分裂補題(splitting lemma)とは、アーベル群の短完全列 $0\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to0$ について、$i$ が準同型の左逆をもつこと、$j$ が準同型の右逆をもつこと、$B$ が $i,j$ と両立する仕方で $A\oplus C$ に同型であることの 3 条件が同値であるという補題である。$C$ で終わる短完全列がすべて分裂するのは $C$ が自由アーベル群のときに限る。可換でない群では右逆は半直積しか与えず、左逆より真に弱い。位相空間のレトラクションがあると特異鎖複体の段階で分裂が起き、$H_n(X)\cong H_n(A)\oplus H_n(X,A)$ となる。
分裂補題(splitting lemma)は、アーベル群の短完全列 $0\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to0$ について、「$i$ が準同型の左逆をもつ」「$j$ が準同型の右逆をもつ」「$B$ が $i$・$j$ と両立する仕方で直和 $A\oplus C$ に同型である」の 3 条件が同値であることを述べる補題である。3 条件のどれか(したがってすべて)が成り立つとき、短完全列は分裂するという。
分裂補題が役に立つのは、左逆・右逆の存在が 1 つの準同型の存在だけを問う確かめやすい条件であるのに対し、直和への同型が $B$ の構造を両端の $A$・$C$ から完全に決めるからである。たとえば、位相空間 $X$ からその部分空間 $A$ へのレトラクション(レトラクト)があれば、ホモロジーが $H_n(X)\cong H_n(A)\oplus H_n(X,A)$ と分かれる。逆にこの分解が成り立たないことから、レトラクションが存在しないことが分かる。
この記事では、まずアーベル群について 3 条件の同値を、逆写像を式で書いて証明する。次に、終端の群 $C$ を固定したとき「$C$ で終わる短完全列がすべて分裂する」のは $C$ が自由なときに限ることを示す。続いて、可換でない群では右逆の存在が左逆の存在より真に弱く、直積ではなく半直積しか与えないことを $S_3$ で確かめる。最後に、レトラクションがあると特異鎖複体の段階で短完全列が分裂し、ホモロジーの長完全列が分裂した短完全列に分かれることを示す。一般のアーベル圏での分裂補題とその元を使わない証明は 短完全列 の記事の命題「分裂補題」にある。
以下、$\iota_A\colon A\to A\oplus C$、$\iota_C\colon C\to A\oplus C$ を $\iota_A(a)=(a,0)$、$\iota_C(c)=(0,c)$ で定まる入射、$\pi_A\colon A\oplus C\to A$、$\pi_C\colon A\oplus C\to C$ を $\pi_A(a,c)=a$、$\pi_C(a,c)=c$ で定まる射影とする。
アーベル群と群準同型の列 $0\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to0$ が短完全列であるとは、$i$ が単射、$j$ が全射で、$\operatorname{im}i=\ker j$ が成り立つことをいう。この短完全列が分裂する(split)とは、準同型 $p\colon B\to A$ で $p\circ i=\mathrm{id}_A$ を満たすもの($i$ の左逆、レトラクション)が存在することをいう。準同型 $s\colon C\to B$ で $j\circ s=\mathrm{id}_C$ を満たすものを $j$ の右逆(切断、セクション)という。
定義では左逆の存在を採ったが(Hat02 §2.2, pp. 147–148 は 3 条件の同値を述べて分裂を定義している)、spl-thm-main により右逆の存在、あるいは $i,j$ と両立する直和への同型の存在を定義にしても同じである。右逆・左逆は群準同型でなければならず、集合の写像として右逆があるだけでは足りない(spl-ex-table の 3 行目)。
アーベル群の短完全列 $0\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to0$ について、次の 3 条件は同値である。
(a) ⇒ (c):$\varphi(b):=(p(b),j(b))$ とおく。両成分が準同型なので $\varphi$ は準同型である。$\varphi(b)=0$ なら $j(b)=0$ なので $b=i(a)$ となる $a\in A$ があり、$a=p(i(a))=p(b)=0$ だから $b=0$ である。よって $\varphi$ は単射である。$(a,c)\in A\oplus C$ を任意にとり、$j$ の全射性から $j(b_0)=c$ となる $b_0$ を 1 つとって $b:=b_0+i\bigl(a-p(b_0)\bigr)$ とおくと、$p(b)=p(b_0)+a-p(b_0)=a$、$j(b)=j(b_0)=c$ である。よって $\varphi$ は全射である。$\varphi(i(a))=(a,j(i(a)))=(a,0)$、$\pi_C(\varphi(b))=j(b)$ である。
(b) ⇒ (c):$\psi(a,c):=i(a)+s(c)$ とおく。$B$ は可換なので $\psi\bigl((a,c)+(a',c')\bigr)=i(a)+i(a')+s(c)+s(c')=\psi(a,c)+\psi(a',c')$ であり、$\psi$ は準同型である。$\psi(a,c)=0$ なら $j$ を施して $c=j(i(a))+j(s(c))=0$、すると $i(a)=0$ で $i$ の単射性から $a=0$ である。$b\in B$ について $c:=j(b)$ とおくと $j\bigl(b-s(c)\bigr)=c-c=0$ なので $b-s(c)=i(a)$ となる $a$ があり、$\psi(a,c)=b$ である。よって $\psi$ は同型で、$\varphi:=\psi^{-1}$ とおくと、$\psi(a,0)=i(a)$ から $\varphi(i(a))=(a,0)$、$j(\psi(a,c))=c$ から $\pi_C\circ\varphi=j$ である。
(c) ⇒ (a)・(b):$p:=\pi_A\circ\varphi$、$s:=\varphi^{-1}\circ\iota_C$ とおくと、$p\circ i=\pi_A\circ\iota_A=\mathrm{id}_A$、$j\circ s=\pi_C\circ\varphi\circ\varphi^{-1}\circ\iota_C=\pi_C\circ\iota_C=\mathrm{id}_C$ である。
残りの式:(a) の $p$ から作った $\varphi$ について、$s=\varphi^{-1}\circ\iota_C$ の値 $s(c)$ は $\varphi(b)=(0,c)$、すなわち $p(b)=0$ かつ $j(b)=c$ となるただ 1 つの $b$ であり、$\varphi^{-1}(a,c)=\varphi^{-1}(a,0)+\varphi^{-1}(0,c)=i(a)+s(c)$ である。(b) の $s$ については、上の $\psi$ の全射性の証明で $b-s(j(b))\in\ker j=\operatorname{im}i$ を確かめたので、$p(b):=i^{-1}\bigl(b-s(j(b))\bigr)$ は $i$ の単射性により矛盾なく定まる。$p=\pi_A\circ\psi^{-1}$ なので $p$ は準同型で、$p(i(a))=\pi_A(a,0)=a$ である。$\square$
証明で $B$ の可換性を使ったのは (b) ⇒ (c) の $\psi$ が準同型であることだけである。(a) ⇒ (c) と (c) ⇒ (a)・(b) は、$\oplus$ を直積 $\times$ に替えれば可換でない群でもそのまま通る(spl-prop-nonabelian)。
分裂を与える右逆は一般に 1 つではない。$s$ が右逆で $h\colon C\to A$ が準同型なら $s+i\circ h$ も右逆であり、右逆はすべてこの形で得られる(短完全列 の注意「分裂の自由度」)。spl-thm-main の対応は、左逆 $p$ を 1 つ決めると右逆 $s$ が 1 つに決まる($s(C)=\ker p$ となるもの)、という意味である。このとき $p\circ s=0$、$i\circ p+s\circ j=\mathrm{id}_B$ が成り立つ。
$0\to\mathbb{Z}/2\xrightarrow{i}\mathbb{Z}/6\xrightarrow{j}\mathbb{Z}/3\to0$($i(x)=3x$、$j$ は $3$ を法とする還元)は分裂する。実際 $p(x):=x\bmod 2$ は $\mathbb{Z}/6\to\mathbb{Z}/2$ の準同型で $p(3x)=x$ であり、spl-thm-main により $\mathbb{Z}/6\cong\mathbb{Z}/2\oplus\mathbb{Z}/3$ である。対応する右逆は $\ker p=\{0,2,4\}$ の中で $1$ に写る元を選ぶもので、$s(y)=4y$ である。
一方 $0\to\mathbb{Z}/2\xrightarrow{i}\mathbb{Z}/4\xrightarrow{j}\mathbb{Z}/2\to0$($i(x)=2x$)は分裂しない。分裂すれば $\mathbb{Z}/4\cong\mathbb{Z}/2\oplus\mathbb{Z}/2$ となるが、左辺には位数 $4$ の元 $1$ があり、右辺の元はすべて $2$ 倍すると $0$ になる。
$T:=\bigoplus_{k\in\mathbb{N}}\mathbb{Z}/2$ とし、$A=\mathbb{Z}$、$B=\mathbb{Z}\oplus T$、$C=\mathbb{Z}/2\oplus T$、$i(n)=(2n,0)$、$j(m,t)=(m\bmod2,\,t)$ とおく。$i$ は単射、$j$ は全射で、$\ker j=\{(m,0)\mid m\text{ は偶数}\}=\operatorname{im}i$ なので短完全列である。
$C=\mathbb{Z}/2\oplus T$ は成分を 1 つずらす写像 $(e,t_0,t_1,\dots)\mapsto(t_0',t_1',\dots)$、$t_0'=e$、$t_{k+1}'=t_k$ によって $T$ に同型なので、$A\oplus C\cong\mathbb{Z}\oplus T=B$ である。つまり $B$ は群としては $A\oplus C$ に同型である。
しかしこの列は分裂しない。左逆 $p\colon B\to\mathbb{Z}$ があれば $1=p(i(1))=p(2,0)=2\,p(1,0)$ となるが、$2x=1$ を満たす整数 $x$ はない。この例は、spl-thm-main の (c) で同型が $i$・$j$ と両立することが外せないことを示している。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 群が可換(spl-thm-main) | $1\to A_3\to S_3\to C_2\to1$ | (b) ⇒ (a) |
| 同型が $i$・$j$ と両立(spl-thm-main の (c)) | spl-ex-abstract-iso の $\mathbb{Z}\oplus T$ | (c) ⇒ (a) |
| 右逆が準同型(spl-def-split) | $\mathbb{Z}/2\to\mathbb{Z}/4$ の写像 $\bar0\mapsto0$、$\bar1\mapsto1$ | (b) ⇒ (a) |
| 終端 $C$ が自由(spl-thm-free) | $0\to\mathbb{Z}\xrightarrow{\times2}\mathbb{Z}\to\mathbb{Z}/2\to0$ | $C$ で終わる列がすべて分裂すること |
1 行目は spl-ex-s3 で確かめる。2 行目は spl-ex-abstract-iso である。3 行目:写像 $s\colon\mathbb{Z}/2\to\mathbb{Z}/4$、$\bar0\mapsto0$、$\bar1\mapsto1$ は spl-ex-cyclic の $j\colon\mathbb{Z}/4\to\mathbb{Z}/2$ の集合の写像としての右逆だが、$s(\bar1+\bar1)=s(\bar0)=0$ に対し $s(\bar1)+s(\bar1)=2\neq0$ なので準同型でなく、spl-ex-cyclic のとおりこの列は分裂しない。4 行目:左逆 $r\colon\mathbb{Z}\to\mathbb{Z}$ があれば $1=r(2)=2r(1)$ となり矛盾する(短完全列 の例「反例:分裂しない短完全列」)。終端 $\mathbb{Z}/2$ は捩れ元をもつので自由アーベル群でない。
右逆を作るには、$C$ の各元の $j$ による逆像から元を選び、その選び方が準同型になるようにしなければならない。$C$ が自由なら基底の元についてだけ選べばよく、この障害は消える。逆に、この障害がすべて消えるのは $C$ が自由なときに限る。
要点:自由な群では基底の持ち上げを選ぶだけで右逆が作れる。逆向きは、評価写像 $\mathbb{Z}^{(C)}\to C$ の右逆で $C$ を自由な群の部分群とみなし、自由な群の部分群が自由であることを使う。
(1) (i) ⇒ (ii):$C$ の基底 $(x_\lambda)_{\lambda\in\Lambda}$ をとる。$j\colon B\to C$ は全射なので、各 $\lambda$ について $j(b_\lambda)=x_\lambda$ となる $b_\lambda\in B$ を選ぶ($\Lambda$ が無限なら選択公理を使う)。自由アーベル群 の命題「自由アーベル群の普遍性」により、$s(x_\lambda)=b_\lambda$ を満たす準同型 $s\colon C\to B$ がある。$j\circ s$ と $\mathrm{id}_C$ は基底の上で一致する準同型なので、同じ命題の一意性により等しい。よって $s$ は右逆であり、spl-thm-main により列は分裂する。
(ii) ⇒ (i):集合 $C$ の上の自由アーベル群 $F:=\mathbb{Z}^{(C)}$(基底を $e_c$、$c\in C$ と書く)と、$\varepsilon(e_c):=c$ で定まる準同型 $\varepsilon\colon F\to C$ をとる。$\varepsilon$ は全射なので $0\to\ker\varepsilon\to F\xrightarrow{\varepsilon}C\to0$ は短完全列であり、仮定によりこれは分裂する。spl-thm-main の (b) により $\varepsilon\circ s=\mathrm{id}_C$ となる準同型 $s$ があり、$s$ は単射なので $C\cong s(C)$ である。$s(C)$ は自由アーベル群 $F$ の部分群なので、自由アーベル群 の定理「自由アーベル群の部分群は自由」(基底の添字の整列順序による超限帰納法で、任意の濃度で証明されている)により自由アーベル群であり、$C$ も自由アーベル群である。
(2) 同じ議論を自由群で行う。(i) ⇒ (ii) では、自由生成系の各元の持ち上げを選び、自由群 の定義「自由群」の普遍性で準同型 $s$ に延ばす。$j\circ s$ と $\mathrm{id}_C$ は自由生成系の上で一致するので等しい。(ii) ⇒ (i) では、集合 $C$ の上の自由群 $F(C)$ からの評価写像 $\varepsilon$ をとり、右逆 $s$ により $C$ を $F(C)$ の部分群 $s(C)$ と同型にする。自由群の部分群は自由群である(Nielsen–Schreierの定理 の定理「Nielsen–Schreier の定理」)ので、$C$ は自由群である。$\square$
$R$ 加群でも (1) の (i) ⇒ (ii) は同じ証明で通り、より一般に「$C$ で終わる $R$ 加群の短完全列がすべて分裂する」ことは $C$ が射影加群であることと同値である。ただし (ii) ⇒ (i) は一般の環では成り立たない。$\mathbb{Z}/6=\mathbb{Z}/2\oplus\mathbb{Z}/3$ 上の加群 $\mathbb{Z}/2$ は自由加群 $\mathbb{Z}/6$ の直和因子なので射影的だが、自由加群の位数は $1,6,36,\dots$ か無限なので、位数 $2$ の $\mathbb{Z}/2$ は自由加群でない。$\mathbb{Z}$ の上では、自由加群の部分加群が自由なので両者が一致する。
可換でない群の短完全列 $1\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to1$($i$ は単射、$j$ は全射、$\operatorname{im}i=\ker j$)では、spl-thm-main の 3 条件は同値でなくなる。直和 $\oplus$ は直積 $\times$ に置き換え、$\iota_A(a)=(a,1)$、$\pi_C(a,c)=c$ とする。
群の短完全列 $1\to A\xrightarrow{i}B\xrightarrow{j}C\to1$ について、次が成り立つ。
要点:左逆からの同型 $b\mapsto(p(b),j(b))$ は成分ごとの準同型なので、可換性を使わずに作れる。
1:$p$ があるとき $\varphi(b):=(p(b),j(b))$ は成分ごとに準同型なので $A\times C$ への準同型である。単射性は spl-prf-main の (a) ⇒ (c) と同じである。全射性は、$(a,c)$ に対し $j(b_0)=c$ となる $b_0$ をとり $b:=i\bigl(a\,p(b_0)^{-1}\bigr)\,b_0$ とおくと $p(b)=a\,p(b_0)^{-1}p(b_0)=a$、$j(b)=j(b_0)=c$ となることからわかる。$\varphi(i(a))=(a,1)$、$\pi_C\circ\varphi=j$ である。逆に $\varphi$ があれば $p:=\pi_A\circ\varphi$ が左逆である。
2 は 半直積 の定理「分裂の判定」の 1 と 2 の同値と、その証明の 1 ⇒ 2・1 ⇒ 3 の部分である。
3:1 の $\varphi$ があれば $s:=\varphi^{-1}\circ\iota_C$($\iota_C(c)=(1,c)$)は準同型で、$j\circ s=\pi_C\circ\iota_C=\mathrm{id}_C$ である。逆が成り立たないことは spl-ex-s3 で示す。$\square$
2 の半直積が直積になるのは、$s(C)$ が $B$ の正規部分群になるとき、すなわち $C$ の $A$ への共役作用が自明なときである(半直積 の命題「直積になる条件」・「左逆と直積」)。このため、可換でない群では「分裂する」を右逆の存在(2 の条件)で定義するのが普通である。
対称群 $S_3$ の交代群 $A_3=\langle r\rangle$($r=(1\,2\,3)$)と符号 $\operatorname{sgn}\colon S_3\to\{\pm1\}\cong C_2$ からなる短完全列 $1\to A_3\to S_3\xrightarrow{\operatorname{sgn}}C_2\to1$ を考える。$t=(1\,2)$ は $t^2=1$、$\operatorname{sgn}(t)=-1$ なので、$-1\mapsto t$ は準同型の右逆である。よって $S_3\cong A_3\rtimes C_2$ である。
一方、左逆 $p\colon S_3\to A_3$($p(r)=r$)は存在しない。$p(t)^2=p(t^2)=1$ であり、位数 $3$ の群 $A_3$ で平方が単位元になる元は単位元だけなので $p(t)=1$ である。すると $trt^{-1}=r^{-1}$ から $r^{-1}=p(trt^{-1})=p(t)\,r\,p(t)^{-1}=r$ となり、$r$ の位数が $3$ であることに反する。実際 $S_3$ は可換でなく、$A_3\times C_2$ は可換なので、両者は同型でない。
位相空間 $X$ の部分空間 $A$ と包含 $\mathrm{inc}\colon A\to X$ について、連続写像 $r\colon X\to A$ で $r\circ\mathrm{inc}=\mathrm{id}_A$ を満たすものをレトラクションという(レトラクト)。特異鎖複体と相対鎖複体の記号は 相対ホモロジー の記事に従い、$C_n(X,A)=C_n(X)/C_n(A)$、商写像を $q\colon C_\bullet(X)\to C_\bullet(X,A)$、連続写像 $f$ が誘導する鎖写像を $f_\sharp$ と書く。$\mathrm{inc}_\sharp$ は $A$ の特異単体を $X$ の特異単体とみなす単射であり、これで $C_\bullet(A)\subset C_\bullet(X)$ とみなす。$q$ が誘導する $H_n(X)\to H_n(X,A)$ は対の長完全列の $j_*$ であり、ここでは $q_*$ と書く。
$r\colon X\to A$ をレトラクションとする。
関手性から $r_\sharp\mathrm{inc}_\sharp=(r\circ\mathrm{inc})_\sharp=\mathrm{id}$ であり、連続写像の誘導する $f_\sharp$ は境界作用素と可換である。
1:代表 $c$ を $c+\mathrm{inc}_\sharp a$($a\in C_n(A)$)に替えると、右辺は $\mathrm{inc}_\sharp a-\mathrm{inc}_\sharp r_\sharp\mathrm{inc}_\sharp a=\mathrm{inc}_\sharp a-\mathrm{inc}_\sharp a=0$ だけ変わるので、$t$ は商の上で矛盾なく定まる準同型である。$\partial t(q(c))=\partial c-\mathrm{inc}_\sharp r_\sharp\partial c=t(q(\partial c))=t(\partial q(c))$ なので鎖写像である。$q(t(q(c)))=q(c)-q(\mathrm{inc}_\sharp r_\sharp c)=q(c)$、$r_\sharp(t(q(c)))=r_\sharp c-r_\sharp c=0$ であり、$t\circ q=\mathrm{id}-\mathrm{inc}_\sharp r_\sharp$ は定義そのものである。
2:$\Phi:=(r_\sharp,q)$、$\Psi(a,z):=\mathrm{inc}_\sharp a+t(z)$ とおく。直和の鎖複体の境界は成分ごとにとるので、どちらも鎖写像である。$\Phi\Psi(a,z)=\bigl(r_\sharp\mathrm{inc}_\sharp a+r_\sharp t(z),\ q\mathrm{inc}_\sharp a+qt(z)\bigr)=(a,z)$、$\Psi\Phi(c)=\mathrm{inc}_\sharp r_\sharp c+tq(c)=c$ である。これは各次数で spl-thm-main の (c) を、境界と両立する形で与えている。
3:直和の鎖複体の輪体・境界は成分ごとに決まるので、$H_n\bigl(C_\bullet(A)\oplus C_\bullet(X,A)\bigr)=H_n(A)\oplus H_n(X,A)$ であり、2 から同型 $\Phi_*[c]=(r_*[c],q_*[c])$ を得る。接続準同型については、相対輪体 $z=q(c)$ に対し $\partial c=\mathrm{inc}_\sharp a$ となる $a\in C_{n-1}(A)$ をとると $\partial[z]=[a]$ である(相対ホモロジー の定理「対の長完全列」)。$a=r_\sharp\mathrm{inc}_\sharp a=r_\sharp\partial c=\partial(r_\sharp c)$ なので $a$ は $A$ の境界であり、$\partial[z]=0$ である。接続準同型が $0$ なので長完全列から $0\to H_n(A)\to H_n(X)\to H_n(X,A)\to0$ が完全であり、$r_*\mathrm{inc}_*=\mathrm{id}$、$q_*t_*=\mathrm{id}$ から分裂する。$\square$
$\mathrm{inc}_*$ が単射で像が直和因子になることだけなら、関手 $H_n$ を $r\circ\mathrm{inc}=\mathrm{id}_A$ に施せば得られる(レトラクト の命題「関手による分裂」)。spl-thm-retract は補空間が相対ホモロジー $H_n(X,A)$ で与えられることと、分裂が鎖複体の段階で境界と両立する形で起きていることを述べている。各次数の加群として分裂するだけでは接続準同型は $0$ にならない(長完全列 の例「反例:接続準同型を省いた列と、各次数だけの分裂」)。境界と両立する分裂なら $0$ になる(同記事の命題「複体として分裂すると接続写像は零」)。
この定理は、分裂が起きないことからレトラクションの非存在を導くのに使える。$D^n$ から境界 $S^{n-1}$ へのレトラクションがあれば $H_{n-1}(D^n)\cong H_{n-1}(S^{n-1})\oplus H_{n-1}(D^n,S^{n-1})$ となるが、$n\ge2$ なら左辺は $0$、右辺は $\mathbb{Z}$ を含み矛盾する($n=1$ では $H_0$ で比べる)。これが Brouwerの不動点定理 の要点である(Hat02 p. 148)。
$n\ge1$、$m\ge2$ とし、写像度 $m$ の連続写像 $f\colon S^n\to S^n$ の写像柱 $M_f$ を考える。定義域の端への包含を $e\colon S^n\to M_f$、柱を値域の端へつぶす写像を $\kappa\colon M_f\to S^n$ と書く(写像柱 の記事の $i$ と $r$)。$\kappa\circ e=f$ であり、$\kappa$ はホモトピー同値である(写像柱 の記事の節「基本構造」)。
定義域の端 $e(S^n)$ は $M_f$ のレトラクトでない。レトラクション $\rho\colon M_f\to e(S^n)$ があったとし、$e$ を $S^n$ から $e(S^n)$ への同相写像とみて $\rho':=e^{-1}\circ\rho\colon M_f\to S^n$ とおくと、$\rho'\circ e=\mathrm{id}_{S^n}$ である。$H_n(S^n)\cong\mathbb{Z}$ の生成元 $u$ をとると $\kappa_*e_*(u)=f_*(u)=mu$ であり、$\kappa_*$ は同型なので $e_*(u)=m\,\kappa_*^{-1}(u)$ である。すると $u=\rho'_*e_*(u)=m\,\rho'_*\kappa_*^{-1}(u)$ となるが、$\mathbb{Z}$ の生成元は $m\ge2$ の倍数でない。分裂補題の言葉では、spl-thm-retract の短完全列は $0\to\mathbb{Z}\xrightarrow{m}\mathbb{Z}\to\mathbb{Z}/m\to0$ になり、捩れのない $\mathbb{Z}$ が $\mathbb{Z}\oplus\mathbb{Z}/m$ と同型にならないので分裂しない。
$n=1$、$f(z)=z^2$ のとき $M_f$ は Möbiusの帯 と同相で、定義域の端は帯の縁に対応する(写像柱 の命題「次数 2 の写像の写像柱は Möbius の帯」)。よって Möbius の帯は縁の円周にレトラクトしない。
分裂補題は双対的な形をしている。(a) は「$A$ が $B$ の直和因子として埋め込まれる」こと、(b) は「$C$ が $B$ の直和因子として持ち上がる」ことを述べ、(c) の直和 $A\oplus C$ では両者の役割に違いがない。どの短完全列が分裂するかを測る群が $\operatorname{Ext}^1(C,A)$ であり、その零元が分裂する拡大の類である(Ext関手・加群の拡大)。
分裂は一般に自然ではない。たとえば普遍係数定理の短完全列 $0\to\operatorname{Ext}(H_{n-1}(C),G)\to H^n(C;G)\to\operatorname{Hom}(H_n(C),G)\to0$($C$ は自由鎖複体)は分裂するが、分裂を鎖写像と両立するように選ぶことは一般にできない(普遍係数定理 の例「反例:分裂が自然でない」)。spl-thm-retract の分裂は、レトラクション $r$ を 1 つ固定して得たものであり、$r$ を取り替えると右逆 $t$ も変わる。
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