Riemann多様体

同義語:リーマン多様体Riemannian manifoldRiemann計量リーマン計量

概要

Riemann多様体(Riemannian manifold)とは、各点の接空間に正定値な内積 $g_p$ を滑らかに割り当てたリーマン計量 $g$ を備えた滑らかな多様体である。計量から曲線の長さ $L_g(\gamma)=\int\sqrt{g(\dot\gamma,\dot\gamma)}\,dt$、その下限としての点間距離、体積密度 $\sqrt{\det(g_{ij})}\,|dx^1\cdots dx^n|$ が定まり、これらは座標によらない。距離は各連結成分で元の位相を与えるが、完備とは限らない。計量と両立し捩れのない接続はただ一つ存在し(Levi-Civita 接続)、測地線や曲率はこの接続から作られる。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 多様体, 接空間, 局所座標, ベクトル場

長さを測れる多様体

球面を地図の上に描くと、地図上の直線の長さと球面上で歩く長さは違う。座標は点を数で表すが、その数だけでは長さや角度は決まらない。各点の接空間に内積を置き、その内積が点とともに滑らかに変わるようにすると、曲線の長さ、点の間の距離、領域の体積を同じ仕組みから定められる。これがリーマン計量であり、それを備えた多様体がリーマン多様体である(Lee18 Chapter 2)。
計量は多様体の滑らかな構造に追加するデータである。同じ滑らかな多様体にも異なる計量を載せられる。曲率や測地線は計量からさらに作られる対象だが、ここではまず長さ・距離・体積が計量からどう生じるかを確かめる。曲率テンソルの計算や測地線方程式そのものは、それぞれの専門記事で扱う。

定義と座標表示

以下、$M$ は実数上の滑らかな $n$ 次元多様体とする。境界の有無を特に指定しない限り、主な議論では境界のない場合を考える。接空間 $T_pM$ は点 $p$ を通る曲線の速度が住む実ベクトル空間である。$n=0$ の場合にも定義はできるが、長さを論じる箇所では $n\geq1$ とする。

リーマン計量とリーマン多様体

リーマン計量とは、各点 $p\in M$ の接空間 $T_pM$ に正定値な対称双線形形式 $g_p$ を割り当て、滑らかなベクトル場 $X,Y$ に対して $p\mapsto g_p(X_p,Y_p)$ が滑らかになるものをいう。組 $(M,g)$ をRiemann多様体(リーマン多様体)という。接ベクトル $v$ の長さと二つの接ベクトルのなす角は、この内積を用いて定める。

正定値とは $v\ne0$ なら $g_p(v,v)>0$ であることをいう。この条件によって、零でない方向の長さが零になることを防ぐ。計量は各接空間で別々に内積を選ぶだけでは足りず、点を動かしたときの滑らかさも必要である。滑らかさを落とすと、後で用いる接続や曲率が通常の意味で定義できない。
局所座標 $x=(x^1,\ldots,x^n)$ では、座標ベクトル $\partial_i=\partial/\partial x^i$ に対して $g_{ij}=g(\partial_i,\partial_j)$ と書く。行列 $(g_{ij}(p))$ は各点で対称正定値であり、
$$ g_p(v,w)=\sum_{i,j=1}^n g_{ij}(p)v^iw^j,\qquad g=\sum_{i,j=1}^n g_{ij}\,dx^i\otimes dx^j $$
となる。ここで $v=\sum_i v^i\partial_i$、$w=\sum_j w^j\partial_j$ である。逆に、座標ごとに滑らかな正定値行列を与え、重なりで正しい座標変換則を満たせば計量が定まる。行列の数字は座標で変わるが、$g_p(v,w)$ という値は変わらない。

計量行列の座標変換

別の局所座標を $y=(y^1,\ldots,y^n)$ とし、$J^i{}_a=\partial x^i/\partial y^a$ とする。$y$ 座標での計量行列は $g^{(y)}=J^{\mathsf T}g^{(x)}J$ である。したがって正定値性は座標に依存しない。

連鎖律より $\partial/\partial y^a=\sum_i J^i{}_a\,\partial/\partial x^i$。双線形性から $g(\partial/\partial y^a,\partial/\partial y^b)=\sum_{i,j}J^i{}_a g_{ij}^{(x)}J^j{}_b$ を得る。これが行列式で書いた変換則である。座標変換の Jacobi 行列 $J$ は可逆なので、非零ベクトル $z$ に対し $z^{\mathsf T}g^{(y)}z=(Jz)^{\mathsf T}g^{(x)}(Jz)>0$ である。$\square$

この証明は、計量が単なる「各座標軸の縮尺の一覧」ではないことも示す。非対角成分 $g_{ij}$ は座標方向どうしの内積を記録する。座標軸を傾ければ、もとの計量が Euclid 計量でも非対角成分は現れうる。

基本例と計量の作り方

Euclid 空間

$\mathbb R^n$ の標準座標で $g_{ij}=\delta_{ij}$ と置けば、接ベクトルの長さは通常の Euclid ノルムである。正定値な定数行列 $A$ を用いて $g(v,w)=v^{\mathsf T}Aw$ としても計量が得られる。後者は単位球の形を変えるが、直線に沿った距離を内積 $A$ で測るという点では同じ仕組みである。

埋め込まれた部分多様体

滑らかな部分多様体 $M\subset\mathbb R^N$ には、Euclid 内積を各 $T_pM\subset\mathbb R^N$ に制限した誘導計量がある。半径 $R$ の球面 $S_R^2$ で球面座標を使うと、極を除く座標域で
$$ g=R^2\,d\theta^2+R^2\sin^2\theta\,d\varphi^2 $$
となる。経線方向の速度と緯線方向の速度は直交し、座標の増分が同じでも緯線方向の実際の長さは $\theta$ に依存する。極で $\varphi$ が使えないのは座標の限界であり、誘導計量が極で壊れるという意味ではない(Lee18 Chapter 3, Spheres)。

球面の計量の計算

点を $F(\theta,\varphi)=R(\sin\theta\cos\varphi,\sin\theta\sin\varphi,\cos\theta)$ と表す。微分すると $F_\theta=R(\cos\theta\cos\varphi,\cos\theta\sin\varphi,-\sin\theta)$、$F_\varphi=R(-\sin\theta\sin\varphi,\sin\theta\cos\varphi,0)$。Euclid 内積で $\langle F_\theta,F_\theta\rangle=R^2$、$\langle F_\varphi,F_\varphi\rangle=R^2\sin^2\theta$、$\langle F_\theta,F_\varphi\rangle=0$。したがって表示した行列を得る。$\square$

一般の滑らかな多様体にもリーマン計量は存在する。各座標域の Euclid 計量を分割の一で重ね合わせればよい。ただし、存在するという事実は「自然な計量がただ一つある」という意味ではない。座標域を重ねるために分割の一を使う構成には、通常の滑らかな多様体に課す Hausdorff 性と第2可算性などの仮定が入る(Lee18 Chapter 2, Methods for Constructing Riemannian Metrics)。

曲線の長さと点間の距離

滑らかな、または区分的に滑らかな曲線 $\gamma:[a,b]\to M$ の速度は $\dot\gamma(t)\in T_{\gamma(t)}M$ である。計量で速度の大きさを測り、それを時間で積分する。

曲線長とリーマン距離

区分的に滑らかな曲線 $\gamma$ の長さを
$$ L_g(\gamma)=\int_a^b\sqrt{g_{\gamma(t)}(\dot\gamma(t),\dot\gamma(t))}\,dt $$
とする。同じ連結成分の点 $p,q$ に対し、
$$ d_g(p,q)=\inf_{\gamma(a)=p,\,\gamma(b)=q}L_g(\gamma) $$
と定める。下限は、$p$ と $q$ を結ぶ区分的に滑らかな曲線全体でとる。別の連結成分にある二点の間には結ぶ曲線がないので、通常の距離は成分ごとに定める(Lee18 Chapter 2, Lengths and Distances)。

曲線のパラメータを向きを保つ区分的 $C^1$ の単調な変数変換で取り替えても、置換積分によって長さは変わらない。速度が二倍になって進む時間が半分なら、歩いた長さは同じである。$L_g(\gamma)$ は座標表示にも依存しない。一方、任意の二点の距離は、その二点を結ぶ最短路が最初から存在するという仮定を含まない。下限をとる曲線が実現されるかは、完備性などを加えて調べる問題である。

連結成分上で $d_g$ は距離になる

$M$ の各連結成分で $d_g$ は有限の距離であり、そこから得られる位相は元の多様体の位相と一致する。とくに $p\ne q$ なら $d_g(p,q)>0$ である。

多様体は局所的に道連結なので、その連結成分は区分的に滑らかな道で結べる。したがって $d_g$ は有限で非負である。曲線を逆にたどれば対称性が従い、二曲線をつなげれば三角不等式が従う。一定曲線の長さは $0$ なので $d_g(p,p)=0$。
正値性を示す。$p$ の座標を原点とする座標球 $B_{2r}$ を選び、その閉包が一つの座標域に含まれ、$q$ は $B_r$ に入らないよう $r>0$ を小さくする。閉球 $\overline{B_{2r}}$ 上で正定値行列 $g_{ij}$ の最小固有値には正の下界 $c>0$ がある。$p$ から $q$ への任意の曲線は、初めて座標球 $B_r$ を出るまでに、座標で Euclid 長さを少なくとも $r$ だけ進む。そこでの $g$ による速度は座標での Euclid 速度の $\sqrt c$ 倍以上だから、全長は $\sqrt c\,r$ 以上である。従って $d_g(p,q)\geq\sqrt c\,r>0$。
同じ局所比較から位相も分かる。$p$ に近い $q$ を座標内の直線で結ぶと、より小さい閉座標球上で計量行列の最大固有値を $C$ として $d_g(p,q)\leq\sqrt C\,|x(q)-x(p)|$。したがって元の位相で $q\to p$ なら距離でも $q\to p$。逆に任意の小さい座標球を固定すると、そこを出る曲線の長さには上と同じ正の下界がある。ゆえに十分小さい $d_g$ 球はその座標球に入る。二つの位相は一致する。$\square$

この命題では距離を下限で定めても、異なる点が距離 $0$ に潰れない理由が重要である。正定値性が局所的な長さの下界を与える。計量の非退化性だけでは同じ議論はできず、擬リーマン計量の「曲線長」からこの方法で距離を作ることは一般にはできない。

開区間は距離として完備でない

$(0,1)$ に $g=dx^2$ を入れると $d_g(x,y)=|x-y|$ である。列 $1,1/2,1/3,\ldots$ のうち $(0,1)$ に属する尾部は Cauchy 列だが、その極限 $0$ は多様体に入らない。リーマン距離が定まることと、その距離空間が完備であることは別である。境界に「有限の長さで届く」というこの現象は、計量を変えれば同じ開区間でも変わりうる。

Euclid 空間での距離

標準計量の $\mathbb R^n$ では $d_g(p,q)=|p-q|$ である。直線分の長さが $|p-q|$ なので $d_g(p,q)\leq|p-q|$。逆に任意の区分的に滑らかな $\gamma$ について $q-p=\int\dot\gamma(t)\,dt$ であり、三角不等式から $|q-p|\leq\int|\dot\gamma(t)|\,dt=L_g(\gamma)$。下限をとると逆向きの不等式も得られる。

球面上の二点の場合は、空間内での弦の長さと球面上を進む距離を区別する。弦は球面の外を通ることがあり、一般には許された曲線ではない。このため球面の誘導距離は球面内の経路で測った長さであり、弦の長さと一致しない。

体積と座標の取り替え

$n$ 次元の Euclid 空間では、微小な直方体の体積は辺の長さの積で測る。リーマン多様体では座標ベクトルが一般に斜めに交わり、長さも場所によって変わる。その補正が計量行列の行列式の平方根になる。

リーマン体積

局所座標 $x^1,\ldots,x^n$ でのリーマン体積密度を
$$ dV_g=\sqrt{\det(g_{ij})}\,|dx^1\cdots dx^n| $$
と書く。密度は向き付けを必要とせず、座標域の重なりで一致する。可測集合の体積、可積分な関数の積分はこの密度を使って定める。向き付けを一つ選んだ場合は、対応する体積形式を $\operatorname{vol}_g=\sqrt{\det(g_{ij})}\,dx^1\wedge\cdots\wedge dx^n$ と書ける。ただしこの符号付きの表示は正に向いた座標での式である(Lee18 Chapter 2, Basic Constructions on Riemannian Manifolds)。

行列式が正なのは $g_{ij}$ が正定値だからである。体積密度は座標の向きを逆にしても非負の体積を与える。これに対し体積形式には向きの選択が入る。向き付けられない多様体でもリーマン体積密度は存在する。

体積密度は座標によらない

座標変換 $x=x(y)$ の Jacobi 行列を $J$ とすると、$y$ 座標での $\sqrt{\det g}$ は $|\det J|$ 倍される。従って $dV_g$ は座標変換の下で同じ密度を表す。

prop-riemannian-coordinate-change により $g^{(y)}=J^{\mathsf T}g^{(x)}J$。行列式をとると $\det g^{(y)}=(\det J)^2\det g^{(x)}$。正の平方根をとれば $\sqrt{\det g^{(y)}}=|\det J|\sqrt{\det g^{(x)}}$ となる。積分の変数変換では $|dx^1\cdots dx^n|=|\det J|\,|dy^1\cdots dy^n|$ なので、二つの座標で表された密度は一致する。$\square$

「体積密度が $|\det J|$ 倍される」という言い方は、係数 $\sqrt{\det g}$ の座標変換を指す。$x$ 表示から $y$ 表示へ書き直すと、実際には $x$ の座標体積要素を $|\det J|$ 倍の $y$ の要素へ置き換える。上の計算により積分の値は座標の選択で変わらない。
球面の例では計量行列が対角行列 $\operatorname{diag}(R^2,R^2\sin^2\theta)$ だから、$dA_g=R^2\sin\theta\,|d\theta\,d\varphi|$ となる。従って全体の面積は
$$ \operatorname{Area}(S_R^2)=\int_0^{2\pi}\!\int_0^\pi R^2\sin\theta\,d\theta\,d\varphi=4\pi R^2. $$
極で球面座標は使えないが、二つの極は面積零であり、この積分値に影響しない。これは誘導計量から、球面の面積公式を導いた計算である。

計量の一様な拡大と共形変形

滑らかな実関数 $f$ に対して $\widetilde g=e^{2f}g$ とすると、接ベクトルの長さは点 $p$ で $e^{f(p)}$ 倍、体積密度は $e^{nf}$ 倍になる。$f$ が定数 $c$ なら曲線長と点間距離はともに $e^c$ 倍になる。

$\widetilde g_p(v,v)=e^{2f(p)}g_p(v,v)$ なので、正の平方根をとれば $|v|_{\widetilde g}=e^{f(p)}|v|_g$。座標行列の各成分は $e^{2f}$ 倍されるから、$n$ 次の行列式は $e^{2nf}\det g$。その平方根は $e^{nf}\sqrt{\det g}$ である。$f=c$ が定数のときはすべての曲線で $L_{\widetilde g}(\gamma)=e^cL_g(\gamma)$。同じ曲線族にわたって下限をとれば $d_{\widetilde g}=e^c d_g$。$\square$

$f$ が変数なら、長さの倍率は道の途中で変わる。従って一般には $d_{\widetilde g}(p,q)$ を、元の距離 $d_g(p,q)$ に二点だけで決まる一つの倍率を掛けたものとしては表せない。領域の体積は $e^{nf}$ を重みとして積分する。この長さの一次、体積の $n$ 次という差は、計量を変えたときの幾何量の見通しを与える。

計量から接続と測地線へ

異なる点にある接ベクトルは別々の接空間に属するので、そのまま引き算できない。ベクトル場を方向に沿って微分する規則が接続である。計量を一つ選ぶと、内積の微分と両立し、捩れのない接続がただ一つ決まる。これを Levi-Civita 接続という(Lee18 Chapter 5, Connections on Abstract Riemannian Manifolds)。
「内積の微分と両立する」とは、ベクトル場 $X,Y,Z$ に対して
$$ X\,g(Y,Z)=g(\nabla_XY,Z)+g(Y,\nabla_XZ) $$
が成り立つことをいう。「捩れがない」とは $\nabla_XY-\nabla_YX=[X,Y]$ である。この二条件を同時に満たす接続が一意である。各条件を片方だけ課しても一般には一意にならない。したがって単に「計量があるから方向微分できる」というより、二条件がその方向微分の仕方を指定している。
座標表示では逆行列の成分を $g^{k\ell}$ として、
$$ \Gamma^k_{ij} =\frac12\sum_{\ell=1}^n g^{k\ell} \bigl(\partial_i g_{j\ell}+\partial_j g_{i\ell}-\partial_\ell g_{ij}\bigr) $$
が Levi-Civita 接続の Christoffel 記号である。これは計量の一階微分から計算される。記号自体は座標に依存し、各 $\Gamma^k_{ij}$ が零でないことだけから空間が曲がっているとはいえない。曲率は、接続をさらに微分して組み合わせる別の量である。

平面の極座標で現れる接続係数

平面から原点を除いた領域に標準 Euclid 計量を入れ、極座標 $(r,\theta)$ を使うと $g=dr^2+r^2d\theta^2$ である。上の式から $\Gamma^r_{\theta\theta}=-r$、$\Gamma^\theta_{r\theta}=\Gamma^\theta_{\theta r}=1/r$ となる。これらが零でなくても平面の計量は平坦である。極座標の基底ベクトルが点とともに変わることが係数に現れている。

曲線 $\gamma$ の速度を、その曲線に沿って Levi-Civita 接続で微分して零になる場合、その曲線をアフィンパラメータの測地線という。Euclid 空間なら一定速度の直線が該当する。一般のリーマン多様体でも測地線は十分短い区間では距離を最小にするが、長く伸ばした全区間で最短とは限らない。球面の大円を半周より長く進む弧はその典型例である(Lee18 Chapters 5–6)。
リーマン計量から得られるものを整理すると、点ごとの内積が曲線長を与え、曲線長の下限が距離を与え、計量行列の行列式が体積密度を与える。Levi-Civita 接続は、計量に適合するベクトルの微分を与える。その先に測地線やリーマン曲率がある。この順番を意識すると、距離が計量の局所データから作られた大域的な量であることが見えやすい。

計量を変えると何が変わるか

滑らかな多様体として同じ $M$ でも、$g$ を変えれば曲線長、距離、体積は通常変わる。たとえば開区間 $(0,1)$ の $dx^2$ は先に見たように不完備だが、$g=dx^2/[x^2(1-x)^2]$ とすると、端点へ向かう道の長さは発散する。$x=0$ へ向かうとき長さの被積分関数はおよそ $|dx|/x$ であり、$\int_0^\varepsilon dx/x$ が発散するためである。端点へ有限距離では到達できず、後者の誘導距離は完備になる。後者は座標変換 $u=\log(x/(1-x))$ により $du^2$ と書け、実直線の Euclid 距離と等距離である。この計算は完備性が座標の見かけでなく計量に依存することを具体的に示す。
一方、リーマン計量の正定値性を外して非退化な不定符号の対称形式に替えると、擬リーマン計量になる。たとえば Lorentz 計量には零でない零長ベクトルがある。微分幾何の多くの道具は残るが、prop-riemannian-distance-metric の正値性の証明は使えない。リーマン多様体の距離や体積に関する結論を、そのまま擬リーマン多様体へ移してはいけない。

条件を外したときの反例

リーマン距離が本当の距離になること、共形変形での距離の拡大則などは、定義や命題の条件に依存する。条件を外すと次のように崩れる。

外す条件反例成り立たなくなること
計量が正定値(半正定値だけ)$\mathbb R^2$ 上の $g=dx^2$$p\ne q$ なら $d_g(p,q)>0$
計量が正定値(不定符号)$\mathbb R^2$ 上の Lorentz 計量 $dx^2-dy^2$零でない接ベクトルの長さは正
多様体が Hausdorff原点を二重にした直線に $dx^2$ を入れたもの$p\ne q$ なら $d_g(p,q)>0$
共形因子 $f$ が定数$\mathbb R$ 上の $\widetilde g=e^{2x}dx^2$$d_{\widetilde g}$ は $d_g$ の定数倍
距離の完備性$(0,1)$ 上の $dx^2$リーマン距離は完備
接続係数が零(座標による)平面の極座標Christoffel 記号が零でなければ曲がっている

最後の二行は本文で確かめた。残りを確かめる。

表の反例の確かめ

半正定値な形式。 $g=dx^2$ は $\partial_y$ に対して $g(\partial_y,\partial_y)=0$ で、正定値でない。$p=(0,0)$、$q=(0,1)$ を $\gamma(t)=(0,t)$ で結ぶと $\dot\gamma=\partial_y$ だから $L_g(\gamma)=0$ で、$d_g(p,q)=0$ となる。正値性の証明で使った「計量行列の最小固有値の正の下界」が $0$ になっている。
Lorentz 計量。 $v=\partial_x+\partial_y$ は零でないが $g(v,v)=1-1=0$ である。$w=\partial_y$ なら $g(w,w)=-1<0$ で、平方根による長さがそもそも実数にならない。曲線長の定義と距離の構成が、このままでは使えない。
原点を二重にした直線。 二本の実数直線を $x\ne0$ の点で同一視し、原点が $0_a,0_b$ の二つになった空間を考える。各点の近くは $\mathbb R$ の開区間と同相で、二つの座標は重なりで恒等写像なので、$dx^2$ は矛盾なくリーマン計量を定める。$\varepsilon>0$ について、$0_a$ から $a$ 側の座標で $\varepsilon$ へ進み、そこから $b$ 側の座標で $0_b$ へ戻る曲線の長さは $2\varepsilon$ である。従って $d_g(0_a,0_b)=0$ だが $0_a\ne0_b$ である。距離の正値性の証明で使った「座標球の閉包が一つの座標域に含まれ、座標球を出る曲線は座標で $r$ 以上進む」という段が、Hausdorff 性の欠如で成り立たない($0_a$ の座標球の閉包は必ず $0_b$ を含み、曲線は座標球の中から直接 $0_b$ へ抜けられる)。
定数でない共形因子。 $\widetilde g=e^{2x}dx^2$ では、区間 $[s,t]$ を右に進む曲線の長さは $\int_s^te^x\,dx=e^t-e^s$ である。$d_g(0,1)=d_g(1,2)=1$ だが、$d_{\widetilde g}(0,1)=e-1$、$d_{\widetilde g}(1,2)=e^2-e$ で、比 $d_{\widetilde g}/d_g$ は二点ごとに異なる。

関連項目

参考文献

[1]
John M. Lee, Introduction to Riemannian Manifolds, Graduate Texts in Mathematics 176, Springer, 2018, Chapter 2, Riemannian Metrics, pp. 9–54; Chapter 3, Model Riemannian Manifolds, pp. 55–83; Chapter 5, The Levi-Civita Connection, pp. 115–150; Chapter 6, Geodesics and Distance, pp. 151–191

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