Schurの積定理

同義語:Schur product theorem

概要

Schurの積定理(Schur product theorem)とは、同じ次数の半正定値行列 $A,B$ の成分ごとの積(Hadamard 積)$A\circ B=(a_{ij}b_{ij})$ がまた半正定値になるという定理であり、$A$ が正定値で $B$ の対角成分がすべて正なら $A\circ B$ は正定値になる。帰結として、成分が収束域に入るとき係数が $0$ 以上の冪級数を成分ごとに施しても半正定値性は保たれ、Oppenheim の不等式 $\det(A\circ B)\ge\det A\cdot b_{11}\cdots b_{nn}$ と Hadamard の不等式、半正定値な $H$ についての作用素ノルムの評価 $\| H\circ T\|\le(\max_ih_{ii})\| T\|$ が成り立つ。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{div}[0]{\mathbin{÷}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

前提知識: 正定値行列, Hermite行列, 行列式

2 つの半正定値行列
$$ A=\begin{pmatrix}2&1\\1&1\end{pmatrix},\qquad B=\begin{pmatrix}1&0\\0&2\end{pmatrix} $$
の普通の積 $AB=\begin{pmatrix}2&2\\1&2\end{pmatrix}$ は対称でなく、半正定値行列ではない(正定値行列 の記事の例「反例:正定値行列の積」)。ところが、成分どうしを掛けた行列 $\begin{pmatrix}2\cdot1&1\cdot0\\1\cdot0&1\cdot2\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}2&0\\0&2\end{pmatrix}$ は正定値である。一般に、半正定値行列どうしの成分ごとの積はいつも半正定値になる。これが Schur の積定理 である。
成分ごとの積は Hadamard 積とも呼ばれ、記号 $A\circ B$ で表す。普通の積と違って可換で、Hermite 行列どうしの積はまた Hermite 行列になる。Schur の積定理によって、半正定値行列の全体は和と正の数倍だけでなく $\circ$ についても閉じる。この記事では、主定理とその強い形(thm-spt-main・thm-spt-strict)を証明し、成分ごとの冪級数が半正定値性を保つこと、行列式の評価(Oppenheim の不等式)、作用素ノルムの評価を導く。

結果内容仮定
thm-spt-main$A\circ B\succeq0$$A,B\succeq0$
thm-spt-strict$A\circ B\succ0$$A\succ0$、$B\succeq0$、$b_{ii}>0$
cor-spt-series$\bigl(f(a_{ij})\bigr)\succeq0$$A\succeq0$、$f$ の係数が $0$ 以上
thm-spt-oppenheim$\det(A\circ B)\ge\det A\cdot b_{11}\cdots b_{nn}$$A,B\succeq0$
thm-spt-norm$\Vert H\circ T\Vert \le(\max_ih_{ii})\Vert T\Vert$$H\succeq0$

定義

以下、$K$ は $\mathbb{R}$ または $\mathbb{C}$ とし、$K^n$ の元は列ベクトル、$X^*:=\overline{X}^{\top}$ とする。正定値・半正定値の定義と記号 $X\succ0$、$X\succeq0$ は 正定値行列 の記事のとおりである(Hermite 行列 $X$ について、$x\ne0$ で $x^*Xx>0$ なら正定値、すべての $x$ で $x^*Xx\ge0$ なら半正定値)。$x\in K^n$ について $D_x:=\operatorname{diag}(x_1,\dots,x_n)$ と書き、成分がすべて $1$ の $n$ 次正方行列を $J_n$ と書く。

Hadamard積

同じ型の行列 $A=(a_{ij})$、$B=(b_{ij})\in M_{m,n}(K)$ について、$(i,j)$ 成分が $a_{ij}b_{ij}$ の行列を $A\circ B$ と書き、$A$ と $B$ の Hadamard 積(Hadamard product)、Schur 積、または 成分ごとの積 という。

定義から次がすぐに分かる。$\circ$ は可換・結合的で、和に対して分配的であり、$J$(成分がすべて $1$ の行列)が単位元である。$(A\circ B)^*=A^*\circ B^*$ なので、Hermite 行列どうしの Hadamard 積は Hermite 行列である。正方行列について $A\circ I_n=\operatorname{diag}(a_{11},\dots,a_{nn})$ である。さらに、$x,y\in K^n$ について
$$ A\circ(xy^*)=D_x\,A\,D_y^* $$
が成り立つ。実際、両辺の $(i,j)$ 成分はどちらも $x_ia_{ij}\overline{y_j}$ である。階数 $1$ の行列との Hadamard 積は、行と列を対角行列で拡大・縮小する操作にすぎない。これが主定理の証明の鍵である。

直感

半正定値行列はベクトルの Gram 行列である(正定値行列 の記事の定理「半正定値行列の特徴づけ」の 4)。確率の言葉では、平均 $0$ の確率ベクトル $X$ の 2 次のモーメント行列 $E[XX^*]$ が典型的な半正定値行列である。$X$ と $Y$ が独立な確率ベクトルなら、成分ごとの積 $Z:=(X_iY_i)_i$ について
$$ E[Z_i\overline{Z_j}]=E[X_i\overline{X_j}]\,E[Y_i\overline{Y_j}] $$
なので、$E[ZZ^*]=E[XX^*]\circ E[YY^*]$ である。左辺は 2 次のモーメント行列なので半正定値である。Schur の積定理は「独立なものを成分ごとに掛けても分散の構造は壊れない」ことを表している。この見方は直感にとどめ、証明は次の節で行列の計算だけで行う。
もう 1 つの見方は、$n^2$ 次の Kronecker 積 $A\otimes B$ との関係である。$A\otimes B$ の $(i,k),(j,l)$ 成分は $a_{ij}b_{kl}$ であり、行と列をともに $(i,i)$($i=1,\dots,n$)の形の番号に制限した $n$ 次の主小行列がちょうど $A\circ B$ である。$A,B$ が半正定値なら $A\otimes B$ も半正定値で(固有値が $A$ と $B$ の固有値の積になる。この記事では証明しない)、半正定値行列の主小行列は半正定値なので、$A\circ B$ も半正定値になる。

例

2 次の例

$A=\begin{pmatrix}2&1\\1&2\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}2&-1\\-1&2\end{pmatrix}$ はどちらも正定値(首座小行列式は $2,3$)である。$A\circ B=\begin{pmatrix}4&-1\\-1&4\end{pmatrix}$ の固有値は $3$ と $5$ で、正定値である。一方 $AB=\begin{pmatrix}3&0\\0&3\end{pmatrix}$ である。普通の積が対称になるのは $A$ と $B$ が可換なときに限られるが、Hadamard 積はいつも対称である。

相関行列

半正定値で対角成分がすべて $1$ の実対称行列を 相関行列 という。2 乗の期待値が有限で分散が正の実数値の確率変数 $X_1,\dots,X_n$ の相関係数を並べた行列は相関行列である。$C_1,C_2$ が相関行列なら、$C_1\circ C_2$ は thm-spt-main により半正定値で、対角成分は $1\cdot1=1$ なので、また相関行列である。たとえば $C=\begin{pmatrix}1&\rho\\\rho&1\end{pmatrix}$($|\rho|\le1$)の Hadamard 冪 $C^{\circ k}=\begin{pmatrix}1&\rho^k\\\rho^k&1\end{pmatrix}$ は相関行列である。

主定理

Schurの積定理

$A,B\in M_n(K)$ が半正定値なら、$A\circ B$ も半正定値である。

階数 1 の行列に分けて足す

$B$ は半正定値なので、正定値行列 の記事の定理「半正定値行列の特徴づけ」の 4 により $B=R^*R$($R\in M_{m,n}(K)$)と書ける。$R^*$ の第 $k$ 列を $w_k\in K^n$ とすると
$$ B=R^*R=\sum_{k=1}^mw_kw_k^* $$
である。Hadamard 積は和に対して分配的なので、上の式 $A\circ(xy^*)=D_xAD_y^*$ を使って
$$ A\circ B=\sum_{k=1}^mA\circ(w_kw_k^*)=\sum_{k=1}^mD_{w_k}AD_{w_k}^* $$
を得る。$x\in K^n$ について
$$ x^*(A\circ B)x=\sum_{k=1}^m(D_{w_k}^*x)^*A(D_{w_k}^*x)\ge0 $$
であり、$A\circ B$ は Hermite 行列なので、半正定値である。$\square$

同じ計算から、等号の起こり方まで分かる。

正定値性が保たれる条件

$A\in M_n(K)$ が正定値、$B\in M_n(K)$ が半正定値で、$B$ の対角成分がすべて正なら、$A\circ B$ は正定値である。とくに、正定値行列どうしの Hadamard 積は正定値である。

和が 0 になる条件を調べる

prf-spt-main の記号で、$x^*(A\circ B)x=\sum_k(D_{w_k}^*x)^*A(D_{w_k}^*x)$ の各項は $0$ 以上であり、$A$ は正定値なので、第 $k$ 項が $0$ になるのは $D_{w_k}^*x=0$、すなわちすべての $i$ で $\overline{w_{k,i}}\,x_i=0$ のときに限る($w_{k,i}$ は $w_k$ の第 $i$ 成分)。$x^*(A\circ B)x=0$ とすると、すべての $k$ と $i$ で $\overline{w_{k,i}}x_i=0$ である。一方 $B=\sum_kw_kw_k^*$ の対角成分は $b_{ii}=\sum_k|w_{k,i}|^2$ なので
$$ b_{ii}\,|x_i|^2=\sum_k|w_{k,i}x_i|^2=0 $$
であり、$b_{ii}>0$ から $x_i=0$ である。よって $x=0$ であり、$A\circ B$ は正定値である。正定値行列の対角成分は $b_{ii}=e_i^*Be_i>0$ なので、後半は前半に含まれる。$\square$

thm-spt-main の主張と証明は、Schur の 1911 年の論文の定理(Theorem VII)として DK07 §4(arXiv 版 pp. 20–21)にある(そこでは $A$ と $B$ を固有値ごとの階数 $1$ の部分に分けている)。「直感」の Kronecker 積による議論は、BH11 Theorem 11.4.2 の証明(p. 168)でアソシエーションスキームの Krein 条件を導くのに使われている。

成分ごとの冪級数

$A^{\circ k}:=A\circ\cdots\circ A$($k$ 個)、$A^{\circ0}:=J_n$ と書く。$J_n=\mathbf 1\mathbf 1^*$($\mathbf 1$ は成分がすべて $1$ のベクトル)は半正定値なので、thm-spt-main を繰り返し使うと、半正定値な $A$ のすべての Hadamard 冪 $A^{\circ k}$ が半正定値である。

成分ごとの冪級数

$f(z)=\sum_{k=0}^\infty c_kz^k$ を、すべての係数が $c_k\ge0$(実数)で、$|z|< R$ で収束する冪級数とする。$A\in M_n(K)$ が半正定値で、すべての成分が $|a_{ij}|< R$ を満たすなら、$f(a_{ij})$ を成分とする行列 $f^{\circ}(A):=\bigl(f(a_{ij})\bigr)$ は半正定値である。とくに、半正定値な $A$ について $\bigl(e^{a_{ij}}\bigr)$ は半正定値である。

部分和の極限をとる

$S_N:=\sum_{k=0}^Nc_kA^{\circ k}$ とおく。各 $A^{\circ k}$ は半正定値で $c_k\ge0$ なので、$S_N$ は半正定値である。$S_N$ の $(i,j)$ 成分は $\sum_{k\le N}c_ka_{ij}^k$ で、$N\to\infty$ のとき $f(a_{ij})$ に収束する。$f$ の係数は実数なので $f(\overline z)=\overline{f(z)}$ であり、$a_{ji}=\overline{a_{ij}}$ から $f^\circ(A)$ は Hermite 行列である。各 $x\in K^n$ について $x^*S_Nx\ge0$ は成分の有限和なので、$N\to\infty$ として $x^*f^\circ(A)x\ge0$ を得る。$\square$

Gauss 核の行列

$s_1,\dots,s_n\in\mathbb{R}^d$ について、$G:=\bigl(e^{-\|s_i-s_j\|^2}\bigr)_{i,j}$ は半正定値である。実際、$\|s_i-s_j\|^2=\|s_i\|^2-2\langle s_i,s_j\rangle+\|s_j\|^2$ なので
$$ e^{-\|s_i-s_j\|^2}=e^{-\|s_i\|^2}\,e^{2\langle s_i,s_j\rangle}\,e^{-\|s_j\|^2} $$
であり、$G=DED$、$D:=\operatorname{diag}(e^{-\|s_i\|^2})$、$E:=\bigl(e^{2\langle s_i,s_j\rangle}\bigr)$ と書ける。$P:=(\langle s_i,s_j\rangle)$ は Gram 行列なので半正定値であり、$2P$ に cor-spt-series($f(z)=e^z$)を使うと $E$ は半正定値である。$x^*Gx=(Dx)^*E(Dx)\ge0$ なので $G$ も半正定値である。このような行列は機械学習のカーネル法や補間の理論に現れ、$x\mapsto e^{-\|x\|^2}$ が正定値関数であること(Bochnerの定理 の記事の定義「正定値関数の定義」の意味で)を示している。点の個数と位置は任意なので、この計算がそのまま定義の条件の確認になっている。

Oppenheim の不等式

Oppenheimの不等式

$A,B\in M_n(K)$ が半正定値なら
$$ \det(A\circ B)\ \ge\ \det A\cdot b_{11}b_{22}\cdots b_{nn} $$
が成り立つ。

左上の成分を減らして半正定値性を保つ

$A$ が正則でなければ $\det A=0$ であり、thm-spt-main により $A\circ B$ は半正定値なので $\det(A\circ B)\ge0$ である(固有値が $0$ 以上)。以下 $A$ は正定値とし、$n$ についての帰納法で示す。$n=1$ では両辺は $a_{11}b_{11}$ である。
$n\ge2$ とし、$A=\begin{pmatrix}a_{11}&a^*\\a&A_2\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}b_{11}&b^*\\b&B_2\end{pmatrix}$($A_2,B_2$ は $n-1$ 次)と区分けする。$A_2$ は正定値行列の主小行列なので正定値であり、Schur補行列 の記事の定理「Schur補行列による区分LDU分解」のあとに述べた右下のブロックについての分解から $\det A=\det A_2\cdot(a_{11}-a^*A_2^{-1}a)$ である。$c:=\det A/\det A_2>0$ とおき、$\widetilde A:=A-c\,e_1e_1^*$($(1,1)$ 成分だけを $c$ 減らした行列)を考える。$\widetilde A$ の右下のブロック $A_2$ に関する Schur 補行列は
$$ (a_{11}-c)-a^*A_2^{-1}a=0 $$
なので、Schur補行列 の記事の系「正定値性の判定」の 3 により $\widetilde A$ は半正定値である。thm-spt-main により $\widetilde A\circ B$ は半正定値で、$\det(\widetilde A\circ B)\ge0$ である。
$A\circ B=\widetilde A\circ B+c\,b_{11}e_1e_1^*$ であり、行列式は第 $1$ 列について線形なので、$(1,1)$ 成分に $t$ を足すと行列式は $t$ と $(1,1)$ 余因子の積だけ増える。$\widetilde A\circ B$ の右下の $n-1$ 次のブロックは $A_2\circ B_2$ なので
$$ \det(A\circ B)=\det(\widetilde A\circ B)+c\,b_{11}\det(A_2\circ B_2)\ \ge\ c\,b_{11}\det(A_2\circ B_2) $$
である($c>0$、$b_{11}\ge0$)。帰納法の仮定を正定値な $A_2$ と半正定値な $B_2$ に使うと $\det(A_2\circ B_2)\ge\det A_2\cdot b_{22}\cdots b_{nn}$ なので、
$$ \det(A\circ B)\ \ge\ \frac{\det A}{\det A_2}\,b_{11}\cdot\det A_2\cdot b_{22}\cdots b_{nn}=\det A\cdot b_{11}\cdots b_{nn} $$
である。$\square$

行列式の評価

$A,B\in M_n(K)$ を半正定値行列とする。

  1. (Hadamard の不等式)$\det A\le a_{11}a_{22}\cdots a_{nn}$ である。
  2. $\det(A\circ B)\ge\det A\cdot\det B$ である。

1:thm-spt-oppenheim を $B=I_n$ で使うと、$A\circ I_n=\operatorname{diag}(a_{11},\dots,a_{nn})$ なので $a_{11}\cdots a_{nn}=\det(A\circ I_n)\ge\det A\cdot1\cdots1=\det A$ である。
2:thm-spt-oppenheim と、1 を $B$ に使った $b_{11}\cdots b_{nn}\ge\det B$ から $\det(A\circ B)\ge\det A\cdot b_{11}\cdots b_{nn}\ge\det A\cdot\det B$($\det A\ge0$)である。$\square$

1 は Gram–Schmidtの直交化 の記事の系「Hadamardの不等式」と同じ内容で、そこでは Gram 行列式を使って証明している。$A=B$ とすると 2 から $\det(A\circ A)\ge(\det A)^2$ も分かる。

作用素ノルムの評価

$T\in M_n(\mathbb{C})$ の作用素ノルムを $\| T\|:=\max_{\| x\|=1}\| Tx\|$($\|\cdot\|$ は標準内積から決まるノルム)とする。Cauchy–Schwarz の不等式により $|y^*Tx|\le\| y\|\,\| Tx\|$ で、$Tx\ne0$ なら $y=Tx/\| Tx\|$ で等号が成り立つので、$\| T\|=\max_{\| x\|=\| y\|=1}|y^*Tx|$ である。

Schurのノルム評価

$H=(h_{ij})\in M_n(\mathbb{C})$ が半正定値なら、すべての $T\in M_n(\mathbb{C})$ について
$$ \| H\circ T\|\le\Bigl(\max_{1\le i\le n}h_{ii}\Bigr)\| T\| $$
が成り立つ。

分解して Cauchy–Schwarz を 2 回使う

prf-spt-main と同じく $H=\sum_{r=1}^mw_rw_r^*$ と書き、$\ell_{pr}$ を $w_r$ の第 $p$ 成分とすると $h_{pq}=\sum_r\ell_{pr}\overline{\ell_{qr}}$、$h_{pp}=\sum_r|\ell_{pr}|^2$ である。$\| x\|=\| y\|=1$ とし、$u_r,v_r\in\mathbb{C}^n$ を $(u_r)_p:=\overline{\ell_{pr}}\,y_p$、$(v_r)_q:=\overline{\ell_{qr}}\,x_q$ で定めると
$$ y^*(H\circ T)x=\sum_{p,q}\overline{y_p}\,h_{pq}t_{pq}x_q=\sum_r\sum_{p,q}\overline{(u_r)_p}\,t_{pq}\,(v_r)_q=\sum_ru_r^*Tv_r $$
である($t_{pq}$ は $T$ の成分)。$|u_r^*Tv_r|\le\| T\|\,\| u_r\|\,\| v_r\|$ と、和についての Cauchy–Schwarz の不等式により
$$ \bigl|y^*(H\circ T)x\bigr|\le\|T\|\Bigl(\sum_r\|u_r\|^2\Bigr)^{1/2}\Bigl(\sum_r\|v_r\|^2\Bigr)^{1/2} $$
である。$\sum_r\| v_r\|^2=\sum_q|x_q|^2\sum_r|\ell_{qr}|^2=\sum_qh_{qq}|x_q|^2\le\max_ih_{ii}$ であり、$u_r$ についても同じなので、$|y^*(H\circ T)x|\le(\max_ih_{ii})\| T\|$ である。$x,y$ について最大をとればよい。$\square$

$H=J_n$ では $H\circ T=T$、$\max_ih_{ii}=1$ なので等号が成り立ち、定数 $\max_ih_{ii}$ はこれ以上小さくできない。この評価は DK07 §4(arXiv 版 pp. 21–22)に Schur の原論文の議論として紹介されており、無限行列($\ell^2$ 上の有界作用素)でも同じ形で成り立つ(この記事では証明しない)。言い換えると、$H$ を固定した線形写像 $T\mapsto H\circ T$ は、作用素ノルムについて $\max_ih_{ii}$ 倍以上には行列を大きくしない。

条件を外した反例

外す条件反例成り立たなくなること
thm-spt-main の $B\succeq0$$A=J_2$、$B=\begin{pmatrix}1&2\\2&1\end{pmatrix}$$A\circ B=B$ は半正定値でない
thm-spt-main で行列が Hermite(対称)$A=\begin{pmatrix}1&2\\-2&1\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&1\\-1&1\end{pmatrix}$$x^{\top}Ax$、$x^{\top}Bx$ はつねに $0$ 以上だが、$x^{\top}(A\circ B)x$ は負になりうる
thm-spt-strict の $b_{ii}>0$$A=I_2$、$B=\operatorname{diag}(1,0)$$A\circ B$ は正定値でない
thm-spt-strict の $A\succ0$$A=B=J_2$$A\circ B$ は正定値でない
cor-spt-series の $c_k\ge0$$f(z)=1-z$、$A=\begin{pmatrix}2&1\\1&2\end{pmatrix}$$f^\circ(A)$ は半正定値でない
thm-spt-oppenheim の $B\succeq0$$A=\begin{pmatrix}2&1\\1&2\end{pmatrix}$、$B=\begin{pmatrix}1&2\\2&1\end{pmatrix}$$\det(A\circ B)<\det A\cdot b_{11}b_{22}$
thm-spt-norm の $H\succeq0$$H=\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$、$T=J_2$$\Vert H\circ T\Vert >(\max_ih_{ii})\Vert T\Vert$
反例の確かめ

1 行目:$J_2=\mathbf1\mathbf1^*$ は半正定値で $J_2\circ B=B$ である。$B$ の固有値は $3$ と $-1$ である。
2 行目:$x^{\top}Ax=x_1^2+x_2^2$、$x^{\top}Bx=x_1^2+x_2^2$ である(反対称な部分は 2 次形式に寄与しない)。しかし $A\circ B=\begin{pmatrix}1&2\\2&1\end{pmatrix}$ で、$x=(1,-1)^{\top}$ のとき $x^{\top}(A\circ B)x=-2$ である。$A,B$ は対称でないので半正定値行列ではなく、定理の仮定を満たさない。
3 行目:$B$ は半正定値だが $b_{22}=0$ で、$A\circ B=\operatorname{diag}(1,0)$ は $e_2$ で $0$ になる。
4 行目:$J_2$ は半正定値で対角成分は $1$ だが正則でない。$A\circ B=J_2$ は $x=(1,-1)^{\top}$ で $0$ になる。
5 行目:$A$ は正定値で、$f^\circ(A)=\begin{pmatrix}-1&0\\0&-1\end{pmatrix}$ は負定値である。$f$ の $z$ の係数 $-1$ が負である。
6 行目:$\det A=3$、$b_{11}b_{22}=1$ だが、$A\circ B=\begin{pmatrix}2&2\\2&2\end{pmatrix}$ で $\det(A\circ B)=0<3$ である。$B$ の固有値は $3,-1$ で半正定値でない。
7 行目:$H$ は対角成分が $0$ で、固有値 $-1$ をもつので半正定値でない。$H\circ J_2=H$ で $\| H\|=1$ だが、右辺は $0\cdot\| J_2\|=0$ である。

補足

歴史と名前

Hadamard 積は Schur の 1911 年の論文(無限個の変数をもつ有界な双線形形式についての論文)で行列に対して導入され、thm-spt-main と thm-spt-norm はそこで示された(DK07 §4、arXiv 版 pp. 20–22)。同論文によれば、「Hadamard 積」という名は、2 つの冪級数の係数ごとの積を調べた Hadamard の論文にちなむと考えられるが、Hadamard はその論文では行列の成分ごとの積を調べていない。

ほかの記事との関係
  1. thm-spt-oppenheim の証明は、Schur補行列 による半正定値性の判定を使っている。Schur 補行列が $0$ になるように左上の成分を減らしても半正定値性が保たれることが、帰納法を回す鍵である。
  2. 正定値行列 の記事は、半正定値行列の和・正の数倍・合同変換 $P^*AP$ を扱っている。Hadamard 積はこれらに並ぶ第 4 の演算で、ex-spt-gauss のように具体的な行列の半正定値性を示すのに使える。
  3. 正定値関数・正定値核の積がまた正定値であることは、thm-spt-main を有限個の点で使えば分かる。

関連項目

参考文献

[1]
Harry Dym, Victor Katsnelson, Contributions of Issai Schur to Analysis, arXiv:0706.1868v1 (2007)。Studies in Memory of Issai Schur, Progress in Mathematics 210, Birkhäuser, 2003 所収, 2007, arXiv 版の頁。§4 The Schur product and Schur multipliers:Schur 積の定義と Schur の積定理(Schur の 1911 年の論文の Theorem VII)とその証明(pp. 20–21)、半正定値な H による Schur のノルム評価 (4.2) とその証明(pp. 21–22)、Hadamard 積の名の由来(p. 20)

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