スライス圏(豊穣圏)(enriched slice category)とは、豊穣圏の固定対象へ向かう構造射を対象とし、その構造を厳密に保つ射の族をHom対象として集める豊穣圏である。Cartesianな基礎ではHomの引き戻しで構成でき、通常のスライス圏を回収するが、一般のモノイダル基礎や∞圏のスライスへの移行には追加条件が必要になる。
前提知識: 豊穣圏, スライス圏, 引き戻し, Cartesian閉圏
$\mathcal V$ を完備なCartesian閉圏とし、積を $\times$、終対象を $1$ とする。モノイダル構造はこの積で、単位も $1$ である。完備性・閉性は以下の説明に十分な仮定であり、最小条件という主張ではない。$\mathcal C$ は $\mathcal V$-圏(豊穣圏)、$c$ はその対象とする。
豊穣圏のHomは $\mathcal C(x,y)\in\mathcal V$ で、合成は $\mathcal C(y,z)\times\mathcal C(x,y)\to\mathcal C(x,z)$、単位は $1\to\mathcal C(x,x)$ である。台となる通常の圏 $\mathcal C_0$ の射 $x\to y$ は $1\to\mathcal C(x,y)$ を意味する。
スライス圏(豊穣圏) (enriched slice category) $\mathcal C/c$ の対象は、$\mathcal C_0$ の射 $p:x\to c$ である。$p:x\to c$、$q:y\to c$ に対するHom対象を、$\mathcal V$ 内の引き戻し
$$
(\mathcal C/c)(p,q)
:=\mathcal C(x,y)\mathop{\times}_{\mathcal C(x,c)}1
$$
で定める。右側の二つの写像は後合成 $q_*:\mathcal C(x,y)\to\mathcal C(x,c)$ と、点 $p:1\to\mathcal C(x,c)$ である。単位と合成は $\mathcal C$ から誘導する。
余スライス圏 $c/\mathcal C$ の対象は $p:c\to x$。$q:c\to y$ とのHom対象は、前合成 $p^*:\mathcal C(x,y)\to\mathcal C(c,y)$ と点 $q$ の引き戻しである。
この厳密な定式化は RV17 Example 2.1.11、Observation 3.5.1 に現れ、固定対象への豊穣コンマ構成としては Tam09 Appendix A.4、Definition A.22 も参照できる。ここで「厳密」は三角形が指定された等式で可換であるという意味で、∞圏のスライスをすでに構成したという意味ではない。
任意の $T\in\mathcal V$ に対し、$T\to(\mathcal C/c)(p,q)$ は
$$
u:T\to\mathcal C(x,y),\qquad q_*u=p\circ !_T
$$
を満たすものと一対一に対応する。$!_T:T\to1$ は唯一の射である。従って構造射 $p$ を「一定に保つ」条件が全パラメータで成立する。$T=1$ の元だけを選び出すのでなく、Hom対象全体をこの条件で切り出している。
対象 $x$ だけでなく、$x$ が基準 $c$ にどう載っているかを持ち歩く。同じ $x$ でも構造射が違えば別の対象になる。射の族を動かす際にも、その構造射が変わらないことを要求する。
通常の圏では可換三角形の集合、Cat豊穣では三角形を保つ変換の圏、単体的豊穣では三角形を各次元で厳密に保つ単体的集合になる。
$\mathcal V=\mathrm{Set}$ では引き戻しは集合のファイバーだから、Homは $qu=p$ を満たす通常の射 $u:x\to y$ の集合になる。これは通常のスライス圏である。特に $\mathcal C=\mathrm{Set}$ なら、集合 $B$ 上の写像 $X\to B$ と、その値を保つ写像の圏 $\mathrm{Set}/B$ を回収する。$B$ の一点ごとのファイバーは独立した集合として動く。
$\mathcal V=\mathrm{Ab}$(アーベル群の圏)の通常のモノイダル構造はテンソル積で、単位 $\mathbb Z$ は終対象 $0$ ではない。通常の $\mathrm{Ab}/\mathbb Z$ には $\operatorname{id}_{\mathbb Z}$ から $0\to\mathbb Z$ への射がない。一方、Ab豊穣圏の各Hom集合には必ず零元がある。従って、この通常スライスをそのまま台の圏とするAb豊穣化は存在しない。条件 $qu=p$ が斉次な加法条件でないことが障害であり、一般モノイダル圏へ定義を機械的に移してはならない。
定義のHom対象と誘導される演算は $\mathcal V$-圏の公理を満たす。
$E=(\mathcal C/c)(p,q)$、$F=(\mathcal C/c)(q,r)$ とする。射影を使った合成 $F\times E\to\mathcal C(x,z)$ は、$\mathcal C$ の結合律により $r(vu)=(rv)u=qu=p$ を満たす。この式は $F\times E$ から $\mathcal C(x,c)$ への射の等式で、最後の $p$ は唯一の $F\times E\to1$ との合成である。よって引き戻しの普遍性から合成Homへ唯一に因子化する。恒等射は $p\operatorname{id}_x=p$ により因子化する。三重合成と単位律は $\mathcal C$ への射影後に成立する。終対象からの射 $1\to\mathcal C(x,c)$ はモノ射で、その基底変換であるHomの射影もモノ射なので、元のHomでも成立する。
$(\mathcal C/c)_0\cong\mathcal C_0/c$、$(c/\mathcal C)_0\cong c/\mathcal C_0$ である。
通常の射は $1\to(\mathcal C/c)(p,q)$。引き戻しの普遍性により、これは $u:1\to\mathcal C(x,y)$ と $qu=p$ の条件に等しい。対象、単位、合成も定義通り一致する。余スライスでは同じ議論を $up=q$ に適用する。$\mathcal V(1,-)$ が同型を反映するという仮定は使っていない。
$\mathcal C(x,c)\to\mathcal C(x,c)$ が恒等となるため、$(\mathcal C/c)(p,\operatorname{id}_c)$ は恒等写像に沿う $1$ の引き戻し、すなわち $1$ である。これはすべての $p$ について自然であり、豊穣終対象の条件そのもの。余スライスも前合成が恒等となる同じ計算である。
単体的豊穣ではHomの厳密ファイバーを使った。∞圏のスライスの写像空間は、それに対応する後合成のホモトピーファイバー(ホモトピーファイバー)を使う。後者は等式の代わりに一致を示す道も保持する。公式の一般的根拠は HTT09 §5.5.5(overcategory の写像空間が後合成のホモトピーファイバーになること。余スライスにはその双対)である。
二対象 $0,1$ の単体的圏を作り、自己Homを一点、$\mathcal C(1,0)=\emptyset$、$\mathcal C(0,1)=N\mathbb Z$ とする。$N\mathbb Z$ は群 $\mathbb Z$ を一対象亜群とみなした脈体で、唯一の頂点を $p$ とする。全HomはKanだが、厳密スライスでの $p:0\to1$ の自己Homは $*\times_{N\mathbb Z}*=*$。元の $\mathcal C$ のホモトピー整合的脈体 $N_{\mathrm{hc}}\mathcal C$ で作る∞スライスでは、$p$ の自己写像空間(写像空間(∞圏))は $\Omega N\mathbb Z$ で、連結成分は $\mathbb Z$ である。従って標準比較はこのHomで同値にならない。
厳密ファイバーがホモトピーファイバーを表すには、例えばKan複体間の後合成写像がKanファイバー化であることが十分である。単体的モデル圏では、cofibrantな始域・fibrantな値域・適切なファイバー化への置換などを用いてこの条件を確保する。写像空間に関するモデル圏の条件は Rie14 §11.4 による。全HomがKanという条件と、後合成がファイバー化という条件は別である。適切な置換を経た全スライスと∞スライスの比較は、さらに対象と合成に関する比較定理を必要とし、Hom一件の計算だけでは証明されない。
Cat豊穣の場合のHomは一般に亜群ではないため、すべての2射を可逆とする(∞,1)-圏(∞-圏)に無条件で読み替えることもできない。
Mathpediaは寄付と、参考文献の書籍リンク(Amazonアソシエイト)の紹介料で運営されています。 支援について / 寄付する