古典を読む

概要

古典を読むとは、現在も有用でありながら、記法・用語・証明の省略などにより読みづらくなった数学の原典を、現代の読者が検証し、学習や研究に使える形へひらくMathpediaの参考書シリーズである。公開中の10冊の参考書の原典・公表時期・主題と論理的な位置づけ、読む順序の手がかり、今後の制作予定を案内する。

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

現在の数学を支えている古典が、現在の読者にも読みやすいとは限りません。記法や用語は変わり、前提や証明が省かれ、後に修正された主張が原文のまま残っていることもあります。
Mathpedia の「古典を読む」は、現在も有用な数学の原典を、現代の読者が検証し、次の学習や研究に使える形へひらく参考書シリーズです。
原典を単に翻訳したり要約したりするのではなく、現代の記法で論理を整理し、必要な証明、例と反例、その後の発展を加えます。原典が実際に示したことと、後の数学によって分かったことも区別します。
対象は論文だけではありません。講演、連作、セミナー、長篇原稿も含め、原典に忠実であることと、現在の読者に開かれていることの両立を目指します。

現在のシリーズ

Grothendieck の数学著作を読む

Grothendieck の数学著作を、現代の代数幾何学、ホモロジー代数、関数解析などとの関係が分かる形で読み直すシリーズです。
Grothendieck の著作には、現在の数学の基礎として使われ続けている一方、短い講演への圧縮、複数文献への分散、記法や前提の違いなど、現代の読者にとって大きな読解上の障壁があります。このシリーズでは、一部の有名論文だけでなく、短篇、講演、連作、EGA・SGA・FGA、未刊の数学的構想を含む数学著作全体を対象とします。
「古典を読む」においては、一人の著者の仕事を網羅的に現代化する最初のシリーズという位置づけです。「古典を読む」全体を Grothendieck に限定するものではありません。
現在、このシリーズでは次の 10 冊の参考書を公開しています。

Brauer群の理論

原典は Le groupe de Brauer I・II(1966年のBourbaki講演録)と、I–IIIを収録した1968年版です。非可換代数からコホモロジー、代数群、双有理幾何へ進む入口に位置します。

代数的 de Rham コホモロジー

原典は On the de Rham Cohomology of Algebraic Varieties (1966年。もとになった書簡は1963年)です。比較定理、周期、Hodge 理論から、標数 $p$ のコホモロジーへ向かう出発点に位置します。

Chern 類の公理的理論

原典は La théorie des classes de Chern (1958年)です。特性類から K 理論、交叉理論、代数的サイクル、表現論へ分岐する結節点に位置します。

結晶コホモロジーの構想

原典は Crystals and the De Rham Cohomology of Schemes(1966年に IHÉS で行われた5回の講演を J. Coates と O. Jussila が記録したもの。1968年刊の講演集 Dix exposés sur la cohomologie des schémas に収録)です。代数的 de Rham コホモロジーが標数 $p$ で破れることの検討から、$p$ 進コホモロジーへの要請、Monsky–Washnitzer の方法、接続と無限小トポスを経て、divided power を備えた結晶トポスの提案へ進みます。後の結晶コホモロジーと $p$ 進コホモロジーの理論へ向かう出発点に位置します。

Chern 類と離散群の線形表現

原典は Classes de Chern et représentations linéaires des groupes discrets(1966年に IHÉS でまとめられた論文。1968年刊の Dix exposés sur la cohomologie des schémas に収録)です。体の自己同型で不変な整係数の Chern 類が作れないことから出発し、1 の冪根の捩れを係数とするエタールコホモロジーで作用群つきスキームの Chern 類を定め、位相的な Chern 類と比べたうえで、有限生成の群の複素表現の有理 Chern 類が 0 になることを示します。Chern 類の理論から、エタールコホモロジーと Galois 作用による算術的な特性類、平坦束の特性類へ向かう出発点に位置します。

交叉理論の基本性質

原典は Sur quelques propriétés fondamentales en théorie des intersections(1958年の Chevalley セミナー「Anneaux de Chow et applications」での講演)です。各代数多様体に環を対応させ、引き戻し、固有射に沿う直像、外積、横断的な底変換を公理として並べ、そこから射影公式、Chern 類、旗束の環を導きます。さらに局所化の完全列とアフィン直線に関するホモトピーの公理を加えて射影束公式を証明し、Chow 環と連接層の類の環がこの枠組みに入ることを確かめます。原典が省いた段を補い、主な結果 57 個を、参考書の中で証明し切れたもの 8 個、引用した定理に依るもの 48 個、証明を閉じられなかったもの 1 個に分けて示します。読むには、古典的な代数多様体の言葉、サイクルと Chow 環の初歩、ベクトル束と射影束が要ります。Chern 類の理論から、交叉理論を公理で組み立てる方法と、代数群を構造群とする主束の研究へ向かう出発点に位置します。

アフィン代数群と可換アフィン代数群

原典は Généralités sur les groupes algébriques affines. Groupes algébriques affines commutatifs(1956年の Chevalley セミナー「Classification des groupes de Lie algébriques」での講演)です。表現の係数からアフィン代数群が線形群に埋め込めることを示し、閉部分群を半不変式で切り出す Chevalley の定理、トーラスと対角化可能群の指標による記述、元の Jordan 分解が閉部分群にとどまるという定理、可換群の半単純部分と単冪部分への直積分解を扱います。原典と同じく、代数群は代数的閉体の点の集合として扱います。原典が省いた段を補い、主な結果 51 個を、参考書の中で証明し切れたもの 27 個、引用した定理に依るもの 22 個、証明を閉じられなかったもの 2 個に分けて示します。読むには、線形代数の Jordan 分解、有限生成アーベル群、アフィン代数多様体と座標環の初歩が要ります。Borel による線形代数群の構造論へ進む入口に位置します。

ホモロジー的捩れと有理切断

原典は Torsion homologique et sections rationnelles(1958年の Chevalley セミナー「Anneaux de Chow et applications」での講演)です。代数群を構造群とする主束がいつ局所自明になるかを旗多様体の Chow 環で測り、有限エタール被覆の上でしか自明にならない主束の障害を捩れ指数という一つの整数に集約して、局所等自明な主束がすべて局所自明になる特別群を、アフィン・連結・捩れなしの三条件で特徴づけます。複素数体の上では、捩れ指数の素因子が分類空間の整係数コホモロジーの捩れと一致することも示します。原典が省いた段を補い、主な結果 71 個を、参考書の中で証明し切れたもの 1 個、引用した事実に依るもの 65 個、証明を閉じられなかったもの 5 個に分けて示します。古典的な定理を一つでも引けば引用に依るものに数える厳しい基準によるもので、そのうち 26 個は Chow 環の性質と古典的な定理だけで閉じます。読むには、線形代数群の構造(Borel 部分群と旗多様体)、主ファイバー空間とエタール射の初歩、Chow 環の基本的な性質が要ります。交叉理論と代数群の二つの方向が合流し、主束の分類へ向かう位置にあります。

表現可能関手の一般形式

原典は連作 Techniques de construction en géométrie analytique の第 4 回の講演 Formalisme général des foncteurs représentables(1961年の Cartan セミナー)です。前層が一つの対象で表されるのはいつかを判定する一般の方法として、米田の対応、底変換による相対的な表現可能性、表現可能な前層を同値の対で割った商、解析空間の圏で開部分関手に覆われる局所的な関手の表現可能性を扱います。はじめの三つの章は任意の圏の定理で、解析空間は最後の章で初めて使います。原典が省いた段を補い、主な結果 47 個を、参考書の中で証明し切れたもの 35 個、引用した事実に依るもの 11 個、証明を閉じられなかったもの 1 個に分けて示します。読むには、圏と関手、極限、位相空間の層の初歩が要ります。連作「解析幾何における構成技法」を読む最初の参考書で、ベクトル束や Grassmann 束の表現可能性を経てモジュライ問題へ進む出発点に位置します。

旗束と閉はめ込み定理

原典は同じ連作の第 5 回の講演 Fibrés vectoriels, fibrés projectifs, fibrés en drapeaux(1961年の Cartan セミナー)です。解析空間の上のベクトル束・射影束・旗束を、それらが表す関手から構成します。有限表示の加群のベクトル束と、局所自由な商の列である旗の束の存在を示し、全射・外積・テンソル積から来る射(Plücker 射や Segre 射)が閉はめ込みであることを証明します。原典が省いた段を補い、主な結果 37 個を、参考書の中で証明し切れたもの 10 個、引用した事実に依るもの 26 個、証明を閉じられなかったもの 1 個に分けて示します。読むには、環付き空間の上の加群、外積とテンソル積、中山の補題の初歩が要ります。前の回の表現可能性の判定法を『表現可能関手の一般形式』で証明した結果として引くので、その上に立つ一冊です。
各参考書には巻号による読書順序はありません。それぞれが異なる数学的主題への入口であり、関心のある参考書から読むことができます。ただし『結晶コホモロジーの構想』は代数的 de Rham コホモロジーの長所と限界の検討から始まるので、『代数的 de Rham コホモロジー』を先に読んでおくと入りやすくなります。同様に『Chern 類と離散群の線形表現』は Chern 類の公理的な扱いを『Chern 類の公理的理論』に委ねるので、こちらを先に読んでおくと入りやすくなります。『交叉理論の基本性質』は Chern 類の定義と一意性の議論を『Chern 類の公理的理論』に委ねるので、こちらを先に読んでおくと入りやすくなります。『ホモロジー的捩れと有理切断』は Chow 環の性質を『交叉理論の基本性質』から、代数群の基礎を『アフィン代数群と可換アフィン代数群』から引きます。『旗束と閉はめ込み定理』は、同じ連作の前の回を扱う『表現可能関手の一般形式』の上に立つので、こちらを先に読むことを勧めます。

各参考書の論理的な関係

ここに収録した原典は、公表順に続編をなしているわけではありません。スキームと解析空間、層とコホモロジー、ベクトル束、代数群という共通の基盤から、それぞれ異なる方向へ進みます。

      スキーム・解析空間・層・コホモロジー・ベクトル束・代数群
  ├─ Azumaya代数とPGLトーサー → Brauer群 → 双有理幾何
  ├─ 微分形式の複体             → de Rhamコホモロジー → Hodge理論
  │                                  └─ 標数pでの限界 → 結晶コホモロジーの構想 → p進コホモロジー
  ├─ 射影束とベクトル束         → Chern類 → K理論・交叉理論
  │                                  ├─ 離散群の表現とGalois作用 → Chern類と離散群の線形表現 → 算術的な特性類
  │                                  └─ 交叉理論の公理とChow環 → 交叉理論の基本性質 → K理論での実現
  │                                        └─ 旗多様体のChow環と主束 → ホモロジー的捩れと有理切断 → 特別群と捩れ指数
  ├─ 線形代数群                 → アフィン代数群と可換アフィン代数群 → 線形代数群の構造論
  └─ 表現可能関手と貼り合わせ   → 表現可能関手の一般形式
                                     └─ ベクトル束・射影束・旗束の構成 → 旗束と閉はめ込み定理 → モジュライ問題
    

各方向は互いに交わります。Chern 類は de Rham・Hodge 型のコホモロジーに値を取り、射影束は Chern 類にも Brauer 群にも現れます。また、Brauer 群と Chern 類は、サイクルやコホモロジー的不変量を通じて双有理幾何へ接続します。
結晶コホモロジーの構想は de Rham の方向の延長にありますが、ほかの方向とも交わります。可逆層の第1 Chern 類を結晶コホモロジーの中に構成することが、divided power を導入する動機の一つとして説明されます。また、超特異楕円曲線の自己準同型環から $p$ 進コホモロジーの係数への制約を導く議論では、中心単純環の分裂という Brauer 群の理論の基本事項を使います。
Chern 類と離散群の線形表現は Chern 類の方向の延長にありますが、de Rham の方向とも交わります。エタールコホモロジーに値を取る Chern 類のほかに、de Rham コホモロジーと Hodge コホモロジーに値を取る Chern 類も同じ枠組みで定め、エタール型の類との食い違いを調べます。
交叉理論の基本性質も Chern 類の方向の延長にあり、Chern 類と旗束の環を交叉理論の公理から導きます。公理を満たす理論として Chow 環のほかに連接層の類の環も扱うので、K 理論の方向とも交わります。
ホモロジー的捩れと有理切断では、交叉理論の方向と代数群の方向が合流します。代数群の構造と旗多様体を使い、交叉理論の基本性質で確かめた Chow 環の性質で主束の障害を測ります。複素数体の上では、分類空間のコホモロジーという位相的な量とも結びつきます。
表現可能関手の一般形式と旗束と閉はめ込み定理は、解析空間の上の構成を扱う連作の二つの回を読みます。表現可能性の判定法を与える回と、それを使ってベクトル束・射影束・旗束を構成する回で、後者は前者の上に立ちます。射影束と旗束は Chern 類や交叉理論の方向でも現れますが、この連作ではそれらを解析空間の上で、表す関手から構成します。
したがって各参考書は、直線的な前後関係ではなく、共通基盤から広がる入口として位置づけます。

今後の予定

ここに挙げるのは制作予定の参考書です。題名はいずれも仮題で、刊行の時期や順序、一冊にまとめるか複数に分けるかは、今後の制作の中で変わることがあります。

  • 原典の読解を終えたもの:解析幾何における構成技法の続き(Techniques de construction en géométrie analytique の IX、モジュライ問題)、位相的テンソル積と核型空間、Fredholm 理論を扱う巻を予定しています。
  • 原典が手元にあり、全頁の読解から始めるもの:連接層と GAGA、抽象代数多様体のコホモロジー、代数的サイクルの標準予想、一般 Hodge 予想の反例、Barsotti–Tate 群と結晶を扱う巻を予定しています。
  • 原典の読み直しから始めるもの:変換空間、形式幾何、Lefschetz 公式と L 関数の有理性、アフィン代数群の構造定理、Cartan 部分群と正則元、Weil の論文と Abel 関数の一般化、層コホモロジーの有限性、連接代数層の双対性、アーベル圏と導来関手(通称「東北論文」)を扱う巻を予定しています。

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