Riesz–Schauder理論

同義語:Riesz–Schauder theoryRiesz-Schauder理論コンパクト作用素のスペクトル理論

概要

Riesz–Schauder理論(Riesz–Schauder theory)とは、Banach 空間のコンパクト作用素 $T$ と $0$ でない $\lambda$ について、$\lambda I-T$ が有限次元の線形写像のようにふるまうことを述べるスペクトルの理論である。中心は、$\lambda I-T$ の冪の核と像が同じ有限の段で止まり、空間が有限次元の広義固有空間と $\lambda I-T$ が有界な逆をもつ閉部分空間の直和に分かれるという分解定理である。そこから $\lambda I-T$ が指数 $0$ であること、双対作用素の核の次元が等しいこと、$0$ でないスペクトルの各点が有限の代数的重複度をもつ孤立点であることが従う。実 Banach 空間では $0$ でないスペクトルが空でも作用素の冪が速く小さくならない例があり、複素の場合と異なる。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: コンパクト作用素, Banach空間, 開写像定理, Jordan標準形

固有値ごとに有限次元の塊を切り出す

$n$ 次正方行列 $T$ と固有値 $\lambda$ について、$(\lambda I-T)^k$ の核は $k$ とともに増え、やがて止まる。止まったところの核が広義固有空間で、空間全体は広義固有空間と、$\lambda I-T$ が可逆にはたらく部分空間の直和に分かれる(Jordan標準形)。
無限次元の Banach空間 の コンパクト作用素 $T$ について、$0$ でない $\lambda$ ではこの分解がそのまま成り立つ。$\lambda I-T$ の冪の核は有限の段で止まり、冪の像も同じ段で止まり、空間は有限次元の広義固有空間と、$\lambda I-T$ が有界な逆をもつ閉部分空間の直和に分かれる。この分解を中心とするコンパクト作用素のスペクトルの理論を Riesz–Schauder 理論(Riesz–Schauder theory)という。分解から、$\lambda I-T$ の核の次元と余次元が等しいこと(指数が $0$ であること)、双対作用素の核の次元も同じであること、$0$ でないスペクトルの各点が孤立していることが従う。
この記事は、コンパクト作用素 の記事の定理「Riesz–Schauderの理論」(核が有限次元、像が閉、単射と全射が同値)と定理「コンパクト作用素のスペクトル」を前提とし、その先の分解定理とその帰結を証明する。最後に、実 Banach 空間と複素 Banach 空間でスペクトルのふるまいが分かれる例を挙げる。
以下 $\mathbb K=\mathbb R$ または $\mathbb C$ とし、$E\ne\{0\}$ は $\mathbb K$ 上の Banach 空間、$L(E)$ は有界線形作用素の全体、$K(E)$ はコンパクト作用素の全体、$E^*$ は連続な線形汎関数の全体、$I$ は恒等作用素とする。$A\in L(E)$ について $\ker A$・$R(A)$ は核と像である。$T\in L(E)$ について、$\lambda I-T$ が有界な逆作用素をもつ $\lambda\in\mathbb K$ の全体を $\rho(T)$、その補集合をスペクトル $\sigma(T)$ とする。

設定と昇鎖・降鎖

この記事を通して、$T\in K(E)$、$\lambda\in\mathbb K\setminus\{0\}$ を固定し、
$$ A:=\lambda I-T,\qquad N_k:=\ker A^k,\qquad R_k:=R(A^k)\qquad(k=0,1,2,\dots) $$
とおく($A^0=I$ なので $N_0=\{0\}$、$R_0=E$)。$N_0\subset N_1\subset N_2\subset\cdots$、$R_0\supset R_1\supset R_2\supset\cdots$ である。

冪の核と像の基本性質

各 $k$ について次が成り立つ。

  1. $N_k$ は有限次元で、$R_k$ は閉じている。
  2. $T(N_k)\subset N_k$、$T(R_k)\subset R_k$、$A(N_{k+1})\subset N_k$、$A(R_k)=R_{k+1}$ である。
  3. $N_k=N_{k+1}$ なら、すべての $j\ge0$ で $N_k=N_{k+j}$ である。$R_k=R_{k+1}$ なら、すべての $j\ge0$ で $R_k=R_{k+j}$ である。

1:二項展開により $A^k=\lambda^kI-T_k$ で、$T_k$ は $T$ の正の冪の線形結合である。コンパクト作用素 の記事の定理「コンパクト作用素の全体は閉じたイデアル」により $T_k$ はコンパクトなので、同記事の定理「Riesz–Schauderの理論」の 1 と 2 を $T_k$ と $\lambda^k\ne0$ に当てればよい。
2:$T$ は $A$ と可換なので $A^k(Tx)=T(A^kx)$ から最初の二つが従う。残りは定義から明らかである。
3:$x\in N_{k+2}$ なら $Ax\in N_{k+1}=N_k$ なので $x\in N_{k+1}$ であり、$N_{k+2}=N_{k+1}$ となる。帰納法で前半が出る。後半は $R_{k+2}=A(R_{k+1})=A(R_k)=R_{k+1}$ と帰納法による。$\square$

昇鎖指数・降鎖指数と重複度

$N_k=N_{k+1}$ となる最小の $k\ge0$ を $A$ の昇鎖指数(ascent)、$R_k=R_{k+1}$ となる最小の $k\ge0$ を降鎖指数(descent)という(そのような $k$ がなければ $\infty$ とする)。昇鎖指数が $p<\infty$ のとき、$\dim N_1$ を $\lambda$ の幾何的重複度、$\dim N_p$ を代数的重複度といい、$N_p$ を $\lambda$ に属する広義固有空間という。

$\lambda$ が $T$ の固有値であることは $N_1\ne\{0\}$、すなわち昇鎖指数が $1$ 以上であることと同値である。

分解定理

Rieszの分解定理

$T\in K(E)$、$\lambda\ne0$、$A=\lambda I-T$ とする。

  1. $A$ の昇鎖指数と降鎖指数は有限で、等しい。この値を $p$ とする。
  2. $E=N_p\oplus R_p$(直和)であり、$N_p$ は有限次元、$R_p$ は閉じていて、どちらも $T$ で不変である。
  3. $A$ を $R_p$ に制限した $A|_{R_p}\colon R_p\to R_p$ は全単射で、逆作用素は有界である。$A$ を $N_p$ に制限すると $(A|_{N_p})^p=0$ である。
  4. $N_p$ への射影 $P$($x=u+v$、$u\in N_p$、$v\in R_p$ に $u$ を対応させる)は有界で、$PT=TP$ を満たす。

道具は Fredholm作用素 の記事の補題「Rieszの補題」の 1 である:ノルム空間 $V$ の閉部分空間 $U\subsetneq V$ に対し、$\|u\|=1$、$\operatorname{dist}(u,U)\ge\tfrac12$ となる $u\in V$ がある。
昇鎖指数は有限.そうでないとすると、すべての $k$ で $N_k\subsetneq N_{k+1}$ であり、$N_k$ は有限次元なので閉じている。$u_k\in N_{k+1}$、$\|u_k\|=1$、$\operatorname{dist}(u_k,N_k)\ge\tfrac12$ をとる。$m< k$ なら $Tu=\lambda u-Au$ から
$$ Tu_k-Tu_m=\lambda u_k-\bigl(Au_k+Tu_m\bigr) $$
であり、$Au_k\in N_k$、$Tu_m\in N_{m+1}\subset N_k$(lem-rs-basic の 2)なので、$\|Tu_k-Tu_m\|\ge|\lambda|\operatorname{dist}(u_k,N_k)\ge|\lambda|/2$ である。有界列 $(u_k)$ の像 $(Tu_k)$ が収束する部分列をもたないので、$T$ のコンパクト性に反する。
降鎖指数は有限.そうでないとすると、すべての $k$ で $R_{k+1}$ は $R_k$ の真の閉部分空間である。$u_k\in R_k$、$\|u_k\|=1$、$\operatorname{dist}(u_k,R_{k+1})\ge\tfrac12$ をとる。$m>k$ なら同じ式で $Au_k\in R_{k+1}$、$Tu_m\in R_m\subset R_{k+1}$ なので、$\|Tu_k-Tu_m\|\ge|\lambda|/2$ となり、やはり矛盾する。
直和分解.$r$ を昇鎖指数と降鎖指数の大きいほうとする。lem-rs-basic の 3 により、すべての $j\ge0$ で $N_{r+j}=N_r$、$R_{r+j}=R_r$ である。$x\in N_r\cap R_r$ なら $x=A^ry$ と書けて $A^{2r}y=A^rx=0$ なので $y\in N_{2r}=N_r$、$x=A^ry=0$ である。また $x\in E$ について $A^rx\in R_r=R_{2r}$ なので $A^rx=A^{2r}y$ となる $y$ があり、$x=(x-A^ry)+A^ry$ で $x-A^ry\in N_r$、$A^ry\in R_r$ である。よって $E=N_r\oplus R_r$ である。
$R_r$ 上で $A$ は全単射.$A(R_r)=R_{r+1}=R_r$ で、$\ker A\cap R_r\subset N_r\cap R_r=\{0\}$ である。
二つの指数は等しい.降鎖指数を $q$、昇鎖指数を $p$ とする。$x\in N_{q+1}$ なら $A^qx\in R_q=R_r$ かつ $A(A^qx)=0$ なので、$R_r$ 上の $A$ の単射性から $A^qx=0$、すなわち $x\in N_q$ である。よって $N_{q+1}=N_q$、$p\le q$ である。また $N_p=N_r$ なので $A^p(N_r)=\{0\}$ であり、$A^p$ は $R_r$ を $R_r$ の上へ写すから、
$$ R_p=A^p(E)=A^p(N_r)+A^p(R_r)=R_r $$
となって $q\le p$ である。したがって $p=q=r$ で、1 と 2 の直和分解が示された。$N_p$ の有限次元性と $R_p$ の閉性・不変性は lem-rs-basic の 1・2 による。
3 と 4.$R_p$ は閉部分空間なので Banach 空間であり、$A|_{R_p}$ は有界な全単射だから、開写像定理 の記事の系「有界逆写像定理」により逆は有界である。$N_p$ 上で $A^p=0$ は定義どおりである。$N_p$(有限次元なので閉)と $R_p$ はともに閉じているので、開写像定理 の記事の系「閉部分空間への直和分解の射影」により $P$ は有界である。$x=u+v$ なら $Tx=Tu+Tv$、$Tu\in N_p$、$Tv\in R_p$ なので $PTx=Tu=TPx$ である。$\square$

分解 $E=N_p\oplus R_p$ のもとで、$T$ は有限次元の $N_p$ 上の $T|_{N_p}$ と、$R_p$ 上の $T|_{R_p}$ の直和になる。$N_p$ 上では $T-\lambda I$ は冪零なので、$T|_{N_p}$ の固有値は $\lambda$ だけであり、$N_p$ の基底を選べば $T|_{N_p}$ は固有値 $\lambda$ の Jordan 細胞を並べた行列で表せる(Jordan標準形、$\mathbb K=\mathbb R$ でも固有値が $\lambda$ だけなので同じ)。$R_p$ 上では $\lambda I-T$ が可逆である。射影 $P$ を $\lambda$ に属する Riesz 射影(スペクトル射影)という。

分解からの帰結

指数と双対作用素

$T$ の双対作用素 $T^*\colon E^*\to E^*$ を $T^*\psi:=\psi\circ T$ で定める。$(\lambda I-T)^*=\lambda I-T^*$ である。

核の次元と余次元

$T\in K(E)$、$\lambda\ne0$、$A=\lambda I-T$ とする。

  1. $\dim\ker A=\dim E/R(A)$ である。すなわち $A$ は指数 $0$ の Fredholm作用素 である。
  2. $\dim\ker(\lambda I-T^*)=\dim\ker(\lambda I-T)$ である。
  3. $f\in E$ について、方程式 $Ax=f$ が解をもつことと、すべての $\psi\in\ker(\lambda I-T^*)$ について $\psi(f)=0$ となることは同値である。

1:thm-rs-decomposition の $E=N_p\oplus R_p$ と $A(R_p)=R_p$、$A(N_p)\subset N_p$ から
$$ R(A)=A(N_p)+A(R_p)=A(N_p)\oplus R_p $$
である。よって $E/R(A)$ は $N_p/A(N_p)$ と線形同型で、有限次元の $N_p$ 上の線形写像 $A|_{N_p}$ に次元定理を使うと
$$ \dim E/R(A)=\dim N_p-\dim A(N_p)=\dim\ker(A|_{N_p})=\dim(N_1\cap N_p)=\dim N_1 $$
となる($p=0$ なら両辺とも $0$)。
2:$\psi\in E^*$ について、$(\lambda I-T^*)\psi=\psi\circ A=0$ であることと $\psi$ が $R(A)$ 上で $0$ になることは同値である。$A(N_p)$ の $N_p$ での補空間 $G$ をとると、1 の式から $E=R(A)\oplus G$、$\dim G=\dim N_1$ であり、$R(A)$ と有限次元の $G$ はともに閉じている。$G$ への射影 $Q$($R(A)$ に沿う)は 開写像定理 の記事の系「閉部分空間への直和分解の射影」により有界である。$R(A)$ 上で $0$ になる $\psi\in E^*$ に $\psi|_G$ を対応させる写像は、$G$ 上の線形汎関数の空間 $G^*$ への線形同型である:単射であることは $E=R(A)\oplus G$ から、全射であることは $g\in G^*$ に対して $g\circ Q\in E^*$ が原像になることからわかる(有限次元の $G$ 上の線形汎関数は連続)。よって $\dim\ker(\lambda I-T^*)=\dim G^*=\dim G=\dim N_1$ である。
3:$f=Ax$ なら $\psi(f)=(\psi\circ A)(x)=0$ である。逆に $f\notin R(A)$ とすると、$R(A)$ は閉じているので、Hahn–Banachの定理 の記事の系「閉部分空間の外の点を検出する汎関数」により、$R(A)$ 上で $0$ かつ $\psi(f)\ne0$ となる $\psi\in E^*$ がある。2 の最初の注意により $\psi\in\ker(\lambda I-T^*)$ である。$\square$

3 は Fredholm の択一定理の形である。方程式 $x-\lambda^{-1}Tx=\lambda^{-1}f$ は、斉次方程式が自明な解しかもたなければすべての $f$ について一意に解け、そうでなければ $\dim\ker A$ 個の条件 $\psi(f)=0$ を満たす $f$ についてだけ解ける。Hilbert 空間で Hilbert 随伴を使った対応する主張(単射と全射の同値と、Hilbert 随伴 $T^\dagger$ についての $\ker(\bar\lambda I-T^\dagger)$ との次元の一致)は Fredholm作用素 の記事の系「Fredholmの択一定理」で、指数の安定性から別に証明されている。

スペクトルの各点の孤立性と重複度

0 でないスペクトルの点

$T\in K(E)$ とする。

  1. $\lambda\in\sigma(T)\setminus\{0\}$ は $\sigma(T)$ の孤立点である。すなわち $\delta>0$ があって、$0<|\mu-\lambda|<\delta$ なら $\mu\in\rho(T)$ である。
  2. $\lambda\in\sigma(T)\setminus\{0\}$ の代数的重複度は有限で、幾何的重複度以上である。
  3. $\sigma(T)\setminus\{0\}=\sigma(T^*)\setminus\{0\}$ である。

1:thm-rs-decomposition の分解 $E=N_p\oplus R_p$ を使い、$B:=(A|_{R_p})^{-1}\in L(R_p)$ とおく。$R_p=\{0\}$ なら $\delta:=\infty$、そうでなければ $\delta:=1/\|B\|$ とする。$0<|\mu-\lambda|<\delta$ とし、$c:=\mu-\lambda$ とおくと $\mu I-T=cI+A$ である。
$N_p$ 上:$A$ は冪零($A^p=0$)なので、$cI+A$ は
$$ \sum_{j=0}^{p-1}\frac{(-1)^jA^j}{c^{j+1}} $$
を逆にもつ(掛けると望遠鏡和で $I$ になる)。
$R_p$ 上:$cI+A=A(I+cB)$ で、$\|cB\|<1$ なので級数 $\sum_{n\ge0}(-cB)^n$ は $L(R_p)$ で作用素ノルムについて絶対収束し、$I+cB$ の逆を与える(Banach代数 の記事の命題「Neumann 級数」と同じ計算で、実の場合も成り立つ)。よって $cI+A$ は $R_p$ 上で全単射である。
$N_p$ と $R_p$ はともに $T$ で不変なので、$\mu I-T$ は $E=N_p\oplus R_p$ 上で全単射であり、開写像定理 の記事の系「有界逆写像定理」により $\mu\in\rho(T)$ である。
2:代数的重複度 $\dim N_p$ は lem-rs-basic の 1 により有限で、$N_1\subset N_p$ である。
3:Schauderの定理(コンパクト作用素) により $T^*\in K(E^*)$ である。コンパクト作用素 の記事の定理「コンパクト作用素のスペクトル」の 1 を $T$ と $T^*$ に当てると、$0$ でないスペクトルはどちらも固有値からなる。cor-rs-index の 2 により、$\lambda\ne0$ が $T$ の固有値であることと $T^*$ の固有値であることは同値である。$\square$

$\sigma(T)$ は有界な閉集合である($\mathbb K=\mathbb C$ では レゾルベント の記事の系「有界作用素のレゾルベント」、$\mathbb K=\mathbb R$ では Bre11 Proposition 6.7(pp. 163–164))。1 と合わせると、任意の $\varepsilon>0$ について $|\lambda|\ge\varepsilon$ の範囲の $\sigma(T)$ は孤立点だけからなるコンパクト集合なので有限集合である。これは コンパクト作用素 の記事の定理「コンパクト作用素のスペクトル」の 2 の、固有ベクトルの列を使わない別の証明になる。

自己共役の場合

自己共役なら昇鎖指数は 1 以下

$E=H$ を Hilbert 空間、$T\in K(H)$ を自己共役($\langle Tx,y\rangle=\langle x,Ty\rangle$)、$\lambda\in\mathbb R\setminus\{0\}$ とする。このとき $A=\lambda I-T$ の昇鎖指数は $0$ または $1$ であり、代数的重複度と幾何的重複度は一致する。

$\lambda$ は実数なので $A$ も自己共役である。$A^2x=0$ なら $\|Ax\|^2=\langle A^2x,x\rangle=0$ なので $Ax=0$ であり、$N_2=N_1$ である。$\square$

複素 Hilbert 空間の自己共役作用素の固有値は実数なので、$\lambda\notin\mathbb R$ なら $N_1=\{0\}$ で昇鎖指数は $0$ である。自己共役でないと、次の例のように代数的重複度は幾何的重複度より大きくなりうる。

昇鎖指数が 2 の例

$\ell^2$ の標準基底を $e_n$ とする。$\lambda\ne0$ を $\lambda\notin\{1/n:n\ge3\}$ となるようにとり、
$$ Te_1:=\lambda e_1,\qquad Te_2:=e_1+\lambda e_2,\qquad Te_n:=\tfrac1ne_n\ (n\ge3) $$
で $T\in L(\ell^2)$ を定める。$T$ は $e_1,e_2$ の張る空間の上の有限階作用素と、対角作用素 $x\mapsto(0,0,x_3/3,x_4/4,\dots)$ の和なのでコンパクトである。$A=\lambda I-T$ は $Ae_1=0$、$Ae_2=-e_1$、$Ae_n=(\lambda-\tfrac1n)e_n$ を満たし、$\lambda-\tfrac1n\ne0$ なので
$$ N_1=\operatorname{span}\{e_1\},\qquad N_2=N_3=\operatorname{span}\{e_1,e_2\} $$
である。昇鎖指数は $2$、幾何的重複度は $1$、代数的重複度は $2$ である。$|\lambda-\tfrac1n|$($n\ge3$)は $0$ から離れているので、$R_2$ は $e_n$($n\ge3$)の張る閉部分空間である。

実の場合と複素の場合

ここまでの定理は $\mathbb K=\mathbb R$ でも $\mathbb C$ でも成り立つ。違いが出るのは、$0$ でないスペクトルが空になるときである。
有限次元では、$\mathbb R^2$ の $90^\circ$ 回転は全単射で実の固有値をもたないので、スペクトルは空である。無限次元では $0\in\sigma(T)$ がいつも成り立つ(コンパクト作用素 の記事の定理「コンパクト作用素のスペクトル」の 3)が、実の場合には、$0$ でないスペクトルが空であっても作用素の冪が速く小さくなるとは限らない。

回転を並べた実のコンパクト作用素

$E$ を実数列の $\ell^2$ とし、正の数列 $a_n\to0$ をとって
$$ Tx:=(-a_1x_2,\ a_1x_1,\ -a_2x_4,\ a_2x_3,\ \dots) $$
と定める。すなわち $(x_{2n-1},x_{2n})$ の 2 成分ずつに、$a_n$ 倍した $90^\circ$ 回転を施す。

  1. $T$ はコンパクトで、$\sigma(T)=\{0\}$ である。
  2. $a:=\max_na_n$ とおくと、すべての $m\ge1$ で $\|T^m\|=a^m$ である。
  3. 同じ式で複素数列の $\ell^2$ 上の作用素とみると、$\pm ia_n$ はすべて固有値である。

1:最初の $2N$ 成分のブロックだけを残した有限階作用素 $T_N$ について $\|T-T_N\|=\sup_{n>N}a_n\to0$ なので、$T$ はコンパクトである(コンパクト作用素 の記事の定理「コンパクト作用素の全体は閉じたイデアル」の 2)。$Tx=\mu x$($\mu\in\mathbb R$)とすると、各 $n$ で $-a_nx_{2n}=\mu x_{2n-1}$、$a_nx_{2n-1}=\mu x_{2n}$ なので $(\mu^2+a_n^2)x_{2n}=0$、$(\mu^2+a_n^2)x_{2n-1}=0$ であり、$a_n>0$ から $x=0$ である。よって $T$ は($0$ も含めて)固有値をもたない。$0$ でないスペクトルは固有値からなり(同記事の定理「コンパクト作用素のスペクトル」の 1)、$E$ は無限次元なので $0\in\sigma(T)$ である。したがって $\sigma(T)=\{0\}$ である。
2:$T^m$ は $n$ 番目のブロックに $a_n^m$ 倍した $90m^\circ$ 回転を施すので、ブロックごとに $\|T^m(x_{2n-1},x_{2n})\|=a_n^m\|(x_{2n-1},x_{2n})\|$ であり、$\|T^m\|=\sup_na_n^m=a^m$ である。
3:$v_n:=e_{2n-1}\mp ie_{2n}$ とおくと、$Te_{2n-1}=a_ne_{2n}$、$Te_{2n}=-a_ne_{2n-1}$ から $Tv_n=\pm ia_n\,v_n$ である。$\square$

この例では $\sigma(T)=\{0\}$ なのに $\|T^m\|^{1/m}=a>0$ のままである。複素 Banach 空間では、スペクトルの点の絶対値の最大値は $\lim_m\|T^m\|^{1/m}$ に等しい(スペクトル半径。Banach環とC*-環のスペクトル理論 の記事の定理「スペクトルの非空性・コンパクト性とスペクトル半径公式」を Banach 環 $L(E)$ に当てたもの。この記事では証明しない)ので、$\sigma(T)=\{0\}$ なら $\|T^m\|^{1/m}\to0$ となる。実の場合にこれが崩れるのは、複素化したときに現れる固有値 $\pm ia_n$ が実数直線の上にないからである。
複素の場合でも、$0$ でない固有値がないコンパクト作用素はある。$C([0,1])$(複素数値、最大値ノルム)上の Volterra 作用素 $(Vu)(x):=\int_0^xu(y)\,dy$ はコンパクトで(コンパクト作用素 の記事の例「連続な核の積分作用素と Volterra 作用素」)、帰納法で $|V^mu(x)|\le\tfrac{x^m}{m!}\|u\|$ となるので $\|V^m\|\le1/m!$、$\|V^m\|^{1/m}\to0$ である。$Vu=\mu u$($\mu\ne0$)なら $u=\mu^{-1}Vu$ は $C^1$ 級で $u'=u/\mu$、$u(0)=0$ を満たすので $u=0$ である。$0$ でないスペクトルは固有値からなり、$0\in\sigma(V)$ なので、$\sigma(V)=\{0\}$ となる。こちらは冪が実際に速く小さくなる。

仮定を外すと成り立たなくなること

外す条件反例成り立たなくなること
$T$ のコンパクト性(thm-rs-decomposition の 1)$\ell^2$ の左シフト $L$ について $T=I+L$、$\lambda=1$$N_k=\operatorname{span}\{e_1,\dots,e_k\}$ は真に増え続け、昇鎖指数が $\infty$
$\lambda\ne0$(同)$\ell^2$ 上の $Tx=(x_n/n)_n$、$\lambda=0$$R_k=R(T^k)$ は真に減り続け、降鎖指数が $\infty$
自己共役性(prop-rs-selfadjoint)ex-rs-jordan の $T$昇鎖指数が $2$ で、代数的重複度 $2$ が幾何的重複度 $1$ より大きい
反例の確かめ
確かめを開く

1 行目:$L(x_1,x_2,\dots):=(x_2,x_3,\dots)$ とすると $A=I-T=-L$ で、$L^k$ は最初の $k$ 成分を消すので $\ker A^k=\operatorname{span}\{e_1,\dots,e_k\}$ である。$T$ は $Te_n=e_n+e_{n-1}$($n\ge2$)を満たし、$|n-m|\ge2$ なら $\|Te_n-Te_m\|=2$ なのでコンパクトでない。

2 行目:$A=-T$ である。$x:=(1/n)_n\in\ell^2$ について $T^kx=(1/n^{k+1})_n\in R_k$ だが、$T^{k+1}y=T^kx$ なら $y_n=1$(すべての $n$)となり $y\notin\ell^2$ なので、$T^kx\notin R_{k+1}$ である。

文献

文献

Riesz の補題、Fredholm の択一定理(核の次元の一致を含む)、コンパクト作用素のスペクトルの構造は Bre11 §6.2–6.3(Lemma 6.1(p. 160)、Theorem 6.6(pp. 160–162)、Theorem 6.8・Lemma 6.2(pp. 164–165)、Remark 7(p. 165))にある。実の空間でスペクトルが空になりうることと複素の場合との違いは同 Remark 6(p. 163)と §11.4(pp. 366–367)に述べられている。昇鎖指数と重複度は同 Comments 3(p. 169)に説明があり、thm-rs-decomposition の内容と自己共役の場合の主張は同 Problem 36(pp. 489–490)として問題の形で挙げられている。この記事の分解定理と、そこから指数 $0$・双対作用素の核の次元・孤立性を導く証明は、記事の中で直接与えたものである。ex-rs-real-rotation は、同 Remark 6 の非コンパクトな作用素 $(-u_2,u_1,-u_4,u_3,\dots)$ に係数 $a_n\to0$ を付けてコンパクトにしたものである。

関連項目

参考文献

[1]
Haim Brezis, Functional Analysis, Sobolev Spaces and Partial Differential Equations, Springer, 2011, Chapter 6:Lemma 6.1(p. 160)、Theorem 6.6(pp. 160–162)、Remark 6・Proposition 6.7(pp. 163–164)、Theorem 6.8・Lemma 6.2(pp. 164–165)、Remark 7(p. 165)、Comments 3(p. 169)。§11.4(pp. 366–367)。Problem 36(pp. 489–490)

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