分解定理(decomposition theorem)とは、複素代数多様体の間の固有射 $f\colon X\to Y$($X$ は滑らか)に対し、順像複体 $Rf_*(\mathbb{Q}_X[\dim X])$ が $D^b_c(Y)$ の半単純複体——すなわち各偏屈コホモロジー ${}^pH^i$ が半単純な偏屈層であり、複体自身がそれらのシフトの直和に(導来圏で)同型になる——という現象を述べるBeilinson–Bernstein–Deligneの定理のことをいう。$X$ が特異でも $\mathbb{Q}_X[\dim X]$ を交叉コホモロジー複体 $IC_X$ に置き換えれば成り立ち、$f$ が滑らかとは限らない一般の固有射に対しても常に成り立つという驚くべき強さを持ち、位相幾何・代数幾何・表現論を横断する現代的な道具の中心に位置する。
前提知識: アーベル圏, 導来圏, t構造, 偏屈層, 交叉コホモロジー
偏屈層で導入した $D^b_c(X)$ の対象 $K$ が半単純であるとは、各次数の偏屈コホモロジー ${}^pH^i(K)\in\operatorname{Perv}(X)$(t構造の意味でのコホモロジー関手を偏屈t構造に適用したもの)がすべてdef-simple-semisimpleの意味で半単純な $\operatorname{Perv}(X)$ の対象であり、かつ導来圏 $D^b_c(X)$ において
$$
K\cong\bigoplus_i{}^pH^i(K)[-i]
$$
という同型が成り立つことをいう。
$f\colon X\to Y$ を複素代数多様体の間の固有射(proper morphism)とし、$X$ は滑らかで純次元(たとえば連結)であるとする。このとき $Rf_*(\mathbb{Q}_X[\dim X])$ は $D^b_c(Y)$ のdef-semisimple-complexの意味での半単純複体である。
thm-decomposition-theorem の証明は本記事の範囲を大きく超える($f$ が滑らかな場合のDeligneの退化定理に始まり、Hard Lefschetz定理の相対版・層別に関する帰納法を組み合わせる高度な議論を要する)ため、標準的な事実として引用する(BBD82 §6.2)。
thm-decomposition-theorem は、$X$ が特異でも $\mathbb{Q}_X[\dim X]$ を $X$ の交叉コホモロジー複体 $IC_X$(交叉コホモロジー)に置き換えれば成り立つ($X$ は純次元とする)。すなわち固有射 $f\colon X\to Y$ に対し $Rf_*IC_X$ は半単純であって、各偏屈コホモロジー ${}^pH^i(Rf_*IC_X)$ は、$Y$ の既約で滑らかな局所閉部分多様体 $Z\subset Y$ とその上の既約局所系 $L$ から作られる交叉コホモロジー複体 $IC_{\overline Z}(L)$($L[\dim Z]$ の閉包 $\overline Z$ への中間拡張)の直和である。さらに $f$ が射影的なら相対 Hard Lefschetz 定理が成り立つ:$f$ に相対的に豊富な直線束の第1 Chern 類 $\eta$ について、$\eta^i\colon{}^pH^{-i}(Rf_*IC_X)\to{}^pH^{i}(Rf_*IC_X)$ は同型である(BBD82 §6.2、§5.4)。
分解定理の驚くべき点は、$f$ に滑らかさや平坦性などの追加の仮定を一切課さず、固有性だけを仮定して半単純性という強い結論を導くところにある。素朴には、$f$ が特異点を持つ空間の間の写像であれば、順像 $Rf_*$ は複雑に絡み合った(半単純でない)複体になりそうに思える。分解定理は、$X$ が特異でも $\mathbb{Q}_X[\dim X]$ を $IC_X$ に置き換えれば成り立ち、その絡み合いが実は解け、$Y$ 上の「独立した層」たちの直和として完全に分離されることを保証する。この分離のおかげで、$X$ の(コ)ホモロジーを $Y$ 上の各偏屈コホモロジー層の(コ)ホモロジーの直和として計算できるようになり、代数幾何・表現論(旗多様体上の層・Springer対応など)における最も強力な計算道具の1つになっている。
各次数 $n$ で、$B^n:=\operatorname{im}(d^{n-1})\subseteq Z^n:=\ker(d^n)\subseteq V^n$ とおく。$k$ は体だから、$V^n$ の部分空間 $Z^n$ には補空間 $C^n$($V^n=Z^n\oplus C^n$)が存在し、$Z^n$ の部分空間 $B^n$ には補空間 $H'^n$($Z^n=B^n\oplus H'^n$)が存在する。$H'^n$ は射影 $Z^n\to Z^n/B^n=H^n(V^\bullet)$ の制限として $H^n(V^\bullet)$ と同型である。
このとき $V^n=H'^n\oplus B^n\oplus C^n$ であり、微分 $d^n\colon V^n\to V^{n+1}$ は:$H'^n$ 上では $0$($H'^n\subseteq Z^n=\ker d^n$)、$B^n$ 上では $0$(同様に $B^n\subseteq Z^n$)、$C^n$ 上では単射で像は $d^n(C^n)=d^n(V^n)=B^{n+1}$ に一致する($C^n$ は $Z^n$ の補空間だから $d^n|_{C^n}$ は単射、像は定義から $B^{n+1}$)。
したがって $V^\bullet$ は複体としての直和 $V^\bullet=H'^\bullet\oplus A^\bullet$ に分解する。ここで $H'^\bullet$ は各次数 $H'^n$(微分は恒等的に $0$)からなる部分複体であり、$H'^n\cong H^n(V^\bullet)$ なのでこれは $\bigoplus_iH^i(V^\bullet)[-i]$ に他ならない。$A^\bullet:=\bigoplus_n(B^n\oplus C^n)$ は、次数 $n$ で $\ker(d^n|_{A^n})=B^n$、次数 $n$ での像 $\operatorname{im}(d^{n-1}|_{A^{n-1}})=B^n$($C^{n-1}\xrightarrow{\cong}B^n$ が全射なため)となるから $H^n(A^\bullet)=B^n/B^n=0$(すべての $n$)、すなわち $A^\bullet$ は非輪状(acyclic)である。
ゆえに包含 $H'^\bullet\hookrightarrow V^\bullet=H'^\bullet\oplus A^\bullet$ は、コホモロジーの加法性 $H^n(V^\bullet)=H^n(H'^\bullet)\oplus H^n(A^\bullet)=H'^n\oplus0$ により擬同型であり、導来圏において $V^\bullet\cong H'^\bullet=\bigoplus_iH^i(V^\bullet)[-i]$ が成り立つ。$\blacksquare$
$Y=\{*\}$(一点)のとき、$f\colon X\to\{*\}$ が固有射であることは $X$ がコンパクト空間であることと同値であり、$Rf_*(\mathbb{Q}_X[\dim X])$ は $X$ 上の超コホモロジー複体 $R\Gamma(X,\mathbb{Q}_X[\dim X])$ そのものである。$X$ はコンパクトだから各 $H^i(X;\mathbb{Q})$ は有限次元であり、$R\Gamma(X,\mathbb{Q}_X[\dim X])$ は $D^b_c(\{*\})$ の対象として有限次元 $\mathbb{Q}$ ベクトル空間の有界複体で表せる。一点上では偏屈層の意味での偏屈t構造は標準t構造に一致し $\operatorname{Perv}(\{*\})=\mathbf{Vect}_{\mathbb{Q}}$($\mathbb{Q}$ 上の有限次元ベクトル空間の圏)となるが、def-simple-semisimpleの意味で $\mathbf{Vect}_{\mathbb{Q}}$ の単純対象は1次元ベクトル空間であり、任意の対象は1次元ベクトル空間の直和として常に半単純である。したがってprop-field-complex-splits($k=\mathbb{Q}$ の場合)そのものが、$Y$ が一点であるときの分解定理の主張を与える——分解定理は、この「体上の複体は常に分解する」という初等的な事実の、一般の固有射 $f$ への非自明な拡張になっている。
$f=\operatorname{id}_X\colon X\to X$($X$ が滑らかかつ既約)のとき、$Rf_*(\mathbb{Q}_X[\dim X])=\mathbb{Q}_X[\dim X]$ であり、これは交叉コホモロジーの記事の命題(滑らかな場合)により $IC_X$ に一致する。偏屈層で述べた分類(既約な閉部分多様体とその上の既約局所系から作られる交叉コホモロジー複体が $\operatorname{Perv}(X)$ の単純対象を尽くすこと)により、$X$ が既約であれば $IC_X$ 自身が単純対象であり、とくに半単純である。ゆえにdef-semisimple-complexの意味で ${}^pH^0(Rf_*(\mathbb{Q}_X[\dim X]))=IC_X$ のみが非零(他の次数は $0$)であるから、この場合の分解定理の主張は自明に成り立つ。
$f\colon X\to Y$ が複素代数多様体の間の滑らかな射影射(smooth projective morphism)であるとき、
$$
Rf_*(\mathbb{Q}_X)\cong\bigoplus_iR^if_*(\mathbb{Q}_X)[-i]
$$
という同型が成り立つ(各層 $R^if_*(\mathbb{Q}_X)$ は局所定数層である)。
thm-decomposition-theorem-smooth-proper は分解定理の特別な場合であり、歴史的にはBBDの一般論に先行する。証明はLerayスペクトル系列の退化(相対Hard Lefschetz定理を用いる)によるものであり、標準的な事実として引用する(Del68)。$f$ が射影的とは限らない滑らかな固有射(smooth proper morphism)の場合も、$X$ が滑らかなら同じ同型が成り立つが、これは thm-decomposition-theorem(BBD82 §6.2)から従う。
滑らかな曲面 $X$ の一点 $p$ での爆発 $f\colon\widetilde X\to X$ では
$$
Rf_*\mathbb{Q}_{\widetilde X}[2]\cong\mathbb{Q}_X[2]\oplus\mathbb{Q}_p
$$
が成り立つ。ここで $\mathbb{Q}_p$ は一点 $p$ に台をもつ摩天楼層であり、例外曲線 $\mathbb{P}^1=f^{-1}(p)$ のコホモロジー $H^2(\mathbb{P}^1;\mathbb{Q})\cong\mathbb{Q}$ の寄与である。詳しくは dCM09 を参照。
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