引き戻し(pullback)とは、同じ対象へ向かう二本の射について、その行き先が一致するデータを普遍的に集める極限である。集合では値の等しい要素の対からなるファイバー積として構成できる。
ここで扱う引き戻しは圏論のファイバー積である。関数の逆像や微分形式の引き戻しと関係する場面もあるが、それら全部を同じ定義の用語として同一視はしない。
圏 $\mathcal C$ の射 $f:A\to C$、$g:B\to C$ の引き戻し(pullback)は、対象 $P$ と射 $p:P\to A$、$q:P\to B$ で $fp=gq$ を満たし、次の普遍性を持つものである。任意の $a:X\to A$、$b:X\to B$ で $fa=gb$ となるものに対し、$pu=a$、$qu=b$ を満たす $u:X\to P$ がただ一つ存在する。
$P=A\times_C B$ と書き、ファイバー積とも呼ぶ。底 $C$ だけでなく $f,g$ に依存する。対象と二本の射を合わせて引き戻しのデータとする。標準定義は Rie16 §3.1に従う。
二つのデータを自由に組み合わせる積に、同じ $C$ の値を持つという条件を課す。一般の圏では「要素」の代わりに、任意の $X$ をパラメーターとする射の組を使う。この $X$ をすべて動かすことが普遍性の強さである。
集合では
$$
A\times_C B=\{(a,b)\in A\times B:f(a)=g(b)\}
$$
に二つの射影を入れる。$a:X\to A,b:X\to B$ に対する $x\mapsto(a(x),b(x))$ は条件によりこの部分集合へ入る。射影がその値を一意に決めるので普遍性が成り立つ。$B$ が一点で $g$ が $c\in C$ を選ぶと、これはファイバー $f^{-1}(c)$ になる。
群準同型 $f:A\to C,g:B\to C$ に対し、上の条件を満たす対は直積群の部分群になる。条件は積と逆元について保たれるからである。整合する準同型の対から得られる写像も成分ごとに準同型であり、これが群の圏での引き戻しになる。$B$ が自明群なら $A$ の核 $\ker f$ を得る。
$a\leq c,b\leq c$ を射とみなすと、$a,b$ の最大下界が存在する場合、それが引き戻しである。任意の共通下界から $c$ への二つの合成は、順序圏では自動的に等しい。このため、共通の上界 $c$ を指定したこの状況での引き戻しは下限に一致する。
集合 $A=B=C=\{0,1\}$ とし、$f,g$ をともに値 $0$ の定値写像とする。引き戻しは四元の $A\times B$ であり、二元の共通部分 $A\cap B$ ではない。共通部分で計算できるのは、同じ集合への包含などの追加条件がある場合である。
同じ二本の射の引き戻しは、二本の射影を保つ一意な同型を除いて一つである。
二つの引き戻しを $P,P'$ とする。$P$ の二本の射影は整合するので、$P'$ の普遍性で $u:P\to P'$ が一意にできる。逆向きにも $v:P'\to P$ を得る。$vu$ と $\operatorname{id}_P$ は二本の射影との合成が一致するから等しい。同様に $uv=\operatorname{id}_{P'}$。射影を保つ射自体が一意なので同型も一意である。
$f:A\to C$ がモノ射、すなわち任意の平行射 $r,s:X\to A$ について $fr=fs$ から $r=s$ が従う射なら、引き戻しの射 $q:A\times_C B\to B$ もモノ射である。
$r,s:X\to P$ に対し $qr=qs$ とする。可換性から $fpr=gqr=gqs=fps$ である。$f$ がモノ射なので $pr=ps$。こうして二本の射影との合成がともに一致するため、引き戻しの一意性により $r=s$。集合の要素を使わずに結論できる。
終対象 $1$ がある場合、唯一の射 $A\to1,B\to1$ の引き戻しは積 $A\times B$ である。任意の射の対について終対象への合成条件が自動的に成立するので、二つの普遍性はそのまま一致する。
豊穣版では、整合する射の集合だけでなく、各 $X$ に対して基礎圏 $\mathcal V$ のHom対象の比較
$$
\mathcal C(X,P)\longrightarrow
\mathcal C(X,A)\times_{\mathcal C(X,C)}\mathcal C(X,B)
$$
が同型であることを要求する。右辺は $f$、$g$ との後合成が誘導する二射の引き戻しである。必要な極限を持つ $\mathcal V$ 上で、これは指定されたcospanのconicalな豊穣極限である(Kel82 §3.8)。基礎圏の単位対象から見た「元」だけを比較しても、このHom対象の同型を確認したことにはならない。
∞圏では、指定された可換方形が引き戻しであることは、任意の $X$ に対して
$$
\operatorname{Map}(X,P)\longrightarrow
\operatorname{Map}(X,A)\times^{h}_{\operatorname{Map}(X,C)}\operatorname{Map}(X,B)
$$
が空間の同値になることとして検出できる。右辺のホモトピー引き戻しは、二つの射だけでなく、それらの合成を比較する道と高次整合性も保持する。したがって $fa$ と $gb$ がホモトピー圏で等しいことだけでは足りない。空間の∞圏では通常のホモトピー引き戻しになり、一般には集合論的な厳密引き戻しで計算できない。通常圏の脈体では写像空間が離散Hom集合と同値になり、上の普遍性へ戻る(HTT09 §§1.2.13, 4.2.4, 4.4.2)。
Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する