Casson不変量(Casson invariant)とは、向き付けられた整数ホモロジー 3 球面 $H$ に、基本群の $\mathrm{SU}(2)$ への既約な表現の共役類を Heegaard 分解を使って符号付きで数え、2 で割った整数 $\lambda(H)$ を対応させる不変量である。向きの反転で符号が変わり、連結和で加法的で、2 を法とする還元は Rokhlin 不変量になる。結び目に沿った係数 $1/n$ の手術では、$n$ を 1 増やすごとに Alexander 多項式の $t=1$ での 2 階微分の半分だけ変わる。ホモトピー 3 球面や向きを逆にする微分同相写像をもつホモロジー 3 球面の Rokhlin 不変量が 0 であることが従う。
前提知識: ホモロジー球面, Heegaard分解, Dehn手術, Alexander多項式, Rokhlinの定理
Casson 不変量(Casson invariant)は、向き付けられた整数ホモロジー $3$ 球面 $H$ に整数 $\lambda(H)$ を対応させる不変量で、基本群 $\pi_1(H)$ の $\mathrm{SU}(2)$ への既約な表現の共役類を、符号を付けて数えて $2$ で割ったものである。Casson が 1985 年に導入し、向きを逆にすると符号が変わること、$2$ を法とする還元が Rokhlin 不変量であること、結び目に沿った手術での変化が Alexander 多項式で決まることを示した(Mar88 pp. 151–152)。
Casson 不変量の $2$ を法とする還元が Rokhlin 不変量 $\mu$ なので、$\mu(H)\ne0$ なら $\lambda(H)\ne0$ で、$\pi_1(H)$ は自明でない $\mathrm{SU}(2)$ 表現をもつ。ここから、ホモトピー $3$ 球面や向きを逆にする微分同相写像をもつホモロジー $3$ 球面の Rokhlin 不変量が $0$ であることや、Freedman の $E_8$ 多様体が三角形分割できないことが従う(Mar88 pp. 152–153)。のちに Taubes は Casson 不変量を平坦な接続の数え上げとしてゲージ理論の言葉で読み直し、Floer はその Euler 標数が Casson 不変量の $2$ 倍になるホモロジーを作った(Mar88 pp. 152, 160)。
この記事では、Casson 不変量の定義と Casson の定理を所在を示して述べ、そこから次を完全に証明する。ホモロジー $3$ 球面の $\mathrm{SU}(2)$ 表現は自明でなければ既約であること、手術の公式の積分形、手術の公式に現れる量が整数で Conway の係数に一致すること、Rokhlin 不変量の消滅、自明でない表現の存在である。例として、種数 $1$ の結び目に沿った手術で得られるホモロジー球面の Casson 不変量を求める。
この記事でホモロジー $3$ 球面とは、向き付けられた連結な閉 $3$ 次元多様体 $H$ で、整数係数のホモロジーが $S^3$ と同じものをいう(ホモロジー球面)。$-H$ は向きを逆にしたものを表す。$H$ の中の結び目 $K$ に沿った係数 $1/n$($n\in\mathbb{Z}$)の Dehn 手術(Dehn手術)で得られる多様体を $K_n$ と書く。$K_n$ もホモロジー $3$ 球面で、$K_0=H$ である(Mar88 p. 152)。
$H$ の中の結び目 $K$ の Seifert 曲面 $S$(種数 $g$)の Seifert 行列を $V$($2g$ 次の整数行列)とする(Alexander多項式 の定義「Seifert 行列」)。$s:=t^{1/2}$ とおき、
$$
\Delta_K(t):=\det\bigl(sV-s^{-1}V^{\mathsf T}\bigr)
$$
を正規化した Alexander 多項式という。これは結び目だけで決まり、$V-V^{\mathsf T}$ は曲面の交叉形式なので $\Delta_K(1)=\det(V-V^{\mathsf T})=1$ である(Mar88 p. 161、付録)。$\Delta_K(t)=s^{-2g}\det(tV-V^{\mathsf T})$ なので、$\Delta_K$ は Alexander多項式 の Alexander 多項式と単元倍の違いを除いて一致し、$\Delta_K(1)=1$ と下の対称性で単元倍を決めたものである。
$w:=t-2+t^{-1}=(s-s^{-1})^2$ とおく。
$\nabla_K(z):=\sum_ka_{2k}z^{2k}$ を Conway 多項式、$a_2(K)$ をその $z^2$ の係数という。$\Delta_K(t)=\nabla_K(t^{1/2}-t^{-1/2})$ である。
1. 行列式を展開すると、各項は $2g$ 個の成分 $(\pm sV_{ij}\mp s^{-1}V_{ji})$ の積で、$s$ の偶数乗だけが現れるので $\Delta_K\in\mathbb{Z}[t,t^{-1}]$ である。$s$ を $s^{-1}$ に替えると
$$
\Delta_K(t^{-1})=\det(s^{-1}V-sV^{\mathsf T})=\det\bigl(-(sV-s^{-1}V^{\mathsf T})^{\mathsf T}\bigr)=(-1)^{2g}\Delta_K(t)=\Delta_K(t)
$$
である。
2. $t^k+t^{-k}$($k\ge1$)は $t+t^{-1}$ の整数係数の多項式である。実際、$k=1$ では明らかで、$(t+t^{-1})(t^k+t^{-k})=(t^{k+1}+t^{-k-1})+(t^{k-1}+t^{-k+1})$ から帰納的に従う。対称な $\Delta_K=c_0+\sum_{k\ge1}c_k(t^k+t^{-k})$ はしたがって $t+t^{-1}=w+2$ の、すなわち $w$ の整数係数の多項式で、次数は $\Delta_K$ の $t$ についての最高次数($g$ 以下)に等しい。$w$ は定数でないので、$w$ の多項式としての表し方は一意である。$t=1$ で $w=0$ なので $a_0=\Delta_K(1)=1$ である。
3. $w=(t-1)^2/t$ は $t=1$ で $2$ 位の零点をもつので、$w^k$ は $2k$ 位の零点をもち、$k\ge2$ なら $(w^k)''(1)=0$ である。$w''=2t^{-3}$ より $w''(1)=2$ である。よって $\Delta_K''(1)=a_2\cdot2$ で、$\frac12\Delta_K''(1)=a_2\in\mathbb{Z}$ である。$\square$
群 $\Gamma$ の表現の空間 $R(\Gamma):=\operatorname{Hom}(\Gamma,\mathrm{SU}(2))$ には、$\mathrm{SU}(2)$ が共役で作用する。像が可換でない表現を既約といい、その全体を $R^*(\Gamma)$ と書く。共役の作用は中心 $\{\pm1\}$ を通して $\mathrm{SO}(3)$ の作用になり、$R^*(\Gamma)$ の上では自由で、商 $\hat R(\Gamma):=R^*(\Gamma)/\mathrm{SO}(3)$ が既約な表現の共役類の空間である(Mar88 p. 153)。
$H$ をホモロジー $3$ 球面とする。$\rho\colon\pi_1(H)\to\mathrm{SU}(2)$ の像が可換なら $\rho$ は自明である。したがって、自明でない表現はすべて既約である。
像が可換なら、$\rho$ は可換化 $\pi_1(H)^{\mathrm{ab}}$ を経由する。Hurewicz の定理により $\pi_1(H)^{\mathrm{ab}}\cong H_1(H;\mathbb{Z})=0$ なので、$\rho$ は自明である。$\square$
$H=W_1\cup_FW_2$ を $H$ の種数 $g$ の Heegaard 分解(Heegaard分解)とし、$F_*$ を $F$ から円板を除いた曲面とする。$\pi_1(F_*)$ は $2g$ 個の元の自由群なので $R(\pi_1F_*)\cong\mathrm{SU}(2)^{2g}$ で、包含が誘導する全射 $\pi_1(F_*)\to\pi_1(W_i)$($\pi_1(W_i)$ は $g$ 個の元の自由群)により、$Q_i:=R(\pi_1W_i)$ は $R(\pi_1F_*)$ の中の次元が半分の部分多様体になる。van Kampen の定理により、$\hat Q_1\cap\hat Q_2$ は $\pi_1(H)$ の既約な表現の共役類と対応する(Mar88 pp. 153–155)。
$H$ をホモロジー $3$ 球面とする。上の記号で、$\hat Q_1$ と $\hat Q_2$ の $\hat R(\pi_1F)$ の中の交点数 $\langle\hat Q_1,\hat Q_2\rangle$ と、$Q_1$ と $Q_2$ の $R(\pi_1F_*)$ の中の交点数 $(Q_1,Q_2)=\pm1$ を使って
$$
\lambda(H):=\frac12(-1)^g\frac{\langle\hat Q_1,\hat Q_2\rangle}{(Q_1,Q_2)}
$$
と定め、$H$ の Casson 不変量という。
ここで向きは Mar88 §3.2(p. 155)の規約で入れ、$(Q_1,Q_2)=\pm1$ と、自明な表現が孤立していて $\hat Q_1\cap\hat Q_2$ がコンパクトであることは同所の Lemme 3.3 による。$\langle\hat Q_1,\hat Q_2\rangle$ は、コンパクトな交わり $\hat Q_1\cap\hat Q_2$ について定まるホモロジーの意味の交点数である。この値は Heegaard 分解のとり方によらず(同 3.4 Proposition et Définition、p. 155)、$\langle\hat Q_1,\hat Q_2\rangle$ は偶数なので $\lambda(H)$ は整数である(同 p. 155、§5.3 による)。$\hat Q_1$ と $\hat Q_2$ が横断的に交わるときは、$\lambda(H)$ は既約な表現の共役類を符号付きで数えて $2$ で割ったものである。
Casson 不変量 $\lambda$ は次をみたす。
Mar88 Théorème 1.1(p. 152)による。この記事では証明しない。1 は定義から明らかで($\hat R(\pi_1H)$ が空)、5 が証明の中心である。証明は、手術の公式 5 を Heegaard 分解での Dehn ひねりと表現の空間の計算、Newstead の定理、種数 $1$ の結び目での直接の計算で示し(同 §4–§6、pp. 156–159)、どのホモロジー $3$ 球面も $S^3$ から係数 $\pm1$ の手術を繰り返して得られることから 2〜4 を導く(同 §4、p. 156)。Rokhlin 不変量は Rokhlinの定理 の Rokhlin 不変量で、2 の証明には $\frac12\Delta_K''(1)$ の $2$ を法とする還元が Robertello 不変量であること(同 A.2、p. 162)を使う。
$H$ をホモロジー $3$ 球面、$K$ を $H$ の中の結び目とする。すべての $n\in\mathbb{Z}$ について
$$
\lambda(K_n)=\lambda(H)+n\,a_2(K)
$$
である。とくに $S^3$ の中の結び目では $\lambda(K_n)=n\,a_2(K)$ である。
lem-ci-conway の 3 により $\frac12\Delta_K''(1)=a_2(K)$ なので、thm-ci-casson の 5 は $\lambda(K_{m+1})=\lambda(K_m)+a_2(K)$($m\in\mathbb{Z}$)と書ける。$K_0=H$ から始めて、$n\ge0$ では $m=0,1,\dots,n-1$ についてこれを足し合わせると $\lambda(K_n)=\lambda(H)+n\,a_2(K)$ を得る。$n<0$ では $m=n,n+1,\dots,-1$ について足し合わせると $\lambda(K_0)=\lambda(K_n)+(-n)a_2(K)$、すなわち同じ式を得る。$S^3$ では表現がすべて自明なので thm-ci-casson の 1 により $\lambda(S^3)=0$ である。$\square$
$H$ をホモロジー $3$ 球面、$K$ を $H$ の中の結び目、$n\in\mathbb{Z}$ とし、$\lambda(H)+n\,a_2(K)\ne0$ とする。このとき $\pi_1(K_n)$ は既約な $\mathrm{SU}(2)$ 表現をもつ。とくに $K_n$ は単連結でなく、$S^3$ と同相でない。$H=S^3$ なら、仮定は「$n\ne0$ かつ $a_2(K)\ne0$」である。
thm-ci-surgery により $\lambda(K_n)\ne0$ である。thm-ci-casson の 1 の対偶により、$\pi_1(K_n)$ は自明でない $\mathrm{SU}(2)$ 表現をもち、$K_n$ はホモロジー $3$ 球面なので prop-ci-reps によりそれは既約である。自明でない表現をもつ群は自明でないので、$K_n$ は単連結でない。最後の主張は thm-ci-surgery の $S^3$ の場合による。$\square$
$H$ をホモロジー $3$ 球面とする。
1. $\pi_1(H)$ が自明なので表現はすべて自明で、thm-ci-casson の 1 により $\lambda(H)=0$ である。2 により $\mu(H)=\lambda(H)\bmod2=0$ である。
2. 向きを逆にする微分同相写像 $f\colon H\to H$ は、$H$ から $-H$ への向きを保つ微分同相写像である。$\lambda$ は向きを保つ微分同相で変わらない(定義が向き付けられた多様体だけで決まる)ので $\lambda(-H)=\lambda(H)$ で、thm-ci-casson の 3 と合わせて $\lambda(H)=-\lambda(H)$、すなわち $\lambda(H)=0$ である。2 により $\mu(H)=0$ である。$\square$
これは Mar88 Corollaire 1.2(p. 152)である。2 は、Rokhlin 不変量が $1$ で向きを逆にする微分同相写像をもつホモロジー $3$ 球面があるかという Casson 自身の問いに答えたもので、三角形分割予想とManolescuの定理 の例「向きを逆にする微分同相写像をもつホモロジー球面」と同じ結論である(Mar88 p. 151)。
同じ議論から、$4$ 次元の三角形分割について次が従う(Mar88 Corollaire 1.4、p. 153。この記事では証明しない):spin(第 $2$ Stiefel–Whitney 類が $0$)で符号数が $16$ で割り切れない $4$ 次元の閉位相多様体は、三角形分割できない。三角形分割があれば頂点のリンクの連結和が Rokhlin 不変量 $1$ のホモトピー $3$ 球面になり、1 に反するからである。E8多様体 は単連結で交叉形式が偶(したがって spin)で符号数が $8$ なので、三角形分割できない(E8多様体 の定理「Casson の定理」)。
一方、$\lambda$ はホモロジー同境で不変でない。$S^3$ の中の結び目 $K$ が $4$ 次元球体の中の滑らかな円板の境界で、$\Delta_K''(1)\ne0$ のもの(stevedore 結び目など)をとると、$K_1$ は $S^3$ とホモロジー同境だが、thm-ci-surgery により $\lambda(K_1)=a_2(K)\ne0=\lambda(S^3)$ である(Mar88 Remarque 1.3、p. 153)。このため Casson 不変量だけでは $5$ 次元以上の三角形分割予想は解けず、ホモロジー同境で不変な Manolescu の不変量 $\beta$ が必要になった(三角形分割予想とManolescuの定理)。
$m,n'$ を整数とし、Alexander多項式 の命題「$F(m,n)$ の Seifert 行列」の曲面 $F(m,n')$ の境界の結び目 $K:=K(m,n')\subset S^3$ をとる。Seifert 行列は $V=\begin{pmatrix}m&0\\1&n'\end{pmatrix}$ である。
$$
sV-s^{-1}V^{\mathsf T}=\begin{pmatrix}m(s-s^{-1})&-s^{-1}\\ s&n'(s-s^{-1})\end{pmatrix}
$$
の行列式は $mn'(s-s^{-1})^2+1$ なので、$\Delta_K(t)=1+mn'w$、$a_2(K)=mn'$ である。thm-ci-surgery により、係数 $1/r$ の手術について
$$
\lambda(K_r)=r\,mn'
$$
である。$r\ne0$、$m\ne0$、$n'\ne0$ なら $\lambda(K_r)\ne0$ で、cor-ci-nontrivial により $\pi_1(K_r)$ は既約な $\mathrm{SU}(2)$ 表現をもつ。Rokhlin 不変量は $\mu(K_r)=rmn'\bmod2$ である(thm-ci-casson の 2)。
三葉結び目 $T$ の正規化した Alexander 多項式は $t-1+t^{-1}=1+w$ で(Alexander多項式 の命題「三葉結び目の Alexander 加群」。$\Delta(1)=1$ と対称性で単元倍を決める)、$a_2(T)=1$ である。左手系の三葉結び目に沿った係数 $-1$ の手術は Poincaré ホモロジー球面 $P$ を与える(ホモロジー球面 の節「ほかの記述」)。これは $n=-1$ の $T_{-1}$ なので、この向きで
$$
\lambda(P)=-a_2(T)=-1
$$
である。したがって $\mu(P)=1$ で、Rokhlinの定理 の例「Rokhlin 不変量の値」と一致する。cor-ci-rokhlin の 2 の対偶により、$P$ は向きを逆にする微分同相写像をもたない。thm-ci-casson の 3・4 から $\lambda(-P)=1$、$\lambda(P\#P)=-2$、$\lambda(P\#(-P))=0$ である。
| ホモロジー $3$ 球面 | $\lambda$ | 根拠 |
|---|---|---|
| $S^3$ | $0$ | thm-ci-casson の 1 |
| $K(m,n')$ に沿った係数 $1/r$ の手術 | $rmn'$ | ex-ci-genus-one |
| $P$(左手系の三葉結び目に沿った係数 $-1$ の手術) | $-1$ | ex-ci-poincare |
| $-H$ | $-\lambda(H)$ | thm-ci-casson の 3 |
| $H_1\#H_2$ | $\lambda(H_1)+\lambda(H_2)$ | thm-ci-casson の 4 |
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| $H$ がホモロジー $3$ 球面(prop-ci-reps) | $S^1\times S^2$ | 像が可換な表現は自明 |
| 向きを逆にする微分同相写像をもつ(cor-ci-rokhlin の 2) | Poincaré ホモロジー球面 $P$ | $\mu(H)=0$ |
1 行目:$\pi_1(S^1\times S^2)\cong\mathbb{Z}$ で、生成元を $\operatorname{diag}(i,-i)\in\mathrm{SU}(2)$ に送る表現は像が可換だが自明でない。$H_1(S^1\times S^2;\mathbb{Z})\cong\mathbb{Z}\ne0$ なので、ホモロジー $3$ 球面でない。prf-ci-reps の「可換化が $0$」が破れている。
2 行目:$P$ はホモロジー $3$ 球面だが $\mu(P)=1$ である(ex-ci-poincare)。破れているのは「向きを逆にする微分同相写像をもつ」で、実際 $P$ はそれをもたない。
Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する