本書は、A. Grothendieck の連続講演「Le groupe de Brauer」I(Azumaya 代数)、II(コホモロジー論)、III(補足と計算)を道案内にして、スキームの Brauer 群の理論を解説する参考書である。I と II は Séminaire Bourbaki の 1964/65 年と 1965/66 年の講演で、III を加えた3篇が論文集『Dix exposés sur la cohomologie des schémas』(North-Holland・Masson、1968年)に収められている。 原論文は、体の中心単純環の同値類として古典的に定義された Brauer 群を、スキーム上の理論に作り直した。I では、エタール局所に行列環になる代数(Azumaya 代数)を導入し、それが $\mathrm{PGL}_r$ トーサーや Severi–Brauer スキームと同じものであることを示して、Brauer 群 $\mathrm{Br}(X)$ を $H^2(X,\mathbb{G}_m)$ に埋め込む。II では、捩れ部分 $\mathrm{Br}'(X)=H^2(X,\mathbb{G}_m)_{\mathrm{tors}}$ との比較、正則スキームでの関数体への埋め込み、Kummer 列による $\ell$ 部分の計算(余階数 $B_2-\rho$)を扱う。III では、体と次元1のスキーム、Hensel 離散付値環上の曲面(M. Artin の定理)、曲線束と Tate–Šafarevič 群、fppf位相と相対 Picard 関手、純性、ブローアップと双有理不変性、Tate 加群を通した Néron–Severi 群との双対性、不分岐コホモロジー、余次元フィルトレーションと Weil・Tate・Hodge の予想との関係、エタールコホモロジーと fppf コホモロジーの比較定理までを一気に論じる。 この論文は、その後の多くの研究の出発点になった。Giraud の非可換コホモロジー(ジェルブ)による $\mathrm{Br}$ と $\mathrm{Br}'$ の比較、Artin–Mumford による単有理だが有理でない3次元多様体の構成、Colliot-Thélène–Ojanguren らの不分岐コホモロジーと有理性の研究、Bloch–Ogus の理論、Tate と Milne による有限体上の曲面の Brauer 群と Tate 予想の関係(Artin–Tate の公式)、Brauer–Manin 障害の研究などが、この流れの上にある。 本書は原論文の翻訳ではない。原論文の節の順序ではなく、Azumaya 代数、コホモロジー的 Brauer 群、低次元の計算、fppf位相、純性と双有理不変性、双対性、高次の双有理不変量と予想、という主題ごとの7章に頁を立て、現代の記号と言葉で書き直した。原論文は、当時の読者が EGA と SGA 4 を手元に置いていることを前提に、多くの段を「よく知られている」「直ちに分かる」で済ませている。本書はその段を補って証明を閉じ、各主張が本書の中で証明し切れたもの(完結)、引用した定理や仮定に依るもの(条件付き)、証明を閉じられなかったもの(未完結)、印字のままでは成り立たないもの(偽)のどれに当たるかを区別して示す。エタールコホモロジーの基本定理、曲面の交叉理論、Weil 予想の Deligne による証明など、外部から引く結果は引用であることを明示する。各頁の末尾には、原論文の番号と頁との対応表を置く。 原論文との違いは、構成と記号のほかに次の点にある。原論文が見込みや予想として述べた箇所は、証明した主張と区別して予想として書く。仮定が足りない主張は、足りない仮定(「固有」「分離閉」「正則」など)を補った形で述べ、補わないと成り立たない具体的な状況をあわせて示す。原論文が他の文献に譲った構成(Raynaud の結果など)は、引用であることを明記する。 その後の進展も、2026年9月の時点で分かっている範囲で各頁に記した。有限体上の滑らかな射影多様体について、$\ell$ 進 Betti 数が $\ell$ によらないことは、Deligne による Weil 予想の証明(1974年)から従う。正則スキームから余次元 $2$ 以上の閉集合を除いても Brauer 群が変わらないという純性は、正則スキーム一般について Gabber と Česnavičius の仕事で確立された。滑らかな可換群スキームについてエタールコホモロジーと fppf コホモロジーが一致するという原論文の付録の比較定理は、その後、標準的な道具として広く使われている。本書は、これらの後代の結果を原論文の主張と混同しないように書き分けている。 原論文には、印字のままでは成り立たない主張がいくつかある。本書はそれぞれについて正しい形と、成り立たない具体的な状況を示す。代表的なものを挙げる。I の 1.3 は、完全列の左端を $1\to H^1(X,\mathbb{G}_m)$ と印字しているが、正しくは左に $H^0(X,\mathrm{PGL}_n)$ が付き、実射影平面の上で $n=2$ とすると $L\mapsto L^{\oplus n}$ の核は自明にならない。II では、第1 Betti 数 $B_1$ を Picard スキームの次元としているが、正しくはその2倍である。II の 3.5 は、$\mathrm{Spec}\,\mathbb{Z}$ 上有限型で被約なスキームの Picard 群が有限生成であることを「もっともらしい」とするが、これは成り立たず、Bourbaki 版の注記自身が Bass と Murthy の指摘として訂正している。II の 3.1 と 3.4 にも、準コンパクト性の仮定や有限体上での $B_2$ の読み方についての不備がある。III では、曲線束の閉ファイバーの局所不変量についての整除と等号の主張 (4.26)–(4.29) と、有限体上の固有曲線の上での等号 (4.43) が一般には成り立たず、有限体上の射影直線の上の円錐曲線束で破れる。ほかに、純性の定理 (6.1) c) d) は余次元 $2$ 以上に限る必要があり、(7.3) や (9.2) には「固有」の仮定が、補題 (11.3) には添字の範囲の修正が、補題 (11.4) には閉部分スキームが空でないという仮定が要る。最もよく知られているのは、§10.4 で余次元フィルトレーションと Hodge フィルトレーションの等号として掲げた予想である。この形はそのままでは成り立たず(たとえば楕円曲線の3乗の $H^3$ で破れる)、原論文自身の1968年10月の追記も元の形が誤りであることを認めて、Hodge 分解について安定な最大の部分に置き換えた。これが今日の一般 Hodge 予想であり、Grothendieck は翌1969年にこの事情を短い論文にまとめた。 原論文の時点で未解決だった問題のその後にも触れる。II の問い、すなわち $\mathrm{Br}(X)\to H^2(X,\mathbb{G}_m)_{\mathrm{tors}}$ が全射か($\mathrm{Br}=\mathrm{Br}'$ か)は、Gabber がアフィンスキームなどの場合に示し、de Jong が豊富な可逆層をもつスキームへ広げた。一方で、分離的でないスキームでは等号が崩れることが Edidin–Hassett–Kresch–Vistoli により示された。II (1.11) の予想は Grothendieck–Serre 予想として知られるようになり、体を含む正則局所環の場合などで解決された。有限体上の曲面については、因子についての Tate 予想が Brauer 群の有限性と同値であることが Tate と Milne により示された。Tate 予想は、有限体上の Abel 多様体の因子の場合(Tate)や K3 曲面の場合に証明されたが、一般には未解決である。Hodge 予想と、修正後の一般 Hodge 予想も未解決である。III の §2 で紹介される M. Artin の問い($\mathrm{Spec}\,\mathbb{Z}$ 上固有なスキームの Brauer 群は有限か)は、次元1以下では原論文の計算で肯定的に答えられるが、一般には未解決で、有限体上の曲面では Tate 予想と結びつけて研究されている。 読むには、可換環論(平坦性、Hensel 局所環、正則局所環)、ホモロジー代数(長完全列、スペクトル系列)、スキーム論(エタール射、固有射、ブローアップ、降下)、層とエタールコホモロジー、Galois コホモロジーと類体論の初歩が要る。第2章の後半からは、代数曲面の交叉理論と Néron–Severi 群、Tate 加群と Tate捻りなどの $\ell$ 進の道具が要り、第7章の最後では Hodge 理論の初歩を使う。すべてを先に学ぶ必要はなく、第1章と第2章の前半は、スキーム論と層コホモロジーの基本と体の Galois コホモロジーの初歩があれば読み始められる。分野ごとの要点、頁ごとに要る前提の対応表、読む順序の案、全頁に共通する記号と約束は、最初の頁「0-1 前提知識と読み方」にまとめた。
本書を読むのに要る分野(可換環論・ホモロジー代数・スキーム論・層とコホモロジー・Galoisコホモロジー・中心単純環・代数曲線と代数曲面・ℓ進の道具・Hodge理論の初歩)を一覧にし、各概念の要点をまとめる。頁ごとに要る前提の対応表、読む順序の案、全頁共通の記号と約束も示す。
位相空間と体の古典的な場合から、スキーム上のAzumaya代数とPGLトーサーの対応へ進む。
Br と Br'=H^2(X,Gm)tors の比較と、Kummer列によるl部分の計算。
体、次元1のスキーム、次元2のファイバー付きスキームの順にBrauer群を計算する。
fppf位相で相対Picard群とBrauer群を結び、エタールとの比較定理を証明する。
Brauer群が余次元2以上の閉集合を除いても変わらないこと、そこから双有理不変量になることを示す。
Tate加群を通してBrauer群とNéron-Severi群を結び、正規曲面特異点の局所版へ進む。
Brauer群を不分岐コホモロジーへ一般化し、余次元フィルトレーションを通じてWeil・Tate・Hodgeの予想と結ぶ。
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