e_j=\sum_j(a_je_j+b_jJe_j)$($a_j,b_j\in\mathbb R$)と書けるので、$(e_1,Je_1,\dots,e_n,Je_n)$ は実基底であり、$m=2n$ である。
2:2 つの複素基底を $e'_k=\sum_jA_{jk}e_j$($A\in GL(n,\mathbb C)$)で結び、$Te_k:=e'_k$ で複素線形写像 $T$ を定める。2 つの実基底の間の変換行列の行列式は $\det_{\mathbb R}T$ であり、$T$ を複素化すると $V^{1,0}$ の上では $A$、$V^{0,1}$ の上では $\bar A$ として働くので
$$ \det\nolimits_{\mathbb R}T=\det(A)\,\det(\bar A)=|\det A|^2>0 $$
である。よって 2 つの実基底は同じ向きを定める。

詳細

$T$ は $J$ と可換なので、複素化すると $J$ の固有空間 $V^{1,0}$、$V^{0,1}$ を保つ。prop-acs-type-decomposition の 2 の同型 $\phi$ で $V^{1,0}$ を $(V,J)$ と同一視すると、$T$ の $V^{1,0}$ への制限は基底 $\phi(e_j)$ に関して行列 $A$ をもつ。$T$ は複素共役と可換なので、$V^{0,1}$ への制限は基底 $\overline{\phi(e_j)}$ に関して $\bar A$ をもつ。実線形写像の行列式は複素化しても変わらない。$\square$

$\mathbb C^n$ では標準的な向きは $dx_1\wedge dy_1\wedge\cdots\wedge dx_n\wedge dy_n>0$ で与えられる。これは複素多様体の下部多様体の自然な向き(複素多様体)と同じものである。

概複素多様体

概複素構造と概複素多様体

$M$ を $C^\infty$ 級多様体とする。$M$ 上の概複素構造とは、接束 $TM$ の滑らかな自己準同型 $J$(各点 $p$ で線形変換 $J_p\colon T_pM\to T_pM$ を与え、ベクトル場 $X$ に対し $JX$ が滑らかなベクトル場になるもの)で、各点で $J_p^2=-\mathrm{id}$ を満たすものをいう。組 $(M,J)$ を概複素多様体(almost complex manifold)という。

各点に def-acs-linear と prop-acs-type-decomposition を当てると、複素化した接束 $T_{\mathbb C}M:=TM\otimes\mathbb C$ の分解 $T_{\mathbb C}M=T^{1,0}M\oplus T^{0,1}M$ と、複素数値微分形式の分解
$$ \mathcal A^k(M)=\bigoplus_{p+q=k}\mathcal A^{p,q}(M) $$
が得られる。ここで $\mathcal A^k(M)$ は複素数値の滑らかな $k$ 次微分形式の空間、$\mathcal A^{p,q}(M)$ は各点で型 $(p,q)$ の形式である。分解の射影 $v\mapsto\frac12(v\mp iJv)$ は $J$ の滑らかさにより滑らかなので、$T^{1,0}M$、$T^{0,1}M$ は複素ベクトル束であり、各成分は滑らかである。$\pi^{p,q}\colon\mathcal A^{p+q}(M)\to\mathcal A^{p,q}(M)$ を射影とし、
$$ \partial:=\pi^{p+1,q}\circ d,\qquad\bar\partial:=\pi^{p,q+1}\circ d\qquad(\mathcal A^{p,q}(M)\text{ 上}) $$
とおく。関数 $f$ については $df$ が 1 次形式なので $df=\partial f+\bar\partial f$ がつねに成り立つ。$\bar\partial f=0$ を満たす関数を $J$ に関して正則な関数という。これは $df\circ J=i\,df$、すなわち $df$ が各点で $(T_pM,J_p)$ から $\mathbb C$ への複素線形写像であることと同じである。
以下、微分形式の値は微分形式 の記事の A 方式($(dx\wedge dy)(\partial_x,\partial_y)=1$)で計る。1 次形式 $\alpha$ と複素ベクトル場 $Z,W$($T_{\mathbb C}M$ の滑らかな切断)について
$$ d\alpha(Z,W)=Z\bigl(\alpha(W)\bigr)-W\bigl(\alpha(Z)\bigr)-\alpha([Z,W]) $$
が成り立つ。実ベクトル場についての同じ公式(同記事の定義「外微分」の A 方式の式で $p=1$ としたもの)の両辺は $Z,W$ について複素双線形に延びるからである。ここで複素ベクトル場の Lie 括弧は実部と虚部について双線形に延ばしたものである。

概複素多様体は偶数次元で向き付け可能

概複素多様体 $(M,J)$ の各連結成分は偶数次元である。さらに、各点の $T_pM$ に prop-acs-even-orientation の標準的な向きを与えると、これは $M$ の向き(滑らかに変わる向き)であり、$M$ は向き付け可能多様体である。

要点:各点の近くで、$J$ に合わせた滑らかな局所枠 $(E_1,JE_1,\dots,E_n,JE_n)$ がとれ、これが各点で標準的な向きを代表する。

詳しい証明を開く

偶数次元であることは prop-acs-even-orientation の 1 による。$\dim M=2n$ とし、$p\in M$ をとる。$(T_pM,J_p)$ の複素基底 $e_1,\dots,e_n$ をとり、$p$ の座標近傍で $e_j$ に一致する滑らかなベクトル場 $E_j$ に延ばす(座標成分を定数にすればよい)。$2n$ 本のベクトル場 $E_1,JE_1,\dots,E_n,JE_n$ は $p$ で 1 次独立なので、行列式の連続性により $p$ の近傍 $U$ の各点 $q$ で 1 次独立である。$E_1(q),\dots,E_n(q)$ の複素係数の関係 $\sum_j(a_j+b_ji)E_j(q)=\sum_j(a_jE_j(q)+b_jJE_j(q))=0$ は自明なものに限るので、これらは $(T_qM,J_q)$ の複素基底である。よって $U$ 上の滑らかな枠 $(E_1,JE_1,\dots,E_n,JE_n)$ が各点で標準的な向きを代表する。滑らかな局所枠で代表される向きの族は $M$ の向きである。$\square$

例

複素多様体

$X$ を複素多様体とする。複素多様体 の命題「接空間の複素構造」により、各正則局所座標 $z_j=x_j+iy_j$ で $J\partial_{x_j}=\partial_{y_j}$、$J\partial_{y_j}=-\partial_{x_j}$ となる $J$ が座標のとり方によらず定まる。局所座標で成分が定数なので $J$ は滑らかであり、$X$ の概複素構造である。この $J$ を複素多様体 $X$ の付随する概複素構造という(Wel08 Ch. I Proposition 3.4、p. 30)。$T^{1,0}X$ は $\partial/\partial z_j$ で、$(1,0)$ 形式の空間は $dz_j$ で張られ、ここでの $\partial$、$\bar\partial$ は Dolbeaultコホモロジー のものと一致する。同命題の 2 により、正則関数は $J$ に関して正則な関数そのものである。

向き付けられた曲面と計量

$M$ を向き付けられた 2 次元多様体、$g$ をそのリーマン多様体の計量とする。$v\in T_pM$、$v\neq0$ に対し、$J_pv$ を「$g$ について $v$ と直交し、長さが $v$ と等しく、$(v,J_pv)$ が正の向きの基底になるベクトル」と定め、$J_p0=0$ とする。つまり $J_p$ は正の向きへの角度 $\pi/2$ の回転である。正の向きの局所的な正規直交枠 $(E_1,E_2)$(Lee13 Corollary 13.8 の正規直交枠を向きに合わせたもの)をとると $JE_1=E_2$、$JE_2=-E_1$ なので、$J$ は滑らかで $J^2=-\mathrm{id}$ である。よって $M$ は概複素多様体になる。計量 $g$ を正の関数倍 $e^{u}g$ に替えても回転は変わらないので、$J$ は計量の共形類だけで決まる。
逆に 2 次元の概複素構造 $J$ からは、$J$ を回転とする計量の共形類がただ一つ決まる。こうして、向き付けられた曲面の上で、計量の共形類と(その向きに合う)概複素構造とが一対一に対応する(Dem12 Ch. VIII (11.5)、p. 398)。

詳細

計量 $g$ が $J$ 不変($g(Ju,Jv)=g(u,v)$)なら、$g(v,Jv)=g(Jv,J^2v)=-g(Jv,v)$ より $v\perp Jv$ で、$|Jv|=|v|$ である。$(v,Jv)$ は $J$ の標準的な向きの基底なので、$J$ はこの向きについて $g$ の回転である。$J$ 不変な計量は、任意の計量 $g$ から $g(u,v)+g(Ju,Jv)$ として作れる。また 2 次元では $v\neq0$ に対し $(v,Jv)$ が基底なので、$J$ 不変な内積は $g(v,v)$ の値だけで決まり、$J$ 不変な計量どうしは互いに正の関数倍である。

6 次元球面

$S^6$ は概複素構造をもつ(CdS06 §13.3、p. 76)。構成には八元数(Cayley 数)の積を使い、こうして得られる概複素構造は可積分(次節)でない(Wel08 Ch. I §3 の注意、p. 31)。この記事ではこの構成を扱わない。$S^6$ の概複素構造の中に可積分なものがあるかどうか、すなわち $S^6$ が複素多様体の構造をもつかどうかは知られていない(CdS06 p. 76、Wel08 p. 31 の記述)。また偶数次元の球面のうち概複素構造をもつのは $S^2$ と $S^6$ だけである(Borel–Serre の定理。Wel08 p. 31。この記事では証明しない)。

一方、$S^4$ は偶数次元で向き付け可能だが概複素構造をもたない(Ehresmann と Hopf による。CdS06 p. 76。複素多様体 の例「反例:複素構造をもたない多様体」は、この事実を特性類の関係式から説明している)。したがって prop-acs-orientable の逆は成り立たない。$\mathbb{RP}^2$ は偶数次元だが向き付け可能でないので、prop-acs-orientable により概複素構造をもたない。
構造群の言葉では、$2n$ 次元多様体 $M$ に概複素構造を与えることは、接束の構造群を $GL(2n,\mathbb R)$ から $GL(n,\mathbb C)$ に縮小することと同じである。

詳細

実際、$J$ に合わせた局所枠 $(E_1,JE_1,\dots,E_n,JE_n)$ の間の変換は、prop-acs-even-orientation の証明のとおり複素行列 $A$ で書ける。逆に、$M$ を覆う局所枠 $(E_1,E'_1,\dots,E_n,E'_n)$ の族で、枠どうしの変換がすべて $GL(n,\mathbb C)\subset GL(2n,\mathbb R)$ に入るものがあれば、各枠で $JE_j:=E'_j$、$JE'_j:=-E_j$ と定めると、複素行列による変換は $\mathbb C^n$ の $i$ 倍と可換なので、重なりで $J$ が一致する。


また、シンプレクティック多様体 $(M,\omega)$ には、$\omega(Ju,Jv)=\omega(u,v)$ と $\omega(u,Ju)>0$($u\neq0$)を満たす概複素構造がつねに存在する(CdS06 Corollary 12.7、p. 71)。

可積分性と Nijenhuis テンソル

複素多様体では、正則座標 $z_j$ の微分 $dz_j$ が $(1,0)$ 形式の局所的な基底をなし、$d(dz_j)=0$ である。一般の概複素多様体では、各点で $(1,0)$ 形式の基底はとれても、それが閉形式 $dz_j$ の形にとれるとは限らない。この違いを測るのが次のテンソルである。

Nijenhuis テンソル

概複素多様体 $(M,J)$ のベクトル場 $X,Y$ に対し
$$ N_J(X,Y):=[JX,JY]-J[X,JY]-J[JX,Y]-[X,Y] $$
とおく。$N_J$ を $J$ の Nijenhuis テンソルという。

Nijenhuis テンソルと $(1,0)$ ベクトル場の括弧

$X,Y$ を実ベクトル場とし、$Z:=X-iJX$、$W:=Y-iJY$ とおく($T^{1,0}M$ の切断である)。$T_{\mathbb C}M$ の $T^{0,1}M$ への射影を $\pi^{0,1}(w)=\frac12(w+iJw)$ と書くと
$$ \pi^{0,1}[Z,W]=-\frac12\bigl(N_J(X,Y)+i\,JN_J(X,Y)\bigr) $$
である。さらに次が成り立つ。

  1. $T^{1,0}M$ の滑らかな切断はすべて、ある実ベクトル場 $X$ によって $X-iJX$ と書ける。
  2. $N_J$ は $C^\infty(M)$ 双線形で反対称である。とくに $N_J$ は $(1,2)$ 型のテンソル場で、$N_J(X,Y)$ の $p$ での値は $X_p,Y_p$ だけで決まる。
  3. $N_J(X,JX)=0$。

括弧を展開すると $[Z,W]=[X,Y]-[JX,JY]-i\bigl([X,JY]+[JX,Y]\bigr)$ であり、$\pi^{0,1}[Z,W]=\frac12\bigl([Z,W]+iJ[Z,W]\bigr)$ の実部は $-\frac12N_J(X,Y)$、虚部は $-\frac12JN_J(X,Y)$ になる。

詳細

実部は $\tfrac12\bigl([X,Y]-[JX,JY]+J[X,JY]+J[JX,Y]\bigr)=-\tfrac12N_J(X,Y)$、虚部は $\tfrac12\bigl(-[X,JY]-[JX,Y]+J[X,Y]-J[JX,JY]\bigr)$ である。一方 $J^2=-1$ より $JN_J(X,Y)=J[JX,JY]+[X,JY]+[JX,Y]-J[X,Y]$ なので、虚部は $-\frac12JN_J(X,Y)$ に等しい。


1:$V=A+iB$($A,B$ は実ベクトル場)が $T^{1,0}M$ の切断なら、$JV=iV$ の実部と虚部から $JA=-B$ を得るので $V=A-iJA$ である。
2:反対称性は定義から明らかである。$f$ を実数値の滑らかな関数とすると $fZ=fX-iJ(fX)$ であり、$[fZ,W]=f[Z,W]-(Wf)Z$、$\pi^{0,1}(Z)=0$ なので $\pi^{0,1}[fZ,W]=f\,\pi^{0,1}[Z,W]$ である。等式の実部を比べると $N_J(fX,Y)=fN_J(X,Y)$ を得る。反対称性から第 2 変数についても同じである。関数について線形な写像の点ごとの値が $X_p,Y_p$ だけで決まることは、捩率テンソルの場合(リーマン接続 の命題「捩率のテンソル性」)と同じ議論による。
3:$J^2X=-X$ を使うと $N_J(X,JX)=[JX,-X]-J[X,-X]-J[JX,JX]-[X,JX]=[X,JX]-[X,JX]=0$ である。$\square$

可積分性の条件

概複素多様体 $(M,J)$ について、次は同値である。

  1. $N_J=0$。
  2. $T^{1,0}M$ の切断 $Z,W$ に対し $[Z,W]$ も $T^{1,0}M$ の切断である。
  3. $T^{0,1}M$ の切断 $Z,W$ に対し $[Z,W]$ も $T^{0,1}M$ の切断である。
  4. $\alpha\in\mathcal A^{1,0}(M)$ ならば $d\alpha\in\mathcal A^{2,0}(M)\oplus\mathcal A^{1,1}(M)$。
  5. すべての $p,q$ について $d\bigl(\mathcal A^{p,q}(M)\bigr)\subset\mathcal A^{p+1,q}(M)\oplus\mathcal A^{p,q+1}(M)$。すなわち $d=\partial+\bar\partial$。
    これらが成り立てば $\partial^2=0$、$\bar\partial^2=0$、$\partial\bar\partial+\bar\partial\partial=0$ である。

1 ⇔ 2:lem-acs-bracket の 1 により、$T^{1,0}M$ の切断はすべて $X-iJX$ の形である。$N_J(X,Y)$ と $JN_J(X,Y)$ は実ベクトルなので、$N_J(X,Y)+iJN_J(X,Y)=0$ と $N_J(X,Y)=0$ は同値である。よって補題の等式により、「すべての $X,Y$ で $\pi^{0,1}[X-iJX,Y-iJY]=0$」は $N_J=0$ と同値である。
2 ⇔ 3:複素共役は Lie 括弧と可換($\overline{[Z,W]}=[\bar Z,\bar W]$)で、$T^{1,0}M$ と $T^{0,1}M$ を入れ替える(prop-acs-type-decomposition の 1)。
3 ⇔ 4:$\alpha\in\mathcal A^{1,0}(M)$ とし、$d\alpha$ の型 $(0,2)$ の成分を $\beta$ とする。型 $(2,0)$、$(1,1)$ の 2 次形式は $T^{0,1}$ の 2 つのベクトルに対して $0$ になる(各項に $(1,0)$ 形式の因子があり、それは $T^{0,1}$ の上で消える)。型 $(0,2)$ の形式は $T^{1,0}$ の元を 1 つでも入れると $0$ になる。よって $\beta=0$ は「$T^{0,1}M$ の切断 $\bar Z,\bar W$ に対し $d\alpha(\bar Z,\bar W)=0$」と同値である。$\alpha$ は $T^{0,1}$ の上で消えるので
$$ d\alpha(\bar Z,\bar W)=\bar Z\bigl(\alpha(\bar W)\bigr)-\bar W\bigl(\alpha(\bar Z)\bigr)-\alpha([\bar Z,\bar W])=-\alpha([\bar Z,\bar W]) $$
である。各点で、$(1,0)$ 余ベクトルは $(1,0)$ 形式に延ばせ、すべての $(1,0)$ 余ベクトルが消えるベクトルは $T^{0,1}$ の元に限る。よって「すべての $\alpha\in\mathcal A^{1,0}$ について $\beta=0$」は「$[\bar Z,\bar W]$ がつねに $T^{0,1}M$ に入る」と同値である。

詳細

各点の $(1,0)$ 余ベクトルは実余ベクトル $a$ によって $a-i\,a\circ J$ と書け(prop-acs-type-decomposition の 3)、$a$ を滑らかな 1 次形式に延ばせば $(1,0)$ 形式に延びる。また $V=T_pM$ として、$V^{*1,0}$($n$ 次元)のすべての元が消える $V_{\mathbb C}$ の部分空間は $2n-n=n$ 次元で、$V^{0,1}$($n$ 次元)を含むので $V^{0,1}$ に等しい。


4 ⇔ 5:5 で $(p,q)=(1,0)$ とすれば 4 である。逆に 4 を仮定すると、共役をとって $\alpha\in\mathcal A^{0,1}(M)$ なら $d\alpha\in\mathcal A^{1,1}(M)\oplus\mathcal A^{0,2}(M)$ である。型 $(p,q)$ の形式は局所的に、関数と $(1,0)$ 形式・$(0,1)$ 形式の外積の和なので、Leibniz 則により $d$ は型 $(p+1,q)$ と $(p,q+1)$ の成分しかもたない。
詳細

$T^{*1,0}M$ は射影 $a\mapsto\frac12(a-i\,a\circ J)$ の像である階数 $n$ の滑らかな複素ベクトル束なので、各点の近くで $(1,0)$ 形式の局所枠 $\theta_1,\dots,\theta_n$ がとれ、型 $(p,q)$ の形式は局所的に $f\,\theta_I\wedge\bar\theta_K$($|I|=p$、$|K|=q$、$f$ は関数)の和である。$d(f\,\theta_I\wedge\bar\theta_K)$ を Leibniz 則で展開すると、$df\wedge\theta_I\wedge\bar\theta_K$ と、$\theta_I\wedge\bar\theta_K$ の因子の 1 つを $d\theta_i$ または $d\bar\theta_k$ に替えた項の和になる。$df$ は型 $(1,0)$ と $(0,1)$ の和、$d\theta_i$ は型 $(2,0)$ と $(1,1)$ の和、$d\bar\theta_k$ は型 $(1,1)$ と $(0,2)$ の和である。外積で型は足し合わされるので、どの項も型 $(p+1,q)$ か $(p,q+1)$ である。


最後の主張:5 のもとで $0=d^2=(\partial+\bar\partial)^2=\partial^2+(\partial\bar\partial+\bar\partial\partial)+\bar\partial^2$ の各項は型 $(p+2,q)$、$(p+1,q+1)$、$(p,q+2)$ で異なるので、それぞれ $0$ である。$\square$

可積分な概複素構造

概複素構造 $J$ は、$N_J=0$(thm-acs-integrability の同値な条件)を満たすとき可積分(integrable)であるという。

複素多様体の概複素構造は可積分

複素多様体 $X$ に付随する概複素構造(ex-acs-complex-manifold)は可積分である。

thm-acs-integrability の 4 を確かめる。正則局所座標 $(z_1,\dots,z_n)$ の上で $(1,0)$ 形式は $\alpha=\sum_jf_j\,dz_j$($f_j$ は滑らかな関数)と書ける。$d(dz_j)=0$ なので $d\alpha=\sum_j df_j\wedge dz_j=\sum_j(\partial f_j+\bar\partial f_j)\wedge dz_j$ は型 $(2,0)$ と $(1,1)$ の和である。4 は局所的な条件なので $X$ 全体で成り立ち、$N_J=0$ である。(2 から見ても、$T^{1,0}X$ の局所枠 $\partial/\partial z_j$ どうしの括弧は $0$ である。同じ主張は Wel08 Ch. I Theorem 3.7(p. 34)にある。)$\square$

逆向きが深い定理である。

Newlander–Nirenberg の定理

$(M,J)$ を $C^\infty$ 級の概複素多様体とし、$J$ は可積分であるとする。このとき $M$ の複素多様体の構造で、付随する概複素構造が $J$ であるものがただ一つ存在する。その正則局所座標は、各点の近くで定義された $J$ に関して正則な関数 $z_1,\dots,z_n$ で、$dz_1,\dots,dz_n$ が各点で $(1,0)$ 形式の基底をなすものである。

出典と証明の所在

この記事ではこの定理を証明しない。定理は Newlander と Nirenberg(1957)による。Wel08 Ch. I Theorem 3.8(p. 35)は定理を述べ、証明を Hörmander の本に委ねている。Dem12 Ch. VIII (11.8)(p. 399)は定理を述べ、Hörmander の方法($\bar\partial$ 方程式の $L^2$ 評価)に従って証明している。CdS06 Theorem 15.4(p. 88)は、$N_J=0$、$d=\partial+\bar\partial$、$\bar\partial^2=0$ などの条件と複素多様体であることの同値として述べている。一意性は易しい:複素構造の正則関数は $\bar\partial f=0$ で特徴づけられ(ex-acs-complex-manifold)、これは $J$ だけで決まるからである(Dem12 p. 399)。存在の証明の中心は、$J$ に関して正則な関数を各点の近くで十分たくさん作ること、すなわち $\bar\partial u=f$ を解くことである。Dem12 Lemma (11.10)(pp. 399–400)は、可積分性を使って $\bar\partial z_j=O(|z|^s)$ となる座標を任意の $s$ について作り、この段で $N_J=0$ が効くことを示している。

ex-acs-complex-manifold、prop-acs-complex-integrable、thm-acs-newlander-nirenberg を合わせると、多様体 $M$ の上の複素多様体の構造と、$M$ 上の可積分な概複素構造とは一対一に対応する。以後、複素多様体を「可積分な概複素構造をもつ多様体」と読み替えてよい。

2 次元の場合

2 次元の概複素構造は可積分

$\dim M=2$ の概複素多様体 $(M,J)$ では $N_J=0$ である。

$p\in M$ と $v\in T_pM$、$v\neq0$ をとる。prop-acs-even-orientation の 1 により $(v,J_pv)$ は $T_pM$ の基底である。lem-acs-bracket の 2 により $N_J$ は各点の双線形写像で反対称なので、$N_J(v,v)=N_J(J_pv,J_pv)=0$ であり、同補題の 3 により $N_J(v,J_pv)=0$ である($v$ を延ばしたベクトル場 $X$ について $N_J(X,JX)=0$ の $p$ での値)。よって基底の組すべてで $N_J$ が消え、$N_J=0$ である。$\square$

ex-acs-surface と thm-acs-newlander-nirenberg を合わせると、向き付けられた曲面に計量を 1 つ与えるごとに、その計量の共形類で決まるリーマン面の構造がただ一つ入る。計量はつねに存在する(Lee13 Proposition 13.3)ので、とくに向き付け可能な曲面はすべて複素多様体の構造をもつ(CdS06 Homework 10 の 1、p. 82。同所はこれを Gauss に遡る結果としている)。

可積分でない概複素構造

$\mathbb R^4$ の可積分でない概複素構造

$\mathbb R^4$ の座標を $(x_1,y_1,x_2,y_2)$、$\partial_{x_1}=\partial/\partial x_1$ などと書き、線形変換の場 $J$ を
$$ J\partial_{x_1}=\partial_{y_1},\quad J\partial_{y_1}=-\partial_{x_1},\quad J\partial_{x_2}=\partial_{y_2}-2y_1\partial_{x_1}-2x_1\partial_{y_1},\quad J\partial_{y_2}=-\partial_{x_2}-2x_1\partial_{x_1}+2y_1\partial_{y_1} $$
で定める。係数は多項式なので $J$ は滑らかであり、4 つの座標ベクトル場について $J^2=-\mathrm{id}$ を直接確かめられるので、$J$ は概複素構造である。

$J^2=-\mathrm{id}$ の計算を開く

$J^2\partial_{x_1}=-\partial_{x_1}$、$J^2\partial_{y_1}=-\partial_{y_1}$ は明らかである。$$J^2\partial_{x_2}=J\partial_{y_2}-2y_1J\partial_{x_1}-2x_1J\partial_{y_1}=(-\partial_{x_2}-2x_1\partial_{x_1}+2y_1\partial_{y_1})-2y_1\partial_{y_1}+2x_1\partial_{x_1}=-\partial_{x_2},$$ $$J^2\partial_{y_2}=-J\partial_{x_2}-2x_1J\partial_{x_1}+2y_1J\partial_{y_1}=-(\partial_{y_2}-2y_1\partial_{x_1}-2x_1\partial_{y_1})-2x_1\partial_{y_1}-2y_1\partial_{x_1}=-\partial_{y_2}.$$


Nijenhuis テンソルを計算する。$[\partial_{x_1},\partial_{x_2}]=0$、$J\partial_{x_1}=\partial_{y_1}$ で、ベクトル場の括弧は係数の微分で計算できる:
$$ [J\partial_{x_1},J\partial_{x_2}]=[\partial_{y_1},J\partial_{x_2}]=-2\partial_{x_1},\qquad [\partial_{x_1},J\partial_{x_2}]=-2\partial_{y_1},\qquad [J\partial_{x_1},\partial_{x_2}]=[\partial_{y_1},\partial_{x_2}]=0. $$
よって
$$ N_J(\partial_{x_1},\partial_{x_2})=-2\partial_{x_1}-J(-2\partial_{y_1})-0-0=-2\partial_{x_1}-2\partial_{x_1}=-4\partial_{x_1}\neq0 $$
であり、$N_J$ は $\mathbb R^4$ のどの点でも $0$ でない。prop-acs-complex-integrable により、$\mathbb R^4$ のどの開集合 $U$ の上にも、付随する概複素構造が $J|_U$ になる複素多様体の構造はない。
この $J$ は、$T^{1,0}$ が $\partial/\partial z_1$ と $\partial/\partial z_2+z_1\,\partial/\partial\bar z_1$($z_1=x_1+iy_1$)で張られるように作ったものである。$T^{0,1}$ の枠 $\partial/\partial\bar z_1$、$\partial/\partial\bar z_2+\bar z_1\,\partial/\partial z_1$ の括弧は $\partial/\partial z_1$ で、$T^{0,1}$ に入らない(thm-acs-integrability の 3 が破れる)。

接続による言い換え

$\nabla$ を $M$ の接続(リーマン接続 の定義「接続と接続係数」)とし、$(\nabla_XJ)Y:=\nabla_X(JY)-J\nabla_XY$ とおく。$\nabla J=0$ とは、$\nabla$ による平行移動が $J$ と可換であることである。

$J$ を平行にする捩れのない接続

$(M,J)$ を概複素多様体とする。

  1. $M$ 上に捩れのない接続 $\nabla$ で $\nabla J=0$ となるものがあれば、$J$ は可積分である。
  2. $M$ が複素多様体で $J$ がその付随する概複素構造なら、捩れのない接続 $\nabla$ で $\nabla J=0$ となるものが存在する。
    したがって、thm-acs-newlander-nirenberg と合わせると、$J$ が可積分であることと、$\nabla J=0$ となる捩れのない接続が存在することは同値である。

1:捩れがないので $[X,Y]=\nabla_XY-\nabla_YX$ である。これを $N_J$ の 4 つの括弧に代入し、$\nabla_X(JY)=(\nabla_XJ)Y+J\nabla_XY$ と $J^2=-1$ を使って整理すると
$$ N_J(X,Y)=(\nabla_{JX}J)Y-(\nabla_{JY}J)X-J(\nabla_XJ)Y+J(\nabla_YJ)X $$
を得る。

詳細

$[JX,JY]=(\nabla_{JX}J)Y+J\nabla_{JX}Y-(\nabla_{JY}J)X-J\nabla_{JY}X$、$J[X,JY]=J(\nabla_XJ)Y-\nabla_XY-J\nabla_{JY}X$、$J[JX,Y]=J\nabla_{JX}Y-J(\nabla_YJ)X+\nabla_YX$、$[X,Y]=\nabla_XY-\nabla_YX$ である。第 1 式から残りの 3 式を引くと、$J\nabla_{JX}Y$、$J\nabla_{JY}X$、$\nabla_XY$、$\nabla_YX$ の項がすべて打ち消し合い、上の式が残る。


$\nabla J=0$ なら右辺は $0$ なので $N_J=0$ である。
2:正則局所座標 $(U_\alpha,z)$ ごとに、実座標 $(x_j,y_j)$ の座標ベクトル場を平行とする平坦な接続 $\nabla^\alpha$(接続係数がすべて $0$)をとる。ex-acs-complex-manifold により $J$ はこの座標で定数行列なので、$\nabla^\alpha J=0$ であり、$\nabla^\alpha$ は捩れがない。$\{U_\alpha\}$ に従属する 1 の分割 $\{\rho_\alpha\}$ をとり $\nabla:=\sum_\alpha\rho_\alpha\nabla^\alpha$ とおく。$\sum_\alpha\rho_\alpha=1$ なので $\nabla$ は Leibniz 則を満たす接続であり、捩率も $\nabla J$ も $\sum_\alpha\rho_\alpha(\cdot)$ の形で $0$ である。$\square$

Kähler形式 の記事では、Hermite 計量の Levi-Civita 接続が $J$ を平行にすることと Kähler 条件 $d\omega=0$ が同値であることを示す。

反例と注意

外す条件反例成り立たなくなること
偶数次元$\mathbb R^3$概複素構造をもつ
向き付け可能$\mathbb{RP}^2$概複素構造をもつ
接束の構造群が $GL(n,\mathbb C)$ に縮小できる$S^4$概複素構造をもつ(偶数次元・向き付け可能だけでは足りない)
可積分性 $N_J=0$ex-acs-nonintegrable の $(\mathbb R^4,J)$$J$ が正則局所座標から来る
実 2 次元同じ $(\mathbb R^4,J)$概複素構造が自動的に可積分になる

1 行目:$\mathbb R^3$ の接空間は 3 次元なので、prop-acs-even-orientation の 1 により $J_p^2=-\mathrm{id}$ となる $J_p$ がない。2 行目:$\mathbb{RP}^2$ は 2 次元だが向き付け可能でないので、prop-acs-orientable により概複素構造をもたない。この 2 行が破る含意は「多様体ならば概複素構造をもつ」である。3 行目:$S^4$ は偶数次元で向き付け可能という prop-acs-orientable の結論を満たすが、概複素構造をもたない(CdS06 p. 76。この記事では証明しない)。破る含意は prop-acs-orientable の逆「偶数次元で向き付け可能ならば概複素構造をもつ」である。4 行目:$(\mathbb R^4,J)$ は概複素多様体だが $N_J\neq0$ なので、prop-acs-complex-integrable により $J$ はどの開集合の上でも複素多様体から来ない。破る含意は「概複素構造ならば複素構造から来る」である。5 行目:同じ例は prop-acs-dim-two が実 2 次元に限ることを示す。
注意を 3 つ挙げる。

  • 「複素構造」の 2 つの意味。複素多様体 の記事の「複素構造」は正則座標近傍系の同値類であり、この記事の「ベクトル空間の複素構造」は $J^2=-1$ となる線形変換である。概複素構造は後者を各点に与えたもので、前者から ex-acs-complex-manifold により得られる。Newlander–Nirenberg の定理は、可積分な後者から前者がただ一つ復元できることを述べる。
  • 可積分性の定義の流儀。Dem12 Ch. VIII (11.4)(p. 397)は、$(1,0)$ ベクトル場の括弧の $(0,1)$ 成分として得られる $T^{0,1}$ 値の $(2,0)$ 形式 $\theta$(torsion form)が $0$ であることを可積分と定義する。lem-acs-bracket の等式により $\theta$ と $N_J$ は互いに決め合い、$\theta=0$ と $N_J=0$ は同値である。Wel08 Ch. I §3(p. 34)は $d=\partial+\bar\partial$(thm-acs-integrability の 5)を可積分の定義とする。CdS06 §13.2(p. 75)は「複素多様体の構造から来ること」を可積分と呼ぶ。Newlander–Nirenberg の定理によりこれも同値になる。
  • $J$ に関して正則な関数の少なさ。可積分でない概複素構造では、$J$ に関して正則な関数が定数しかないことが多い(CdS06 Homework 10 の後の注意、p. 82)。ex-acs-nonintegrable では、$J$ に関して正則な関数は $z_1$ によらない。
    詳細

    $J$ に関して正則な $f$ については、thm-acs-integrability の証明の 3 ⇔ 4 の計算を $\alpha=\partial f=df$ に当てると $df([\bar Z,\bar W])=0$ となる。$df$ は $(1,0)$ 形式なので $[\bar Z,\bar W]$ の $(1,0)$ 成分 $-\frac12(N_J-iJN_J)$(lem-acs-bracket の等式の共役)の上で消え、$df(JN_J)=i\,df(N_J)$ と合わせて $df(N_J(X,Y))=0$ を得る。ex-acs-nonintegrable では $N_J(\partial_{x_1},\partial_{x_2})=-4\partial_{x_1}$ なので $\partial f/\partial x_1=0$、さらに $df(\partial_{y_1})=df(J\partial_{x_1})=i\,df(\partial_{x_1})=0$ である。つまり $f$ は $z_1$ によらず、正則な関数を局所座標に使うことはできない。

関連項目

参考文献

[3]
Raymond O. Wells, Jr., Differential Analysis on Complex Manifolds, Graduate Texts in Mathematics 65, Springer, 2008, Ch. I §3(pp. 27–35):Definition 3.3・Proposition 3.4(p. 30)、$S^6$ と球面の注意(p. 31)、可積分性の定義と Theorem 3.7(p. 34)、Theorem 3.8 Newlander–Nirenberg(p. 35)

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