標準因子(canonical divisor)とは、コンパクトリーマン面上の恒等的に0でない有理型1形式の零点と極を位数つきで記録する因子である。1形式の選びにより因子自体は変わるが、その線形同値類である標準類は面だけで決まる。種数 $g$ に対し次数は $2g-2$ であり、標準束と因子を結ぶとともにRiemann–Rochの定理の対称性を表す。
前提知識: リーマン面, 有理型1形式, 因子, 零点の位数, 種数
以下、$X$ をコンパクトで連結な リーマン面 とする。$X$ 上の恒等的に $0$ でない 有理型1形式 $\omega$ をとる。局所座標 $z$ で
$$\omega=f(z)\,dz$$
と書き、点 $p$ における $\omega$ の位数を
$$\operatorname{ord}_p(\omega):=\operatorname{ord}_p(f)$$
と定める。正の位数は零点の重複度、負の位数は極の重複度の符号を変えたものである。この整数は局所座標の選びによらない(prop-canonical-divisor-coordinate)。
$\omega$ の零点と極の位数を並べた因子
$$\operatorname{div}(\omega):=\sum_{p\in X}\operatorname{ord}_p(\omega)\,p$$
を $\omega$ の因子という。この形の因子を $X$ の標準因子(canonical divisor)という。
標準因子 $K=\operatorname{div}(\omega)$ そのものは $\omega$ の選びによって変わる。しかし、別の恒等的に $0$ でない有理型 $1$ 形式から得られる標準因子は $K$ と線形同値である(prop-canonical-divisor-independence)。そこで因子類群における線形同値類
$$[K]\in\operatorname{Cl}(X)$$
を $X$ の標準類(canonical class)という。標準因子と標準類は区別する。
コンパクトリーマン面には恒等的に $0$ でない有理型 $1$ 形式が存在するので、標準因子は実際に存在する。例えば、非定数有理型関数 $f$ をとれば $df$ は恒等的に $0$ でない有理型 $1$ 形式である。非定数有理型関数の存在は Riemann–Rochの定理 の標準的帰結である(For81 §16–17)。
因子が有理型関数の零点と極を記録するのに対し、標準因子は有理型 $1$ 形式の零点と極を記録する。$1$ 形式自体は一意でないが、二つの $1$ 形式の比は有理型関数になる。そのため、得られる因子の差は主因子であり、「どの因子を選ぶか」は本質でなく、「どの線形同値類に属するか」が面に固有の情報になる。この標準類が Riemann–Roch の対称性を支える。
$\omega$ を $X$ 上の恒等的に $0$ でない有理型 $1$ 形式とする。点 $p$ の周りの局所座標 $z,w$ で
$$\omega=f(z)\,dz=g(w)\,dw$$
と書くと、$\operatorname{ord}_p(f)=\operatorname{ord}_p(g)$ である。
座標変換は双正則だから、$p$ の近傍で
$$g(w)=f(z(w))\frac{dz}{dw}$$
である。$dz/dw$ は $p$ で $0$ でない正則関数なので、その位数は $0$ である。位数の積に対する加法性から
$$\operatorname{ord}_p(g)=\operatorname{ord}_p(f)+\operatorname{ord}_p\!\left(\frac{dz}{dw}\right)=\operatorname{ord}_p(f)$$
を得る。したがって $\operatorname{ord}_p(\omega)$ は座標によらない。
$\omega,\eta$ を $X$ 上の恒等的に $0$ でない有理型 $1$ 形式とする。このとき、ある恒等的に $0$ でない有理型関数 $h$ が存在して
$$\eta=h\omega,\qquad \operatorname{div}(\eta)=\operatorname{div}(h)+\operatorname{div}(\omega)$$
となる。とくに二つの標準因子は線形同値であり、標準類 $[K]$ は $\omega$ の選びによらない。
$\omega$ が恒等的に $0$ でないので、各局所座標上で $\eta/\omega$ を係数の比として定められる。座標変換で両方の係数に同じ非零の Jacobian 因子が掛かるため比は一致し、大域的な有理型関数 $h:=\eta/\omega$ を与える。局所的に $\omega=f(z)\,dz$ と書けば $\eta=hf(z)\,dz$ なので
$$\operatorname{ord}_p(\eta)=\operatorname{ord}_p(h)+\operatorname{ord}_p(\omega)$$
である。すべての点で係数を集めると主張した因子の等式が得られる。$\operatorname{div}(h)$ は主因子なので、$\operatorname{div}(\eta)\sim\operatorname{div}(\omega)$ である。
$K=\operatorname{div}(\omega)$ を標準因子とする。因子 $D$ に対し
$$\mathcal O_X(D)(U):=\{f\in\mathcal M_X(U)\mid \operatorname{div}(f)|_U+D|_U\ge0\}$$
とおく約束を用いると、写像
$$\mathcal O_X(K)\longrightarrow \Omega_X^1,\qquad f\longmapsto f\omega$$
は $\mathcal O_X$-加群の層の同型である。ここで $\Omega_X^1$ は正則 $1$ 形式の層、すなわち標準束の切断の層である。
開集合 $U$ 上の有理型関数 $f$ に対し、$f\omega$ が正則であることは、すべての $p\in U$ で
$$\operatorname{ord}_p(f\omega)=\operatorname{ord}_p(f)+\operatorname{ord}_p(\omega)\ge0$$
が成り立つことと同値である。これはまさに $\operatorname{div}(f)|_U+K|_U\ge0$、すなわち $f\in\mathcal O_X(K)(U)$ という条件である。局所的に任意の正則 $1$ 形式は $f\omega$ と一意に書け、制限写像とも可換なので層の同型になる。
$X$ の種数を $g$ とする。任意の標準因子 $K$ に対し
$$\deg K=2g-2$$
が成り立つ。
この公式は Riemann–Rochの定理 の帰結である。$l(D):=\dim_{\mathbb C}L(D)$ とすると、Riemann–Roch は
$$l(D)-l(K-D)=\deg D+1-g$$
を与える。$D=0$ として $l(0)=1$ を用いると $l(K)=g$、次に $D=K$ とすると
$$g-1=\deg K+1-g$$
となり、$\deg K=2g-2$ を得る(For81 §16–17)。ここで使った Riemann–Roch 自体の証明は本記事の範囲外である。
$X=\mathbb P^1$ とし、アフィン座標を $z$ とする。有理型 $1$ 形式 $dz$ は $\mathbb C$ 上で零点も極ももたない。無限遠点の局所座標 $w=1/z$ では
$$dz=-w^{-2}\,dw$$
だから、$dz$ は無限遠点で $2$ 位の極をもつ。したがって
$$K=\operatorname{div}(dz)=-2(\infty)$$
は標準因子であり、$\deg K=-2=2\cdot0-2$ である。
$X=\mathbb C/\Lambda$ を複素トーラスとする。$\mathbb C$ 上の $dz$ は平行移動で不変なので $X$ 上の正則 $1$ 形式 $\omega$ へ降り、どの点でも $0$ にならない。よって
$$\operatorname{div}(\omega)=0$$
であり、標準類は零である。これは $g=1$ のとき $2g-2=0$ となることと整合する。
$X$ の種数が $g\ge2$ なら、$X$ 上に恒等的に $0$ でない正則 $1$ 形式 $\omega$ が存在する。$\omega$ は極をもたないので $\operatorname{div}(\omega)$ は有効な標準因子であり、thm-canonical-divisor-degree から零点の位数の総和は $2g-2$ である。つまり、正則 $1$ 形式は必ず重複度込みで $2g-2$ 個の零点をもつ。正則 $1$ 形式の空間が $g$ 次元であることは Riemann–Roch による(For81 §16–17)。
種数 $1$ の複素トーラス $X$ 上で異なる点 $p,q$ をとる。$D=p-q$ は $\deg D=0=2g-2$ を満たす。一方、ex-canonical-divisor-torus より標準類は $0$ なので、$D$ が標準因子なら $D$ は主因子でなければならない。しかし $D=\operatorname{div}(f)$ なら $f$ は $q$ に唯一の $1$ 位の極をもち、$f\colon X\to\mathbb P^1$ は次数 $1$ の正則写像となる。次数 $1$ の非定数正則写像は双正則だが、種数 $1$ の $X$ は種数 $0$ の $\mathbb P^1$ と双正則でない(For81 §4)。したがって $D$ は標準因子でない。これは
$$\deg D=2g-2\ \not\Longrightarrow\ D\text{ が標準因子}$$
を示す。次数は標準因子の必要条件だが、一般に十分条件ではない。
因子 $D$ に対し
$$L(D):=\{f\in\mathcal M(X)\mid f=0\text{ または }\operatorname{div}(f)+D\ge0\}$$
とおく。Riemann–Roch の定理は、標準因子 $K$ を用いて
$$l(D)-l(K-D)=\deg D+1-g$$
と書かれる。ここで $l(D)=\dim_{\mathbb C}L(D)$ である。$K$ を同じ標準類の別の因子に取り替えても、主因子を加えることは有理型関数の掛け算による $L(K-D)$ の同型を与えるので、式の内容は選び方によらない。
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