4-1 退化と自然な分裂の不在

$$\newcommand{C}[0]{\mathbb{C}} \newcommand{N}[0]{\mathbb{N}} \newcommand{Q}[0]{\mathbb{Q}} \newcommand{R}[0]{\mathbb{R}} \newcommand{Z}[0]{\mathbb{Z}} $$

標数 $0$ の体上の射影的で滑らかなスキームでは Hodge–de Rham スペクトル系列が $E_1$ で退化し、代数的 de Rham コホモロジーの Hodge フィルトレーションの付随次数は Hodge コホモロジーになる。しかし $\mathbb C$ 上の Hodge 分解に当たる「自然な」分裂は代数的には得られない。本頁は退化を次元の等式に言い換えて Lefschetz の原理で証明し、アーベル多様体での退化のうち本書で閉じる部分を切り分け、楕円曲線の Weierstrass 分裂の計算によって「自然」の三つの読みを区別する。
前提知識: スペクトル系列, de Rham コホモロジー, Hodge分解, 楕円曲線, アーベル多様体

この頁で示すこと

$k$ を体、$X$$k$ 上滑らかなスキームとし、$H^n_{dR}(X)=\mathbf H^n(X,\Omega^\bullet_{X/k})$$H^{p,q}(X)=H^q(X,\Omega^p_{X/k})$ と書く。Hodge–de Rham スペクトル系列 $E_1^{p,q}=H^{p,q}(X)\Rightarrow H^{p+q}_{dR}(X)$(原論文の式 (3))が収束先に定める減少フィルトレーションを $F^pH^n_{dR}(X)$(Hodge フィルトレーション)と書く。楕円曲線は標数が $2$ でも $3$ でもない体の上で短 Weierstrass 型 $y^2=x^3+ax+b$ で表し、$\omega=dx/y$$\eta=x\,dx/y$ とおく。
本頁の主結果は次の五つである。

  1. 次元の等式による退化の判定(原論文にない補い):$E_1$ 項が有限次元なら、系列が $E_1$ で退化することと、すべての $n$$\sum_{p+q=n}\dim H^{p,q}(X)=\dim H^n_{dR}(X)$ が成り立つこととは同値である。[完結]
  2. 標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化(原論文 印字 p. 102 上):$k$ が標数 $0$$X$ が射影的なら、Hodge–de Rham スペクトル系列はすべての $d_r$$r\ge1$)が消える。[条件付き:体の拡大による底変換、Lefschetz の原理、GAGA、完備な場合の比較定理、Hodge 分解を引用]
  3. アーベル多様体での退化(原論文 印字 p. 102 上):任意標数のアーベル多様体で系列は退化する。[未完結:標数 $0$ は 2 に含まれ、全次数 $1$ 以下に関わる微分の消滅は本書『4-2 アーベル多様体の $H^1$ と拡大類』の原始性の議論で閉じる。標数 $p>0$ での全次数 $2$ 以上の微分の消滅は本書では閉じない]
  4. 付随次数と Weierstrass 分裂(原論文 印字 p. 102 中):退化する場合 $\operatorname{gr}^p_FH^n_{dR}(X)\cong H^{n-p}(X,\Omega^p_{X/k})$ である。標数 $0$ の楕円曲線では $[\eta]$ の張る直線 $L_E$$F^1H^1_{dR}(E)$ の補空間であり、$E\mapsto L_E$ は同型と体の拡大に関して関手的である。[完結]原論文の形(「自然な分裂はない」を同型に関する関手性と読んだもの)は反例「Weierstrass 分裂は同型に関して関手的である」で破れる。
  5. 同種と Hodge 分解に関する分裂(原論文 印字 p. 102 中):(i) Weierstrass 分裂は $2$ 次の同種で保たれない。(ii) 読み b のうち、一つの体 $k$ を固定した形 (b1) では $k=\mathbb C$ で Hodge 分解が同種に関して関手的な分裂を与え、底変換の関手性も課した形 (b2) の不在は本書では示せない。(iii) $k\subset\mathbb C$ のとき Hodge 分解の $H^{0,1}$$H^1_{dR}(E)$ の中で $k$ 上定義されるかどうかは、$E$$k$ 上定義された虚数乗法をもつ場合 (c1) は肯定的で、虚数乗法をもたない場合 (c2) は周期の超越性の入力が要る。[未完結:(i)、(b1)、(c1) は閉じ、(b2) と (c2) は閉じない]原論文の形を (b1) で読んだものは反例「Hodge 分解は $\mathbb C$ 上の同種に関して関手的である」で、(c1) で読んだものは反例「虚数乗法をもつ楕円曲線では Hodge 分解が代数的である」で破れる。
    本頁で閉じるのは、1、2 のうち原論文が名指すだけの Lefschetz の原理の段、4、5 の (i)・(b1)・(c1) と楕円曲線の計算である。引用するのは、Hodge 分解と GAGA、完備な場合の比較定理(本書『1-2 解析化と比較写像』)、楕円曲線の同型の形、留数完全列(本書『3-1 第二種の微分形式と Leray スペクトル系列』)である。原論文が推測として述べる「Hodge コホモロジーが正しい Betti 数を与えるなら退化する」は判定の対象とせず、注意として記録する。

背景と動機

$\mathbb C$ 上の射影的で滑らかな多様体 $X$ の複素係数コホモロジーは、Hodge 理論により $H^n(X^h,\mathbb C)=\bigoplus_{p+q=n}H^{p,q}$ と直和に分かれ、各成分は Dolbeault の同型で $H^q(X^h,\Omega^p_{X^h})$ に同型である(本書『0-5 Hodge 理論・アーベル多様体・エタールコホモロジーの初歩』)。比較定理(本書『2-1 affine 被覆による帰着』)と GAGA により、左辺は代数的 de Rham コホモロジー $H^n_{dR}(X)$、右辺の各項は代数的な Hodge コホモロジー $H^q(X,\Omega^p_{X/k})$ である。そこで原論文は、印字 p. 102 の一段落で次の三つを続けて述べる。第一に、標数 $0$ の体上の射影的で滑らかな $X$ では Lefschetz の原理と Hodge 理論により式 (3) の系列が退化し、アーベル多様体では任意標数で退化する。第二に、退化する場合、$H^n_{dR}(X)$ の自然なフィルトレーションの付随次数は Hodge コホモロジーである。第三に、しかし超越的な場合と違って、このフィルトレーションには「自然な」分裂がなく、de Rham と Hodge の間に自然な同型はない(楕円曲線で既に分かる)。
原論文はこの段落に証明を書かない。退化は「Lefschetz の原理と Hodge 理論」の名指しで済み、アーベル多様体の場合は方法も書かれず、楕円曲線の計算も省かれている。本頁は、退化を「Hodge 数の和が de Rham の次元に等しい」という基礎体の拡大で不変な等式に言い換えて Lefschetz の原理で $\mathbb C$ へ移し、分裂の不在は「自然」の三つの読みに分けて楕円曲線の Weierstrass 表示で確かめる。段落の末尾の「こうして得られる拡大は数論的な不変量である」という観察は、次の頁『4-2 アーベル多様体の $H^1$ と拡大類』の主題になる。

定義と準備

はじめに、退化とフィルトレーションの言葉を本頁で使う形に固定する。定義は本書『0-2 Kähler 微分と超コホモロジー』のものを短く繰り返す。

Hodge–de Rham スペクトル系列の退化と Hodge フィルトレーション

$X$ を体 $k$ 上滑らかなスキームとする。de Rham 複体 $\Omega^\bullet_{X/k}$ の愚かなフィルトレーション $\sigma_{\ge p}\Omega^\bullet_{X/k}$ から、スペクトル系列
$$E_1^{p,q}=H^q(X,\Omega^p_{X/k})\Longrightarrow H^{p+q}_{dR}(X)$$
が得られる(Hodge–de Rham スペクトル系列、原論文の式 (3))。収束先に誘導される減少フィルトレーション $F^pH^n_{dR}(X)=\operatorname{im}\bigl(\mathbf H^n(X,\sigma_{\ge p}\Omega^\bullet_{X/k})\to H^n_{dR}(X)\bigr)$Hodge フィルトレーションといい、$E_\infty^{p,q}=\operatorname{gr}^p_FH^{p+q}_{dR}(X)=F^p/F^{p+1}$ である。系列が $E_1$ で退化するとは、すべての $r\ge1$$d_r=0$ となること、すなわち $E_1^{p,q}=E_\infty^{p,q}$ となることをいう。

退化はスペクトル系列の言葉で述べた主張だが、基礎体を取り替えたときにどう移るかは、そのままでは見えにくい。次の定義は、楕円曲線での計算に要る記号をまとめる。

短 Weierstrass 型と微分 $\omega$$\eta$

$k$ を標数が $2$ でも $3$ でもない体とする。$k$ 上の楕円曲線 $E$ は、$4a^3+27b^2\ne0$ をみたす $a,b\in k$ により、平面 3 次曲線 $y^2=x^3+ax+b$ の射影閉包と無限遠点 $O$ の組として表せる(短 Weierstrass 型)。$U=E\smallsetminus\{O\}=\operatorname{Spec}A$$A=k[x,y]/(y^2-x^3-ax-b)$ とおき、
$$\omega=\frac{dx}{y},\qquad\eta=\frac{x\,dx}{y}$$
と定める。本書『0-5 Hodge 理論・アーベル多様体・エタールコホモロジーの初歩』の型 $y^2=4x^3-g_2x-g_3$ とは $y\mapsto2y$ で移り、$\omega$$\eta$ はともに $\tfrac12$ 倍されるので、$\omega$$\eta$ の張る直線は型の取り方によらない。

原論文の「自然な分裂」は、何に関して自然かが書かれていない。本頁は次の三通りに読み分け、読みごとに判定する。

Hodge フィルトレーションの分裂と「自然」の三つの読み

$E$ を体 $k$ 上の楕円曲線とし、完全列 $0\to F^1H^1_{dR}(E)\to H^1_{dR}(E)\to H^1_{dR}(E)/F^1\to0$ を考える($F^1=H^0(E,\Omega^1_E)$、商は $H^1(E,\mathcal O_E)$。本頁の例「曲線での退化」と例「楕円曲線の $H^1_{dR}$ の基底と Hodge フィルトレーション」)。この列の分裂とは、$F^1$ の補空間 $L\subset H^1_{dR}(E)$ のことをいう。楕円曲線ごとに分裂 $L_E$ を与える対応 $E\mapsto L_E$ が「自然」であることを、次の三通りに読む。

  • 読み a(同型):楕円曲線の同型 $\psi\colon E\xrightarrow{\sim}E'$ について $\psi^*L_{E'}=L_E$ であり、体の拡大 $k\subset k'$ について $L_{E\otimes_kk'}=L_E\otimes_kk'$ である。
  • 読み b(同種):すべての同種 $\psi\colon E\to E'$ について $\psi^*L_{E'}\subset L_E$ である。二つに分ける。(b1) 一つの体 $k$ を固定し、$k$ 上の楕円曲線と $k$ 上の同種だけに関手性を課す。(b2) さらに読み a と同じ底変換の関手性(標数 $0$ のすべての体 $k\subset k'$ について $L_{E\otimes_kk'}=L_E\otimes_kk'$)を課す。
  • 読み c(Hodge 分解):$k\subset\mathbb C$ のとき、$H^1(E^h,\mathbb C)=H^1_{dR}(E)\otimes_k\mathbb C$ の Hodge 分解の成分 $H^{0,1}=\overline{F^1}$$k$ 上定義される。すなわち $L\otimes_k\mathbb C=H^{0,1}$ となる $L\subset H^1_{dR}(E)$ がある。「ない」という主張の判定は、(c1) $E$$k$ 上定義された虚数乗法をもつ場合と、(c2) 虚数乗法をもたない場合に分ける。

読み a は最も弱く、読み c は $\mathbb C$ 上の超越的な分裂そのものが代数的かを問う。読み b の (b1) と (b2) の違いは、$k=\mathbb C$ で得られる分裂を部分体へ下ろすことを要求するかどうかにある。原論文の「超越的な場合と対照的に」という言い方は読み c に近いが、紙面から断定はできない。

引用する事実

次の事実は証明せずに引用する。出典は本書の第 0 章と第 1〜3 章の頁、および Har77Sil09 で、該当箇所は本頁では確認していない。

  1. 有限次元性(本書『0-3 スキームと連接層コホモロジー』):$X$ が体 $k$ 上固有なら $H^q(X,\Omega^p_{X/k})$ は有限次元で、$\dim X=n$ なら $p,q>n$$0$ である。
  2. 体の拡大による底変換(本書『0-3 スキームと連接層コホモロジー』):$X$$k$ 上分離的で準コンパクトなら、$k\subset k'$ について $H^q(X_{k'},\Omega^p)=H^q(X,\Omega^p)\otimes_kk'$$H^n_{dR}(X_{k'})=H^n_{dR}(X)\otimes_kk'$ であり、Hodge–de Rham スペクトル系列の各頁とフィルトレーションも $\otimes_kk'$ で移る。
  3. Lefschetz の原理(本書『0-5 Hodge 理論・アーベル多様体・エタールコホモロジーの初歩』):$k$ が標数 $0$$X$$k$ 上有限型なら、$\mathbb Q$ 上有限生成な部分体 $k_0\subset k$$k_0$ 上のモデル $X_0$$X=X_0\otimes_{k_0}k$)があり、$X$ が射影的で滑らかなら $X_0$ もそう取れる。$k_0$$\mathbb C$ に埋め込める。
  4. GAGA(本書『0-4 複素解析空間と GAGA』、Ser56):$X$$\mathbb C$ 上射影的なら $H^q(X,\Omega^p_{X/\mathbb C})\cong H^q(X^h,\Omega^p_{X^h})$
  5. 完備な場合の比較定理(本書『1-2 解析化と比較写像』の R8):$X$$\mathbb C$ 上完備で滑らかなら、比較写像 $H^n_{dR}(X)\to H^n(X^h,\mathbb C)$ は同型で、GAGA による $E_1$ 項の同一視のもとで代数的な系列 (3) と解析的な Hodge–de Rham 系列は一致する。
  6. Hodge 分解と解析的な退化(本書『0-5 Hodge 理論・アーベル多様体・エタールコホモロジーの初歩』):コンパクト Kähler 多様体 $M$ について $\dim H^n(M,\mathbb C)=\sum_{p+q=n}\dim H^q(M,\Omega^p_M)$ であり、$H^{p,q}$ は正則写像の引き戻しで保たれ、$\overline{H^{p,q}}=H^{q,p}$ である。射影多様体は Kähler である。
  7. affine の場合の計算(本書『1-1 de Rham 複体と超コホモロジー』の式 (4)):$U$ が affine なら $H^n_{dR}(U)=H^n(\Gamma(U,\Omega^\bullet_{U/k}))$
  8. 曲線の留数完全列(本書『3-1 第二種の微分形式と Leray スペクトル系列』):$k$ が標数 $0$$X$ が滑らかで固有な連結曲線、$S\subset X$ が空でない有限集合、$U=X\smallsetminus S$ なら、$0\to H^1_{dR}(X)\to H^1_{dR}(U)\xrightarrow{\mathrm{res}}\bigoplus_{s\in S}k(s)\to H^2_{dR}(X)\to0$ は完全である。
  9. 曲線の留数定理と Serre 双対Har77 第 III 章 §7):$k$ を任意の体、$X$$k$ 上滑らかで固有な幾何的に連結な曲線、$S$ を空でない有限集合、$U=X\smallsetminus S$$V$$S$ を含む affine 開集合とする。有理微分形式の留数の和は $0$ であり、$H^1(X,\Omega^1_X)$ を被覆 $\{U,V\}$ の Čech コホモロジーで表すと、$\alpha\in\Omega^1(U\cap V)$ の類を $\sum_{s\in S}\operatorname{res}_s\alpha$$k(s)\ne k$ の点では留数に $k(s)/k$ のトレースを施す)に送る写像は同型 $H^1(X,\Omega^1_X)\cong k$ を与える。
  10. 楕円曲線の同型Sil09 第 III 章):標数が $2$$3$ でない体の上で、短 Weierstrass 型で表した楕円曲線の間の同型(原点を保つもの)は、座標の上では $(x,y)\mapsto(u^2x,u^3y)$$u\in k^\times$)の形に限る。同型 $\psi\colon E\to E'$ について、$E'$ の短 Weierstrass 座標の引き戻し $\psi^*x'$$\psi^*y'$$E$ の短 Weierstrass 座標である。
  11. 周期と Legendre の関係(本書『0-5 Hodge 理論・アーベル多様体・エタールコホモロジーの初歩』):$E\colon y^2=4x^3-g_2x-g_3$$\mathbb C$ 上)で $\omega_j=\int_{\gamma_j}\omega$$\eta_j=\int_{\gamma_j}\eta$$\gamma_1,\gamma_2$$H_1(E^h,\mathbb Z)$ の基底、$\operatorname{Im}(\omega_2/\omega_1)>0$)とすると $\omega_1\eta_2-\omega_2\eta_1=2\pi i$ であり、$H^1(E^h,\mathbb C)$ の類は $\gamma_1,\gamma_2$ 上の周期で決まる。
  12. 虚数乗法Sil09 第 III 章 §9):標数 $0$ の体 $k$ 上の楕円曲線 $E$$\operatorname{End}_k(E)\ne\mathbb Z$ なら、$\operatorname{End}_k(E)$ は虚二次体の整環であり、不変微分への引き戻し $[\alpha]^*\omega=\alpha\,\omega$ は単射な環準同型 $\operatorname{End}_k(E)\to k$ を定める。$k\subset\mathbb C$ のとき、$[\alpha]\notin\mathbb Z$ なら像 $\alpha$ は実数でない。

主結果と証明

退化を基礎体の取り替えに強い形に言い換えるところから始める。次の補題は原論文にない補いで、原論文の「Lefschetz の原理」が何を運ぶのかを明示するために置く。

次元の等式による判定

次元の等式による退化の判定

$E_r^{p,q}$ を体上の第一象限のスペクトル系列で、各全次数 $n$ について $\bigoplus_{p+q=n}E_1^{p,q}$ が有限次元、収束先 $H^n$ が有限の減少フィルトレーションをもち $E_\infty^{p,q}=\operatorname{gr}^pH^{p+q}$ であるものとする。このとき、すべての $r\ge1$$d_r=0$ であることと、すべての $n$$\sum_{p+q=n}\dim E_1^{p,q}=\dim H^n$ であることとは同値である。

段 1(不等式).$E_{r+1}^{p,q}=\ker d_r/\operatorname{im}d_r$$E_r^{p,q}$ の部分商なので $\dim E_{r+1}^{p,q}\le\dim E_r^{p,q}$ であり、等号は $E_r^{p,q}$ から出る $d_r$$E_r^{p,q}$ に入る $d_r$ がともに $0$ のときに限る。全次数 $n$ で和をとると $\sum_{p+q=n}\dim E_\infty^{p,q}\le\sum_{p+q=n}\dim E_1^{p,q}$ で、左辺は $\sum_p\dim\operatorname{gr}^pH^n=\dim H^n$ である。
段 2(同値).$d_r=0$ がすべての $r$ で成り立てば $E_1=E_\infty$ で等式が成り立つ。逆にすべての $n$ で等式が成り立てば、段 1 の不等式はすべての $r$$(p,q)$ で等号であり、$E_r^{p,q}$ に関わる $d_r$ はすべて $0$ である。$d_r$ は全次数を $1$ 上げるので、全次数 $n$ の等号が $n$ から出る $d_r$ の消滅を、全次数 $n+1$ の等号が $n+1$ に入る $d_r$ の消滅を含む。

これで退化は「Hodge 数の和が de Rham の次元に等しい」という等式になった。等式の両辺は連接層コホモロジーと超コホモロジーの次元なので、体の拡大で変わらない。原論文の「Lefschetz の原理と Hodge 理論」は、この等式を $\mathbb C$ 上で確かめてよい、という意味に開ける。

標数 0 の射影的な場合

標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化

$k$ を標数 $0$ の体、$X$$k$ 上射影的で滑らかなスキームとする。Hodge–de Rham スペクトル系列 $E_1^{p,q}=H^q(X,\Omega^p_{X/k})\Rightarrow H^{p+q}_{dR}(X)$ はすべての $d_r$$r\ge1$)が消える。したがって $\operatorname{gr}^p_FH^n_{dR}(X)\cong H^{n-p}(X,\Omega^p_{X/k})$ であり、$\dim H^n_{dR}(X)=\sum_{p+q=n}\dim H^q(X,\Omega^p_{X/k})$ である。

段 1($\mathbb Q$ 上有限生成な体への下降).引用する事実 1 により $E_1$ 項は有限次元で、$H^n_{dR}(X)$ もその部分商の有限個の拡大なので有限次元である。引用する事実 3 により、$\mathbb Q$ 上有限生成な部分体 $k_0\subset k$$k_0$ 上射影的で滑らかな $X_0$$X=X_0\otimes_{k_0}k$ となるものがある。引用する事実 2 により、上の補題(次元の等式による退化の判定)の等式の両辺は $k_0\to k$ で変わらない。よって $X_0$ で等式を示せばよい。
段 2($\mathbb C$ への上昇).引用する事実 3 により埋め込み $k_0\hookrightarrow\mathbb C$ がある。再び引用する事実 2 により、$X_{\mathbb C}=X_0\otimes_{k_0}\mathbb C$ で等式を示せばよい。
段 3($\mathbb C$ 上).引用する事実 5 により $H^n_{dR}(X_{\mathbb C})\cong H^n(X^h,\mathbb C)$、引用する事実 4 により $H^q(X_{\mathbb C},\Omega^p)\cong H^q(X^h,\Omega^p_{X^h})$ である。$X^h$ はコンパクト Kähler なので、引用する事実 6 により $\dim H^n(X^h,\mathbb C)=\sum_{p+q=n}\dim H^q(X^h,\Omega^p_{X^h})$ である。すなわち $X_{\mathbb C}$ で等式が成り立ち、補題(次元の等式による退化の判定)により $X_{\mathbb C}$ の系列は退化する。段 1、2 により $X$ の系列も退化する。付随次数の同型と次元の等式は退化の言い換えである。

原論文の一文は、底変換の不変性(段 1、2)と Hodge 分解による次元の一致(段 3)に分かれ、後者だけが超越的である。$\mathbb C$ 上で Hodge 分解という分裂を使いながら、戻ってくるのは次元の等式だけで分裂は戻らない。それが原論文の第三の主張の出発点である。

アーベル多様体

アーベル多様体での退化

$A$ を体 $k$ 上の $g$ 次元アーベル多様体とする。原論文は、任意の標数で $A$ の Hodge–de Rham スペクトル系列が退化すると述べる。本書で閉じるのは次の二つである。(i) $k$ が標数 $0$ なら退化する。(ii) 任意の標数で、全次数 $0$$1$ から出る微分と全次数 $1$ に入る微分はすべて消え、$0\to H^0(A,\Omega^1_A)\to H^1_{dR}(A)\to H^1(A,\mathcal O_A)\to0$ は完全で $\dim H^1_{dR}(A)=2g$ である。標数 $p>0$ で全次数 $2$ 以上に関わる微分が消えることは、本書では証明しない。

要点のみ述べる。(i) アーベル多様体は射影的で滑らかなので、上の定理(標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化)に含まれる。(ii) 原論文は方法を書かない。本書『4-2 アーベル多様体の $H^1$ と拡大類』で、群法則 $m\colon A\times A\to A$ の引き戻しと Künneth の分解を使い、$d_1\colon H^1(A,\mathcal O_A)\to H^1(A,\Omega^1_A)$$d_2\colon H^1(A,\mathcal O_A)\to H^0(A,\Omega^2_A)/dH^0(A,\Omega^1_A)$$0$ であること、および不変微分が閉であることを示す(原始性の議論)。全次数 $0$ から出る $d_1$ は定数の微分で $0$ である。これで全次数 $1$$E_\infty$$E_1$ に等しく、完全列が得られる。残る部分は、$\dim H^n_{dR}(A)=\binom{2g}n$ を示して補題(次元の等式による退化の判定)を使うか、原始性の議論を Hopf 代数の構造と Künneth で高次に延ばすかで閉じると考えられるが、どちらも本書では行わない。

原論文が推測として添える一般化は、次の注意として記録するに留める。

Betti 数との一致と退化の推測

原論文(印字 p. 102 上)は、Hodge コホモロジーが「正しい」Betti 数、すなわち $\ell$エタールコホモロジー(原注 (11)、$\ell\ne\operatorname{char}k$)の与える $b_n(X)$ を与えるときは、おそらく常に系列が退化するだろう、と述べる。補題(次元の等式による退化の判定)により、確かなのは「$\sum_{p+q=n}\dim H^{p,q}(X)=\dim H^n_{dR}(X)$ なら退化する」である。推測はその右辺を $b_n(X)$ に置き換えるので、$\dim H^n_{dR}(X)=b_n(X)$ という別の期待(原論文 印字 p. 103、本書『5-1 相対 de Rham 層と Serre の反例』の HP2)を経由する。この期待は標数 $p>0$ では Serre の曲面で破れるので、推測の仮定と結論をつなぐ橋は一般には切れている。本書はこの推測を判定しない。

退化する場合には $\operatorname{gr}_FH^n_{dR}(X)$ が Hodge コホモロジーになる。ここから先が「分裂」の問題で、楕円曲線での計算が要る。

付随次数と Weierstrass 分裂

付随次数と Weierstrass 分裂

(i) $X$ を体 $k$ 上滑らかなスキームとし、Hodge–de Rham スペクトル系列が $E_1$ で退化するとする。このとき $\operatorname{gr}^p_FH^n_{dR}(X)\cong H^{n-p}(X,\Omega^p_{X/k})$ であり、$H^n_{dR}(X)$ は Hodge コホモロジー $\bigoplus_{p+q=n}H^{p,q}(X)$ を付随次数にもつフィルター付き空間である。
(ii) $k$ を標数 $0$ の体、$E$$k$ 上の楕円曲線とする。$E$ の短 Weierstrass 型を一つとり $L_E=k[\eta]\subset H^1_{dR}(E)$ とおくと、$L_E$ は型の取り方によらず、$F^1H^1_{dR}(E)=k[\omega]$ の補空間である(Weierstrass 分裂)。
(iii) 対応 $E\mapsto L_E$ は読み a の意味で自然である。すなわち同型 $\psi\colon E\xrightarrow{\sim}E'$ について $\psi^*L_{E'}=L_E$、体の拡大 $k\subset k'$ について $L_{E\otimes_kk'}=L_E\otimes_kk'$ が成り立つ。

段 1(付随次数).退化すれば $E_1^{p,q}=E_\infty^{p,q}=\operatorname{gr}^p_FH^{p+q}_{dR}(X)$ であり、これは定義(Hodge–de Rham スペクトル系列の退化と Hodge フィルトレーション)の言い換えである。
段 2(補空間).本頁の例「楕円曲線の $H^1_{dR}$ の基底と Hodge フィルトレーション」により $H^1_{dR}(E)$$[\omega]$$[\eta]$ を基底とし、$F^1H^1_{dR}(E)=k[\omega]$ である。よって $k[\eta]$$F^1$ の補空間である。
段 3(型の取り方によらないこと).引用する事実 10 により、短 Weierstrass 型の取り替えは $(x,y)\mapsto(x',y')=(u^2x,u^3y)$ に限る。このとき $\omega'=dx'/y'=u^{-1}\omega$$\eta'=x'\,dx'/y'=u\,\eta$ なので、直線 $k[\eta]$ は変わらない。
段 4(同型に関する関手性).同型 $\psi\colon E\to E'$ について、引用する事実 10 により $\psi^*x'$$\psi^*y'$$E$ の短 Weierstrass 座標であり、$\psi^*\eta'=\psi^*x'\cdot d(\psi^*x')/\psi^*y'$ はその座標での $\eta$ である。段 3 により $\psi^*L_{E'}=k[\psi^*\eta']=L_E$
段 5(体の拡大).引用する事実 2 により $H^1_{dR}(E\otimes_kk')=H^1_{dR}(E)\otimes_kk'$ であり、$E\otimes_kk'$ の短 Weierstrass 型は同じ方程式で与えられ、その $\eta$$\eta\otimes1$ である。よって $L_{E\otimes_kk'}=L_E\otimes_kk'$

(iii) は、原論文の「自然な分裂はない」を読み a で読むと成り立たないことを示す。原論文自身が原注 (10) で $\eta=x\,dx/y$$H^1$ の基底に使っているので、著者がこの分裂を知らなかったとは考えにくく、意図された読みは a ではない。残る読み b、c を次の定理で調べる。

同種と Hodge 分解

同種と Hodge 分解に関する分裂

$k$ を標数 $0$ の体とする。
(i) Weierstrass 分裂は読み b の意味で自然ではない。$a\ne0$$b(a^2-4b)\ne0$ をみたす $a,b\in k$ について、$E\colon y^2=x^3+ax^2+bx$ から $E'\colon Y^2=X^3-2aX^2+(a^2-4b)X$ への $2$ 次の同種 $\varphi(x,y)=\bigl(y^2/x^2,\ y(b-x^2)/x^2\bigr)$$\varphi^*L_{E'}\ne L_E$ をみたす。
(ii) $k=\mathbb C$ では、Hodge 分解 $E\mapsto H^{0,1}(E^h)\subset H^1(E^h,\mathbb C)=H^1_{dR}(E)$ が読み (b1) の意味で自然な分裂を与える。したがって「読み (b1) の意味で自然な分裂は存在しない」は $k=\mathbb C$ では偽である。底変換の関手性も課した読み (b2) で自然な分裂が存在しないことは、本書では示せない。
(iii) $k\subset\mathbb C$$E\colon y^2=4x^3-g_2x-g_3$$g_2,g_3\in k$)とし、引用する事実 11 の周期を $\omega_1,\omega_2,\eta_1,\eta_2$ とする。$H^1(E^h,\mathbb C)=H^1_{dR}(E)\otimes_k\mathbb C$ の中で
$$H^{0,1}=\mathbb C\,\bigl[\eta+c\,\omega\bigr],\qquad c=\frac{\overline{\omega_1}\,\eta_2-\overline{\omega_2}\,\eta_1}{\omega_1\overline{\omega_2}-\omega_2\overline{\omega_1}}$$
であり、読み c の意味で Hodge 分解が $k$ 上定義されることと $c\in k$ とは同値である。$E$$k$ 上定義された虚数乗法をもつ($\operatorname{End}_k(E)\ne\mathbb Z$)なら $c\in k$ であり、Hodge 分解は代数的である。すなわち読み (c1) の「自然な分裂はない」は偽である(例は本頁の反例「虚数乗法をもつ楕円曲線では Hodge 分解が代数的である」)。虚数乗法をもたない場合 (c2) に $c\notin k$ を示すには周期の超越性が要り、本書では閉じない。

段 1((i) の計算).本頁の例「2 次同種での Weierstrass 分裂の変化」で、$\varphi^*[\eta']=-2[\eta]-a[\omega]$$\varphi^*[\omega']=-[\omega]$ を示す。$E$$E'$ の短 Weierstrass 型はそれぞれ $x+a/3$$X-2a/3$ を新しい座標にして得られるので、$L_E=k[\eta+\tfrac a3\omega]$$L_{E'}=k[\eta'-\tfrac{2a}3\omega']$ であり、$\varphi^*[\eta'-\tfrac{2a}3\omega']=-2[\eta]-a[\omega]+\tfrac{2a}3[\omega]=-2[\eta+\tfrac a6\omega]$$a\ne0$ なので $\varphi^*L_{E'}=k[\eta+\tfrac a6\omega]\ne L_E$
段 2((ii)).$k=\mathbb C$ では引用する事実 5 により $H^1_{dR}(E)=H^1(E^h,\mathbb C)$ で、$F^1H^1_{dR}(E)=H^{1,0}$ である。同種 $\psi\colon E\to E'$$E^h\to E'^h$ の正則写像を与え、引用する事実 6 により $\psi^*$$H^{0,1}(E'^h)$$H^{0,1}(E^h)$ に写す。$H^{0,1}$$H^{1,0}=F^1$ の補空間なので、$E\mapsto H^{0,1}(E^h)$ は読み (b1) の意味で自然な分裂である。読み (b2) では、この分裂を $\mathbb C$ の部分体 $k$ 上の曲線に底変換と両立するように下ろせるかが問われ、それは $H^{0,1}$$k$ 上定義されるかという (iii) の問いそのものになる。同種に関する制約(本頁の例「2 次同種での Weierstrass 分裂の変化」の関係式 $\gamma_{E'}=2\gamma_E-a$)だけからは矛盾が出ないので、本書は判定しない。
段 3((iii) の計算).$H^{1,0}=\mathbb C[\omega]$$H^{0,1}=\overline{H^{1,0}}=\mathbb C[\bar\omega]$ である(引用する事実 6)。$[\bar\omega]=\alpha[\omega]+\beta[\eta]$ と書き、両辺の $\gamma_j$ 上の周期をとると $\overline{\omega_j}=\alpha\omega_j+\beta\eta_j$$j=1,2$)。引用する事実 11 により係数行列式は $\omega_1\eta_2-\omega_2\eta_1=2\pi i\ne0$ なので
$$\alpha=\frac{\overline{\omega_1}\eta_2-\overline{\omega_2}\eta_1}{2\pi i},\qquad\beta=\frac{\omega_1\overline{\omega_2}-\omega_2\overline{\omega_1}}{2\pi i}=\frac{\operatorname{Im}(\omega_1\overline{\omega_2})}{\pi}.$$
$\omega_1,\omega_2$$\mathbb R$ 上一次独立なので $\beta\ne0$ であり、$H^{0,1}=\mathbb C[\eta+(\alpha/\beta)\omega]$$c=\alpha/\beta$ が上の式である。$H^1_{dR}(E)=k[\omega]\oplus k[\eta]$ の部分 $k$ 空間 $L$$L\otimes\mathbb C=H^{0,1}$ となるものは $k[\eta+c'\omega]$$c'\in k$)の形に限り、$\mathbb C[\eta+c'\omega]=\mathbb C[\eta+c\omega]$$c'=c$ と同値である。
段 4(虚数乗法をもつ場合).$\operatorname{End}_k(E)\ne\mathbb Z$ とし、$[\alpha]\in\operatorname{End}_k(E)\smallsetminus\mathbb Z$ をとる。引用する事実 12 により $[\alpha]^*\omega=\alpha\omega$$\alpha\in k$$\alpha\notin\mathbb R$)である。$\mathbb C$ 上では $[\alpha]^*$$H^{1,0}=\mathbb C[\omega]$$\alpha$ 倍で作用し、正則写像の引き戻しは複素共役と可換なので $H^{0,1}=\overline{H^{1,0}}$ には $\bar\alpha$ 倍で作用する。$[\alpha]^*$$k$ 線型写像 $H^1_{dR}(E)\to H^1_{dR}(E)$$\otimes\mathbb C$ なので、そのトレース $\alpha+\bar\alpha$$k$ に属し、$\bar\alpha\in k$$\bar\alpha\ne\alpha$ である。よって $[\alpha]^*$$H^1_{dR}(E)$ の上で $k$ 上対角化され、固有値 $\bar\alpha$ の固有直線 $L'\subset H^1_{dR}(E)$$L'\otimes_k\mathbb C=H^{0,1}$ をみたす。すなわち $c\in k$
段 5(残るもの).虚数乗法をもたない場合、$c$$k$ に属さないことは周期と擬周期の代数的独立性の型の主張であり、本書はその入力をもたない。

三つの読みの判定をまとめると、読み a では分裂が存在し(Weierstrass 分裂)、読み b では Weierstrass 分裂は落ちるが (b1) は $k=\mathbb C$ で Hodge 分解が分裂を与えるので偽、(b2) の不在は示せず、読み c では (c1) が偽で (c2) の虚数乗法のない場合が超越数論に残る。原論文の主張が意味をもつのは (b2) または (c2) の読みで、かつ主張として閉じるには本書にない入力が要る。

「自然」の意味と原論文の意図

原論文は「超越的な場合と対照的に」と書くので、意図は読み c に近い。「楕円曲線で既に分かる」がどの計算を指すかは紙面から判定できない。読み b の (b1) は、構成を要求せず「関手的な分裂の存在」だけを問うと、同種類ごとの非標準的な選択で満たされる余地があり、主張として意味をもたせるには「代数的に構成される」といった条件を添える必要があると思われる。本書はこれ以上の判定をしない。

例と反例

まず退化を直接確かめられる場合を二つ挙げる。どちらも任意の標数で成り立ち、標数 $0$ の定理に頼らない。

射影直線での退化

$X=\mathbb P^1_k$$k$ は任意の体)。$\Omega^1_{\mathbb P^1}\cong\mathcal O(-2)$ なので、$E_1$ 項は $E_1^{0,0}=H^0(\mathcal O)=k$$E_1^{1,1}=H^1(\Omega^1)=k$ で、他は $0$ である。$d_r$$E_r^{p,q}$ から $E_r^{p+r,q-r+1}$ へ向かうので、$(0,0)$ から出るものは $(1,0)$ へ、$(1,1)$ に入るものは $(0,1)$ からで、どちらの項も $0$ である。よって系列は退化し、$H^0_{dR}=k$$H^1_{dR}=0$$H^2_{dR}\cong H^1(\mathbb P^1,\Omega^1)\cong k$ である。$H^2_{dR}$ の生成元は、被覆 $U_0=\{x\ne\infty\}$$U_1=\{x\ne0\}$ の Čech 1 コサイクル $dx/x\in\Omega^1(U_0\cap U_1)$ で代表される。Hodge 数の和 $1,0,1$$S^2$ の Betti 数に一致する。

曲線での退化

$X$ を任意の体 $k$ 上滑らかで固有な幾何的に連結な曲線とする。$E_1$ 項は $p,q\in\{0,1\}$ の範囲にしかなく、$0$ でないことがありうる微分は $d_1\colon H^0(\mathcal O_X)\to H^0(\Omega^1_X)$$d_1\colon H^1(\mathcal O_X)\to H^1(\Omega^1_X)$ だけである($d_2$ 以降は範囲の外へ出る)。前者は定数の微分で $0$。後者を引用する事実 9 の被覆 $\{U,V\}$ で書くと、$f\in\mathcal O(U\cap V)$ の類を $df\in\Omega^1(U\cap V)$ の類に送る写像である。$S$ の各点 $s$ で局所座標 $t$ により $f=\sum_nc_nt^n$(Laurent 級数)と書くと $df=\sum_nnc_nt^{n-1}dt$ で、$t^{-1}dt$ の係数は $0\cdot c_0=0$ である。よって $\sum_s\operatorname{res}_s(df)=0$ であり、引用する事実 9 の同型 $H^1(X,\Omega^1_X)\cong k$ のもとで $d_1[f]=0$。したがって曲線では任意の標数で系列は退化し、$0\to H^0(X,\Omega^1_X)\to H^1_{dR}(X)\to H^1(X,\mathcal O_X)\to0$ は完全で、$\dim H^1_{dR}(X)=2g$$H^2_{dR}(X)\cong k$ である。とくに楕円曲線では、定理(アーベル多様体での退化)の残る部分(全次数 $2$)がこの引用のもとで閉じる。

次は本頁の定理の土台になる計算である。

楕円曲線の $H^1_{dR}$ の基底と Hodge フィルトレーション

$k$ を標数 $0$ の体、$E\colon y^2=x^3+ax+b$$U=E\smallsetminus\{O\}=\operatorname{Spec}A$ とする。
(1) $\Omega^1_A$$\omega=dx/y$ を基底とする自由 $A$ 加群である。$2y\,dy=(3x^2+a)dx$ であり、$4a^3+27b^2\ne0$$x^3+ax+b$$3x^2+a$ が互いに素であることと同値なので、$A$ の中で $(y,3x^2+a)=(1)$ である。$\alpha y+\beta(3x^2+a)=1$ をみたす $\alpha,\beta\in A$ をとり $\omega=\alpha\,dx+2\beta\,dy$ とおくと、$y\omega=dx$$(3x^2+a)\omega=2\,dy$ となる。
(2) $H^1_{dR}(U)=\Omega^1(U)/dA$(引用する事実 7)は $[\omega]$$[\eta]$ を基底とする。$A$$x^i$$x^iy$$i\ge0$)を $k$ 基底にもち、$d(x^i)=ix^{i-1}y\,\omega$
$$d(x^iy)=\Bigl[\bigl(i+\tfrac32\bigr)x^{i+2}+\bigl(i+\tfrac12\bigr)a\,x^i+i\,b\,x^{i-1}\Bigr]\omega$$
である。標数 $0$ なので、第一の式から $x^iy\,\omega$ は完全微分で、第二の式から $x^{i+2}\omega$ は法 $dA$$x^i\omega$$x^{i-1}\omega$ の一次結合に等しい。帰納的に $H^1_{dR}(U)$$[\omega]$$[x\omega]=[\eta]$ で張られる。独立性は、$a'\omega+b'\eta=df$ とおいて $f$$x^iy$ の最高次の項を比べれば、$x^{i+2}\omega$ の係数 $(i+\tfrac32)e_i$$0$ でないことから $f$$x$ の多項式に限られ、さらに $x^iy\,\omega$ の係数の比較で $f$ が定数に限られることで分かる。
(3) $\iota=[-1]\colon(x,y)\mapsto(x,-y)$$O$ を固定し、$\iota^*\omega=-\omega$$\iota^*\eta=-\eta$ である。留数は $O$ を固定する自己同型と可換なので $\operatorname{res}_O\omega=-\operatorname{res}_O\omega$、すなわち $\operatorname{res}_O\omega=\operatorname{res}_O\eta=0$。引用する事実 8 の留数完全列により $H^1_{dR}(E)\to H^1_{dR}(U)$ は同型で、$H^1_{dR}(E)$$[\omega]$$[\eta]$ を基底とし、$H^2_{dR}(E)\cong k$ である。
(4) $\omega$$E$ 全体で正則で、$H^0(E,\Omega^1_E)=k\omega$ である($a'\omega$$O$ で正則なら $a'\in A$$E$ 上正則、よって定数)。$F^1H^1_{dR}(E)=E_\infty^{1,0}$$H^0(E,\Omega^1_E)$ の像 $k[\omega]$ であり、商 $H^1_{dR}(E)/F^1\cong H^1(E,\mathcal O_E)$$[\eta]$ の像で張られる。$\eta$$O$$2$ 位の極をもつ第二種微分で、Hodge フィルトレーションを「極のない形式」と「極を許す形式」の対比として見たものが、この $F^1\subset H^1_{dR}(E)$ である。

以下の三つは分裂に関するもので、最初の反例は原論文の主張を読み a で読んだときに破れることを示す。

反例:Weierstrass 分裂は同型に関して関手的である

外す条件は「自然」の意味で、「同型と体の拡大に関して関手的」と読む。$k$ を標数 $0$ の体とし、各楕円曲線 $E$ に短 Weierstrass 型の $\eta$ の張る直線 $L_E=k[\eta]$ を対応させる。定理(付随次数と Weierstrass 分裂)により、$L_E$$F^1H^1_{dR}(E)$ の補空間で、同型と体の拡大に関して関手的である。

  • 満たす条件:$L_E$$E$ だけで決まり、$\psi^*L_{E'}=L_E$$L_{E\otimes k'}=L_E\otimes k'$
  • 破る結論:読み a の意味で自然な分裂が存在する。したがって原論文の「自然な分裂はない」は、読み a では成り立たない。
  • 影響しないこと:読み b、c での主張。この分裂は $2$ 次の同種で保たれず(次の例)、虚数乗法のない場合に Hodge 分解と一致するかは本書では判定できない。
2 次同種での Weierstrass 分裂の変化

$k$ を標数 $0$ の体、$a\ne0$$b(a^2-4b)\ne0$ とし、$E\colon y^2=x^3+ax^2+bx$$E'\colon Y^2=X^3-2aX^2+(a^2-4b)X$(右辺の 3 次式の判別式はそれぞれ $b^2(a^2-4b)$$16b(a^2-4b)^2$ で、ともに $0$ でない)、$\varphi(x,y)=(X,Y)=\bigl(y^2/x^2,\ y(b-x^2)/x^2\bigr)$ とする。$X=x+a+b/x$ であり、$Y^2-\bigl(X^3-2aX^2+(a^2-4b)X\bigr)$ の分子は $y^2-(x^3+ax^2+bx)$ で割り切れるので $\varphi$$E'$ に値をもつ有理写像、したがって原点を保つ射で同種であり(Sil09 第 III 章)、核は $\{O,(0,0)\}$ なので次数は $2$ である。$\omega=dx/y$$\eta=x\,dx/y$$\omega'=dX/Y$$\eta'=X\,dX/Y$ とおく。
(1) $dX=(1-b/x^2)\,dx$ なので $\varphi^*\omega'=\dfrac{(x^2-b)/x^2}{y(b-x^2)/x^2}\,dx=-\omega$
(2) $\varphi^*\eta'=-(x+a+b/x)\,\dfrac{dx}{y}=-\eta-a\omega-b\,\dfrac{dx}{xy}$
(3) $2y\,dy=(3x^2+2ax+b)\,dx$ から $x\,dy-y\,dx=\dfrac{x^3-bx}{2y}\,dx$ であり、$d(y/x)=\dfrac{x\,dy-y\,dx}{x^2}=\tfrac12\eta-\tfrac b2\dfrac{dx}{xy}$。よって $b\,\dfrac{dx}{xy}\equiv\eta$(法:完全微分)。
(4) (2)、(3) から $\varphi^*[\eta']=-2[\eta]-a[\omega]$。一般に $E$ の分裂を $k[\eta+\gamma_E\omega]$$E'$ の分裂を $k[\eta'+\gamma_{E'}\omega']$ と書くと、$\varphi$ に関する関手性 $\varphi^*L_{E'}=L_E$$\gamma_{E'}=2\gamma_E-a$ と同値である。Weierstrass 分裂は $\gamma_E=a/3$$\gamma_{E'}=-2a/3$ で、$2\cdot\tfrac a3-a=-\tfrac a3\ne-\tfrac{2a}3$
これらの恒等式($\varphi$ の像が $E'$ に入ること、(1)、(3))は多項式の割り算で確かめられる計算で、本書は計算機代数で検算した。

次は読み (b1) の反例で、$k=\mathbb C$ では超越的な分裂がそのまま同種に関して関手的な分裂になる。

反例:Hodge 分解は $\mathbb C$ 上の同種に関して関手的である

外す条件は「自然」の意味で、読み b のうち体を $k=\mathbb C$ に固定した (b1) と読む。$\mathbb C$ 上の各楕円曲線 $E$$L_E=H^{0,1}(E^h)\subset H^1(E^h,\mathbb C)=H^1_{dR}(E)$(引用する事実 5)を対応させる。定理(同種と Hodge 分解に関する分裂)の (ii) により、$L_E$$F^1H^1_{dR}(E)=H^{1,0}$ の補空間で、すべての同種 $\psi\colon E\to E'$ について $\psi^*L_{E'}\subset L_E$ である。

  • 満たす条件:$L_E$$E$ だけで決まり、$\mathbb C$ 上のすべての同種(同型と自己準同型を含む)に関して関手的である。
  • 破る結論:読み (b1) の意味で自然な分裂が $k=\mathbb C$ で存在する。したがって原論文の「自然な分裂はない」は、(b1) と読むと $k=\mathbb C$ で成り立たない。
  • 影響しないこと:底変換の関手性を課した (b2) と読み c。この分裂が $\mathbb C$ の部分体 $k$ 上定義されるかは読み c の問いそのものである。

最後は読み (c1) の反例で、$k$ 上定義された虚数乗法がある場合には Hodge 分解が代数的になる。

反例:虚数乗法をもつ楕円曲線では Hodge 分解が代数的である

外す条件は「自然」の意味で、読み c のうち $E$$k$ 上定義された虚数乗法をもつ (c1) と読む。$E\colon y^2=x^3-x$$\mathbb Q$ 上定義)とし、$k$$\mathbb Q\subset k\subset\mathbb C$ の任意の体とする。$[i]\colon(x,y)\mapsto(-x,iy)$$E_{\mathbb C}$ の自己同型で($(iy)^2=-y^2=(-x)^3-(-x)$)、$[i]^*\omega=d(-x)/(iy)=i\,\omega$$[i]^*\eta=(-x)\,d(-x)/(iy)=-i\,\eta$ である。$[i]^*$$H^1(E^h,\mathbb C)=\mathbb C[\omega]\oplus\mathbb C[\eta]$ に固有値 $i$$-i$ で作用し、固有空間はそれぞれ $\mathbb C[\omega]$$\mathbb C[\eta]$ である。$[i]$ は正則写像なので $[i]^*$$H^{0,1}=\overline{H^{1,0}}$ を保ち(引用する事実 6)、$H^{1,0}=\mathbb C[\omega]$ 上で $i$ 倍だから $H^{0,1}$ 上では $\bar i=-i$ 倍である。$-i$ の固有空間は $\mathbb C[\eta]$ しかないので $H^{0,1}=\mathbb C[\eta]$、すなわち定理(同種と Hodge 分解に関する分裂)の $c$$0$ で、Hodge 分解は $\mathbb Q$ 上定義される Weierstrass 分裂に一致する。

  • 満たす条件:$i\in k$ なら $[i]\in\operatorname{End}_k(E)$ で、$E$$k$ 上定義された虚数乗法をもつ((c1) の場合)。$H^{0,1}=L\otimes_k\mathbb C$$L=k[\eta]\subset H^1_{dR}(E)$
  • 破る結論:読み (c1) の意味で Hodge 分解は $k$ 上定義される。したがって原論文の「自然な分裂はない」は、(c1) と読むと成り立たない。
  • 影響しないこと:虚数乗法をもたない場合 (c2)。この例では $i\notin k$ でも $c=0\in\mathbb Q$ になっているが、それは $[i]$$\mathbb Q$ 上の Weierstrass 分裂を固有直線にもつという特殊事情による。読み c の主張が意味をもつのは (c2) に限る。

その後の発展

以下は後代の結果の紹介である(本頁の執筆時点 2026 年の知識による)。原論文の主張として帰属しない。全体像は Illusie の解説 Ill96 を見よ。

  • 標数 $p$ での退化(Deligne–Illusie、1987 年 DI87):完全体 $k$(標数 $p>0$)上の滑らかで固有な $X$$W_2(k)$ 上に持ち上がり $\dim X< p$ なら、Hodge–de Rham スペクトル系列は $E_1$ で退化する。証明は Frobenius による de Rham 複体の分解(Cartier 同型の持ち上げ)で Hodge 理論を使わず、標数 $0$ に還元すれば定理(標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化)の純代数的な証明を与える。
  • 退化の $p$ 進的な証明(Fontaine–Messing、1987 年、および Faltings、1988 年):$p$ 進 Hodge 理論を経由する別証明が同じ頃に得られた。本書の文献表にはなく、本書は確かめていない。
  • 標数 $p$ での非退化の例(Mumford、1961 年 Mum61):原論文より前に、標数 $p$ の滑らかな射影曲面で閉でない大域正則 1 形式をもつもの、すなわち $d_1\colon H^0(\Omega^1)\to H^0(\Omega^2)$$0$ でない例が知られていた。したがって定理(標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化)は標数 $0$ の仮定なしには成り立たず、注意(Betti 数との一致と退化の推測)の推測も、条件なしの一般化はできない。本書は原文を開いていない。
  • アーベル多様体の $H^1_{dR}$(Oda、1969 年 Oda69):標数 $p$ のアーベル多様体の $H^1_{dR}$$p$ 捩れ群スキームの Dieudonné 加群の関係が示された(本書『4-2 アーベル多様体の $H^1$ と拡大類』の AB2)。定理(アーベル多様体での退化)で残した全次数 $2$ 以上の退化は $H^\bullet_{dR}(A)\cong\bigwedge^\bullet H^1_{dR}(A)$ の型の結果として扱われ、また $g< p$ の範囲は $W_2(k)$ への持ち上げを経て Deligne–Illusie の定理からも従うはずであるが、いずれも本書は確かめていない。
  • Weierstrass 分裂の位置づけ:$\eta=x\,dx/y$ による分裂は、モジュラー形式の理論で Hodge フィルトレーションの分裂として現れ、Hodge 分解($\mathbb C$ 上)や $p$ 進の分裂との差が擬モジュラー形式で測られる(Katz、1973 年)。本書の文献表にはなく、本書は確かめていない。
  • 周期の超越性:定理(同種と Hodge 分解に関する分裂)の (iii) で残った「$c\notin k$」は、虚数乗法をもたない楕円曲線の周期と擬周期の代数的独立性の型の主張で、Chudnovsky(1970 年代)の結果が関係すると思われるが、本書の文献表にはなく、本書は確かめていない。周期の一般論は KZ01And04

原論文との対応表

本頁が対応する原論文は On the de Rham cohomology of algebraic varieties Gro66 である。原論文は書簡で節番号をもたないので、印字頁と原注の番号で引く。

本頁原論文印字頁
補題(次元の等式による退化の判定)なし(本書の補い。「Lefschetz の原理」の具体化)102
定理(標数 0 の射影的で滑らかなスキームでの退化)「If X is projective and smooth over a field k of char. 0 …」の一文102 上
定理(アーベル多様体での退化)「The same holds in any characteristic if X is an abelian variety」102 上
注意(Betti 数との一致と退化の推測)「presumably every time when the Hodge cohomology gives the “correct” Betti numbers」、原注 (11)102 上
定理(付随次数と Weierstrass 分裂)の (i)「the bigraded group associated to the natural filtration … is just the Hodge cohomology」102 中
定義(Hodge フィルトレーションの分裂と「自然」の三つの読み)、定理(付随次数と Weierstrass 分裂)の (ii)(iii)、定理(同種と Hodge 分解に関する分裂)、反例「no “natural” splitting available for this filtration」と、続く楕円曲線への言及102 中
例(楕円曲線の $H^1_{dR}$ の基底と Hodge フィルトレーション)原注 (10) の $\omega=dx/y$$\eta=x\,dx/y$102(原注 (10))
例(射影直線での退化)、例(曲線での退化)、例(2 次同種での Weierstrass 分裂の変化)、反例(Hodge 分解は $\mathbb C$ 上の同種に関して関手的である)、反例(虚数乗法をもつ楕円曲線では Hodge 分解が代数的である)なし(本書の補い)

原論文の「natural」は何に関して自然かを書かないので、本頁は三つの読みに分け、読み b と c はさらに二つずつに分けて判定した。

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