リッチの恒等式と可積分条件

概要

リーマン多様体上のテンソル場に対する恒等式であるリッチの恒等式はある種の微分方程式に対する可積分条件として機能することを解説する。

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リッチの恒等式

$(M,g)$ をリーマン多様体とする。
$g$ に関するリーマン接続を $\nabla$ とする。
このとき、リーマン曲率テンソル$R(X,Y)Z=\nabla_X\nabla_YZ-\nabla_Y\nabla_XZ-\nabla_{[X,Y]}Z$ とする。
適当なチャートに関する成分を $R(X,Y)Z=R^a_{bcd}X^cY^dZ^b\partial_a$ と定義する。
定義より、$\nabla_a\nabla_bX^c-\nabla_b\nabla_aX^c=R^c_{dab}X^d$ である。
一般のテンソル場に対する共変微分の交換子に関してこれと類似の恒等式が成り立つ(リーマン曲率テンソル参照)。

Ricciの恒等式

一般のテンソル場に対する共変微分の交換子は曲率テンソルで表され、以下の恒等式が成り立つ。
$$ \begin{aligned} (1)& \nabla_i\nabla_j f-\nabla_j\nabla_i f=0\\ (2)& \nabla_i\nabla_j u_k -\nabla_j\nabla_i u_k=-R^a_{kij}u_a\\ (3)& \nabla_i\nabla_jT^k_l-\nabla_i\nabla_jT^k_l=R^k_{aij}T^a_l-R^a_{lij}T^k_a \end{aligned} $$
より高階のテンソル場に対しても $(3)$ と同様な式が成り立つ。

これらRicciの恒等式はテンソル場に対して常に成り立つが、逆にこれらの式を満たすならばテンソル場として存在できるという可積分条件としても使うことができることを以下に述べる。

ある偏微分方程式に関する事実

$\mathbb{R}^{n+m}$ の領域 $D$ で定義された関数 $f^i_a(x^1,\cdots,x^n,y^1,\cdots,y^m),\ (i=1,\cdots,m,\ a=1,\cdots,n)$ に対して、偏微分方程式
$$ \frac{\partial y^i}{\partial x^a}=f^i_a(x^1,\cdots,x^n,y^1,\cdots,y^m) $$
を考える。この偏微分方程式は点$(x^a_0,y^i)\in D$に関する初期条件$y^i(x_0)=y_0^i$に対して少なくとも一つの解が存在すれば完全積分可能であると言われる。偏微分方程式論により解が存在するならば一意的であり、完全積分可能であるための必要十分条件は
$$ \frac{\partial}{\partial x^b}\frac{\partial y^i}{\partial x^a}-\frac{\partial}{\partial x^a}\frac{\partial y^i}{\partial x^b}=\frac{\partial f^i_a}{\partial x^b}+\frac{\partial f^i_a}{\partial y^j}f^j_b-\frac{\partial f^i_b}{\partial x^a}-\frac{\partial f^i_b}{\partial y^j}f^j_a=0 $$
が成り立つことである。

可積分条件としてのリッチの恒等式

 リーマン多様体$(M,g)$の開集合$(U,\{x^a\})$において、ベクトル場$Y$の各成分を未知関数$y^i=Y^i(x^a)$と見なして方程式
$$ \frac{\partial y^i}{\partial x^a}=f^i_a(x^a,y^i),\ (1\le a,i\le n) $$
を考えよう。これが完全積分可能であるための必要十分条件は
\begin{align} &\frac{\partial}{\partial x^b}\frac{\partial y^i}{\partial x^a}-\frac{\partial}{\partial x^a}\frac{\partial y^i}{\partial x^b}=\frac{\partial}{\partial x^b}\nabla_aY^i-\frac{\partial}{\partial x^b}(\Gamma^i_{aj}Y^j)-(a,b入れ替え)\\ =&\nabla_b\nabla_aY^i-\Gamma^i_{bj}\nabla_aY^j+\Gamma_{ba}^c\nabla_cY^i-\frac{\partial}{\partial x^b}(\Gamma^i_{aj}Y^j)-(a,b入れ替え)\\ =&\nabla_b\nabla_aY^i-\Gamma^i_{bj}\partial_aY^j-\Gamma^i_{bj}\Gamma_{ac}^jY^c\\ &+\Gamma_{ba}^c\partial_cY^i+\Gamma_{ba}^c\Gamma^i_{cj}Y^j-\partial_b\Gamma^i_{aj}Y^j -\Gamma^i_{aj}\partial_bY^j-(a,b入れ替え)\\ =&\nabla_b\nabla_aY^i-\Gamma^i_{bj}\Gamma_{ac}^jY^c-\partial_b\Gamma^i_{aj}Y^j\\ &-\Gamma^i_{bj}\partial_aY^j-\Gamma^i_{aj}\partial_bY^j-(a,b入れ替え)\\ =&\nabla_b\nabla_aY^i-\nabla_a\nabla_bY^i-R^i_{jba}Y^j=0 \end{align}
である。すなわちリッチの恒等式が成り立つことが必要十分条件であることが分かった。よりコベクトル場や高階のテンソル場に対しても同様である。

定曲率空間における可積分性

$(M,g)$$n$次元定曲率リーマン多様体とする。このとき方程式
$$ \nabla_aX_b=kg_{ab}+X_aX_b,\ R=\frac{k}{n(n+1)} $$
を満たすベクトル場$X$が存在することを示そう。

このような$X$が存在するためにはこの方程式が積分可能であればよいから、
\begin{align} \nabla_a\nabla_bX_c-\nabla_b\nabla_aX_c=-R^d_{~cab}X_d \end{align}
を満たせばよい。
\begin{align} &\nabla_a\nabla_bX_c-\nabla_b\nabla_aX_c=\nabla_a(kg_{bc}+X_bX_c)-(a,b入れ替え)\\ =&\nabla_a(X_bX_c)-(a,b入れ替え)\\ =&(\nabla_aX_b)X_c+X_b\nabla_aX_c-(a,b入れ替え)\\ =&(kg_{ab}+X_aX_b)X_c+X_b(kg_{ac}+X_aX_c)-(a,b入れ替え)\\ =&kX_bg_{ac}-kX_ag_{bc}=k(g_{ac}X_b-g_{bc}X_a) \end{align}
であり、また定曲率空間であるから
$$ R^d_{cab}=k(g_{bc}\delta^d_a-g_{ac}\delta^d_b) $$
に注意すると可積分条件が成り立っていることが分かる。