Kan拡張(∞圏)(Kan extension)とは、関手に沿って図式の添字を変える、比較自然変換を伴う普遍的な延長である。左は元の図式から延長への比較、右は逆向きの比較を普遍化する。各点の余極限・極限による計算と、関手∞圏全体での普遍性を区別し、左を f†、右を f‡ と書く。
Kan拡張(通常版は Kan拡張)は、図式の添字を関手(関手(∞圏))$f:\mathcal C\to\mathcal D$ に沿って変える普遍的な方法である。左Kan拡張は元の図式から延長図式への比較を、右Kan拡張は逆向きの比較を持つ。どちらも比較自然変換を含む概念であり、値の候補だけでは定まらない。
∞圏では、自然変換(自然変換(∞圏))の各成分だけでなく、その全高次の整合性を保つ必要がある。また、関手圏全体での普遍性と、各対象における極限・余極限(極限(∞圏)、余極限(∞圏))の計算を区別する。
本稿では $(\infty,1)$-圏を準圏で扱う。単体的集合は有限非空全順序集合の圏 $\Delta$ 上の反変集合値関手であり、準圏は標準単体の内部ホーン $\Lambda_i^n$($n\ge2,\ 0< i< n$)をすべて充填する。全ホーンを充填するKan複体は空間のモデルとなる。
対象 $x,y$ の写像空間(写像空間(∞圏))$\operatorname{Map}_{\mathcal A}(x,y)$ は、$\Delta^{n+1}\to\mathcal A$ で最初の $n+1$ 頂点の面全体が $x$ で定値、最後が $y$ となる単体を $n$ 次に持つ右Homで表せる。これはKan複体である。∞圏のホモトピー圏のHomはその $\pi_0$、同値射はホモトピー圏で同型になる辺とする。可縮空間とは一点に弱ホモトピー同値な空間である(HTT09 §§1.2.2–1.2.5)。
関手∞圏(関手圏(∞圏))は
$$
\operatorname{Fun}(K,\mathcal A)_n
=\operatorname{Hom}_{\mathrm{sSet}}(K\times\Delta^n,\mathcal A)
$$
で定義する。辺が自然変換、同値な辺が自然同値である。自然変換は非可逆でもよい。関手∞圏の準圏性と自然同値の成分判定は一般定理として用いる(HTT09 命題1.2.7.3、KerNat26)。
宇宙 $\mathbb U\in\mathbb V$ を固定し、$f:\mathcal C\to\mathcal D$ の源・標的は $\mathbb U$-小、値域 $\mathcal E$ は $\mathbb V$ 内で写像空間が $\mathbb U$-小とする。小極限・小余極限の小ささもこの規約による。
関手 $G:B\to A$ と対象 $a\in A$ に対して、コンマ準圏 $(a\downarrow G)$ を
$$
(a\downarrow G)
=\bigl(\{a\}\times_{A,ev_0}\operatorname{Fun}(\Delta^1,A)\bigr)
\times_{A,ev_1}B
$$
とする。対象は $(b,u:a\to G(b))$ であり、射と高次単体は、$u$ を比較する整合的な三角形を含む。双対の $(G\downarrow a)$ は対象が $(b,G(b)\to a)$ である。定義の詳細、全パラメータでの記述、通常のコンマ圏の回収は コンマ圏(∞圏) の記事による。
これらは辺の両端を指定した準圏モデルであり、頂点の組を通常の集合として集めただけのものではない。通常 join によるスライス(スライス圏(∞圏))との比較は HTT09 §§1.2.9, 4.2.1に従う。準圏の始対象(始対象(∞圏))はそこからの全写像空間が可縮な対象、終対象(終対象(∞圏))はそこへの全写像空間が可縮な対象である。
制限関手を
$$
f^*:\operatorname{Fun}(\mathcal D,\mathcal E)
\longrightarrow\operatorname{Fun}(\mathcal C,\mathcal E),
\qquad H\longmapsto Hf
$$
とする。図式 $p:\mathcal C\to\mathcal E$ の左Kan拡張(left Kan extension)は、$H:\mathcal D\to\mathcal E$ と $\eta:p\to Hf$ の組で、$(p\downarrow f^*)$ の始対象となるものである。
右Kan拡張(right Kan extension)は、$H$ と $\epsilon:Hf\to p$ の組で、$(f^*\downarrow p)$ の終対象となるものである。
記法は AlgD20 に合わせ、左を $f^\dagger p$、右を $f^\ddagger p$ とする。他文献の $\operatorname{Lan}_f p,\operatorname{Ran}_f p$ に対応する。上付きは拡張を表し、†・‡を元の $f$ の逆や随伴と解釈しない。比較 $\eta,\epsilon$ を省略して書いても、定義から消したわけではない。
この普遍性は、左側では任意の $H'$ に対する同じ比較
$$
\operatorname{Map}_{\operatorname{Fun}(\mathcal D,\mathcal E)}(H,H')
\longrightarrow
\operatorname{Map}_{\operatorname{Fun}(\mathcal C,\mathcal E)}(p,f^*H'),
\qquad \alpha\longmapsto f^*(\alpha)\circ\eta
$$
の同値としても表せる。右側では
$$
\operatorname{Map}(H',H)\longrightarrow
\operatorname{Map}(f^*H',p),\qquad
\alpha\longmapsto\epsilon\circ f^*(\alpha)
$$
となる。この言い換えの根拠は、射影 $(p\downarrow f^*)\to\operatorname{Fun}(\mathcal D,\mathcal E)$ が左ファイブレーションであり、その始対象が表現対象に対応すること(HTT09 §4.4.4)である。$\pi_0$ の普遍性だけではない。
すべての $p$ について存在する場合には、整合的に関手としてまとめて随伴(随伴関手(∞圏))
$$
f^\dagger\dashv f^*\dashv f^\ddagger
$$
を得る。左の存在だけなら左側の随伴だけを主張する。全対象でのコンマ圏の普遍性からこの関手を組み立てる段階には、表現可能性から随伴を得る一般定理を用いる(HTT09 命題5.2.4.2とその双対)。HTTの各点Kan拡張関手が制限の随伴となることは、別に命題4.3.3.7とその双対による。
二つの左Kan拡張は、元の比較自然変換を含めてコンマ準圏の中で同値である。右Kan拡張も同様である。
左の場合、二つの始対象の間には両方向の射があり、各自己写像空間の可縮性から合成は恒等射と同じホモトピー類になる。よってコンマ準圏内で同値である。関手を取り出す射影も関手だから、延長関手間の自然同値を得る。コンマ圏内で比較したため、元の $\eta$ との整合性も含まれる。右の場合は終対象について同じ議論をする。
join では左側の頂点を先に並べる。$\mathcal D_{/d}$ の $n$-単体は最後の頂点が $d$ である $\Delta^n\star\Delta^0\to\mathcal D$、$\mathcal D_{d/}$ は初頂点が $d$ である $\Delta^0\star\Delta^n\to\mathcal D$ とする。
各点左Kan拡張の条件は、$\eta$ が各 $d$ において誘導する余錐が
$$
(f^\dagger p)(d)\simeq
\operatorname{colim}_{\mathcal C\times_{\mathcal D}\mathcal D_{/d}}p(c)
$$
となることである。添字の対象は $(c,f(c)\to d)$ である。各点右側では $\epsilon$ による錐が
$$
(f^\ddagger p)(d)\simeq
\lim_{\mathcal C\times_{\mathcal D}\mathcal D_{d/}}p(c)
$$
となる。添字の対象は $(c,d\to f(c))$ である。
ここで極限は錐準圏の終対象、余極限は余錐準圏の始対象である。図式 $q:K\to\mathcal E$ の錐準圏は $n$ 次に $\Delta^n\star K\to\mathcal E$、余錐準圏は $K\star\Delta^n\to\mathcal E$ を持ち、いずれも $K$ 上で $q$ を固定する。
$\mathcal E$ がすべての小余極限を持てば各点左Kan拡張が存在し、小極限を持てば各点右Kan拡張が存在する。それぞれ上のコンマ圏の普遍性も満たす(HTT09 §§4.3.2–4.3.3とその双対)。本稿ではコンマ圏の普遍性をまず定義し、各点条件を別に示した。HTTの各点条件を組み込んだ定式化との往来にはこの定理を用いる。
同値な値を各 $d$ にばらばらに選ぶだけでは、$\mathcal D$ 上の関手と $\eta,\epsilon$ はまだ作れない。一般定理はその整合的な組立てまで含む。コンマ圏の普遍性を定義しただけで、各点性や存在を無条件で結論してはならない。
通常関手 $f:C\to D$、$p:C\to E$ と通常の自然変換について、通常の左・右Kan拡張の普遍性は、脈体に移した上記のコンマ圏の普遍性と一致する。
脈体間の単体的写像は通常の関手であり、脈体は積を保つ。従って
$$
\operatorname{Fun}(NC,NE)_n
=\operatorname{Fun}(C\times[n],E)
=N\operatorname{Fun}(C,E)_n
$$
となり、面・退化とも一致する。制限関手も同じ前合成として対応する。
通常のコンマ圏の $n$-単体は、$[n]$ に沿う関手と整合した自然変換であり、上の辺準圏の引き戻しと一致する。すなわち脈体は該当するコンマ圏を保つ。通常圏の右Homは離散射集合なので、始・終対象の条件も通常の一意存在へ戻る。したがって比較自然変換を含むKan拡張の定義が一致する。
通常の各点公式が存在する場合、その添字のコンマ圏も同じ脈体になり、極限・余極限の通常回収から各点計算が一致する。値域を集合から空間へ変更した場合は別の問題であり、添字が通常圏でも高次情報が残り得る。
$f=\operatorname{id}_{\mathcal C}$ のとき、$p$ と恒等自然変換が左・右Kan拡張である。上の写像空間の比較はそのまま恒等写像になるので普遍性を満たす。新しい対象も存在仮定も必要ない。
$f:\mathcal C\to *$ とすると、$f^*$ は定値図式関手である。各点公式の添字は $\mathcal C$ 自身なので、(余極限・極限が存在すれば)左Kan拡張は $\operatorname{colim}_{\mathcal C}p$、右Kan拡張は $\lim_{\mathcal C}p$ になる。比較自然変換はそれぞれ余錐と錐である。
$f:\{0\}\to[1]$ を始点の包含、$p(0)=X\in\mathcal S$(空間の∞圏)とする。左の添字には $d=0,1$ のいずれでも一つの対象があるので、左Kan拡張は恒等射 $X\to X$ である。
右では $0\to0$ はあるが $1\to0$ はない。従って右Kan拡張は $X\to *$ である。終点で空図式の極限を取るため、一点空間が現れる。左と右の相違は、添字の射の向きそのものに由来する。
$f:\emptyset\to *$ とし、値域 $\mathcal E$ を異なる二対象だけを持つ離散圏の脈体とする。元の空図式は一意だが、左Kan拡張は $\mathcal E$ の始対象、右Kan拡張は終対象でなければならない。どちらの対象からも他方への射はないため、両方とも存在しない。
従って「添字圏が小さければKan拡張は存在する」という含意は偽である。必要な極限・余極限の仮定を省けない。
$f:[1]\to *$ と、空間の図式 $p=(\emptyset\to *)$ を取る。左Kan拡張はこの射の余極限 $*$ であり、単位の始点成分は $\emptyset\to *$ で、同値ではない。
Kan拡張の「拡張」は、常に制限し直すと元の図式へ同値で戻るという意味ではない。各点左Kan拡張については、元の $f$ が充満忠実(充満忠実関手(∞圏))なら単位が同値になる(HTT09 §4.3.3(番号未確認))。この定理の各点性の前件を省いて、一般のコンマ圏の普遍性だけへ結論を広げない。
単体的豊穣圏は、Hom単体的集合と厳密な単位・合成を持つ。各HomがKanの場合、整合的脈体は準圏を与え、豊穣Homが写像空間を表す(HTT09 §1.1.5、§2.2)。整合的脈体の $n$-単体は、区間内の部分集合で高次合成を符号化した $\mathfrak C[\Delta^n]$ からの豊穣関手である。
各点左Kan拡張では、$f(c)\to d$ の空間そのものが重みとして働く。通常圏でその射を集合として数える計算に対し、単体的豊穣表示ではその空間と作用の整合性を保って重み付き余極限(重み付き極限(∞圏))を計算する。必要な自由セル置換とKan置換を省いて、厳密なコエンド(コエンド(∞圏))の商だけを∞圏の値と同一視してはいけない。豊穣図式と準圏図式の指定比較には HTT09 §4.2.4 を用いる。
†・‡は、制限 $f^*$ を中央にして左右の普遍問題を並べるのに適した記法である。これは記法の使い方についての説明であり、記号だけから存在や保存性が従うわけではない。
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