最小多項式(線形代数)(minimal polynomial of a linear operator)とは、有限次元ベクトル空間の線形写像 $T$ を零化するモニック多項式のうち次数が最小のものである。任意の零化多項式を割り切り、行列の冪の最短の線形関係を表す。基底ベクトルごとの関係の最小公倍式、直和での計算、固有多項式との違い、固有値と対角化の判定を例と証明で説明する。
前提知識: 多項式環, 線形写像, 固有多項式, Cayley–Hamiltonの定理
正方行列 $A$ について $I,A,A^2,\ldots$ を順に作ると、有限次元ではどこかで線形関係が生じる。たとえば $A^3-4A^2+5A-2I=O$ が成り立つなら、さらに高い冪も $I,A,A^2$ の線形結合に書き直せる。このような関係のうち、次数が最も低いものを表すのが、線形代数でいう最小多項式である。
固有多項式も $A$ を零化する(Cayley–Hamiltonの定理)。しかし固有多項式には、同じ固有値が何回現れるかという次元の情報も含まれる。最小多項式が記録するのは、$A$ の冪をどこまで作れば新しいものが出なくなるか、そして固有値ごとにどの長さの Jordan の鎖が必要かである。両者を区別すると、同じ固有多項式をもつ行列の違いも見える。
以下、$K$ は体、$V$ は有限次元の零でない $K$ ベクトル空間、$T\colon V\to V$ は線形写像とする。多項式 $f(x)=a_0+a_1x+\cdots+a_dx^d\in K[x]$ に対し
$$
f(T):=a_0I+a_1T+\cdots+a_dT^d
$$
と定める。$f(T)=0$ となる $f$ を $T$ の零化多項式という。零多項式は常に零化するので、以下で「最小」と呼ぶときは零でない多項式に限る。
$T$ の最小多項式 $m_T\in K[x]$ は、$m_T(T)=0$ を満たすモニック(最高次係数が $1$)な多項式のうち、次数が最小のものである。行列 $A\in M_n(K)$ は $K^n$ 上の写像と見て $m_A$ と書く。
Cayley–Hamiltonの定理により固有多項式 $\chi_T$ は零化多項式なので、候補は存在する。除法の原理を用いると次の形に整理できる。
$m_T$ は一意に定まり、任意の $f\in K[x]$ について
$$
f(T)=0\quad\Longleftrightarrow\quad m_T\mid f
$$
である。特に $m_T\mid\chi_T$ で、$1\le\deg m_T\le\dim V$ となる。
$f=qm_T+r$、$\deg r<\deg m_T$ と除法で書く。$f(T)=0$ なら $r(T)=0$ であり、$r\ne0$ なら最高次係数で割って、$m_T$ より低次のモニックな零化多項式を得て矛盾する。よって $r=0$ である。逆に $m_T\mid f$ なら $m_T(T)=0$ から $f(T)=0$。二つのモニックな最小候補があれば互いを割り、したがって等しい。$\chi_T(T)=0$ と $\deg\chi_T=\dim V$ を適用すれば残りも従う。零でない定数多項式を $T$ に代入すると零でない定数倍の $I$ になるので、次数は $1$ 以上である。$\square$
この性質は Cayley–Hamiltonの定理 の命題「最小多項式は零化多項式を割り切る」にもある。ここから先は、最小多項式を実際に計算し、行列の形を読み取ることに重点を置く。
$m_T(x)=a_0+a_1x+\cdots+a_dx^d$ とすると、$T$ が可逆であることと $a_0\ne0$ は同値である。$a_0\ne0$ なら
$$
T^{-1}=-a_0^{-1}(a_1I+a_2T+\cdots+a_dT^{d-1})
$$
である。
$m_T(T)=0$ を $a_0I+T(a_1I+\cdots+a_dT^{d-1})=0$ と書き直す。$a_0\ne0$ なら表示の右辺が $T$ の逆になり、$T$ の多項式だから左右の積がともに $I$ である。反対に $a_0=0$ なら $m_T=xq$ である。もし $T$ が可逆なら $Tq(T)=0$ に $T^{-1}$ を掛けて $q(T)=0$ となるが、$\deg q<\deg m_T$ なので最小性に反する。$\square$
これは可逆性の判定に加え、逆行列を高い冪でなく $I,T,\ldots,T^{d-1}$ の線形結合として計算する方法を与える。例えば $T^2-3T+2I=0$ が最小の関係なら $T^{-1}=(3I-T)/2$ である。固有値に $0$ がないこととも同値だが、固有値を実際に求めなくても逆を表せる。
最小多項式の定義は、そのまま計算法になる。$I,A,A^2,\ldots$ を作り、初めて
$$
A^d+c_{d-1}A^{d-1}+\cdots+c_1A+c_0I=O
$$
となる $d$ を探す。このとき $m_A(x)=x^d+c_{d-1}x^{d-1}+\cdots+c_0$ である。$d$ は高々行列の次数 $n$ なので、無限に試す必要はない。各成分について係数 $c_i$ の連立一次方程式を解けばよい。
$K$ を $2\ne3$ となる体とし、
$$
A=\begin{pmatrix}2&0&0\\0&2&0\\0&0&3\end{pmatrix},
\qquad
B=\begin{pmatrix}2&1&0\\0&2&0\\0&0&3\end{pmatrix}
$$
とする。どちらも $\chi(x)=(x-2)^2(x-3)$ である。しかし
$$
m_A(x)=(x-2)(x-3),\qquad
m_B(x)=(x-2)^2(x-3).
$$
$A$ では $(A-2I)(A-3I)=O$ であり、$2,3$ の両方が固有値なので、これより低次の零化多項式はない。$B$ の左上 $2$ 次ブロックは $2I+N$、$N^2=O$ かつ $N\ne O$ なので、これを零化するには $(x-2)^2$ が必要である。右下の成分 $3$ を零化するには $(x-3)$ も必要だから、表示の $m_B$ を得る。同じ固有多項式でも $A$ は対角行列、$B$ は対角化できない。
単に固有値だけを求めたいなら $\chi_A$ の根で足りる。最小多項式の追加情報は、$2$ に対する「二重の関係」が必要かどうかである。$B-2I$ は零でないが、左上のブロックではその二乗が零になる。この指数は Jordan 細胞の長さを反映する(Jordan標準形)。
$K=\mathbb{R}$ とし、$R=\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}$ とする。$R^2=-I$ なので $x^2+1$ は零化する。$R$ がスカラー行列でないため、$x-a$ の形の多項式は零化しない。よって $m_R=x^2+1$ である。実数上では根がなく、実固有値もない。複素数上で同じ行列を見れば $m_R=(x-i)(x+i)$ となり、固有値は $i,-i$ である。係数体を明記しないまま「最小多項式が一次式に分かれる」と述べてはいけない。
行列そのものの冪を並べる代わりに、$v,Tv,T^2v,\ldots$ という列を調べることもできる。$v$ に対して $f(T)v=0$ となるモニック多項式のうち最小次数のものを $m_{T,v}$ と書く。$v=0$ なら $m_{T,0}=1$ と約束する。
$v_1,\ldots,v_s$ が $V$ の基底なら
$$
m_T=\operatorname{lcm}(m_{T,v_1},\ldots,m_{T,v_s})
$$
である。右辺はモニックな最小公倍式を表す。
$v$ を固定する。$f(T)v=0$ となる多項式は $K[x]$ のイデアルをなし、$m_{T,v}$ で割った余りも $v$ を零化する。最小性から余りは $0$ なので、$f(T)v=0$ と $m_{T,v}\mid f$ は同値である。$f(T)=0$ はすべての基底ベクトル $v_i$ について $f(T)v_i=0$ であることと同値だから、すべての $m_{T,v_i}$ が $f$ を割ることと同値である。そのようなモニック多項式のうち最小次数のものは最小公倍式であり、prop-minimal-polynomial-la-divides から $m_T$ に等しい。$\square$
この命題を使えば、一つのベクトルで分からなかった関係を他の基底ベクトルが補う。たとえば前の $A$ では $e_1,e_2$ の最小多項式は $x-2$、$e_3$ のそれは $x-3$ なので、全体ではその最小公倍式 $(x-2)(x-3)$ になる。一つの $e_1$ だけを調べて $m_A=x-2$ と結論するのは誤りである。
$v,Tv,\ldots,T^{n-1}v$ が $V$ の基底($n=\dim V$)になるとき、$v$ を $T$ の巡回ベクトルという。
$v$ が巡回ベクトルなら $\deg m_T=n$ であり、$m_T=m_{T,v}=\chi_T$ である。
$v,Tv,\ldots,T^{n-1}v$ は一次独立なので、次数 $n$ 未満の零でない多項式 $f$ に $f(T)v=0$ は起こらない。prop-minimal-polynomial-la-divides より $\deg m_T\le n$ で、$m_T(T)v=0$ だから $\deg m_T=n$ である。$m_{T,v}\mid m_T$ であり、その次数も $n$ 以上だから等しい。また $m_T\mid\chi_T$ で両方が次数 $n$ のモニック多項式なので等しい。$\square$
ここでの「巡回」は行列の冪を計算する方法に直結する。ある $v$ から作った $n$ 本の列が基底なら、$T^nv$ をそれらで表した一つの関係だけで $m_T$ が得られる。ただし巡回ベクトルはすべての作用素にあるわけではない。たとえば $I$ は $n>1$ のとき、どの $v$ についても $Iv=v$ なので $v,Iv,\ldots$ は一次独立にならない。
一つの行列を小さい不変部分空間に分けられるとき、最小多項式は各部分の情報をまとめて計算できる。固有多項式は積になるが、最小多項式は最小公倍式になるという違いが重要である。
$A\in M_r(K)$、$B\in M_s(K)$ に対し、$A\oplus B=\begin{pmatrix}A&0\\0&B\end{pmatrix}$ とする。このとき
$$
m_{A\oplus B}=\operatorname{lcm}(m_A,m_B),\qquad
\chi_{A\oplus B}=\chi_A\chi_B.
$$
任意の多項式 $f$ に対し $f(A\oplus B)=f(A)\oplus f(B)$ なので、$f$ が $A\oplus B$ を零化することは、$A$ と $B$ をともに零化することと同値である。prop-minimal-polynomial-la-divides により、これは $m_A\mid f$ かつ $m_B\mid f$、すなわち $\operatorname{lcm}(m_A,m_B)\mid f$ と同値である。固有多項式の式は $\det(xI-(A\oplus B))=\det(xI-A)\det(xI-B)$ から従う。$\square$
この命題を前の例に使うと、$B=J_2(2)\oplus(3)$ で、$m_{J_2(2)}=(x-2)^2$、$m_{(3)}=x-3$ だから $m_B=(x-2)^2(x-3)$ となる。同じ $J_2(2)$ を二つ直和しても、最小多項式は $(x-2)^2$ のままで、固有多項式の指数だけが増える。
$\lambda\in K$ について、$\lambda$ が $T$ の固有値であることと $m_T(\lambda)=0$ は同値である。
$Tv=\lambda v$ を満たす $v\ne0$ があれば $m_T(T)v=m_T(\lambda)v=0$ なので $m_T(\lambda)=0$。逆に $m_T(\lambda)=0$ なら $m_T(x)=(x-\lambda)q(x)$ で、$q$ は $m_T$ より低次だから $q(T)\ne0$。したがってある $v$ に対して $w=q(T)v\ne0$ となり、$(T-\lambda I)w=m_T(T)v=0$ である。$\square$
この命題は固有多項式と同様に固有値の集合を教えるが、各因子の指数も読むには最小多項式が必要である。
$T$ が $K$ 上で対角化可能であることと、$m_T$ が $K[x]$ で相異なる一次式の積になることは同値である。根が $K$ にない場合、たとえ重根がなくても $K$ 上の対角化は結論できない。
$T$ が対角行列 $\operatorname{diag}(\lambda_1,\ldots,\lambda_n)$ と相似なら、$f(T)=0$ は $f(\lambda_i)=0$ がすべての $i$ について成り立つことと同値であり、$m_T$ は異なる $\lambda_i$ に対応する一次式を一度ずつ掛けたものになる。
逆に $m_T=\prod_{i=1}^r(x-\lambda_i)$($\lambda_i$ は相異なる)とする。各 $i$ について Lagrange の多項式
$$
e_i(x):=\prod_{j\ne i}\frac{x-\lambda_j}{\lambda_i-\lambda_j}
$$
を作ると、$e_i(\lambda_j)$ は $i=j$ で $1$、それ以外で $0$ である。$\sum_i e_i(x)-1$ は次数 $r$ 未満で相異なる $r$ 個の根をもつので零多項式であり、$\sum_i e_i(T)=I$ となる。また $(x-\lambda_i)e_i(x)$ は $m_T$ の倍数なので $(T-\lambda_iI)e_i(T)=0$。よって任意の $v$ は $v=\sum_i e_i(T)v$ と固有空間の元の和に分かれ、異なる固有値の固有空間の和は直和なので、各固有空間の基底を合わせれば $V$ の固有ベクトル基底になる。$\square$
前の実回転行列 $R$ では $m_R=x^2+1$ は重根をもたないが、$\mathbb{R}$ で一次式の積にならない。したがって実数上では対角化できない。複素数上では $(x-i)(x+i)$ と分解し、対角化できる。これは「重根なし」と「その体で一次式に分解する」を分ける反例である。
最小多項式(体論) は、拡大体 $L/K$ の元 $\alpha$ を零化する $K[x]$ のモニックな多項式である。線形代数では、ベクトル空間全体の写像 $T$ を零化する多項式を考える。両者は共通の構造をもつ。実際、$L/K$ が有限次拡大で $M_\alpha\colon L\to L$ を $M_\alpha(u)=\alpha u$ と定めると、
$$
f(M_\alpha)u=f(\alpha)u
$$
であり、$f(M_\alpha)=0$ と $f(\alpha)=0$ は同値である。したがって $M_\alpha$ の線形代数での最小多項式は、$\alpha$ の体論での最小多項式に一致する。しかし一般の行列 $A$ は「体の元による掛け算」として与えられているわけではなく、二つの記事の対象と使い方は異なる。
固有多項式の次数は常に $\dim V$ だが、最小多項式の次数はそれ以下で、$T$ の冪の関係の短さを表す。Jordan標準形は固有値ごとのブロックの個数と大きさをすべて記録する。最小多項式が記録するのは各固有値について最大のブロックの大きさまでであり、ブロック全体の並びまでは分からない。
刊行書 Axl24 第5章 §5B は最小多項式の存在・一意性、零化多項式の倍数条件、固有値との対応、行列の冪からの計算法を扱う。本記事の巡回ベクトル、直和、対角化の証明は、ここで定めた記号と既存の Cayley–Hamilton の記事に合わせて記した。
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