Kingmanの劣加法的エルゴード定理(Kingman's subadditive ergodic theorem)とは、確率を保つ変換 $T$ と、$f_{n+m}\le f_n+f_m\circ T^n$ を満たす可積分な関数の列 $(f_n)$ について、$f_n/n$ がほとんど確実に不変な関数に収束し、その積分が $\gamma=\inf_n\frac1n\int f_n\,dP$ に等しいという定理である。$\gamma>-\infty$ なら $L^1$ でも収束し、$T$ がエルゴード的なら極限は定数 $\gamma$ である。加法的な列 $f_n=\sum_{k< n}g\circ T^k$ に当てると Birkhoff の個別エルゴード定理の収束が得られ、ランダムな行列の積のノルムの対数に当てると最大 Lyapunov 指数が存在することが分かる。
前提知識: エルゴード定理, Feketeの補題, 条件付き期待値, Lebesgue積分
確率を保つ変換 $T$ と可積分な関数 $g$ について、和 $\sum_{k=0}^{n-1}g\circ T^k$ を $n$ で割ったものがほとんど確実に収束することを述べるのが、Birkhoff の個別エルゴード定理である(エルゴード定理)。応用の場面では、和そのものではなく、「長さ $n+m$ のものは、長さ $n$ のものと、その続きの長さ $m$ のものとの和以下」という劣加法性だけが分かる量がよく現れる。ランダムな行列の積のノルムの対数、ランダムウォークが訪れた点の個数、2 つのランダムな文字列の最長共通部分列の長さ(の符号を変えたもの)などである。Kingmanの劣加法的エルゴード定理(Kingman's subadditive ergodic theorem)は、このような量 $f_n$ についても $f_n/n$ がほとんど確実に収束し、極限の平均が $\lim_n\frac1n\int f_n\,dP$ に等しいことを述べる。
数列の場合の類似は Feketeの補題 である。劣加法的な実数列 $a_n$ では $a_n/n$ が $\inf_ma_m/m$ に収束する。Kingman の定理は、各点 $\omega$ で $f_n(\omega)$ が「ずらした点 $T^n\omega$ での値」を使った劣加法性を満たす場合に、Fekete の補題と Birkhoff の定理を合わせたような結論を与える。この記事では、劣加法的な関数列と例を述べたあと、Steele の方法による主定理の証明を与え、系として行列の積の最大 Lyapunov 指数の存在(Furstenberg–Kesten の定理)を導く。
以下、$(\Omega,\mathcal F,P)$ を 確率空間 とし、$T\colon\Omega\to\Omega$ を $P$ を保つ可測写像とする。すなわち、すべての $B\in\mathcal F$ について $P(T^{-1}B)=P(B)$ である。$T^0:=\mathrm{id}$、$T^k:=T\circ T^{k-1}$ と書く。不変集合($T^{-1}B=B$ を満たす $B\in\mathcal F$)の全体を $\mathcal I$ とし、すべての $B\in\mathcal I$ で $P(B)\in\{0,1\}$ のとき $T$ は エルゴード的 という。実数値の可積分な関数 $g$ の時間平均を $A_ng:=\frac1n\sum_{k=0}^{n-1}g\circ T^k$ と書く。$T$ が $P$ を保つので $\int g\circ T^k\,dP=\int g\,dP$ である(エルゴード定理 の補題「積分は変換で変わらない」)。
可積分な実数値関数の列 $(f_n)_{n\ge1}$ が($T$ について)劣加法的 であるとは、すべての $n,m\ge1$ と $\omega\in\Omega$ について
$$
f_{n+m}(\omega)\le f_n(\omega)+f_m(T^n\omega)
$$
が成り立つことをいう。等号がつねに成り立つとき 加法的 という。便宜上 $f_0:=0$ とおく。
不等式の右辺の第 2 項は「時刻 $n$ から始まる長さ $m$ の区間での値」と読む。確率変数の 2 重添字の族 $X_{s,t}:=f_{t-s}\circ T^s$($0\le s< t$)で書くと、劣加法性は $X_{0,t}\le X_{0,s}+X_{s,t}$ となる。
$(f_n)$ を劣加法的な列とする。
1。 $n_i=0$ の項は $f_0=0$ なので除いてよく、$n_i\ge1$ としてよい。$r$ についての帰納法による。$r=1$ は自明である。$n':=n_1+\dots+n_{r-1}$ とおくと、劣加法性から $f_n\le f_{n'}+f_{n_r}\circ T^{n'}$ であり、$s_r=n'$ なので、$f_{n'}$ に帰納法の仮定を使えばよい。後半は $n_1=\dots=n_n=1$ の場合である。
2。 劣加法性を積分すると $a_{n+m}\le a_n+\int f_m\circ T^n\,dP=a_n+a_m$ である。$a_n$ は実数なので、Feketeの補題 の定理「Feketeの補題」により主張が従う。
3。 $h_n$ は可積分である。1 の後半から $h_n\le0$ である。また
$$
h_{n+m}=f_{n+m}-\sum_{k=0}^{n-1}f_1\circ T^k-\sum_{k=0}^{m-1}f_1\circ T^{n+k}\le h_n+h_m\circ T^n
$$
である。最後の不等号は $f_{n+m}\le f_n+f_m\circ T^n$ と $\sum_{k=0}^{m-1}f_1\circ T^{n+k}=\bigl(\sum_{k=0}^{m-1}f_1\circ T^k\bigr)\circ T^n$ による。$\square$
3 の $h_n$ は、劣加法的な列から加法的な部分 $nA_nf_1$ を引いたもので、これにより定理の証明を $f_n\le0$ の場合に帰着できる。
可積分な $g$ について $f_n:=\sum_{k=0}^{n-1}g\circ T^k=nA_ng$ とおくと、$f_{n+m}=f_n+f_m\circ T^n$ であり、$(f_n)$ は加法的である。このとき $\int f_n\,dP=n\int g\,dP$ なので $\gamma=\int g\,dP$ である。後で証明する thm-kse-main をこの列に使うと、$A_ng$ がほとんど確実に収束するという Birkhoff の定理の主張の一部が得られる。ただし主定理の証明は Birkhoff の定理を使うので、これは Birkhoff の定理の新しい証明ではない。
$\|\cdot\|$ を $\mathbb R^d$ のノルムとし、$d$ 次の実正方行列 $M$ の作用素ノルムを $\|M\|:=\sup_{\|v\|=1}\|Mv\|$ とおく。$\|MN\|\le\|M\|\,\|N\|$ である。可測写像 $A\colon\Omega\to GL_d(\mathbb R)$(一般線形群。各成分が可測)について、積
$$
A^{(n)}(\omega):=A(T^{n-1}\omega)\cdots A(T\omega)A(\omega)
$$
を考える。$A^{(n+m)}(\omega)=A^{(m)}(T^n\omega)\,A^{(n)}(\omega)$ であり、$f_n:=\log\|A^{(n)}\|$ とおくと
$$
f_{n+m}(\omega)\le\log\|A^{(m)}(T^n\omega)\|+\log\|A^{(n)}(\omega)\|=f_n(\omega)+f_m(T^n\omega)
$$
となる。可積分性の条件は cor-kse-matrix で述べる。$\omega$ を時刻とともに変わる環境とみると、$A(T^k\omega)$ は時刻 $k$ に状態のベクトルに掛かる行列で、$f_n$ は $n$ 歩の間にベクトルが最大でどれだけ伸びるかの対数である。
$\Omega:=(\mathbb Z^d)^{\{0,1,2,\dots\}}$ に、ある確率 $P$ を与え、$T$ を列のずらし $(\omega_0,\omega_1,\dots)\mapsto(\omega_1,\omega_2,\dots)$ とし、$T$ が $P$ を保つとする(増分 $\xi_k(\omega):=\omega_k$ が定常な列であるということ。独立で同じ分布に従う場合を含む)。$S_j:=\xi_0+\dots+\xi_{j-1}$ とし、$R_n:=\#\{S_1,\dots,S_n\}$ を時刻 $n$ までに訪れた点の個数とする。$S_j(T^n\omega)=S_{n+j}(\omega)-S_n(\omega)$ なので、$R_m(T^n\omega)$ は集合 $\{S_{n+1},\dots,S_{n+m}\}$ を $-S_n$ だけ平行移動したものの個数であり、
$$
R_{n+m}\le\#\{S_1,\dots,S_n\}+\#\{S_{n+1},\dots,S_{n+m}\}=R_n+R_m\circ T^n
$$
である。$0\le R_n\le n$ なので可積分である(Dur19 Example 6.4.3、p. 343)。
有限集合 $\Sigma$ について $\Omega:=(\Sigma\times\Sigma)^{\{0,1,\dots\}}$ とし、ずらし $T$ が $P$ を保つとする。$\omega=((x_0,y_0),(x_1,y_1),\dots)$ について、$L_n(\omega)$ を 2 つの語 $x_0\cdots x_{n-1}$ と $y_0\cdots y_{n-1}$ の最長共通部分列の長さとする(両方から文字を順に抜き出して一致させられる最大の個数)。最初の $n$ 文字どうしの共通部分列と、続く $m$ 文字どうしの共通部分列をつなげると、最初の $n+m$ 文字どうしの共通部分列になるので、$L_{n+m}\ge L_n+L_m\circ T^n$ である。よって $f_n:=-L_n$ は劣加法的で、$0\le L_n\le n$ である(Dur19 Example 6.4.4、p. 343)。
$T$ が確率 $P$ を保つとし、$(f_n)_{n\ge1}$ を劣加法的な列、$\gamma:=\lim_n\frac1n\int f_n\,dP=\inf_n\frac1n\int f_n\,dP\in[-\infty,\infty)$ とする(lem-kse-basic の 2)。このとき、次が成り立つ。
証明では、まず段 0 で $f_n\le0$ の場合に帰着する。段 1 では、$f_n/n$ の下極限 $\underline f$ が $T$ で動かないことを示す。段 2 が中心で、各点 $\omega$ の軌道の時刻 $0,1,\dots,n-1$ を、「$f_l/l$ がすでに $\underline f(\omega)$ に近い長さ $l$ の区間」と、そうでない時刻とに貪欲に切り分け、劣加法性で $f_n$ を上から抑える。そうでない時刻の割合が小さいことを、Birkhoff の定理で確かめる。この方法は Steele による(Ste89 §2、pp. 94–96)。段 3・4 で積分と $L^1$ 収束を、段 5 でエルゴード的な場合を扱う。
要点:$f_n\le0$ に帰着し、下極限 $\underline f$ が不変であることを使って、各点の軌道を「$f_l\le l(\underline f+\varepsilon)$ となる長さ $l\le N$ の区間」と例外の時刻に切り分け、例外の時刻の割合を Birkhoff の定理で $0$ に近づける。積分の等式は、Fatou の補題と、時刻を $m$ ずつの区間に切る平均の評価で上下から挟む。
段 0($f_n\le0$ への帰着)。 lem-kse-basic の 3 の $h_n=f_n-nA_nf_1$ は劣加法的で $h_n\le0$ である。Birkhoff の定理(エルゴード定理 の定理「Birkhoff の個別エルゴード定理」)により、ほとんど確実にかつ $L^1$ で $A_nf_1\to g:=E[f_1\mid\mathcal I]$ である。$g$ は $\mathcal I$-可測なので $g\circ T=g$ であり(同じ記事の補題「不変な関数」)、$\int g\,dP=\int f_1\,dP$ である。$\int h_n\,dP=\int f_n\,dP-n\int f_1\,dP$ なので、$(h_n)$ の $\gamma$ は $\gamma-\int f_1\,dP$ である。したがって $(h_n)$ について 1〜3 が極限 $h_*$ で成り立てば、$f_*:=h_*+g$ について 1〜3 が成り立つ($f_*^+\le g^+\le|g|$、$\frac{f_n}n-f_*=(\frac{h_n}n-h_*)+(A_nf_1-g)$)。4 は 1・2 から段 5 で導く。以下、段 4 までは $f_n\le0$ とする。
段 1(下極限の不変性)。 $\underline f:=\liminf_nf_n/n$ は $[-\infty,0]$ に値をとる。劣加法性から $f_{n+1}\le f_1+f_n\circ T$ なので $\frac{f_{n+1}}{n+1}\le\frac{f_1}{n+1}+\frac{n}{n+1}\cdot\frac{f_n\circ T}{n}$ である。実数列 $b_n\le0$ について $\liminf_n\frac n{n+1}b_n=\liminf_nb_n$ である($\frac n{n+1}b_n\ge b_n$ であり、$b_n\to L$ となる部分列の上で $\frac n{n+1}b_n\to L$ となる。$L=-\infty$ でもよい)。$f_1(\omega)/(n+1)\to0$ なので、両辺の下極限をとって、すべての $\omega$ で $\underline f(\omega)\le\underline f(T\omega)$ である。有理数 $a$ について $E_a:=\{\underline f>a\}$ とおくと $E_a\subset T^{-1}E_a$ で、両者の確率は等しいので $P(T^{-1}E_a\setminus E_a)=0$ である。$\underline f(\omega)< \underline f(T\omega)$ なら $\underline f(\omega)\le a< \underline f(T\omega)$ となる有理数 $a$ があり $\omega\in T^{-1}E_a\setminus E_a$ なので、$P(\underline f< \underline f\circ T)=0$、すなわちほとんど確実に $\underline f\circ T=\underline f$ である。$N_0:=\bigcup_{k\ge0}T^{-k}\{\underline f\circ T\ne\underline f\}$ は確率 $0$ で、$\omega\notin N_0$ ならすべての $k$ で $\underline f(T^k\omega)=\underline f(\omega)$ である。
段 2(上極限が下極限以下であること)。 $\varepsilon>0$、$M>0$、$N\ge1$ を固定し、$G:=\max(\underline f,-M)$($[-M,0]$ に値をとる)、
$\displaystyle B_N:=\{\omega\mid 1\le l\le N \text{ のすべての } l \text{ で } f_l(\omega)>l\,(G(\omega)+\varepsilon)\}$
とおく。$\omega\notin N_0$、$n\ge N$ とし、時刻の集合 $\{0,1,\dots,n-1\}$ を次の手順で区間に分ける。まだ使っていない最小の時刻 $k$ について、(a) $T^k\omega\notin B_N$ なら、$f_l(T^k\omega)\le l\,(G(T^k\omega)+\varepsilon)=l\,(G(\omega)+\varepsilon)$ となる $1\le l\le N$ があるので、その一つをとり、$k+l\le n$ なら区間 $[k,k+l)$ を採る。$k+l>n$ なら 1 点 $\{k\}$ を採る。(b) $T^k\omega\in B_N$ なら 1 点 $\{k\}$ を採る。これで $\{0,\dots,n-1\}$ は、(a) で採った区間 $[k_i,k_i+l_i)$($i=1,\dots,u$)と 1 点の集合に分かれる。1 点の集合は、$T^k\omega\in B_N$ となる $k$ か、$k+l>n$ かつ $l\le N$ より $k>n-N$ となる $k$ なので、その個数は $\sum_{k=0}^{n-1}\mathbf 1_{B_N}(T^k\omega)+N$ 以下である。
lem-kse-basic の 1 をこの分け方に使い、$f_1\le0$ を 1 点の集合の項に使うと
$\displaystyle f_n(\omega)\le\sum_{i=1}^uf_{l_i}(T^{k_i}\omega)\le(G(\omega)+\varepsilon)\,L,\qquad L:=\sum_{i=1}^ul_i$
である。$L\le n$ と、上の個数の評価による $L\ge n-\sum_{k< n}\mathbf 1_{B_N}(T^k\omega)-N$ と、$G\le0< \varepsilon$ から
$\displaystyle \frac{f_n(\omega)}n\le G(\omega)\Bigl(1-A_n\mathbf 1_{B_N}(\omega)-\frac Nn\Bigr)+\varepsilon$
を得る。Birkhoff の定理により、ほとんど確実に $A_n\mathbf 1_{B_N}\to\varphi_N:=E[\mathbf 1_{B_N}\mid\mathcal I]$ なので、ほとんど確実に $\limsup_nf_n/n\le G(1-\varphi_N)+\varepsilon$ である。
$B_N$ は $N$ について減少する。$\omega\in\bigcap_NB_N$ ならすべての $l$ で $f_l(\omega)/l>G(\omega)+\varepsilon$ なので $\underline f(\omega)\ge G(\omega)+\varepsilon$ だが、$\underline f>-M$ なら $G=\underline f$、$\underline f\le-M$ なら $G=-M\ge\underline f$ なので、どちらの場合も矛盾する。よって $\bigcap_NB_N=\emptyset$ である。$\mathbf 1_{B_N}$ が減少するので $\varphi_N$ もほとんど確実に減少し(時間平均は関数の大小を保つ)、$\varphi_N\ge0$ かつ $\int\varphi_N\,dP=P(B_N)\to0$ である。減少列の極限 $\varphi:=\lim_N\varphi_N\ge0$ は $\int\varphi\,dP\le\int\varphi_N\,dP\to0$ を満たすので、ほとんど確実に $\varphi=0$ である。$G$ は有限なので、ほとんど確実に $\limsup_nf_n/n\le G+\varepsilon=\max(\underline f,-M)+\varepsilon$ である。$\varepsilon=1/j$、$M=j$($j=1,2,\dots$)の可算個の例外の集合を合わせると、ほとんど確実に $\limsup_nf_n/n\le\underline f$、すなわち $f_n/n\to f_*:=\underline f$ である。$f_*\le0$ なので $f_*^+=0$ は可積分であり、1 が示された。
段 3(積分)。 $-f_n/n\ge0$ に Fatouの補題 を使うと $\int(-f_*)\,dP\le\liminf_n\int(-f_n/n)\,dP=-\gamma$、すなわち $\int f_*\,dP\ge\gamma$ である($\gamma=-\infty$ なら自明)。逆向きのため $m\ge1$ を固定し、$n\ge m$ とする。$0\le s< m$ について $j_s:=\lfloor(n-s)/m\rfloor$、$t_s:=n-s-j_sm\in[0,m)$ とし、$n=s+m+\dots+m+t_s$($m$ が $j_s$ 個)と分けると、lem-kse-basic の 1 と $f_l\le0$ から
$\displaystyle f_n\le f_s+\sum_{q=0}^{j_s-1}f_m\circ T^{s+qm}+f_{t_s}\circ T^{n-t_s}\le\sum_{q=0}^{j_s-1}f_m\circ T^{s+qm}$
である。整数 $i=s+qm$($0\le s< m$、$0\le q< j_s$)は、$0\le i\le n-m$ の整数をちょうど 1 回ずつ動く($s$ は $i$ を $m$ で割った余りで、$q< j_s$ は $i+m\le n$ と同値)。$s$ について足すと
$\displaystyle mf_n\le\sum_{i=0}^{n-m}f_m\circ T^i=(n-m+1)\,A_{n-m+1}f_m$
であり、$mn$ で割って $n\to\infty$ とすると、Birkhoff の定理によりほとんど確実に $f_*\le\frac1mE[f_m\mid\mathcal I]$ である。積分して $\int f_*\,dP\le\frac1m\int f_m\,dP$ であり、$m$ について下限をとって $\int f_*\,dP\le\gamma$ を得る。これで 2 が示された。
段 4($L^1$ 収束)。 $\gamma>-\infty$ とすると、$f_*\le0$ と 2 から $f_*$ は可積分である。$u_n:=-f_n/n\ge0$、$u:=-f_*\ge0$ とおくと、ほとんど確実に $u_n\to u$ であり、$\int u_n\,dP\to-\gamma=\int u\,dP$ である。$|u_n-u|=(u_n-u)+2(u-u_n)^+$ であり、$0\le(u-u_n)^+\le u$ と $(u-u_n)^+\to0$ から 優収束定理 により $\int(u-u_n)^+\,dP\to0$ である。よって $\int|u_n-u|\,dP\to0$ であり、3 が示された。
段 5(エルゴード的な場合)。 一般の $(f_n)$ に戻り、$f_*$ を 1 の極限とする。$f_*\circ T=f_*$ がほとんど確実に成り立つので、有理数 $a$ について $E_a:=\{f_*>a\}$ は $P(T^{-1}E_a\,\triangle\,E_a)=0$ を満たし、帰納法で $P(T^{-j}E_a\,\triangle\,E_a)=0$($j\ge0$)である。$E_a':=\bigcap_{k\ge0}\bigcup_{j\ge k}T^{-j}E_a$ とおくと、$T^{-1}E_a'=\bigcap_{k\ge0}\bigcup_{j\ge k+1}T^{-j}E_a=E_a'$ なので $E_a'\in\mathcal I$ であり、$P(E_a'\,\triangle\,E_a)=0$ である。エルゴード性から $P(f_*>a)\in\{0,1\}$ がすべての有理数 $a$ で成り立つ。$c:=\sup\{a\in\mathbb Q\mid P(f_*>a)=1\}$(空なら $-\infty$)とおくと、$a< c$ なら $P(f_*>a)=1$、$a>c$ なら $P(f_*>a)=0$ である。$f_*^+$ は可積分なので $c< \infty$ であり、ほとんど確実に $f_*=c$ である。2 により $c=\int f_*\,dP=\gamma$ である($c=-\infty$ と $\gamma=-\infty$ は同値)。$\square$
段 2 の切り分けでは、各時刻 $k$ で「その先 $N$ 歩以内に、平均がすでに $\underline f+\varepsilon$ 以下になる区間があるか」を調べている。そのような区間がない時刻($T^k\omega\in B_N$)は、$N$ を大きくすると確率が $0$ に近づくので、Birkhoff の定理によりその割合も $0$ に近づく。劣加法性は、採った区間の上の値を足し合わせて $f_n$ を上から抑えるところだけで使われる。最大不等式を使わないこの方法は、Shields による Birkhoff の定理の証明に動機づけられたものである(Ste89 の要旨(p. 93)と §3(p. 96))。
$\gamma=-\infty$ のときも 1 の概収束は成り立つが、極限は $-\infty$ の値をとりうる。$T$ がエルゴード的なら 4 により $f_n/n\to-\infty$ がほとんど確実に成り立つ。エルゴード的でなければ、$f_*$ が一部で有限、残りで $-\infty$ ということも起こる($\int f_*\,dP=-\infty$ であればよい)。
可測写像 $A\colon\Omega\to GL_d(\mathbb R)$ について $\log^+\|A\|$ と $\log^+\|A^{-1}\|$ が可積分であるとする($\log^+t:=\max(\log t,0)$)。ex-kse-matrix の積 $A^{(n)}$ について、次が成り立つ。
$f_n:=\log\|A^{(n)}\|$ は、行列のノルムが連続なので可測であり、ex-kse-matrix により劣加法的である。上からは lem-kse-basic の 1 により $f_n\le\sum_{k< n}\log^+\|A\circ T^k\|$ である。下からは、$(A^{(n)})^{-1}=A^{-1}\cdot(A\circ T)^{-1}\cdots(A\circ T^{n-1})^{-1}$ なので
$$
1=\|I\|\le\|A^{(n)}\|\,\|(A^{(n)})^{-1}\|\le\|A^{(n)}\|\prod_{k=0}^{n-1}\|(A\circ T^k)^{-1}\|
$$
であり、$f_n\ge-\sum_{k< n}\log^+\|A^{-1}\circ T^k\|$ である。よって $f_n$ は可積分で、$\frac1n\int f_n\,dP\ge-\int\log^+\|A^{-1}\|\,dP>-\infty$ なので $\gamma>-\infty$ である。thm-kse-main の 1〜4 から 1・2 が従う。
3:$\mathbb R^d$ の 2 つのノルムは $a|v|\le|v|'\le b|v|$($0< a\le b$)を満たす。作用素ノルムについて $\|M\|'=\sup_{v\ne0}|Mv|'/|v|'\le(b/a)\|M\|$ であり、逆向きも同様なので、$|\log\|A^{(n)}\|'-\log\|A^{(n)}\||\le\log(b/a)$ である。$n$ で割ると差は $0$ に近づく。$\square$
$\lambda_1$ を 最大 Lyapunov 指数 という。「ほとんどすべての環境 $\omega$ で、ベクトルは $n$ 歩でおよそ $e^{n\lambda_1}$ 倍まで伸びうる」という意味である。行列の成分がすべて正の場合に、成分 $A^{(n)}(i,j)$ の対数の増大率が存在することは Furstenberg と Kesten が 1960 年に示した(Dur19 Example 6.5.1、pp. 347–348 は、この場合とノルムの場合の両方を劣加法的エルゴード定理から導いている)。
一定の行列。 $A(\omega)=M$(定数)なら $A^{(n)}=M^n$ である。Euclid ノルムでは、実行列 $M$ の $\mathbb R^d$ での作用素ノルムと $\mathbb C^d$ での作用素ノルムは等しい($v=x+iy$ について $|Mv|^2=|Mx|^2+|My|^2\le\|M\|^2(|x|^2+|y|^2)$)。よって スペクトル半径 の定理「Gelfand のスペクトル半径公式」を $M_d(\mathbb C)$ で使うと、$\lambda_1=\log r(M)$($r(M)$ は複素固有値の絶対値の最大値)である。cor-kse-matrix は、この公式の左辺の極限の存在を、ランダムな積に広げたものとみなせる。
ランダムな対角行列。 $\Omega=(\mathbb R^2)^{\{0,1,\dots\}}$ の上の、独立で同じ分布に従う可積分な $(X_k,Y_k)$ の列の分布を $P$ とし、$T$ をずらし、$A:=\operatorname{diag}(e^{X_0},e^{Y_0})$ とする。最大値ノルム $|v|=\max(|v_1|,|v_2|)$ では対角行列の作用素ノルムは対角成分の絶対値の最大値なので、$S_n:=\sum_{k< n}X_k$、$S_n':=\sum_{k< n}Y_k$ について $\log\|A^{(n)}\|=\max(S_n,S_n')$ である。大数の強法則 により $S_n/n\to E[X_0]$、$S_n'/n\to E[Y_0]$ なので、$\lambda_1=\max(E[X_0],E[Y_0])$ である。一方 $\frac1n\int\log\|A^{(n)}\|\,dP=\frac1nE[\max(S_n,S_n')]$ は一般に $\max(E[X_0],E[Y_0])$ より大きく、たとえば $X_0,Y_0$ が独立に確率 $\frac12$ ずつ $\pm1$ をとるなら、$n=1$ で $E[\max(X_0,Y_0)]=\frac12>0=\lambda_1$ である。thm-kse-main の 2 の $\gamma$ が下限であって、各 $n$ の値ではないことがここに現れている。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| $T$ が $P$ を保つ | $\Omega=\{0,1,2,\dots\}$、$P(\{k\})=2^{-k-1}$、$T(k)=k+1$、$f_n:=\sum_{j< n}g\circ T^j$($g$ は エルゴード定理 の反例の表の 1 行目の関数) | $f_n/n$ がほとんど確実に収束する |
| 劣加法性 | $T=\mathrm{id}$、$f_n:\equiv(-1)^nn$(定数関数) | $f_n/n$ が収束する |
| $f_n$ の可積分性 | 2 倍写像 $D$、$g(x):=1/x$($g(0):=0$)、$f_n:=\sum_{j< n}g\circ D^j$ | 極限が $[-\infty,\infty)$ に値をとる |
| エルゴード性(4) | $\Omega=[0,1)$、$P=\lambda$、$T=\mathrm{id}$、$f_n(x):=nx$ | 極限が定数 $\gamma$ である |
| $\gamma>-\infty$(3) | $T=\mathrm{id}$、$f_n:\equiv-n^2$ | 極限が可積分で $L^1$ 収束する |
1 行目:$f_n$ は加法的で、$g$ は有界なので可積分である。$T$ は $P$ を保たない($P(T^{-1}\{0\})=0$)。エルゴード定理 の例「反例の確かめ」の 1 行目により、どの点でも $f_n/n=A_ng$ は収束しない。
2 行目:$f_1=-1$、$f_2=2$ で $f_2>f_1+f_1\circ T=-2$ なので劣加法的でない。$T=\mathrm{id}$ は $P$ を保ち、定数は可積分である。$f_n/n=(-1)^n$ は収束しない。
3 行目:$f_n$ は加法的で $D$ は $\lambda$ を保つが、$\int g\,d\lambda=\infty$ なので $f_1$ は可積分でない。エルゴード定理 の同じ例の 3 行目により、ほとんどすべての $x$ で $f_n/n=A_ng\to\infty$ である。
4 行目:$f_{n+m}=f_n+f_m$ で加法的、可積分で、$\gamma=\int_0^1x\,dx=\frac12$ である。$[0,\frac12)$ は確率 $\frac12$ の不変集合なので $T$ はエルゴード的でない。$f_n/n=x$ は定数でない。
5 行目:$-(n+m)^2\le-n^2-m^2$ なので劣加法的で、$\gamma=\inf_n(-n)=-\infty$ である。$f_n/n=-n\to-\infty$ なので、極限 $f_*=-\infty$ は可積分でなく、$L^1$ 収束も起こらない。
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