位相的補空間(topological complement)とは、Banach 空間 $X$ の閉部分空間 $G$ に対し、$G\cap L=\{0\}$、$G+L=X$ を満たす閉部分空間 $L$ のことである。位相的補空間があることは $G$ の上への有界な射影があることと同値で、このとき $X$ は直積 $G\times L$ と同型になる。有限次元部分空間、有限余次元の閉部分空間、Hilbert 空間の閉部分空間はつねに位相的補空間をもつが、実数列の空間 $\ell^1$ には位相的補空間をもたない閉部分空間がある。全射な有界作用素が有界な右逆をもつことは核が位相的補空間をもつことと同値であり、Fredholm 作用素の理論の基礎になる。
前提知識: Banach空間, 開写像定理, Hahn–Banachの定理
有限次元の線形代数では、部分空間 $G\subset V$ の基底を $V$ の基底に延長すれば、$V=G\oplus L$ となる部分空間 $L$(補空間)がとれる。$V$ は直積 $G\times L$ と同じものになり、$V$ の元を $G$ の成分と $L$ の成分に分けて扱える。
Banach空間 $X$ で同じことをするには、分解が位相とも両立していてほしい。すなわち、閉部分空間 $G$ に対して、閉部分空間 $L$ で $X=G\oplus L$ となり、成分をとる射影 $X\to G$ が連続になるものがほしい。このような $L$ を $G$ の位相的補空間という。無限次元では、代数的な補空間はいつも存在するが、閉じているとは限らず、射影も連続とは限らない。位相的補空間については次のことが成り立つ。
$G$ を $X$ の閉部分空間とする。$X$ の部分空間 $L$ が次の 2 条件を満たすとき、$L$ を $G$ の位相的補空間(topological complement)という。
条件 2 は、すべての $x\in X$ が $x=g+l$($g\in G$、$l\in L$)とただ 1 通りに書けることと同じである。このとき $P_Lx:=g$ を、$L$ に沿った $G$ の上への射影という。$P_L$ は線形で、$P_L^2=P_L$、$R(P_L)=G$、$\ker P_L=L$ を満たす。定義は $G$ と $L$ について対称で、$L$ が $G$ の位相的補空間なら $G$ は $L$ の位相的補空間である。
条件 1 を外すと、補空間はいつもある。$G$ の基底(Hamel 基底)を $X$ の基底に延長し、追加した基底ベクトルの張る部分空間をとればよい(基底と次元 の定理「一般のベクトル空間の基底の存在」。選択公理を使う)。しかしそれは閉とは限らず、射影も連続とは限らない。たとえば無限次元の Hilbert 空間 $H$ について $G=\{0\}\oplus H\subset H\oplus H$ とし、不連続な線形汎関数 $\varphi$(非有界線形汎関数 の定理「不連続線形汎関数の存在」)と $v\ne0$ による不連続な線形写像 $Ax:=\varphi(x)v$ のグラフ $L=\{(x,Ax):x\in H\}$ をとると、$G\cap L=\{0\}$、$G+L=H\oplus H$ だが、閉グラフ定理 により $L$ は閉でない。
$X$ を Banach 空間、$G$ を閉部分空間とする。
1 の要点は 有界逆写像定理 である。分解 $x=g+l$ の成分が $x$ に連続に依存することは、定義の条件だけからは見えず、$X$、$G$、$L$ の完備性から出てくる。
1:$G$ と $L$ は Banach 空間 $X$ の閉部分空間なので Banach 空間であり(Banach空間 の命題「閉部分空間と完備性」)、直積 $G\times L$ もノルム $\|(g,l)\|=\|g\|+\|l\|$ で Banach 空間である。$\Phi(g,l):=g+l$ は $\|\Phi(g,l)\|\le\|(g,l)\|$ を満たす有界線形写像で、定義の条件 2 により全単射である。有界逆写像定理 の定理「有界逆写像定理」により $\Phi^{-1}$ は有界で、$C:=\|\Phi^{-1}\|$ とおけば $\|g\|+\|l\|\le C\|g+l\|$ となる。$\|P_Lx\|=\|g\|\le C\|x\|$ である。
2:$P^2=P$ なので、$x\in R(P)$ と $Px=x$ は同値である($x=Py$ なら $Px=P^2y=x$)。よって $G=R(P)=\ker(I-P)$ と $\ker P$ はどちらも閉である。$x=Px+(x-Px)$ で $Px\in G$、$P(x-Px)=0$ なので $G+\ker P=X$ であり、$x\in G\cap\ker P$ なら $x=Px=0$ である。この分解の $G$ 成分は $Px$ なので $P_{\ker P}=P$ である。
3:$P_L$ は有界(1)で $P_L^2=P_L$、$R(P_L)=G$ を満たすので、写像は定まる。$\ker P_L=L$ なので単射であり、2 から全射である。
4:$G$ が補空間 $L$ をもつなら、$E:=P_L$ を値域 $G$ への写像とみたものが恒等写像の延長である。逆に $E$ があれば、$P:=\iota\circ E$($\iota\colon G\to X$ は包含)は $X$ 上の有界線形作用素で、$R(P)=G$、$Px\in G$ から $P(Px)=Px$ を満たす。2 により $\ker P$ が補空間である。$\square$
4 は Hahn–Banachの定理 と対照的である。部分空間上の連続線形汎関数(値域 $\mathbb K$)はいつも全体に延長できる(同記事の系「ノルムを保つ延長」)が、値域が $G$ そのものの恒等写像は、$G$ が補空間をもたなければ延長できない(cor-tc-l1 の後の注意)。
射影のノルムは 1 とは限らない。Hilbert 空間の直交射影はノルム 1 以下だが、斜めの射影はノルムが 1 より大きくなりうる(直交射影作用素 の例「反例:斜めの射影」)。補空間の存在に要るのは、射影が有界であることだけである。
位相的な分解は双対空間に移る。
$X=G\oplus L$ を位相的な分解とし、$P=P_L$ とする。双対作用素 $P'\colon X^*\to X^*$、$P'f=f\circ P$ は有界な射影で、$R(P')=L^\perp$、$\ker P'=G^\perp$ である($\perp$ は 零化空間)。したがって $X^*=L^\perp\oplus G^\perp$ は位相的な分解である。
要点:$P'^2=(P^2)'=P'$ と、核と像の零化空間による記述から従う。
$P'$ は有界線形で(閉値域定理 の定義「双対作用素」の後の評価)、$P'^2f=f\circ P\circ P=f\circ P=P'f$ である。$P'f=0$ は $f$ が $R(P)=G$ の上で $0$ であることと同値なので $\ker P'=G^\perp$ である。$f\in R(P')$ なら $f=P'f$($P'$ は射影)で、$l\in L=\ker P$ について $f(l)=f(Pl)=0$ なので $f\in L^\perp$ である。逆に $f\in L^\perp$ なら $f(x)=f(Px)+f(x-Px)=f(Px)$($x-Px\in L$)なので $f=P'f\in R(P')$ である。最後の主張は thm-tc-projection の 2 を $X^*$ と $P'$ に用いればよい。$\square$
1:有限次元部分空間は閉である(ノルム空間 の系「有限次元ノルム空間の性質」の 4)。$x=\sum_ia_ie_i\in G$ に $a_i$ を対応させる座標関数 $\varphi_i\colon G\to\mathbb K$ は、有限次元の空間上の線形汎関数なので連続であり(同系の 2)、Hahn–Banachの定理 の系「ノルムを保つ延長」により $\Phi_i\in X^*$ に延長される。$L=\bigcap_i\ker\Phi_i$ は閉部分空間で、$x\in X$ について $x-\sum_i\Phi_i(x)e_i\in L$ なので $G+L=X$、$x\in G\cap L$ なら $x=\sum_i\Phi_i(x)e_i=0$ である。
2:$X/G$ の基底の代表元 $e_1,\dots,e_n$ の張る空間は代数的な補空間であり、代数的な補空間 $L$ はどれも $X/G$ と線形同型($l\mapsto l+G$)なので有限次元、したがって閉である(1 と同じ系の 4)。
3:Hilbert空間 の定理「直交射影と直交分解」の 3 により $H=G\oplus G^\perp$ であり、$G^\perp$ は閉である(直交補空間 の命題「直交補空間は閉部分空間」)。$\square$
2 の典型は、有限個の線形独立な $f_1,\dots,f_p\in X^*$ の共通の核 $\bigcap_i\ker f_i$ である。これは余次元 $p$ の閉部分空間で、$f_i(e_j)=\delta_{ij}$ となる $e_j$ の張る空間が補空間になる(零化空間 の例「有限個の汎関数の前零化空間」)。Fredholm作用素 $T$ では、$\ker T$ は 1 の、$R(T)$ は 2 の場合にあたり、どちらも補空間をもつ。これが Fredholm 作用素を「有限次元の部分を除けば可逆」と扱える理由である。
$X,Y$ を Banach 空間、$T\in B(X,Y)$ とする。
1:$S$ があるとき、$P:=ST\in B(X)$ は $P^2=S(TS)T=ST=P$ を満たす。$R(P)=R(S)$ である($R(ST)\subset R(S)$ と、$Sy=S(TS)y=P(Sy)$ による)。$\ker P=\ker T$ である($STx=0$ なら $Tx=TSTx=0$)。thm-tc-projection の 2 を $I-P$(これも射影で、$R(I-P)=\ker P=\ker T$、$\ker(I-P)=R(P)$)に用いれば、$R(S)$ は $\ker T$ の位相的補空間である。逆に $\ker T$ の位相的補空間 $L$ があるとき、$T|_L\colon L\to Y$ は単射($L\cap\ker T=\{0\}$)で全射($x=k+l$ なら $Tx=Tl$)である。$L$ は Banach 空間なので、有界逆写像定理 の定理「有界逆写像定理」により逆写像 $S_0\colon Y\to L$ は有界で、$S:=\iota\circ S_0$ が右逆である。
2:$S$ があるとき、$Q:=TS\in B(Y)$ は $Q^2=T(ST)S=Q$ を満たし、$R(Q)=R(T)$($Tx=T(ST)x=Q(Tx)$ による)、$\ker Q=\ker S$($TSy=0$ なら $Sy=STSy=0$)である。$Q^2=Q$ から $R(T)=R(Q)=\ker(I-Q)$ は閉であり、thm-tc-projection の 2 により $\ker S$ がその位相的補空間である。逆に $R(T)$ が閉で、$P\in B(Y)$ が $R(T)$ の上への有界な射影とする(thm-tc-projection の 1)。$T$ を $X$ から Banach 空間 $R(T)$ への有界な全単射 $T_0$ とみると、有界逆写像定理により $T_0^{-1}$ は有界である。$S:=T_0^{-1}P$ とおくと $STx=T_0^{-1}Tx=x$ である。$\square$
1 は「全射は商への同型を与える」(開写像定理 の系「全射は商への同型を与える」)の強めた形として読める。全射 $T$ はいつも $X/\ker T\cong Y$ を与えるが、$X\cong\ker T\times Y$ と分解できるのは $\ker T$ が補空間をもつときに限る。
Hilbert 空間ではすべての閉部分空間が補空間をもつが、一般の Banach 空間ではそうならない。
$\mathbb K=\mathbb R$ とし、$T\colon\ell^1\to\ell^2$ を有界線形な全射とする(可分Banach空間 の定理「$\ell^1$ の商としての実現」により存在する)。このとき $\ker T$ は $\ell^1$ の閉部分空間で、補空間をもたない。
$\ker T$ が補空間をもつとすると、thm-tc-inverses の 1 により有界な右逆 $S\colon\ell^2\to\ell^1$ がある。$\ell^2$ の単位ベクトル $e_n$ は有界で各座標が $0$ に収束するので $e_n\rightharpoonup0$(弱収束)である(弱収束(Banach空間) の系「数列の空間での弱収束」)。有界線形写像は弱収束を保つので $Se_n\rightharpoonup0$ であり、ℓp空間 の定理「Schurの定理」により $\|Se_n\|_1\to0$ である。ところが $1=\|e_n\|=\|TSe_n\|\le\|T\|\,\|Se_n\|_1\to0$ となって矛盾する。$\square$
同じ主張は Schur性 の定理「$\ell^1$ の補空間をもたない閉部分空間」でも、$\ell^2$ を双対が可分な無限次元の Banach 空間に替えた形で示されている。この $N=\ker T$ について、全射 $T$ は有界な右逆をもたず、$N$ の恒等写像は $\ell^1$ から $N$ への有界線形写像に延長できない(thm-tc-projection の 4)。$\ell^1/N\cong\ell^2$ であるのに、$\ell^1$ は $N\times\ell^2$ と同型にならない(同型 $\Psi\colon N\times\ell^2\to\ell^1$ があれば、$J(y):=\Psi(0,y)$ は $\|Jy\|_1\ge c\|y\|$($c>0$)を満たし、$Je_n\rightharpoonup0$ と ℓp空間 の定理「Schurの定理」から $\|Je_n\|_1\to0$ となって矛盾する)。
さらに強く、Hilbert 空間と同型でないどの Banach 空間にも補空間をもたない閉部分空間があることが知られている(Lindenstrauss–Tzafriri の定理。Bre11 Remark 8(p. 39)で紹介されている。この記事では証明しない)。
位相的補空間の定義では $G+L=X$ を要求した。$G\cap L=\{0\}$ である 2 つの閉部分空間の和は、閉じているとは限らない。
$\mathbb K=\mathbb R$、$H=\ell^2\oplus\ell^2$(内積は成分ごとの和)とし、$D\colon\ell^2\to\ell^2$ を $D(x_n)_n=(x_n/n)_n$ とおく。$D$ は有界線形な単射である。
$$
M:=\ell^2\oplus\{0\},\qquad N:=\{(x,Dx):x\in\ell^2\}
$$
とすると、次が成り立つ。
この例から、thm-tc-projection の完備性の仮定が外せないこともわかる。$Z:=M+N$ に $H$ のノルムを入れたノルム空間(完備でない)では、$M$ と $N$ は $Z$ の閉部分空間で、$Z=M\oplus N$ だが、射影は有界でない。零化空間 の定理「和と共通部分の零化空間」によれば、Banach 空間の 2 つの閉部分空間の和が閉であることは、零化空間の和が閉であることと同値である。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 空間の完備性(thm-tc-projection の 1) | ex-tc-graph の $Z=M+N$($H$ のノルム) | 射影 $P_L$ の有界性 |
| $L$ が閉(定義の条件 1) | 無限次元の Hilbert 空間 $H$ の中の $\{0\}\oplus H\subset H\oplus H$ と不連続な線形写像のグラフ | 射影の有界性($L$ は代数的な補空間にすぎない) |
| $X$ が Hilbert 空間(thm-tc-examples の 3) | $\ell^1$ の閉部分空間 $\ker T$(cor-tc-l1) | 閉部分空間が補空間をもつこと |
| $G$ が有限余次元(thm-tc-examples の 2) | $\ell^1$ の $\ker T$(余次元は無限) | 補空間をもつこと |
位相的補空間の定義、thm-tc-projection の 1 にあたる分解の評価、thm-tc-examples の 3 つの場合は Bre11 §2.4(Theorem 2.10(p. 37)、定義と Examples 1–3(pp. 38–39))に、thm-tc-inverses は Theorem 2.12(p. 39)と Theorem 2.13(p. 40)にある。thm-tc-projection の 4 の、補空間をもたなければ延長できない向きは Exercise 1.27(p. 29)の内容で、cor-tc-l1 は Exercise 3.26(pp. 85–86)を $F=\ell^2$ にした場合にあたる(同演習は Exercise 3.22 と Problem 8 を経由するが、この記事では Schur の定理を直接使った)。
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