t構造

概要

t構造(t-structure)とは、三角圏の対象を「次数が非正の部分」と「次数が非負の部分」に分類する二つの充満部分圏の組であって、互いに直交し、任意の対象がその二種類の部分から一意的に組み立てられるという公理を満たすもののことをいう。標準的なt構造の心(heart)はもとのアーベル圏を復元し、これをずらしたt構造の心として偏屈層の圏が定義される。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: , アーベル圏, 零対象, 複体とホモロジー, 三角圏, 導来圏

定義

t構造

三角圏 $(\mathcal D,\Sigma,\{\text{距離三角}\})$t構造(t-structure)とは、充満部分圏の組 $(\mathcal D^{\le0},\mathcal D^{\ge0})$ であって、$\mathcal D^{\le n}:=\Sigma^{-n}\mathcal D^{\le0}$$\mathcal D^{\ge n}:=\Sigma^{-n}\mathcal D^{\ge0}$ とおくとき、次を満たすもののことをいう。
(t1) $X\in\mathcal D^{\le0}$$Y\in\mathcal D^{\ge1}$ ならば $\operatorname{Hom}_{\mathcal D}(X,Y)=0$
(t2) $\mathcal D^{\le0}\subset\mathcal D^{\le1}$ かつ $\mathcal D^{\ge1}\subset\mathcal D^{\ge0}$
(t3) 任意の $X\in\mathcal D$ に対し、$A\in\mathcal D^{\le0}$$B\in\mathcal D^{\ge1}$ となる距離三角 $A\to X\to B\to\Sigma A$ が存在する。

切断関手と心

def-t-structureのもとで、(t3)の対象 $A$$B$$X$ から(自然同型を除いて)一意に定まり((t1)により定まる直交性のため)、それぞれ $\tau_{\le0}X:=A$$\tau_{\ge1}X:=B$ と書く(これらは関手になる、標準的な事実として認める)。一般に $\tau_{\le n}:=\Sigma^{-n}\tau_{\le0}\Sigma^n$$\tau_{\ge n}:=\Sigma^{-n}\tau_{\ge0}\Sigma^n$ とおき、切断関手(truncation functor)という。充満部分圏
$$ \mathcal D^\heartsuit:=\mathcal D^{\le0}\cap\mathcal D^{\ge0} $$
を、このt構造の(heart)という。$X\in\mathcal D$ に対し
$$ H^n(X):=\tau_{\le0}\tau_{\ge0}(\Sigma^nX)\in\mathcal D^\heartsuit $$
と定め、$H^n\colon\mathcal D\to\mathcal D^\heartsuit$ を(このt構造に関する)コホモロジー関手という。

直感

t構造は、三角圏という「加法圏に毛が生えた」構造の中に、アーベル圏を人為的に取り出すための枠組みである。公理(t1)は「次数が低いものから次数が高いものへの射は存在しない」という直交性を、公理(t3)は「任意の対象は、次数が非正の部分と次数が正の部分の"貼り合わせ"として一意に分解する」という完全性を述べている。これはちょうど、複体をその切断(次数ごとに切り取ったもの)で近似する操作を公理化したものであり、実際導来圏 $D(\mathcal A)$ には、複体をコホモロジーの次数で切る標準t構造(standard t-structure)
$$ D(\mathcal A)^{\le0}:=\{X_\bullet\mid H^n(X_\bullet)=0\ (n>0)\},\qquad D(\mathcal A)^{\ge0}:=\{X_\bullet\mid H^n(X_\bullet)=0\ (n<0)\} $$
が定まり、その心はもとのアーベル圏 $\mathcal A$(次数 $0$ に集中した複体全体)に一致する(証明は本記事では割愛する)。
t構造の理論の最も重要な帰結は、心 $\mathcal D^\heartsuit$ が常にアーベル圏になるという定理(BBDの定理、本記事では証明を割愛する)である。この定理により、三角圏の中に(標準t構造とは異なる)別のt構造を見つけることは、その三角圏の中に新しいアーベル圏を発見することと同じ意味を持つ。層の導来圏の上に標準t構造とは異なる中間次元perverse t構造を導入して得られる心が、まさに次に扱う偏屈層の圏である。

性質

t構造の二つの部分圏の共通部分は零対象に限る

def-t-structureのもとで、$\mathcal D^{\le0}\cap\mathcal D^{\ge1}$ に属する対象は、すべて零対象に同型である。

$Z\in\mathcal D^{\le0}\cap\mathcal D^{\ge1}$ とする。公理(t1)を $X=Z\in\mathcal D^{\le0}$$Y=Z\in\mathcal D^{\ge1}$ に適用すると、$\operatorname{Hom}_{\mathcal D}(Z,Z)=0$、すなわち $Z$ の自己準同型は零射しか存在しない。とくに $\operatorname{id}_Z=0_{Z,Z}$ である。
任意の対象 $W$ と射 $f\colon Z\to W$ に対し、$f=f\circ\operatorname{id}_Z=f\circ0_{Z,Z}=0_{Z,W}$(零射の吸収性)であるから、$\operatorname{Hom}_{\mathcal D}(Z,W)=\{0\}$。同様に任意の $g\colon W\to Z$ に対し $g=\operatorname{id}_Z\circ g=0_{Z,Z}\circ g=0_{W,Z}$ であるから $\operatorname{Hom}_{\mathcal D}(W,Z)=\{0\}$。ゆえに $Z$ は始対象かつ終対象、すなわち零対象である。$\blacksquare$

導来圏の標準t構造

アーベル圏 $\mathcal A$導来圏 $D(\mathcal A)$ において、直感の節で述べた標準t構造の心は、次数 $0$ に集中した複体全体からなる充満部分圏であり、これは導来圏の性質(アーベル圏の導来圏への埋め込み)により $\mathcal A$ 自身と同一視できる。このt構造のコホモロジー関手 $H^n\colon D(\mathcal A)\to\mathcal A$ は、複体とホモロジーで導入した通常のホモロジー関手(の導来圏への分解)に一致する。

t構造の非一意性

一つの三角圏に対し、t構造は一般に複数存在し得る。標準t構造以外のt構造を選ぶと、その心は $\mathcal A$ そのものとは異なるアーベル圏になり得る。偏屈層の理論は、$D^b(X)$$X$ は複素多様体やスキーム)に標準とは異なる「中間次元」のt構造を構成し、その心として、通常の層の圏よりも扱いやすい性質(自己双対性など)を持つアーベル圏を得る、という着想に基づく。

関連項目