余接空間(cotangent space)とは、滑らかな多様体の点では接空間の双対であり、スキームの局所環では極大イデアルの一次部分 $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ として現れるベクトル空間である。座標微分が基底となり、代数多様体では方程式の Jacobi 行列から次元を計算できる。$k$ 有理点では Kähler 微分のファイバーとも一致し、特異点や冪零元の無限小の方向を検出する。
前提知識: 接空間, 双対空間(線形代数), 局所環, Kähler微分
点の近くで関数がどの方向に変化するかを測る $df$ は、接ベクトルを数に送る線形写像である。そのため、点 $p$ の余接空間(cotangent space)は接空間 $T_pM$ の双対 $(T_pM)^*$ として現れる。滑らかな多様体では $dx^1,\ldots,dx^n$ がその局所的な基底となる。一方、代数幾何では、点で零になる関数を二次以上の項で割った $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ が同じ役割を果たす。特異点やスキームにも使える点が重要である。
「余接空間」という言葉は分野によって定義の出発点が違う。滑らかな多様体では接空間の双対から、スキームでは局所環または Kähler 微分のファイバーから始める。滑らかな複素多様体の点では両者は同じ一次情報を記録する。本記事ではこの対応を明示し、方程式から余接空間を計算し、特異点で何が変わるかを見る(Lee12 Chapter 11、StacksCTS Tag 0B28)。
$M$ を実 $n$ 次元の滑らかな多様体、または複素 $n$ 次元の複素多様体とし、$p\in M$ とする。複素多様体では正則接空間と正則関数の微分を考える。$T_pM$ はそれぞれの意味での $p$ における接空間であり、係数体 $\mathbb F$ は実の場合 $\mathbb R$、複素の場合 $\mathbb C$ とする。
$p$ における余接空間を $T_p^*M:=\operatorname{Hom}_{\mathbb F}(T_pM,\mathbb F)$ と定める。$T_pM$ の元を接ベクトル、$T_p^*M$ の元を余接ベクトルまたは共変ベクトルという。
$p$ の近くの局所座標 $(x^1,\ldots,x^n)$ を選ぶと、座標方向のベクトル $\partial/\partial x^j|_p$ が接空間の基底になる。余接空間の双対基底 $dx^i|_p$ は
$$
dx^i|_p\left(\frac{\partial}{\partial x^j}\bigg|_p\right)=\delta^i_j
$$
を満たす。関数 $f$ の微分は $df_p(v)=v(f)$ によって定まり、$df_p=\sum_i(\partial f/\partial x^i)(p)\,dx^i|_p$ と表される。これは局所座標で習う偏微分の式を、座標に依存しない線形写像として読み直したものである。
局所座標 $(x^1,\ldots,x^n)$ について、$dx^1|_p,\ldots,dx^n|_p$ は $T_p^*M$ の基底である。任意の滑らかな関数 $f$ について $df_p=\sum_i(\partial f/\partial x^i)(p)\,dx^i|_p$ が成り立つ。
$v_j=\partial/\partial x^j|_p$ と置く。座標関数 $x^i$ に対し $v_j(x^i)=\delta^i_j$ なので、$dx^i|_p(v_j)=\delta^i_j$ である。従って $dx^i|_p$ は $v_j$ の双対基底である。任意の $v=\sum_jv^jv_j$ について $df_p(v)=v(f)=\sum_jv^j(\partial f/\partial x^j)(p)$。右辺の表示も同じ $v$ に同じ値を与えるため、余接空間の元として等しい。ここで $f$ は実の場合は滑らかな関数、複素の場合は正則関数である。
この証明が使うのは、接ベクトルが関数への導分として作用することと、線形代数における双対基底の一意性である。座標を変えると $\partial/\partial x^j$ と $dx^i$ は逆向きの行列で変換される。これが接ベクトルの成分を反変、余接ベクトルの成分を共変と呼ぶ理由である。
$\mathbb R^2$ の座標を $u=x+y$、$v=x-y$ に変えると、$du=dx+dy$、$dv=dx-dy$ である。逆に $dx=(du+dv)/2$、$dy=(du-dv)/2$ となる。同じ余接ベクトル $dx$ の成分は、$(dx,dy)$ では $(1,0)$、$(du,dv)$ では $(1/2,1/2)$ だが、接ベクトルへの作用は変わらない。
点ごとの $T_p^*M$ を集めたものが余接束 $T^*M$ であり、その滑らかな切断が一次の微分形式である。余接空間は一点での線形代数、余接束は多様体全体にわたる幾何を表す。したがって「$df_p$」は一点の余接ベクトル、「$df$」は余接束の切断である。
代数幾何では、多様体が滑らかとは限らない。$A$ を局所環、$\mathfrak m$ をその極大イデアル、$\kappa=A/\mathfrak m$ を剰余体とする。$\mathfrak m$ の元は点で値が零になる関数の芽と考えられ、$\mathfrak m^2$ の元はそのような関数の積、すなわち二次以上の部分とみなせる。
局所環 $(A,\mathfrak m,\kappa)$ のZariski 余接空間を $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ と定める。$\mathfrak m(\mathfrak m/\mathfrak m^2)=0$ だから、これは $\kappa$ 上のベクトル空間である。その $\kappa$ 双対が Zariski 接空間 $\operatorname{Hom}_\kappa(\mathfrak m/\mathfrak m^2,\kappa)$ である。
関数の芽 $f\in\mathfrak m$ の類は、その点での「一次部分」である。二つの芽の差が $\mathfrak m^2$ に入れば、余接空間では同じ一次部分を持つ。$f,g\in\mathfrak m$ なら $fg\in\mathfrak m^2$ なので、点でともに零になる二つの関数の積は一次部分を持たない。この構成には座標、埋め込み、滑らかさを選ぶ必要がない。
局所環の余接空間の次元は、極大イデアルの最小生成元数を測る。$A$ が Noether 局所環なら Nakayama の補題により、$\dim_\kappa\mathfrak m/\mathfrak m^2$ は $\mathfrak m$ の最小生成元数と等しく、埋め込み次元と呼ばれる。滑らかな点では期待される多様体の次元と一致し、特異点では大きくなり得る。この比較が特異点の検出に使われる。
$A=k[x_1,\ldots,x_n]_{(x_1,\ldots,x_n)}$ とし、$\mathfrak m=(x_1,\ldots,x_n)A$ とする。$\mathfrak m^2$ は二次以上の項を含む。したがって $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ は $x_1,\ldots,x_n$ の類を基底とする $n$ 次元 $k$ ベクトル空間である。$k=\mathbb C$ なら、これは複素アフィン空間の原点での $dx_1,\ldots,dx_n$ と対応する。関数 $f$ の一次成分が $\sum_i(\partial f/\partial x_i)(0)x_i$ となることが、この対応の具体的な形である。
$f\in\mathfrak m$ は局所化の分数 $g/h$($g(0)=0$、$h(0)\ne0$)と書ける。$h=h(0)+h_1$、$h_1\in\mathfrak m$ だから、$1/h$ と $1/h(0)$ の差は $\mathfrak m$ に属する。従って $f=g/h$ の $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ での類は $g$ の一次部分を $h(0)$ で割ったものに等しい。よって $x_i$ の類が全体を張る。一方、$\sum_i a_ix_i\in\mathfrak m^2$ なら左辺の一次係数は全て零なので、$a_i=0$。したがってこれらの類は一次独立である。
この計算は原点に限らない。$a=(a_1,\ldots,a_n)\in k^n$ なら極大イデアル $\mathfrak m_a=(x_1-a_1,\ldots,x_n-a_n)$ を用い、$x_i-a_i$ の類が余接空間の基底になる。平行移動で原点の場合に帰着できるためである。複素数上では局所座標の微分 $dx_i|_a$ と直接対応する。
$X\subseteq\mathbb A^n_k$ が多項式 $F_1,\ldots,F_r$ の共通零点で与えられ、$a$ を $k$ 有理点とする。各 $F_j(a)=0$ であり、$F_j$ の $a$ のまわりでの一次部分は $\sum_i(\partial F_j/\partial x_i)(a)(x_i-a_i)$ である。よって余接空間は、座標微分の張る空間から、これら一次の関係式を割ったものになる。
$X=\operatorname{Spec}k[x_1,\ldots,x_n]/(F_1,\ldots,F_r)$ とし、$a\in X(k)$ とする。$a$ の局所環の余接空間は
$$
T_a^*X\cong k^n/\operatorname{span}_k\{dF_1(a),\ldots,dF_r(a)\}
$$
である。ここで $dF_j(a)$ は係数 $\partial F_j/\partial x_i(a)$ を持つ一次形式であり、$\dim_kT_a^*X=n-\operatorname{rank}J_F(a)$ となる。
$P=k[x_1,\ldots,x_n]$、$J=(F_1,\ldots,F_r)$、$\mathfrak n=(x_1-a_1,\ldots,x_n-a_n)$ とする。$J\subseteq\mathfrak n$ で、$X$ の $a$ の極大イデアルは $\mathfrak m=\mathfrak n/J$ である。局所化しても有限次元の商は変わらないから
$$
\mathfrak m/\mathfrak m^2\cong\mathfrak n/(\mathfrak n^2+J).
$$
上節の計算から $\mathfrak n/\mathfrak n^2$ は $x_i-a_i$ の類による $k^n$ と同一視される。$F_j$ の像は Taylor 展開の一次部分 $dF_j(a)$ である。$J$ の任意の元 $\sum_jH_jF_j$ の一次部分は $\sum_jH_j(a)dF_j(a)$ なので、$J$ の像はちょうど $dF_j(a)$ の張る部分空間である。これを割れば表示が得られ、次元式は階数・零化次元の公式による。
この表示の双対を取ると、接空間は Jacobi 行列の核として現れる。余接空間では方程式の微分が関係式を作り、接空間では同じ微分が接ベクトルへの条件を作る。両者の違いを押さえると、商と核が逆向きに現れる理由が分かる。
$X\subset\mathbb A^2_k$ を $F(x,y)=y^2-x^3$ で定める。原点では $\partial F/\partial x=-3x^2$、$\partial F/\partial y=2y$ がともに零なので $T_0^*X$ は $dx,dy$ の二次元空間である。一方 $X$ 自体は曲線で一次元であり、この差が原点の特異性を示す。$a=(1,1)$ では $dF(a)=-3dx+2dy\ne0$ だから $T_a^*X$ は一次元である。標数 $2$ では $-3$、標数 $3$ では $2$ がそれぞれ零でないため、この結論は任意の標数で成り立つ。$a$ は滑らかな点である。
$A=k[\varepsilon]/(\varepsilon^2)$ の唯一の点における極大イデアルは $\mathfrak m=(\varepsilon)$ で、$\mathfrak m^2=0$ である。従って余接空間は $k\varepsilon$ の一次元となる。基礎位相空間は一点だけでも、余接空間は零ではない。冪零元が無限小の方向を記録するためである。これを単なる一点 $\operatorname{Spec}k$ と比べると、後者の余接空間は零である。
体 $k$ 上の有限型スキーム $X$ と $k$ 有理点 $x$ を考える。$X$ の Kähler 微分の層 $\Omega^1_{X/k}$ は、関数を形式的に微分した記号を Leibniz 則に従って集めたものである。その点 $x$ におけるファイバー $\Omega^1_{X/k,x}\otimes_{\mathcal O_{X,x}}k$ は、上の $\mathfrak m_x/\mathfrak m_x^2$ と自然に同型になる(StacksCTS Lemma 33.16.5)。この同型によって、滑らかな複素多様体で使った $df_x$ と、スキームの局所環で使う「関数の一次部分」が同じ対象になる。
$X$ を体 $k$ 上のスキーム、$x\in X(k)$ とする。$A=\mathcal O_{X,x}$ の極大イデアルを $\mathfrak m$ とすると、自然な $k$ 線形写像
$$
\mathfrak m/\mathfrak m^2\longrightarrow\Omega^1_{X/k,x}\otimes_A k,
\qquad [f]\longmapsto df\otimes1
$$
は同型である。
$k=A/\mathfrak m$ であり、$x$ が $k$ 有理点なので構造写像 $k\to A$ と剰余写像 $A\to k$ の合成は恒等である。したがって $A$ の各元 $a$ は、一意に定数 $c\in k$ と $u\in\mathfrak m$ の和 $a=c+u$ と書ける。$d(c)=0$ だから、$\Omega^1_{A/k}\otimes_Ak$ は $du\otimes1$($u\in\mathfrak m$)で生成される。また $u,v\in\mathfrak m$ なら $d(uv)\otimes1=(u\,dv+v\,du)\otimes1=0$ なので、$u\mapsto du\otimes1$ は $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ を経由して全射を与える。
逆写像を作るため、$a=c+u$ に $\delta(a)=[u]\in\mathfrak m/\mathfrak m^2$ を対応させる。$a=c+u$、$b=d+v$ の積の一次部分は $cv+du$ であるから、$\delta(ab)=c\delta(b)+d\delta(a)$。これは $A$ から、剰余写像で $A$ 加群とみた $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ への $k$ 導分である。Kähler 微分の普遍性により $da\otimes1\mapsto\delta(a)$ という $k$ 線形写像が定まり、先の全射の逆になる。
この証明で重要なのは、剰余体が基礎体 $k$ と同じであり、各 $a\in A$ の定数部分を $k$ の元として取り出せることである。非有理点では $\kappa(x)$ が $k$ の拡大となり、この単純な定数分解は使えない。相対余接空間を一般に定めるときは、$\Omega^1_{X/k,x}\otimes_{\mathcal O_{X,x}}\kappa(x)$ を用いる。この空間と $\mathfrak m_x/\mathfrak m_x^2$ を、剰余体の拡大に関する仮定なしで同一視してはいけない。
$k=\mathbb Q$、$X=\operatorname{Spec}\mathbb Q[t]$ の一般点 $\eta$ を考える。その局所環は体 $A=\mathbb Q(t)$ で極大イデアルは $\mathfrak m_\eta=0$ だから、$\mathfrak m_\eta/\mathfrak m_\eta^2=0$ である。一方、$\Omega^1_{\mathbb Q(t)/\mathbb Q}\cong\mathbb Q(t)\,dt$ は一次元である。つまり基礎体に関する一次変化は存在するが、局所環の極大イデアルだけを見ると零になる。二つの「余接空間」が一般点で異なることを示す例である。
$k$ 上の複素代数多様体を扱うとき、閉点が複素数値なら剰余体は $\mathbb C$ であり、この二つの定義は一致する。一般点や数論的なスキームに話を広げるときには、絶対的な局所環の余接空間 $\mathfrak m/\mathfrak m^2$ と、基礎に相対的な Kähler 微分のファイバーのどちらを使うか指定する。この区別は、微分の層を底変換したり、射 $X\to S$ に沿う相対接空間を考えたりするときに必要になる。
滑らかな写像 $F:M\to N$ は各点 $p$ で微分 $dF_p:T_pM\to T_{F(p)}N$ を定める。双対を取ると余接空間の向きは逆になり、$F^*:T_{F(p)}^*N\to T_p^*M$、$\alpha\mapsto\alpha\circ dF_p$ となる。関数 $g$ については、連鎖律 $d(g\circ F)_p=F^*(dg_{F(p)})$ を得る。
代数幾何でも同じ逆向きの現象が起こる。$k$ 上のスキームの射 $F:X\to Y$ と $k$ 有理点 $x\mapsto y$ は、局所環の準同型 $\mathcal O_{Y,y}\to\mathcal O_{X,x}$ を誘導する。この写像は $\mathfrak m_y$ を $\mathfrak m_x$ に送り、積も保つため、一次部分の写像 $\mathfrak m_y/\mathfrak m_y^2\to\mathfrak m_x/\mathfrak m_x^2$ を与える。双対を取ると接空間の写像 $T_xX\to T_yY$ になる。幾何的な写像と余接空間の写像の向きが反対になることは、滑らかな場合と代数的な場合に共通している。
尖点 $X:y^2=x^3$ への写像 $F:\mathbb A^1_k\to X$ を $t\mapsto(t^2,t^3)$ で定める。原点の余接空間では $dx,dy$ が基底で、直線側では $dt$ が基底である。引き戻しは $dx\mapsto d(t^2)|_{t=0}=0$、$dy\mapsto d(t^3)|_{t=0}=0$ なので零写像になる。写像 $F$ 自体は非定数で、尖点以外の点では方向を動かす。それでも原点での一次微分は零である。一次の情報だけでは高次の接触を区別できないことが分かる。
本記事の定理は「局所座標」「$k$ 有理点」「Noether」「滑らか」などの仮定を使っている。仮定を一つ外すと結論が崩れる反例を並べる。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 局所座標(thm-cotangent-space-dual-basis) | $\mathbb R$ 上の同相写像 $u=x^3$ | $du_0$ が $T_0^*\mathbb R$ の基底 |
| $k$ 有理点(thm-cotangent-space-differentials) | $k=\mathbb F_p(s)$ 上の $X=\operatorname{Spec}k[t]/(t^p-s)$ の唯一の点 | $\mathfrak m/\mathfrak m^2\cong\Omega^1\otimes\kappa$ |
| Noether(埋め込み次元=最小生成元数) | 値群 $\mathbb Q$ の付値環 | $\dim\mathfrak m/\mathfrak m^2$ が $\mathfrak m$ の最小生成元数 |
| 滑らかな点 | 尖点 $y^2=x^3$ の原点 | 余接空間の次元が曲線の次元 $1$ |
| 同型な射(引き戻し) | $t\mapsto(t^2,t^3)$ | 全単射の射は余接空間の同型を引き起こす |
| 被約 | $\operatorname{Spec}k[\varepsilon]/(\varepsilon^2)$ | 台が一点なら余接空間は零 |
各行の確認は次のとおりである。
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