Ken Brownの補題(Ken Brown's lemma)とは、モデル圏から弱同値をもつ圏への関手が、コファイブラント対象の間の自明コファイブレーションを弱同値に送るなら、コファイブラント対象の間のすべての弱同値を弱同値に送るという補題である。双対的に、ファイブラント対象の間の自明ファイブレーションを弱同値に送る関手は、ファイブラント対象の間の弱同値を保つ。証明は、コファイブラント対象の間の弱同値を自明コファイブレーションと自明コファイブレーションの左逆射の合成に分解する Brown の因数分解による。左 Quillen 関手がコファイブラント対象の間の弱同値を保つこと、導来関手がコファイブラント置換で計算できることの根拠になる。
モデル圏の間の関手は、一般には弱同値を弱同値に送らない。弱同値をすべて調べるのは難しいが、自明コファイブレーション(コファイブレーションであって弱同値でもある射)は持ち上げ性質で扱いやすい。Ken Brownの補題(Ken Brown's lemma)は、この扱いやすい射だけを調べれば十分であることを述べる:関手がコファイブラント対象の間の自明コファイブレーションを弱同値に送るなら、コファイブラント対象の間のすべての弱同値を弱同値に送る。双対的に、ファイブラント対象の間の自明ファイブレーションについての主張もある。
鍵は、コファイブラント対象の間の弱同値が「自明コファイブレーション」と「自明コファイブレーションの左逆射」の合成に分解できることである(Brown の因数分解)。左 Quillen 関手がコファイブラント対象の間の弱同値を保つこと、したがって全左導来関手がコファイブラント置換で計算できることは、この補題から従う。
モデル圏の定義と記号は モデル圏 に従う。モデル圏 $\mathcal M$ は小さい極限と余極限をもち、弱同値 $\mathcal W$、コファイブレーション $\mathcal C$、ファイブレーション $\mathcal F$ の 3 つのクラスが 2 out of 3・レトラクト閉性・持ち上げ・分解の公理を満たす。始対象を $\emptyset$、終対象を $*$ と書き、$\emptyset\to X$ がコファイブレーションである $X$ を コファイブラント、$X\to*$ がファイブレーションである $X$ を ファイブラント という。以下で使うモデル圏の基本性質は次の 3 つである。
圏 $\mathcal N$ と射のクラス $\mathcal W_{\mathcal N}$ の組で、$\mathcal W_{\mathcal N}$ がすべての同型射を含み、2 out of 3(合成可能な $f,g$ について $f,g,gf$ のうち 2 つが $\mathcal W_{\mathcal N}$ に属せば残りも属する)を満たすものを 弱同値をもつ圏 といい、$\mathcal W_{\mathcal N}$ の射を弱同値とよぶ。
モデル圏はその弱同値によって弱同値をもつ圏である。任意の圏は同型射の全体を弱同値として弱同値をもつ圏になる。とくにモデル圏のホモトピー圏 $\operatorname{Ho}(\mathcal M)$ をこの形で行き先にとれば、「弱同値に送る」は「同型射に送る」の意味になる。
$\mathcal M$ をモデル圏、$f\colon X\to Y$ をコファイブラント対象の間の弱同値とする。このとき、コファイブラント対象 $Z$ と射
$$
j\colon X\to Z,\qquad s\colon Y\to Z,\qquad p\colon Z\to Y
$$
で、$f=pj$、$ps=\mathrm{id}_Y$ を満たし、$j$ と $s$ は自明コファイブレーション、$p$ は自明ファイブレーションであるものが存在する。
$$
\xymatrix{
X \ar[r]^{j} \ar[dr]_{f} & Z \ar[d]^{p} & Y \ar[l]_{s} \ar[dl]^{\mathrm{id}_Y} \\
& Y &
}
$$
図式の可換性は、等式 $pj=f$ と $ps=\mathrm{id}_Y$ のことである。
射 $(f,\mathrm{id}_Y)\colon X\amalg Y\to Y$($X$ 上で $f$、$Y$ 上で恒等射)を、分解公理によりコファイブレーション $k\colon X\amalg Y\to Z$ と自明ファイブレーション $p\colon Z\to Y$ の合成に分解する。余積への入射を $i_1\colon X\to X\amalg Y$、$i_2\colon Y\to X\amalg Y$ とすると、$X,Y$ がコファイブラントなので $i_1,i_2$ はコファイブレーションで、$X\amalg Y$ はコファイブラントである。$\emptyset\to X\amalg Y\xrightarrow{k}Z$ はコファイブレーションの合成なので $Z$ もコファイブラントである。
$j:=ki_1$、$s:=ki_2$ とおく。これらはコファイブレーションの合成なのでコファイブレーションであり、$pj=(f,\mathrm{id}_Y)i_1=f$、$ps=(f,\mathrm{id}_Y)i_2=\mathrm{id}_Y$ である。$p$ と $f$ は弱同値なので、2 out of 3 により $j$ は弱同値である。$p$ と $\mathrm{id}_Y$ は弱同値なので、同じく $s$ は弱同値である。$\square$
$p$ は自明コファイブレーション $s$ の左逆射である。弱同値 $f$ は、自明コファイブレーション $j$ のあとに「自明コファイブレーションの左逆射」$p$ を合成したものに分解された。
位相空間で考えると、$Z$ は $f$ の 写像柱 $M_f$ の役割をしている。$M_f$ は $X$ と $Y$ をどちらも部分空間として含み、$Y$ に変位レトラクトする。そのレトラクションが $p$ にあたり、$X\subset M_f$ に $p$ を合成すると $f$ に戻る。$f$ が弱同値なら $X\subset M_f$ も弱同値になる。「写像を包含に取り替え、包含のほうで考える」というこの常套手段を、モデル圏の公理だけで行ったのが上の補題である。
$\mathcal M$ をモデル圏、$\mathcal N$ を弱同値をもつ圏、$F\colon\mathcal M\to\mathcal N$ を関手とする。
1. $f\colon X\to Y$ をコファイブラント対象の間の弱同値とし、lem-kb-factorization の $j,s,p$ をとる。$j$ と $s$ はコファイブラント対象の間の自明コファイブレーションなので、仮定により $F(j)$ と $F(s)$ は弱同値である。$F(p)F(s)=F(\mathrm{id}_Y)$ は恒等射で弱同値なので、$\mathcal N$ の 2 out of 3 により $F(p)$ は弱同値である。よって $F(f)=F(p)F(j)$ は弱同値の合成で、2 out of 3 により弱同値である。
2. 矢印を逆にした同じ議論である。$f\colon X\to Y$ をファイブラント対象の間の弱同値とする。射 $(\mathrm{id}_X,f)\colon X\to X\times Y$ を自明コファイブレーション $k\colon X\to Z$ とファイブレーション $q\colon Z\to X\times Y$ の合成に分解する。射影 $\pi_1\colon X\times Y\to X$、$\pi_2\colon X\times Y\to Y$ はそれぞれ $Y\to*$、$X\to*$ の引き戻しなのでファイブレーションであり、$r:=\pi_1q$、$t:=\pi_2q$ はファイブレーションで、$Z$ はファイブラントである。$rk=\mathrm{id}_X$ と $tk=f$ から、2 out of 3 により $r$ と $t$ は弱同値、すなわちファイブラント対象の間の自明ファイブレーションである。仮定により $F(r)$、$F(t)$ は弱同値で、$F(r)F(k)=\mathrm{id}$ から $F(k)$ は弱同値、$F(f)=F(t)F(k)$ は弱同値である。$\square$
2 out of 3 は行き先 $\mathcal N$ で 2 回使われている:$F(p)$ を弱同値と結論する段と、合成をとる段である。仮定では「コファイブラント対象の間の」自明コファイブレーションだけを調べればよく、すべての自明コファイブレーションについて調べる必要はない。
行き先の弱同値を同型射だけにとると、次の形になる。
$\mathcal M$ をモデル圏、$\mathcal D$ を圏、$F\colon\mathcal M\to\mathcal D$ を関手とする。$F$ がコファイブラント対象の間の自明コファイブレーションを同型射に送るなら、$F$ はコファイブラント対象の間のすべての弱同値を同型射に送る。
同型射の全体は同型射を含み、2 out of 3 を満たす($f,g,gf$ のうち 2 つが同型射なら残りも同型射)。$\mathcal D$ をこの弱同値をもつ圏とみて thm-kb-main の 1 を当てればよい。$\square$
典型的な $\mathcal D$ はモデル圏のホモトピー圏であり、導来関手を作るときはこの形で使う(MP12 Remark 14.2.10、p. 280)。thm-kb-main の証明は行き先のモデル構造を使わず、使うのは 2 out of 3 だけなので、このような行き先にもそのまま当てはまる。
すべての対象がコファイブラントなモデル圏(たとえば単体的集合の Kan–Quillenモデル構造 ではコファイブレーションは単射)では、1 は「自明コファイブレーションを弱同値に送る関手は、すべての弱同値を弱同値に送る」となる。すべての対象がファイブラントなモデル圏では 2 が同じ形になる。
$\mathcal M$ をモデル圏とし、$f\colon X\to X'$、$g\colon Y\to Y'$ をコファイブラント対象の間の弱同値とする。このとき $f\amalg g\colon X\amalg Y\to X'\amalg Y'$ は弱同値である。
対象 $A$ を固定し、関手 $F:=-\amalg A\colon\mathcal M\to\mathcal M$ を考える。自明コファイブレーション $u\colon X\to X'$ について、正方形
$$
\begin{CD}
X @>{u}>> X'\\
@VVV @VVV\\
X\amalg A @>{u\amalg\mathrm{id}_A}>> X'\amalg A
\end{CD}
$$
は押し出しである($X'\amalg A$ への射は、$X'$ からの射と $A$ からの射の組で決まる)。自明コファイブレーションは押し出しで閉じるので、$F(u)=u\amalg\mathrm{id}_A$ は自明コファイブレーションで、とくに弱同値である。thm-kb-main の 1 により、$F$ はコファイブラント対象の間の弱同値を弱同値に送る。よって $f\amalg\mathrm{id}_{Y'}$ は弱同値であり、同じく $\mathrm{id}_X\amalg g$ も弱同値である。$f\amalg g=(f\amalg\mathrm{id}_{Y'})\circ(\mathrm{id}_X\amalg g)$ は弱同値である。
次の例では、モデル圏 の例「鎖複体の射影的モデル構造」を使う。環 $R$ 上の非負次数の鎖複体の圏 $\mathrm{Ch}_{\ge0}(R)$ で、弱同値は擬同型、ファイブレーションは正の次数で全射な鎖写像、コファイブレーションは各次数の余核が射影加群である単射である。とくに、各次数が射影加群の複体がコファイブラント対象であり、どの対象もファイブラントである($X\to0$ は正の次数で全射)。
$\mathrm{Ch}_{\ge0}(\mathbb Z)$ で、次数ごとに $\mathbb Z/2$ とのテンソル積をとる関手 $F:=-\otimes\mathbb Z/2\colon\mathrm{Ch}_{\ge0}(\mathbb Z)\to\mathrm{Ch}_{\ge0}(\mathbb Z)$ を考える。
$F$ は自明コファイブレーションを擬同型に送る. $i\colon A\to B$ を自明コファイブレーションとし、余核を $C$ とする。$C$ は各次数が射影加群で、短完全列 $0\to A\to B\to C\to0$ のホモロジー長完全列と $i$ が擬同型であることから、$C$ のホモロジーはすべて $0$ である。$C$ の輪体を $Z_n$ と書く。$C_0=Z_0$ は射影的で、$d_1\colon C_1\to C_0$ は全射($H_0(C)=0$)なので分裂し、$Z_1=\ker d_1$ は $C_1$ の直和因子として射影的である。同じく、$Z_{n-1}$ が射影的なら全射 $d_n\colon C_n\to Z_{n-1}$ が分裂して $C_n\cong Z_n\oplus Z_{n-1}$、$Z_n$ は射影的である。よって $C$ は、次数 $n+1,n$ に $Z_n\xrightarrow{\mathrm{id}}Z_n$ を置いた複体の直和と同型であり、$F(C)$ も同じ形の直和なのでホモロジーは $0$ である。$C$ は各次数で射影的なので $0\to A\to B\to C\to0$ は各次数で分裂し、$F$ を施しても短完全列のままである。その長完全列から $F(i)$ は擬同型である。
thm-kb-main の 1 により、$F$ はコファイブラント対象(各次数が自由加群の複体など)の間の擬同型を擬同型に送る。そこで、複体 $X$ のコファイブラント置換 $QX\to X$ をとって $F(QX)$ のホモロジーを考えれば、置換の取り方によらない量が得られる。これが $-\otimes\mathbb Z/2$ の左導来関手、すなわち $\operatorname{Tor}^{\mathbb Z}_*(-,\mathbb Z/2)$ の計算である(Tor関手)。
$\mathrm{Ch}_{\ge0}(\mathbb Z)$ で、次数 $1,0$ に $\mathbb Z\xrightarrow{2}\mathbb Z$ を置いた複体を $P$、次数 $0$ に $\mathbb Z/2$ を置いた複体を $\mathbb Z/2[0]$ とし、$q\colon P\to\mathbb Z/2[0]$ を次数 $0$ の射影 $\mathbb Z\to\mathbb Z/2$ とする。$H_1(P)=0$、$H_0(P)=\mathbb Z/2$ なので $q$ は擬同型である。$P$ は各次数が自由加群なのでコファイブラントだが、$\mathbb Z/2$ は射影的 $\mathbb Z$ 加群でないので $\mathbb Z/2[0]$ はコファイブラントでない。
ex-kb-tensor の $F=-\otimes\mathbb Z/2$ は補題の仮定を満たすが、$F(P)$ は $\mathbb Z/2\xrightarrow{0}\mathbb Z/2$ なので $H_1(F(P))=\mathbb Z/2$ であり、$F(\mathbb Z/2[0])=\mathbb Z/2[0]$ の $H_1$ は $0$ である。よって $F(q)$ は擬同型でない。結論が「コファイブラント対象の間の」弱同値に限られることは外せない。$H_1(F(P))=\mathbb Z/2$ は $\operatorname{Tor}_1^{\mathbb Z}(\mathbb Z/2,\mathbb Z/2)$ にほかならない。
$\mathrm{Ch}_{\ge0}(\mathbb Z)$ の複体 $X$ に、次数 $0$ の項だけを残した複体 $X_0[0]$ を対応させる関手 $G$ を考える(鎖写像は次数 $0$ の成分に送る)。次数 $1,0$ に $\mathbb Z\xrightarrow{\mathrm{id}}\mathbb Z$ を置いた複体 $D$ について、$0\to D$ は余核 $D$ が各次数で自由な単射で、$D$ のホモロジーは $0$ なので擬同型、すなわちコファイブラント対象の間の自明コファイブレーションである。しかし $G(0)=0\to G(D)=\mathbb Z[0]$ は擬同型でない。補題の仮定を満たさない関手では、コファイブラント対象の間の弱同値でも保たれない。
| 外す条件 | 反例 | 成り立たなくなること |
|---|---|---|
| 弱同値の両端がコファイブラント | $q\colon P\to\mathbb Z/2[0]$ と $-\otimes\mathbb Z/2$ | $F(q)$ が弱同値 |
| $F$ がコファイブラント対象の間の自明コファイブレーションを弱同値に送る | $0\to D$ と次数 $0$ だけを残す関手 | コファイブラント対象の間の弱同値が保たれる |
左 Quillen 関手(左随伴で、コファイブレーションと自明コファイブレーションを保つ関手)は、自明コファイブレーションを自明コファイブレーション、とくに弱同値に送るので、thm-kb-main の 1 によりコファイブラント対象の間の弱同値を弱同値に送る。双対的に右 Quillen 関手はファイブラント対象の間の弱同値を保つ(Quillen随伴 の命題「左 Quillen 関手が保つもの」。Hov99 Definition 1.3.1 の直後の注意)。
より一般に、補題の仮定(1)を満たす関手 $F\colon\mathcal M\to\mathcal N$ は、コファイブラント置換 $QX\to X$ を通して $X\mapsto F(QX)$ と定めることで、全左導来関手 $\mathbf LF\colon\operatorname{Ho}(\mathcal M)\to\operatorname{Ho}(\mathcal N)$ をもつ(MP12 Proposition 16.1.3、Corollary 16.1.6、p. 317。この記事では証明しない。Quillen 随伴の場合の証明は Quillen随伴 の命題「全導来関手」)。置換の取り方によらないことの核心が、コファイブラント対象の間の弱同値が $F$ で保たれること、すなわちこの補題である。
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