円周率の無理性(irrationality of π)とは、円周率 $\pi$ がどんな分数 $p/q$($p,q$ は整数、$q\neq0$)とも等しくない、すなわち無理数であるという定理である。$22/7$ や $355/113$ のような個々の近似分数だけでなく、すべての分数が排除される。18 世紀に Lambert が連分数を用いて初めて証明し、1947 年に Niven は、$\pi=a/b$ と仮定すると多項式 $x^n(a-bx)^n/n!$ と $\sin x$ の積の $0$ から $\pi$ までの積分が正の整数になる一方で $n$ を大きくすると $1$ より小さくなる、という矛盾による短い証明を与えた。同じ方法で $\pi^2$ も無理数であることが示される。$\pi$ はさらに超越数であるが(Lindemann)、これは無理性より強い別の定理である。
前提知識: 円周率, 無理数, 三角関数, 微分積分学の基本定理
円周率の近似として古くから知られる $\frac{22}{7}=3.142857\ldots$ は、$\pi=3.141592\ldots$ と小数第 3 位で食い違う。分母を大きくした $\frac{355}{113}=3.14159292\ldots$ は $\pi$ との差が約 $2.7\times10^{-7}$ しかないが、それでも $\pi$ には等しくない。$\frac{22}{7}$ が $\pi$ より大きいことは、次の積分で確かめられる(ex-pi-irr-22-7)。
$$
\frac{22}{7}-\pi=\int_0^1\frac{x^4(1-x)^4}{1+x^2}\,dx>0.
$$
このように個々の分数が $\pi$ と異なることは計算で確かめられるが、分数は無限にあるので、一つずつ調べても「$\pi$ はどんな分数でもない」ことは示せない。何桁計算しても同じである(ex-pi-irr-finite-digits)。本記事の主題は、$\pi$ がどんな分数 $p/q$ とも等しくないこと、すなわち $\pi$ が無理数であることの証明である。
$\pi$ の無理性は 18 世紀に Lambert が連分数を用いて初めて証明した(Lam68)。本記事では、1947 年に Niven が発表した、微分と積分だけを使う 1 ページの証明(Niv47)を完全に書き、同じ方法で $\pi^2$ も無理数であることを示す。
本記事では、円周率 $\pi$ を「$\sin x=0$ となる最小の正の実数」とし、三角関数 $\sin,\cos$ について次の事実を用いる:$\sin'=\cos$、$\cos'=-\sin$、$\sin0=\sin\pi=0$、$\cos0=1$、$\cos\pi=-1$、$0< x<\pi$ で $0<\sin x\le1$。積分については、多項式と三角関数の積の定積分、微分積分学の基本定理($\Phi'=\phi$ が連続なら $\int_\alpha^\beta\phi=\Phi(\beta)-\Phi(\alpha)$)、および「区間の内部で正の連続関数の積分は正である」ことを用いる。証明の準備として、次の 2 つの補題を示しておく。
$n\ge1$ とし、$h(x)=\sum_{m=n}^{2n}c_mx^m$($c_m$ は整数)とする。$f(x):=h(x)/n!$ とおくと、すべての $k\ge0$ について $f^{(k)}(0)$ は整数である。
$x^m$ の $k$ 階導関数の $x=0$ での値は、$k=m$ のとき $m!$、$k\ne m$ のとき $0$ である。よって $f^{(k)}(0)=k!\,c_k/n!$($n\le k\le2n$)であり、それ以外の $k$ では $0$ である。$k\ge n$ なら $k!/n!=(n+1)(n+2)\cdots k$ は整数なので、$f^{(k)}(0)$ は整数である。$\square$
任意の実数 $c>0$ について $\displaystyle\lim_{n\to\infty}\frac{c^n}{n!}=0$ である。
$N\ge2c$ となる整数 $N$ をとる。$n\ge N$ では $\frac{c^{n+1}/(n+1)!}{c^n/n!}=\frac{c}{n+1}\le\frac12$ なので、$\frac{c^n}{n!}\le\frac{c^N}{N!}\bigl(\frac12\bigr)^{n-N}$ であり、右辺は $n\to\infty$ で $0$ に収束する。$\square$
主定理は次のとおりである。
$\pi$ は無理数である。
$\pi=a/b$($a,b$ は正の整数)と仮定して矛盾を導く。正の整数 $n$ を後で選ぶことにし、
$$
f(x):=\frac{x^n(a-bx)^n}{n!},\qquad F(x):=f(x)-f''(x)+f^{(4)}(x)-\cdots+(-1)^nf^{(2n)}(x)
$$
とおく。
(i) $n!f(x)=x^n(a-bx)^n$ を展開すると、$x^n$ から $x^{2n}$ までの整数係数の多項式になるので、lem-pi-irr-derivatives によりすべての $k$ で $f^{(k)}(0)$ は整数である。
(ii) $a-b(\pi-x)=a-a+bx=bx$ なので
$$
f(\pi-x)=\frac{(\pi-x)^n(bx)^n}{n!}=\frac{x^n(b\pi-bx)^n}{n!}=\frac{x^n(a-bx)^n}{n!}=f(x)
$$
である。両辺を $k$ 回微分すると $(-1)^kf^{(k)}(\pi-x)=f^{(k)}(x)$ となり、$x=0$ とおいて $f^{(k)}(\pi)=(-1)^kf^{(k)}(0)$ を得る。よって $f^{(k)}(\pi)$ も整数である。(i) と合わせて $F(0)$ と $F(\pi)$ は整数である。
(iii) $f$ は $2n$ 次の多項式なので $f^{(2n+2)}=0$ であり、
$$
F''(x)=f''(x)-f^{(4)}(x)+\cdots+(-1)^{n-1}f^{(2n)}(x)
$$
となって $F''+F=f$ である。したがって
$$
\frac{d}{dx}\bigl(F'(x)\sin x-F(x)\cos x\bigr)=F''(x)\sin x+F'(x)\cos x-F'(x)\cos x+F(x)\sin x=f(x)\sin x
$$
であり、微分積分学の基本定理と $\sin0=\sin\pi=0$、$\cos0=1$、$\cos\pi=-1$ から
$$
I_n:=\int_0^\pi f(x)\sin x\,dx=\Bigl[F'(x)\sin x-F(x)\cos x\Bigr]_0^\pi=F(\pi)+F(0)
$$
である。(ii) より $I_n$ は整数である。
(iv) $0< x<\pi$ では $0< x<\pi$、$0< a-bx< a$($bx< b\pi=a$)、$0<\sin x\le1$ なので
$$
0< f(x)\sin x<\frac{\pi^na^n}{n!}
$$
である。被積分関数は $(0,\pi)$ で正の連続関数なので $I_n>0$ であり、また $I_n<\pi\cdot\frac{(\pi a)^n}{n!}$ である。lem-pi-irr-factorial により、$n$ を十分大きくとれば右辺は $1$ より小さい。そのような $n$ について $0< I_n<1$ となり、$I_n$ が整数であることに反する。よって $\pi$ は有理数でない。$\square$
証明の骨格は、「仮定から作った積分 $I_n$ が正の整数になる」ことと「$I_n$ は $n$ を大きくすると $1$ より小さくなる」ことの衝突である。整数であることは (i)(ii) の $x=0,\pi$ での値だけで決まり、小さいことは (iv) の大ざっぱな評価で分かる。$f$ の形 $x^n(a-bx)^n$ は、$0$ と $\pi=a/b$ の両方で $n$ 重の根をもち、しかも $\pi-x$ との入れ替えで不変になるように選ばれている。
Mos11 Chapter 4, p. 38(PDF の p. 46)にもこの証明が短く書かれている。ただし同書の積分の計算の行の $\bigl[F'(x)-F(x)\cos x\bigr]_0^\pi$ は $\bigl[F'(x)\sin x-F(x)\cos x\bigr]_0^\pi$ の誤植であり(直前の微分の式とは合っていて、端点では $\sin x=0$ なので値は変わらない)。同書は被積分関数の評価だけを述べて結論に進んでいるので、本記事の (iv) では積分の評価(区間の長さ $\pi$ を掛ける)まで書いた。
同じ方法を少し変えると、より強い次の定理が得られる。
$\pi^2$ は無理数である。
$\pi^2=a/b$($a,b$ は正の整数)と仮定する。正の整数 $n$ について
$$
f(x):=\frac{x^n(1-x)^n}{n!},\qquad G(x):=b^n\sum_{k=0}^{n}(-1)^k\pi^{2n-2k}f^{(2k)}(x)
$$
とおく。$f(1-x)=f(x)$ であり、lem-pi-irr-derivatives と同じ議論で $f^{(k)}(0)$、$f^{(k)}(1)=(-1)^kf^{(k)}(0)$ はすべて整数である。$b^n\pi^{2n-2k}=b^k(b\pi^2)^{n-k}=b^ka^{n-k}$ は整数なので、$G(0)$ と $G(1)$ は整数である。
$f^{(2n+2)}=0$ に注意して $G''$ と $\pi^2G$ を足すと、$k=1,\dots,n$ の項は打ち消し合い
$$
G''(x)+\pi^2G(x)=b^n\pi^{2n+2}f(x)=\pi^2a^nf(x)
$$
が残る。よって
$$
\frac{d}{dx}\bigl(G'(x)\sin\pi x-\pi G(x)\cos\pi x\bigr)=\bigl(G''(x)+\pi^2G(x)\bigr)\sin\pi x=\pi^2a^nf(x)\sin\pi x
$$
であり、$\sin0=\sin\pi=0$、$\cos0=1$、$\cos\pi=-1$ から
$$
\pi^2a^n\int_0^1f(x)\sin\pi x\,dx=\Bigl[G'(x)\sin\pi x-\pi G(x)\cos\pi x\Bigr]_0^1=\pi\bigl(G(1)+G(0)\bigr)
$$
である。両辺を $\pi$ で割ると、$J_n:=\pi a^n\int_0^1f(x)\sin\pi x\,dx$ は整数 $G(0)+G(1)$ に等しい。
$0< x<1$ では $0< x(1-x)\le\frac14$、$0<\sin\pi x\le1$ なので $0< f(x)\sin\pi x\le\frac{1}{4^nn!}<\frac1{n!}$ であり、$0< J_n<\frac{\pi a^n}{n!}$ である。lem-pi-irr-factorial により $n$ を大きくとれば右辺は $1$ より小さく、$0< J_n<1$ が整数であることに反する。$\square$
$\pi=p/q$ なら $\pi^2=p^2/q^2$ は有理数なので、thm-pi-irr-square から thm-pi-irr-main も従う。逆向きの推論はできない(ex-pi-irr-square-not-implied)ので、thm-pi-irr-square は thm-pi-irr-main より強い主張である。
1 は thm-pi-irr-main と 無理数 の記事の命題「小数表示による判定」から、2 は 連分数 の記事の定理「有理数の連分数展開」(有限単純連分数の値は有理数)から従う。3:$\pi=\sqrt r$ なら $\pi^2=r$ となり thm-pi-irr-square に反する。4:直径 $d$、周の長さ $\pi d$ がともに有理数なら、$d\neq0$ なので $\pi=(\pi d)/d$ が有理数となる。半径 $\rho\neq0$ が有理数なら面積 $\pi\rho^2$ は、有理数でない数と $0$ でない有理数の積なので無理数である。面積 $A=\pi\rho^2$ が $0$ でない有理数で $\rho$ も有理数なら、$A\neq0$ なので $\rho\neq0$ であり、$\pi=A/\rho^2$ が有理数となって矛盾する。$\square$
多項式の割り算により
$$
\frac{x^4(1-x)^4}{1+x^2}=x^6-4x^5+5x^4-4x^2+4-\frac{4}{1+x^2}
$$
である(右辺に $1+x^2$ を掛けると $x^8-4x^7+6x^6-4x^5+x^4=x^4(1-x)^4$ となる)。$\int_0^1\frac{dx}{1+x^2}=\arctan1=\frac\pi4$ を使って $0$ から $1$ まで積分すると
$$
\int_0^1\frac{x^4(1-x)^4}{1+x^2}\,dx=\frac17-\frac46+1-\frac43+4-\pi=\frac{22}{7}-\pi
$$
となる。被積分関数は $0< x<1$ で正なので、$\pi<\frac{22}{7}$ である。この積分の値は $0.00126\ldots$ である。これは特定の分数 $\frac{22}{7}$ が $\pi$ でないことの証明であり、他のすべての分数を排除する thm-pi-irr-main とは主張の強さが違う。
$\pi$ の小数表示を $3.14159265358979$ まで計算しても、これは有理数 $\frac{314159265358979}{10^{14}}$ の小数表示と同じ桁をもつ。何桁計算しても、その桁までは一致する有理数が存在する。満たす性質:計算した範囲で数字が循環していない。満たさない性質:無理数であることの証明になる。破る含意:「計算したどの桁までも循環が見られない実数は無理数である」は成り立たない。無理性は cor-pi-irr-consequences の 1 のとおり小数表示の性質と同値であるが、それは無限個の桁全体についての性質であり、有限個の桁からは判定できない。
$\sqrt2$ は無理数であるが、$(\sqrt2)^2=2$ は有理数である(無理数 の記事の例「反例:無理数どうしの和・積・冪」)。満たす性質:$\sqrt2$ は無理数。満たさない性質:平方が無理数。破る含意:「$x$ が無理数ならば $x^2$ も無理数」は成り立たない。したがって thm-pi-irr-square は thm-pi-irr-main から導けず、別に証明する必要がある。
$\pi$ は無理数であるだけでなく、$0$ でないどんな整数係数の多項式の根にもならない超越数である。これは Lindemann が 1882 年に示した(超越数 の記事の定理「Lindemann–Weierstrass の定理」とその出典の注意)。超越性は無理性より強い。$\sqrt2$ や黄金比は無理数であるが $x^2-2$、$x^2-x-1$ の根なので超越数でない。thm-pi-irr-square は「$\pi$ は $x^2-r$($r$ は有理数)の根でない」ことを述べており、超越性の一部分にあたる。$\pi$ の超越性から、円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで作図できないこと(円積問題の否定的解決)が従う(作図可能数 の記事の例「反例:古典的な 3 つの作図問題」)。無理性だけではこの結論は出ない。
$\pi$ の無理性を初めて証明したのは Lambert で、$\tan x$ の連分数展開を用いて、$0$ でない有理数 $x$ について $\tan x$ が無理数であることを示し、$\tan(\pi/4)=1$ から $\pi$ の無理性を導いた(Lam68、ベルリン・アカデミーの 1761 年の紀要、1768 年刊)。本記事の証明は Niven の 1 ページの論文(Niv47)による。Niven は同じ方法で「$0$ でない有理数の余弦は無理数である」ことも示しており、$\cos\pi=-1$ から再び $\pi$ の無理性が従う(Mos11 Chapter 4, 同じ頁、PDF の p. 46)。Moser の同所には「$\pi$ の超越性の易しい証明がないとされていた状況が Niven によって正された」とも読める一文があるが、Niven が与えたのは無理性の証明であり、超越性の証明ではない。
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