行列の演算(高校数学)

同義語:matrix operations (high school mathematics)

概要

行列の演算(matrix operations)とは、数を長方形に並べた行列の和・実数倍・積の計算規則と、その性質のことである。和は同じ位置の成分どうしの和、積 $AB$ は $A$ の列の数と $B$ の行の数が等しいときに限り、$(i,k)$ 成分を $\sum_j a_{ij}b_{jk}$($A$ の第 $i$ 行と $B$ の第 $k$ 列の内積)として定める。積は結合法則と分配法則を満たすが、一般に $AB\ne BA$ であり、$O$ でない 2 つの行列の積が $O$ になることもある。2 次正方行列 $A=\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix}\ne O$ は、$ad-bc\ne0$ なら逆行列をもち、$ad-bc=0$ なら $O$ でない行列と掛けて $O$ になる零因子で、その一方だけが起こる。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 総和記号, ベクトルの内積(高校数学)

高校での出発点:表の計算

数を長方形に並べた表は、身近なところに多くある。表どうしを足したり、表と表を組み合わせて新しい表を作ったりする計算を、決まった規則で行えるようにしたものが 行列 の計算である。まず、表の計算を 2 つ見る。

2 週間分の個数を足す

2 つの店(店 1、店 2)で、3 種類の商品(パン、おにぎり、弁当)が売れた個数を、1 週目と 2 週目に分けて表にする。

1 週目パンおにぎり弁当
店 1$3$$5$$2$
店 2$4$$1$$6$
2 週目パンおにぎり弁当
------------
店 1$2$$4$$1$
店 2$3$$0$$5$

2 週間の合計は、同じ場所どうしを足した表になる。店 1 のパンは $3+2=5$、店 2 の弁当は $6+5=11$ などで
$$ \begin{pmatrix}3&5&2\\4&1&6\end{pmatrix}+\begin{pmatrix}2&4&1\\3&0&5\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}5&9&3\\7&1&11\end{pmatrix} $$
である。1 週目の個数がそのまま 2 倍に増えたら、各場所を 2 倍した表 $\begin{pmatrix}6&10&4\\8&2&12\end{pmatrix}$ になる。

個数の表と値段の表から売上の表を作る

ex-mop-sum-table の 1 週目の個数の表を $A$ とする。商品 1 個あたりの価格と利益(円)が次の表 $P$ のとおりだとする。

価格利益
パン$120$$30$
おにぎり$80$$20$
弁当$150$$40$

店 1 の売上は、店 1 の個数($A$ の第 1 行 $3,5,2$)と各商品の価格($P$ の第 1 列 $120,80,150$)を、先頭から順に掛けて足したもので
$$ 3\times120+5\times80+2\times150=360+400+300=1060 $$
円である。店 1 の利益は、同じ第 1 行と $P$ の第 2 列(利益)から $3\times30+5\times20+2\times40=90+100+80=270$ 円である。店 2 についても、$A$ の第 2 行 $4,1,6$ を使って、売上 $4\times120+1\times80+6\times150=480+80+900=1460$ 円、利益 $4\times30+1\times20+6\times40=120+20+240=380$ 円となる。結果を表にすると
$$ \begin{pmatrix}3&5&2\\4&1&6\end{pmatrix}\begin{pmatrix}120&30\\80&20\\150&40\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1060&270\\1460&380\end{pmatrix} $$
である(図1)。左の表の「行」と右の表の「列」を組み合わせて 1 つの数を作る。これが行列の積である。

個数の表 !FORMULA[36][36647][0] と価格・利益の表 !FORMULA[37][37112][0] から売上・利益の表 !FORMULA[38][1137457][0] を作る計算。!FORMULA[39][1137457][0] の左上の数は、!FORMULA[40][36647][0] の第 1 行(青)と !FORMULA[41][37112][0] の第 1 列(赤)を先頭から順に掛けて足したものであることを見る図。 個数の表 $A$ と価格・利益の表 $P$ から売上・利益の表 $AP$ を作る計算。$AP$ の左上の数は、$A$ の第 1 行(青)と $P$ の第 1 列(赤)を先頭から順に掛けて足したものであることを見る図。
2 つの例から、次の問いが出てくる。

  1. 足し算と掛け算は、どんな規則で定めるのがよいか。掛け算ができるのはどんなときか。→ def-mop-sum、def-mop-product
  2. 数の掛け算の決まり($(ab)c=a(bc)$、$ab=ba$ など)は、行列でも成り立つか。→ thm-mop-associative、ex-mop-noncommutative
  3. 数では $ab=0$ なら $a=0$ か $b=0$ である。行列でもそうか。→ ex-mop-nilpotent、ex-mop-zero-product
  4. 行列で「割り算」はできるか。→ def-mop-inverse、thm-mop-inverse-or-zero-divisor
    この記事では、行列の和と積を定義し(def-mop-sum、def-mop-product)、積が結合法則と分配法則を満たすことを証明する(thm-mop-associative)。そのうえで、数の計算との 2 つの大きな違い、すなわち積の順序を変えられないことと、$O$ でない 2 つの行列の積が $O$ になりうることを調べ、2 行 2 列の行列が「逆行列をもつ」か「掛けて $O$ になる相手をもつ」かのどちらか一方であることを示す(thm-mop-inverse-or-zero-divisor)。
    手で行う計算この記事での言葉ボックス
    同じ場所どうしを足す行列の和def-mop-sum
    行と列を掛けて足す行列の積def-mop-product
    計算の順序を変えても同じ結合法則・分配法則thm-mop-associative
    $AB$ と $BA$ は違う積の非可換性ex-mop-noncommutative
    割り算の代わり逆行列と $ad-bc$thm-mop-inverse-or-zero-divisor

行列と和・実数倍

行列と成分

$m$ 個の行と $n$ 個の列に、$mn$ 個の実数を長方形に並べて括弧でくくったものを、$m\times n$ 行列($m$ 行 $n$ 列の行列)という。上から $i$ 番目の行(第 $i$ 行)と左から $j$ 番目の列(第 $j$ 列)の交わる位置の数を $(i,j)$ 成分 という。行列 $A$ の $(i,j)$ 成分を $a_{ij}$ と書き、$A=(a_{ij})$ とも書く。

  • 行の数と列の数が等しい $n\times n$ 行列を $n$ 次正方行列 という(正方行列)。
  • すべての成分が $0$ の行列を 零行列 といい、$O$ と書く(零行列)。
  • 2 つの行列 $A$、$B$ は、行の数も列の数も同じで、すべての $(i,j)$ について $a_{ij}=b_{ij}$ のとき 等しい といい、$A=B$ と書く。
行列の成分を読む
  1. $A=\begin{pmatrix}3&5&2\\4&1&6\end{pmatrix}$ は $2\times3$ 行列である。$(1,2)$ 成分は第 1 行と第 2 列の交わる位置の $a_{12}=5$、$(2,3)$ 成分は $a_{23}=6$ である。ex-mop-sales では、$a_{ij}$ は「店 $i$ で商品 $j$ が売れた個数」を表す。
  2. $\begin{pmatrix}1&2\\3&4\end{pmatrix}$ と $\begin{pmatrix}1&3\\2&4\end{pmatrix}$ は、同じ数を使っているが、$(1,2)$ 成分が $2$ と $3$ で違うので、等しくない。
行列の和・差・実数倍

$A=(a_{ij})$、$B=(b_{ij})$ を同じ型(ともに $m\times n$)の行列、$k$ を実数とする。
$$ A+B:=(a_{ij}+b_{ij}),\qquad A-B:=(a_{ij}-b_{ij}),\qquad kA:=(ka_{ij}) $$
と定める。つまり、和・差は同じ位置の成分どうしの和・差、実数倍は各成分の $k$ 倍である。型の違う行列の和は定めない。

和と実数倍は成分ごとの計算なので、数の足し算の性質がそのまま成り立つ。同じ型の行列 $A,B,C$ と実数 $k,l$ について、$A+B=B+A$、$(A+B)+C=A+(B+C)$、$A+O=A$、$A+(-1)A=O$、$k(A+B)=kA+kB$、$(k+l)A=kA+lA$ である。どれも、両辺の $(i,j)$ 成分を比べると、数の計算の法則(たとえば $a_{ij}+b_{ij}=b_{ij}+a_{ij}$)そのものになる。

行列の積

ex-mop-sales の計算を、一般の形で定める。

行列の積の定め方

$A=(a_{ij})$ を $m\times n$ 行列、$B=(b_{jk})$ を $n\times p$ 行列とする($A$ の列の数と $B$ の行の数が等しい)。$m\times p$ 行列 $AB$ を、その $(i,k)$ 成分が
$$ (AB)_{ik}:=a_{i1}b_{1k}+a_{i2}b_{2k}+\dots+a_{in}b_{nk}=\sum_{j=1}^{n}a_{ij}b_{jk} $$
であるものとして定め、$A$ と $B$ の 積 という。$A$ の列の数と $B$ の行の数が異なるときは、積 $AB$ を定めない。

$(AB)_{ik}$ は、$A$ の第 $i$ 行 $(a_{i1},\dots,a_{in})$ と $B$ の第 $k$ 列 $(b_{1k},\dots,b_{nk})$ を先頭から順に掛けて足したものである。2 つを $n$ 個の成分をもつベクトルと見ると、これは内積であり、$n=2,3$ のときは ベクトルの内積(高校数学) の成分による内積の式と同じ形である。$A$ の列の数と $B$ の行の数が等しいという条件は、掛け合わせる 2 つの並びの長さがそろっていることを言っている。

積を計算する
  1. 2 次正方行列どうし。$A=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&0\\3&1\end{pmatrix}$ とする。
    $$ AB=\begin{pmatrix}1\cdot1+2\cdot3&1\cdot0+2\cdot1\\0\cdot1+1\cdot3&0\cdot0+1\cdot1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}7&2\\3&1\end{pmatrix}. $$
    たとえば $(1,1)$ 成分は、$A$ の第 1 行 $(1,2)$ と $B$ の第 1 列 $(1,3)$ から $1\cdot1+2\cdot3=7$ である。
  2. $2\times3$ 行列と $3\times1$ 行列。
    $$ \begin{pmatrix}1&2&3\\4&5&6\end{pmatrix}\begin{pmatrix}7\\8\\9\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1\cdot7+2\cdot8+3\cdot9\\4\cdot7+5\cdot8+6\cdot9\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}50\\122\end{pmatrix}. $$
    結果は $2\times1$ 行列である。$(m\times n)(n\times p)$ の積は $m\times p$ 行列になる。
  3. 積が定まらない場合。$\begin{pmatrix}7\\8\\9\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&2&3\\4&5&6\end{pmatrix}$ は、左の行列の列の数 $1$ と右の行列の行の数 $2$ が違うので、定めない。2 のように順序を逆にすると定まる。

なぜ積をこのように定めるのか。もう 1 つの理由は、1 次式の代入である。

1 次式を代入すると積が現れる

$u,v$ が $x,y$ の 1 次式で $u=2x+y$、$v=x+3y$ と表され、さらに $x,y$ が $s,t$ の 1 次式で $x=s-t$、$y=2s+t$ と表されているとする。$u,v$ を $s,t$ で表すと
$$ u=2(s-t)+(2s+t)=4s-t,\qquad v=(s-t)+3(2s+t)=7s+2t $$
である。係数だけを並べると、$u,v$ を $x,y$ で表す係数は $\begin{pmatrix}2&1\\1&3\end{pmatrix}$、$x,y$ を $s,t$ で表す係数は $\begin{pmatrix}1&-1\\2&1\end{pmatrix}$、$u,v$ を $s,t$ で表す係数は $\begin{pmatrix}4&-1\\7&2\end{pmatrix}$ である。一方、積を計算すると
$$ \begin{pmatrix}2&1\\1&3\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&-1\\2&1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}2+2&-2+1\\1+6&-1+3\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}4&-1\\7&2\end{pmatrix} $$
で、一致する。「代入してまとめる」計算が、ちょうど行列の積になっている。
実際、$u$ の式の $s$ の係数 $4$ は、「$u$ の $x$ の係数 $2$」×「$x$ の $s$ の係数 $1$」+「$u$ の $y$ の係数 $1$」×「$y$ の $s$ の係数 $2$」である。これは、左の行列の第 1 行と右の行列の第 1 列の内積である。

1 次式の代入は、平面の点を点に移す 1 次変換の合成でもある。この見方は 1次変換と行列式:面積の拡大率 で扱う。

主定理 1:結合法則と分配法則

数の掛け算では $(ab)c=a(bc)$ なので、括弧を省いて $abc$ と書ける。行列の積でも同じことが成り立つ。

行列の積の結合法則と分配法則

積が定まる型の行列 $A,B,C$ と実数 $k$ について、次が成り立つ。

  1. (結合法則)$A$ が $m\times n$、$B$ が $n\times p$、$C$ が $p\times q$ のとき、$(AB)C=A(BC)$。
  2. (分配法則)$A$ が $m\times n$、$B,C$ が $n\times p$ のとき、$A(B+C)=AB+AC$。$A,B$ が $m\times n$、$C$ が $n\times p$ のとき、$(A+B)C=AC+BC$。
  3. (実数倍)$A$ が $m\times n$、$B$ が $n\times p$ のとき、$(kA)B=k(AB)=A(kB)$。
成分を和の形に書いて比べる

方針:両辺の $(i,l)$ 成分を、積の定義(def-mop-product)で和の形に書き、同じ数の和になっていることを確かめる。
段 1(左辺の成分)。$AB$ は $m\times p$ 行列で、その $(i,k)$ 成分は $\sum_{j=1}^{n}a_{ij}b_{jk}$ である。これと $C$ の積 $(AB)C$ の $(i,l)$ 成分は、$AB$ の第 $i$ 行と $C$ の第 $l$ 列から
$$ \bigl((AB)C\bigr)_{il}=\sum_{k=1}^{p}(AB)_{ik}\,c_{kl}=\sum_{k=1}^{p}\Bigl(\sum_{j=1}^{n}a_{ij}b_{jk}\Bigr)c_{kl}=\sum_{k=1}^{p}\sum_{j=1}^{n}a_{ij}b_{jk}c_{kl} $$
である。最後の等号では、括弧の中の各項に $c_{kl}$ を掛けた(数の分配法則)。
段 2(右辺の成分)。$BC$ の $(j,l)$ 成分は $\sum_{k=1}^{p}b_{jk}c_{kl}$ なので、同じように
$$ \bigl(A(BC)\bigr)_{il}=\sum_{j=1}^{n}a_{ij}(BC)_{jl}=\sum_{j=1}^{n}a_{ij}\Bigl(\sum_{k=1}^{p}b_{jk}c_{kl}\Bigr)=\sum_{j=1}^{n}\sum_{k=1}^{p}a_{ij}b_{jk}c_{kl} $$
である。
段 3(足す順序を入れ替える)。段 1 と段 2 はどちらも、$j=1,\dots,n$ と $k=1,\dots,p$ のすべての組 $(j,k)$ について $a_{ij}b_{jk}c_{kl}$ を足したものである。段 1 は「$k$ を決めて $j$ について足し、それを $k$ について足す」、段 2 は「$j$ を決めて $k$ について足し、それを $j$ について足す」順序で足している。$np$ 個の数を縦 $n$ 行・横 $p$ 列の表に並べたとき、列ごとに足してから合計しても、行ごとに足してから合計しても、全体の和は同じである。よって $\bigl((AB)C\bigr)_{il}=\bigl(A(BC)\bigr)_{il}$ で、すべての $(i,l)$ で成分が等しいから $(AB)C=A(BC)$ である。
段 4(分配法則)。$\bigl(A(B+C)\bigr)_{ik}=\sum_{j}a_{ij}(b_{jk}+c_{jk})=\sum_{j}a_{ij}b_{jk}+\sum_{j}a_{ij}c_{jk}=(AB)_{ik}+(AC)_{ik}$ である。2 つ目の等号は、和を 2 つに分けた(数の分配法則と、足す順序の入れ替え)。$(A+B)C=AC+BC$ も同じように、$\sum_j(a_{ij}+b_{ij})c_{jk}=\sum_ja_{ij}c_{jk}+\sum_jb_{ij}c_{jk}$ から出る。
段 5(実数倍)。$\bigl((kA)B\bigr)_{ik}=\sum_j(ka_{ij})b_{jk}=k\sum_ja_{ij}b_{jk}=k(AB)_{ik}$、$\bigl(A(kB)\bigr)_{ik}=\sum_ja_{ij}(kb_{jk})=k(AB)_{ik}$ である。$\square$

一般の型の行列についての同じ証明は、Bee15 の Theorem MMA(pp. 141–142)にもある。

結合法則を 2 次正方行列で確かめる

$A=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&0\\3&1\end{pmatrix}$、$C=\begin{pmatrix}2&1\\1&1\end{pmatrix}$ とする。ex-mop-product の 1 から $AB=\begin{pmatrix}7&2\\3&1\end{pmatrix}$ なので
$$ (AB)C=\begin{pmatrix}7\cdot2+2\cdot1&7\cdot1+2\cdot1\\3\cdot2+1\cdot1&3\cdot1+1\cdot1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}16&9\\7&4\end{pmatrix}. $$
一方、$BC=\begin{pmatrix}1\cdot2+0\cdot1&1\cdot1+0\cdot1\\3\cdot2+1\cdot1&3\cdot1+1\cdot1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}2&1\\7&4\end{pmatrix}$ なので
$$ A(BC)=\begin{pmatrix}1\cdot2+2\cdot7&1\cdot1+2\cdot4\\0\cdot2+1\cdot7&0\cdot1+1\cdot4\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}16&9\\7&4\end{pmatrix}. $$
2 つは一致する。prf-thm-mop-associative の段 3 の和で見ると、たとえば $(1,1)$ 成分は $a_{1j}b_{jk}c_{k1}$ を 4 つの組 $(j,k)=(1,1),(1,2),(2,1),(2,2)$ について足した $1\cdot1\cdot2+1\cdot0\cdot1+2\cdot3\cdot2+2\cdot1\cdot1=2+0+12+2=16$ である。

結合法則のおかげで、$ABC$ のように括弧を省いて書いてよい。数の $1$ にあたる行列も用意しておく。

単位行列と累乗

$n$ 次正方行列で、$(i,i)$ 成分(左上から右下への対角線上の成分)がすべて $1$、それ以外の成分がすべて $0$ のものを $n$ 次の単位行列 といい、$E$(大きさを示すときは $E_n$)と書く(単位行列)。たとえば $E_2=\begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix}$ である。
$n$ 次正方行列 $A$ と正の整数 $r$ に対し、$A^1:=A$、$A^{r+1}:=A^rA$ と定めて、$A$ の $r$ 乗 という。$A^0:=E$ とする。

$m\times n$ 行列 $A$ について $AE_n=A$、$E_mA=A$ である。実際、$(AE_n)_{ik}=\sum_{j}a_{ij}e_{jk}$ で、$e_{jk}$ は $j=k$ のとき $1$、それ以外は $0$ なので、和の中で残るのは $j=k$ の項 $a_{ik}\cdot1$ だけである。$E_mA=A$ も同じように確かめられる。また、結合法則から $A^rA^s=A^{r+s}$ が $s$ についての帰納法で示せる($s=1$ は定義そのもので、$A^rA^{s+1}=A^r(A^sA)=(A^rA^s)A=A^{r+s}A=A^{r+s+1}$)。

累乗を計算する

$A=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}$ とすると
$$ A^2=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&4\\0&1\end{pmatrix},\qquad A^3=A^2A=\begin{pmatrix}1&4\\0&1\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&6\\0&1\end{pmatrix} $$
である。$A^r=\begin{pmatrix}1&2r\\0&1\end{pmatrix}$ と予想でき、$r$ についての帰納法で示せる。$A^r$ がこの形なら $A^{r+1}=A^rA=\begin{pmatrix}1\cdot1+2r\cdot0&1\cdot2+2r\cdot1\\0&1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&2(r+1)\\0&1\end{pmatrix}$ だからである。

積は順序を変えられない

数では $ab=ba$ である。行列では、これが成り立たない。

反例:積の順序を変えると値が変わる
  1. $A=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&0\\3&1\end{pmatrix}$ では、ex-mop-product の 1 から $AB=\begin{pmatrix}7&2\\3&1\end{pmatrix}$ である。逆の順に掛けると
    $$ BA=\begin{pmatrix}1\cdot1+0\cdot0&1\cdot2+0\cdot1\\3\cdot1+1\cdot0&3\cdot2+1\cdot1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&2\\3&7\end{pmatrix} $$
    で、$AB\ne BA$ である。
  2. 型が違うと、$AB$ と $BA$ は大きさから違う。ex-mop-sales の $A$($2\times3$)と $P$($3\times2$)では、$AP$ は $2\times2$ 行列、$PA$ は $3\times3$ 行列である。$PA$ の $(1,1)$ 成分 $120\cdot3+30\cdot4=480$ は「パンの価格×店 1 のパンの個数」と「パンの利益×店 2 のパンの個数」を足したもので、意味のある量ではない。表の計算では、どちらの順に掛けるかに意味がある。
    満たす性質:どちらの積も定まる。破る主張:数の掛け算の交換法則 $ab=ba$。

順序を変えてもよい組もある。どんな $n$ 次正方行列 $A$ も $E$ と交換できる($AE=EA=A$)。$A$ と $A^2$ も交換できる(結合法則から $A\cdot A^2=A^3=A^2\cdot A$)。しかし、すべての行列と交換できる行列は、ごく限られる。

すべての 2 次正方行列と交換できる行列

2 次正方行列 $X$ が、すべての 2 次正方行列 $Y$ について $XY=YX$ を満たすための必要十分条件は、ある実数 $k$ について $X=kE$ となることである。

特別な 2 つの行列と比べる

方針:十分性は計算で確かめる。必要性は、$Y$ として成分が 1 か所だけ $1$ の行列を 2 つ選び、$XY=YX$ を成分で比べる。
段 1(十分性)。$X=kE$ なら、thm-mop-associative の 3 と $EY=YE=Y$ から、$XY=(kE)Y=k(EY)=kY$、$YX=Y(kE)=k(YE)=kY$ で等しい。
段 2(1 つ目の行列と比べる)。$X=\begin{pmatrix}p&q\\r&s\end{pmatrix}$ が、すべての $Y$ と交換できるとする。$Y_1=\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix}$ とすると
$$ XY_1=\begin{pmatrix}0&p\\0&r\end{pmatrix},\qquad Y_1X=\begin{pmatrix}r&s\\0&0\end{pmatrix} $$
である。$XY_1=Y_1X$ の成分を比べると、$(1,1)$ 成分から $r=0$、$(1,2)$ 成分から $p=s$ である。
段 3(2 つ目の行列と比べる)。$Y_2=\begin{pmatrix}0&0\\1&0\end{pmatrix}$ とすると
$$ XY_2=\begin{pmatrix}q&0\\s&0\end{pmatrix},\qquad Y_2X=\begin{pmatrix}0&0\\p&q\end{pmatrix} $$
である。$(1,1)$ 成分から $q=0$ である。
段 4。段 2・段 3 から $q=r=0$、$s=p$ なので、$X=\begin{pmatrix}p&0\\0&p\end{pmatrix}=pE$ である。$\square$

交換できないことから、数の展開公式もそのままでは使えない。

反例:展開公式が崩れる

同じ型の正方行列 $A,B$ について、分配法則(thm-mop-associative の 2)を 2 回使うと
$$ (A+B)^2=(A+B)(A+B)=A(A+B)+B(A+B)=A^2+AB+BA+B^2 $$
である。数なら $AB+BA=2AB$ とまとめられるが、行列ではまとめられない。
$A=\begin{pmatrix}1&2\\0&1\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&0\\3&1\end{pmatrix}$ で確かめる。$A+B=\begin{pmatrix}2&2\\3&2\end{pmatrix}$ なので
$$ (A+B)^2=\begin{pmatrix}2\cdot2+2\cdot3&2\cdot2+2\cdot2\\3\cdot2+2\cdot3&3\cdot2+2\cdot2\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}10&8\\12&10\end{pmatrix} $$
である。一方、$A^2=\begin{pmatrix}1&4\\0&1\end{pmatrix}$(ex-mop-powers)、$B^2=\begin{pmatrix}1&0\\6&1\end{pmatrix}$、$AB=\begin{pmatrix}7&2\\3&1\end{pmatrix}$ から
$$ A^2+2AB+B^2=\begin{pmatrix}1+14+1&4+4+0\\0+6+6&1+2+1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}16&8\\12&4\end{pmatrix} $$
で、$(A+B)^2$ と一致しない。$BA=\begin{pmatrix}1&2\\3&7\end{pmatrix}$(ex-mop-noncommutative)を使った $A^2+AB+BA+B^2=\begin{pmatrix}1+7+1+1&4+2+2+0\\0+3+3+6&1+1+7+1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}10&8\\12&10\end{pmatrix}$ とは一致する。$A$ と $B$ が交換できる($AB=BA$)ときは、数と同じ $A^2+2AB+B^2$ になる。

$O$ でないのに積が $O$ になる

数では、$ab=0$ なら $a=0$ か $b=0$ である。行列では、これも成り立たない。

反例:2 乗すると $O$ になる行列
  1. $N=\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix}$ は $O$ でないが
    $$ N^2=\begin{pmatrix}0\cdot0+1\cdot0&0\cdot1+1\cdot0\\0\cdot0+0\cdot0&0\cdot1+0\cdot0\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}0&0\\0&0\end{pmatrix}=O $$
    である。
  2. $M=\begin{pmatrix}2&4\\-1&-2\end{pmatrix}$ も $O$ でないが
    $$ M^2=\begin{pmatrix}4-4&8-8\\-2+2&-4+4\end{pmatrix}=O $$
    である。
    満たす性質:$N\ne O$、$M\ne O$。破る主張:数の性質「$a^2=0$ ならば $a=0$」。
反例:$O$ でない 2 つの行列の積が $O$

$Z=\begin{pmatrix}1&2\\2&4\end{pmatrix}$、$W=\begin{pmatrix}2&-4\\-1&2\end{pmatrix}$ とする。どちらも $O$ でないが
$$ ZW=\begin{pmatrix}1\cdot2+2\cdot(-1)&1\cdot(-4)+2\cdot2\\2\cdot2+4\cdot(-1)&2\cdot(-4)+4\cdot2\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}0&0\\0&0\end{pmatrix}=O $$
である。順序を逆にすると $WZ=\begin{pmatrix}2-8&4-16\\-1+4&-2+8\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}-6&-12\\3&6\end{pmatrix}\ne O$ で、$ZW=O$ でも $WZ=O$ とは限らない。
この例から、「両辺を同じ行列で割る」ことができないことも分かる。$C=E+W=\begin{pmatrix}3&-4\\-1&3\end{pmatrix}$ とすると、分配法則から $ZC=ZE+ZW=Z+O=Z=ZE$ である。$ZC=ZE$ だが $C\ne E$ であり、左から掛けた $Z$ を「約分」することはできない。
満たす性質:$Z\ne O$、$W\ne O$。破る主張:数の性質「$ab=0$ ならば $a=0$ または $b=0$」と、「$a\ne0$ で $ab=ac$ ならば $b=c$」。

なぜこうなるのかは、$Z$ の列を見ると分かる。$Z$ の第 2 列 $\begin{pmatrix}2\\4\end{pmatrix}$ は第 1 列 $\begin{pmatrix}1\\2\end{pmatrix}$ の $2$ 倍である。$Z$ に縦のベクトル $\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}$ を掛けると $\begin{pmatrix}x+2y\\2x+4y\end{pmatrix}=(x+2y)\begin{pmatrix}1\\2\end{pmatrix}$ となり、結果はいつも直線 $y=2x$ の上のベクトルで、$x+2y=0$ を満たすベクトルは $\vec 0$ に移る。$W$ の 2 つの列 $\begin{pmatrix}2\\-1\end{pmatrix}$、$\begin{pmatrix}-4\\2\end{pmatrix}$ はどちらも $x+2y=0$ を満たすので、$ZW$ の 2 つの列(def-mop-product から、$Z$ と $W$ の各列の積)はどちらも $\vec 0$ になる(図2)。
行列 !FORMULA[435][37422][0](第 1 行が !FORMULA[436][34750385][0]、第 2 行が !FORMULA[437][34780238][0])を掛けると、どのベクトルも直線 !FORMULA[438][1144264534][0](青)の上に移り、直線 !FORMULA[439][-1276183661][0](赤)の上のベクトルは !FORMULA[440][1837119672][0] に移る。!FORMULA[441][37329][0] の 2 つの列が赤の直線の上にあるので !FORMULA[442][1116419249][0] になることを見る図。 行列 $Z$(第 1 行が $1,2$、第 2 行が $2,4$)を掛けると、どのベクトルも直線 $y=2x$(青)の上に移り、直線 $x+2y=0$(赤)の上のベクトルは $\vec 0$ に移る。$W$ の 2 つの列が赤の直線の上にあるので $ZW=O$ になることを見る図。
このような行列に名前をつけておく。

2 次正方行列の零因子

2 次正方行列 $A$ で、$A\ne O$ であり、$AB=O$ または $BA=O$ を満たす $B\ne O$ があるものを、零因子 という(零因子)。

ex-mop-nilpotent の $N$、$M$($B$ として自分自身をとる)と、ex-mop-zero-product の $Z$、$W$ は零因子である。$E$ は零因子ではない。$EB=B$ と $BE=B$ なので、$B\ne O$ なら $EB\ne O$、$BE\ne O$ だからである。大学の代数学では、$O$ 自身も零因子に含める流儀もある(零因子 の記事を参照)。

主定理 2:逆行列をもつか、零因子か

数 $a\ne0$ には、$aa^{-1}=1$ となる逆数 $a^{-1}$ があり、これで割り算ができる。行列で逆数にあたるものを定める。

逆行列と正則

$n$ 次正方行列 $A$ に対し、$AX=XA=E$ を満たす $n$ 次正方行列 $X$ を $A$ の 逆行列 といい、$A^{-1}$ と書く(逆行列)。逆行列をもつ行列を 正則 であるという(正則行列)。

逆行列は 1 つしかない

$n$ 次正方行列 $A$ に対し、$AX=XA=E$ と $AY=YA=E$ がともに成り立てば、$X=Y$ である。

結合法則で挟む

方針:$X$ に $E=AY$ を掛けた式を、結合法則で括弧をつけ替えて計算する。
$E$ を掛けても変わらないことと $AY=E$、結合法則(thm-mop-associative の 1)、$XA=E$ を順に使うと
$$ X=XE=X(AY)=(XA)Y=EY=Y $$
である。$\square$

2 次正方行列 $A=\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix}$ に対し、$\widetilde A:=\begin{pmatrix}d&-b\\-c&a\end{pmatrix}$ とおく(対角線上の $a,d$ を入れ替え、残りの $b,c$ の符号を変えたもの)。この行列が、逆行列と零因子の両方の鍵になる。

2 次正方行列は逆行列をもつか零因子か

$A=\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix}$ を $O$ でない 2 次正方行列とする。

  1. $ad-bc\ne0$ ならば、$A$ は正則で、$A^{-1}=\dfrac1{ad-bc}\begin{pmatrix}d&-b\\-c&a\end{pmatrix}$ である。
  2. $ad-bc=0$ ならば、$\widetilde A=\begin{pmatrix}d&-b\\-c&a\end{pmatrix}$ は $O$ でなく、$A\widetilde A=\widetilde AA=O$ である。特に $A$ は零因子である。
  3. 正則な行列は零因子ではない。
    したがって、$O$ でない 2 次正方行列は、正則であるか零因子であるかのどちらか一方であり、正則であるための必要十分条件は $ad-bc\ne0$ である。
1 つの恒等式から両方を出す

方針:恒等式 $A\widetilde A=\widetilde AA=(ad-bc)E$ を計算し、$ad-bc$ が $0$ かどうかで場合を分ける。3 は、零因子の式に逆行列を掛けて矛盾を出す。
段 1(恒等式)。積の定義から
$$ A\widetilde A=\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix}\begin{pmatrix}d&-b\\-c&a\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}ad-bc&-ab+ba\\cd-dc&-cb+da\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}ad-bc&0\\0&ad-bc\end{pmatrix}=(ad-bc)E $$
である。順序を逆にすると
$$ \widetilde AA=\begin{pmatrix}d&-b\\-c&a\end{pmatrix}\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}da-bc&db-bd\\-ca+ac&-cb+ad\end{pmatrix}=(ad-bc)E $$
である。
段 2(1 の証明)。$ad-bc\ne0$ とし、$X:=\frac1{ad-bc}\widetilde A$ とおく。thm-mop-associative の 3 と段 1 から、$AX=\frac1{ad-bc}(A\widetilde A)=\frac1{ad-bc}(ad-bc)E=E$、同じように $XA=E$ である。よって $X$ は $A$ の逆行列である。
段 3(2 の証明)。$ad-bc=0$ とする。段 1 から $A\widetilde A=\widetilde AA=0\cdot E=O$ である。$\widetilde A$ の成分は $d,-b,-c,a$ で、$A\ne O$ から $a,b,c,d$ のどれかは $0$ でないので、$\widetilde A\ne O$ である。$A\ne O$ でもあるので、$A$ は零因子である(def-mop-zero-divisor で $B=\widetilde A$ とする)。
段 4(3 の証明)。$A$ が正則で、$B\ne O$ について $AB=O$ となったとする。左から $A^{-1}$ を掛けて結合法則を使うと
$$ B=EB=(A^{-1}A)B=A^{-1}(AB)=A^{-1}O=O $$
となり(どんな行列に $O$ を掛けても、積の成分はすべて $0$ の和なので $O$ である)、$B\ne O$ に反する。$BA=O$ のときも、右から $A^{-1}$ を掛けて $B=B(AA^{-1})=(BA)A^{-1}=OA^{-1}=O$ となり、矛盾する。
段 5(まとめ)。$A\ne O$ とする。$ad-bc\ne0$ なら 1 から正則で、3 から零因子でない。$ad-bc=0$ なら 2 から零因子で、3 から正則でない。よって正則か零因子のどちらか一方であり、正則であることと $ad-bc\ne0$ は同値である。$\square$

$ad-bc$ を $A$ の 行列式 といい、$\det A$ と書く。行列式が「平面の図形の面積を何倍にするか」を表すことは、1次変換と行列式:面積の拡大率 で扱う。図2 の $Z$ は $\det Z=1\cdot4-2\cdot2=0$ で、平面全体を直線 $y=2x$ につぶしてしまう。つぶれた情報は戻せないので、逆行列がない。

逆行列を求める
  1. $A=\begin{pmatrix}2&1\\5&3\end{pmatrix}$ では $ad-bc=2\cdot3-1\cdot5=1\ne0$ なので、$A^{-1}=\begin{pmatrix}3&-1\\-5&2\end{pmatrix}$ である。確かめると
    $$ \begin{pmatrix}2&1\\5&3\end{pmatrix}\begin{pmatrix}3&-1\\-5&2\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}6-5&-2+2\\15-15&-5+6\end{pmatrix}=E $$
    である。
  2. $A=\begin{pmatrix}3&1\\4&2\end{pmatrix}$ では $ad-bc=6-4=2$ なので、$A^{-1}=\frac12\begin{pmatrix}2&-1\\-4&3\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&-\frac12\\-2&\frac32\end{pmatrix}$ である。$AA^{-1}$ の $(1,1)$ 成分は $3\cdot1+1\cdot(-2)=1$、$(1,2)$ 成分は $3\cdot\bigl(-\frac12\bigr)+1\cdot\frac32=0$ で、残りも同じように $E$ の成分と一致する。
行列式が 0 の行列と零因子

$Z=\begin{pmatrix}1&2\\2&4\end{pmatrix}$ では $ad-bc=4-4=0$ なので、thm-mop-inverse-or-zero-divisor の 2 により $\widetilde Z=\begin{pmatrix}4&-2\\-2&1\end{pmatrix}$ について $Z\widetilde Z=O$ となるはずである。実際
$$ Z\widetilde Z=\begin{pmatrix}1\cdot4+2\cdot(-2)&1\cdot(-2)+2\cdot1\\2\cdot4+4\cdot(-2)&2\cdot(-2)+4\cdot1\end{pmatrix}=O $$
である。$\widetilde Z$ の 2 つの列 $\begin{pmatrix}4\\-2\end{pmatrix}$、$\begin{pmatrix}-2\\1\end{pmatrix}$ も、図2 の赤の直線 $x+2y=0$ の上にある。ex-mop-zero-product の $W$ とは別の相手であり、$Z$ と掛けて $O$ になる相手は 1 つではない。

逆行列があれば、数と同じように「約分」ができる。

正則な行列は約分できる

$A$ を正則な $n$ 次正方行列とする。

  1. $n$ 次正方行列 $B,C$ について、$AB=AC$ ならば $B=C$ である。
  2. 縦のベクトル($n\times1$ 行列)$\vec v$ について、$A\vec x=\vec v$ を満たす $\vec x$ はただ 1 つで、$\vec x=A^{-1}\vec v$ である。
左から逆行列を掛ける

方針:どちらも、式の左から $A^{-1}$ を掛けて結合法則を使う。
1。$AB=AC$ の両辺に左から $A^{-1}$ を掛けると $A^{-1}(AB)=A^{-1}(AC)$ である。結合法則から $(A^{-1}A)B=(A^{-1}A)C$、すなわち $EB=EC$ で、$B=C$ である。
2。$\vec x=A^{-1}\vec v$ とおくと $A\vec x=A(A^{-1}\vec v)=(AA^{-1})\vec v=E\vec v=\vec v$ なので、解である。逆に $A\vec x=\vec v$ なら、左から $A^{-1}$ を掛けて $\vec x=E\vec x=(A^{-1}A)\vec x=A^{-1}(A\vec x)=A^{-1}\vec v$ である。よって解はただ 1 つである。$\square$

連立 1 次方程式を逆行列で解く
  1. 連立方程式 $2x+y=4$、$5x+3y=11$ は、$A=\begin{pmatrix}2&1\\5&3\end{pmatrix}$ を使って $A\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}4\\11\end{pmatrix}$ と書ける。ex-mop-inverse の 1 の $A^{-1}$ を使うと、cor-mop-cancel の 2 により
    $$ \begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}3&-1\\-5&2\end{pmatrix}\begin{pmatrix}4\\11\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}12-11\\-20+22\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1\\2\end{pmatrix} $$
    で、解はただ 1 つ $x=1$、$y=2$ である。代入すると $2+2=4$、$5+6=11$ となる。
  2. 係数の行列が $Z=\begin{pmatrix}1&2\\2&4\end{pmatrix}$($ad-bc=0$)の連立方程式では、解がただ 1 つに決まらない。$x+2y=3$、$2x+4y=5$ は、1 つ目の式を 2 倍すると $2x+4y=6$ となって 2 つ目の式と両立しないので、解がない。$x+2y=3$、$2x+4y=6$ は、2 つ目の式が 1 つ目の式の 2 倍なので、$x=3-2y$ を満たすすべての組が解で、解は無数にある。

数の計算との違い:まとめ

実数の計算で成り立つ性質のうち、行列では崩れるものを表にする。どれも、2 次正方行列の範囲で反例がある。

実数での性質行列での反例ボックス
$ab=ba$$AB\ne BA$ex-mop-noncommutative
$(a+b)^2=a^2+2ab+b^2$$(A+B)^2\ne A^2+2AB+B^2$ex-mop-expansion
$a^2=0$ ならば $a=0$$N^2=O$、$N\ne O$ex-mop-nilpotent
$ab=0$ ならば $a=0$ または $b=0$$ZW=O$、$Z\ne O$、$W\ne O$ex-mop-zero-product
$a\ne0$ で $ab=ac$ ならば $b=c$$ZC=ZE$、$C\ne E$ex-mop-zero-product
$a\ne0$ ならば逆数がある$Z\ne O$ だが逆行列がないex-mop-singular
$x^2=1$ の解は $x=\pm1$ だけ$X^2=E$ の解は無数にあるex-mop-square-root
反例:$X^2=E$ の解は無数にある

実数 $t$ に対し $X_t=\begin{pmatrix}1&t\\0&-1\end{pmatrix}$ とすると
$$ X_t^2=\begin{pmatrix}1\cdot1+t\cdot0&1\cdot t+t\cdot(-1)\\0\cdot1+(-1)\cdot0&0\cdot t+(-1)(-1)\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix}=E $$
である。$t$ はどんな実数でもよいので、$X^2=E$ を満たす $X$ は $\pm E$ のほかに無数にある。
数の場合の証明「$x^2-1=(x-1)(x+1)=0$ だから $x=1$ または $x=-1$」は、行列では 1 か所で崩れる。$X^2-E=(X-E)(X+E)$ の展開は $X$ と $E$ が交換できるので正しいが、「積が $O$ ならどちらかが $O$」が成り立たない(ex-mop-zero-product)。実際 $X_t-E=\begin{pmatrix}0&t\\0&-2\end{pmatrix}$、$X_t+E=\begin{pmatrix}2&t\\0&0\end{pmatrix}$ はどちらも $O$ でないが、積は $O$ である。

大学数学で見ると

  • 1 次変換の合成:2 次正方行列 $A$ は、平面のベクトル $\vec x$ を $A\vec x$ に移す 1 次変換を表す。ex-mop-substitution で見たように、2 つの 1 次変換を続けて行う(合成する)ことが行列の積にあたる。写像の合成はいつも結合法則を満たすので、thm-mop-associative の結合法則はその反映である。一方、「先に $B$、次に $A$」と「先に $A$、次に $B$」は一般に違う変換なので、積は交換できない。回転と対称移動の順序で結果が変わる例は 回転・鏡映と行列の群 で扱う。大学では、1 次変換は 線形写像 と呼ばれ、行列の積の定義は「線形写像の合成に対応する」ように選ばれたものとして説明される(Axl24 3.41、p. 73)。
  • 非可換な環:同じ型の正方行列の全体は、足し算・引き算・掛け算ができ、thm-mop-associative の法則を満たす。このような数の体系を 環 といい、行列の全体は 行列環 と呼ばれる。実数の全体と違って、掛け算が交換できず(ex-mop-noncommutative)、すべての行列と交換できるのは $kE$ だけであり(prop-mop-center。大学の言葉では 環の中心)、零因子がある(ex-mop-zero-product)。零因子のない可換な環を 整域 というので、行列環は整域ではない。
  • 正則な行列の全体:正則な 2 次正方行列の積は正則で、逆行列も正則である。正則な行列の全体は、掛け算について 一般線形群 と呼ばれる群をなす(正則行列 の記事で扱う)。
  • 合同式との比較:$6$ を法とする合同式では、$2\not\equiv0$、$3\not\equiv0$ なのに $2\cdot3\equiv0\pmod6$ で、零因子がある。$n$ を法として $a\not\equiv0$ のとき、$a$ は $n$ と互いに素なら逆元をもち、そうでなければ零因子になる。$O$ でない行列が「正則か零因子か」に分かれる thm-mop-inverse-or-zero-divisor と同じ形である。合同式の逆元は 合同式の割り算と逆元 で扱う。
  • Cayley–Hamilton の定理:$\widetilde A=(a+d)E-A$ と書けるので、段 1 の恒等式 $A\widetilde A=(ad-bc)E$ は $A^2-(a+d)A+(ad-bc)E=O$ と同じことである。これは 2 次正方行列の Cayley–Hamiltonの定理 であり、行列のn乗と割り算の余り で行列の累乗の計算に使う。

さらに先へ

表の計算としての行列は、いろいろな「数え上げ」にも使える。点と線の図(グラフ)で、点 $i$ と点 $j$ を結ぶ線の本数を $(i,j)$ 成分に並べた行列を $A$ とすると、$A^r$ の成分が「$r$ 本の線をたどる道順の数」を数える。これは 隣接行列と道の数 で扱う。漸化式を行列の累乗で解く方法は 漸化式の行列表示 で、行列の積が面積をどう変えるかは 1次変換と行列式:面積の拡大率 で扱う。

関連項目

参考文献

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