始対象

概要

始対象(initial object)とは、圏のどの対象へもただ一つの射を持つ対象である。空集合や零ベクトル空間が代表例で、存在すれば一意な同型を除いて一つに定まる。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 圏、射、同型射

定義

圏では対象の内部構造だけでなく、他の対象へ向かう射の性質によって対象を指定できる。

始対象

圏 $\mathcal C$ の対象 $0$ が始対象(initial object)であるとは、任意の対象 $X$ に対して射 $0\to X$ がただ一つ存在することをいう。局所小圏では、これは
$$ \operatorname{Hom}_{\mathcal C}(0,X)\cong\{*\} $$
がすべての $X$ で成り立つという条件である。局所小とは、各対象対の射全体が集合になることをいう。

記号 $0$ は指定した対象の略記であり、数の零や空集合と常に同じものではない。存在は圏ごとに確かめる必要がある。標準的な定義と例は Rie16 §1.6による。

直感

始対象からの射を作るには、選択を加える必要がない。集合なら何も入っていない集合からの関数、ベクトル空間なら零ベクトルだけの空間からの線形写像がその例である。
「任意の対象へ少なくとも一本射がある」だけの対象は弱始対象という。一意性を要求しない点が始対象との違いである。

例と反例

集合の圏

集合と関数の圏 $\mathbf{Set}$ では $\emptyset$ が始対象である。空集合から $X$ への関数のグラフは空集合しかない。特に $X=\emptyset$ の場合も一本の関数、すなわち恒等関数がある。

ベクトル空間の圏

体 $k$ 上のベクトル空間と線形写像の圏では、零ベクトル空間が始対象である。線形写像は零ベクトルを零ベクトルへ送るので、零空間からの線形写像は一つに決まる。同じ零空間は終対象でもある。

半順序集合の最小元

半順序集合 $(P,\leq)$ を、$x\leq y$ のときだけ射 $x\to y$ が一つある圏とみなす。始対象は全 $y$ について $x\leq y$ となる最小元である。「それより小さい異なる元がない」という極小元だけでは足りない。

始対象が終対象でない例

単位的環の圏 $\mathbf{Ring}$ では整数環 $\mathbb Z$ が始対象である。しかし終対象ではない。終対象は零環($1=0$ となる環)であり、たとえば $\mathbb Z/2\mathbb Z$ から $\mathbb Z$ への環準同型は存在しない($1$ の像は $1$ となるが、$2\cdot1=0$ の像が $0$ にならない)。位相空間の圏 $\mathbf{Top}$ では空集合を台とする空空間が始対象である。空空間から任意の空間への連続写像は空写像ただ一つだが、空空間は終対象ではない。終対象は一点空間であり、一点空間から空空間への連続写像は存在しない。

反例:弱始対象から始対象は従わない

非空集合と関数の圏では、一点集合から任意の対象への関数が存在する。しかし二点集合への関数は二つあるので、一点集合は始対象ではない。さらに、任意の非空集合 $I$ から二点集合への二つの定値関数が異なるため、この圏には始対象がない。

性質と証明

始対象の一意性

二つの始対象の間にはただ一つの同型射がある。

往復の合成

$0,0'$ を始対象とし、唯一の射 $u:0\to0'$ と $v:0'\to0$ を取る。$0$ から $0$ への射は一つなので $vu=\operatorname{id}_0$。同様に $uv=\operatorname{id}_{0'}$。従って $u$ は同型であり、そもそも射が一つしかないため同型も一意である。

余積の単位

$0$ が始対象なら、任意の $X$ に対する余積 $0\amalg X$ は存在し、$X$ で表せる。ここで二対象の余積とは、各対象からの二本の射を受け取り、それらと可換に任意の対象へ一意に写せる対象である。

普遍性を直接確認する

$0\to X$ を唯一の射、$X\to X$ を恒等射とする。任意の $a:0\to Y$、$b:X\to Y$ に対して、候補 $X$ から $Y$ への射は $b$ と取ればよい。$0$ からの二つの合成は始対象性により一致し、$X$ からの合成条件が射を $b$ に固定する。従って余積の普遍性を満たす。

空の図式の余極限(圏論)も始対象である。空図式への余錐には脚がないため、余錐の圏はもとの圏となり、その始対象を求めることになる。

豊穣圏・∞圏との接続

Homが集合ではなくモノイダル圏 $\mathcal V$ の対象である豊穣圏では、豊穣的な始対象には各Hom対象 $\mathcal A(0,X)$ が $\mathcal V$ の終対象となる条件を使う。これは、単位対象からの射が一つであるという台の通常圏の条件より一般に強い。対象の内部情報まで保存する条件だからである(Kel82 §3.1)。
∞-圏では $\operatorname{Map}(0,X)$ がすべて可縮な空間となることを要求する。通常圏の脈体では写像空間が離散Homなので、可縮性は「ただ一つの射」に戻る。ホモトピー類が一つという条件だけには弱められない。専用稿は「始対象(∞圏)」(HTT09 §1.2.12の双対)。

関連項目

参考文献

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