Whitneyのトリック(Whitney trick)とは、$n$ 次元の多様体の $\mathbb{R}^{2n}$ への一般の位置のはめ込みについて、符号が逆の 2 つの横断的な二重点を、多様体上の 2 本の弧と、それらがつくる閉曲線を縁とする 2 次元の円板(Whitney の円板)を使って同時に打ち消す方法である。$n\ge3$ なら円板は多様体と内部で交わらないように埋め込め、円板に沿って一方の面を押し出すと 2 つの二重点が消える。Whitney はこれにより、$n$ 次元の多様体が $\mathbb{R}^{2n}$ に埋め込めること(強い Whitney の埋め込み定理)を示した。次元 5 以上の多様体の中の部分多様体の交点を消す形でも使われる。
前提知識: Whitneyの埋め込み定理, Whitneyのはめ込み定理, 横断性定理, 向き付け可能多様体
$n$ 次元の多様体は $\mathbb{R}^{2n+1}$ に埋め込め(Whitneyの埋め込み定理)、$\mathbb{R}^{2n}$ にはめ込める(Whitneyのはめ込み定理)。どちらも「一般の方向に射影する」議論で得られるが、$\mathbb{R}^{2n}$ へのはめ込みを一般の位置に置くと、像が自分自身と横断的に交わる点(二重点)が孤立して残る。$n$ 次元の 2 枚の面は $2n$ 次元の空間の中で点で交わるのが普通であり、横断的な交わりは写像を少し動かしても消えない(Ben19 p. 152。この記事では証明しない)。
Whitney のトリック(Whitney trick)は、この二重点を 2 つずつ打ち消す方法である。符号が逆の 2 つの二重点を、多様体の上の 2 本の弧でつなぐと、像の中に 2 つの角をもつ閉曲線ができる。$n\ge3$ ならこの閉曲線は、多様体と内部で交わらない 2 次元の円板(Whitney の円板)の縁になる。円板に沿って一方の面を押し出すと、2 つの二重点が同時に消える。Whitney は 1944 年にこの方法で強い Whitney の埋め込み定理を示した:$n$ 次元の多様体は $\mathbb{R}^{2n}$ に埋め込める(Whi44 p. 220 序文、Theorem 5(p. 236))。同じ考え方は、次元が 5 以上の多様体の中の 2 つの部分多様体の交点を打ち消す手法として、高次元の多様体の理論の基本的な道具になった。
この記事では、二重点の符号を定め、二重点を 1 つだけもつ Whitney の局所模型と、2 つの交点を打ち消す標準模型を完全に証明する。Whitney のトリックの一般の場合と強い埋め込み定理は、手順の骨格を示し、細部は所在を付けて「この記事では証明しない」とする。
多様体は Hausdorff かつ第 2 可算な境界のない $C^\infty$ 級多様体、「滑らか」は $C^\infty$ 級とする。はめ込み・埋め込みは はめ込みと埋め込み(可微分多様体)の記事の定義「はめ込みと埋め込み」の意味である。$M$ を $n$ 次元の多様体($n\ge1$)、$f\colon M\to\mathbb{R}^{2n}$ をはめ込みとする。
$M$ がコンパクトなら、一般の位置のはめ込みの二重点は有限個である。実際、横断的な二重点 $\{p,q\}$ の近くでは、$p$ の近くの面と $q$ の近くの面が $\{f(p)\}$ だけで交わる(2 つの面を $\mathbb{R}^{2n}$ の中の余次元 $n$ の部分多様体とみて 横断性定理の記事の系「横断的に交わる部分多様体」を当てると、交わりは $0$ 次元)ので、二重点は $M\times M$ の対角線の外で孤立している。一方、$f$ ははめ込みなので各点の近くで単射であり(はめ込みと埋め込み(可微分多様体)の記事の系「はめ込みは局所的には埋め込み」)、対角線のある近傍には $f(p)=f(q)$、$p\neq q$ となる組 $(p,q)$ がない。したがって二重点の組の集合は、閉集合 $\{(p,q)\mid f(p)=f(q)\}$ からこの開近傍を除いたもので、コンパクト集合 $M\times M$ の閉集合であり、孤立点だけからなるので有限である。
$M$ が向き付けられている(向き付け可能多様体)とき、二重点に符号を定める。
$M$ を向き付けられた多様体、$\{p,q\}$ を横断的な二重点とする。順序付きの組 $(p,q)$ について、$T_pM$、$T_qM$ の正の向きの基底 $u_1,\dots,u_n$、$v_1,\dots,v_n$ をとり、
$$
\varepsilon(p,q):=\operatorname{sgn}\det\bigl(df_pu_1,\dots,df_pu_n,\ df_qv_1,\dots,df_qv_n\bigr)\in\{1,-1\}
$$
と定める(行列式は $2n$ 本の列ベクトルを並べた行列の行列式)。$n$ が偶数なら、lem-wt-sign により $\varepsilon(p,q)=\varepsilon(q,p)$ なので、これを二重点 $\{p,q\}$ の符号という。$M$ がコンパクトで $f$ が一般の位置のはめ込みのとき、二重点の符号の和を $f$ の自己交差数(self-intersection number)といい、$I_f$ と書く。$n$ が奇数のとき、または $M$ が向き付け不可能なときは、二重点の個数を $2$ で割った余りを $I_f\in\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}$ とする(Whi44 §7(p. 233))。
def-wt-sign の記号で次が成り立つ。
1:正の向きの基底 $u_1',\dots,u_n'$ に替えると、基底の変換行列 $A$ は $\det A>0$ を満たし、$2n$ 本の列を並べた行列には右から $\begin{pmatrix}A&0\\0&I\end{pmatrix}$ が掛かるので、行列式は正の数 $\det A$ 倍になる。$v$ の側も同じである。
2:$\varepsilon(q,p)$ の行列は、$\varepsilon(p,q)$ の行列の前半 $n$ 列と後半 $n$ 列を入れ替えたものである。この列の並べ替えは、後半の各列を前半の $n$ 列の前へ 1 つずつ移すことで得られ、隣り合う列の入れ替えを $n\cdot n$ 回行うので、行列式は $(-1)^{n^2}=(-1)^n$ 倍になる。
3:向きを逆にすると、$u_1,\dots,u_n$ の代わりに $-u_1,u_2,\dots,u_n$ が正の向きの基底になり、$v$ の側も同様である。列が 2 本だけ符号を変えるので、行列式は $(-1)^2=1$ 倍である。$\square$
$n$ が奇数なら $\varepsilon(q,p)=-\varepsilon(p,q)$ なので、順序を決めない二重点には符号が定まらない。これが、$n$ が奇数のとき自己交差数を $2$ を法として考える理由である。$M$ がコンパクトで一般の位置のはめ込みについて、$I_f$ は正則ホモトピーで変わらない(Whi44 Theorem 2(p. 235)。この記事では証明しない)。
Whitney は、$\mathbb{R}^n$ から $\mathbb{R}^{2n}$ へのはめ込みで、ちょうど 1 つの横断的な二重点をもち、無限遠で標準的な包含 $x\mapsto(x,0)$ に近づくものを式で与えた(Whi44 §2 の式 (2.2)、pp. 221–223)。
$n\ge1$ とし、$x=(x_1,\dots,x_n)\in\mathbb{R}^n$ について $u:=(1+x_1^2)(1+x_2^2)\cdots(1+x_n^2)$ とおいて、$f\colon\mathbb{R}^n\to\mathbb{R}^{2n}$ を
$$
f(x):=\Bigl(x_1-\frac{2x_1}{u},\ x_2,\ \dots,\ x_n,\ \frac1u,\ \frac{x_1x_2}{u},\ \dots,\ \frac{x_1x_n}{u}\Bigr)
$$
で定める(第 $1$〜$n$ 成分を $y_1,\dots,y_n$、第 $n+1$〜$2n$ 成分を $y_{n+1},\dots,y_{2n}$ と書く)。$e_1,\dots,e_{2n}$ を $\mathbb{R}^{2n}$ の標準基底とする。このとき次が成り立つ。
要点:偏微分を直接計算する。1 は偏微分の第 $2$〜$n$ 成分が単位行列の形になることと、$\partial f/\partial x_1$ が消えないことから従う。2 は成分を順に比べて解く。3 は二重点での $2n$ 本の偏微分を並べた行列を列の基本変形で単位行列に直す。4 は各成分の評価である。
偏微分. $\partial u/\partial x_i=2x_iu/(1+x_i^2)$ なので、$$\frac{\partial}{\partial x_1}\Bigl(\frac1u\Bigr)=-\frac{2x_1}{u(1+x_1^2)},\qquad\frac{\partial}{\partial x_1}\Bigl(\frac{x_1}{u}\Bigr)=\frac{1-x_1^2}{u(1+x_1^2)}$$である。したがって $\partial f/\partial x_1$ の成分は、第 $1$ 成分 $1-\dfrac{2(1-x_1^2)}{u(1+x_1^2)}$、第 $2$〜$n$ 成分 $0$、第 $n+1$ 成分 $-\dfrac{2x_1}{u(1+x_1^2)}$、第 $n+i$ 成分($i\ge2$)$\dfrac{x_i(1-x_1^2)}{u(1+x_1^2)}$ である。$i\ge2$ については $\partial f/\partial x_i$ の第 $2$〜$n$ 成分は $e_i$ の成分(第 $i$ 成分が $1$、ほかは $0$)である。
1. $\sum_ic_i\,\partial f/\partial x_i=0$ とする。第 $2$〜$n$ 成分を見ると $c_2=\dots=c_n=0$ なので、$c_1\,\partial f/\partial x_1=0$ である。$\partial f/\partial x_1\neq0$ を示せばよい。$\partial f/\partial x_1=0$ とすると、第 $n+1$ 成分から $x_1=0$ であり、第 $1$ 成分から $1-2/u=0$、すなわち $u=2$ である。$n=1$ なら $u=1+x_1^2=1\neq2$ で矛盾するので $n\ge2$ であり、$(1+x_2^2)\cdots(1+x_n^2)=2$ となって、ある $i\ge2$ で $x_i\neq0$ である。このとき第 $n+i$ 成分は $x_i/u=x_i/2\neq0$ で矛盾する。よって各点で偏微分は線形独立で、$f$ ははめ込みである。
2. $f(x)=f(x')$、$x\neq x'$ とする。$y_i$($2\le i\le n$)を比べて $x_i=x_i'$ である。$y_{n+1}=1/u$ を比べて $u=u'$、共通因子を割って $x_1^2=x_1'^2$ である。$x\neq x'$ なので $x_1'=-x_1\neq0$ である。$y_{n+i}$($i\ge2$)を比べると $x_1x_i/u=-x_1x_i/u$ なので $x_i=0$ である。よって $u=1+x_1^2$ で、$y_1$ を比べると $x_1-2x_1/u=-x_1+2x_1/u$、すなわち $2x_1(1-2/u)=0$ で、$u=2$、$x_1=\pm1$ である。逆に $f(\pm e_1)=(\pm1\mp1,0,\dots,0,\tfrac12,0,\dots,0)=\tfrac12e_{n+1}$ である。
3. $x=\pm e_1$ では $u=2$ で、上の式から$$\frac{\partial f}{\partial x_1}(\pm e_1)=e_1\mp\tfrac12e_{n+1},\qquad\frac{\partial f}{\partial x_i}(\pm e_1)=e_i\pm\tfrac12e_{n+i}\quad(i\ge2)$$である($i\ge2$ の式は、$x_i=0$ で $\partial y_1/\partial x_i$、$\partial y_{n+1}/\partial x_i$ が $0$、$\partial y_{n+i}/\partial x_i=x_1/u=\pm\tfrac12$ となることによる)。$a_i$、$b_i$ をそれぞれ $e_1$、$-e_1$ での $\partial f/\partial x_i$ とすると、$b_1-a_1=e_{n+1}$、$b_i-a_i=-e_{n+i}$($i\ge2$)である。列の基本変形(行列式を変えない)で$$\det(a_1,\dots,a_n,b_1,\dots,b_n)=\det(a_1,\dots,a_n,\ e_{n+1},-e_{n+2},\dots,-e_{2n})=(-1)^{n-1}\det(e_1,\dots,e_n,e_{n+1},\dots,e_{2n})$$となる(2 つ目の等号は、$a_i$ から $e_{n+i}$ の倍数を引いて $e_i$ にし、$-1$ を $n-1$ 個くくり出した)。よって行列式は $(-1)^{n-1}\neq0$ で、二重点は横断的であり、$\varepsilon(e_1,-e_1)=(-1)^{n-1}$ である。
4. $f(x)-(x,0)$ の成分は $-2x_1/u$、$1/u$、$x_1x_i/u$($i\ge2$)である。$u\ge1+\lvert x\rvert^2$ なので、はじめの 2 つは $\lvert x\rvert\to\infty$ で $0$ に近づく。$s:=\max_j\lvert x_j\rvert$ とおくと $s\ge\lvert x\rvert/\sqrt n$ である。$\lvert t\rvert/(1+t^2)\le\min\{\tfrac12,1/\lvert t\rvert\}$ を使うと、最大値が $x_1$ か $x_i$ でとられるなら $\lvert x_1x_i\rvert/u\le\tfrac12\cdot\tfrac1s$、そうでなければ $\lvert x_1x_i\rvert/u\le\tfrac14\cdot\tfrac1{1+s^2}$ であり、いずれも $0$ に近づく。$\square$
左:局所模型の n = 1 の場合の曲線 x ↦ (x − 2x/(1+x²), 1/(1+x²))。x = ±1 がともに (0, 1/2) に写り、二重点はここだけである。右:標準模型の (a, b) 平面での切り口。横の直線 α(P の切り口)と放物線 β(Q₀ の切り口)が a = ±1 で交わり、その間の領域が Whitney の円板 D である。点線は押し出した後の Q₁ の切り口(|a| ≤ 2 の範囲)で、α と交わらない
$n=1$ の場合は、平面の中の 1 つの輪をもつ曲線である(図の左)。一般の $n$ では、$n$ 次元の平面をこの曲線の方向にだけ曲げて、自分自身と 1 点で交わらせている。$\mathbb{R}^{2n}$ の座標の 1 つを符号反転した鏡映を合成すると、二重点の符号は逆になる。
この模型を使うと、一般の位置のはめ込みの二重点を 1 つ増やせる:像が平らな小さい部分を切り取り、局所模型(またはその鏡映)で置き換える。これにより自己交差数 $I_f$ は $\pm1$ だけ好きな向きに変えられる(Whi44 Theorem 3(pp. 235–236)。平らな部分への貼り合わせは 4 と隆起関数を使う。Ben19 p. 152 に同じ模型と貼り合わせの説明がある)。貼り合わせの細部はこの記事では証明しない。
2 つの交点を打ち消す操作を、座標で書ける模型で確かめる。$\mathbb{R}^{2n}=\mathbb{R}\times\mathbb{R}\times\mathbb{R}^{n-1}\times\mathbb{R}^{n-1}$ の点を $(a,b,y,z)$ と書く($n=1$ なら $y$、$z$ はない)。隆起関数の記事の定理「コンパクト集合に対する隆起関数」により、滑らかな関数 $\chi\colon\mathbb{R}\times\mathbb{R}^{n-1}\to[0,1]$ で、$\lvert a\rvert\le2$、$\lvert z\rvert\le1$ のとき $\chi(a,z)=1$ となり、台がコンパクトなものをとる。
$t\in\mathbb{R}$ について
$$
P:=\{(a,0,y,0)\},\qquad Q_t:=\bigl\{\bigl(a,\ a^2-1+2t\chi(a,z),\ 0,\ z\bigr)\bigm|a\in\mathbb{R},\ z\in\mathbb{R}^{n-1}\bigr\}
$$
とおく。$P$ には $(a,y)$、$Q_t$ には $(a,z)$ を座標として向きを入れる。このとき次が成り立つ。
1. $P$ は線形部分空間である。$\Phi_t$ は滑らかな関数 $(a,z)\mapsto\bigl(a^2-1+2t\chi(a,z),0\bigr)$ のグラフの形をしているので、単射なはめ込みで、逆写像 $(a,b,y,z)\mapsto(a,z)$ は連続であり、像 $Q_t$ は連続関数のグラフなので閉集合である。はめ込みと埋め込み(可微分多様体)の記事の定理「埋め込みの像は部分多様体」により、$Q_t$ は閉部分多様体で $\Phi_t$ はその上への微分同相写像である。$\chi=0$ となる $(a,z)$ では $\Phi_t(a,z)=\Phi_0(a,z)$ である。
3 と 2 の交点. $(a,b,y,z)\in P\cap Q_t$ なら、$P$ の点なので $b=0$、$z=0$、$Q_t$ の点なので $y=0$ であり、$a^2-1+2t\chi(a,0)=0$ である。$\lvert a\rvert\le2$ では $\chi(a,0)=1$ なので $a^2=1-2t$ であり、$\lvert a\rvert>2$ では $a^2-1+2t\chi\ge3>0$($t\ge0$)なので解はない。よって $0\le t<\tfrac12$ なら $a=\pm\sqrt{1-2t}$ の 2 点、$t=\tfrac12$ なら $a=0$ の 1 点、$t>\tfrac12$ なら解はない。$t=0$ の交点は $(\pm1,0,0,0)$ である。
2 の横断性と符号. $e_a,e_b,e_{y_j},e_{z_j}$ を座標の単位ベクトルとする。$(\pm1,0,0,0)$ で、$T P$ の正の基底は $e_a,e_{y_1},\dots,e_{y_{n-1}}$、$T Q_0$ の正の基底は $\partial\Phi_0/\partial a=e_a+2a\,e_b$、$\partial\Phi_0/\partial z_j=e_{z_j}$ である($t=0$ なので $\chi$ の項はない)。$e_a+2ae_b$ から $e_a$ を引くと $2ae_b$ になるので
$$
\det\bigl(e_a,e_{y_1},\dots,e_{y_{n-1}},\ e_a+2ae_b,\ e_{z_1},\dots,e_{z_{n-1}}\bigr)=2a\det\bigl(e_a,e_{y_1},\dots,e_{y_{n-1}},e_b,e_{z_1},\dots,e_{z_{n-1}}\bigr)=2a(-1)^{n-1}
$$
である($e_b$ を 2 番目の位置へ移すのに $n-1$ 回の入れ替えを使う)。$a=\pm1$ で $0$ でないので横断的であり、符号は $a$ の符号とともに変わる。
4. 内部の点は $y=z=0$、$a^2-1< b<0$ を満たす。$b\neq0$ なので $P$ に属さず、$b\neq a^2-1=a^2-1+2\cdot0\cdot\chi$ なので $Q_0$ に属さない。$\square$
図の右は $y=z=0$ での切り口である。$Q_0$ の切り口の放物線を、円板 $D$ を横切って上へ押し上げると、$P$ との 2 つの交点が近づき、$t=\tfrac12$ で接して、$t>\tfrac12$ で消える。$n\ge2$ では、$z$ 方向に離れたところでは $\chi$ が $0$ なので $Q_t$ は動かず、変形は $\chi$ の台の中に閉じている。3 は、交点を消すには「小さく」ではなく「円板を横切るまで」動かす必要があることも示している。
Whitney の円板が多様体の像と内部で交わらないようにできるのは、次元の和が周りの空間の次元より小さいからである。
$A$、$B$ をそれぞれ $\alpha$ 次元、$\beta$ 次元の多様体、$g\colon A\to\mathbb{R}^N$、$h\colon B\to\mathbb{R}^N$ を滑らかな写像とし、$\alpha+\beta< N$ とする。このとき $(g+v)(A)\cap h(B)\neq\emptyset$ となる $v\in\mathbb{R}^N$ の全体は測度零集合である。とくに、いくらでも小さい $v$ で $(g+v)(A)\cap h(B)=\emptyset$ となる。
$g(x)+v=h(w)$ となる $x\in A$、$w\in B$ があることは、$v$ が写像 $\Delta\colon A\times B\to\mathbb{R}^N$、$\Delta(x,w):=h(w)-g(x)$ の像に属することと同値である。$A\times B$ は $\alpha+\beta$ 次元の多様体(可微分多様体の記事の命題「積多様体」)で、$\alpha+\beta< N$ なので $\Delta$ の微分はどの点でも全射になりえず、すべての点が臨界点であり、像全体が臨界値の集合である。Sardの定理の記事の系「多様体の間の写像に対するSardの定理」により像は測度零であり、その補集合は稠密である。$\square$
$\mathbb{R}^{2n}$ の中の $2$ 次元の円板と $n$ 次元の多様体では $\alpha+\beta=2+n$ であり、$2+n<2n$ は $n\ge3$ と同値である。同じ次元の数え方で、円板の 2 点が同じ点に写らないように置くには $2+2<2n$、すなわち $n\ge3$ が要る。これが Whitney のトリックで $n\ge3$ を仮定する理由である。横断性定理の記事の定理「Euclid 空間での横断性定理」で $\dim M+\dim Z< n$ の場合を見ても同じ結論になる。
$n\ge3$ とし、$M$ を連結なコンパクトな $n$ 次元の多様体、$f\colon M\to\mathbb{R}^{2n}$ を一般の位置のはめ込みとする。$\{p_1,q_1\}$、$\{p_2,q_2\}$ を $f$ の相異なる 2 つの二重点とし、$M$ が向き付け可能で $n$ が偶数のときは、2 つの符号が逆であるとする。このとき $f$ から一般の位置のはめ込み $f_1$ への正則ホモトピーで、$f_1$ の二重点がちょうど $f$ の二重点からこの 2 つを除いたものになるものが存在する。
$n\ge3$ の仮定は、弧や円板を一般の位置にとるための次元の数え方に使われる。$n$ が偶数で $M$ が向き付けられているときの符号の条件は外せない。正則ホモトピーで自己交差数 $I_f$ が変わらないので、同じ符号の 2 つの二重点だけを消すことはできないからである。
この定理はこの記事では証明しない。Whi44 Theorem 4(p. 236)は、$n\ge3$ のとき自己交差の個数を正則変形で 2 つ増やせること、個数が $\lvert I_f\rvert$ より大きければ($n$ が奇数か $M$ が向き付け不可能なら $0$ より大きければ)2 つ減らせることを述べ、その証明(pp. 236–242)は、符号が逆の 2 つの自己交差(符号が定まらない場合は任意の 2 つ)を指定して消す形で進む。上の定理文はこの形であり、弧で結ぶために $M$ が連結であることを仮定に入れた。以下に証明の骨格を段に分けて示す。記事内で確かめたのは、段 1・段 2 で使う次元の数え方(lem-wt-general-position)と段 4 の模型(prop-wt-model)だけで、段 1〜5 の構成(弧・円板・近傍の標準形・模型の移植)はこの記事では証明しない。
段 1:弧でつなぐ. $p_1$ と $p_2$、$q_1$ と $q_2$ を、互いに交わらない $M$ の中の滑らかな弧 $C_1$、$C_2$ でつなぐ。ほかの二重点は通らないようにする($M$ は連結で、$n\ge3$ では $1+1< n$ なので一般の位置の弧は交わらない)。$f$ は二重点以外では単射なので、$B_1:=f(C_1)$ と $B_2:=f(C_2)$ は 2 点 $f(p_1)=f(q_1)$、$f(p_2)=f(q_2)$ だけを共有し、$B:=B_1\cup B_2$ は 2 つの角をもつ閉曲線になる。
段 2:Whitney の円板. $B$ を縁とする滑らかに埋め込まれた 2 次元の円板 $D\subset\mathbb{R}^{2n}$ で、$D\cap f(M)=B$ となり、$B$ に沿って $f(M)$ に接しないものをとる。$B$ を縁とする連続な円板はいつでもある($\mathbb{R}^{2n}$ は可縮)が、それを滑らかな埋め込みに近づけるには $2\cdot2<2n$、内部が $f(M)$ を避けるには $2+n<2n$ を使う(Whi44 §10、pp. 238–239)。
段 3:近傍の標準形. $D$ に沿って $\mathbb{R}^{2n}$ の基底の場 $w_1,\dots,w_{2n}$ を、$w_1,w_2$ が $D$ に接し、$B_1$ の上で $w_3,\dots,w_{n+1}$ が $f$ の $C_1$ の近くの面に接し、$B_2$ の上で $w_{n+2},\dots,w_{2n}$ が $C_2$ の近くの面に接するように作る。これを使うと、$D$ の近傍から prop-wt-model の円板の近傍への微分同相写像で、2 枚の面を $P$ と $Q_0$ に写すものが得られる。基底の場を $B_2$ に沿って延ばせるかどうかは向きの整合性で決まり、ここで 2 つの二重点の符号が逆であることが使われる(Whi44 §11、pp. 239–240。Ben19 pp. 152–153 の条件 (3) と Remark 7.19)。
段 4:押し出す. prop-wt-model の $Q_t$($0\le t\le1$)を段 3 の微分同相写像で戻し、$C_2$ の近くの面を $D$ に沿って動かす。$t=1$ で 2 つの交点は消え、$D\cap f(M)=B$ で変形は $D$ の近くに閉じているので、新しい二重点は生じない(Whi44 §12、pp. 240–242)。
段 5:符号が定まらない場合. $n$ が奇数のときや $M$ が向き付け不可能なときは、弧 $C_1$、$C_2$ の選び方($p_2$ と $q_2$ の役を入れ替える、向きを逆にする閉曲線を回る)を変えると、弧に沿って運んだ局所的な向きに関して 2 つの交点の符号を逆にできる。その後は段 2〜4 と同じである(Whi44 pp. 241–242)。
段 3 で符号の条件が必要なことは、自己交差数の不変性からも分かる:$n$ が偶数で $M$ が向き付けられていれば、正則ホモトピーで $I_f$ は変わらない(Whi44 Theorem 2、p. 235)ので、同じ符号の 2 つの二重点だけを消すこと($I_f$ が $\pm2$ 変わる)はできない。
$n\ge1$ とする。$n$ 次元の多様体は $\mathbb{R}^{2n}$ に埋め込める。
定理は、$n$ 次元の多様体が $\mathbb{R}^{2n}$ に埋め込めることを述べる。この次元は一般には下げられない。例えば円周($n=1$)は $\mathbb{R}^1$ に埋め込めない。
Whi44 Theorem 5(p. 236)である(Sko06 p. 7 Theorem 2.2.a と、滑らかな場合の証明の概略 §4(pp. 27–28)。コンパクトな場合の証明の概略は Ben19 Theorem 7.17、pp. 151–154)。この記事では証明しない。連結でコンパクトな $M$、$n\ge3$ の場合の骨格は次のとおりである。
$n=1$ のとき、はめ込み $\gamma\colon S^1\to\mathbb{R}^2$、$\gamma(t)=(\sin2t,\sin t)$(8 の字)は、$t=0$ と $t=\pi$ が原点に写る二重点を 1 つもつ。速度 $(2,1)$ と $(2,-1)$ は線形独立なので横断的である。$n=1$ は奇数なので $I_\gamma\in\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}$ で、$I_\gamma=1$ である。lem-wt-local-model の $n=1$ の場合(図の左)も、二重点を 1 つだけもつ曲線である。一方、円周 $t\mapsto(\cos t,\sin t)$ には二重点がなく $I=0$ である。$n=1$ では $2+n<2n$ が成り立たず、thm-wt-main の方法は使えない。
$n\ge4$ を偶数、$M$ を連結でコンパクトな向き付けられた $n$ 次元の多様体、$f$ を一般の位置のはめ込みで、符号 $+1$ の二重点が $3$ 個、$-1$ の二重点が $1$ 個あるとする。$I_f=2$ である。lem-wt-local-model の模型($n$ が偶数なので、標準の向きでの符号は $(-1)^{n-1}=-1$。貼り込む向きによっては鏡映を使う)で符号 $-1$ の二重点を 2 つ加えると、$+1$ が 3 個、$-1$ が 3 個になり $I=0$ となる。あとは thm-wt-main($n\ge4$ の偶数)を 3 回当てれば、二重点はすべて消える。二重点の総数は $4\to6\to0$ と、いったん増えてから減る。
| 外す条件・強める結論 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 次元の和 $\alpha+\beta< N$ | $\mathbb{R}^4$ の平面 $A=\mathbb{R}^2\times\{0\}$ と開円板 $B=\{0\}\times\{\lvert w\rvert<1\}$ | 小さい平行移動で $A$ と $B$ が交わらなくなる |
| 円板を横切るまで押す($t>\tfrac12$) | prop-wt-model の $Q_t$、$0\le t<\tfrac12$ | $P\cap Q_t=\emptyset$ |
| 周りの次元 $2n$ を $2n-1$ に下げる | 円周($n=1$) | $\mathbb{R}^{2n-1}$ への埋め込みがある |
Whitney のトリックは、はめ込みの自己交差だけでなく、2 つの部分多様体の交点にも使える。Ben19 §18.2(pp. 303–306)は次の形で述べている:$W$ を連結で向き付けられた境界のない $m$ 次元の多様体、$R$、$S$ をコンパクトで連結な向き付けられた部分多様体で $\dim R+\dim S=m$、$R\pitchfork S$ とし、$W\setminus(R\cup S)$ が単連結であるとする。$m\ge5$ で $\dim R\ge2$、$\dim S\ge2$ なら、符号が逆の 2 つの交点は Whitney の円板で結ばれ、$R$ を同位変形で動かして 2 つの交点だけを消せる(同書 Proposition 18.15 (1)、p. 305。この記事では証明しない)。$m$ が 5 以上であることが、円板を $R\cup S$ から離して埋め込むのに使われる。
この形の Whitney のトリックは、ハンドル分解の相殺を通じて、次元が 6 以上の単連結な h 同境定理(Ben19 Theorem 18.5、p. 301、Theorem 18.7、p. 302)の証明の鍵になる。
周りの空間が 4 次元(はめ込みなら $n=2$、部分多様体なら $m=4$)では、Whitney の円板を描く閉曲線は作れても、円板の内部が曲面と交わったり、円板自身が自分と交わったりすることを一般の位置では避けられない(Ben19 Remarks 7.20 (1)、pp. 153–154、Remark 18.16、p. 307)。反例の表の 1 はこの次元の数え方を示している。4 次元の多様体に特有の現象の多くは、Whitney のトリックが使えないことから生じる(同書 Remarks 7.20 (2)、p. 154)。
Whitney は 1936 年に $\mathbb{R}^{2n+1}$ への埋め込みと $\mathbb{R}^{2n}$ へのはめ込みを示し(Whi36)、1944 年の論文でこの記事の方法により $\mathbb{R}^{2n}$ への埋め込みを示した(Whi44)。Whi44 の序文(p. 220)は、自己交差を 2 つずつ減らす Theorem 4 が $n\ge3$ でしか証明されないことを「奇妙な事実」(a curious fact)と述べている。
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