一本のベクトル束を線束の集まりとして直接扱えるとは限らないが、射影束を繰り返すと、引き戻した束には線束を逐次商にもつ完全な旗が標準的に現れる。本頁ではこの旗の束を構成し、Chern 類の等式を旗の上で確かめてから底へ戻すための単射性を証明する。
$k$ を完全体、$X$ を $k$ 上滑らか・分離的・有限型のスキーム、$E$ を $X$ 上の階数 $p$ のベクトル束とする。射影束は本書『1-1 射影束と標準線束』の直線規約を用い、$P(G)$ 上の標準部分線束を $L_G^\vee\subset f_G^*G$ と書く。後半では、対象の圏 $\mathbf V$ と反変関手 $A$ が射影束公理 A 1 を満たすと仮定する。
本頁の主結果は次の2つである。
Chern 類の計算では、線束 $M$ に対する $c(M)=1+c_1(M)$ が出発点になる。一般の階数 $p$ の束 $E$ が線束の直和なら、全 Chern 類は各因子の寄与の積として計算できる。しかし、任意の $E$ が底 $X$ 上で直和に分かれるわけではない。必要なのは、適切な空間へ引き戻して、線束を商にもつ完全なフィルトレーションを作ることである。
原論文 Gro58 は射影束を繰り返して旗多様体 $D(E)$ を作り、その上で $E$ が「完全分裂」すると述べる。ここでいう完全分裂は、束が線束の直和に同型であることではない。線束を逐次商にもつ完全旗が存在するという意味であり、旗を構成する短完全列が分裂するとは限らない。この区別は、後で拡大類を捨てて Chern 類の等式だけを調べるときに重要になる。
旗の上で式が証明できても、それだけでは底 $X$ 上の式は従わない。戻るためには、合成射 $D(E)\to X$ による引き戻しが、考えているコホモロジー理論 $A$ で単射でなければならない。原論文の補題 1 は、この単射性を射影束公理 A 1 から導く。したがって旗の束は、幾何学的に線束へ分解する装置と、等式を底へ戻す装置の二つを組にして初めて働く。
射影束を一度作ると、元の束の引き戻しから標準部分線束を除いた階数 $p-1$ の商束が残る。その商束をもう一度射影化し、同じ操作を繰り返す。
$X^{(0)}:=X$、$E^{(0)}:=E$ と置く。$1\leq i\leq p$ に対して帰納的に
$$
g_i\colon X^{(i)}:=P(E^{(i-1)})\longrightarrow X^{(i-1)},
$$
$$
E^{(i)}:=g_i^*E^{(i-1)}/L_{E^{(i-1)}}^\vee
$$
と定める。ここで $L_{E^{(i-1)}}^\vee$ は $g_i^*E^{(i-1)}$ の標準部分線束である。合成を
$$
f^{(i)}:=g_1\circ\cdots\circ g_i\colon X^{(i)}\longrightarrow X
$$
と書き、
$$
D(E):=X^{(p)}
$$
を $E$ の完全旗の束、または本書の文脈で旗多様体と呼ぶ。階数 $0$ の束については $D(0):=X$ と約束する。
$E^{(i)}$ の階数は $p-i$ である。原論文は最初の商を $f_E^*E/L_E$ と印刷するが、$f_E^*E$ に入る部分束は $L_E^\vee$ なので、ここでは本書『1-1 射影束と標準線束』で確定した訂正形を用いた。
$T$ 上の階数 $p$ のベクトル束 $F$ が本書の意味で完全分裂するとは、部分束の増大列
$$
0=V_0\subset V_1\subset\cdots\subset V_p=F,
\qquad \operatorname{rank}V_j=j,
$$
があり、各商 $V_j/V_{j-1}$ が線束であることをいう。同値に、減少列
$$
F=F_0\supset F_1\supset\cdots\supset F_p=0,
\qquad \operatorname{rank}F_i=p-i,
$$
の各商 $F_{i-1}/F_i$ が線束であることをいう。
この定義は各短完全列が分裂することを要求しない。したがって「完全分裂」は完全な旗を備えるという技術語であり、$F$ がその商線束の直和であるという主張より弱い。
旗の幾何学的構成にはコホモロジー理論は要らない。一方、底へ等式を戻すには、原論文の器 $A$ と射影束公理が必要になる。本頁で使う部分だけを次に切り出す。
$\mathbf V$ を、射影束を取る操作で閉じた滑らかな $k$ スキームの圏とし、$A$ を $\mathbf V$ 上の反変可換次数付き環関手とする。各 $Z\in\mathbf V$ に自然な群準同型
$$
p_Z\colon\operatorname{Pic}(Z)\longrightarrow A^1(Z)
$$
が与えられているとする。$Z$ 上の階数 $r\geq1$ のベクトル束 $G$ に対し、
$$
\xi_G:=p_{P(G)}([L_G])\in A^1(P(G))
$$
と置く。射影束公理 A 1 とは、$A(P(G))$ が $f_G^*A(Z)$ 上の自由加群であり、
$$
1,\xi_G,\ldots,\xi_G^{r-1}
$$
を基底にもつという条件である。すなわち各元は
$$
\sum_{j=0}^{r-1}f_G^*(a_j)\xi_G^j,\qquad a_j\in A(Z),
$$
と一意に書ける。
この公理から必要なのは、基底の最初の元が $1$ であるという点である。$f_G^*(a)$ はその基底表示で $1$ の係数だけが $a$ であるから、$f_G^*(a)=0$ なら $a=0$ となる。
以下の標準事実を用いる。参考文献として EGA2 と Stacks を挙げるが、本書は現時点で該当箇所を実読確認していないため、具体的な定理番号は付さない。
各段で新しく選ぶ直線は、前段までに選んだ部分空間を一段だけ大きくする。これを商束の中の標準部分線束の逆像として大域化する。
$E_i:=(f^{(i)})^*E$ と置く。各 $0\leq i\leq p$ について、$E_i$ には部分束の列
$$
0=V_0^{(i)}\subset V_1^{(i)}\subset\cdots\subset V_i^{(i)}\subset E_i
$$
があり、次を満たす。
段 1(帰納の出発).$i=0$ では $E_0=E$、$V_0^{(0)}=0$ と置けばよい。商 $E_0/V_0^{(0)}$ は $E=E^{(0)}$ である。
段 2(前段の旗を引き戻す).$i-1$ まで構成できたとする。$g_i\colon X^{(i)}\to X^{(i-1)}$ で前段の列を引き戻すと、
$$
0=g_i^*V_0^{(i-1)}\subset\cdots\subset
g_i^*V_{i-1}^{(i-1)}\subset g_i^*E_{i-1}=E_i
$$
を得る。引き戻しの完全性により
$$
E_i/g_i^*V_{i-1}^{(i-1)}\cong g_i^*E^{(i-1)}.
$$
段 3(新しい一段を加える).右辺には標準部分線束
$$
L_{E^{(i-1)}}^\vee\subset g_i^*E^{(i-1)}
$$
がある。商写像 $E_i\to g_i^*E^{(i-1)}$ によるこの線束の逆像を $V_i^{(i)}$ と定め、$j< i$ では $V_j^{(i)}:=g_i^*V_j^{(i-1)}$ と置く。すると
$$
V_i^{(i)}/V_{i-1}^{(i)}\cong L_{E^{(i-1)}}^\vee
$$
は線束であり、$V_i^{(i)}$ は階数 $i$ の部分束である。また
$$
E_i/V_i^{(i)}\cong
g_i^*E^{(i-1)}/L_{E^{(i-1)}}^\vee=E^{(i)}.
$$
これで 1 と 2 が帰納的に従う。
段 4(ファイバーで旗を読む).$i=1$ では $X^{(1)}=P(E)$ の点が直線 $V_1\subset E_x$ を選ぶ。次の段では商 $E_x/V_1$ の直線を選ぶが、それは $V_1$ を含む2次元部分空間 $V_2\subset E_x$ を選ぶことと同じである。反復すると、$X^{(i)}$ の点は長さ $i$ の旗と自然に対応する。
段 5(最終段).$i=p$ では $E_p$ と $V_p^{(p)}$ はともに階数 $p$ で、商 $E_p/V_p^{(p)}\cong E^{(p)}$ は階数0である。従って $V_p^{(p)}=E_p$ となり、各逐次商が線束である完全旗を得る。
この命題により、任意のベクトル束は旗の束へ移れば本書の意味で完全分裂する。ただし、この段階では $D(E)$ 上で証明した等式が $X$ 上へ戻るとはまだ言えない。その役割を次の補題が担う。
一段の射影束では、A 1 の基底 $1,\xi,\ldots$ のうち $1$ の係数を見るだけで引き戻しの単射性が分かる。旗の塔では、この一段の議論を階数が下がるたびに繰り返す。
$X\in\mathbf V$ とし、$E$ を $X$ 上の階数 $p\geq1$ のベクトル束とする。$A$ が射影束公理 A 1 を満たすなら、各 $1\leq i\leq p$ について $X^{(i)}\in\mathbf V$ であり、
$$
(f^{(i)})^*\colon A(X)\longrightarrow A(X^{(i)})
$$
は単射である。特に
$$
(f^{(p)})^*\colon A(X)\longrightarrow A(D(E))
$$
は単射である。
段 1(一段の射影束).$Z\in\mathbf V$ とし、$G$ を $Z$ 上の階数 $r\geq1$ の束とする。$\mathbf V$ は射影束で閉じているので $P(G)\in\mathbf V$ である。$a\in A(Z)$ が $f_G^*(a)=0$ を満たすとする。A 1 の基底表示では
$$
f_G^*(a)=f_G^*(a)\cdot1+
f_G^*(0)\xi_G+\cdots+f_G^*(0)\xi_G^{r-1}.
$$
零元の基底表示は全係数が0である。表示の一意性から $a=0$ となるので、$f_G^*$ は単射である。
段 2(塔に沿う帰納).$i=1$ では $X^{(1)}=P(E)$ だから段1を $Z=X$、$G=E$ に適用する。$i-1$ まで $X^{(i-1)}\in\mathbf V$ で、$(f^{(i-1)})^*$ が単射だとする。$E^{(i-1)}$ は $X^{(i-1)}$ 上の階数 $p-i+1\geq1$ の束なので、段1により
$$
g_i^*\colon A(X^{(i-1)})\longrightarrow A(X^{(i)})
$$
は単射である。従って
$$
(f^{(i)})^*=g_i^*\circ(f^{(i-1)})^*
$$
も単射である。帰納法により $i=p$ まで主張が従う。
この単射性は、旗の上で一致した $A$ の元を底へ戻す。たとえば $\alpha,\beta\in A(X)$ について $(f^{(p)})^*\alpha=(f^{(p)})^*\beta$ が示せれば、$\alpha=\beta$ である。一方、旗の上で忘れられたベクトル束の拡大類まで復元するわけではない。
ここで必要なのは全射性ではない。旗の上の任意の類を底から作ることではなく、底に由来する二つの類が旗の上で等しいとき、その差がもともと0であったと判定できれば十分である。
旗の束での引き戻しの単射性が戻すのは、$A(X)$ の中の等式である。これを使って Chern 類の公式を底へ降ろすことはできるが、$(f^{(p)})^*E$ の完全旗から $E$ の短完全列が分裂すると結論したり、$E$ を線束の直和として復元したりすることはできない。また、A 1 は与えられた関手 $A$ の性質であり、器 $A$ 自身の一意性を主張しない。
幾何学的な完全旗と環の単射性を区別したことで、分裂原理の論理が明確になる。前者は計算を線束の逐次商へ還元し、後者はそこで得た等式だけを底へ運ぶ。
階数が小さい場合には、旗の塔がどのように縮退するかを直接見ることができる。
階数0の束では約束により $D(0)=X$ であり、完全旗は $0=E$ だけからなる。階数1の線束 $M$ では
$$
X^{(1)}=P(M)\cong X,
\qquad E^{(1)}=0,
$$
であり、引き戻した $M$ 自身が唯一の線束商である。従って旗の構成は、階数0では何も加えず、階数1では底を変えない。
A 1 の単射性もこの境界例と整合する。階数1では基底は $1$ だけなので $A(P(M))$ は $A(X)$ と同型であり、$P(M)\cong X$ による引き戻しは恒等写像と同一視される。
この境界例を明記すると、旗の塔を常に $i=p$ まで進める理由が見やすい。最終段の射影化は新しい幾何を加えない場合があるが、商束の階数を0にし、完全旗の終点を束全体にそろえる。
$E$ を階数2とする。最初の段は
$$
g_1\colon X^{(1)}=P(E)\longrightarrow X,
\qquad E^{(1)}=g_1^*E/L_E^\vee
$$
で、$E^{(1)}$ は線束である。線束の各ファイバーには直線が一つだけなので
$$
X^{(2)}=P(E^{(1)})\cong X^{(1)}.
$$
従って $D(E)\cong P(E)$ であり、その上の完全旗は
$$
0\subset L_E^\vee\subset g_1^*E
$$
である。二つの逐次商は $L_E^\vee$ と $E^{(1)}$ である。
最終段で線束をもう一度射影化することは空間を変えないが、帰納の添字を $i=p$ まで統一し、旗の最後の項が束全体になることを明示する役割がある。
$E=\mathcal O_X^{\oplus p}$ とする。$\operatorname{Fl}(k^p)$ を $k^p$ の完全旗
$$
0\subset V_1\subset\cdots\subset V_p=k^p,
\qquad \dim V_j=j
$$
の空間とすれば、旗の分類から
$$
D(E)\cong X\times\operatorname{Fl}(k^p)
$$
を得る。$D(E)$ 上の $V_j^{(p)}$ は、$\operatorname{Fl}(k^p)$ 上の普遍旗を $X$ との積へ引き戻したものである。
この例では旗の塔が通常の完全旗多様体との直積になる。一般の束では局所自明化ごとに同じ模型が現れるが、貼り合わせには $E$ の遷移関数が作用する。
次の例は、「完全分裂」という語を直和分解と読んではならないことを示す。
$X=\mathbb P_k^1$ とする。斉次座標による標準的な完全列
$$
0\longrightarrow\mathcal O_{\mathbb P^1}(-1)
\longrightarrow\mathcal O_{\mathbb P^1}^{\oplus2}
\longrightarrow\mathcal O_{\mathbb P^1}(1)
\longrightarrow0
$$
を考える。これは $\mathcal O^{\oplus2}$ に線束を逐次商にもつ完全旗
$$
0\subset\mathcal O(-1)\subset\mathcal O^{\oplus2}
$$
を与えるので、本書の意味では完全分裂している。
しかし、この表示された短完全列は分裂しない。分裂するなら全射 $\mathcal O^{\oplus2}\to\mathcal O(1)$ に右逆
$$
\mathcal O(1)\longrightarrow\mathcal O^{\oplus2}
$$
が存在するはずである。一方、
$$
\operatorname{Hom}(\mathcal O(1),\mathcal O^{\oplus2})
\cong H^0(\mathbb P^1,\mathcal O(-1))^{\oplus2}=0
$$
なので右逆は存在しない。従って、線束の逐次商をもつことから、その旗に沿った直和分解は従わない。
破れているのは「完全旗があれば各拡大が分裂する」という含意である。Chern 類の計算は逐次商の類だけに依存するため完全旗で足りるが、ベクトル束そのものの拡大データは残る。
旗の射に沿う単射性は、射影束公理から導いた特別な性質である。本書『1-1 射影束と標準線束』で見た開埋め込み $\mathbb A^1\hookrightarrow\mathbb P^1$ の Picard 群上の引き戻しは、$\mathcal O(1)$ の非自明な類を0へ送る。従って、反変関手であるというだけでは引き戻しの単射性は得られず、補題で A 1 を使う段を省けない。
ここからは1958年の原論文自身の証明ではなく、後代の用語による位置づけである。
原論文の命題と補題を組にした「適切な旗の束へ引き戻すと束が線束の逐次商をもち、しかも特性類の等式を単射性で戻せる」という手順は、後代には分裂原理と呼ばれる。代数的な Chow 環での記述の参考文献として Ful98、位相的ベクトル束での類似の手順の参考文献として BT82 を挙げるが、本書は両文献の該当箇所を実読確認していない。
分裂原理の目的は、元の束を実際に直和へ分解することではない。旗の上で逐次商の第1 Chern 類を形式的な「Chern 根」として扱い、それらの対称式として得た等式を底へ戻すことである。順序の付いた個々の根や拡大類は底では標準的に定まらず、対称式として表された Chern 類だけが戻る。この情報の損失が、分裂原理を計算に強くしながら、束の分類そのものにはしない理由である。
より具体的には、$D(E)$ 上の完全旗の逐次商を $M_1,\ldots,M_p$ とし、その第1 Chern類を $\xi_1,\ldots,\xi_p$ と書くと、旗の順序を取り替えれば個々の $\xi_i$ の並びは変わりうる。それでも基本対称式
$$
e_j(\xi_1,\ldots,\xi_p)
$$
は順序に依存しない。Chern類の公式をこの形まで整理してから単射性を使うのが、分裂原理の標準的な運び方である。本頁ではまだこの式を Chern 類と同定せず、同定に必要な幾何と帰還の仕組みだけを確立した。
通常の完全旗多様体は線形代数群の斉次空間としても記述できるが、本頁の証明にその理論は不要である。必要なのは、射影束を階数について反復する具体的構成、各段の標準部分線束、および A 1 の基底表示だけである。したがって同じ論理は、射影束公式を備える複数のコホモロジー理論に共通して使える。
本頁が対応する原論文は Gro58 である。
| 本頁 | 原論文 | 印字頁 |
|---|---|---|
| 旗の束と商束 | §1 の $X^{(i)}$・$E^{(i)}$ の帰納構成 | pp.138–139 |
| 旗の束と完全分裂 | §1 の $D(E)$ と完全旗の構成 | p.139 |
| 射影束公理 A 1 | §2 公理 A 1 | p.140 |
| 旗の束での引き戻しの単射性 | §2 補題 1 | p.141 |
原論文は旗の構成を記した後、完全分裂を直ちに分かるものとして扱い、補題 1 の証明も射影束の場合へ帰納的に還元するとだけ述べる。本頁では、標準部分線束の逆像から完全旗を作る段と、A 1 の基底のうち $1$ の係数から一段の単射性を得る段を分けて補った。後代の「分裂原理」という名称は原論文の語として帰属させていない。
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